『殻島くん、準備はいいね』
装備を整えた殻島は、青色に光る直径2メートルほどの転移ポータル、『ゲート』の上に立つ。ゲートは青白く発効し、自身が下から円上にライトアップされているみたいだ。
羽村以下作戦室の面々は、すでにここにはいない。インカムを通して聞こえた羽村の通話に「はい」と短く答えた。
『ゲートを使用するのは初めて、ですよね』
通話者の声が変わる。中年女性の声。おそらく作戦室にいたオペレーターか。
「そりゃまあ……はい」
『こちらで全て行うので、殻島隊員は動かないようにしてください』
ゲート。それはS4の基地から調査地までを一瞬で移動させるための転移装置。すなわち、「テレポーテーション」を可能にするものだ。S4隊員は基本、基地内に複数あるこのゲートを用いて調査地へ出撃する。
なぜ徒歩や乗り物で移動せず、転移装置などという最新技術を用いるのか。理由の一つとして、出撃の緊急性が挙げられる。
S4は、居住区の外部から迫り来る巨大怪獣を緊急で退治しなければならない時がある。怪獣とはいわば、移動する災害。その足を止めることが最優先事項であり、そのための煩雑なプロセスは極力省かれる。したがって隊員を基地内から外へ一瞬で転送させる技術、『テレポーテーション』が用いられる。
殻島は一度深呼吸した。いよいよだ。
『では、S4夜蛍区ゲートから区外レラトーニに転移します』
カウントダウンなどはなく、シュン、という音とともに水色の光が殻島の身体を覆うように生じた。
それが一瞬、まさにまばたき一度のうちに光は消え、殻島の視界はゲートのある部屋からありのままのレラトーニの景色に変わっていた。
「お、おお……」
転移された場所は山中や藪の中などではなく平地。開けた空間に芝生のような緑の植生が足下に広がり、所々白や黄色の花が開いている。中には地球ではあまり見られない、花弁が緑色をしたものもあった。周囲は段丘崖のような岩肌で囲まれ、その上は緩やかな丘や台地で盛り上がっている。
総評するなら、『山合に広がる草原と森』という雰囲気の景色だ。
『殻島隊員、聞こえますか』
「はい」
オペレーターから確認が来た。名字の後に隊員とつけられるのは慣れない。
『今回の目的地は現在地点から北に進み、段丘で囲まれた迂回路を曲がっていただきます。詳しくは適宜フォローしますので、進行してください』
静かな声音は、相手の顔が見えないせいで必要以上に無機質に感じる。
『わかりましたか?』
「す、すみません。了解です」
殻島は一歩を踏み出した。地面は硬く、足を取られるような場所でもないことにほっとする。
あらためて回りを見渡す。人が住んでいない、元の姿を保ったままの
「地球で導入されたら、電車やバスはなくなるな」
ゲートは地球ではもちろん、外惑星の居住地でもS4隊員以外には利用されない。転移先の範囲を確定できないためだと言われている。
ゲートは別のゲートへ瞬間移動するわけではない。要するに、点から点の移動が困難なのだ。ゲートは空間のある程度の範囲内に転移させる装置であり、決まったポイントに送ることはできない。
殻島が今いる場所も必ずここに転移、というわけではなく、視線の先の木の下や段丘の上という可能性もあったのかもしれない。転移可能範囲を徐々に狭くし、『点』同士の移動は研究されているが、実装は遠そうだ。
こんなものを生活に組み込めない。駅に移動しようとしたのに転移先は異性のトイレ、というのはまだいい方だろう。最悪の場合は車道の真ん中だ。
ぽつぽつと歩き出す。いまだ歩みに現実感が伴わない。
『殻島くん』
「羽村市長!?」
やにわに羽村の声が響いてきた。
「私の方でも指示をさせてもらうよ。そしてわかっているとは思うが、そこは管轄区の外。小型怪獣が生息する地だ」
