いつまで経ってもメンバーが揃わない。
時刻は夜の八時を回っていた。集合時間から一時間ほど過ぎ、お泊り会の準備をしていた<対策委員会>のメンバーもおかしいと思い始める。
通話を終えた奥空アヤネが青ざめた表情で、
「セリカちゃん、定時にバイト先を出ているそうです。でも、どこか様子がおかしかったって……」
「私たちがお邪魔したから、怒っちゃったんでしょうか……」
「それは無いと思う。先生にさんざん柴関の自慢してたし、怒ってるなら直接言ってくるはず。黙ってどこかへ行ったりしない」
「そうですよね。やっぱり何かあったんでしょうか」
「……柴大将は他に何か言っていなかったのか」
「それが……少し離れたところで銃声や爆発音がしたそうです」
私の常識だと銃声や爆発音がしたら即通報だが、このキヴォトスだと荒事が跋扈しすぎて日常に組み込まれてしまっている。周辺住民はおかしいとも思わないのだろう。
黒見セリカはあれだけ真面目な生徒だ。無断で一時間も遅刻することはありえず、なにかしらのトラブルに巻き込まれたと考える方が自然だ。
問題は、巻き込まれたのが事故なのか事件なのかという事だろう。戦闘の音が同時刻にあったというのなら、恐らくは後者の可能性が高い。
「……ホシノ」
「うん。おじさんとアヤネちゃん、先生でセリカちゃんの痕跡を探してみるよ。ノノミちゃんとシロコちゃんはすぐに出撃できるよう準備をお願い」
こういう時、てきぱきと道筋を用意できるのは流石の最上級生だ。二手に分かれて仕事を始める。
「柴関の近くは防衛システムの範囲外だったな」
「そうですね。あくまでこの校舎を守るためのものなので……」
「わかった。二人はアビドス内の情報を探してくれ。私は<連邦生徒会>経由で捜索する」
「わ、わかりました!」
「お願いね、先生」
キヴォトスの中心にそびえるサンクトゥムタワーは極めて巨大なオーパーツであり、それ自体が強力な情報処理機能を有している。学園都市全域で飛び交う通信は全てここを経由し、また半径数千キロのライブ情報を”見渡す”事ができるのだ。
ミレニアムの明星ヒマリが使用したセントラル・ネットワークがこれだ。アクセスすれば、文字通りキヴォトスの全貌を把握することすら可能だった。
無論、使用は厳しく制限されている。悪用すれば盗聴や盗撮がし放題になる。プライバシーを始めとする人権の著しい侵害となり、このセントラル・ネットワークは法的証拠にすることも出来ない。
これらは全て連邦生徒会規則に定められていた。
「アロナ」
『はい、先生のアロナです!』
「セントラル・ネットワークにアクセスしてくれ」
『お任せください! 膨大な処理が入りますが、私ならちょちょいのちょいですよ!』
学園都市中の情報が集積している回線を閲覧するには、見る側にも相応の設備が必要とされる。生半可なサーバーでは負荷に耐えきれず破損するし、検索エンジン等も無いから目当ての物を探し当てるのも苦労する。荒れ狂う嵐に単身で飛び込むようなもので、その規模こそが最大のセキュリティとされているくらいだ。
ここに誰にも気づかれず侵入して、目的を果たしたヒマリはまさしく最強のハッカーなのだろう。
本来なら、携行できる電子機器では触る事すらできない情報の集合体。
しかしこちらにはスーパーアロナがいる。
『見つけました! アビドス校舎から北東へ四〇キロの地点を不審車両が移動中です!』
”シッテムの箱”に表示された映像には黒塗りの軽装甲車が映し出されている。並走しているのは対空砲を装備した大型の戦車だ。
その痕跡を逆再生で辿ると、気絶したセリカが軽装甲車に担ぎ込まれたところまでたどり着き、犯人が分かった。
赤いヘルメットを装着した女生徒に指揮をされた武装集団。
昨日壊滅したばかりのカタカタヘルメット団だ。
前線基地を潰された腹いせにセリカを誘拐したのだろう。正面からでは勝てないから、人質作戦に切り替えたらしい。
やはり柴関ラーメンの付近で黒見セリカを襲撃している。待ち伏せからの包囲射撃。トドメに砲撃までする徹底ぶりだ。
「……なるほどな」
頭の奥で、撃鉄が起こるような音がした。
教室に戻り、ホシノとアヤネに報告する。すぐさま救出作戦が実行に移された。
◆
