生徒から指摘があった以上、改善はすぐに行わなくてはならない。ユウカが帰ってすぐに一階のコンビニエンスストアへ向かった。
<エンジェル24>。それがチェーングループの名前らしい。なにか不穏な空気を漂わせている。
フェア商品の広告が貼ってある自動ドアが開いて中へ入ると、やはり私以外に客はいなかった。雑誌コーナーを通り過ぎ、文房具や洗剤を扱う棚も用が無い。何を買えばいいのだろうか。今の私が最も欲しいのは商品ではなく、それを購入したと言う証拠となる領収証だった。
インスタントのコーヒーや紅茶を手に取る。当番の生徒が使用するかもしれないからだ。であれば、軽い菓子類もあった方が良いだろう。なるべく日持ちして、事務作業の合間や外でのパトロール終わりにあると喜ばれる物。クッキーやチョコレート類だ。どんどんとカゴが満たされていって私は満足した。
レジへ向かう。
「…………」
レジにいるのは小柄な女生徒だった。ユウカ達とアロナのちょうど中間くらいの年齢に見える。中等部の所属なのかもしれない。金色の髪の毛を開いて額を出しており、制服の上から店員だという事を示すエプロンを着用していた。
少女は椅子に座った状態で熱心にタブレットを操作している。やっているのは商品の発注か学校の課題だろうか。
邪魔をしてはいけないと考え、カゴを持ったまま立ち尽くしていると、失念していた品物を思い出す。そう、エナジーバーだ。
「おっと」
「ふわああ!?」
少女が飛び上がる。私も驚いた。
彼女は自分と一緒に跳ね上がったタブレットを空中でワタワタと回収すると、
「すみませんすみませんっ! い、い、い、いらっしゃいませ!?」
「どうも。驚かせてすまない。エナジーバーを探している。どこに陳列されているだろうか」
「あ、あちらです。パンのコーナーの隣となります」
「ありがとう」
最もポピュラーなナッツのフレーバーを幾つか取ってカゴへ入れる。レジへと戻ると、少女が酷く緊張した様子で私を待ち構えていた。
お決まりの言葉と共にカゴを受け渡して、中の商品をスキャンしてもらう。
「…………」
彼女の近くからタブレットが消えている。
「学校の課題をしていたのか」
「……! す、すみません。ちょうど手が空いていたので……」
「いや、私は気にしない。時間は有効に使うべきだ」
「それでも、お仕事中ですから」
「手を抜いているわけじゃないだろう。来客に気が付かなかったのは私の存在感に問題がある」
「い、いえ、そんな」
袋詰めされていく商品をじーっと見つめていると、少女がぽつりと言う。人見知りらしく、こちらにまだ視線は向けてくれない。
「し、<シャーレの先生>ですよね」
「そう呼ばれている」
「私はソラといいます。ここのコンビニでアルバイトをしていて、えっと、まだ中学に通っているんですけど」
「アルバイト。中学生でか」
それは良いのだろうか。彼女のエプロンに書かれている<エンジェル24>の店名が威圧感を放っている。
「困る事があったら言ってくれ」
「あ、ありがとうございます」
「領収証をもらえると助かる。それが必要なんだ。それが一番欲しい」
「はい、かしこまりました」
書類を作成してもらっている間に”カード”で支払いを済ませる。カチコチに緊張したソラから買い物袋を受け取り、
「あ、ありがとうございましたー」
店を後にする。貰った領収証を見て私はルンルン気分でオフィス行きのエレベーターへ乗った。
これで怒られる事もなくなるだろう。一歩前進だ。
◇
次の日、ユウカから怒りのモモトーク爆撃を受けた私が手違いでモアイ像が描かれたスタンプを送ったところ状況が悪化したため、ちゃんとした飲食店へ向かうこととなった。
午前中は<ヴァルキューレ警察学校>の任務に協力する事になっていたので、それが終わりしだい行く予定である。
アロナの力ならば周辺の電子機器を操作できるらしく、通信手段を封じられた不良生徒達は助けも呼べないまま鎮圧された。
まだ着任してから一週間ほどだが、D.U.の方もだんだんと落ち着いてきている。警察学校の生徒達との連携にも慣れてきて、報告書を提出してもまだ時間に余裕がある。
別に店を決めているわけではない。散策がてら早めに出よう。
『それにしても、先生』
アロナが話しかけてくる。
『ご飯を食べていなかっただなんて……』
「…………」
『私にはちゃんと食べたって言ってたじゃないですかっ』
