夕星のシンフォニア 作:タンスのコヤシ
最初はなんて適当な人だろうと思っていた。
「孤高の歌姫、なんて言うけどさァ。トモダチ作れないだけでしょ」
「いらないもの。友達なんて居てなにになるの?」
「ふふ……そうかもね。でも、もしかしたらその考え変わるかもしれないよ?」
眠たげに微笑んでこちらの心を抉るようなことを言うだけ言って偉そうな態度を取ったかと思えばバイトなのにカウンターで寝ているくせに妙に構ってくる年上の男の人。
「へー。バンド組むことになったんだ。ま、テキトーに頑張りな」
「当たり前のことをするだけよ」
「その当たり前を共有することだけ忘れんなよー」
「なによそれ」
「当たり前なんて人それぞれってこと」
伝えていないはずのことをいつの間にか知っていた。バンドを組むことにも特に関心がなさそうでいつもの眠たげな笑顔で笑って寝直す彼のことを見て本気を出さない人なんだなと思った。
でも。一度だけ、真剣な顔をして怒られたときがある。
「湊友希那、今手放したらきっと後悔するよ」
「……あなたになにが分かるのよ」
「君の努力してきた姿」
FWFで嫌な経験をして、全てを投げ出そうとしたときにこれまで見たこともないような顔をしていたことが頭の中から離れない。あれほどに真剣な顔が出来るのなら、普段からしているのならどれほどいいだろうとらしくもないことを顔を合わせる度に思う。
「いらっしゃーせー……湊さんか。新しい機材が入ったよ、試す?」
周りが変わっても、彼の浮かべる人好きの笑顔は変わらない。笑顔のあなたは、リサとよく似ていて、どこか私にも似ている。表面上はリサのように誰に対しても手を差し伸べるのに、瞳の奥に映った光は誰よりも鋭くて、でもそこを踏み込めば誰よりも温かい。
彼は他人の名前を覚えない。その人の情報は頭に入れても名前を覚えている人は少ない。それなのに愛想はいいものだから、人気があるらしいとまりなさんが言っていた。
「ええ。お願いするわ。お代は……」
「いいよいいよ。テスターってことで。ただ感想聞きたいから練習見てていい?」
「そのくらいならいいわよ」
彼の顔を見ると、無性に傍に居たくなる。心臓がうるさいくらいに暴れまわって少しだけ落ち着かなくなる。いったい、どうしてしまったんだろうと首を傾げながらも、この関係性が心地よくてこのままでいいかと納得していた。
納得、していたのに。
「んー……」
「どうしたの?」
「いや、ここやめることになりそうなんだよねぇ」
「……え?」
そんな時間が終わるのは、唐突だった。
「えっと……どういうことかしら」
なぜか震えそうになる声をなんとか抑えて彼の顔を見る。彼の表情はいつものようにやる気のなさそうな顔を見せているのに、どういうわけか身体が冷たい。いつも上がっている体温も今だけは上がってくれない。
ここがカウンターでよかった。立ち話でこれが出ていたとしたら、手の中にある飲み物を落としてしまうところだった。
思えばこの人、古瀬裕也はここに通い始めてからずっと一緒。シフトを多く入れているのか、私が来る日は毎日のように顔を合わせているからこれからもそうなるとばかり思っていた。
「あれ、僕が大学生って言ってなかった?」
「いえ……聞いていたけれど……」
「うん。まぁ三年目がそろそろ終わりでさ」
知っている。研究室に配属になった今年からは顔を合わせる機会はあっても、充実感とともに少しだけ疲れた顔をしていたから。口だけはいつも通り動いていたけど、毎日顔を合わせていれば自然とわかる。
「大学院に行く気もないし、就職って決めてたんだけど……地元に戻るか、どうするか悩んでいるわけ」
「この辺りじゃないの?」
「新幹線で2時間くらいはかかる場所が地元。多分言っても分からない場所だよ」
「試しに言ってみてちょうだい」
彼の予想通り、彼の地元は私の記憶にはない名前の場所だった。これだけ一緒に居るのに出身地すら知らなかった自分に驚く。Roseliaで活動していくうちに変わったと思っていたけれど、人のことに気が向かないのは変わってなかったみたいね。
「まー、あれじゃんね。まだ先の話だし、気長に考えることにしてる」
「大学生ならこの時期くらいには就活しないといけないんじゃないの?」
「痛いところ突くなぁ。下地くらいは作っておかないといけないのは事実なんだけど……」
ちらり、と私の方を見て目元を和らげる彼に胸が熱くなるのを感じながら、なぜわざわざ私の方に視線を投げかけたのか分からずに首を傾げる。
そんな私を見て、苦笑しつつも言い出しにくいのが、どこか遠くを眺めている。
「ま、ちょっと悩んでることがあってさ。それが原因で動くのが億劫……いや、足が動かなくて」
