仮面ライダーツルギ Triangle Victim SPiral   作:大ちゃんネオ

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Over Night

 その光景を目にした時、「どうして」という戸惑いと「また」という怒りが身体の奥底から溢れそうになった。

 けれど、それ以上に沸き上がってきたものは、歓喜。

 ああ、また彼と言葉を交わすことが出来る。

 また彼と見つめ合うことが出来る。

 また彼の温もりに触れることが出来る。

 そう、馬鹿馬鹿しくも嬉しくなってしまったから。

 でも、それは今は我慢しなくてはいけない。

 緩む頬をキリッと上げて、笑顔の仮面を被る。

 本当に嬉しくて浮かべてしまう笑顔ではなく、ミステリアスで神秘的なこのゲームを管理する者として浮かべる愛想笑い、営業スマイル。

 そうして、準備が出来てから私は彼に。御剣燐くんへと鏡の中から声をかける────。

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻の学舎にて向かい合う少年と少女がいた。

 少女は右手を少年へと向けて、少年は困惑に身体を強張らせている。

 

「それは燐が持つ必要がないものよ。私に渡して」

 

 少女、咲洲美玲はつり目がちな瞳を細め、語気を強めて御剣燐へと勧告する。

 御剣燐がその手に持つ白いカードデッキを指して、自分に渡せと言っているのだ。

 

「……なんで、美玲先輩に渡さなくちゃいけないんですか」

 

 震える唇で燐は言い返す。

 何故デッキの存在を美玲は知っているのか。

 彼女はこの鏡の中の世界のことを知っているのか。

 未知の恐れが、燐に走る。

 

「……それを持っていると、不幸になるわよ。お願い燐。あなたを関わらせたくないの」

「不幸……?」

 

『ええ、そうですよ~。不幸になっちゃいますよ~』

 

 突然の第三者の声に美玲は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、燐は驚き周囲を見渡す。今この場には燐と美玲以外の人影はない。

 親しみやすいような明るい少女の声。

 声の主は自身を探す燐に、自分の居場所を明かす。

 

『外の方を見てくださ~い』

 

「外……?」

 

 燐は言われた通り、中庭へ目線を移す。

 中庭には誰もおらず、窓ガラスに自分が反射して映るのみ……だったが、鏡の中の自分の傍らに見知らぬ黒一色の少女の姿があり咄嗟に燐は振り向いた。

 だが、少女の姿はない。

 再び窓ガラスに目を向ける。やはり、その少女はそこにいる。

 いるのに、いない。

 

『驚きました? 私はアリス。ミラーワールドに住んでいるんです』

 

 楽しげに自己紹介する黒い少女、アリス。

 だが、その名が本名とは燐には思えなかった。

 そして、ミラーワールドという単語が引っ掛かる。

 ミラーワールド。読んでそのまま、鏡の世界。

 

『美玲ちゃんの言うとおり、そのデッキを手放してくださいな。それは貴方が持つべき物じゃありませんよ御剣燐くん』

 

「どうして、僕の名前を……」

 

『いいからいいから。さ、渡してください。お願いですから。いいですか? ミラーワールドは女の子だけの秘密の花園。男の子である燐くんは入っちゃノー! 女子更衣室に入るようなものですよ!』

 

「女子更衣室……?」 

 

 アリスの物言いに疑問符を浮かべる燐だが、アリスは構わずに言葉を続ける。

 

『と・に・か・く! そのデッキを渡してください! ハリー!』

 

「……そいつと意見が同じなのは癪だけど、デッキを手放して」

 

 二人からは有無を言わさないという圧力を感じる。

 そうして二人から追い詰められた燐は……走り出していた。

 

『あ!? こらー!』 

 

 走り去っていく燐に怒鳴るアリスと、それとは対照的に物静かな視線を送る美玲。

 感情を感じさせぬ表情のまま燐が走り去っていった方へと向かい、歩き出す。

 

『美玲ちゃん』

 

