キリング・スカム   作:里見眼窩

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プロローグ
PRL. ショーケース


 2028年6月某日、東京某所。

 

 その日の東京はまさに梅雨の真っ只中であり、陰鬱とした長雨が続いていた。

 

 そんなジメジメとした天気の中では、傘の重みの分だけ気持ちも重くなるのか、道行く人々の多くが下を向きがちになっていた。

 

 人ごみの中ではむさ苦しい思いをし、人ごみを抜けても靴の中に水が入ったせいで不快な思いをし続ける。

 

 そんな日々が長々と続く。まるでこの頃の社会の不景気をまざまざと象徴づけているようであった。

 

 しかし、そんな中で傘もささずに、活発にこのコンクリートジャングルの中を駆けずり回っている大人たちがいた。

 

 それはただならぬ事件の匂いを嗅ぎつけ奔走する報道記者でも、今にも売り切れそうな推しのグッズを滑り込みで手に入れようとしているオタクでも、あるいは浮気がバレて家内に土下座をしに帰るサラリーマンでもない。

 

 それは近頃、無実の一般市民を私的な理由で殺したり、道行く人々に喧嘩を吹っ掛け街を荒らしまくっていた、新しいスタイルの暴力団の構成員たちだった。

 

 

 

「――くっそお! 一体何モンなんだアイツらは! せっかくこれから、女の体に好き好きチュッチュとしゃれ込もうとしてた時によお!」

 

「チキショウ、何もかもあのバーに居た奴らが悪ぃんすよ! 何が『最近できたその店、ヘタなピンサロに行くより安くてエロい』だ!? ヒトの純情な心を弄びやがって……!」

 

 彼らはがむしゃらに走り続けていた。

 

 追手がやってこない場所まで、一縷(いちる)の望みに懸け、ひたすらに逃げていた。

 

 その中で、彼らは思い思いの不平不満を叫びまくる。

 

 根底には『どうして俺がこんな目に』という彼らなりに感じる理不尽があった。

 

 だが、それが自業自得だという自覚は、どうやら持ち合わせていないようだった。

 

 自分は自分なりにただ人生を楽しみ、気に食わない奴や文句を垂れてくる奴はシメるのが彼らの生き様。

 

 そんな生き方ゆえに後先考えずに動くことも多く、あちこちでトラブルを起こしてまわっているような困った集団なのだった。

 

 だから、彼らはその恨みを買った人間から命を狙われ、現在進行形で追われていた。

 

 経緯としては……いや、これ以上このような連中に関して何かを語るのは、もはや時間の無駄だろう。

 

 

 

「どうだ、おい、かなり遠くまで来てやったぞ……!」

 

 体力だけは一丁前に持っていた彼らは、まだ多くの人が行き交う夜の駅前に来ていた。

 

 警戒して周囲をくまなく見回す。周りの人間の目には間違いなく不審に映っていたことだろう。

 

 だがそんなことを気にしている余裕も彼らには無い。

 

 既に待ち伏せによって1人の命が失われている以上、自分達の命がどこからどのようにして狙われているのかを常に気にしていなければ、落ち着くことだってできない。

 

「人が多いな、クソッ……これじゃあどこに潜んでるかとかも――」

 

 その中で一番リーダー気質のある男が、何かに気付いて顔の色を変える。

 

 そして、そんな彼の様子に気付いた下っ端は、イマイチ事態にピンと来ていないようだった。

 

「おっと……こりゃあもしかして、アイツのこと撒けたんすかね!」

 

「お、おい! あんまりデケェ声出すなって……!」

 

「ハハハッ、なんすかなんすかパイセン、ちゃんとビビっちゃってるじゃないっすかwww」

 

 一気に気が抜けて安堵してしまったのか、ケロッと表情を変えてヘラヘラ笑い出す下っ端。

 

「お前さあ、マジで、今の自分の状況がどんだけヤベェか分かっ――」

 

 男はそんな彼を(いさ)めようとして、彼の顔を見た。

 

 そこで一瞬、彼の時が止まる。

 

 

 

「ん? なんすかパイセン、ビビりすぎっすよ……え?」

 

 先ほどの追手は下っ端の背後に居た。

 

 彼らよりも断然ガタイの良い、プロレスラーのような体躯の男。

 

 それを理解したときにはもう遅く、肩に手が置かれるのと同時に、彼の顔から笑みの色が消ていった。

 

 

 

「ッ――すまん!」

 