嘘ではない。ビタミン剤の摂取を食事と言い張っていただけだ。しかしこれを言うとアロナの機嫌を損ねると思って黙っておく。
外食は初めてだ。何かあったら困ると考え、現金も所持してきた。残念ながら食欲は皆無だが、バイタル情報は栄養失調の兆候を示している。
少しずつ治安が回復してきたD.U.の繁華街を歩き、少し奥まった路地へと入った。自動販売機の近くでたむろしていた女生徒が私を見てギョッとする。何度かヴァルキューレと一緒に捕縛していた生徒なので、怖がられているのかもしれない。
『今日はミレニアムへ向かうんですよね』
「ユウカから聞いた話が気になる」
アロナの言う通り、今日の午後は<ミレニアムサイエンススクール>で用事がある。<シャーレ>公式アカウントでも告知済みだ。移動に使う時間も考慮する必要があり、食事に手間取ってはいられない。手早く済ませてしまおう。
「…………」
私の嗅覚が何かを捉えた。油の香り。今の私に足りていないのはカロリーだ。匂いを辿ると、こじんまりした精肉店に辿り着く。個人が経営している店舗のようで、『とんかつ定食・ラーメン』と書かれた看板が置かれているのを見る限り、定食屋も併設されているのだろうか。
『あのお店が気になるんですか?』
「そうかもしれない。油の匂いがする」
『検索しますね。……うーん、口コミ等は確認できません。かなり古いお店みたいですが』
「あそこにしよう。悩む時間がもったいない」
定食屋に入るつもりはない。持ち帰りの商品もあるようだ。それを買おう。
「あら?」
精肉店側の入り口で、一人の女生徒と鉢合わせる。白いブラウスに、黒い帽子。同じく胸下まで届く黒いスカーフ。色素の薄い銀髪に白い肌。真っ赤な瞳が驚いたように見開かれている。
「どうも」
「どうも~」
彼女は私の存在に気付くと、居住まいを正して一歩退く。動作に気品が見られた。
「失礼いたしました。私とした事が、先客の方に気付かないとは恥ずかしい限りです」
「いや、それはこちらも同じだ。私はいいから、お先にどうぞ」
「なんと……この香りを前にその余裕。只者ではございませんわね。しかし私も美食の極致を目指す者。割り込みなどという真似は出来ません」
「君の方が惹きつけられているように見える。私は偶然通りかかっただけだ。初めての外食だから手本を見せてくれると助かる」
「…………」
本心を告げて二歩下がる。少女は私を興味深そうに観察した後、ふわりと笑い、
「では、お先に」
中で働いているのは二足歩行の猫型店主だった。夫婦経営らしく女将もいる。銀髪のお嬢様はメンチカツを注文した。なるほど。あれがこの店の定番商品らしい。良いものを見た。
偵察任務を完遂してくれた女生徒は表向き優雅に商品を待っているが、腰から覗く黒い尾はゆらゆらと元気に揺れている。譲ってよかった。
揚げ物が入った紙袋を持って出て来た彼女は、さっそくとばかりにメンチカツを一口。さくりという心地よい音と共に租借し、うっとりと幸せそうな表情となる。なんだか有識者らしい人物があんな表情をするからには、さぞ美味いのだろう。
よしあれだ。あれを買おう。あれなら間違いない。私も後に続き、メンチカツを注文する。元気の良い店主からブツを受け取り、現金での支払いをおこなう。領収証の作成をお願いしたかったが、私の後に続々と客が入ってきたために断念した。
「まいった……」
「どうかされましたか?」
近くのベンチに座り、メンチカツを平らげていた少女が訊ねてくる。華やかな気品を垂れ流している彼女は、年季の入った生活感が漂うこの辺りからかなり浮いて見える相手だ。
「食事内容の報告を義務付けられているんだが、領収証の受け取りに失敗してしまった。今さら取りに戻れない」
「確かに混んできましたわね。本来、あちらのお店は知る人ぞ知る名店。お店側も常連客の方々も情報の拡散を嫌っていて口コミすら付きません。暗黙の了解で行列も出来ないそうです」
彼女の視線を追った先には店先を眺めながらそわそわしている通行人の姿もあった。ただ歩いているように見えるが、店に入る隙を窺っているようだ。
「詳しいんだな」
「私も知り合いの口づてに知ったほどです。それを、美食初心者の方が最初に訪れるとは……貴方にはきっと、才能があるのでしょうね」
「才能」
「美食の才能、ですわ」
それは絶対に無いと思った。
