「――はい。ええ。朝のお忙しい時にすみません、変なこと聞いて」
殻島はある人物との通話を切り、ケータイをしまう。
足だけを規則的に前に送っていた。ぽつぽつと小股で進む殻島を、同じように防衛局に出勤する職員が追い越していく。
――夜蛍区の調査地域に、洞窟なんてないよ。
昨日のハルの言葉が頭から離れなかった。
(そんなはずねぇ)
そんなはずがないのだ。殻島はたしかに、行方不明になった隊員を探すためにレラトーニの洞窟に入った。基地のゲートを通した転送先でだ。すでに2年以上S4隊員として働いているハルが、その存在を知らないはずがない。
では自分が行った場所はどこなのか。そればかりを考えて昨夜は目が冴えた。
眠れない中で、思考だけが枝を伸ばした。洞窟と、その中の異臭。街中で見つけた小松が運転する車、その後部座席にいた男は誰か――。
あの日も、今も、嫌な予感がしている。
「殻島局員」
局の扉をくぐったあたりで前方から誰かに呼び止められた。普段聞かない、だが耳朶に残っている声だ。
顔を上げると、待合席に女が座っている。疲労が滲む、冷徹さを感じさせる瞳。彼女はあの日、殻島が任務で始めて調査地へ出た時、オペレーターを務めていた中年女性だ。
「何で――」
「今回も羽村市長がお呼びです」
殻島の疑問を先回りして答える。つかつかと歩み寄り、すれ違う瞬間「ご同行を」と冷ややかに告げられた。決して周囲には漏れぬその声量。「ご同行願います」とは、言わなかった。殻島が拒否することを一切許さない、あるいは想定していない響きだった。
「お急ぎください」
また何か任務を頼まれる。おそらく、今度も公にはしたくない仕事を。
それを察知した殻島は、すぐさま携帯を取り出した。
なりふり構っていられない。警察でも何でも、とりあえず繋げてしまおう。そう考えた。
オペレーターが振り返り、その挙動に気付く。そして、瞬時に殻島が手に持っていた携帯をはたき落とした。
「あッ!」
拾おうとするが、床に手を伸ばしたときにはオペレーターが先に携帯をかすめ取っていた。
無機質なコール音が鳴る殻島の携帯画面を操作する。
「だめですよ。警察は」
音は止んでいた。
彼女は暗くなった画面をひらりと見せ、殻島の携帯を手にしたまま歩き出す。
付いていく他ない。背中を嫌な汗が流れていた。
職員証を翳し基地に入る。そこからエレベーターに入り3階へ。奥へ奥へと進み、以前と同じ、『重要作戦室』の前まで辿り着いた。
中にいる人物がオペレーターの女性と殻島を認識したためか、ドアが横に開く。
そこにいたのはやはりというべきか、羽村鎮男だった。
「やあ殻島くん。本当にすまないね、また呼び立ててしまって」
羽村は親しみやすい笑顔を作っていた。その下手に出る態度が、また新たな依頼の布石であることは目に見えていた。
「今日呼んだのは他でもない、また君に頼みたいことがあったものでね」
羽村は揉み手のような仕草をした。
羽村以外の者がこの態度でいれば、殻島の顔色を窺っているように見えるだろう。
だが、殻島からはなぜか全くそう見えないのだ。縮こまったように見えても、弱々しい印象は感じない。首長という肩書きがそうさせるのか、恰幅か、声音か、何かしらが作用して、親しみやすさを感じながらも付け入る隙を与えない。そんな雰囲気がある。
「今回は人命救助じゃない。そのままの意味で、怪獣退治を行ってもらいたいんだ」
「退治、ですか」
以前の依頼で主軸に置かれたのは、専属S4隊員の捜索ならびに救出。怪獣を倒したのはあくまでその過程だった。
だが今回は違うのか。字面通りなら、怪獣を駆除することそのものが課せられる任務となる。
ここにきて、殻島の頭に一つ予想があった。羽村が倒して欲しいという怪獣。他のS4隊員にではなく、自分に頼み込む訳。ここ数日の出来事が、頭の中で繋がった。
「そうだ。君に倒してもらいたい怪獣というのは――」
「もしかして」
羽村の説明を、真っ向から遮った。
「
責め立てるような声音は避ける。ただ眼だけを尖らせて羽村に向けた。そしてその眼光で、羽村の核、彼が秘匿していた何かを撃ち抜いた手応えがあった。
「……何故そう思ったか、教えてくれるかな?」
羽村は手を後ろに組み替えた。下手に出ていた姿勢から一点、胸を張った羽村は堂々とした気風を放っている。
殻島も堂々とした態度を崩さぬよう努めて口を開いた。
「まず、以前の頼まれたミッションで俺が発見した隊員の遺体ですが、首に細長い針のようなものが刺さっていました」
「うん、たしかその場でも君から報告を受けたはずだが」
