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夜。人々の生活時間とは反対にモシリスは昼間の明るさがあるが、病院内は遮光のカーテンやシートで夜としての薄暗さを作っている。入院患者の眠りを妨げないためだ。病院に限らず、外惑星にある屋内施設は、地球の24時間に合わせてた設備を備えている。6時になれば外が暗くても照明は灯り、夜の22時になれば明るくても飲食店は閉まる。
端に押し込められた暗がりが、
床に広がる黒色の円の中から、男が現れた。一人、ではない。
浦菱は身を固くした。出てきた人間が、二人になっている。
部屋の隅に現れたなのは、監視カメラの死角だからか。先日のように黒い靄で覆うこともできるのかもしれないが、それではどのみち病院側に以上が感知される。それを避けたいのだろう。
「1日ぶりだな」
現れた二つの影のうち、前に出ている鹿津宮が言った。昨日のような優しい笑みはない。
「今日はなんだか仏頂面ね」
「初手で首を狙いにような人の警戒が、笑顔程度で解けるか?」
「私は正直、ブン投げておけばよかったと思ってる。どっからどう見ても不審者だしね。それより、後ろの人は何」
促すと、鹿津宮は後ろを振り向いた。
「イケメンを連れてくりゃ、喜ぶと思って」
なるほどたしかに、整えられた髭とオールバックの黒い長髪が見栄えする。背もかなり高い。鹿津宮と同じスーツ姿だったが、シワ一つない生地とすらりとした佇まいから、小綺麗な印象を強く抱く。顔つきと貫禄から、年齢は40代から50代ほどか。
「生憎、枯れ専じゃない」
「枯れだってさ、言われちまったな」
鹿津宮が促すと、男は腰を折った。
「現在の自分の外見は理解しています。若い女性の、一般的な感想かと」
深みのある、それでいてよく通る声だった。
「さて、我々のことをどう説明したものでしょうか」
「あの、その前に」
控えめに会話に入ったのは佐納だ。
「お二人とも、もっと前に出ていただいて構いませんよ」
「ははっ。佐納、あんたも俺達をはめようとしているみたいだな。前に出たら、おれらの姿が監視カメラに映るだろ」
「ですから、大丈夫なんです。監視カメラ映像、この部屋だけ切っていただくようお願いしたので」
鹿津宮が首を傾げた。
「そんなお願い、通ったのか」
「はい、なんとか。私たち二人はどちらも常に見張っていないといけないほど症状は深刻ではないですし。それにここの病院、S4隊員御用達なんです。看護師さんたちも、私たちに対しては妙にくだけているというか、きっと信頼していただけてるんじゃないかと思います」
鹿津宮と男は一度顔を見合わせる。やがて二人は、一歩二歩と浦菱らのベッドに近づき、空いている椅子に腰掛けた。
「助かるよ、どうも。改めて、俺は鹿津宮
「……ええ」
「よろしく」
奏だけじゃなく、私の名前まで。
浦菱は唾を飲み下し、鹿津宮の顔を見つめた。クイロと呼ばれた男と比べて、目に付く特徴のない男だ。体格も中肉中背。すこし癖のある黒髪は短く、スーツは若干くたびれている。目つきは、いいとはいえない。少し眠そうに垂れた両目は、常時こちらを値踏みするような印象を抱く。
「さて……クイロ」
「ええ。私も
短いやり取りの後、クイロが鹿津宮の前に出た。
「佐納様に浦菱様、私も自己紹介をさせていただきます。難しいかもしれませんが、あまり驚きになられぬよう」
クイロは左手の洒落た腕時計にやさしく触れた。すると、彼の顔の輪郭が歪む。乱れた映像のようなノイズがシャープな頬を走り、形を変えていく。この時点で、彼の本来の姿が地球人ではないことがわかった。
一瞬にして、ノイズが止む。衣服こそ纏っているが、そこにいるのはもう人間ではなかった。太い首は黒く、体の中心線に向かって白い曲線が走る。その上の顔に口も鼻も見当たらず、目だけがカタツムリのように突き出た角の先に付いていた。
鼓動が早まる。これまでの態度から察するに攻撃的意志はないだろうが、それでも異星人を直接見る機会は少ない。
「S4であれば、私のこともご存じでしょうか」
「ペガッサ星人、ですよね」
佐納が震えた声で答えた。
「はい。
流れるように言ったクイロは、うやうやしくお辞儀をした。
「まあ色々あってな、今は一緒に行動してる」
浦菱らとは対照的に、鹿津宮はとっくに慣れた様子だ。
「ビビったか」
「そりゃ、ビビるでしょ」
「まあいつかは言っておかなきゃいけない事だったしな。ここに来たときの黒い影もクイロの能力だ」
「たしか、ダークゾーンでしたっけ。ペガッサ星人の能力」
佐納が口にした能力名に「その通りです」とクイロが反応する。再び腕時計型の装置を操作し、人間の姿に戻った。
「正直、監視カメラがある状態では元の姿に戻りにくかったので、非常に助かりましたよ」
「そうだな」
鹿津宮の目が一度瞬かれた。
「監視をなくすようお願いしてくれたり、すんなり名前を教えてくれたり、昨日よりは信頼を得られたみたいで何より。どういう心境の変化?」