そんな才能が少しでもあれば食事をビタミン剤で済ませたりしていない。ただ運が良かっただけだろう。この少女と出会わなければ、やっぱりやめたと他の店に行っていたかもしれないのだ。
「食べた証が必要でしたら、写真の提出でも良いのではなくて?」
「それだ」
まさしく天啓である。これで雷を落とされずに済むと思い、私は安堵した。美食の化身に感謝する。
そんな私に少女はふわりと微笑むと、
「早く召し上がってください。熱々が一番、ですわ」
「ありがとう。君のおかげで食欲が出て来た」
「いえ、それでは……またどこかで」
そう告げて去っていく。店にもう一度入るようだ。リピートかお土産かそんなところだろう。私は紙の包みを開き、メンチカツを齧ってみる。
「……!」
軽い食感の衣の中には、程よい噛み応えのある肉と大きめに切られた玉ねぎが込められている。口の中に広がる食材とスパイスの香り、そして熱々の肉汁。
瑞々しい、という感想が浮かんできた。一口の満足感が違う。この一品を形成する食材が複雑に混ざり合い、強烈な旨味を形成して殴りつけてくるようだ。
考えてみれば、<シャーレ>が稼働してからは温かいものを口にしていなかった。メンチカツの持つ熱が、体全体に染みわたっていく。
(これは……美味い)
作り手の本気がこの一品だけで充分に伝わってくる。活力が湧いてくる。これが美食。
私はメンチカツを食べる自分を写真に収め、それを公式アカウントへアップロードする。これで私を取り巻く監視者たちも文句を言う事が出来ないだろう。
大挙して押し寄せる警察車両達を不思議に思いながら、私は”三大校”の一角へと向かった。
◇
何かがおかしい。
D.U.はキヴォトスの中心だ。ここならどこへでも行ける。ミレニアムへ直行する電車に乗り、何の問題もなく到着する。
美しい自治区だと思った。広大な中心区には隅々までエネルギーが行き渡っていて、商業地区から市街地区まで計算され尽くした合理性が根付いている。
空へと向かう高層ビルの数々も、巨大な工業地帯も景観を損なう事なく街並みを彩っていた。人工物で満たされていながら、自然との調和を保っている。確かな活力を放つこの自治区は、若い天才達が作り上げてきたのだと見る者を納得させるだけのものがあった。
「…………」
しかし、違和感は拭えなかった。<ミレニアムサイエンススクール>の駅には誰一人いない。利用客も、駅員も、生徒も。動いているのは案内用のドローンくらいで、それすら私には近寄って来なかった。
これだけの自治区で、たまたま人がいないというのはありえないだろう。何者かによって仕組まれたのだろうか。だとしたら、恐らくは自治区のトップ──生徒会長クラスか、それに比肩する力を持つ誰かだ。
「アロナ、もしかしたら荒事になるかもしれない」
『はい、お任せください!』
相手方の思惑が分からない以上、警戒せざるを得ない。今の私に何かあれば、ミレニアムの立場に悪影響を与えかねないからだ。
”シッテムの箱”を管理するこのスーパーAIは、バリアを張ることも可能だと度々力説してきている。まだ頼んだ事はないが、虚弱な私にとっては最後の頼みの綱だ。
『あ、メールが届きました! <セミナー>の早瀬ユウカさんからです!』
開封してもらう。短い文面だ。
『ミレニアムへようこそ。お待ちしていました』。位置情報が添付されている。ただそれだけである。
一目で判った。
「ユウカじゃない」
『え!?』
「彼女からメールが送られてくるのは決まって業務に関わる内容の時だ。挨拶の定型文が無いし、歓迎だけだったらモモトークで良い」
”モモトーク”はキヴォトスで広く普及しているメッセージアプリだ。ユウカに限らず、生徒達は私用での連絡にはこのモモトークを用いる場合が多い。
早瀬ユウカなら、まず突然ミレニアムへ来た私に文句を言うだろう。正確な日時をしっかり伝えろだとか。<シャーレ>の公式アカウントに食レポを載せるなだとか。そういう内容だ。小言の一つは必ず添える。歓迎文だけなど絶対にありえない。
「送り主はユウカで間違いないのか」
『ユウカさんのスマートフォンからです。アカウントも完全に一致しています。先生のおっしゃる通りなら、誰かが乗っ取ったんでしょうか』
「そう考えた方が良いかもしれない、ミレニアムへの道案内を頼む」
『はいっ!』
アロナに頼むまでもなく、ここは自治区のメインターミナルだ。中枢部である校舎までを結ぶ移動手段も豊富だった。駅からバス停に向かえば、狙い済ましたかのようにミレニアム行きのバスが停車した所だ。