くぐもった怒鳴り声に導かれて、黒見セリカは目を覚ました。不規則な揺れと真っ暗な密室。
全身に鈍痛がある。出血こそないが、打撲まみれなのだろう。思考は朦朧として、とてもではないがハッキリとしない。
体は頑丈なバンドで拘束されている。身じろぎくらいしか出来なかった。
(なにがあったんだっけ……)
朝はホシノから電話があって、変質者がストーキングをしてきて、地域の清掃バイトをして、ビラ配りをして……確かその後に、柴関ラーメンのシフトに入ったはずだ。そこへ<対策委員会>のメンバーが乗り込んできた。アヤネまで悪ノリに参加していて、でも久しぶりに、本当に明るい雰囲気で皆が笑っていた。
それにイライラして、店を出て、それから──
「あ、あいつら……っ!」
そうだ。アビドス校舎へ向かう所でヘルメット団からの襲撃を受けた。気づいた時には包囲されており、セリカは十字砲火を受けた。一〇人弱を倒したところで体力が尽き、そこへ大口径対空砲の直撃を食らったのだ。
頭がはっきりとしてくる。
倒れた自分は敵によって拉致され、今はどこかへ移送されている。危機感が爆発的に膨れ上がった。
「この、出せー!」
残された力を振り絞って暴れる。寝不足でしばらく食事も摂っておらず、しかも散々痛めつけられた後だ。本調子とは程遠く、暗い荷台の中を転げ回ったせいでまたあちこちを擦りむいた。
拘束具も周りの壁も、びくともしない。ぶつかった感触で壊せるはずがないと理解したし、どれだけ叫んでも届かない事もわかってしまった。
セリカが拉致されたと知れば、<対策委員会>の面々は間を置かずに出撃してくるだろう。
しかし、それは何時になる? バイト終わりにメンバーが現れなければ、そこで異変には気づくかもしれない。そこからバイト先に連絡をして、事件があったと気づき、捜索が開始される。
カタカタヘルメット団が再襲撃をしてきたと判明するまで、かなりかかるだろう。そこから足取りを追って、セリカの場所を特定するまでの時間は──きっと一週間以上だ。
アビドスの自治区は無駄に広く、通信網も壊滅状態になっている。他の学区ならあるだろう防犯カメラなどもない。目撃者になるような住民もいない。あの大人が遭難したように地形情報も長らく更新されていない。
あの五人だけで、ここまで到達できる可能性が限りなく低いという事くらい、セリカにも簡単に分かった。
「…………」
そこまで考えたところで、暴れる気力さえ消え去っていく。
絶望的な状況だ。もう助からない。二度とあの学校には帰れない。こうして生かされているという事は、人質目的なのかもしれない。アビドスに金が無い事くらいカタカタヘルメット団も知っているだろうから、セリカを開放する対価は最後に残されたあの校舎になる。<対策委員会>はその条件を呑むだろう。
校舎を失えば、自治区を構成する要件を満たせなくなり<アビドス高等学校>は自動的に廃校となるのだ。
だから、最後まで喧嘩したまま、謝ることも謝ってもらうこともなく、このまま終わりになる。
「……うぅ」
涙を堪える事が出来なかった。手足を縛られているせいで、零れ落ちる雫を拭うこともできない。
残された四人の居場所を奪ってしまう。今まで頑張ってきたのに、何も報われなかった。
新入生であるアヤネとセリカがこれまでやってこれたのは、上級生たちが大好きだったからだ。彼女達がしていた事だから、全力で手伝いたいと思った。どれだけ厳しい生活でも、どれだけ状況が悪化していっても、皆と一緒にいたいと思う気持ちに勝るものではなかったのだ。
それを、自分が終わりにしてしまう。台無しにしてしまう。セリカより長く在籍しているノノミやシロコの努力を無駄にしてしまう。三年生のホシノは更に長い。一番辛い時期を一人で乗り切ったのは彼女だ。
同級生のアヤネだってそうである。アビドスのために医療やドローン操作、配管や電気の修繕工事の勉強まで独力でやっている親友に、報いる事が出来なかった。
(そんな事になるくらいなら……)
気力が燃え上がってくる。
人質になるくらいだったら、最後まで全力で抵抗してやろう。拘束しておけないと分かれば、カタカタヘルメット団もセリカをそのままにはしておけない。もしかしたら殺されてしまうかもしれないが、アビドスを終わらせるくらいならそちらの方が遥かに良い。
