山と海の間にある交通量の多い街道。その傍らにある自販機と公衆トイレしかない寂れた休憩所。そこに車を停め、ろくに整備されていない山道を進むこと十数分。残穢はあっさりと見つかった。
「猩々の呪霊。情報通りですね」
俺より先に呪霊を見つけた幸啓がそう言う。残穢を追った先にいたのはドレッドヘアが特徴的な2.5m程の大きな猿のような呪霊だった。相手はこちらにまだ気付いていないようで呑気に寝っ転がっている。
「等級は2級。ただし術式が確認されていないだけで呪力量的には準一級相当です」
幸啓が猩々の呪霊に気付かれないように小声で判明している情報の再確認をしてくれる。準一級相当の呪力量で術式を持っていない呪霊、つまり蝗GUYと同じタイプだ。
「情報通りか。それなら試したい事がある」
「お任せします。まぁ私では命懸けなら一太刀入れられるかも? ぐらいの相手ですから任せるしかないのですが」
冗談めかして幸啓がそう言う。冗談っぽく言っているが本音だろうし、気にしているのだろう。
「俺だけでは
「分かっていますよ。持ちつ持たれつ、それが契約です」
俺は本当にありがたいと思っているのだが、伝わっているようには思えない。霞を助けた日、俺と幸啓はいくつかの条件と共に『幸啓の仕事を手伝う代わりに人間との橋渡し役になる』というような内容で契約をした。
だが幸啓はその契約が自分にとって有利だと思っているようなのだ。むしろ呪霊である俺にとって有利過ぎるぐらいの内容だと思うのだが、何度か共に呪霊の祓除の仕事をこなしてもその考えは変わらないらしい。
「では、あとは手筈通りに。ですが気を付けてください。術式は確認されていないだけで持っている可能性はあります。それに他にも何か奥の手がある可能性もあります」
「ああ。分かった」
了解した事を伝えると幸啓は帳の詠唱を始める。その呪力に気付いたのか猩々の呪霊がのっそりと立ち上がり、周囲を見回す。黒い墨のような呪力が一帯に広がっていき、ドーム状に覆われていく。擬似的な夜となり外界と隔絶された事を確認し、呪霊の前へと歩み出る。
今回の戦いでは術式を使うつもりはない。
これまでは術式頼りで戦ってきた。もちろん術式は大事だがそれだけでは術式が通用しなかった時にどうにもならなくなる。
それに『いかに強力な術があろうと、研ぎ澄まされた体術と強靭な基礎がなければ、それは飾りに過ぎない』というような事をどこぞのニンジャも言っていた。ノーカラテ・ノーニンジャの精神だ。そして俺もその通りだと思う。
故に今回は術式を封じて体術のみで戦う事にする。実戦という危険で効果的な訓練を行うという事だ。
猩々の呪霊と相対し、改めて相手を観察する。寝転がっていた時には気付かなかったが相手は単眼だった。単眼でドレッドヘアの大猿。術式は持っていない可能性大。知能は見た目通り猿並み。つまり十分に頭が良いという事だ。
動物の呪霊らしく
「行くぞ」
大きく一歩踏み込む。体格は猩々の呪霊の方が良い。俺の身長は角を除いて180cmぐらいだが、呪霊は2.5mを優に超えている。当然、リーチも猩々の方が長い。
リーチを埋められるような武具などは用意していない。そして術式を使うつもりもない。つまり今回はリーチの不利を抱えながら格闘戦でこの呪霊を倒すのだ。
猩々の攻撃は当たるがこちらの攻撃は当たらない間合い。そこに敢えて踏み込んで行く。間合いに踏み込まれた事で反射的に殴りかかって来た猩々の左腕を呪力で強化した右腕で受け止める。
ほとんど腰の入っていない手打ちにも関わらずその打撃は重かった。受けた腕の芯にまでズッシリと衝撃が響く。だが耐えられない程ではない。そして殴りかかった事で猩々は俺の間合いに入っていた。右腕から左腕へ素早く呪力を移動させ、猩々の脇腹を狙う。
猩々が右腕を振りかぶっているところへカウンター気味に放たれた左フックが猩々の脇腹に突き刺さる。猩々は怒りの咆哮を上げる。
「まだ遅いか」
呪力が打撃より僅かに、だが確実に遅れている事に気付く。体術のみでやっているのは体術の訓練が主目的だ。だが『黒閃を狙う』という理由もある。これから関わる事になるであろう相手の事を考えるとできるだけ早く黒閃を体感し、呪力の核心に近づいておきたいのだ。
追撃を狙いたかったが猩々の呪霊は怒りに任せてその剛腕を連打してくる。それを一つ一つ丁寧に捌いていく。準一級相当といっていただけあり、その攻撃は重い。身体や呪力の操作が遅れれば大ダメージを負うことになる。その緊張感の中でも練習通りの動きができるかを確認していく。
呪力を集中させ正面から防いでみる
角度を付け威力を逸らすように受けてみる
ギリギリで躱しカウンターを入れてみる
練習していた動きを少しずつ実戦で馴染ませていく。猩々は一向にダメージを与える事ができない事に苛立ったのか咆哮する。
そしてまた勢いよく襲いかかってくる。先程と同じように右腕を振りかぶっている。今度もギリギリ躱しカウンターを狙おうとする。
「マハト! もう一体います!?」
幸啓が叫ぶ。その声に慌てて距離を離し、チラリと後ろを確認する。死角になっていた背後の木の上から一回り小さな猩々の呪霊が飛びかかってきていた。呪力を守備に回し二体の呪霊から離れる方向に飛ぶ。
背後を確認していた隙を突かれ大きい方の猩々の剛腕が直撃する。左腕に呪力を集中させ防御するが、それでもなお軋むような衝撃が全身に奔る。さらに小さい方の猩々がドロップキックを放ってくる。それをどうにか回避したら今度は大きい方の猩々の攻撃をかろうじて受け流す。
今のところどうにか防御や回避が間に合っているが、それまでとは違い削られる一方だ。このままではジリ貧なのは明白だった。
術式を解禁するべきか?
