夢出エルカが野馬ノルンと出会って(中略)、なかよしする。
私立アニマ女学院。それは首都・東京に咲く乙女の園。
幼初中高大院と一貫した教育により国家に尽くす優れた人材を輩出する。
卒業生は各方面で活躍し、上位2割が結婚。残る8割が名も無き薄給の奴隷と化す。
エルカは今朝も登校時間ぎりぎりに行動していた。
「ヒャー、いっけな~い! ちこくちこく!」
エルカは深夜アニメを撮り貯めた大事なブルーレイデッキを鞄に詰め込むと、食パンを咥えて家を出た。
「ふへふへ、ほふほ〜! (寝坊したのは、今朝の深夜アニメが面白すぎるのが悪いんだよ〜。あーあ、私も早く、異世界転生したいな〜)」
よそ事を考えて道を往くのは注意が散漫になり非常に危険だ。
エルカがそこの豆腐の角を曲がった所で――あぶない!
居眠り運転の10トンの大型トラックが! ……エルカの目の前を無事に通り過ぎた。
かと思えば次の瞬間! ナイフを持った不審者が! エルカ目がけて襲いかかる! ……前に警官に無事射殺された。
朝からハプニングの連続。
びっくりして、過労死しそうなくらいドキドキしたエルカは、よそ見をしたまま歩き出した。……所で、とうとう通行人とぶつかってしまった。
「いった〜い!」
幸い咥えていた食パンがエアバッグとなり一命は取り留めたものの、エルカは通行人と重なるように地べたに倒れ込んだ。
むにゅん。
エルカの42キログラムの体重を抱擁する柔らかい感触。どうやらエルカは今、女性の上に覆い被さっているらしい。
「だ、だいじょうぶですか!? お怪我は?」
慌ててエルカは衝突した相手を見た。
かかとが潰れたローファー。裸足のくるぶし。綺麗に剃毛されたふくらはぎ。絆創膏を貼った膝。すべすべしたふともも。色白の鼠蹊部。白いぱんつ。短く折り詰めた濃紺のミニスカート。キュッと締まったおなか。へそ。純白のセーラー服。高く盛り上がった胸。美しい稜線を描く双丘の上には自分の手が重なり――。
……?
(えっ……? わたし今、知らない女の人のおっぱい触ってる……?)
エルカが無意識に指を動かすと、女性の胸に指が埋まり、むにむにと形を歪めた。
「んっ……」
女性の高価な人形のように整った顔立ちが、エルカの運指に応じて苦悶に揺れた。
薔薇色の口元が微かに開いて、中から湿った息が溢れ出る。
誰がどう見たってエルカに辱められている。
「はわわわ! ごめんなさーい! わざとじゃないんです! 通報だけは! 通報だけはしないでくださーい!」
「いいよ、別に。そんな事より……」
倒れた女性は体を起こすと、両手に持っていたブルーレイデッキを見せた。
「これ、君のでしょ?」
「それは!」
それはエルカのブルーレイデッキだった。ぶつかった衝撃でエルカの鞄から転げ出たのを、女性が地面に落下する寸前に受け止めてくれたらしい。
エルカは女性からブルーレイデッキを受け取ると、地面に不時着して砂埃の付いた鞄に大事そうに収納した。(はみ出してるけど)
「……ありがとうございました」
「よほどの宝物が入ってるんだね、それ」
女性はエルカに乱された着衣を直すと、金髪のショートヘアを手櫛で整えながら、言った。
「わ、わたしっ! アニメが好きで! アニメと一緒にいると、安心できるから…………。あのっ! レイちゃん(デッキのこと)を助けてくれて、本当にありがとうございました! その……ぶつかって御免なさい!」
エルカは女性に深々と頭を下げた。
おさげの黒髪が宙を舞い、ふわんと落ちた。
「それより。遅刻、大丈夫?」
「へ……?」
女性が右手に巻いた腕時計をエルカに向けた。
銀色のブレスレットにピンクの文字盤。12個のローマ数字がハートマークで装飾されてる。可愛くて素敵だな……なんてメーカーだろ…………じゃなくて!
次の電車までもう時間がない。
「はわわわわ!!!」
エルカは再び女性に深く頭を下げると、駅に向かって猛ダッシュした。
◆
その日の放課後。
エルカがそそくさと学舎を出て、校門を出ようとすると、後ろから呼び止められた。
「
エルカが名前を呼ばれる機会など滅多にない。大抵それは陰口を言われる時か、叱られる時だ。だから思わず身構えてしまう。
ブルーレイデッキ入りの通学鞄を抱いて、おずおずと振り返る。
どこかで見た覚えのある女の人が立っていた。
すらりと高い背。短い金髪。色白の肌。瞳は青味がかって鼻が高い。胸は豊かで腰は細くお尻が大きい。おしげもなくまろびだされた生足は、上はむっちりムチムチ、下は締まってバランスが良い。
企業勢のVtuberみたいに浮世離れしたスタイルの人間が、エルカと同じセーラー服を着て、エルカの名字を呼んでいた。
「えっ?