自分でも拍子抜けするくらい、命を使う覚悟はすんなりと決まった。そう出来る自分の事を、セリカは少しだけ誇りに思うことが出来た。
頭が冷静になってきたところで、先ほどから断続的に聞こえる怒鳴り声に意識が向いた。
たぶん運転席からだろう。セリカがいるのは荷台のコンテナだ。声のする方へ苦労して移動し、冷たい壁に耳を当てた。目覚めた時と比べて、運転が酷く荒くなっている。それでもなんとか耳を澄ました。
『なんで狙撃されてる!?』
『分かるわけないだろ! 逆に待ち伏せされてたんだぞ! 発信機でも付いてたとか……』
『ボディチェックは!?』
『あたしじゃない! 他の奴がやった! 質問ばかりしてないで運転に集中しろ!』
すぐ近くで爆音が響いた。運転席の連中が悲惨な声をあげる。
『またやられた!』
『早すぎる! まだ攫ってから二時間しか経っていないのに!』
『……!? ミサイル接近! ミサイル接近!』
絶叫の直後。
全身を殴りつけられるような酷い衝撃がセリカを襲った。数秒に渡る浮遊感のあと、車体そのものが地面に叩きつけられたようだ。コンテナの中は子供が遊びで振り回す虫かごのようになった。中のセリカは芋虫同然の状態なので、酷いことになる。
『トラック横転! 人質を回収しろ!』
『相手には戦車があるんだぞ! 増援を待った方が良い! こっちに向かってるんだ!』
『馬鹿! 逃げられる──うわああああ!? かゆい! かゆいかゆい!』
『なんだこれ!? なんの粉!?』
外では銃撃戦が繰り広げられているようだった。聞きなれた銃声と手榴弾の爆発音。そして謎の悲鳴。
騒音は一分も経たずにピタリとやんだ。
『開けられそう?』
『これ歪んでるぞ。どこかのホワイトファングがミサイルなんか撃ち込むから』
「…………?」
『私なら開けられる』
『無理だろう。頑丈な合金製だ。いくら運動が好きだからといって……』
『あ、これくらいなら余裕』
『えぇ……』
金属の悲鳴と共にコンテナのトラックが開かれる。
ひょこっと顔を出したのは砂狼シロコだ。セリカの姿を見て、いつもクールな先輩が笑顔になる。
「し、シロコ先輩……?」
「半泣きのセリカ発見!」
「ちょ……!」
「半泣きだと。私にも見せてくれ」
その隣から眼鏡をかけた男が現れた。<シャーレの先生>だ。もうムカつくことを言っている。
「半泣きのセリカだ」
「な、泣いてないから!」
「半泣きのセリカ!」
「半泣き!」
「セリカ!」
「半泣き!」
「セリカ!」
「セリカ半泣き!」
「うっさい朴念仁コンビ! 共鳴すんなっ!!」
早く助けろと怒鳴り付け、朴念仁コンビの男の方がセリカの拘束を解く。女の方は辺りを警戒していた。
「怪我は……沢山しているようだな。動けそうか」
「当然でしょ。……なんで来たの?」
「車で来たぞ」
「そうじゃなくて、さんざん文句言ったのに、よくこんなところまで助けに来る気になったわねって言ってんの」
「質問の意図が不明だ。セリカが攫われて、それを見過ごす事に何のメリットもない」
「……あっそ」
銃弾一発で死ぬ人間がここまで来た理由を尋ねたのだが、この唐変木がセリカの望む答えを用意しているはずがない。
耳に付けるヘッドセットを渡される。
すぐに他メンバーの声が聞こえた。
『セリカちゃん! 無事!?』
「あ、アヤネちゃん。ごめん。私のせいで……」
『謝ることないでしょ! 怪我は!? そっちに医薬品を届けるから、じっとしてて!』
「う、うん……」
『セリカちゃん、大丈夫ですか!? 泣かないで下さいね。私たちも合流地点に向かっていますから!』
『おじさん達の可愛いセリカちゃんを泣かすなんて~!』
「泣いてないから!」
親友と先輩たちの声を聴いたためだろう。先ほどまでの覚悟はどこかへ行き、安堵と申し訳なさから涙があふれてくる。それを見逃さない者達がいた。
「セリカ泣いてる!」
「泣いてるセリカ!」
「ううっ、この二人ホントやだ……」
今は真夜中だ。雲がなく、月の光が夜の砂漠を照らしている。気温はかなり下がっており、肌寒いほどだった。セリカを載せたトラックが来た道を示すように、炎と黒煙が点々と繋がっている。