「後になって調べましたが、ここら一帯に生息する怪獣で、針や棘を飛ばすという特性のある種は一切見つけられませんでした」
人類が移住した惑星において発見された怪獣は、全て国際規模のデータベースに記録される。情報は図書館やインターネットにも公開され、一般人でも閲覧できるようになっているのだ。殻島はそのページや、他の媒体を一通り見てみたのだが、隊員の死因になったような棘をもつ生物は、少なくともレラトーニにはいないということがわかった。
また、レラトーニの人類移住から200年以上が経った現在、新種の生物というのもそうそう見つかるものではない。ここまでわかれば、首に針を刺されて死んでいた隊員の姿が異常であることは確かだ。
「では、どうして突然変異などと言うのかね?」
羽村は柔和な表情を保っているものの、納得していない。なぜなら、殻島が言った『突然変異』というのもまた簡単に起こるものではないためだ。
「まさか、ネットで少し調べたくらいで、突然変異なんて突拍子もない結論に辿り着いたわけではないだろう」
「……もちろんです」
とは言ったものの、ここから先は憶測の域を出なかった。
一か八かだが、殻島は己の予想に賭ける。
「市長の依頼で区外に出た日、俺は洞窟に入りました。そこで……外にはなかった強い異臭を感じたんです」
羽村の顔をじっと見据える。その眉が数ミリだがぴくりとしたのを捉えた。
「レラトーニの最大の特徴は、豊かな自然と澄んだ大気、そして『水』です。あそこまできつい異臭は自然では考えられない」
この惑星における生活用水は、もともと流れていた川や湖から流用している。そしてそれらが家庭に届けられるまでの作業は、浄水場における簡単な土砂の除去と消毒のみだ。無論、外惑星においてこれは驚異的な水の綺麗さである。『レラトーニの水は地球の雨水よりも澄んでいる』とまで言われた。
だから殻島は、洞窟の匂いに違和感があったのだ。体調が悪くなるような、あの淀んだ空気に。
「羽村さん、もしかして……市長の権限を利用して、洞窟内の川に何か流しているんじゃないですか」
この疑念が殻島の賭け、そして羽村に対する打撃の内容だった。
「ッはははははは!」
羽村は高らかに笑った。当然といえば当然の反応である。あまりに荒唐無稽な推測、真に受けるはずがない。
「全く面白いことを言うねぇ。何かを流してるって、一体何を?」
「例えば、未処理の下水」
異臭を感じたと同時に、これはどこかで嗅いだことがあると思ったのだ。
生活に身近にある。あの匂いは、下水だ。
「違いますか。街の下水に汚染されて怪獣が変異するっている可能性は考えられるでしょう」
再度、羽村の眉が浮いた。そこに微かな動揺を確信した殻島は畳みかける。
「夜蛍市の、駅前周辺って随分水道代が安いですよね。」
料金のことは、駅前周辺の住宅地に住む雪町から聞いた。雪町は親交深いハルの部隊の中で唯一結婚しており、基地近くの単身寮を出ている。
つい先ほどの電話だ。
「聞いたところ、特に下水道使用料金が基本・追加分共に安価です。地球でも安い部類に入るでしょう。外惑星じゃあり得なくないですか」
「あり得ない、ということはないと思うがね」
「あり得ないですよ。外惑星じゃライフラインの利用料が地球と比較して高いのは常識です」
必然的にそこでの生活基盤を成立させるために多額のコストかかっており、その維持も同様であるためだ。特に、レラトーニのように豊かな自然があり、それを維持しようとする法体系がある星は顕著だ。
下水道もまたしかり。処理された下水はレラトーニの川や海に放流されることとなる。
一方で、レラトーニに進出した国家は『外惑星における持続可能な開発条約』に批准する。これは外惑星の限りある資源を一定水準以上侵さないという目的に立って制定された。
したがって、この星の放流水質基準は地球以上に厳しいものとなっている。各国各地域は高度の浄水技術を備えた処理場の設置を迫られ、そこにかかる費用を、下水道を利用する市民から回収する。地球であれば法外だと訴えられるような値段が、外惑星では一般的。多くの人は行政からの「外惑星継続居住支援金」を受けてやりくりしている。
だというのに。
殻島は雪町に教えられた水道料金を思い出す。下水道の使用料は地球でも魅力的に映るほど安価だった。明らかにおかしい。
「つまり、駅前周辺の下水を集積する処理場のみ、下水の処理が甘い」
集積した下水に一切の処理を施さず垂れ流す、ということは流石になさそうだ。それではすぐに露見する。だが、料金の安さは明らかに通常取るべき処理段階――繰り返し行われるフィルタリングや高価な薬品――をパスしていると物語っていた。