その低い声色が、殻島の足を止めた。
「警戒を怠らないでくれ。武器は、抜いておくことをおすすめするよ」
了解ですと言葉にできていたかはわからない。だが、殻島の手はほとんど反射に近い速度で腰のハンドガンを引き抜いていた。
深閑とした夜のレラトーニを、殻島は一人行く。
S4は基地で9種類の武器を管理しており、彼が選んだのはハンドガンだった。
その銃口を下に向けつつ、いつでも前に構えられるよう肩に力を入れている。
(
警戒を怠るな。羽村にそう言われてから、殻島はまるで地雷原を進むような緊迫の中、遅遅とした速度で進んでいた。胸中では、まだ見ぬ怪獣に頼むから現われないでくれとひたすらに祈っている。作戦室で見ている面々からすれば苛立つだろうが、そこに気を配る余裕などない。
女性オペレーターの言った通り、岩壁に囲まれたフィールドの一部が抉れ、両端の岩が小径を形成するように開けている。道は緩やかな下り斜面だ。隊員が多く往来するからか、はたまたミッション遂行のために整備が及んでいるためか、進む先は基本的に道か空間が形成されており、進行の障害になるようなものはない。
そこを曲がり、数分進むと、今度は右手に大木がそびえていた。太い幹から伸びる枝の先に真っ黒な葉をつけるそれは、やはり地球では見たことがない。その木々に沿うように右に曲がる道と、洞窟に通ずる左の道に道が分かれていた。
『2又の道ですね。そこは左の洞窟を――」
オペレータの指示が入る。が、殻島の耳はそれを拾わなちょうど、道の分岐のあたりでもぞもぞと蠢く巨大な何かが目に入ったからだ。
それは虫に似ていた。人間の胴体ほどの腹から、計6本の足が伸びる。うち左右対称の4本は途中で折れ曲がり、地面と接する先端部分は膨らんでいる。さらにもう2本の足は地面についておらず、カニのはさみのように先が分かれて尖り、中空でゆらゆらと漂わせている。
『接敵。小型怪獣グモンガ、数は――』
ヘルムについたカメラからの映像で、オペレーターの女性が認識した。
ほぼ同時に、群がっていたその蜘蛛に似た小型怪獣、『グモンガ』も殻島を視認した。小型怪獣とは1メートル以上5メートル以下の個体を指す。
闇に溶け込む苔のような深緑の体色の中、こちらを向いた目だけが妖しく紫に光っていた。
『殻島くん、見えてるか!』
「はッ、はい、います!めっちゃいます!」
『落ち着け大して数は多くない。君なら迎撃できる』
この場にいない羽村も緊張しているのだろう。声色が変わっている。だが緊張が最高潮なのは間違いなく当人の殻島だ。心臓は最高速で鳴っていた。恐怖で加速する鼓動が呼吸すら不安定にさせる。
『いいか。ヤツの攻撃手段は毒ガスだ』
「毒ガス!?」
『ああ。だが散布範囲は狭い。接近される前に銃で全て倒してしまえば、何も危険じゃない』
グモンガが近づいてきている。足の端から端を測れば成人の身長すら超す大蜘蛛が、その足をバタバタと慌ただしく交差させて殻島に襲いかからんとしていた。
だが、距離は20メートルを切った程だ。遠距離武器を持っている手前、利は殻島にある。
強張っていた肩が動く。足下を向いていた銃口は、自然とグモンガを捉えていた。
S4のハンドガンは極めて初心者向けの武器である。
とどのつまり、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。
「うおおおお!」
殻島が引き金を引いたままにすると、銃口から光が射出される。反動で射線がぶれないよう、両手で強くグリップを握りしめた。
連発で飛び出した弾はグモンガの体表に着弾。その瞬間ごとにバリバリという音を立てて硬質な甲殻が割れた。さらにその後に浴びる銃弾は体内組織を大きく傷つけ、たちまち紫色の血液が噴き出す。先頭にいたグモンガはあっけなく撃ち殺され、後続する形だった個体もすぐに倒れ伏した。
