先生「バキバキの記憶喪失」   作:地産地消

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第7話 お姫様

 ◆

 

 カタカタヘルメット団が壊滅した翌朝。黒見セリカは自室で目を覚ました。

 時刻は八時過ぎ。いつもなら大遅刻だが、今日は自由登校日だ。

 昨日の話では防衛システムだの鹵獲品の調査だのと話題が出ていた。しかし、それに参加する気にもなれない。そもそも予定がある。

 枕元のスマートフォンを取り、せめて奥空アヤネには連絡をしておこうか──そう考えていた時だった。

 着信が鳴る。びっくりしたせいで携帯が手の上で踊るが、なんとかキャッチ。応答した。

 

「……はい、もしもし」

『おはよー、セリカちゃん』

 

 相手は委員長の小鳥遊ホシノだった。朝からゆるゆるした声を聞いたせいで、気が緩む。

 

『早起きだね~』

「ホシノ先輩こそ、こんな時間に起きてるなんてヘンね」

 

 唯一の三年生でありながら小鳥遊ホシノは遅刻の常習犯だ。何事も適当で、面倒くさがり。いざという時は頼りになるものの、平時はダメダメな先輩である。

 いつもなら<対策委員会>の集合時間になっても空き教室で寝ているので、起こしにいくのがセリカの日課だ。そのホシノが、こんな時間から電話をかけてくるのはおかしい。

 要件は予想できた。

 

「……昨日の事でしょ」

『まあねー。一晩経って、頭も冷えてきた頃合いかなって思ってさ』

「別に。変わんないわよ。私は反対ってだけ」

 

 どうして、あの男が<対策委員会>に迎え入れられる流れになっているのかという点だ。物資を持ってきてもらったのは感謝している。カタカタヘルメット団の連中を撃退できたのも、あの大人のおかげだろう。それは認めざるを得ない。

 ぼーっとしていて馬鹿そうに見えても、作戦立案から戦術指揮まで完璧だった。なにせセリカ達は昨日一日であれだけ戦闘を重ねて、怪我の一つもしていないのだ。

 

 しかし、補給が済み、当面の危機を乗り越えた以上は五人で何とかできる。今までそうしてきたのだ。誰も助けてなどくれなかった。誰かが助けてくれると色々なところを駆けずり回ってきた。<連邦生徒会>も他の学区の生徒達も、校舎を訪れてさえくれなかった。

 それで痛いほど分かった。結局、最後まで頼れるのはアビドスの皆だけだと。

 

「結局、裏切られるんじゃないかってこと」

 

 <シャーレ>に救援要請をする際、事前にアビドス生全員でちゃんと会議をしている。セリカとホシノはひとまずの支援……物資の補給くらいまでしかしてくれないと踏んでいた。

 アヤネとノノミはそれ以上の関与。つまり<対策委員会>の”顧問”になるまでを望んでいる。そうなれば、<シャーレ>の支援を継続的に受ける事ができるし、他の自治区からの注目を集める事もできるからだ。来年からの新入生獲得を期待することも可能である。

 シロコだけは会ってみないと分からないと主張し、送った手紙には詳細をあえて書かずにする事となったのだ。

 

「もうガッカリしたくないの!」

 

 そして、あの大人がやってきた。初対面から死にかけていて、シロコにおんぶされていて、しかも記憶喪失。

 いつ死ぬか分からない相手を、頼りになど出来るはずがない。

 

『セリカちゃんの言いたい事も分かるけどね。おじさん達だけじゃ無理が来てたのも事実でしょー? それに<シャーレ>はまだ出来たばかりの組織だし、何をどこまでしてくれるか確認できる機会だと思うけどなー』

「それで、万が一アビドスが助かったら<シャーレ>の手柄になるんでしょ! そんなの……」

 

 嫌だ。

 しかし現状は<シャーレ>の力を借りる事のデメリットは無きに等しい。だからこそ怪しいのだ。

 

『先生が信用できない?』

「当然でしょ」

『ま、おじさんもねー。悪い大人に騙されたことあるし、本当は誰かを頼るとか気が全然進まないんだー』

「ホシノ先輩だって納得してないんじゃん」

『うへ、それはそうだよ~。でもそれは、おじさん達側の問題でしょ? 先生は今のところずっとアビドスの事を考えてくれてるように見えるよ』

 

 たった一日だけの付き合いだけどねー、とホシノは続けた。

 

「……まあね」

 