 先程、燐に対する時とは違い、底冷えしそうな冷たい声でアリスは美玲を呼び止めた。

 美玲は立ち止まり、鏡の中のアリスを見つめる。いや、睨み付けていた。

 

「なに」

 

『必ず、燐くんからデッキを取り上げてください』

 

「言われなくても分かってるわ」

 

 すぐにアリスから視線を外し、燐を追いかける美玲。アリスはその背を見つめ、下唇をぎゅっと噛みしめるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 がむしゃらに走ってしまった。

 気が付いたら家の近くの大きな神社にいるぐらいには、がむしゃら。

 鯉が泳いで、蓮の葉が浮かぶ大きな池は夕陽に照らされ赤く、燃えているようであった。

 そんな景色を見ていたからだろうか、頭が熱くなってどうにかしてしまいそうだった。

 鏡の中のもう一つの世界、ミラーワールド。そこには怪物が巣食っていて、人間を襲っている。

 あのアリスという少女も同じモンスターなのか?

 人の見た目をしてはいる。僕らと話してみせたけれど、正体は分からない。

 そして美玲先輩もミラーワールドのことを知っているようだ。

 ミラーワールドを知っているということと、モンスターのことを知っているということはイコールと考えていいだろう。

 

「美玲先輩も……知ってるんだよな……」

  

 何故、美玲先輩がミラーワールドのことを知っているのか。  

 デッキを持っていたら不幸になるってどういうことなんだ。

 美玲先輩は、何を知っているんだ……。

 

「それに、アリス……。あの子のこと……」

 

 知っている、ような気がする。

 初めて会ったとは思えなかった。

 何故かは分からないけれど、心のどこかで……彼女を知っている。

 分からない、分からないことだらけだ。

 分かっていることは鏡の中にミラーワールドという世界があること。ミラーワールドにはモンスターがいて、人間を襲っているということ。

 

「美也さん……」

 

 なんで、彼女が死ななければいけなかった。

 彼女はこれからいっぱい頑張って、いっぱい笑ったり、泣いたりすることもあるだろう、そんな普通の人の生を送るはずだったのに。

 なのに、どうして……。

 理由なんて無いのだろう。

 あのモンスター達はただ、そこに美也さんがいたから襲ったんだ。

 なんて、理不尽。

 こんなの、こんなの人の死に方じゃない。

 許せない。許してはおけない。

 自然とズボンのポケットからデッキを取り出していた。握る力は自分でも驚くほどに強く、固かった。

 身体が強張っているのか。頭だけでなく全身が熱い。

 火にくべられてしまったようだ。

 ああ、特に、デッキが熱い。デッキを握る右手が熱い。

 ────これはきっと、そんな理不尽と戦うための力だ。

 これを持っていると不幸になると、美玲先輩もアリスも言っていた。

 冗談じゃない。

 鏡の中から襲いかかってくる怪物がいるという現実そのものが不幸というものだ。

 あのモンスター達を倒すだけの力がこれにはある。

 だから、これは必要なものだ。

 世界の平和のためとか、人類のためとか、そんな大それたことは言えないけれど、せめて僕の身近な人達を守れるというなら……僕は、戦う。

 

「……? なんだ?」

 

 夕陽も沈みかけ、青みの増した静かな世界に金属と金属がぶつかるような音が聞こえた気がした。

 遠くからのような、近いような、少しくぐもったような音だったけれど。

 池から離れ、本殿の方へと向かって歩く。

 すると、さっき聞こえたような音がよりはっきりと聞こえてきた。

 近い。

 でも、近くに人影なんてない……。そう思っていた。

 違う。

 僕はもう一つの世界を視認出来るではないか。

 拝殿の前に置かれている神鏡に目をやる。

 僕が映っている。が、その背景ではトライデントを振るう青と白の騎士と、暗い緑色の忍者を思わせる姿をした戦士が戦っていた。

 

「なん、で……」 

 