やはり運転手も誰もいない。完全な自動運転。最先端技術の始発点である<ミレニアムサイエンススクール>ならおかしい事ではない。おかしい所があるとすれば、このバスは時刻表を完全に無視して発車したということだ。
『先生……』
おかしいという確信が持てたのだろう。アロナの声音にも心配と警戒の色が混じる。彼女が表示してくれているマップを見る限り、目的地へは正確に向かっている事が分かるので、そこは心配していない。
問題は、これを誰がやっているかだ。
ユウカの端末をジャック出来るという事は彼女に近い人物かもしれない。それでいて途方もない能力を持ち、これだけの規模で自治区を制御できる人間。
やはり生徒会長か、それとも──
そんな事を考えている間に、目的地へ到着した。信号にも引っかかる事なく快適この上ないが、それすらも仕掛け人の手の内なのではないかと思わせてくる。
正面入口より<ミレニアムサイエンススクール>の敷地内へ足を踏み入れた。
驚くほど広大な空間だ。中央にはミレニアムの本校舎。そこからやや離れてそびえ立つのは<セミナー>の本拠地である”ミレニアムタワー”だ。
ここだけであまりにも広すぎて移動にはモノレールを利用するらしい。校舎内で完結される鉄道まで完備されていた。
「誰かいるのか」
だしぬけにそう告げる。振り返っても、そこには誰もいない。アーチ状のモニュメントが校舎へと案内するように整列する、ただの道があるだけだ。
違う。モニュメントの上から誰かが飛び降りてきた。私は安心した。こんな事をしておいて誰もいなかったら羞恥心で夜眠れなくなるからだ。
「なんで気づけたの」
「ここは風下だったからな」
「……まさかバレるなんて。<シャーレの先生>ってやっぱり凄いんだね」
私の七メートルほど先に着地したのは一人の女生徒だった。
肩口までで整えられたピンク色の髪に、音楽が趣味なのかヘッドホンを首にかけている。それだけならまだ普通なのだが、恐ろしいのはそこから下だ。
派手にはだけさせた制服はほとんど役目を果たしておらず、胸元は大胆に露出されている。下着丸出しだ。羞恥心を認識するべきは彼女の方だろう。
しかし異様な出で立ちの女生徒にとって、それはあくまでも普段着らしい。発見された事を不満そうにしながら、
「ミレニアムへようこそ。私は<特異現象捜査部>の和泉元エイミ。先生を迎えに来た」
「<特異現象捜査部>。<ヴェリタス>じゃないのか」
「半分当たり。それよりも、ここは人目につく。こっちへ来て」
人目を気にするのか……。そんなことを疑問に思いながら私はエイミの後に続いた。
向かった先は本校舎ではなく、そこへ併設された建物だ。やはりひと気はない。
「ここは部室棟の一つ。”私たち”も普段は使ってないところ」
「……普段使わない所へ案内するのか」
「もちろん。先生と会ってるってバレたら駄目だから」
「誰に」
「皆に」
「…………」
来てはいけなかったのだろうか。私は心配になってきた。エイミに案内され辿り着いたのは使用されていない部室の一室だった。
エイミがノックする。奥から鈴のようにか細い声が聞こえた。
「合言葉は?」
「なにそれ。早く開けて」
「合言葉を言いなさい、エイミ」
「お互いに相手が分かってるのに合言葉を言う必要があるの?」
「意地の張り合いはやめましょう、エイミ。合言葉を」
エイミはため息を吐いてから、
「全知」
「全知……まだ続きますね?」
「全知の名を持つ超天才病弱美少女」
「はい、よくできました」
鍵の開く音がする。イライラした様子のエイミが中へ入り、私も後に続いた。
「お待ちしておりました、先生」
にっこりと笑う彼女は、人に自分をむりやり美少女と呼ばせるだけの事はある、際立った様子の持ち主だった。白い髪に白い服、目も、肌も、手も、そして腰かけている車椅子まで、全てが純白を基調としている。
「君は……」
「ご存知の通り、私です」
「誰だろうか」
「えっ」
「すまないが、初対面だ。それとも以前に会った事があるのか」
「…………」
全て分かっているといった様子の美少女が唖然としている。
私の後ろに控えていたエイミが吹き出すのが分かった。車椅子の少女は長く尖った耳を赤く染めながら、
「ま、まあ……先生はキヴォトスの外から来た方なのですから仕方ありませんね」
コホンと咳払いする。
