IS/UC -インフィニット・ストラトス/ユニコーン- 作:諸葛ナイト
いつ頃だったかはもう覚えていない。
ただ、彼女にとって闇というものは生まれた時からそこにあるのが当たり前だった。
人は生まれて初めて光を見る、というがそれはラウラ・ボーデヴィッヒという少女には当てはまらないものである。
他にも彼女には当てはまらないものがある。1つ例を上げるのならば名前だ。
人は名前を得ることで個性と呼ばれるものを得るものであるが、彼女からしてみれば名前とは番号よりも識別はしやすく、番号よりも覚えるのが手間になる程度のものでしかない。
しかし、そんなものにも例外というものが生まれた。
尊敬し、敬愛する教官、織斑 千冬に呼ばれるのきだけは、その響きが特別な意味を持っているのではないかと思えた。
そう思うたびに形容し難い高揚感を覚えていた。
(ああ、そうだ。あの人の存在が……その強さが、私の目標であり、存在理由……)
千冬に出会って全てが変わった。
空っぽだった何かが埋まり、それが全てになった。
自らの師であり、絶対的な力であり、そして理想の姿。
(織斑 一夏──)
だからこそ千冬という絶対的な存在の戦歴に泥を塗った彼が許せない。
(岸原 翼……)
一夏は最終的な標的だが、目下は翼だ。
ISの操縦技術、知識は十分すぎるほどにある。唯一ないのは経験だけだ。
認めたくはないが、翼はあまりにも危険すぎる。早急に対処しなければならない。
(まずは、貴様を排除する。どのような手段を使ってでも……)
闘志に火をつけたラウラはその火を大きくさせるように静かにまぶたを閉じた。
闇と一体になりながら火を業火へと変えながら少女は眠りに沈んだ。
◇◇◇
「そ、それは本当ですの!?」
「う、嘘ついてないでしょうね!?」
月曜日の朝、教室に向かっていた男子3人の耳にそんな騒がしい声が届く。
「なんだ?」
「さぁ?」
「んー? まぁ、なんか話が盛り上がってるんだろ。いつものことだな」
軽く言った翼が教室の扉を開いた何も気がつかず廊下にまで響くほどの声でその話題は続いていた。
「本当だってば! この噂、学園中で持ちきりなんだよ!?
月末の学年別トーナメントで優勝したら男子3人の内から好きな人と交際で──」
「なんの話だ?」
「「「きゃああっ!!?」」」
翼が声をかけた瞬間、返ってきたのは分かりやすく取り乱した悲鳴だった。
彼としてはいつもと全く変わらないように声をかけたつもりだったが、予想していなかった反応に目をぱちくりとさせた。
そんな彼の背中から首を伸ばした一夏が代わりに問いかける。
「で、なんの話だったんだ?
なんか男子うんたらまでは聞き取れたんだけど」
「う、うん? そうだっけ?」
「さ、さぁ、どうだったでしょう?」
分かりやすくはぐらかす鈴音とセシリアにシャルロットが追及しようとしたが2人ともそそくさとその場から離れて鈴音は2組の教室に、セシリアは自分の席に戻っていった。
それを皮切りにしてか先ほどまで騒がしかった教室内がどこかよそよそしい雰囲気となり、生徒たちも露骨に男子たちから目を逸らし始めた。
「……なぁ、みんななんか隠してないか?」
「うん。そう、だとは思うけどなんだろう?」
「いや、俺もさっぱり……でも、なにかとんでもない話に巻き込まれてる気がする……」
男子3人が互いに顔を見合わせて小首を傾げ、肩をすくめ、覚えた嫌な予感に戦々恐々としている中、心の中で頭を抱えていた少女がいた。
(なぜ、なぜこのようなことに……?)