時折出る難しい言い回しは気を抜いている証拠、と本人は言っていた。元々はお堅い人間だったからその名残りがあって、大学やちゃんとしたバイトの時は言葉に気を付けているらしい。
一応私もお客さん、ということになるのに他と違うというのは問題だと思うけれど悪い気はしない。
でも、彼が悩んでいるのは珍しい。いつも悩みを相談しなくても勝手に言い当ててアドバイスしてくる彼が自分のことになると言わないなんて思わなかったから少し驚いてしまった。彼は私のことを分かっているみたいだけど、私は彼のことが分からない。
「そんなに困っているの?」
「そうだね。ごく個人的なことだけど切実なんだよねぇ」
「リサや紗夜には相談した?」
「いや君のバンドの竿組だろ……」
「面識あるじゃない」
彼は私だけではなく、私のバンドとも面識がある。Roseliaが生まれたそのころから私たちと交流がある。あの時は私たちがまだ高校に入りたてで、私は自分の音楽以外に興味がなかった。リサとの関係も良くはなかったし、彼にとっても付き合いにくい人間だったんじゃないかと思う。
「……もう何年も付き合っているのね」
「湊さん、言いかた考えよっか」
FWFの際にもバンドが離れないように影で色々してくれていたみたいだってリサから聞いたけど、そのことを聞いても知らないとしか言われないからリサが勝手に思っているだけなのかしら。
上手くいかずに彼に八つ当たりしても、彼は笑って流してくれた。それどころか、微笑ましいものを見るようにお節介を焼いてくる彼をいつの間にか一緒に居るのが当たり前の人だと、思うようになっていた。
そんな彼が今、目の前から居なくなるかもしれない。そう考えるだけでなんだか嫌な気持ちになる。
私はどうしたらいいのかしら。
「まっ。僕は適当にやるだけだしどーでも。為せば成るは魔法の言葉、ってね」
自分のことなのに、どこか他人事な彼はどことなくいつもの元気がないように思える。空元気、かしら。リサが無理をしているときと同じような笑い方。
「さ、いつも通り君の歌声を聞かせてよ」
「……そのパイプ椅子どこから持ってきたのかしら」
「バックヤード。まりなさんの椅子パチってきたんだよね」
あっはっはと軽薄に笑う彼を見ると安心する。まりなさんの椅子を勝手に持ってくるのはどうかと思うけれど、いつものことだからもう気にならなくなってしまった。毎回律儀に許可だけは取ってくるからまりなさんもなにも言えなくなってしまったらしい。
「毎回思うのだけれど、古瀬さんは音楽出来ないのよね?」
「そうだねぇ。音楽の成績はいつも普通だったし、バンドのことなんてもっと分からない」
「なんでライブハウスで……いえ。オーナーと知り合いって話だったかしら」
「その通り。よく覚えてるなぁ。僕のことどうでもいい他人だと思ってないんだ」
「それは……」
自分の思い通りにいかず、メンバーと音も合わずに居たあのとき。しきりにちょっかいをかけてくる彼を拒絶するために放った言葉。どうしたらいいか分からなくなって吐き出してしまった嫌な言葉は言った方が忘れる、なんてよく言ったものだけれどよく覚えている。
寂寥に満ちた彼の顔が、今でも脳裏に焼き付いて離れてくれない。
「ごめんごめん。今はそんなこと思ってないって分かってるからそんな顔しないで」
「……えぇ」
気にするなと言われても、気になる。これからのことならどうだっていい。これまで通り前に進んで掴み取っていけばいいだけ。だけど、過去は違う。これまで通ってきた道のりの中で失敗してきたことは変えられない。
「ほら、時間は待ってくれないよ。僕も一緒に歌ってあげるから」
人の気も知らないで。まるで私が一緒に音楽に触れたいと思ってるみたいに言ってくる彼に怒ろうと思って辞める。確かに、これだけ一緒に居るならどんな風にやるのか興味はあるのは事実だし、一緒にやれたらと思ったことは一度や二度ではないから。
「自信がないんじゃなかったの?」
「楽器に関してはねぇ。小学生時代はカスタネット係だった」
「カスタネット……」
それは音感がないってことなんじゃないかしら。それなのに歌が得意、だなんておかしな話だと思うけど、本人がそう言ってるんだから見てみることにしましょう。
「じゃあお手並み拝見かしら」
「おー、含みあるなぁ……。まぁ歌姫には遠く及ばないからお手柔らかに」
ポケットから鍵を取り出してくるくると回す彼に静かについていく。今日の天気は曇りだったから、帰りには晴れているといいけれど。そういえば、今日はみんな来れないって言ってなかったわね。どうしようかしら。
まだ続きます。湊友希那って女なんもわからん