「私こそミレニアムを代表する天才病弱美少女ハッカー、明星ヒマリです」
「そうなのか」
「…………」
「…………」
「先生、ここツッコむところ」
「違いますよ、エイミ」
「エイミは<特異現象捜査部>だと名乗ったが、君はハッカーだとも言った。<ヴェリタス>ではないのか」
「ふふっ」
明星ヒマリは右手を口元にあてたかと思うと、小刻みに肩を揺らし始めた。
「ふふふふっ。ふふふふふふっ」
「いつもこうなのか」
「うん。そう。毎日」
無表情からでも読み取れるものもある。エイミも苦労しているようだ。
「先生も知っての通り、私は現ミレニアムで唯一”全知”の学位を持つ希代の天才美少女。その有り余る才能と美貌は方々から必要とされていて、とても一つの部に収まりきらないほどなのです」
「ヒマリは……二つの部に所属している」
「二つの部の部長なのです。このミレニアムにおいて唯一の、兼任部長……」
「先生、我慢して話してあげてね」
「ああ」
「まずは先生の要件をお伺いしましょう」
「二つある。まず一つは<ヴェリタス>の件だ。ヒマリが部長で間違いないのか」
「はい。今は第一線を退いていますが、<ヴェリタス>を立ち上げたのはこの私です」
<シャーレ>の稼働と同時にサイバー攻撃を受けている事。逆探知をしたところ<ヴェリタス>の仕業らしい事が分かった事。現状だとオンラインを使ったデータのやり取りを制限されている事。数名の部員でこの一週間、絶え間なくおこなっているから健康被害の懸念がある事を伝える。
「…………」
「キヴォトスの生徒達が丈夫なのは知っているが、そろそろ倒れかねない。きちんと休息を取ってほしいと伝えてくれ」
「…………」
「だって、部長。さっそく迷惑かけてるね」
「く、クレームという事ですね」
「というよりは体調管理だ。一つの事に夢中になるのは良いが、寝食を忘れて体を壊しては元も子もない。部長からそう促してほしい。ヒマリは知っていたと思うが」
「……も、もちろんです」
「全知、か」
「なんですかっ!? こ、このミレニアムに燦然と輝く孤高の天才にして美のパイオニアと呼ばれている明星ヒマリが、部員の管理もまともに出来ていないと仰るのですか!?」
私はエイミの服装を見る。キャンキャンと騒いでいたヒマリは黙り込んだ。
「もう一つだ。私は記憶を失っていて、それがキヴォトス全土に波紋を呼んでいる。ユウカからの紹介で、最高のハッカーに協力を求めたいと思った」
「ええ、ええ。それは存じ上げております。<連邦生徒会>の”セントラル・ネットワーク”を通じて、先生の検査結果を閲覧していましたから」
「つまり、何かが分かったのか」
当然のようにキヴォトスの中枢にアクセスした事をバラすヒマリ。それだけでも複数の罪に該当するため、今この瞬間に彼女を逮捕することが可能になってしまった。エイミが縄を用意し始めている。
「ええ。分かりました。先生が昏倒し連邦機関病院に搬送される以前の情報はほとんど全て”消去”されています」
「それは……誰に」
「連邦生徒会長でしょうね。能力的にも権限的にも、彼女以外に考えられません」
ヒマリが言うに、彼女は彼女なりのやり方で連邦生徒会長の足取りを追っていたのだという。
サンクトゥムタワーの機能停止に伴う通信障害が起きている中でセントラルネットワークに侵入し、ここでそれを自白するまで誰にも知られていなかった。自称する通り最高の天才なのだろう。
<連邦生徒会>の内部には裏切者が存在する可能性がある。何者かの手によって連邦生徒会長の身に何か起きたのかと考えたのだが、どうやら違うようだ。
私と密接な関係にある連邦生徒会長は、恐らく自身の意志で姿を消した、という事だ。
「先生の記憶を取り戻すには、確かにキヴォトス到着前後の行動を調査する必要があります。しかし証拠は隠滅されている状態……」
「そうだな」
「先生の問題に<特異現象捜査部>が協力できるかもしれません。そのためにここへお呼びしたのですから」
「手を貸してくれるのか」
「ええ。<シャーレの先生>の動きはこちらでも逐一チェックしておりました。サンクトゥムタワーの奪還、狐坂ワカモの加入、D.U.の治安回復。全て見事な手際です」
明星ヒマリの言動から嘘や嫌味は感じられない。純粋に褒めてくれているらしい。
確かに連邦生徒会長と関わりのある私の過去は、彼女の知的好奇心を満たすに足るものなのかもしれない。しかしそれだけでここまでするだろうか。