箒である。
近頃流れている今月末の学年別トーナメントの噂、その発端は間違いなく自分だ。
というのも学年別トーナメントで「私が優勝したら付き合ってもらう」と言ってしまったのだ。
それがなんらかの要因で漏れてしまい。その断片的な情報が人を経るごとに補完された結果、今流れている噂である「学年別トーナメントで優勝すれば男子3人の内1人と付き合える」というものになったのだろう。
百歩譲って自分1人が困る程度ならばまだ問題は少なかったが、今回は翼とシャルルも巻き込んでしまっているため箒は強い罪悪感に苛まれていた。
(い、いや! 優勝だ。私が優勝してしまえば問題はない!
そう、今回はあのときのようには──)
意識が押し込めていた記憶に触れてしまった。
思い出したくはない記憶であるにも関わらず、その記憶はゆっくりと漏れ出す。
(そうだ。あの時とは違う。
あの人がここにはいない……だから)
大会に優勝すれば付き合う。そんな約束をしたのは今回が2度目だ。
小学校4年生の時にあった剣道大会。小学生という大きな括りであったため5、6年生とも戦うことがある大会だったが、実家が剣道道場であったこともあり箒は当時敵なしと言えるほどの実力があった。
優勝は確実、だったがその大会当日に彼女は引っ越しを余儀なくされる。
理由は“篠ノ之 束が表立って発表”したISの存在だ。
当時から兵器への転用が危ぶまれており、本人含む親族の保護と監視を目的として政府主導の転居を余儀なくされたのだ。
状況が状況であったためまともな別れどころか手紙のやり取りすらできずに気がつけば両親とは離れ離れとなり、その元凶となった束はどこかに姿をくらました。
箒からして見れば束という存在は自分の大切にしたかったもの、拠り所を全て根こそぎ奪っていった憎っくき存在である
(……翼が私に親身なのは負い目を感じているから、だろうな)
姉の顔を浮かべる中で箒は視界に翼を捉える。
彼はおそらくその辺りの事情を知らないのだろうが、それでもISコア開発者の親族。自分と似た経験と苦労をしてきたのだろうことは察せる。
だから彼は同じ境遇を持つ自分に対して親身になって協力してくれるのだ。
(ならば、私は翼になにをしてやれる?
私のわがままに付き合わせてばかりで……私は)
箒の中で1つの渇望が形を持つ。
──力が欲しい。
織斑 一夏という大切な存在と今度こそ共に歩めるだけの力が欲しい。
岸原 翼という大切な恩人に対して恩返しをするための力が欲しい。
篠ノ之 束という憎むべき姉に対して牙を突き立てるだけの力が欲しい。
(ああ……こんな、こんなものは)
箒は自覚していた。
自身が望むこれは強さを求めてはいない。純粋な力、より雑な言い方をするのならば暴力を求めている。
全てを薙ぎ倒す力。全てを吹き飛ばす力。ただ自分が自由に振るうことができる力を求めているのだ。
いつの間にか噂話のことなど頭から抜け落ち、己の醜さだけを箒は見つめていた。
◇◇◇
IS学園は実質的に女子校であった。ISを扱える者は女性に限られるため男子教員どころか男子職員すらもほとんどいない。
そんな場所で男子が使えるトイレなど数が限られているのは当然であり、授業の合間にトイレに行くには早歩きをするしかないというのもまた当然である。
現に翼は廊下を早歩きで歩いていた。
走っているように見えるが片足は常に地面に付いているためこれは早歩きだ決して走ってはいない。そのため教師に「廊下を走るな!」と一夏のようにお叱りを受けることもない。
(トイレ問題も早急にどうにかしてほしいけど……これは2学期までは難しいだろうなぁ)
そんなことを呑気に考えながら教室に戻っていた翼の耳に声が引っかかった。
「なぜこんなところで教師など!」
「やれやれ……またその話か」
曲がり角の先で聞こえたその会話に翼は反射的に足を止めて息を潜める。
ゆっくりと角から顔を出した先に見えたのは千冬とラウラだった。
「何度も言わせるな。私には私の役目がある。それだけだ」
