第十回 書いてみたいけどなかなか書きだせないお話を短編で書いてみたステークス 作:雅媛
卒業式の日。
桜吹雪が舞う中を仔犬と2人で、ゆっくりと歩いていく。
無言で、けれどしっかりと噛み締めるように、もう2度と踏むかもわからない石畳を踏みしめていく。
「……」
校門の前まで来ても彼女は、シリウスは喋らなかった。
振り返らない。真っ直ぐに前を見て、未来へ歩いていく。雄渾に、気高く。それは今の彼女の本質を表しているようだった。
俺はその姿を、後ろから見つめていた。いつものように彼女が前を行く、その後ろを歩く。
彼女の背を見るのが好きだった。
共に歩んでいたのでは見られない、彼女の歩みを間近で感じられるその光景。彼女の作った道を一番に歩ける特等席。俺はそれが好きだった。
けれど、今は。
(これからは、君の隣を歩きたい)
胸のポケットに入れた小箱の感触に、心臓がどくどくと早鐘を打つ。目緊張のせいだろうか、の前に迫った校門が歪んで見えた。
まだ意識してはいけない。そう思えば思うほど、胸を締め付ける感情が強く主張する。景色から色が抜け落ちて、音が遠くになって、思考に靄がかかっていく。
「──?」
シリウスが、何かを言った気がした。僕は蒙昧したまま頷いた気がした。
自分が今、倒れているのか、歩いているのか。それすらも曖昧に曇っていたのに、彼女の言葉にだけは反射的に答えてしまう。
悲しいことだが、俺はこの数年ですっかり彼女に飼い慣らされてしまったから、よっぽどのことじゃない限りは彼女に何か言われると頷いてしまうんだ。
「──」
いくらか、歩いたように思う。
会話があった記憶はないし、あったとしても俺は要領を得ない曖昧な返事ばかりだったはずだ。
この時の俺は、それほどまでに緊張していたから。
「──イ、聞こえてるのか」
「……え」
しっかりと意識が現実に戻ってきたのは、強く肩を揺さぶられて声をかけられた時だった。
シリウスに声をかけられた途端、ハッと目が覚めたように視界がはじけた。
色が、音が、戻ってくる。
目の前には怒ったような心配したようなシリウスの顔があって、あたりはいつの間にか見慣れた路地に様変わりしていた。
「こ、こは」
「やっと気づいたか」
目を瞬かせて詰まった声を出すと、シリウスは呆れたとでも言いたげにため息を吐いて顔を俯けた。
それから俺の肩を強く握ると、いつもの調子でからかいの言葉を投げかけた。
「そんなに、私のトレーナーじゃなくなるのが嫌か」
「……あ、当たり前、だろっ」
「手放すのが惜しくなるほど私の首輪を気に入ったのは何よりだが、私がいなくなったあとも"私のトレーナー"が辛気臭い面を晒してるんじゃあ飼い主の質が問われる。だろう?」
「……それは」
「飼い主が直々に遊んでやるっていうんだ、尻尾を振って喜んで見せろよ」
言ってシリウスは、行きつけのビリヤード場にはいっていく。
俺は彼女の言葉を何度か頭の中で反芻してから、両頬を叩いて情けない自分に喝を入れた。
「よしっ」
きっと、大丈夫だ。うまくいく。
根拠もなく自分に言い聞かせて頷き、俺は彼女のあとを追ってビリヤード場に足を踏み入れた。
「シリウス、賭けをしよう」
「はぁ?」
ボールがセットされた台に着くなり俺は彼女に勝負を持ちかけた。
「俺が勝ったら、ひとつ……聞いて欲しいことがあるんだ」
「……へぇ? そっちから勝負を持ちかけてくるってことは、ちゃんと勝算があってのことなんだろうな?」
面白そうに口端を吊り上げたシリウスを真っ直ぐと見つめ、俺は頷いて見せた。
彼女はそれで良しとしたのか、白い手球をセットするとキューの先端にチョークを塗って、俺に手渡した。
「ブレイクは譲ってやる。……何年も教えてやったんだ、今更外すなよ?」
もう後戻りはできない。俺は決意と共にキューを受け取り、手球に向けて構えた。
ルールはナインボール。
1番のボールから順番にポケットへ落としていき、最後に9番のボールを落とす。
何度も勝負をしてきたルールだ。
ほとんど勝てた試しはないけれど、でも今日だけは勝ちに行きたい。いや、勝ちたい!