私がここに到着するまで、ヒマリはD.U.の一部と<ミレニアムサイエンススクール>の自治区全てに干渉している。深度で言えば支配と言っても過言ではないくらいのものだろう。
それだけの事をしておきながら、ヒマリとエイミは私の存在を隠しておきたいようだった。隠蔽を目的としているのに、取った手段は派手で規模が大きすぎる。
私への協力を申し出るなら<シャーレ>へ普通に連絡をしてくれれば済む話だ。
つまり、まだ他に目的があるという事だ。
「私は何を手伝えばいい」
「話が早いですね、ミレニアムを照らす一番星であるこの清楚系天才病弱美少女の私も、その知性には喜ばしく思います」
「…………」
「…………」
もはや何も言うまい。私はエイミと同じ境地に至りつつあった。
「まずは<特異現象捜査部>について説明いたしましょう。……どうしましたか、エイミ?」
「暑いからエアコンつけてもいい?」
「駄目です。電力の使用は厳禁と言ったでしょう。それでなくとも今は寒いくらいだというのに。先生、<特異現象捜査部>はミレニアムの生徒会長によって立ち上げがされた部活です。科学では解明できない”特異”への対応が目的とされていて──エイミ、服を脱ごうとするのは止めなさい。常軌を逸していますよ。ここにアイスパックがありますから、体に当てると良いでしょう」
こんな事もあろうかと、とヒマリは自身の車椅子から保冷剤を取り出してエイミに渡す。
和泉元エイミはかなりの暑がりのようだ。私に会った時も高い場所にいた。風に当たりやすくするためだろう。異常な服装なのも排熱効率を良くするためだと考えれば合点がいく。
「”特異”というのは具体的に何を指すんだ」
「そうですね。身近なもので言えば先生の所有する”シッテムの箱”などのオーパーツが該当します」
なるほどと思った。
オーパーツがそもそも現代科学で解明できない”特異”な力を持った物体の総称だ。<特異現象捜査部>はそういった物について調査し、解明するための組織という事だろう。
「その通りです。現地活動員のエイミに、神算鬼謀を体現する超ド級天才病弱美少女の私はまさに理想的なコンビですね」
「…………」
「ね、エイミ?」
「先生は古代文明に興味ある?」
「エイミ……?」
「古代文明……サンクトゥムタワーそのものが極めて巨大なオーパーツと聞いた。キヴォトスの中心に関わるものが古代文明なのだとしたら、確かに興味深いかもしれない」
「良かった。……キヴォトスには信じられないほど昔に、今より遥かに繁栄した文明社会があったの。これはほぼ確定してる」
エイミが言うには、ミレニアムにはその古代文明の名残として”廃墟”と呼ばれる広大な地区が存在している。ほとんど解明が進んでおらず、大きな危険が潜んでいる事もあり立ち入り禁止区域として指定されているそうだ。
少し調べただけで、そこからは数々のオーパーツが出土しており、太古と現在を密接に繋ぐ重要な場所らしい。
”廃墟”ではキヴォトスの脅威となるような技術も発見されており、それを危険視したミレニアムの生徒会長は<セミナー>傘下の特務組織として<特異現象捜査部>を設立。<ヴェリタス>の部長であった明星ヒマリを説得に説得を重ねて兼任部長に任命したという経緯だ。
「なら、ヒマリはエイミの後輩に当たるのか」
「そう、手がかかって仕方がない」
「…………」
ヒマリは絶句している。
「<ミレニアムサイエンススクール>は”千年難題”と呼ばれる事象の研究を目的として発足した学園。ここまで発展できたのは数々のオーパーツ研究を通して得た成果でもある」
「つまりオーパーツ群の大本が危険なものだったとしたら、ミレニアムは他校の比較にならない被害を受けるかもしれない、という事か」
エイミは頷いた。
科学技術にも系譜があり、ミレニアムのものは超古代文明を源流としている。解明の済んでいない極めて高度な、英知の結晶だ。
行き過ぎた技術は反転すれば極めて大きな危険をもたらす。<セミナー>の会長はそれを危惧したのだろう。そのために最高の人員を選抜し<特異現象捜査部>を設立した。
「だが、私が力になれるとは思えない。過去が消されているからといって、超古代文明に関わりがある程、古い人間ではないだろうし」
そもそも私はキヴォトスの外から来た人間だ、
「もう脅威は目覚めているの。各自治区でね」
「そうなのか」
