「
男が3人、目の前にいた。一人の声だけが明瞭に響く。
「どうか、ご協力いただけませんか。お姉様の無念を、私たちと共に果たしましょう」
右手を差し出す。鹿津宮
強く、握った。微かに湿っていた。
————————
芳治21年9月23日 東京
鹿津宮がクイロと出会ったのは日暮。ある日の仕事終わりだった。
地球、東京。日が暮れるのは早くなったものの、暗くなった景色を見て清涼感は感じられない。暑さは頑固に居座り続け、屋内に冷涼を仕舞い込むための電力がまた熱を高ぶらせる。通りを歩く学生もビジネスマンも上着は着込まず、白い生地と地肌を晒していた。
鹿津宮もまた、ワイシャツのみの身軽な格好で社屋を出たところだった。誰かから、やにわに声を掛けられる。
「鹿津宮杏次さん」
振り返り、男に気づいた。長身を清潔なスラックスとシャツに包んだ、40代とおぼしき男がいた。見たことがない。一度見たら印象に残るほど整った目鼻立ちだ。
「申し訳ございません」
鹿津宮は瞬時にビジネススマイルを作って頭を提げた。
「弊社の受付時間は17時までとなっておりまして。ご用件のみであれば伺いますが、来訪は明日以降に」
「会社ではありません。あなた自身にご用があって参りました」
「私が担当いたしている件でしょうか。仕入れ、あるいは運送関連かと思うのですが、差し支えなければ事前にご連絡いただけますと助かり――」
「あなたのお姉様の話です」
上げた口角を瞬時に元に戻した。姉についてのことならどうでもいい。耳にしたくなかった。
踵を返し歩き出す。駅は反対側だが遠回りしていこう。
「私はクイロと申します」
声が離れない。後に付いてきているのだろうが無視した。
「あなたのお姉様が、お亡くなりになるかもしれません」
足が、止まった。
今何と。姉が、死ぬと言ったか。
振り返る。クイロはかかとまでキッチリ合わせた綺麗な直立でそこにいた。
「今言ったの、マジか?」
問いかけると、今度はクイロの方が踵を返す番になった。
「詳しいことは、店で話しましょう」
黙って歩くクイロに、黙ってついて行った。
姉が死ぬ。そのことについて詳しく聞きたかったが、「店で話す」と言われたのなら従った方がいい。行きつけのところがあるのだろう。
人通りがまばらになった路地に入る。一見を断りそうな飲み屋が軒に増えつつある中、下へと伸びる階段の前でクイロは止まった。
「お待たせしました」
店は地下店舗のようだ。薄暗い電灯を頼りに階段を降り、90度に折り返すと扉が見える。木目調のシックなドアに暗いレンガタイル。瀟洒な佇まいを見るに、カフェかバーだろうか。しかし「CLOSED」の板が下がっていた。今の時代、たいていの店は電光表示だというのに、雰囲気作りに気合が入っている。
「閉まってるぞ」
クイロは耳を傾けずドアを開け、中へと入っていく。
「おい、いいのかよ」
そう言いつつも、鹿津宮はおそるおそる後に続いた。
内装は、左手に四人席のテーブルがふたつ、奥には二人席のテーブルが見える限りふたつ、右手にはカウンター席。やはりバーか。カウンターで隔たれた先には、バックバーに大量の酒瓶が収まる。
店内は照明が特徴的だった。天井から下がる細かな明かりは、ほのかに青味の濃い紫だ。ひとつひとつは小さいそれらが点々とはめ込まれている。珍しい色合いは通常ならばけばけばしく移ったかもしれない。だが、店内の絶妙な照度と内装が醸し出す雰囲気は不思議と奥ゆかしさを覚えた。同時に、星空のような照明が宇宙空間にいるかのような、幻想的な気分にさせてくれる。
クイロはカウンターの奥に入ったかと思うと、しわひとつない黒のベストを前で留めた。