「フッ──!」
腕を振り、キューを勢いよく滑らせて手球を打つ。
コッと小さく音を立てて勢いよく弾き出された手球は、気持ちの良い音を立ててセットされたボールとぶつかり、乱れて、テーブルを掻き乱していく。
静かに始まった勝負は最初こそ順調に俺の手番で進んでいた。
ビリヤードはポケットにボールを落とした者が続けてプレイできるルールだ。
つまり一度もポケットを外さず、ファールのひとつもせずにゲームを進めれば、終始自分のターンでゲームを終わらせることも可能なのだ。
俺はそれを狙っていた。シリウスに手番を回せば勝てないから、ただひたすら、どんな手を使ってでもボールをポケットに落としていった。
「うっ……!」
順調だったプレイが躓いたのは、中盤のことだった。
5番のボールを落とさなければならない場面。
9番のボールが、5番のボールと密着する形で固まっていた。しかも運が悪いことに、手球側に9番ボールがある状態でだ。
これを取るには手球を壁に当ててから5番のボールに当てて、なおかつポケットに落とす必要がある。
あるいは。
5番のボールを弾いた勢いで9番のボールをポケットに落として勝つか。
どちらにしろ、これを行うには高度なトリックショットが必要だった。
シリウスの面白がった視線が注がれる。
俺の頬を一筋、冷や汗が伝い落ちたのを感じた。
それなりの経験者でも難しいというのに、初級者に毛が生えた程度の俺にはほとんど不可能に近い難しいショットだった。
「どんなトリックショットを見せてくれるのかな、仔犬ちゃん?」
もしも下手に打って失敗したら、シリウスに手番が回ってしまう。
ファールになれば手球を好きな位置において打つことができる。
そうなっては勝ち目がない。
ここで決めるしかない。なんとしても。
「……!」
綿密に脳内でシミュレートをしながら、キューを構える。
うまく壁に反射させて5番を撃ち落とす。
狙うべきは手番の右側。
少し深く、外側ギリギリ。
そのためにじっと狙いを定めて、そして打つ。
「……あぁっ!?」
打った瞬間に、情けない声が出た。
キューが捉えたのは、手球の外側。だが、狙い通りではない。狙っていた場所よりもずっと、真ん中に寄っていた。
それではダメだ。
手球の曲がり浅くなって、壁にバウンドした時に5番のボールに当たらない。
「フッ、ファールだな」
どのボールに掠ることもなくテーブルを転がっていく手球を見て、くすくすとシリウスが笑った。
ああ、と声が出た。
やめてくれと、そんな声が出たような気がした。
もちろん、シリウスはそんな言葉を聞くワケもない。
「私の番だ。まあ、仔犬ちゃんにしてはよくやった方だと思うぜ」
コン、とシリウスが手球を突く音が響く。
次々とボールがポケットに入っていく。
ミスってくれ!
一抹の希望を抱いても、現実は非常だ。
「これで、私の勝ちだ」
シリウスの宣言と共に、9番のボールがポケットに落ちる。
負けた。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
力が抜けて立っていられなくなって、膝から崩れ落ちてしまう。涙が出そうなくらいだった。
「……ったく、いつも通り負けただけだろうが。情けない面を晒すなよ」
あまりにも絶望した表情を浮かべる俺を怪訝に思ったのか、シリウスが不思議そうに聞いてくる。
「ご、ごめん……でも、この勝負だけは絶対に勝ちたくて……」
半ば茫然自失になっていた俺はほとんど涙声で答えた。シリウスはますます怪訝に眉をひそめた。
「はぁ? お前、何するつもりだったんだよ」
俺はしばらく黙りこくってから恥ずかしいとも情けないともつかない顔で、ずっと懐に忍ばせていた小箱を取り出して見せた。
「そいつは?」
「その……」
情けない。
本当に情けない男だと思う。
けれど、これだけは絶対に今日伝えたい。賭けの約束を破ってしまうことになるけれど、それでも今、この瞬間に、シリウスに聞いて欲しかった。
「俺と──」
姿勢を正して、蓋を開けながら。
俺の世界でいちばんの一等星、シリウスシンボリに、この気持ちと指輪を捧げる。
「け、結婚してください……!」
俺の告白に、シリウスは思わず呆気に取られて立ち尽くしていた。
給料3ヶ月分の指輪だ。小さいがダイヤも付いている。
シンボリ家のものには劣るかもしれないが、それでも自分が買える物の中でも1番高い物を買ったつもりだ。
こんな形で渡すことになるとは思わなかったけれど。
「……んなこと、賭けで言おうとしたのか?」
「……それは……」
問いかけられてバツの悪そうな顔をした俺に、シリウスはしばらく目を瞬かせていた。
「く、くくくっ……ふははは、あははははははは!」
しばらくすると、嬉しいような呆れたような声で、腹を抱えてに大笑いした。
もちろん、そんな大声を出せばビリヤード場の人々の視線を集めてしまう。
気づけば俺の醜態はビリヤード場の全員に見られていた。
俺はもう自分が情けなくて不甲斐なくて、顔を上げていることができなくなってしまった。
「あー、ったく……本っ当にこの仔犬ちゃんはよぉ……」
しばらく笑って満足したらしいシリウスは、ニヤニヤしながら小箱の指輪をヒョイと取り上げて、指輪を自分の薬指に嵌めた。
「……え」
「いい指輪だな」
フッと微笑みを浮かべて、シリウスが左薬指を撫でる。
ひとつの絵画にさえ思える、その光景。
まるで聖女のように穏やかで愛しむようなその表情に、俺は思わず呆気に取られて見惚れてしまう。
「いつまでボサっとしてんだ。行くぞ」
指輪を大事に見つめていたシリウスは最後に軽く唇を指輪に当てると、いつの以上の上機嫌さで笑みを浮かべた。
「い、行くって?」
「私と結婚、するんだろ? なら、いろいろ準備しなきゃならねえからな。……これから忙しくなる。ちゃんと着いてこいよ、仔犬ちゃん?」
そう言って、彼女はビリヤード場の出口へ向かっていく。
一瞬だけ呆気に取られた俺は、けれど次の瞬間、弾かれたように立ち上がって彼女の背を追いかけていた。
シリウスシンボリのような女には、常に余裕な表情を浮かべて仔犬ちゃんを手玉に取ってほしいと思いつつも、まだまだ高校生のガキンチョなので感情を隠しきれず表情や仕草に仔犬ちゃんへの愛がにじみ出ているととても性癖に刺さるのでみなさんもぜひシリウスシンボリと仔犬ちゃんを書いてくださいお願いします。
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