夕星のシンフォニア 作:タンスのコヤシ
「……あなた、歌はそれなりね」
「オブラートに包みながら下手って言うのやめてね」
「それ以外にどう言えばいいのよ」
「そのまま言わないだけ成長を感じられていいと思うけどノーコメントでよかったんじゃないかなってお兄さん思うんだよね」
「そうかしら」
「そうだとも」
湊友希那という女の子は感情の変化が疎いだけで瞳の色がよく変化する人間だ。その上で嘘を吐くことを知らない性格で、言葉を選ばないでいいなら男バンドマンに喰われてそうな女でもある。それを言い始めたらRoselia全員がそうなのだが、これは言いっこなしだろう。
「いや~、リサちゃんの苦労が見えるねぇ……」
「今リサの話は関係ないでしょう」
「いつも一緒に居る人間が関係ないわけないでしょうが」
彼女を見ていると、今井リサの苦労が偲ばれる。なにせ感情の表現をどこかに置いて来てしまったような女の子だ。一緒に居ることで誤解されたり、苦労することも少なくなかっただろうに手を離さなかったのは物好きか、お人好しの二択だろう。
たはー、と溜息を吐きながら横目で盗み見れば、どうすればよかったのと言わんばかりにジト目を向けられる。少し下手な歌声を聞かせてしまったの自体は事実だからなにも言えない。
「……歌い方を改善すればよくなると思う」
「おっ、それはいいことを聞いた。じゃあ稽古を付けてくれるかい?」
「いいわよ」
「あれ、いいんだ」
「言い出したのはあなたでしょう」
「そりゃそうなんだけどさ」
自分で言い出しておいて変に思われるかもしれないが、承諾されるとは思っていなかった。それほどまでに湊友希那という人間は他人に関して無関心で、自分の信じたことを疑わずにひたむきに走り続けられる人間なのだ。
逆に言えば、他人に与することを好んでやるような人間ではないはず。
それも、自然と変わってきているのかもしれない。彼女の高校生活3年間は、思っていたよりも彼女を前に進ませたのだろう。
「大きくなったねぇ」
「……? 身長はあなたと出会ったころから変わってないわ」
「今は分かんなくてもいいよ」
そんな姿を見せるまでに成長しているなんて、大学を卒業する時期に近付くわけだ。あと一年、彼女は大学生になってどんな成長を見せてくれるのだろう。どんな人間と付き合っていくんだろう。
僕のように、狭いコミュニティの中で生きてほしくはない。大学は楽しい場所だ。人生の夏休みとも言われる場所で、わざわざ日陰を好むことなんてない。鳥籠から飛び出した彼女には関係のない話かもしれないけれど、どうかどうかそのまま飛び続けてほしいと願う。
「それよりも、君の指導を受けられる方が嬉しいよ。湊さんの歌好きだから」
「……そう」
隣に居るけど、プロ入りの話が出てどこか遠くに感じる彼女に感じることではないなと苦笑して頭を切り替える。この子は他人の機微に鈍感なように見えて意外と鋭いのだ。
真実も混じっているとはいえ、誤魔化すための嘘を吐いているような後ろめたさを振り払うために別の話題を探す。
「そういえば近場にSNSで話題になってる店があるらしいけど行った?」
「いえ。リサは行っているかもしれないけれど私は行ってないわ」
「それでいいのか花の女子高生」
「花咲川は私じゃなくて紗夜の学校よ」
「天然ボケ期待してたんじゃないんだけどねぇ……?」
音楽の話をしていたはずなのに、いつの間にか別の話で盛り上がる。
湊さんとは不思議なほど話題が尽きない。彼女とは趣味も物事の捉え方もなにもかもが違うはずなのに、気が付けば話題が縦に横にと繋がっていく。普段の寡黙さが嘘のように話を返してくれる彼女はどことなく楽しそうに思える。
あるいは、僕がそう思いたいだけなのか分からないけれど、それでもいいんじゃないかと最近思い始めた。部屋中の引き出しの戸が全て開け放たれ、中身が散乱しているかのような会話が酷く心地いい。
だから話し続けたくなるのだろう。
「もうちょっとさぁ、高校生らしいことしてから卒業しなよ。意外と後悔するもんだぜ?」
「後悔なんてしないわ。ここまで来れたんだもの」
「眩しいねー……」
青春時代なんて人それぞれなんだから口出しをする権利はないのだけど、後悔しながら生きている身としてはどうしてもちょっかいをかけたくなってしまう。湊さん以外にはこれは出ないのだけれど、なぜ彼女だけに出てしまうのだろうか。