この人たちはずっと、追撃戦をしてくれていたのだろう。
ノノミがいつもの優しい声で言ってくる。
『先生が<シャーレ>の力を使ってセリカちゃんの居場所を探し当ててくれたんです。そのおかげで見つける事が出来ました』
『うへー、先生。これって始末書なんじゃなーい?』
「バレなければ問題にならないし、始末書なら書き慣れている」
『あんまり格好いい話じゃないですけど……』
「それよりも、敵の本隊がこちらへ向かっている。合流地点へ向かおう」
<対策委員会>のメンバーは二手に分かれて追跡をしていたらしい。ホシノとノノミの二人は先の戦闘で鹵獲した整備不良の戦車で待ち伏せを、そして朴念仁コンビが足の速いジープでセリカの確保を担当したのだ。
どうやら<シャーレ>はその気になれば最高機密のネットワークにもアクセスできるそうで、カタカタヘルメット団の行き先をリアルタイムで把握できたようだ。
セリカを拉致した連中は追跡を躱すため、本拠地へ直接戻るような事はしなかった。わざと遠回りをしたのだ。そのせいで時間的猶予が生まれ、<対策委員会>から待ち伏せをされている。
それによって襲撃に使われた大型戦車を含めて四両の戦闘車が破壊され、三〇人近くが撃破されているが、それでもカタカタヘルメット団は戦力を増してこちらへ向かってきているようだ。
本隊は重戦車が少なくとも五両、短距離ロケットを搭載した自走砲も存在している。他のヘルメット団から引き抜いた歩兵は一〇〇名以上いて、それを積んだ輸送車も随行しているという事だった。
戦力はこちらの二〇倍以上。遮蔽物もない砂漠のど真ん中で戦えばあっという間に全滅する。早く校舎に戻って防衛の準備をしなくてはならない。
「なら、早く移動しないと!」
大人が持っていた双眼鏡を借り、砂丘の上から覗いてみれば聞いた通りの大戦力がこちらへ向かってきていた。
「ここから動くのか」
「まともにやったら勝てないでしょ!?」
「ふむ、だがな。逃げるのは気が進まないんだ」
「アンタ馬鹿なんじゃないの!? 死ぬ気!?」
ホシノとノノミを乗せたラムセス2型が到着する。砲塔が旋回し、ギコギコと怪しい音を立てながら射角を調整していた。
大人が訊ねてくる。
「セリカは逃げたいのか」
「そんなわけない! でも……」
「あの戦力を相手に防衛戦は難しい。敵は校舎ごと破壊するかもしれないからな。今までのやり方は通用しない可能性がある」
「…………」
「正面対決も厳しいが、逆を言えば今なら敵が集中していて、相手をしやすいともいえる」
「なにが言いたいのよ」
そう言うと、変な大人は地面に膝をつき、セリカと視線を合わせてきた。
こちらの眼を真っすぐ見て、
「セリカはどうしたいのかと訊いている」
「え……」
そう言われた。返答に困って、言葉に詰まる。
本心を言えば、あいつらをぶっ飛ばしたい。人に迷惑をかける事しかしない連中に目にものをみせてやりたい。もう二度とアビドスに来れないくらい、徹底的に叩き潰してやりたい気持ちしかなかった。
だが、その願望に皆を巻き込むわけにはいかないのだ。そんな特攻じみた真似は最後の最後にやるべきで、今ではない。
「…………」
そんなことは分かっているはずなのに、こんな質問をしてくる。
この大人が聞きたいのは配慮を混ぜた現実的な言葉ではなく、子供本人が持つ心からの願いだ。それはわかる。わかるが、とても口には出来なかった。
砂狼シロコが歩いてきて、何かを手渡してくる。
「これ、セリカのでしょ。回収しといた」
セリカの愛銃だった。専用のカスタムを施した、自分だけの一品。いつも持ち歩いてた物が手元に戻ってくれば、いつもの調子も戻ってくる。
それでも、その言葉を口にするのは勇気が必要だった。
「……なんとか、してくれるの?」
「あ、ああ。多分、きっと、恐らく」
動揺して汗をかき始める。
本当に大丈夫なのだろうかと心配にさせられるが、もう言ってしまったのだ。後には退けない。
我慢はもう、うんざりだ。
今度はセリカが見つめ返して、はっきりと言い放つ。
「あいつらをぶっ飛ばしたい! だから……お願い!」
「その言葉を待っていた」