 手を貸してもらうメリットは計り知れない。

 あの先生が率いる組織は確かに、途方もない権力と莫大な予算を持っている。その力を使えばこの学校が抱える問題も解決できるかもしれない。

 それが納得できない。今まで自分達が死に物狂いで向き合ってきた問題は、”大人”がその気になればあっさりと解消する程度の事だったなんて認められない。

 

「アイツはなんて言ってたの」

『あ、気になるんだ──ちょ、ちょっと切らないでね? 先生はセリカちゃんが正しいって言ってたよ』

「は? なんで?」

『自分には安心させられる実績がないから~って』

「なにそれ。意味わかんない」

 

 半年間に渡って難航していたカタカタヘルメット団の対応が、昨日だけでほとんど終わったのに。失言をするより先に、もう少し自信を持った方が良い。

 

(……それも出来ないんだ)

 

 あの大人は無口だし、無表情だし、声にも抑揚がない。自信が無さそうで何かを思いつめていて、それなのに会ったばかりのセリカ達のために平気で死にかける。

 悩みがあるくせに、記憶喪失で大変なのに、それを口にも出さない。大人ぶっているのだ。イライラしてきた。

 

『あと、セリカちゃんが一番先生の事を心配してるね~ってシロコちゃんが』

「はあ!? 私が!? 絶っっっ対してないから!!」

『はいはい。ま、元気そうで良かったよ。みんな心配してたから』

「う……それは、ごめんなさい。感情的になっちゃって」

『良いんだよー。それと、先生が会いに行きたいって言ってたからセリカちゃんの家教えといたから。じゃあね~』

「…………?」

 

 通話が切れる。

 最後に何か言っていたようだが、理解するには少しの時間を要した。

 三〇秒後、セリカの絶叫が住宅地に木霊した。

 

 ◆

 

 出かける準備を整えて、家を出る。この辺りにアビドス生以外の人はいないため防犯の必要性も薄いが、戸締りは習慣になっていた。

 家の前の歩道に出る。アスファルトの地面にはうっすらと砂が広がっていて、靴の下がじゃりじゃりとした。アビドスではどこもこうだ。

 空は青く澄んでいて、電線には小鳥がとまってさえずっている。閑静が過ぎる住宅地もいつもどおり。

 そう、いつもどおりだ。

 

「…………」

「…………」

 

 電信柱の影からこちらを窺っている変質者以外は。

 <連邦生徒会>の所属を示す、丈の長い白い制服。癖のある黒い髪。度が入っていないらしい伊達眼鏡。不健康そうで能面のような無表情。他に類を見ない奇行の数々。間違いない。

 D.U.から来ている<シャーレの先生>だ。

 彼はセリカの事をじーっと見ている。

 

「……なに?」

「おはよう」

「…………」

 

 セリカが挨拶を返さずにいると、不審者はまた電信柱の影からこちらを観察し始めた。歩き始めると、一定の距離を保ちつつ追跡してくる。不審者を超えて犯罪者の領域に至ろうとしているようだ。

 何度か振り返り、セリカが睨みつけるも相手は怯まない。点滴が外れて気が大きくなっているらしい。上等だった。

 

「だから、なに?」

「挨拶はどうした」

「おはよう! これでいい!?」

「上出来だ」

「む、むかつく……!」

 

 犯罪者はこくりと頷き、こちらに近寄ってくる。セリカは警戒したが、相手は五メートルほどのところで止まった。

 

「こっちは校舎に向かう方角じゃない。何か理由があるのか」

「は? あんたに関係あるの?」

「敵の前線基地を潰したとはいえ、まだ指揮官クラスは残っている。相手がどう動くか分からない以上、単独行動は危険だ」

「うっさい!」

「せめて、<対策委員会>の誰かには行き先と時間を伝えるべきだ。心配をかけたくないのなら、なおさらな」

「……昨日来たばかりで、もう先生気取り? 言っとくけど、私は認めてないから!」

「わかった」

 

 別に言う事を聞く義理はない。いや、本当はあるのだが、セリカの負けず嫌いがこの大人に発動していた。反抗心というか、とにかく困らせたくなる。それは甘えなのかもしれないが、今のセリカには認識できていなかった。

 しかし相手はセリカの様子に怒るわけでも、面倒くさがるわけでもなく、真摯に頷いた。こちらはただ駄々をこねているだけなのに……大人の余裕というやつか。

 