薄暗い店内の際でずらりと並ぶ酒瓶。その前に立つクイロの装いと、艶のある木製のカウンターに置かれたシェイカー、グラス。それら全て揃うと、名画のような調和が生まれていた。
「画になるじゃん。あんたの店かよ」
クイロは答える代わりにカウンターを手で示す。鹿津宮は正面に腰を下ろした。
「バーは、よく行かれますか?」
「付き合い以外では行かないな」
「好きなお酒は何かございますか」
「付き合い以外では飲まないな」
「……では、ご注文は」
「いらない」
鹿津宮は即座にはねつけた。
「どうしても注文しなきゃならないんならノンアルでいい。ウーロン茶くらいは置いてるだろ」
酒を飲みたくて店に入ったのではない。姉の安否について聞かせてやると言われ、付いてきたのだ。
クイロは一瞬沈んだ表情になったが、すぐにウーロン茶の入ったグラスを丁寧に差し出した。
「それで、姉貴が死ぬってどういうことだよ」
鹿津宮は身を乗り出して聞いた。
「そもそもあんた、姉貴とどういう関係なんだ」
「友人です。以前仕事で知り合いました」
クイロは左手に着けた腕時計のボタンに触れた。すると顔の輪郭が歪み始め、途切れてはつながってを繰り返す。やがて、シャツとベストはそのままに、肉体だけが異形へと変貌を遂げた。
太く節ばった首と節足動物のような目。黒い体色。身長は人間の姿の時よりも伸び、2メートルに届いていた。
「紹介が遅れて申し訳ありません。私の正体は、ペガッサ星人という外星人になります」
「おぉ」
「……あまり、驚かれないんですね」
「別に、こうして普通に会話はできてるしな。それにこうやってテナント借りて店やってるってことは、『
『異星宥和地区』とは、地球および外惑星の都市に設けられた区域の名称。簡単に言えば、「異星人が地球人に擬態して居住・営業を行ってもいい場所」のことである。地球本土では東京都23区と、政令指定都市の一部が規定されており、審査で適性ありと判断された異星人は、日本人と同じように生活ができるのだ。
この政策が策定された背景は、外惑星ではなく日本本土に住む国民が感じる異星人への不安要素を薄めさせる目的があった。レラトーニやモシリスには
ペガッサ星人には、ペダン星やメトロン星のように国を挙げての交流はないものの、こうした個人単位での契約はあったのだろう。国民の異星人不干渉を和らげる目的の他、国を挙げての友好協定を結ぶ足がかりにするという目的も、異星宥和政策は担っている。
「だが、あんたが外星人で、仕事で姉貴と知り合ったってことは……前職だな」
「ご推察の通りです」
姉の鹿津宮
異星宥和地区の許可手続きにおいて、入り口となるのは「惑星アシル」。世界各国の宇宙通信用アンテナを設置している場所であり、地球人以外にも無数の異星人が拠点とする星だった。おそらく花梨は、ここの管理部門にいたのだろう。
管理部門といっても、地球人がアシルにおいて重要な管理職を担っているわけではない。決して地位が高いわけではないのだ。
地球人はアンテナ設置用の土地を借りるために、アシルの統括部――何星人がどういった母体で運営しているのかはわからないが――に外惑星の土地の一部を割譲し、さらに統括部が担う庶務の一部を肩代わりしていた。姉はこの役職にいたのだろうと鹿津宮は勘ぐった。
委託された業務ではあるが、地球人のために土地を割く対価としての仕事だ。国内、いや、世界的に見ても並外れたエリートでなければ務まらない。花梨はそんな要職に籍を置いていた。
(まったく、俺とは大違いだ)
常に自分と姉の能力差を比較し、
「私が行動を共にしたペガッサ星人の一団は、宇宙船で宇宙を行き交い安住の地を求める
「ってことは、姉貴はアシルに入植する星人の調整みたいなことを担ってたのか」