 彼等は、僕と同じ存在であろう。

 このデッキを持っている人間。

 なんで、人間同士で戦っているんだ。

 それも、本気じゃないのか、あれ。

 背筋に突き刺さる、ピリピリとした感覚。これは、殺気というものではないか。

 特に、あの忍者の方から感じる。

 少し戦いを観察すると分かったが、青と白の方は防御に徹していて戦う意思をあまり感じない。

 一方的に、殺意を向けられているようだ。

 

「あっ……!」

  

 忍者の方が、忍者刀のような直刀を青白の方に直撃させた。

 このままじゃ、あの人は……殺される。

 止めないと。

 どんな理由があれ、人が殺すのも殺されるのも許されることではない。これは常識だ。

 そして、身体は自然と動いていた。

 神鏡へとデッキを向ける。

 銀色のベルトが鏡の中から現れて装着されると、デッキを持つ左手は腰まで引き、それに右の手も追随。

 剣を抜き放つかのように両腕を回し、その言葉を口にしていた。

 

「変身────」

 

 舞い踊る、ツルギの虚像が己に重なり、纏うは純白の鎧。

 金色の三本の角、緑光煌めく鋭いバイザー状の眼。

 腰に提げる白の細剣は召喚機スラッシュバイザー。

 神鏡に映る自身が変身を正常に完了したことを確認し、神鏡からミラーワールドへと向かう。

 現実の世界とミラーワールドの境は上下左右鏡面の世界となっている。

 その世界に現れる、銀色のマシン。ライドシューター。

 近未来的な独特の形状をしたそのマシンに乗り込むとシートが下がり、フードが閉じていく。ベルトのハードポイントにシートベルトが装着され、目の前のコンソールに白い飛竜が描かれたカードを挿入し、マシンを起動。

 走り出す、異形のマシン。

 最高時速930kmという驚異のスピードでミラーワールドへと向かっていく────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その戦闘のきっかけは些細なものであった。

 ただ、ライダーがそこにいたから。モンスターを倒したライダーの隙をついて、襲いかかったというだけのこと。

 

「消えてよ。私のために……さっ!」

「ぐっ……!」

 

 暗緑のライダー、仮面ライダー甲賀が手にした巨大な手裏剣で青と白の仮面ライダー、ヴァールへと斬りかかった。

 ヴァールは召喚機でもあるトライデントで防御するも、威力を封殺出来ず後退る。それを好機と甲賀は巨大手裏剣を投擲。

 防御は間に合わないとヴァールは仮面の下、瞳を閉じることしか出来なかった。

 空を切る手裏剣の音。それを、唸る車輪とエンジンの駆動音がかき消した。

 

「なに!?」

 

 神鏡から飛び出たライドシューターが手裏剣を弾き飛ばし、二人のライダーの間で停車。

 ライダーシューターのフードが上がり、戦闘に介入した戦士の姿が現れる。

 

「白い、仮面ライダー……」

 

 シートが稼働し、仮面ライダーツルギはライドシューターから降車。少し離れた地面に突き刺さった手裏剣を一瞥すると、その手裏剣を得物としていた甲賀に向き合い、声を発した。

 

「なんで人間を襲うんだ!」

 

 その言葉に、甲賀とヴァールは仮面の下の瞳を見開いた。

 

「男……!? なんで男がライダーになってんの!?」

「は……? そんなことどうでもいいだろ! なんで人間同士で戦ってるんだ!」

「……はっ! あんた、アリスからなんも聞いてないの? いや、アリスがデッキを渡したとも考えにくいか……。ま、とりあえずライダーなら消えてよ!」

 

 飾り気のない直刀型の召喚機を抜き放ち、甲賀はツルギへと飛び掛かる。

 問答無用に襲いかかられたことに驚愕するツルギ。だが、すぐに頭は切り替わった。

 戦闘用に。

 ぶつかり合う鋼と鋼。

 ツルギも細剣型の召喚機スラッシュバイザーを抜き、甲賀の斬撃を受け止めていた。

 

「ぐっ……!」

「……」

 