 刹那、男は疾駆(しっく)した。

 

 後ろから聞こえる泣き喚く下っ端の声が、人の往来と喧騒に揉まれて徐々に小さくなっていく。

 

 自分が生き残るためならば、仲間を見捨てることも(いと)わない。

 

 それが彼らの中での常識であったから。

 

 男はひたすらに、ひたすらに逃げる。体力の限界が来ることも請け合いで。

 

 ――――――――。

 

 しかし、相手を侮っていたのは下っ端だけではなかった。

 

 相手が徒歩でしか来ないと思い込んでいた男もまた、所詮は同じ穴の(むじな)であった。

 

 

 

 黒いセダン型の車が彼の走る隣を通り過ぎ、路肩に停車する。

 

 その左側のドアが開き、中から日本人らしからぬ風貌の喪服の男が下りてきた。

 

 男は驚き足を止めようとする。

 

 しかしそれよりも断然早く、喪服の懐から得物が取り出された。

 

「あ、いやっ――」

 

 ――パシュン。

 

 くぐもった地味な射撃音が鳴り、男の体があられもなく濡れた路面に崩れ落ちる。

 

 喪服はその一部始終を、非常につまらなさそうな目で見ていた。

 

「……所詮、下町の量産品のチンピラか。久々の仕事だからと浮かれていたのが馬鹿らしいぜ」

 

 彼は車内からボディバッグや適度な量の布切れを取り出し、手早く死体を片付ける。

 

 慣れていたおかげで、ちょうど近くの路地を曲がってきた通行人に見られることは無かった。

 

 少しばかり濡れてしまった自慢の顎髭を軽く手で整えつつ、車内に置いてあった手のひらサイズの無線機のスイッチを押す。

 

「こちら『ペドロ』、末端構成員(へどろ)は全部片付けた。後はそちらだけだ。どうぞ」

 

 彼は早口の流暢なラテンアメリカ訛りのスペイン語で語り掛ける。

 

『こちら「ロカ」、ちょうど今から仕上げにかかるところ。あー、今日は久々に付き合ってくれてありがとう、少しでも諸兄方のリハビリになってたら嬉しい』

 

 スピーカーから若い女性の声が返ってくる。

 

 落ち着いた喋り口調とハキハキした活舌の良さが際立っており、如何にこの殺伐とした状況に馴染んでいるかが(うかが)える。

 

「悪いが、全くリハビリにはなっていないかもだ。次の機会に期待させてもらうぜ、セニョリータ」

 

 そう言って、彼は車を走らせる。

 

 1人のチンピラが先ほどまでそこに確かにいたという事実をひとつも残さず、即席の霊柩車は夜の下町に消えていくのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇

 

 

 

「残念なことに、お前んとこの下っ端、全滅したんだってよ。ったく、ナナはベースに待機させておいて正解だったな」

 

「ぐっ……急に湧いて出てきやがったと思えば……な、何者なんだお前は!」

 

 電気が消えて真っ暗となったオフィスに、冴えない中年の男の怒声が響き渡る。

 

 全身に黒い服を纏った少女は、脇に抱えていた組織のアンダーボスを無造作に足元に落としてみせた。

 

「私が何者かなんて知ってどうするの?」

 

「そりゃあお前、すぐにお前の根城を突き止めて――」

 

「突き止めて?」

 

 少女は拳銃を右手に1丁のみ携え、にじり寄る。

 

「今のお前に何ができる? お前の権力を権力たらしめていたのは、他でもない部下達の存在があったからこそだよな。この漬物石野郎が」

 

「ぐっ……この外道女が! 勝手に人の可愛い可愛い息子達を亡き者にしやがって……お前も同じ目に遭わせてやる!」

 

 男は近くにあった机の中から型落ちの拳銃を取り出し、すぐさま構える。

 

「……」

 

 ところが、いざ事を構えようとしたとき、男は何をどうすればよいのかが分からなかった。

 

 それはただ護身用として持っていたものであり、戦闘経験などはからっきしなのだ。

 

 しかも、緊張しているからか腕が若干震えているというこの始末。

 

 銃器の威力は使い手には依存しないが、さすがにこれでは(らち)が明かない。

 

「くっ、何だ、近寄るなコラ! 撃つぞ! 死ぬぞ! 良いんだな!?」

 

 男は必死な形相をしながら、せめてもの抵抗として矢継ぎ早に脅し文句を繰り出す。

 