「ていうか、良く昨日の今日で私の所に来たわね。普通は嫌じゃないの」

「嫌ではない。否定肯定関係なく、生徒からの言葉は全て私には必要なものだ。背を向けるわけにはいかない」

「…………。それで、私に罵ってもらいたいからって朝っぱらから家の前まで張り込んでたんだ?」

「そういうことになるな」

「馬鹿じゃないの!? 変態! ストーカー!」

「その調子だ」

 

 セリカは砂埃をあげてダッシュしたが、犯罪者は追跡してくる。何気に足が速くてむかついた。セリカ側が食事を抜いている上に、疲労が溜まっていてオマケに寝不足というのもあり、なかなか引き離す事ができない。

 土地勘を利用して撒こうと思うも、変態教師はそのたびに先回りをしてきた。

 数キロ全力疾走をして、足を止める。認めがたい事実だが、スタミナが先に尽きたのはセリカの方だった。

 

「本調子ではないようだ。観念して今日の予定を話した方が良い」

「ぐぬぬ…………!」

「これ以上の抵抗を続けるようなら、シロコとノノミを呼ぶことになる。それでもいいのか」

「ぐぬぬぬぬ……!」

 

 二年生組である砂狼シロコはアビドス一の体力バカだった。

 セリカも運動には自信があるが、毎日朝夕に数十キロのランニングをこなし、休日にはその十倍の距離をロードバイクですいすい走っている先輩に勝てるとは思っていない。とてもではないが、振り切る事は無理である。

 もう一人の十六夜ノノミはもっとマズい。底抜けに優しいし、弱みを山ほど握られているし、餌付けもされている。接近を許したら抱き着かれ、頭を撫でられてしまうだろう。そうなればセリカは絆されて一切の抵抗が出来なくなる。アビドス生は彼女にだけは絶対に頭が上がらない。

 

「卑怯よ!」

「大人とはそういうものだ」

「ダメ人間!」

「それはもう言われ慣れている」

 

 セリカの語彙ではこの犯罪者の心を折る事は無理そうだった。しかし追跡を躱すことは困難で、助けを呼ばれたら終わりと来ている。

 

「バイトよ、バイト! 夕方のシフトが終わって、学校にはそっから顔出すつもりなの! わかった!?」

「わかった。良く言ってくれたな」

「無理やり言わせたんでしょうが! もう行くからね! バカ大人! 転んじゃえ!」

 

 心なしか勝ち誇っている犯罪者にありったけ言ってから、セリカは掛け持ちしているアルバイトへと向かった。

 

 ◇

 

 黒見セリカを追いかけ回して口を割らせた私はホクホク顔でアビドス校舎に戻ったが、待ち構えていた奥空アヤネにガチ説教をされて心を折られる事となった。

 なんでも私のバイタル状態が危険域だったらしい。にもかかわらず、昨日からまともな食事をしていない。しかも早寝早起きだという黒見セリカへのストーキングのために朝四時から張り込んでいたのだ。

 そうだ。そろそろマズい。

 三日三晩の遭難とアビドス到着で忙しかったために後回しとなっていたが、私の生活は<シャーレ>構成員によって監視されている。

 守月スズミと早瀬ユウカからも疑念のこもったモモトークが送られてきていた。ユウカはともかく、スズミにまでガチ説教を食らったら私の精神と社会性がもたない。本当にダメ人間という事にされてしまう。

 しかしながら、この周辺には領収証を発行してくれる店も皆無だ。

 

 シロコとノノミは普通に登校してきて、正座を強要されたせいで歩行機能に障害が出た私を心配してくれるもアヤネによって健康状態を暴露され、その場の全員から食事を強要される事となる。

 私自身がもってきた支給品には保存性の高い食品も含まれていた。

 十六夜ノノミはそこからレーションの粥を作ってくれたのだが、それはあくまでアビドスのものだと私は抗弁し、結果として四肢を拘束された状態での食事を強要される事となった。

 今は午後一時を回ったところだ。

 

「ん、先生のお世話は大変」

「そうですね~。あそこまで抵抗してくるとは思いませんでした」

「カタカタヘルメット団相手に三日三晩潜伏して粘ったという話を聞いていなければ、危ない所でしたね」

 

 一度は追跡を振り切り、追手を撒いたと思ったのだが、シロコによる『お粥はもう食べた』というモモトークに騙された私は取り押さえられたのだ。

 キヴォトスに生息している彼女達は凄まじい力を誇り、組み合えばまず勝てない。ヒグマと力比べをするようなものだった。しかもトークアプリを用いた情報戦までおこなってくるとは手に負えない。

 アヤネからの扱いも大分雑になってきている。疲れた顔の彼女から尋ねられた。

 