 鍔迫り合いを制したのはツルギ。それもいとも容易く。

 たしかに甲賀は重厚な鎧を纏っているような、いわゆる騎士らしいものとはほど遠い軽装。機動力特化ではあるが、何よりも体格の差が出てしまった。

 ツルギ、燐とて特別身体を鍛えているわけでもなく、日頃から激しい運動をしているわけでもない。それは甲賀の少女も同様であった。

 同年代の男女。

 互いに鍛えてきたわけではない。

 ならば、純粋な筋肉量では……男が勝ってしまう。

 

「ぜあっ!」

「ぐうっ!?」

 

 鍔迫り合いはほんの短い時間で崩れた。

 弾かれた甲賀は隙だらけ。

 攻め立てるには、絶好の機会。

 しかし……。ツルギは、攻めなかった。

 

「やめるんだ、もう」

 

 スラッシュバイザーを納め、ツルギは甲賀に戦いを止めるように言った。

 燐に甲賀と戦う理由はなく、今この場で起きていた戦闘を止められればそれで良かったからだ。

 それが、甲賀の逆鱗に触れるものだと知らずに。

 

「舐めてるわけ……!? ライダーは戦わないと……

願いを叶えなきゃいけないんだよッ!」

 

 甲賀は駆け、地面に突き刺さっていた巨大手裏剣を再び手にしてツルギに向かって投擲。

 咄嗟のことであったが、ツルギは手裏剣を防ぐ……どころか、神業を披露してみせた。

 飛来する手裏剣の中央の穴に、スラッシュバイザーの刃を通し、絡め取ったのだ。

 これには甲賀とヴァールも驚愕し、硬直。奪い取った手裏剣をまた使われぬようにとツルギは遠くへと投げ捨て、甲賀を真っ直ぐ見つめるツルギに甲賀は恐怖した。

 

「何なんだよ、お前……」

「……」

「な、何なんだよッ!」

 

 恐怖が、甲賀を駆り立てた。

 正常な判断能力を奪い、敵わぬ相手に立ち向かう蛮勇を植え付けてしまった。

 

「ッ……」

 

 直刀を手にし、がむしゃらに駆ける甲賀を前にして、ツルギは思考した。

 

(どうすれば彼女を止めることが出来る……。そうか、デッキだ。デッキを壊せばいい)

 

 迫る甲賀、構えるツルギ。

 その光景に、ヴァールは最悪な結末を予期していた。

 

「待て! 殺す必要は……」

 

 ヴァールの言葉が終わる前に、甲賀の直刀がツルギに振り下ろされていた。

 

「はあっ!!!」

「……」

 

 静かであった。

 滑らかであった。

 自然であった。

 白い、そよ風のように甲賀の刀を回避しながらツルギはただ、前に一歩進んだだけ。

 何も起きてはいない。そう思われた。

 甲賀自身、何かをされたとは感じなかった。

 痛みもなく、ただ、避けられただけなのだと。

 避けられたのであれば、当てるまで攻撃すればいいと思考は切り替わり、未だに背を向けるツルギの方を向き、振り返る。

 振り返って、しまった。

 

「え……」

 

 亀裂が走るような音。

 一度走った亀裂は、広がり続けるのみ。

 甲賀のデッキがひび割れていき、砕け散る。

 ツルギは甲賀のデッキを切り裂いていたのだ。

 力の源であるデッキが壊れれば、必然的にライダーの鎧も砕け散る。

 露となる、唖然とした表情の少女の姿。

 もう己を守る鎧も、敵を倒す武器も、その身にはなかった。

 このミラーワールドという戦場で無力な己を晒しているということが街中で裸にされるよりも屈辱的であり、何よりも少女に与えられたチャンスが失われたことによる絶望が少女を狂わせた。

 

「あ、あ、あ……なんで、なんでなんでなんで!? どうして!?」

 