先生はこくりと頷き、懐からタブレットを取り出す。何かの操作をした直後、砂漠のあちこちで爆発が起きた。対戦車地雷のような大型の爆薬だろう。
数は一〇以上……あらかじめ設置していたようだ。ほとんどが敵戦力の近くで作動したが、全く関係のない所でも爆発は起きている。敵を捉えたものは──皆無だった。
外れたのか? セリカがそう思うより先に、先生がホシノ達の戦車に合図を出す。すでに射角の調整を終えていたためか、すぐさま一〇〇ミリ砲が火を噴いた。
内臓が浮き上がるような衝撃と暴音。ライフル砲から吐き出された成形炸薬弾は敵機甲部隊へと飛んでいき──やはり外れる。岩塊を撃ち抜いて、砂の海に飛沫を起こしただけで終わった。
「ふむ」
「え? これで終わり?」
「いや、これからだ」
双眼鏡の先で変化が起こる。敵部隊の動きが目に見えて鈍り出したのだ。足を止めたのではない。
動けなくなっている。
「この辺りは流砂を起こしやすい地形らしい」
アビドス砂漠は広大だ。しかしその場所ごとに特徴がある。最近になって砂に埋もれた地帯などは層が新しく、流砂が発生しやすい地形となっているのだ。
先ほどの爆破は敵を狙ったものではない。衝撃を効率よく伝播させ、地層を液状化させる事を目的としていたのだ。その次の砲撃で破壊された岩塊は最後の杭であり、それが無くなったことで地形の変化が始まった。
轟音が大きくなっていく。敵の重戦車も自走砲も、例外なく足が遅い上に固まって移動している。液体のように波打つ地面によって行動不能に陥り、そして沈没を始めていた。
カタカタヘルメット団の主戦力は、何もできないまま無力化されていく。
「…………」
ここで<対策委員会>が待ち伏せていたのは、セリカを救出するためだけではない。有利な地形に敵を誘い込み、全滅させる狙いがあったという事だ。
今までアビドスを苦しめるだけだった砂の海が、初めて役に立っていた。
「あとは歩兵くらいだな。迫撃砲も持ってきたから、流砂が収まるまで撃ち込んで敵のリーダー格を捉える。それでいいか」
「う、うん」
呆然としたままセリカが頷く。
カタカタヘルメット団との最終決戦は、本当に呆気なく終わった。
◇
『お姫様救出作戦』の翌日。
私は開店時間前の柴関ラーメンを訪れていた。昨晩、セリカの件でここの大将に連絡をしたきりだったからだ。従業員が無事だという事、今日の勤務は見送らせて欲しいという事を伝え、ついでにヘルメット団が襲撃した場所の調査をしようと思っていた。
店主である柴大将は安心したと大層喜び、カウンター席を促してくれた。
「セリカちゃんの命の恩人なら無下にできねえ。ちょっと待っててくれ。ちょうど仕込みが終わったところなんだ」
「…………」
「そこにあるのなら、何でも作れるぜ。今日は俺の奢りだ」
メニュー表を指さされる。
ここのラーメンは芸術品だし、柴大将が許すならまた食べたいと考えていたのは事実だ。しかし施しは受けられない。セリカが襲われた事は、私にも責任がある。生徒を守り切れなかった教師に情けは無用だ。それにタダで食べさせてもらった場合、領収証ももらえない。
「先生はお堅いねえ」
「素晴らしいものには、対価を支払いたくなるものだと思います」
「ん? 気に入ってもらえたのは嬉しいが、ウチのはそう大したモンじゃねえぜ」
「謙遜は無用です。柴大将がどう言おうが、貴方が作りだしたものは素晴らしい。私は今まで食事に興味がありませんでしたが、ここは例外です」
「…………」
D.U.の精肉店で出会った少女は”美食”という概念を説いていたが、その意味がようやく理解できそうな気がする。味や料金、そこへかけた手間暇やサービスも重要だろう。しかし、ここのラーメンからは”歴史”を感じる。柴大将がこれまで向き合ってきた時間が、その一杯に込められているように感じるのだ。
記憶を持たない私からすると、それはどんな歴史書よりも深い学びになる。だから惹かれるのだろう。
「アビドスの子たちも言ってたが、先生は変わってるね」
「そうでしょうか」
「みんなは来ないのかい?」
「まだ寝ているはずですね」
もとより昨日は<対策委員会>のメンバーでお泊り会をする予定だった。アルバイトが終わったセリカの機嫌を直し、これから先の予定を詰め、どうせ遅い時間になるなら泊まった方が良いという考えだ。