「毎回これをやるつもりですか?」

「わかった、こうしよう。私がアビドスから糧食を買い取るんだ。領収証を発行してくれれば文句を言わない。高額で売ってもらえば借金返済にも繋がるし、これが一番いい」

「駄目です」

「理由をきかせてもらおうか」

「あのですね、先生。あの食糧は先生から持ってきてもらった物で、それを先生に売るというのがまず意味不明です。顧問として協力してもらっている方に、そんなマッチポンプのような事はできません」

「わかった。なら、私が狩りをして自給自足をするというのはどうだろう」

「……シロコ先輩」

「ん、次からは前触れなく気絶させるから手間は減ると思う」

「なんだと。毎日やるつもりか」

「一日三回、きっちりやる」

 

 砂狼シロコからは本当にやりかねない凄みを感じた。いや、間違いなくするだろう。

 どうして到着二日目から拘束され、犯行予告までされる事態になっているのか理解できない。そんなこんなで美少女たちから生活態度を改めるよう説得されていると、アビドス唯一の三年生がやってきた。

 

「なんかすっごいドタバタしてたけど、どしたのー?」

「あ、ホシノ先輩。先生にご飯を食べさせようとしていたんですが、拘束するのに時間がかかってしまって……」

「うへー。どういうこと?」

「ホシノ。早朝にセリカと話をして、夕方のバイトを終えてから登校すると言われた。報告しておく」

「う、うん……」

 

 全身を簀巻きにされ、机の上に寝かされている私を見たホシノは混乱しているようだった。

 それからセリカ以外のメンバーで今日の予定を打ち合わせていく。

 シロコとノノミで鹵獲品の調査をおこなった事、アヤネと私で防衛システムの復旧の目途をつけた事。

 

「鹵獲車両のパーツについてですが、一般には流通していない物が使用されていました」

「精度や強度を満たす正規品じゃなかったってことだ。ブラックマーケットかな?」

「その可能性が高いと思われます。カタカタヘルメット団の”依頼主”もブラックマーケット経由だったという話ですし、ほとんど確定かと」

 

 アヤネからちらりと視線を向けられた私は口を開く。

 

「以前にあったサンクトゥムタワー機能停止に伴う、違法兵器の流通には<カイザー・コーポレーション>が関わっているという話がある。トリニティとゲヘナがメインだったらしい」

 

 これは今朝の時点で<正義実現委員会>の羽川ハスミと<ゲヘナ風紀委員会>の火宮チナツからも同様の話を聞いている。確証こそないが、ほとんど同じタイミングで違法兵器の流通が確認されていた。

 

「アビドスが借金をしているのは<カイザー・ローン>っていう関係会社。この間も集金に来た」

「集金。現金輸送車か」

「そう。毎月来る」

「だが、昨日までカタカタヘルメット団がここの周辺を固めていたんだろう。私も襲われた。現金輸送車は狙われないのか」

 

 <カイザー・コーポレーション>のロゴがあったからカタカタヘルメット団は避けたのだろうか。

 そう疑問に思ったが、どうしてかアビドス生の表情は硬くなっていた。

 

「た、確かに……」

「毎月来るのが当然だから、疑問に思いませんでした」

「先生ってやっぱ、たまに鋭いよねー」

「あ、怪しくなってきました! じゃあカタカタヘルメット団と<カイザー・コーポレーション>は関係がある……!?」

 

 債権者がならず者をけしかけて、債務者を襲う。珍しい話だ。

 しかもアビドスの衰退は数十年前から続いている事だ。借金もそれに近い期間の関係である。仮に債権者が黒幕だったとして、どうして今になって襲撃を手引きするのだろうか。

 いずれにせよ、まだ<カイザー・コーポレーション>が黒幕だという証拠はない。毎月の返済をどうして現金回収に限定しているのか、どうしてカタカタヘルメット団から襲われていないのかは不明だが、まだクロと決まったわけではないのだ。

 しかし、調査をするべきだとは思う。天災云々は置いておくとしても、武装集団を雇用していた者は放置できない。

 浮足立つメンバーに、委員長がパンと手を叩く。

 

「みんな、とりあえず落ち着こう? 黒幕を調べるのはまた今度。セリカちゃんが戻ってきてから。今日やることは終わってないんだからさー」

「ほ、ホシノ先輩が委員長っぽい事を……」

「遅刻もしませんでしたし……」

「欠伸もしない、ヘン」

「うへー。おじさんも傷つくんだけどなー」

 