 泣き崩れる少女をツルギは黙って見つめていた。

 何故、彼女は人を襲っていたのか。何故泣いているのかという疑問。また、燐はこの少女のことを知っていた。

 同じ聖山高校に通う同級生。特に会話をしたことがあるとかではないが、この少女、黒峰樹はちょっとした有名人であったからだ。

 将来を有望視されていたピアニスト。

 過去形なのは、その夢を断たれたから。

 事故で右腕を怪我し、後遺症で満足にピアノを弾くことが出来なくなってしまったのだという。

 燐は影守美也と関わるなかで、必然的に黒峰樹のことを知った。

 同じ境遇の二人。

 将来を有望視されながらも右腕に傷を負い夢破れた天才。

 違ったのは、現在。

 影守美也は剣道ではない新たな道を進もうと頑張っていた。

 それでは、黒峰樹は?

 学校での彼女は、何かに打ち込むということもなく、堕落的に過ごしているように燐の目には映っていた。

 そんな少女が何故、今、こんな場所で、そんなにも何かに縋るように涙を流すのか────。

 

「君」

「え……」

「早くしないと消滅が始まってしまう。デッキを失った彼女は私達よりも早いよ?」

 

 ヴァールの言葉にツルギは焦った。

 消滅という言葉の意味をよく知りもしないが、何にせよ消滅という言葉に良い意味はあまり見出だせない。

 とにかく分かったのは、ミラーワールドに長居は無用ということ。

 

「あの……」

「触るな!」

 

 拒絶。拒絶されれば誰だって傷つくもの。

 彼女が自分を拒絶する理由はあると理解はしていても、ツルギ、燐の心にひびが入る。

 そんな様子を見かねて、ヴァールが間に入った。

 

「少し手荒いけど、失礼」

 

 ヴァールは少女の首筋を手刀で叩き、意識を奪った。ぐったりと倒れた少女を小脇に抱えると、ヴァールは神鏡へと向かいミラーワールドから出ようとする。それをぼんやりとツルギは見ていた。

 

「君も来てくれ。話したい」 

「えっ……えっと、はい」

 

 ミラーワールドから出る前に、ヴァールはツルギにそう声をかけると神鏡に吸い込まれていった。ツルギはその後を追い、ミラーワールドを後にした。

 現実世界に戻り、変身が解けた燐はヴァールの正体に驚き目を見開いた。

 燐と同じ、聖山高校の女子制服である濃紺と白のセーラー服に浅葱色のリボン。すらりと長い足は黒いタイツが覆い、腰まで伸びた黒髪は清く流れて、平均的な女子の身長を上回り燐とそう変わらない背丈の少女の名は神前射澄。

 燐の先輩である美玲の数少ない友人であった。

 

 

 

 

 神社から少し歩いて、知らない喫茶店に二人で入った。

 射澄さんがよく来る店なのかと聞いたら、射澄さんも初めて入ったという。普通に入って、さっと注文したものだから通い慣れた店なのかと思った。

 

「あの人、あそこに置いてきて大丈夫だったんでしょうか……」

「心配いらないよ。あそこは訪れる人も少ないからね。変なことにもならないだろうさ」

 

 アイスコーヒーの氷をかき回し、ミルクの混ざったブラウンの水面を見つめながら事も無げに射澄さんは言った。

 

「それよりも、まさか美玲が贔屓にしている後輩君がライダーになるとはね。何があったんだい?」

「それは……」

 

 視線を落とすと、涼やかなグラスに満ちる黒い水面。

 ほんの2時間ほど前の出来事を思い出すと、胸が苦しくなって、辛くて。

 氷が溶けて、からんとグラスの中で崩れる。

 ここのアイスコーヒーは、いささか氷が多すぎた。

 氷が全て溶けてしまったら、容易くグラスから溢れてしまうだろう。

 溢れる前に、話してしまった方がいい。

 

「……なるほど。そんなことが……」

 

 アイスコーヒーの嵩が少し増した頃、射澄さんは涼しげな目元を細めて苦い顔をした。

 

「あの、何なんですかライダーって……」

「……仮面ライダー」

 

 テーブルの上に、射澄さんの青いデッキが置かれる。

 金色のレリーフは水面に浮上してきた鯨のように見えた。

 僕のデッキは、あの白い竜ドラグスラッシャーの顔を象ったもの。

 

「夏休みの少し前ぐらいから、この聖山市内で起こった奇妙な連続失踪事件。それは、君も見たモンスターの仕業というのは君も分かっただろう。しかし、失踪者にはモンスターに襲われたのではなく、仮面ライダー同士の戦いによる犠牲者達も含まれている」

 

 仮面ライダー同士の戦いによる犠牲者達……?