 攻撃どころか、口撃ですら余裕がなくなっている。

 

「さすがにまだ死にたくはないかな」

 

 少女は痺れを切らし、一発の弾丸を躊躇(ちゅうちょ)なく彼の利き手に向けて放つ。

 

 見栄まみれな彼を委縮させるにはそれだけで十分すぎた。

 

「ひ……ひぃっ……」

 

 恐怖のあまり後ずさりして、男は背後の全面ガラス張りの窓に張り付く。

 

 そのすぐ後ろには、大都会東京の幾重(いくえ)にも連なるビル群、年中無休のイルミネーションが映し出されていた。

 

「ここから見る夜景は綺麗なんだな。これが見たくてここにお引越ししてきたんだ? なあ、指定暴力団『姫野一家』総長さんよ」

 

 

 

 ――ここは、新宿からほど近い場所に建つ36階建てのオフィスビルの26階。

 

 東京の綺麗な夜景をそこそこ良い感じに拝めるこの物件には、かつて、とある不動産会社のオフィスがあった。

 

 しかし、経営難や続く不景気の影響かその会社は突然夜逃げをしてしまい、一時的に都内の一等地に存在する居抜き物件となった。

 

 その際に買い手はすぐ見つかることとなるが、それは巷で邪悪な噂の絶えないとある団体、その名も『姫野一家』だった。

 

 簡単に言えば彼ら『姫野一家』は、自分たちの利益のためなら何でもするし、自分たちに不都合なことがあれば人を殺めてでも強引に解決してみせる。

 

 聞くところによれば、このオフィスに元々入っていた不動産会社も、この組織から連日嫌がらせを受けて退去させられたという話が上がっているようだ。

 

「何だよその顔。他人から散々大切なモンを搾り取ってきておいて、いざ自分がそうされる立場に置かれたら途端に被害者ヅラしやがって。本当に『新暴(シンボー)』を名乗る奴ってロクな奴がいないんだな」

 

「や、やめ……まだしにたく――」

 

「ああ、そりゃ死にたくないだろうなあ! でもさあ、お前達が今まで殺してきた奴らだって同じだよ。みんなそう思ってたんだよ、最後の最後まで、なあ?」

 

 少女は語気を強め、ゆらりゆらりとにじり寄る。

 

 依頼者達が募らせてきた怨恨(えんこん)を、しっかりと形にして相手に伝える。

 

 ()()()()。それが少女達が今回請けた仕事だった。

 

 

 

「……って、もうそろそろ上がりの時間じゃんか。悪いね、時間取らせちゃって」

 

「そ、それってどういう――ひぃぃっ!?!?」

 

 スマホで時間を確認したのを皮切りに、少女は次々に男に向けて拳銃の銃爪(ひきがね)を引く。

 

 1発、2発、3発、4発……と一定のリズムで、まるでおもちゃで遊ぶかの如く、全部で15回の発砲音を男の耳に届ける。

 

 弾丸はどれも彼の体の横に()れていた。

 

 だが、その弾道は彼の周囲を五(ぼう)星を描くようにほぼ均等に突き抜けていた。

 

「さ、次で最後の一発になるわけだけど……もしかしておっさんさあ、自分が今何に体を預けてるか覚えてない?」

 

「ま、まて……あぁ……」

 

 少女の顔が邪悪に(ほころ)び、男の顔から生気が失せる。

 

 既に照準は彼の頭上に合っていた。

 

 

 

「それじゃ、さよなら」

 

 

 

 最後の発砲音が鳴り響いた後、男の体は背の後ろのガラスと共に夜景の中へと消えていった。

 

 割れた窓の外から、しとしとと雨音が聞こえてくる。

 

 けれど、それを聞こうとする人間はもうそこに存在していなかった。




――この日本という国はかつて、世界で最も平和な国のうちの1つだった。

――しかし今となっては、日本の社会の内部に暗く奥深い闇が巣食い、徐々にその秩序構造にヒビが入りつつあった。

――終わりのない憎しみの連鎖、留まるところを知らない欲望の増長。社会の闇はそれらをエサにして、人々の心を鈍色に曇らせていく。

――そうやって浮いてきた社会の灰汁(アク)は、誰かが処理をしなければ溜まっていく一方だ。

――灰汁をとる。すなわち人間の屑を殺す。"Killing Scum"

これは、混沌とした日本の裏社会で蠢く闇に、各々がそれぞれの信念を胸に立ち向かっていく物語。
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