 ホシノ委員長の言う通り、今日は鹵獲品の売却見積もりと防衛システムの復旧作業が残っている。数時間で終わるだろうが、後回しには出来ない仕事だ。

 

「じゃ、みんな取り掛かろー。夕方から予定もあるしねー」

 

 閉会する。

 他のメンバーがぞろぞろと退室していく中で、ホシノだけが引き返してきた。

 

「先生さ、セリカちゃんと話したんでしょ?」

「ああ」

「怒ってなかった?」

「常に怒ってはいたと思う」

「ふーん」

 

 どうしてかニヤニヤし始める。

 

「どうした」

「いやいや。ま、楽しみにしといてよー。今日はご馳走だから」

「…………」

 

 言葉の意味が分からず、私は首を傾げた。ホシノは料理が出来るのだろうか。出来るとして、それをどうしてこのタイミングで言ってくるのだろう。

 

「ホシノ」

「ん? なに?」

「縄を切ってくれると助かる」

「……これは貸しだからね」

 

 ようやく拘束が解かれた私は机から降り、久しぶりに二足歩行を楽しむ事ができた。

 なぜかホシノは私の所持金を確認してきたが、その時は気にしていなかった。

 

 ◇

 

 本日の仕事が終わり、時刻は午後の四時を回ろうとしているところだ。

 私は用事があると<対策委員会>のメンバーに連れ出され、アビドス自治区の郊外にある市街地にやってきていた。

 ここは商店街なども並び、人通りも多い。普通の街くらいの活気はある。流石に全区域がゴーストタウンというわけではないのだろう。私は安心した。

 

「先生、こっち」

 

 シロコに手を引かれ、ある飲食店に辿り着く。<柴関ラーメン>と書かれている通り、個人経営のラーメン屋のようだ。

 店舗は年季が入っている木造建築だ。歴史を感じさせる暖簾に、換気扇からは湯気と食欲を刺激する香りが漂ってくる。

 先にホシノとノノミが店内に入っていき、直後に聞きなれた声がこちらまで響いてきた。

 

『ちょ、なんで先輩たちがここに!?』

「セリカの声だ」

「そう。ここはセリカのバイト先」

「……みんな知っているのか」

「セリカは隠してるけど、みんな知ってる」

「どうして隠しているのかは考えてみたのか」

「ん、こうして突撃されるからに決まってるね」

「分かってるなら良い」

 

 <対策委員会>のメンバーは全員で協力して借金を返済している。方法については色々とあり、放棄されたアビドス校舎群を探検して金目の物を探したり、指名手配犯を捕らえたり、全員でアルバイトをしたりと様々なようだ。

 

「セリカちゃんは一人でアルバイトをしたお金を、アビドスに寄付してくれているんです。それも匿名で」

「匿名なのに知られているんだな」

「隠し事が苦手な子なので……」

 

 アヤネは困ったようにあははと笑うが、どこか誇らしそうだ。

 個人で稼いだ金まで学校の借金返済に充てているのは健全と言い難いが、しかしそれがアビドスの強さなのだろう。温かい空気になるも、それをつんざくように店内からは怒声が聞こえてくる。

 

『なんで分かったの!?』

『うへー、我ら<対策委員会>に隠し事は無しだよー』

『セリカちゃん、制服がとっても似合っていますね!』

『二人とも帰って! いますぐ帰って!』

 

 明らかに歓迎されていない。しかし、シロコとアヤネが手を引いてきた。

 

「さ、行きましょう先生!」

「話し声が聞こえなかったのか」

「……? 聞こえたけど」

「正気か。追い出されるぞ」

 

 私は今朝からセリカに粘着行為を働いているのだ。

 あれは一日に許されるギリギリの粘着であり、それを超えれば刑事事件になる恐れがある。

 私には裁判になったら負けるという強い自信があった。D.U.から出た途端に、被告として扱われる人間を先生と呼ばなければならないキヴォトスの生徒達の気持ちを考えると、この暖簾を潜るのは得策とは思えない。

 残念ながら、力では絶対に敵わない。私は店内に引きずり込まれた。

 

「ほら、みんないるよー?」

「ストーカーまでいるじゃん!?」

「お待たせ」

「待ってないから! 今すぐ帰んないとぶっ飛ばすわよ!」

 

 ぶっ飛ばされるくらいならまだ良いほどだった。だが、ここには<対策委員会>の他メンバーもいる。ストーカーが入店して来ようが、強気には出られないはず。土下座ならセリカが訴訟をちらつかせてきてからすれば良い。

