火山活動が活発な高音の惑星『アペヌイ』にてS4隊員養成課程にいる
しかしその合間、知景は未来から唐突な願い出をされる。それは『日課で行っている屋外のランニングを一時的にやめてほしい』というものだった。
「何か、起こる気がするの」
「何かって何だよ」
「それは、わかんないけど」
「いやいや、じゃあなんでランニングやめろとか言えるんだよ。意味わからねえ」
「でも本当に!」
必死に思える未来の様子が不可解だった。いつもは眠たそうな瞼を被っている彼女の目が、今は鋭くなってこちらに向いている。
「それにほら……最近治安悪いじゃん。夜は危ないよ」
「治安ってあれか。S4隊員殺人事件の」
一つ、即座に思い当たる事件があった。今から3週間と1日前、知景たちが研修にあたるS4
そして、この凶行は一人でとどまらなかった。事件から2日後には女性隊員が、さらに3日後にも別の男性隊員が同様の手口で殺害されている。
アペヌイS4隊員連続殺人事件。地球本土を含む全国ニュースではこのように報じられた。
当然、S4隊員たちの間では警戒心と恐怖が広がった。特に、2人目の被害者である女性隊員は独身寮に居を構えており、その帰宅途中に殺害されている。独身寮は基地にほど近く、入居者も多ければ人の往来もある。にもかかわらず、人目につかないごく短時間の合間を縫って殺害されていた。また、1人目と3人目の遺体にあった刺創は1箇所のみ。
人殺しに慣れている者の犯行だった。3人目の被害者が出た直後は訓練に日程も朝から中止となり、訓練隊員は寮から出ないよう通達があった。
にもかかわらず、知景は「治安が悪い」という言葉が引っかかっていた。
「でも、あの事件の犯人はとっくに捕まったろ」
事件は急速な収束をみせていた。1週間ほど前か。警察はアペヌイ灰濱市に隣接する
一説では、女はある組織に所属しているのではないかという噂がある。防衛組織による怪獣討伐に異を唱え、外惑星生命の広範な保護を訴える過激派集団「
加えて、逮捕された
「別に今更、外出て治安がどうこうって話でもねえだろ」
「そうっ……だけど、でも。何か変な予感するっていうか。それは治安に限った話でもないけど」
「意味わかんね。ルーティン一回止めるとブランク空いた後キツイから正直嫌なんだけど」
ぴしゃりとはねのけた。嫌だと強く言ってしまえば未来は従う。
「ダメだよ。約束して」
そう思っていたのに、今日の彼女は頑固だった。
譲れないということか。やはり違和感がある。日頃の「おぶって」や「一口ちょうだい」とは明らかに異なる重みを言葉から感じた。こちらを拘束するような響きすらある。親が駄々をこねる子どもに言い聞かすような、優しさのなかに圧が潜む物言いだ。
――私の方が強いのに、何か指図できる立場かよ。
腹が立ったが、拒否しても折れないのなら仕方がないだろう。
「……はいはい。わかったよ。今週いっぱいぐらいは外走るのやめるわ」
「本当?」
「しつけえな、ほんとだよ」
嘆息して自販機の蓋を開ける。買ったお茶と先ほどアタリで落ちてきた飲料を回収しようとして、手が止まった。
「何だこりゃ?」
そこにあったのは、缶でもペットボトルでもない。緑色の液体で満たされた、手の平からはみ出るサイズの容器だった。取り出してみると、500ミリペットボトルと同じくらいの重さがあった。容器はプラスチック製のようだが、端にストローのような突起がついている。飲み物なのかどうかもわからない。傍らの未来もじっと見つめ、「あ」と声を上げた。
「それあれじゃない?ヒールキット」
「ヒールキットって、S4隊員が使ってる薬か?」
調査地任務中の怪我を応急処置する目的で用いられている薬剤だ。傷口に直接塗る、というよりも粘度の低い液体なので振りかける形で使う。消毒、殺菌、鎮痛、治癒促進など幅広い効能があり、小さな傷なら付けるだけで処置は終わる。
「そうそう。これがアタリなのかもね、この自販機は正隊員さんも使うだろうから」
「なるほど。でもデケーな」
「ツイてるじゃん」
「普通の飲み物の方がよかった。まあもらっとくけど」