「はあ……はあ……はあ……」
殻島は荒い息を吐いた。
脅威は去った。が、人間大もある生物を、明確な意思を持って殺したという事実は、簡単に呼吸を整えさせてはくれなかった。
『よくやった殻島くん。すぐにマガジンを抜いて、腰に提げている替えの弾倉を差すんだ』
羽村の声で我に返る。
『S4の武器は指向性エネルギー兵器ではあるが、リロードは必要だ』
「ち、遅効性?」
『指向性ね』
羽村によれば、ハンドガンを初めとしたS4の銃器類はほぼすべて、物体を飛ばすのではなく、エネルギーをレーザーやビーム弾として照射する『指向性エネルギー兵器』だという。
『弾倉の上部と銃身は特殊な素材でできていてね。粒子の通り道になるんだ』
「でも弾は無限じゃないんすね」
『弾倉は発射のためのエネルギーも蓄えている。だから普通の銃と同じようにリロードが必要になるんだ』
腰のホルスターには多くの弾倉が刺さっている。そこから一本を引き抜き、空いた場所に差し込んだ。
銃を収めた手を殻島は見る。震えていた。手の平に、発射の反動を受けたときの痺れが残っている。
射殺したグモンガに視線を移す。毒々しい色の血液がレラトーニの植物を濡らしていた。力なく投げ出された足。後方のもう一体も同様に死に様を晒している。2体の亡骸。
「あれ?」
『どうしたんだ』
「3匹いませんでしたっけ」
『え?』
「えっ」
殻島も羽村もオペレーターさえも、3体目のグモンガの存在を失念していた。
分かれ道のところで群れになっていたとき、殻島から一番遠くにいた個体。たしかにもう一体いたはずなのに、消えた。
逃げたのか、隠れて肉薄しているのか、殻島は察知できない。気付いたのは、足の1メートルほど先が突如ぼこっと盛り上がった時だった。
身構えた時にはすでに何かが地中から飛び出していた。消失した最後のグモンガだ。強靱な4本の足は地表を破って殻島の背丈の4倍ほど跳び、覆い被さるようにして襲いかかる。
(モグラかよ……!)
素早く地面に潜り、モグラのように地面を掘って進んでいたのだ。そう頭で理解した時には既にグモンガが降ってくる。殻島は完全に後手に回る形となった。
だが、決して虚を衝かれたわけではなかった。
奇襲におののく身体がギリギリで反応する。降りかかるグモンガを大きく跳び退り回避。勢いを殺した足でそのまま地面を蹴り、一気に距離を詰める。
着地したグモンガの目の下に並ぶ3つの突起。そこから紫色の霧が噴出した。
毒ガスだとわかる。わかるが止まらない。殻島は、前に出す左足をグモンガの顔に思い切り打ち付けた。S4スーツのブーツは硬い。そこに走力と脚力が乗った一撃は、ガスの噴出するための口吻を全て砕き割った。
腹を見せてひっくり返るグモンガ。無防備そのものとなった大蜘蛛にハンドガンを乱射し、とどめを刺した。
周囲を見渡し、一切の動きがないことを確認して銃を下ろした。
怪獣の気配はない。ここに敵はいない。それがわかる。わかるようになっていた。
怖い。逃げ出したい。その思いとは裏腹に、震える手足には確かに血が通っていた。
「区長、次はどこに」
『……前方左の洞窟だ』
羽村が返答した。
殻島は洞窟の正面に立った。星明かりが差すのは、広い入り口からわずか数歩先。そこから先は影を重ねたような深い黒色が口を開けていた。
怖じ気づいた。そう言って羽村が帰してくれるだろうか。
――行くしかない。
足取りは揺れていない。呼吸は整っていた。
――――――――――
「彼、身体能力高いですね」
羽村ら特命作戦の面々が控える重要作戦室にて、画面を見据えたまま、斜め前に座す女性オペレーターが言った。