 そう考えた私はすっかり強気になった。

 

「あれー? セリカちゃーん、そんなこと言って良いのかなー? おじさん達はお客様なんだよー?」

「ぐぬぬ……朝はちょっとだけまともな先輩かと思ったのに……」

「さ、席へ案内してくださーい☆」

「ノノミ先輩まで……」

「ほら、もっと愛想よくねー? さっきの笑顔でよろしくぅー」

「こ、こちらへどうぞ……!」

 

 明らかにマジギレしているセリカは、それでもプロ意識だろう。パッと笑顔になる。あれだけ言った後でも取り繕えるのは見上げた精神だ。バイト先を隠していた彼女の判断も正しかったと言わざるを得ない。

 ビキビキ店員さんから案内されたのはテーブル席だった。既にホシノとノノミの主犯コンビは着席しており、さらにシロコとアヤネもテーブルを挟んだ対面の席へ座ってしまう。

 カウンター席が空いているので、そちらへ行こうとすると、ノノミが言ってきた。

 

「先生、こっちへどうぞ!」

「いや……」

 

 三人掛けはやや窮屈だ。幸い店内はまだ空いている時間だから、私が他の席へ行こうがセリカがキレ散らかそうがそこまで迷惑にはならない。

 シロコも隣をポンポンしながら、

 

「先生、ここも空いてる」

「…………」

 

 突然、究極の選択が始まった。

 ノノミとシロコはテーブルを挟んで対面の席に座っている。つまり、隣に座るのであればどちらかを選ぶか私が何かしらの手段で分裂するしかない。

 生徒を選ぶことなど出来ないので、残る選択肢は分裂のみとなる。

 後ろからコップと水を入れた容器、メニュー表を持ったセリカがやってきて、怪訝な顔をする。

 

「そんなとこで突っ立ってなにしてん……だ、大丈夫? 汗だくだし、顔が真っ青だけど……」

 

 いや、待て。

 

「座るなら……わ、私は床でいい」

「良いわけないでしょ! なに言ってんの!?」

「なら、セリカ。刃物を貸してもらいたい。分裂を試みる」

「もう帰って」

 

 バイトさんが怒りの向こう側へいったような表情になる。追い込まれた私を見て笑っていたホシノが、

 

「もー、先生は本当に手がかかるねー。はい、みんな起立して。先生がそっちのソファの真ん中に座れば、二人が両隣に行けるでしょ」

「さすが委員長だな」

「気にしないでー。良いもの見れたし」

「…………」

 

 今の言動から、小鳥遊ホシノ委員長に愉快犯の可能性が浮上してきた。これ以上騒げばセリカが本気で怒りそうだったのもあるのだろう。疑ってはいけない。

 両隣に美少女を侍らせる事になった私に、水の配膳をしているセリカが冷たい視線を向けてくる。

 

「楽しそうで良いわね」

「ああ。強い幸せを感じる」

「ばーかっ」

「店員から暴言を吐かれた。この事は口コミサイトに書く」

 

 睨まれるが、今の私はホシノの力で危機を乗り越えた直後であり、気が大きくなっている。まるで効かない。

 

「注文は決まった?」

「あれー?」

「……ご注文がお決まりでしたら、承ります!」

「わあ、凄い笑顔です! さすがセリカちゃん!」

「凄い青筋だ。血圧が数倍まで上昇している」

 

 このままだとセリカが物理的に爆発しかねない。そうなればアビドスは終わりだ。

 私はメニュー表を開きながら<対策委員会>のメンバーに尋ねた。

 

「皆はここに来た事があるのか」

「ほとんど常連ですね」

「注文するのも決まってる」

 

 初見に厳しいらしいアビドス生は次々に注文を述べていく。私は取り残され、また焦ることになった、

 醤油、塩に豚骨と主要なフレーバーは網羅されている。味噌に関しては通常と特製の二種類が存在していた。

 トッピングは炙りチャーシューに味付け卵、岩海苔、メンマ、ほうれん草、炒め野菜、コーン、バター、と多彩であり、複数を一度に楽しめる”柴関盛り”なる物も用意されていた。おつまみにもなるとの事だ。

 メニュー表には料理の写真も添付されていて、なかなかのボリュームがある事がわかる。

 迷うまでもなく、大切な事はすぐにわかった。

 