そんなことに意識を逸らしていたから、後ろでドアが開いたことに気が付かなかった。
「こーら。またサボって。キミにはお仕置きが必要かな?」
「げぇっ……まりなさん……」
「人の顔を見てげぇっ、なんて言わないでよ。私だって怒りたくて怒ってるわけじゃないんだよ?」
「いや、僕が悪いのは分かってるけどさぁ」
不機嫌そうに、というよりは呆れたように両手を上げている上司こと月島まりなは心底困ったようにして手を当てる。
「友希那ちゃんが居ると必ずサボるんだから」
「別に必ずってほどじゃないでしょーよ」
「はぁ。自覚がないって古瀬くんも大概よね」
「話が見えてこないんですが……まぁ、仕事に戻らせて──」
面倒だなぁ、とボヤきながら仕事に戻ろうとすると、不意に手を握られる。
ギョッとして振り向くと、なにをしたのか分からないような顔で湊さんが僕の手を掴んでいた。彼女の、楽器奏者とは違う柔らかな指先の感触が新鮮だと他人事のように思う。彼女にしては珍しい行動に、僕もまりなさんも呆けたような顔をしていることに苦笑する。
「まりなさん、今日の僕のシフトって短めでしたよね」
「うん。だからあがっていいよって言いに来たんだ~」
「じゃ、荷物だけお先に失礼しますね」
「うん、お疲れ様~」
一つ貸しだからね、というような視線に目線を返しつつ、突然手を握ってきた困ったお嬢さんをどうしようか考える。人肌恋しくなるような人間でもなければ誰かに身を預けるような生き方もしていないだろうに不思議なもんだという気持ちが湧き出てくる。
なにか引き金になるような話をしただろうか。唐突すぎてなにが原因になったのか全く分からない。
不意に、Roseliaがバラバラになりそうになって途方に暮れていた湊さんの姿がフラッシュバックする。あれは、僕にとってはトラウマだ。目の前の女の子に何一つ出来ず、ただ感情を吐き出させることしか出来なかったあの一日を思い出すから。
「あのさ」
「……なにかしら」
「さっき話に出してた店にさ、行こうよ。二人で」
「……ええ」
門限は、なんてつまらないことは聞かなかった。
「じゃ、荷物だけ取ってくるからロビーで待っててよ」
「ええ」
普段から寡黙な方だが、返事しかしないのは初めてのことだ。
疑問に思いつつもバイト用の服を脱いでいつもの服装に着替える。ジーンズにインナー、チェスターコートというシンプルながらどっちつかずな服装は、首から下げたネックレスで中和されてギリギリオシャレに思えなくもない服装に落ち着く。
今をときめく若者というよりは酷くこけた服装だけど僕はこれを気に入っている。
「それで、どうするの?」
「まりなさん、ここ男子ロッカールーム」
「帰らせてあげるのは誰かな~?」
「……まりなさんですありがとうございます」
「よろしい」
ふんす、と鼻息が聞こえてきそうなくらいの誇らしげな顔を見ていると殴りたくなるが、彼女は一応女性だ。
「……まりなさんっていい意味で女性らしくないですよね」
「あー、ひっどーい。どういう意味よ」
「いや、いい意味ですよ」
失礼な話かもしれないが彼女を女性としてみたことはあまりない。パーソナルスペースの見極め方が上手い彼女とは男友達のような関係性を維持している。
誰が言ったかロックには酒と女とドラッグが付きものなんて言葉がある。
僕はあまりその考え方が好きではない。こうあるべし、と押し付けられた偶像は、やがてそれらを括る巨大な渦となる。それらを巻き返すのは不可能で、世間を変えるだけの力を持っていたとしても、その人間だけが例外化されるだけで向けられる目は変わらない。
「愛と祈りは呪いに似ている、なんて誰が言ったんでしょうかねぇ」
悩みの渦中に居る彼女はロビーでぼんやりと待っているのだろう。僕がなにで悩んでいるのかなんて知る由もない彼女はそのまま進んでいくものだと思っていた。
それなのに、どういうつもりか引き留められた。彼女がどんな気持ちでそんな行動に移したのかおそらく彼女自身すら分からないから余計に困る。人が必死に目を逸らしていたのに、彼女の行動力は流石、スカウトを受けるバンドのリーダーだけある。
「じゃ、ありがとうございました」
きょとん、と呆けるまりなさんに別れの挨拶だけ告げてロビーに急ぐ。
僕は、湊友希那という女の子のことがよく分からない。