 なんだよ、それは。

 なんで、人間同士がそんな。

 

「仮面ライダーの戦い、ライダーバトル。ライダーに選ばれた少女達は、最後の一人になるまで戦う。そして、最後の一人はどんな願いも叶えることが出来る。だから、戦っているんだ」

 

 ……ああ、そういえば彼女も言っていた。

 願いを叶えるとか、そんなことを。でも、そんな、願いのために人を殺すだなんて……。

 

「……射澄さんも、願いがあるから戦ってるんですか」

「……私のは願いなんて大したものじゃない。私はただ……美玲を止めたいだけだよ」

「美玲先輩を……?」

「そう。美玲は私の数少ない友人だ。それをこんな野蛮な戦いで失うのは嫌でね」

 

 涼しい顔で、さらっとそんなことを言ってのけた。

 よほど美玲先輩のことが好きらしい。

 

「私は美玲を死なせたくないし、美玲に人殺しにもなってもらいたくない。本当にそれだけなんだ」

「じゃあ、他のライダーと戦う理由は……」

「ない。今日のあれも、モンスターと戦ってたら襲い掛かられてね。君が来てくれて助かったよ。ところで後輩君」

 

 こ、後輩君……?

 初めて呼ばれた呼び名に戸惑っていると、射澄さんは得意げな表情を浮かべていた。

 

「私は二年生。君は?」

「一年生、ですけど……」

「じゃあ後輩君じゃないか。それに、さっきも言ったけど君は美玲が贔屓している子だからね。私にとっても興味深い存在なんだよ。それで、本題なんだけどね。私に協力してくれないかい?」

「協力、ですか?」

「そう。君は特に願いもないのだろう? ライダーバトルによる殺し合いにも怒り、止めようとした。だから、美玲を止めるのに協力してほしい」

 

 美玲先輩を、止める……。

 それぐらいなら全然問題ないというか、僕も美玲先輩が危ないことするのは止めたいし、誰かの命を奪おうとするなんて以てのほか。

 美玲先輩に、そんなことをしてほしくはない。

 

「分かりました、協力します。けど、止めるってどうやって?」

「それに悩んでるから協力をお願いしたんじゃないか。まあ、もしかしたら可愛い後輩から必死にやめてと言われたら案外すんなりやめるかもだけど」

 

 そう単純だろうか、美玲先輩は。

 それに、どんな願いも叶えるなんてチャンスを参加者がみすみす逃すだろうか……。

 

「美玲先輩は何を願ってるんだろう……」

「それにもだんまりでね。心当たりがなくはないけど……」

 

 それって、どんなことですか。

 そう尋ねようとしたら、スマホが震えた。チャットアプリの通知によるもので、母さんだろうかと予想してメッセージを表示する。

 ……なんて、ことだ。

 

「どうしたんだい?」

 

 僕の様子に気付いた射澄さんが声をかけてくれた。

 恐る恐るスマホの画面を見せると、射澄さんは吹き出した。

 メッセージの送り主は美玲先輩。

 メッセージの内容はこうだ。

 

「鞄は預かった。デッキと交換で引き渡す」

 

 

 

 

 

 

 

 美玲先輩達から逃げる時、当然だがわざわざ部室に置いた鞄を取りに行くことなどしなかった。

 貴重品ぐらいはとポケットに入れていたのが幸いしたけれど、鞄の中には色々と大事なものが入っているのだ。

 それを人質。いや、鞄質に取るなんて美玲先輩め!