「そうか……ラーメンを食べた事がないから決められないんだ。店員さんのオススメを聞きたい」

「看板メニューの柴関ラーメンがオススメよ。量も多いし、安くて美味しいって評判」

「ふむ……ため口、と」

「教えてあげてんでしょ! 文句言うな! 口コミも禁止!」

「では、柴関ラーメンと柴関盛りを頼む。あと領収証の発行も」

「かしこまりました!」

 

 営業スマイルのビキビキセリカが去っていく。明らかに疲労しているのが見て取れた。

 私はノノミとシロコに両側から圧迫されながら店内を見渡した。もっとギトギトしたイメージがあったもの、中は清潔で明るく、温かみがあって居心地が良い。

 それぞれのテーブルには調味料や割りばし、ティッシュ箱が綺麗に備え付けられているし、カウンター席の上側にはメニューと金額の描かれた札が整列している。

 調度品も主張をしすぎず、店内に備え付けられたテレビには報道学校が夕方のニュース番組を放送していた。

 

「…………」

 

 完成された調和というのだろうか。そういったものを感じる。

 キヴォトスに来て、初めてリラックスできた思いだ。面白がったアビドス二年生組がサイドから体を押し付けてこなければ、もっと安寧を享受できたに違いない。

 少しして注文の品が到着する。

 いただきますをしてから、

 

「先生。まずはスープから」

 

 全員が自分の食事に手を付けず、私の様子を観察していた。謎のプレッシャーを受けつつレンゲを取り、それをスープの中に沈める。

 柴関ラーメンは鶏ガラで出汁を取っているようだ。琥珀色に透き通ったスープには鶏油が鮮やかに浮いている。湯気が立ち上る液体を慎重に口へと運び、そして確信した。

 

「これは……美食だ」

 

 塩や味噌の名を冠する他のスープは恐らく、それに相応しい主張があるはずだ。しかし、代わりに店の名前を持つこの料理は、塩分や油の濃度という点では見劣りするかもしれない。

 だが、それは全く問題にならない。鶏ガラだけではない。昆布や海鮮系を始めとして、他に複数の端材から出汁を取っているようだ。舌から食道を通り、胃へ到達するまで幸福感が続いている。

 麺へと手を伸ばす。これも間違いなく美食。

 自家製と銘打たれた一品はスープを纏うことで完成している。確かなコシと、小麦の旨味が濃縮されていて、噛んでいて楽しい。

 

「美味しい?」

「ああ。生き返るようだ」

 

 ラーメンという料理は大衆料理の代表だが、ここまで繊細な味わいを届けてくれるものだったのか。

 しかも、この看板メニューはたった五八〇円で楽しめる。

 

「空腹は最大の調味料と言いますからね」

「アヤネ、眼鏡が曇っているぞ」

「先生もですよ」

 

 他の面々も食事を楽しんでいるようだ。

 カタカタヘルメット団からの襲撃が深刻化していたせいで、こういった息抜きも出来なかったのだろう。セリカのアルバイトがバレていなかったという事は、それだけの期間ここに来れていなかったと推測できる。

 少しは役に立てているのだろうか。そんな事を考えていると、

 

「はい、これ」

 

 優し気な表情をしたホシノが伝票の挟まれたクリップボードを差し出してくる。払えという事だろう。特に疑問も無くそれを受け取る。

 

「いいの?」

「いいよ」

「じゃあ柴関盛りも注文しちゃおーっと」

 

 私の注文した柴関盛りはアビドス生達が当然のように搔っ攫っている。早い者勝ちだと言われたが、意味はよく分からなかった。

 

「ホシノ先輩、行儀が悪いですよ」

 

 私の味付け卵を食べたノノミが注意をしている。

 

「そうです。いくら先生が大人だからって、アビドスのお客さんでもあるんですからね」

 

 私のチャーシューを食べたアヤネも後に続く。

 

「シロコちゃんもおかわり頼む?」

「もちろん」

 

 私の刻みネギとメンマ、ほうれん草と焼きのりを平らげたシロコがしっかりと頷く。罪悪感等は特にないらしい。美少女たちはキャッキャッと楽しんでいる。深刻な治安の悪化を表す光景だった。

 

「先生も何か頼みますか」

「じゃあ、おかわりと柴関盛りを」

「やったー!」

 

 どうして喜ばれるのか分からない。

 しかし、頼めば頼むほど領収証の内容は充実する。これだけの美食を堪能でき、アビドス生の腹を満たし、さらに食事内容の報告ノルマまで達成できるのだから、ここは天国という他なかった。

 

「セリカちゃーん。注文おねがーい!」

 

 ◆

 