「はい。彼女はどうにかして、私たちが身を置く場所を手配してくれたのです」
「で、そんな命の恩人である姉貴が死にそうだと」
「……彼女の、遺言を預かっています」
「遺言?」
鹿津宮は訝った。
「じゃあ姉貴は既に死んじまったって事か?あんたはさっき、死ぬ『かもしれません』って言ってただろ」
「いえ、まだ存命かと。しかし……彼女自身、ある程度の覚悟をしているのでしょう」
「それで遺言ね。気が早いというか、潔いというか、何とも意外な話だ。なあ、この店、通信強化設備は入ってるか」
クイロが「ええ」と答えたので、鹿津宮は花梨のケータイに電話をかけた。たしか出張で外惑星に出向いているらしいが、通信設備が入っていれば電話もできるはずだ。
が、出ない。姉は気づけばすぐに出る性分だ。向こうとは時差があるのか。それとも出られない何らかの理由があるのか。
「たしかに、今んとこは安否不明だ。死んでる線もなくはねえな」
鹿津宮はせせら笑った。
「じゃああんたはご丁寧にも、姉貴の家族を回って遺言を届けてるって事か」
「いえ、あなたに会いに来たんです。花梨の遺言は、弟のあなたのみに宛てたものでした」
「は?」
自分だけに聞かせる遺言と言うことか。
困惑する鹿津宮にクイロは続けた。
「花梨はあなたに、託したい仕事がある。彼女自身が追い続けていた謎があり、その解明をあなたにしてほしいと思っている。私はそれを伝えるために……そしてどうか、あなたに担ってもらうためにこうしてお願いにきたのです」
「仕事の引き継ぎって訳かよ」
なぜ俺に、という疑問が湧いたが、すぐに掻き消えた。どれだけ納得できる理由があろうと引き受ける義理はない。
「話は終わりだな、ご馳走様」
「待ってください!」
椅子から立つと、クイロは初めて大きな声を出した。
「どうか、話だけでも」
「もう十分聞いただろ。っていうか、そもそも状況が怪しすぎる。姉貴には持病も怪我もなかったんだ。なのに急に命の危機だなんて言われて、俺が警戒しないとでも思ったかよ」
健康体の代表格のようだった姉が突如自分の死を悟る。そして弟だけに遺言を宛て、その中に業務上携わっていた『謎』がある。ならば。
「大方、死にそうになってるのは姉貴が追っていたっていう謎が原因じゃねえのか」
クイロは黙して静止した。苦し紛れでも弁明すればいいのに、嘘がつけない性格なのだろう。
「その謎というのは、今年3月に起きた外惑星航行機の墜落事故についてです。覚えていますか?」
記憶の奥の方に、ニュースの内容があった。50人ほどが乗った航行機がイメルに墜落。その内4割だか5割だかの人間が死んだ事故。事態に対して死者の割合は少ない方だが、原因は不明と報道されていた。
あくまで、
「まあな」
「では、その原因は」
「ダークバルタン、ってやつらだろ」
この報道は記憶に新しい。ひと月前、惑星モシリスに起きた怪獣侵攻。そこにはバルタン星人の姿もあった。事態の後、驚くべき事にバルタン星人側から地球にコンタクトがあり、彼らの主張は日本、そして世界に配信された。
侵攻の際に姿を現したのはバルタン星人の中でも「ダークバルタン」と呼ばれる種族である。このダーク族は、今年3月の墜落事故にも関わっており、おそらく原因である。コンタクトをとった「シルバーバルタン」は地球人と結託しダークバルタン殲滅を行いたい。
これがコンタクトをとってきた「シルバー」の言い分であり、事故原因も推定された。そして日本はシルバーからの申し出を承諾し、協力路線を歩むそうだ。将来的には特錬隊員が殲滅作戦のキモになるという。
「それがどうしたんだ」
「花梨は、そのシルバーバルタンの言い分に異を唱えています」