「S4隊員の友人は、『ここの調査区域に洞窟はない』と言っていました。下水の不正な放流が今まで露見しなかったのは、S4の調査区域とは異なる、誰の目にも触れない川に流していたから」
ハルの発言で殻島が気づいたのは、S4の調査地と以前向かわされた場所は全くの別であるということだ。
下水を流していることが事実なら、それも当然だろう。調査地と下水を流出する河川が被っていれば、S4隊員にバレてしまう。
「以前亡くなった人のようにあなたが極秘で雇った隊員には、口止め料込みの高い報酬で黙らせていたんでしょう」
「ハハハハハハハハ!」
羽村はまたも笑った。慌てている様子はない。それでも殻島にはわかった。この反応は誤魔化しだと。
「思い切った意見だね。でもそんなことができるわけないだろう!君を向かわせた川からこの市までどれほどの距離があると思ってる?どうやってそこまで水道管をつなぐ?」
「できますよ。距離が離れていたって」
まだ甘く見られているな、と殻島は実感した。距離のことなんて調べていないとでも思っているのか。
「だって、下水処理場から放流先の川までは
「何?」
「俺が向かわされた場所、もともと新しい居住区を広げるために国が目星つけていた場所でしょ」
一昨年、羽村の市長就任前だ。夜蛍市と接する調査地は人が住むための開発地域の候補に挙がっていた。
「結局、開発候補だった夜蛍に隣接する調査地……長いな。その場所を『A』って表しますが、Aは開発地に選ばれなかった。だが、あんたの前の市長はかなり選ばれたいと思っていたみたいだな。事前のライン整備には市から援助をしていた」
事前ライン整備とは、国が受け持つ開発の準備段階だ。仮に、開発地域が決まって、すぐに作業開始だとはならない。そこで働く作業員と
開拓・開発は国家事業であるが、隣接する市が支援を行うこともある。前の夜蛍市長はこれを行っており、Aには現在すでに地下に水道管が通っている。
「Aの地下を通る下水管は、夜蛍市内、駅前地区の下水を集積する夜蛍中央処理場から伸ばしたものだ。そこの浄水処理を甘くして水道代を安くしてある。あんたがやったのは、すでにAまで来ている下水管を少しだけ伸ばし……以前俺が向かった洞窟内を流れる川に放流した」
殻島が辿り着いた洞窟内の河川は「Aに近く、かつS4隊員の調査地には含まれない」という絶妙な場所なのだろう。
市について遡って調べると、市長選で羽村は水道事業の支援を掲げていた。票を呼び込んだ公約の一つだろう。それが今は駅前しか行われていないが、協議中として乗り切っている。
「…………はっ」
羽村は鼻で笑う。
「馬鹿馬鹿しい。第一、先ほどの下水による変異の可能性なんて君の憶測じゃないか――」
「
殻島が口にした名前。それを聞いた羽村の顔から全ての笑みが失せた。
「俺がこの星の怪獣を調べたって、何も適当に調べたわけじゃないんですよ。最初はネットから、最終的に図書館の色んな本とか論文読み漁りました。レラトーニの環境と生息怪獣。それを扱った論文やデータベースには、この男の名前が多く載っていました」
井塚友徳という男は、この惑星の自然環境・生物学に精通している人物だということが調べてわかった。気になって名前を検索にかけたところ、著名な人物らしく、出身や経歴、そして顔写真も見ることができた。
その顔が、頭の中である人物と繋がったのだ。
数日前、あの日小松が運転する車の後部座席にいた男に間違いなかった。
「あなたは外惑星環境研究の権威である井塚をレラトーニに出張らせて、環境への影響や対処などの意見を求めていたんじゃないですか。数日前井塚がこのあたりに来ていたってことは、俺の出撃で突然変異の可能性を初めて認識したからだ」
「ふざけ」
「さらに、井塚は一昨年の開発地域の協議についても判断材料としてレポートを国に提出していた。その内容は『A』ともう一つ候補に挙がっていた県北西部の地域における開発難易度の比較……。井塚はここで、Aは開発に不適という所見を示している。市長になって引かれた水道管を利用したいというあんたの目的に沿う内容だな」
「いい加減にしろ!下水管を利用して私に何のメリットがある!」
「知らないよ。でもどうせ、金だろうが」
殻島は吐き捨てるように言った。
「国からの水道運営補助金を、おそらくあんたは横領してる」
レラトーニでは水道事業に金がかかる。
国は基本的に外惑星社会のシステムに出費を惜しまない。
したがって、いくつかの自治体には水道運営を補填する補助金が配られる。夜蛍市も運営補助の対象だった。