「ほんと、最悪……」

 

 柴関ラーメンの控え室で着替えをしながら黒見セリカは呟いた。いつかはバレると思っていたアルバイトが最悪なタイミングで発覚してしまったせいだ。

 <対策委員会>の面子は憩いの場へ久しぶりに来れたせいか、それともあの変態教師が同席したせいか、非常に厄介な客と化していた。一人が二回はおかわりをし、なんとかして変な大人に自分が勧めるラーメンを食べさせようと画策し、その度にセリカは巻き込まれる。

 

 なんでも、あのダメ人間は自分では食事すらまともに摂れないらしい。しかも食べさせようとすると全力で抵抗するそうで、普段は真面目なアヤネでさえ悪乗りに参加していた。

 会計まで全て、あの大人持ち。本人は領収証を貰って喜ぶ変質者だが、それを受け入れているのは<対策委員会>のメンバー達だ。あんな形で借りまで作って、気を許すにもほどがある。

 

「皆してチヤホヤしちゃってさ」

 

 服をたたみ、従業員用通路を通って厨房の脇へと出た。アルバイトの時間が終わったので、退勤手続きをする。

 

「大将、時間だから帰りまーす。お疲れ様でした」

「お、セリカちゃん。今日もありがとな」

 

 柴関ラーメンの主が厨房から出てきて礼を言ってくれる。柴大将だ。

 その名の通り、二足歩行をする柴犬のような風貌で、頭にはタオルを巻き、左目付近には十字の切り傷がある。

 気の良い人で、とても優しい。あの変な奴よりもよほど”大人”という表現が相応しい人格者だった。

 

「腹減ってるだろ? ちょっと待っててくれ。すぐ作るから」

 

 しかも勤務後はまかない飯まで作ってくれる。これがかなり美味しい。しばらく食事を抜いているセリカの腹が、くうと鳴いた。

 とても魅力的な提案だ。ここが職場でなかったら涎を垂らしていたかもしれない。これからアビドス校舎に向かう用事があるから、あまりゆっくりしてはいられない。

 でも、皆はお腹いっぱい食べたのだ。どうして自分だけ仲間外れにされなければならないのか。

 

「じゃあ──」

「あの先生って人から、セリカちゃんの分までお代もらったんだ」

「──え」

「とんでもない変態って聞いたが、良い人じゃねえか」

 

 あんまり邪険にするもんじゃないぜ、そう柴大将は続けた。

 そういえば会計の時、二人で何かを話していたような気がする。他のメンバーの姿は無かったから、誰かの差し金とは考えにくい。

 それになにより、そういう事をしそうだという印象がある。

 黙って、気を利かせて、スマートに。大人の手口だ。

 

「…………」

「野菜ラーメンの中盛りに、チャーシュートッピングな」

 

 セリカのオーダーまで把握されていた。あの四人から聞いていたようだ。

 

「なんなの……!」

 

 機嫌を取ろうという考えはないだろう。他のメンバーの食事代を支払ったのだから、そこに自然とセリカも入れているだけだ。

 あの大人は、誰かに取り入ろうとしたりしてこない。異常な言動が目立つが、自然体なのだ。だからシロコを始めとするメンバーに懐かれている。

 

(私は、違うから)

 

 ぐ、と握った拳に力を込める。そして調理を始めようとする柴大将に告げた。

 

「あの、大将。これから用事があるから……また今度にしたいんだけど」

「ん? そうか。なら仕方ないか」

「……ごめんなさい」

「謝ることないさ。また明日、よろしく頼むぜ」

 

 こちらの考えは読まれていないだろう。雇い主は気持ちよくセリカを送り出してくれた。

 つまらない意地を張って、嘘をついて、問題を先送りにした。あの大人も、柴大将も悪くない。彼らは正しくて、悪いのはこちらだ。

 それが分かっているのに認められないから、”子供”なのだろう。

 そう思うとイライラしてきた。

 暗くなってきた市街地を進み、大きく息を吐く。

 

「決めた! 後で会ったら文句言う! 言いまくる!」

 

 正しいかどうかは関係ない。

 自分の思っている事を正直にぶつける。子供のようでも構わない。こうしてらしくも無い事をしてグジグジするよりは、いつも通り正々堂々とやる方がずっと良い。

 そう決めたら体が軽くなったような気がした。

 薄暗い物陰から、数人の女生徒が現れる。

 

「……黒見セリカだな?」

 

 そう訊ねられた。

 その日のアビドス校舎に、セリカが現れることはなかった。

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