ヒールキットLとお茶を拾い上げ、「戻ろうぜ」と促す。トレーニングルームまで歩き始めると、ずしりと背中から重みがのしかかった。
「未ッ……来、てめ、また」
また強引に飛びついてきた。既に肩から胸に手を回し、運んでもらう気満々だ。
「ふふふ」
「何、笑ってんだ、降りろ」
「や~だ」
「やだじゃねえ」
「チカちゃんの背中、安心するんだもん」
首の付け根のあたりにも温かさを感じた。未来が頬をくっつけているのだろう。寝る気か、こいつは。トレーニングルームまで30秒程度で着くのだが。
「大きくて、頼もしい。強い人の背中って感じ」
胸の前で垂らした未来の腕が動き、知景のペンダントを握る。未来から譲り受け、先ほども「大事にしてくれてるんだね」と訊かれたペンダントだ。
「…………ちっ」
知景は歩き出した。また
脚は既にアスファルトの硬さに慣れていた。すり減ったランニングシューズの底は機能していると言いがたいものの、いつも往復するルート程度の距離であれば全く問題ない。熱暑を裂いて知景は走る。
未来からの申し出があって2日。知景は早速約束を破っていた。
(悪いなぁ未来。暇だったからよ)
部屋を出る時、彼女の真剣な顔が脳裏にちらついた。しかし未来は今日一日、体調不良で訓練を休んでいたのだ。朝起きてすぐに療養室に赴き、それ以降は顔を合わせていない。4人一組で組まれる寮の部屋も未来と同じだった知景にとって、この状況は監視がいないに等しかった。
「はっ、はっ」
暑さが肌にまとわりつく。意識して等間隔を保つ呼吸が、苦しくなり始めた。
走ることは好きじゃない。ただ、走る習慣を止めることには抵抗がある。このルーティンは訓練隊員として入隊した以後、ほぼ毎日欠かさずに繰り返していた。ほとんどの訓練隊員は日中の訓練で絞られ、自主トレは行わない。知景とて疲れていないわけではなかったが、ランニングは自らの「勝ち」を維持するために必要だと思った。
知景は入隊時点で他よりも体力や身体能力で抜きん出ていた。幼い頃から薙刀を厳しく教え込まれたためだろう。だが、胡座をかいていられるほど卓越してはいないと思った。自分より劣っていた者に追い越される。これ以上の屈辱と失態はない。だから努力した。ランニングもその一環だ。
楽をして他者に負けるくらいなら、自分にトレーニングを課してでも勝利したい。その信念の下であれば、本土日本の真夏日など目じゃない気温の中でも走り続けられた。
ルーティンワークはそれ自体が生活に組み込まれることで完成する。今日のように、既に生活の一部になったワークを外すとその時間がぽっかり空いてしまうのだ。暇だと思った。暇が焦りに転ずるまで時間はかからなかった。
(アタシに指図したかったら、理由くらいはちゃんと説明するんだったな)
周囲に人の姿はない。1日の訓練を終えた後のため時刻は夜。惑星アペヌイの自転においても夜だったが、マグマの海が空を照らしているため明るい。
基地を出て北西へ。付近のまばらな住居と店舗を過ぎ、地下開発により生じた坂を下ってまた上る。止まらなくていいのでジョグにはうってつけだとおもっていたが、S4の訓練隊員らしき者は見たことがなかった。
(
あるいはトレーニングルームで筋肉をいじめているのだろうか。だが以前興己に聞くと、大池筆頭の「マジメな」連中はあまり自主トレする姿を見かけないという。
自分たちは怪獣から人を守る熱意と素養を十分い持っている。だからこそS4隊員にふさわしい。そう信じる彼らの熱意と素養とは、いわばその程度なのだろう。少なくとも、知景の貪欲な精神に及ばない。
アタシのことが気に入らないなら勝てばいいだろう。勝つためには鍛えるしかない。鍛える労力を厭うのであれば、もう話にならない。
知景にはS4の目的も信念も知ったことではない。ただ、この組織で自分の能力が活きることを知っている。特にこの訓練期は他者に対する優越が明確に現れ、熱意だの誇りだのは劣る者の言い訳としか機能していなかった。
自分のような人物でも、勝ちは勝ちだ。知景はそれを継続する。可能な限り。
抜かれたくない。負けたくない。以前のように。