状況に理解が追い付かない。陰キャの自分が傾国の美少女に呼び止められている。
不安になったエルカは大事なブルーレイデッキをきゅうと抱き締めた。
「
エルカと同じセーラー服を着た女の子はそう言って、エルカに学生証を手渡した。
それは野暮ったい地味なおさげの女が収まった、冴えない写真のプラカード。
エルカが手に取るとほんのり熱が残っていて、温かい。
私立アニマ女学院、高等部。
2年B組。出席番号28番。
「きっと、ぶつかった拍子に入れ替わっちゃったんだね。だから交換しよう。ね?」
促されてエルカは鞄から財布を取り出した。
地味な財布のカード入れから生徒証を抜き取る。
自分の物だと思い込んでいた生徒証には、ありえない美少女が写り込んでいた。
霞む
私立アニマ女学院、高等部。
2年A組。出席番号17番。
(あっ。やっぱり他人のだ、これ)
奇しくもエルカと同じ学校で、同学年で、隣のクラスだった美少女こと、
エルカに近付いて、
「
エルカの手から自分の学生証を受け取ると、じゃあねと手を振って、先に歩き出した。
知っていた、とは正確ではない。ルノンの横顔、後ろ姿しか知らなかったのだ。
エルカが知るルノンは美少女で。高嶺の花で。同級生の羨望の的だから。
常に誰かがルノンの周囲に纏わりつき、エルカが触れていい存在ではなかった。
エルカは泥で、ルノンは雲。泥は汚くて、べとべとしてて、空には決して届かない。
そのルノンが今朝、自分とぶつかって、言葉を交わして、今こうして手を振ってくれた。
まるでエルカが愛好するアニメみたいな展開だけど。――でもこれは、アニメじゃない。本当のことなんだ。
ここでルノンを背中を見送って、遠巻きに眺めるだけなのが、いつものエルカ。いつものわたし。
それでいい。危険な橋は渡れない。この狭い檻の中、どこかで誰かが必ず見ているから。一度見られてしまったら、止め処のない噂になって必ず返ってくるから。
危険は冒せない。平和にくらすために。ひどいいじめをうけないために。
やりたいことを我慢して、なりたい自分に蓋をして。
いつものわたし。いつもの――――。
でも。
アニメの1話で、女の子は、必ず、自分の殻を破るんだ。
どんなに地味で、どんくさくて、湿っぽい女の子でも、重い殻を脱ぎ捨てて、高く、高く、羽ばたくんだから。
私は、そういうアニメが、大好きなんだから。
だから……ッ!
「
エルカはルノンの背に叫んだ。
自分でもびっくりするくらい大きな声。
エルカの大声は校舎と校舎の間を駆け抜けて、下校する生徒達、部活の準備をする生徒達、まだ仕事が沢山残る先生達、そして何より、先を歩いて行ってしまうルノンの耳へと、確かに響いた。
エルカの大声に驚いたルノンが振り返る。
「
エルカはカッと目を見開き、ルノンに詰め寄った。
ルノンはたじろぎ硬直している。
エルカはルノンにずかずか近寄り、ブルーレイデッキをぎゅううっと抱き締めながら、
「それで、その、よければ……! 私の好きなアニメ、いっしょに……見てくれないかな、って……」
ルノンに深く頭を下げた。
エルカの綺麗な黒髪のおさげが、ふわっと宙を踊って、すたんと落ちた。
生まれて初めて殻を破ったエルカの顔は、真っ赤に染まっていた。
「うん、いいよ」
ルノンは膝を折り、俯いたエルカの顔を見上げた。
それは、子供みたいに明るい笑顔。
エルカが初めてまともに見たルノンの顔は、真っ赤に染まって、明るく、柔らかい、抱きしめたくなるくらい愛しい笑顔だった。
◆
それから2ヶ月後。
放課後はエルカの部屋でアニメを見るのが2人の日課になっていた。
「ルカ~。これつまんないよ~。別の見ていい?」
ベッドの上に寝転んだルノンが退屈そうにリモコンを弄っていると、
「駄目だよ、のんちゃん! どんなアニメにだって、作ったスタッフさんの愛が込められてるんだよ! 我々はそれをありがたく享受しないと、だよ!」
ポテトチップスとアイスティーをお盆に載せて、階段を上ってきたエルカが部屋に戻り、ルノンを嗜めた。
ルノンはエルカが運んできた海苔塩味のチップスを開封すると早速手を伸ばした。
ルノンはエルカのベッドの上で、着衣を崩し、胸の谷間を覗かせ、スカートが捲れあがって下着が丸見えになっても気にしない。
美少女然とした外見からは想像もできない、ルノンのだらしない姿。
(でもこれが、のんちゃんのありのまま、なんだよね)
エルカは苦笑すると、ベッドの上にうつぶせになるルノンの背中に跨り、ルノンの唇から海苔塩味を取り上げ、パリッと食べた。
「あ゛~~~」
「えへへ。のんちゃん、隙あり」
睦む2人の隣ではテレビで再生中のアニメのBパートが終了し、ようやくスタッフロールが流れ始めたところだが、2人は忙しくて、それどころじゃなかった。