しかし、夜蛍の一区画では下水処理がずさんであり、ずさんさに応じた安い水道代を徴収。その時点で釣り合いが取れていて、プラス国からの補助金。補助金の分がまるまる浮く。
それは、羽村の懐へ。補助金といえど一区画で浮く費用は少ない。井塚や羽村に協力するオペレーターら共犯者に配分すれば、一人頭では億万長者にはなれないだろう。その現実的な、捉え方によっては浅ましい金額が、私的利用の疑惑を高めた。
「何に使う金かは知らねえが、こういうことだろ」
羽村は押し黙る。
「下水放出の危険性を把握し、定期的に隊員を特命任務で様子見に向かわせていたこと、突然変異の可能性を認識して数日後には井塚を
下水の垂れ流しには当然水道局との繋がりがあるだろう。垂れ流しだけならば事を主導していたのは水道局側ということも考えられる。だが、今までの会話で羽村が下水流出を知っていたのは明らか。そして、それを完全に把握した上で表に出さないように厳選した人員を集め、区外に繰り出させていた。殻島が発見した、死亡していたS4隊員は、大方垂れ流しによる環境への影響がないか現地確認に向かわせていたと考えられる。
わざわざ殻島を呼び出したのは、秘密を知られる可能性を増やしたくなかったためだ。
別の者に頼んでは、当然その依頼を受けた者にも不正という弱みを握られるかもしれない。そうなってしまうよりは、既に手を汚し共犯となった殻島を使いたいだろう。
「学者の名前まで把握しているとは」
羽村はため息交じりに言った。悪びれる様子は見られない。
「認めるのか」
「認めて欲しいかね」
「……は?」
質問を質問で返され、殻島は狼狽える。
「私がやったと推測する悪事をここでつらつらと述べたのには、どんな理由がある?」
「……俺を解放しろよ」
不気味な感触だ。
自分の推測は当たっていた。それは羽村にとって触れられたくない秘密、弱点だと思っていた。だが目の前の男はどうだ。顔から笑みは失せていれど、泰然とした態度は揺らいでいない。
「さっき、そこのオペレーターに奪われた俺のケータイにはな、あんたの不正の内容を記したメールがある。既に京和テレビに勤めてる大学の友人に送付した」
羽村の表情が一瞬歪む。奥のオペレーターも振り返った。
だが、嘘だ。メールなんてしたためていない。大学の友人は一人京和テレビに行っているが、適当な方便として使ったまでで送信してもいない。
「だが、あくまで今日の正午に予約送信しただけだ。今すぐケータイを返して、俺を解放すれば必ず削除する」
「ほう」
「あと、壊しても無駄だ。俺自身が操作するしかない」
出まかせで作り出した、自分の安全の確保と引き換えの取引。
殻島は続ける。
「現れた突然変異の怪獣は、S4で別の部隊を使うなんなり、いずれにせよまだ対処はできるだろう。討伐させるだけなら、あんたの秘密もバレる可能性は低いはずだ」
「解放すれば水道の件は黙っていてやる、ということか?君も川の汚濁という事実を抱えて生きていく覚悟があるかい?」
ちっ、と舌打ちが漏れた。
今朝の時点で、羽村の陰謀はある程度勘付いていた。これを告発すべきか、するとしたらどこにいえばいいのか。昨夜はそんなことを悶々と考えていたが、実行に移す前にオペレーターに捕まったため、殻島はここにいる。
だが結果として、取引材料という形で提示することができた。このまま怪獣退治に向かえば、汚水放出の全容はテレビ局に渡る。単なる防衛局員の妄言でしかないが、疑いが生じるため羽村側にとって望ましいものではない。最悪露見に繋がる。それが嫌なら自身を解放させるしかないはずだ。
(とはいえ、解放されたとして……このやべえ実態を黙って生きていくのは、人としてどうなんだ?)
この不正を黙殺していいのか。自らの身の安全のために、レラトーニの環境を破壊する事実に口をつぐんでいていいのか。
(いや、駄目だ)
告発する。この場は適当に切り抜けて、後でしかるべき機関に報告しよう。そうしなければ、さらなる被害を生む。
「……不正を抱えて生きていく覚悟?あるさ。自分の命が大事だからな」
そのためにも、今は切り抜けることに専念する。口約束でいい。他言しないと誓おう。
そう考える殻島に対し、羽村は背を向けオペレーターに指示した。
やがて画面が切り替わる。そこには、ある生物が映し出された。
「……は?」
「これは、君に退治してもらおうと思っていた怪獣だ」
なぜ今になって怪獣の姿を見せたのだ。
いや、それ以前にこんなの――。
「冗談じゃ」
「名前は、海獣ゲスラ」
その画面には、魚類と爬虫類を混合したような、おぞましい巨体がいた。