「このような極東の地でなんの役目があるというのですか!」
周りを突き放すような雰囲気を纏っているラウラにしては珍しく訴えかけるような声に翼は少し驚きながらも話の内容に意識を向ける。
「お願いです、教官。我がドイツで再びご指導をお願いしたく。
ここではあなたの能力は半分も生かされません」
「ほう?」
「だいたい、この学園の生徒など教官が教えるに足る人間ではありません!」
「ふむ、なぜだ?」
「意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションかなにかと勘違いしている。そのような程度の低い者たちに教官が時間を割かれるなど──」
「──そこまでにしておけよ、小娘」
凄みのある千冬の声と覇気にラウラは目を見開き体をすくませた。
彼女から先ほどまでの勢いは完全になくなり、言葉を出さないでいる。
「しばらく見ない間に偉くなったものだな。15歳でもう選ばれた人間気取りか?」
「わ、私は……!」
ラウラは俯いて両手で拳を作っていた。
かけがえのない相手から嫌われるかもしれない恐怖に対するだけのものを彼女は持っていなかった。
「さて、授業が始まるな。さっさと教室に戻れ」
「……ッ、はい」
ラウラは顔を上げることなく力少なく返して去った。
会話が終わったことにより、当然千冬の意識はずっと盗み聞きしていた存在へと向かう。
「そこの男子。盗み聞きとはあまりいい趣味ではないぞ」
声をかけられて曲がり角から出てきた翼はすぐに弁明の言葉を紡ぐ。
「あ!? そんなつもりじゃ……! いえ、すみません」
しかしすぐにそれが無駄なことだと悟り謝った翼を見た千冬は端末の時計を見て問いかけた。
「まぁ、いい。お前にも聞きたいことがあった」
「聞きたいこと? でも授業がもう」
「貴様にここの授業など必要ないだろう。トイレから帰ってくる途中に私に捕まったと言っておけば言い訳も立つ」
翼は「それなら」と思ったが、すぐに妙な違和感を覚えてそれを口にする。
「珍しいですね。千冬さ、あ、いや、織斑先生がそんなことを言うなんて」
「私も人間だ。そういう気分の時もある」
千冬の表情はいつもと同じように聞こえたが、どうにも歯切れが悪い。
こうして呼び止めておきながら話すことに躊躇いを覚えているように翼は感じた。
そんな彼に千冬は質問を投げかける。
「……ユニコーンについてだ。
あれから1ヶ月ぐらいだろう。異常はないな?」
「はい。父さんと母さんのおかげでどうにか。
プロテクト自体は強力で俺1人だと解くのに1年はかかりますよ」
即答した翼に千冬はため息をついた。
「馬鹿者、お前自身のことだ」
ため息混じりに小声で出された千冬の言葉が翼の耳に届くことはなかった。
首を傾げて訝しむような表情の翼には多少の疲れは見えるが無理をしているような様子は見えない。
現に千冬の質問を機体のことを心配しているものだと受け取ってしまう程度には彼自身も無理をしているという自覚はない。
(まぁ、今の翼なら多少の無理は問題ない、か……)
「あの、織斑先生? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。ただあいつもお前を多少なりとも見習ってくれればと思っただけだ」
「は、はぁ……?」
翼は頭に疑問符を浮かべたが千冬はそれに明確な答えを与える気はないようでシッシッと追い払うように手を動かしながら言う。
「問題がないならいい。授業に向え」
「……? はい」
促された翼は半ば困惑したまま早歩きで教室に戻った。
そんな彼の背中を見つめながら千冬は心の中で溢す。
(ラウラ・ボーデヴィッヒ。今の貴様が習うべきは私ではなく、翼だ)
今の翼はラウラが知らなければならないものを全て知っている。
そしてラウラはそれを知らないが故に翼には勝てない。
千冬はいつの間にかラウラに大きく肩入れしている方に気がついて小さく「ふっ」と自嘲する笑みを浮かべて職員室に向かった。