(もう、薙刀みたいには――)
「あれ?知景さん?」
馴染みのある声が響いた。知景は足を止めた。灰濱市のほぼ北端。灰濱基地も日本が所有するアペヌイ領土の中心からは離れているが、さらに郊外。そこを走る道路に合流する位置だ。熱気とマグマの流入を防ぐ塀に沿った道路には、
「奇遇だね!」
「奇遇ってお前、なんでこんなとこにいるんだよ」
「いやぁ、僕ももっと体力つけなきゃと思って走ってたんだ。知景さんもこの辺を走ってたんだね」
「……もうずっと前からこの辺のコースを流してるが、お前にあったことなんて一回もねえぞ」
「今日はたまたまだよ。気分転換で。知景さんがいるなら僕もこっちを走るようにしようかな」
「何だそりゃ気色悪い」
えぇ~と口を尖らせる興己に、知景は疑惑の目を向けた。
なぜここにいる?未来は興己に対して「外を走るな」と注意はしなかったのだろうか。興己は軽率に約束を破るタイプではない。それなのにたまたまこの辺を走っているという状況は奇妙だ。
「ど、どうかした?」
「いや、お前なんで荷物背負ってんだと思って」
興己が背負っているのはトレイルランザックのような小型のサイズではなく、20リットル程の容量がありそうな一般のリュックサックだ。走るには邪魔だろう。
「これはあれだよ。重し、的な?」
「馬鹿か。慣れないうちに重しつけて走ったら姿勢が崩れて余計に疲れる走り方が身につくだけだ。お前みてえな体力がない奴は軽装でいいから止まらず走ることだけ意識してりゃいいんだよ」
「指導に関しては相変わらず手厳しい……一緒に走ってもいいかな、お手本を見るってことで」
「好きにしろよ」
せっかく維持していたペースを乱された。苛立ちもあってそっけなく返したが、興己の足音はすぐ後ろでし始める。
未来といい興己といい、ここ最近は何なんだ。違和感を振り切るつもりで歩調を早めた。
景色から建物らしい建物はほぼ消えた。今周囲にあるのは道路に沿って立つ防壁と、S4が管理する巨大怪獣の侵攻を防ぐための砲台のみ。基地を出て約4キロ、知景が走るランニングコースの折り返し地点であり、アペヌイ日本領の縁だ。
「は、速、ゲホッ……!はっやいね、ちか、知景さん」
案の定、興己は付いてこられなかった。懸命に後ろに張り付いてはいたが、次第に姿勢もペースも乱れ始め、結果的に折り返し地点で1分ほど知景は待機することとなった。
目の前で肩を上下させる興己を見ると、どうして重しなど背負って走っているのか理解に苦しむ。
「すごいなぁ、なんでそんなにタフなの……って前に聞いたけど、『才能』だったっけ」
「ああ。あとは無駄に荷物しょって走るのが逆効果だって理解する程度の知能とか」
「ははっ!言うなぁ。じゃあ戻ろっか」
「少し休む」
すぐに再開した場合、興己が脱水で倒れかねない。こいつの体調など知ったことではないが、同行者としての責任が問われるのは困る。
興己の体力が回復するまでしばし待ちだ。知景は防壁のてっぺんから上に広がる空を眺めた。
濃紺の夜空に置かれる星の光は、ここからだと画鋲の穴ほどの大きさもない。その矮小な光は視線を下げるにつれて薄くなり、同時に空の色が紺から紫へ、そして徐々に
地球出身の知景は、この空を見た時に夕焼けのみたいだと思った。暗いはずの空が地表のマグマに照らされ、水平線から焼かれるようにして色が変遷する。
自転によってもたらされる絶対的な暗闇すら、海を形成するほどの溶岩の明かりに侵食される。夜が奪われる星だった。
——よくもまあ人類はこんな星に住み着いたもんだ。
アペヌイの環境は地球と似ても似つかない。生命が産声を上げた母星よりもはるかに高温で溶岩に覆われたこの星に、なぜ居住できるのか。
だが、最も重要な「火山」の存在に着目した過去の研究者たちは、進出の可能性を見いだしたのだ。実際、アペヌイの居住を見据えた調査が行われたのは、今人類が進出している外惑星の中で最も遅れて、居住を見据えた調査が動き出した。
そもそも地中深くで蓄えられるマグマとは、岩石が溶けたものである。この岩石の融解という現象には、人類にとって不可欠な「水」が絡んでいるのではないかという推測がなされた。