 奪われた鞄を取り戻すべく、指定された場所へ赴く僕の足取りは重い。

 夕方のあれからどんな顔をして美玲先輩と接すればいいか、まだ分かっていないからだ。

 

「来たわね」

 

 美玲先輩が玄関の前で待っていた。

 指定された場所は、意外にも美玲先輩の家であった。

 

「……なんで射澄がいるの」

 

 ポーカーフェイスで有名な美玲先輩が、心底嫌そうな表情を浮かべていた。それに反比例するように、射澄さんは愉しげな表情を隠さずにいた。

 

「やあ美玲。なかなか汚い手を使うじゃないか」

「射澄には関係ない。……で、デッキは」

 

 射澄さんの言葉を一刀両断。あたかも、いないものとして扱うようだ。

 それには流石に射澄さんもムッとした表情になっていた。

 

「燐くんは私の協力者だ。同行するのは自然なことだよ。それに、一人で来いとも書いていなかったろう?」

「協力者?」

 

 それは本当なのかと美玲先輩が無言ながらも僕に訊ねている。

 

「そ、そうです。美玲先輩にライダーバトルをやめてほしいから協力することにしました」

「……」

 

 また、いや、より不機嫌そうな顔を浮かべる美玲先輩。

 これは、完全に怒っている。

 今度は射澄さんの方を向いて、口を開いた。

 

「教えたの。ライダーのこと」

「何も知らないようだったからね。ライダーになった以上、知るべきだと私は判断したよ」

「ふざけないで。何も知らないべきだったのに……」

「美玲。私も燐くんも、美玲がデッキを捨ててライダーバトルから降りてくれれば、デッキを捨てる。だからもうやめるんだこんなこと」

 

 射澄さんがついてきた本当の理由が今分かった。

 美玲先輩にデッキを捨てさせる交渉に僕を利用しているんだ。

 

「美玲先輩、あの……。美玲先輩がどんな願いを持っているか僕は知りません……。だけど、もし、僕に出来ることで美玲先輩の願いを叶えることが出来るなら協力しますから!」

 

 美玲先輩は目を見開いて、何かを呟いているようだった。

 けれど、その独白は僕には聞こえなかった。

 何より、美玲先輩がそれをかき消してしまったからだ。

 冷たい、笑みを浮かべて。

 

「協力するというなら、それこそデッキを渡して。今まで通りの日常を過ごしなさい。それが、燐に出来る最大級の協力よ」

「美玲先輩……!」

 

 話は平行線のまま。

 美玲先輩に譲れないものがあることはよく分かった。

 でも、僕と射澄さんだって美玲先輩を戦わせたくはないのだ。

 

「とにかく、デッキは手放して燐。お願いだから」

「美玲先輩こそ……! 殺し合いなんかしてまで叶えたい願いってなんですか!」

「……もういい。帰って」

 

 何も進展することもなく、美玲先輩は家の中に入ってしまった。

 

「自分から呼び出しておいて……。勝手な女だねぇ」

「あ、僕の鞄……」

「あ……。とりあえず、鞄は私に任せてくれていい。必ず取り返す」

「どうやって……」

「まあ、そこは色々だね……。とりあえず、今日は解散しよう」

 

 射澄さんの言葉を信じて、家に帰る。

 どうやって鞄を取り戻してくれるのか、すごい気になるけれどひとまず射澄さんを信じることにしよう。

 

 

 

 

 家に着くと、母さんからいつもより帰りが遅いことを色々言われたけれど文化祭前だからと言うと納得した。

 母さんもかつては聖山高校の生徒。聖高が文化祭に力を入れていることを知っているので、すんなりと信じてくれた。

 騙している罪悪感は、ある。  

 部屋着のラフな格好に着替えてから、夕飯にありつく。

 わかめと豆腐の味噌汁を啜っていたら、キッチンで洗い物をしていた母さんがそうそうと何か思い出した。

 

「昔住んでたマンションのお隣さん覚えてる? 昏見(くれみ)さんって」

「うん。夕花(せっか)ちゃんでしょ」

 