羽村も同意見だった。一連の殻島の動きを見て、内心唸っている。
「君の目から見てもそう思うか」
羽村が尋ねる。オペレーターは実際に惑星の非管理地区に出る戦闘隊員たちを基地からバックアップする役職だ。別部隊の動きを何度も目にしているであろう彼女から見ても殻島勇玖は優秀な隊員と言えるのか。それが気になった。
「はい」
オペレーターが答える。機械的な返事の中に、一抹の関心が見られた気がした。
「普通、怪獣と対峙すれば怖じ気づき、腰を抜かすのが普通です。ですがこの男は――」
反応、回避、反撃。危なげながらもその流れが完成した戦闘だった。
「悪くない戦闘センスですな」
小松も同調する。
羽村は思案顔のまま、じっとモニターを見つめていた。
――――――――――
洞窟と言うことで身構えていたが、意外なことに中は広く、明るかった。内部の岩壁が一部発光しており、それが照明となって進むべき方向へ導いてくれる。
「岩そのものが光ってんのか?いや、発光する虫みたいなのがひっついてるのかも」
いずれにせよ、これもレラトーニ特有のものだろう。
被っているヘルメットもフルフェイスであり、バイザーは暗視機能を搭載しているのか暗さが障害とはならない。
狭い通路を、身体をねじりながら進むことを予想していたが、幅かなり広かったことも幸いだった。足場もしっかりしており、進行に問題はない。
ただ一点。道の端には注意する必要があった。殻島が進む道は周囲より高く、その両端は崖のようになっている。下にはそれぞれ一本ずつ川が流れていた。2本の川に挟まれているため、途中で小型怪獣に襲われれば川に転落するおそれがあるのだ。
細心の注意を払う中、やはり進度は落ちた。
「なんか、変な匂いするな」
不快な匂いがヘルムを通り越して鼻に届いていた。刺激臭というよりも、吐き気に結びつく系統の匂いに近い。匂いは強くはないが、どこかで嗅いだ経験がある気がする。
我慢して歩を進めると、洞穴内で見通しのよい場所に辿り着いた。依然両端は洞内河川に挟まれた一本道だが、進路は真っ直ぐだ。天井も高く、光源もある。
その空間の奥は対照的に、天井が低く道幅も岩壁で囲われ狭くなっている。洞窟の出口が近いのかと一歩を踏み出した時、殻島の目に人間らしき姿が留まった。尻餅をつき、ざらざらとした岩壁にもたれている男性らしき人影。その姿は殻島が身につけているものと同じ、S4の隊服だ。
「いました!」
作戦室に一言伝えると、警戒を忘れ駆け出した。壁にもたれるその男に駆け寄るが、一切の反応がない。ぐったりと項垂れる姿からは、精根尽き果てた様子を感じさせた。
「大丈夫ですかッ!」
耳に顔を近づけて大声で聞く。
「あの!」
肩を揺さぶり気付く。男の身体から、芯が失せている。まるで綿の少ないぬいぐるみのように、自立する能力も意思も、その肉体からは感じられなかった。
『殻島くん、揺すっちゃダメだ。ひとまず呼吸を――』
「いえ、区長。多分この人は」
インカム越しにも、作戦室の重い空気が伝わった。
死んでいる。
手遅れだった。
殻島は亡骸の肩に手を置いたまま俯く。もう少し早く来ていれば彼は生きていただろうか。羽村の頼みをすんなり受け入れていれば、もっと早く進んでいれば、望みはあっただろうか。
羽村や小松も、間に合わなかった自分を責めるほど傲慢ではないだろう。そもそも救助は自分の役目ではない。それを引き受けただけでも手柄とは言えるはずだ。
責任感や使命感など感じる必要はない。負い目も、罪悪感も。だってこの業務はそもそも自分がやるべき事ではなかったのだから。
「…………すみません」
それでも殻島は遺体にそう言った。彼の鼓膜はもう揺れないとわかっていても、言わずにはいられなかった。