当初とは状況が変わった。新たに現れた一回り小さな猩々の呪霊は大して強くはない。せいぜい3級の上位といったぐらいだろう。当然、術式を使えば問題なく二体とも倒す事はできる。だが意外と連携が取れており格闘戦で倒せる目処は立っていない。
二体の猛攻を受けながら悩む。じりじりと追い詰められてはいるが悩む事ができる程度には余裕があるのだ。方策を今のところ思いつかないが術式を使わずとも打開できる可能性だって十分にある。
「小さいのは私がやります! マハトは大きいヤツに集中してください!」
幸啓が小さい方の猩々に斬り掛かりながら言う。猩々達は幸啓の乱入に怒りの声を上げる。
「やれるのか?」
「さっさと倒して助けに来てください。術式はなしで良いですよ」
「……できるだけ早く終わらせる」
小さい方の猩々は幸啓に任せる事にする。幸啓との付き合いは長くはないが無理をする事はあってもできない事はしない奴だと思う。なので宣言通りできるだけ早く終わらせるのが最善だろう。
「お前はこっちだ」
大きい方の猩々の攻撃を受け流し、その勢いを利用して投げ飛ばし幸啓達と距離を取る。投げ飛ばされた猩々の呪霊は空中で体勢を整え綺麗に着地する。そして単眼をギョロギョロと動かしたかと思うと手近にあった木を掴み、一気に引き抜きぶん投げてくる。
回転しながら迫ってくる木をジャンプして回避する。猩々はすかさず二本目の木をひき抜き空中にいる俺目掛けて投げてくる。
なるほど
空中に避けさせる事で次の回避を困難にさせる作戦だったのだろう。不用意にジャンプした事を反省する。とはいえ術式を使えばこの段階からでも対応は容易だ。
容易だが、今回は術式に頼るつもりはない。俺のワガママでしかないのに幸啓は一体引き受けてくれたのだ。こんな程度で術式に頼る訳にはいかない。身体を捻り、水切りで石が水面を跳ねる要領で木に合わせて回転する。
枝葉に全身を打たれながら飛んできた木の威力を回転に変え、弾かれる。忙しなく回る視界の中で猩々がさらに追撃の木を投げようとしているのを見て取る。
今度は着地した瞬間を狩ろうというつもりのようだ。避けるために跳べば同じ事の繰り返しになる。そう考え逆を行う。着地する勢いそのままに地面に伏せる。頭上を轟音を響かせながら大木が通り過ぎていく。
伏せた状態から腕立ての要領で体を持ち上げ、そのままクラウチングスタートのように猩々の呪霊へと突撃する。
次の木を引き抜いていた猩々が慌てて木を振り回す。木はかなり大きさと重量があり、振り回すにしても制限は大きい。軌道を読むのは容易かった。
空振りを誘い、一気に接近し連打を叩き込む。手応えあり。黒閃とはいかなかったが上出来な一撃だった。ほぼ打撃と呪力が同時だった。猩々の巨体がぐらりと揺れる。持っていた木を取り落とす。それでも諦める様子はなく、今度は握り潰すつもりなのか猩々の呪霊は俺へと手を伸ばしてくる。
その腕の外側に回り、猩々に飛びつき脇と首に足を掛けて腕を外側に捻り上げる。いわゆる飛びつき十字固めだ。そのまま呪力による身体強化を強め、さらに外側に捻り上げる事で肘関節を破壊する。
苦悶の絶叫を上げる猩々の呪霊。その声を聞きながら首に掛けた足に力を込め猩々の頭を無理やり地面に叩き落とす。
立ち上がり、倒れ込んだままの猩々の心臓へ向けて渾身の一撃を叩き込む。それで終わりだった。猩々の呪霊は黒い煙をとなり消滅していく。しっかりと消滅した事を確認し、急いで幸啓の方へと向かうのだった。
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