地下に存在する成分は高温高圧下に晒される。等しく岩石の融点も高止まりするため、固体のまま存在するが、他でもない水が融点を押し下げるのだ。
地球の場合、マグマができる仕組みの1つとして以下のプロセスが上げられる。海水を含んだ海洋プレートがマントルに沈み込み、地中深くで絞り出された水が岩石成分に触れる。すると水が不純物として作用し融点が下がる。温度が同じ地点で融点が下がることで岩石は溶け始め、晴れて「マグマ」と相成るのだ。これと同じ現象を、研究者たちはアペヌイにも期待した。
そして、あった。ぼこぼこと沸き立つ地表からは想像もつかないが、たしかにアペヌイの地下には液体としての水が存在し、マグマ生成に働きかけている。比較的初期の地質調査でこの事実が明らかになった。地表を覆うほどのマグマがあるということは、それを作り出すだけの水の存在を結びつける。そして今、この地下水はアペヌイに住む人々の生活に大きく役立っていた。
なぜ多量の水が地下に押し込められたのか。それは人類にとって不可欠なもう一つの要素である「酸素」と深く結びつく。
遙か昔、アペヌイの地表はマグマに覆われていなかったと推測される。むしろ現在の地球やレラトーニに似た、海の存在する惑星だった。しかし環境変化により星全体の気温が低下、海と陸地ともに全て凍りつく
地表では多くの生命が活動を停止したものの、惑星内部でのマントルの動きは続く。地下には二酸化炭素を多く含むガスが生成され、やがて吹き出す。二酸化炭素は温室効果を生み、気温を高め、やがて星を凍結から解放した。
気温の上昇は氷を溶かしただけでなく地下にまで作用し、鉱物の融解を促進した。岩石を形成していた豊かな資源が海中に溶け出し、海の栄養価が急増。生命全体数がの急激に増大した。中には、光合成を行う生命も。
二酸化炭素が豊富な地表で光合成はさかんに行われた。この課程で酸素が爆発的に増大。一時は大気成分の30パーセントを超えたという調査結果もある。
しかし星は、ツケの精算を迫られた。増加した生物を要するために必要な二酸化炭素が今度は不足し始める。エネルギーの獲得手段を失った光合成を行う生物は減少し、酸素濃度が下がり始める。時を同じくして、融解した地中に地表の海水が流れ込み始めた。これに活発な火山活動が加わり、長い時間をかけ、流れ込んだ水に蓋をするようにして溶岩からなる陸地が形作られる。
ある時点で生物全体数のバランスが保たれ、酸素濃度が安定する。奇跡と呼ぶべき偶然だが、この安定して止まった数値が、地球と同等の約21パーセントであった。
人類は地球で生命が誕生したことと同じくらいの低確率でこの星に根を下ろした。
もっとも、これらは地球人が「住める条件」に過ぎない。「住むことによるメリット」がまた別に存在しているのだが――。
「知景さんごめん!復活した!」
傍らで興己がとんとんと跳ね、万全だとアピールする。ようやっと復活か。空を眺めるくらいしかやることがないというのも新鮮だった。
「めちゃ暇だったぞ、このクソ暑い中」
「随分待たせちゃったね……ここから走るペースは僕に合わせなくていいからさ」
「本当か?」
「もちろん!あっいや……どうしよう……やっぱり少し手心を」
はっ、と汗まみれの興己をせせら笑った瞬間だった。
どうん、と地面が揺れる。奇妙な浮き沈みだった。地震ではない。まともに地震を経験したこともないが、本質的に異なるのを本能的に理解できる。一方で、感じた緊張は自然災害と似ていた。刹那で、それほどまでの被害を想像した。
気まぐれで時に悪意を伴う。
巨大な生き物の、足音だと思った。
非常に遅くなってしまいましたが、2025年最後の投稿です。
今年もありがとうございました!また来年も4章を進めていきますのでよろしくお願いします!
忘年会をやっている3章ズの絵をXに投稿していますのでよければ。
https://x.com/snowzarashi?s=21&t=hkEM1DLiHhOWIKIVpgDOkA