 昏見夕花ちゃん。

 ちゃん付けで呼んでいるが、歳は僕の一つ上だったはず。とはいえ、幼い時の友達にさん付けするものでもないだろう。

 昔、この家を建てる前に住んでいたマンションのお隣さんで、よく遊んだ。

 しかし、夕花ちゃんは身体が弱く外で元気に遊ぶということは少なかった。

 この家がそろそろ完成という頃だったと思うが、病気が見つかり東京の病院に入院することになって引っ越していった。

 それ以来、交流はなかったのだけれど……。

 

「こっちに戻ってきたんだって。7月の半ば頃に。それで、夕花ちゃんのお母さんがわざわざ家を探して昼間に来たのよ」

「そうなんだ……。戻ってきたってことは夕花ちゃんの病気、治ったの?」

 

 そう訊ねると、母さんは首を横に振った。

 

「余命宣告されたんだって。長くて2年あるか……って」

 

 言葉が出なかった。

 ドラマなどではよく聞く単語の余命宣告。あなたはあと、これだけしか生きられないだろう。

 そう告げられたら、なんと思うだろうか。

 きっと、僕の想像なんかでは推し量れないだろう。

 

「それでね、夕花ちゃんの希望もあってこっちに戻ってきて……。燐に会ってもらえないかって」

「僕に……?」

「そう」

「……分かった。会いに行くよ」

 

 それじゃあ夕花ちゃんのお母さんに連絡しておくからと母さんは言ってこの話題は終わった。

 会えば、10年ぶりの再会になるか。

 どんな顔して会えばいいだろうとか、そんなことが頭の中を埋めていく。

 それにしても、考えることが多すぎる。

 夕花ちゃんのこともそうだけれど、ライダーのこと。

 美玲先輩のこと。

 ぼうとそんなことを考えていたら一日が終わり、ベッドの上で寝転んでいた。

 暗い部屋の中、冴えた頭のせいで眠りに就けそうにない。

 ただこうして今すぐに答えが出るようなものでもないことを考えていても仕方がないと、瞳を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い出の場所。

 この街で一番大きなホール。

 かつて、そこで、ピアノを弾いた。

 私の奏でる旋律を、会場のみんなが聴いて、讃えた。

 けれど、今はもうそんなものはない。

 これからも、そんな機会はもう訪れない。

 才を殺された私は、希望をも殺された。

 何も、私には残っていない。

 

「ちょっとピアノ弾いてもいい?」

「え……。いいけど……」

「左手で弾くだけだから」

 

 お母さんに断わりを入れておく。

 もう、夜も遅いから。

 ずっと入ることのなかったピアノの練習部屋の扉を開ける。

 真っ暗な部屋のカーテンを開けて、月の青を取り込んで。この部屋の主である黒が、鎮座していた。

 売り払ってと言ったけれど、両親が手放せずにいたピアノ。

 調律とか手入れをしていないから、音は酷いだろうけど。

 それでも、最後に弾くなら。

 ここがいい。

 鍵盤と向かい合い、爪弾く。

 なんて、ひどい音。

 でも、最後にはいいだろう。

 

 ピアノソナタ第14番 月光

 

 この傷ついた右手に、最後の傷をつける。

 刻んだ傷から滴る赤が鍵盤を濡らしていく。

 最後だ、最後だ。

 痛い?

 動かない? 

 そんなものはどうでもいい。

 ただ、もうピアノは弾けないだろうというこの右手で。

 最期に、ピアノを弾く。

 走馬灯で見る景色は、この部屋かコンクールの舞台の上。学校のこととか、友達のこととか、家族のことがビックリするほど出てこない。

 それほどまでに、私はこの楽器の虜となっていた。

 ああそうだ私は音を楽しんでいた!

 誰よりも!

 私はきっと、この時代の誰よりも、音楽であった。

 けれど、それも満足に出来ないというのなら。

 最早、この腕を治すことも叶わぬというのなら。

 私は、この時代に生きる意味がなかった。

 ただ、それだけの話なのだ。

 

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