「アビドスの砂漠、ゲヘナの火山、レッドウィンターの氷海、そしてミレニアムの”廃墟”。どれも同質かつ膨大なエネルギーが観測されてる。現状の科学では測りきれないほどの、無限に近い力たち」
「…………。それは、いつから」
「少なくとも数十年以上前。最近だとアビドス砂漠の方で<カイザー・コーポレーション>の部隊が何度か交戦したっていう記録もある。もちろん部外秘だけど」
「エイミ? どうしてさっきからこの超天才清楚系病弱美少女を仲間外れにして、先生と話し込んでいるんですか?」
「羨ましいの?」
「違います!」
キャンキャン騒いだ後、主導権を取り戻したと思ったのだろう。ヒマリが咳払いして説明を引き継ぐ。
”病弱”と自称する通り彼女は非力で、車椅子生活をしているからには体も不自由なのだろう。話すだけでも消耗する。エイミは疲労を見抜いて、私への説明を引き継いでくれていたのだ。
確かに良いコンビだと思う。
「問題なのは、この脅威が各自治区に点在しているという事です。解決には各学園の協力が必要となり、調査も難航しておりました」
「<シャーレ>なら、その問題をクリアできる」
「その通りです。そしてなにより、先生が持つ”シッテムの箱”は、他と比べても遥かに強力なオーパーツ……連邦生徒会長はキヴォトスに危機が迫った時に備え、最後の希望としてその”箱”を先生に託したのだと、私は考えております」
「そうか……」
アロナが住み着いている”シッテムの箱”は確かに特異なオーパーツである。メインOSの存在は私以外に認知できず、内部にはあの崩落した教室のような空間が存在しているのみ。住人に訊ねても知らない様子なので、私と同じく謎に包まれた存在だった。
ヒマリが言う事が本当なら、連邦生徒会長が失踪した理由がキヴォトスの危機に関係しているのかもしれない。そのための”箱”、そのための私なら、古代文明とやらへの調査には参加するべきだろう。それが生徒達のためになる。
「わかった。ヒマリとエイミに協力する」
「ふふふっ、当然ですね」
「形式的には、私たちが<シャーレ>に加入するんだけどね」
「いいのか」
「もちろん。先生は幸運ですね。稼働から一週間ほどで、これからの活動には欠かせないミレニアム最高の天才病弱美少女ハッカーを参加させられるのですから」
「そうだな。心強い限りだ」
しかし、まだ疑問は残っている。彼女ら<特異現象捜査部>はミレニアムの生徒会長が直々に立ち上げた組織。ここまで私の存在を隠して接触している以上、生徒会長には内密で<シャーレ>に加入する形になるのだ。それは離反行為に当たるのではないか。
いや──ユウカの件もある。<セミナー>のトップは私に対して不信感を抱いているのかもしれない。
「ところで、私はミレニアムの生徒会長に嫌われているのだろうか」
「……どうしてですか?」
生徒会長の名前が出たとたん、今まで穏やかだったヒマリの声がすっと冷たくなる。
「<特異現象捜査部>は<セミナー>の傘下だと聞いた。それなのに内密で<シャーレ>に参加するという。両者間で軋轢があり、それには私が関係していると考えるのが自然だ」
「先生が気にするような問題ではありませんよ。<ミレニアムサイエンススクール>の生徒会長──調月リオは端的に言って独裁者ですから。常に自業自得の疑心暗鬼に駆られているのです」
「…………」
その言葉からは明確な敵意を感じる。それは大きな違和感に繋がった。
明星ヒマリはさんざん自称した通りの超がつく天才だ。だからといって自身の能力を誇ってはいても、他者を軽んじたりはしていない。それは今までの言動でわかる。
にもかかわらず、調月リオだけには明確な敵意をむき出しにしている。彼女がそこまでムキになるような人物なのだとしたら、ユウカが尊敬する人間とは齟齬が生まれるのだ。
「先日、ミレニアムが保有する最高のスーパーコンピュータにハッキングされるという被害がありました。サンクトゥムタワーが回復したのと、ほぼ同時にです」
「……私が”シッテムの箱”に接触した時と同じタイミングだ」
「犯人はまだ判明しておりませんが、人間でない事は確かです。キヴォトス最高の技術を瞬時にこじ開け、やった事は”神を証明するもの”というメッセージを残すのみ」
「…………」
「それと同時に、エイミが先ほど言った各自治区のエネルギー反応も活性化しました。私はハッキングの犯人こそが、それらを統括する支配者なのだと考えます」