「あんたが服用しないように言ってたマスク型の薬を、奏の知り合いが使っていた。あんたが言ったことの真偽は別として、とりあえず話を聞いておくべきだと判断したからよ」
へえ、と鹿津宮は佐納の方を向いた。
「その使ってた人の名前は」
「
「今どこにいる」
「地球で療養中だと聞いてます」
「地球ですか、なら彼らが動いてくれていそうですね」
そう言ったクイロの表情は変わらないが、声音から一抹の安堵を感じ取った。
「彼ら?彼らって誰のことよ」
浦菱が問い詰めるが、鹿津宮は面倒くさそうにそっぽを向いた。
「そいつらの名前言ったってわからないだろ」
「わかるように説明してほしいのよ私たちは。あんたが誰で、何のためにここにいるのか。仲間はいるのか」
「だから、わかるような説明の仕方を今考えてるんだ」
「その前に!」
佐納が堪えきれないといった様子で声を上げた。
「例のマスク型の薬って、何なんですか?飲むなってことは、何か毒物の類いなんですか?その場合、殻島隊長は」
「毒物じゃない。でも、人体に有害なモンだ」
鹿津宮は断言した。
「マスクの薬は、呼吸器疾患の治療か予防の薬剤といって処方される。だがそれは嘘。実際マスク内のフィルターに入ってるのは、『アレルゲン』だ」
「アレルゲン、ってたしか」
「厳密な定義は違うが、めちゃくちゃざっくり言えばアレルギーを引き起こさせる物質のこと。花粉アレルギーのアレルゲンは花粉、甲殻類アレルギーのアレルゲンはエビとかカニだ」
「じゃあ、私や殻島隊長は何のアレルギー症状を出されそうになっていたんですか?」
「これも俗っぽい言い方にはなるが、『外惑星アレルギー』だ」
その単語には、ぼんやりと聞き覚えがあった。外惑星アレルギーとは、一定割合の人に生じるアレルギー性疾患だ。
レラトーニやモシリスをはじめとする外惑星は、ほぼ地球と同じ環境であり人間に害をなす要素はない。しかし、当然全てが同じわけでもない。たとえば微生物や細菌、土壌内の成分などは当然地球に存在していなかったものが根付いている。それらの要素は地球人の免疫でも対応可能と初期調査の時点で判断されたが、地球人の中にはその免疫が過剰反応を起こしてしまう人々もいた。咳やくしゃみ、じんましんや呼吸困難など、正式名称は別にあるはずだが、それがすなわち「外惑星アレルギー疾患」という略称で通っていた。
重度の外惑星アレルギー疾患患者は外惑星での生活はおろか、外惑星で育てた作物を食べることすら命に関わる者もいるだろう。環境維持装置のリカバーネットでも完全に
「いやいやいや待って待って待って」
浦菱は手を振って否定した。
「奏も殻島さんもS4隊員としてやってきたんでしょ。マスクで外惑星の成分を吸わせたところでアレルギー反応なんて出るわけない。そもそも、外惑星アレルギー患者ってとんでもなく少ない割合でしょ」
アレルギー患者と診断される者は、現時点で世界でも1000人に満たない。浦菱はそう記憶していた。
当然だ。花粉症と同じような割合で患者がいたら、その星に拠点は築けない。
「S4隊員が、アレルギー疾患をもっているわけがない」
「そう。だからおそらく、マスクには疾患を生じさせるための段階があった」
「どういうこと?」
「小さい頃食えていたものが、大人になってからアレルギー物質になるって話、聞かないか。マスクでそれと同じことをした。大抵の場合、成長によって疾患が増えるのは繰り返しその物を摂取し続けたことによる免疫メカニズムの異常らしい。おそらく、殻島って人は処方された当初、相当な量の外惑星成分をマスクによって吸引したはずだ。普通の生活や調査で吸う何倍もの量をな」
成分で思いつくのは、細菌や大気中を漂う物質。それから小型の虫の死骸だ。地球におけるダニやノミなどに相当する外惑星の虫。
怖気がした。
「それで免疫異常を意図的に起こし、その後は慢性的な体調不良が続く程度の成分量に抑え、マスク型の薬として処方する」
「あ……」
浦菱は思い出した。野笠と篠山の葬儀で出会った、殻島穰の弟、
――あまり芳しくはなく……自宅療養だったのですが、また入院が決まりまして。
そう答えていた。病状の悪化は、鹿津宮の発言と合致する。
「でも、誰が何のためにそんなことを」
「さあ。残念ながら不明だ。佐納、心当たりあるのか」
佐納は動揺で視線を行き交わせたが、一つの予想には辿り着いているようだった。
「大きな出来事として……私と殻島隊長は、アペヌイの怪獣侵攻時に対処にあたりました。殻島隊長はその戦いで呼吸器疾患を患って、マスク型の薬を服用し始めています。私と隊長の共通点、それからタイミングを考えるに、『アペヌイ侵攻の際に出撃したS4隊員』を弱らせたいと思っている誰かが、いるってこと……ですかね」
声から活力が消え失せていた。異様なほどに、悄然としている。
「…………奏?」
佐納は俯いていた。薄暗い病室の中、彼女の瞳の中に何より、どこより、濃い影が差していく様を、浦菱はただ見ていることしかできなかった。
「唯ちゃん、覚えてるかなぁ」
やがて、佐納が口を開いた。