「つまり……ダークバルタンは墜落事故に関わっていない。原因は別にあるってことか?」
クイロは深く頷いた。
「その原因究明の過程で、先ほどおっしゃったように命を狙われました。私はその中で遺言を託され」
「……なるほど。よくわかったよ」
「では……!」
クイロの黒い瞳に希望が満ちる。申し訳ないな、とも思ったし、滑稽だな、とも思った。
「よくわかった。姉貴って陰謀論者だったんだな」
「……杏次さん!」
「言ってる意味がわからねえし、なんで人死にがでるような危険な謎の解明に俺が巻き込まれるんだ」
「……花梨が、あなたを望んだ」
「そりゃいい。気兼ねなく断れる」
「あなたは……お姉さんのことが嫌いで?」
探るような目線を向けられた。これまでの言動で、クイロの方も察しはついているだろう。
「そうだな、嫌いだよ。……嫌いだった、か。今はどうでもいい。そういう印象だ。だからこれでも、きちんと話は聞いてやった方だぜ」
「なぜ」
「理由は、単純な俺の
思わず目を逸らした。30歳も間近でこんなことを言う大人げなさは十分理解している。ぶっきらぼうに答えることが、せめてもの虚勢だった。
「俺は姉貴に絶対勝てなかった。何一つ似通った部分がなかった。そんな人間と血が繋がってて、ガキの頃から身近にいるとな、こんな風に人間の性根は歪むんだ。まあ、姉貴の人間性に問題があったわけじゃねえから安心しろ。姉貴の友人だったあんたの名誉も傷つけない」
吐き捨て、カバンとジャケットを持つ。勘定を払わず帰ることに抵抗はなかった。
聞く価値はなかった。面倒ごとを押し付けられるだけ。それも大して好ましく思っていない姉の後始末だ。どうして俺がそれを背負わなきゃいけない。背負ったところで——。
そう思いながら、出口のドアに手をかけた時のことだった。
(いや、待てよ。もしかして)
鹿津宮は振り向いた。
「おいクイロ、確認させろ。姉貴は宇宙航行機がイメルに墜落した事故を追っていた」
「ええ」
「そこで、報道されてる内容とは異なる、ダークバルタンを擁護するような考えに至った」
「その通りです」
「だがそれを証明して、事故の真相に辿り着く前に動きを察知されて命の危機に瀕してる。その真相ってのはおそらく姉貴が追っちゃいけないような内容で、探っていたせいで姉貴は多分死ぬと」
「……はい」
「へぇ、じゃあよォ」
自然と口角が上がっていた。
「俺がその真相ってやつに辿り着いて、かつ無事でいたならその状況は……姉貴に勝ったってことになるよな」
「は?」
クイロは呆けた表情だった。人間の姿なら、ぽっかりと口を開けているだろう。
「だってそうだろ?姉貴がしくじって死にかけてる謎に、もし俺が無事で辿り着いたなら、そりゃ……俺の勝ちってことだろ!」
「……何の、勝負をしているんだ」
「いいんだよそんなことはどうだって!とにかくこれは、俺が姉貴に勝利するチャンスってことだ」
興奮のあまり演説のように手を振って主張していた。
そうだ。姉に勝てる。今まで何一つ勝てなかった。圧倒的劣等感を感じる原因になっていた。その姉を超えるまたとない機会。
「やるぜ」
鹿津宮は再びカウンターへ向かいクイロを正面に見据えた。
「姉貴の遺言を受けてやる。満足だろ」
「それはそうだが……先ほどもあなたが言ったように命の危険が」
「俺がやる気になった途端諌めやがって、萎える奴だな。命の危険があるから勝ち負けがはっきりするんだろうが」
呆気に取られるクイロを前に腰を下ろす。
「おすすめをくれよ、飲みたい気分になってきた。度数も値段も高くて構わない」
「……じゃあ、まあ、ぼちぼち」
自分の本職を思い出したペガッサ星人は、振り向いて瓶を手に取った。