眩暈がする。強いショックを感じた。キヴォトスの脅威になりえる存在を、私が呼び覚ましたのかもしれない。
それならば調月リオが私を危険視する理由も理解できた。最悪の場合、ミレニアムは真っ先に滅びる事になる。
「もちろん看過できない事態ではあります。あの人間不信の極致に到達したような悲観論者が鼻息を荒くするのも理解できますが、逆に捉える事もできますね?」
「逆、とは」
「先生の存在を脅威に感じたからこそ、古代の遺産達は活動を始めようとしているってこと。ミレニアムより先に”シッテムの箱”にもハッキングはしたんじゃないかな。でも突破は出来なかった」
「……なんにせよ、調査を進めよう。まずは何をしたら良い」
「情報はこちらで収集いたします。先生は<シャーレ>としての活動を。戦力を集める事が重要でしょう」
独立連邦捜査部の力は参加してくれる生徒達によって決まる。様々な自治区の様々な生徒から理解と協力を得る事が脅威へ備える事に繋がるのだ。
もとより、そのつもりである。自分を責めている場合ではない。裁きを受けるのは全てが終わってからで良い。元からそのつもりだった。
「分かった」
「では、今回の話はこれで終わりですね。<セミナー>と<ヴェリタス>に顔を出して行ってください」
「ここに来たことは伏せておく方がいいのか」
「はい。先生がミレニアムに来るという予定をアップロードしてくれたおかげで、あのジメジメした生き物は姿を隠しました」
<シャーレ>公式アカウントの話だろう。
調月リオは更新された予定を見て、私との遭遇を避けた。明星ヒマリはそれに乗じて私との密会を計画したのだ。
交通機関のジャックは時間を稼ぐためのもの。電車やバスを通常通りに利用したら、到着するのはもう少し後だ。ヒマリとエイミの方で辻褄を合わせるための工作はしているだろうから、私は素知らぬ顔でユウカやホワイトハッカー集団に会って帰ればいい。
「何からなにまですまないな」
「いえ、これは私たちの問題でもありますから」
「問題。どういうことだ」
「リオ会長と部長の勝負。意地の張り合い」
「エイミ? 人聞きの悪い言い方は聞き捨てなりませんね。<シャーレの先生>という存在に対して、私と彼女は全く異なる結論に至った、それだけの事です。アルプス山脈の清らかな湧き水と、産業廃棄物から漏れ出した工業油が反発し合うのは当然でしょう」
「部長は産業廃棄物じゃないよ」
「ありがとうございます、エイミ。……エイミ? 今のはわざとですね?」
明星ヒマリと調月リオの間には解決し難い問題があるようだ。湧き水と工業油の反発は<特異現象捜査部>という部活を複雑なものにしている。
先生として、どちらかに肩入れするのは正しい事なのだろうか。それは違う気がする。私を使ってヒマリが自身の正しさを証明すれば──調月リオが正しいと証明されても──関係は更に悪化してしまう。
しかし調月リオが私の事を避けている以上、コンタクトは難しい。
ヒマリがこれだけ意識しているという事は、何らかの理由があると見て間違いないのだから、まずはそれを見極めなくてはならない。
今は<シャーレの先生>を全うするのだ。
「先生、そろそろ時間」
「ああ、そうだな。ヒマリもエイミも、これからよろしく頼む」
「こちらも有意義な時間でした。そう遠くない内に先生は自身のご幸運に感謝する事となるでしょう」
「今でも感謝している。……エイミ、行こう」
そう言うとエイミに手を取られる。体温がかなり高い。暑がりというか、特殊な体質なのだろうか。
こちらに手を振るヒマリに手をふりふりしながら、私は<特異現象捜査部>を後にした。
◇
エイミと別れた後にユウカからミレニアムを案内してもらい、オフィスに戻ってくる。<セミナー>の部長も、<ヴェリタス>の兼任部長も不在だと言われた。ハッカー集団の部室自体は見られたのだが、中には美少女の形をした物言わぬ物体が三つ転がっているだけで交流は叶わなかった。
『先生、何か届いているようですよ!』
「メール……じゃないのか」
私のデスクに実物の便箋が置かれている。オフィスビル内を徘徊している多目的ロボットが配達物をここまで届けてくれたようだ。
差出人を見る。
「奥空アヤネ……」
聞いた事が無い名前だった。
封筒を開き、中を確認する。収められているのは何枚かの手紙だ。
──今。私たちの学校は追いつめられています。
まず目に飛び込んできたのは、その文章だった。