結果としてカタカタヘルメット団との決戦に発展し、お姫様こと黒見セリカの看病が必要だったのでお泊り会は予定通り続行された。
治療、入浴、食事からの歯磨き、就寝までセリカは<対策委員会>の四人に囲まれっぱなしだった。それを凝視しところどころ撮影していた私は集まりから放逐され、三度目の襲撃を警戒する不寝番の任務につく。
朝を過ぎたころに起きてきた小鳥遊ホシノと交代し、こうして柴関ラーメンに来たという流れだ。
柴大将から注文を促され、固辞は失礼にあたるとして塩ラーメンを注文した。昨日は食べられなかった柴関盛りも注文する。
私は所持している現金を確認した。クレジット決済は相手方の了承が必要だが、現金なら置いていくだけで良い。
そんな事を考えていると、出入口の扉が開いた。
開店前の時間だ。暖簾も看板も仕舞われている中での入店。何者かと目を向ければ、黒髪ツインテールに黒いブレザーを来た少女が気まずそうな顔で入ってくるところだった。
「おはよう」
「……お、おはよう」
黒見セリカはそわそわした様子でこちらに歩いてくる。時折、道中のテーブル席に近づいては立てかけられているメニュー表や陳列されている調味料類の位置を直したり直さなかったりしていた。
挙動不審だ。
店内を何周かし、かなりの時間をかけて辿り着いたセリカは、私の隣の席を指さし、
「こ……」
「…………」
「こ、ここ、座ってもいい?」
「…………」
「なに!? 嫌なの!?」
「ここはセリカの勤め先なんだから、好きにしたらいい」
私は客人かもしれないが、セリカの動向しだいでは出入り禁止になりかねないか弱い存在でもある。柴関ラーメンの従業員という特権階級である彼女の機嫌は常に取らないといけなかった。
セリカを刺激しないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「アヤネ先生の診断では、今日一日は絶対安静となっていたはずだが」
「ゆっくりなんてしてられないわ。大変なのは皆いっしょだもん。少しでも稼がなきゃ」
「それで体を壊したら元も子もないだろう。これだけは指摘させてもらうが、体調管理は徹底しなくては駄目だ」
「…………」
理由は不明ながら、彼女を存分に刺激してしまったらしい。セリカの眼が完全に据わってしまう。いつもなら怒鳴りつけられる流れだが、彼女は『相手は記憶喪失なんだから……』と何度も自身に言い聞かせ、平静を維持していた。
「…………」
「…………」
それから、少しの沈黙が流れる。厨房の奥からは調理の音が聞こえてきていた。セリカは既に騒いでおり、柴大将の性格から予想するに、その存在に気付いて声くらいかけに来そうなものだ。
不審に思っていると、セリカがぽつりとつぶやいた。
「……あのさ」
「なんだ」
「ずっと気になってたんだけど」
「ああ」
「なんで、アビドスをここまで助けてくれるの?」
「…………」
「まだ会ってから三日しか経っていないけど、もう私ら借りが凄いしね。ほ、ほら! 新しい負債になりそうで、会計担当としては不安になんのっ」
私が<対策委員会>に協力する理由。考えたこともなかった。
三日三晩遭難して、シロコに助けられ、カタカタヘルメット団を撃退し、更にその本拠地を襲撃し、セリカに嫌われたのでストーキングしてその勤め先を襲撃した。昨日の夕方にセリカが襲撃されたので、襲撃した連中を襲撃して今に至っている。
過密すぎるスケジュールである事は言うまでもない。
頑丈なアビドス生達も疲れ果てて眠りこけているほどだ。直接戦ってるわけではない私はそこまで疲労していないが、ここまで命の危険は何度もあった。
なるほど、このペースだと鬼籍に入るのもそう遠くないと予想される。
セリカが疑問に思うのも当然だ。会計担当の彼女からすれば、<シャーレの先生>がアビドスの自治区で死んだ場合のリスクを考慮せざるを得ない。
「アビドスの事が好きになったからだと思う」
理由はするりと出てきた。
たった五人で途方もない借金を返し続ける少女たち。
天災に脅かされ、砂漠の真ん中で襲撃を何度もされながら、それでも懸命に責任を果たし続ける彼女らを、心から尊敬している。幸せになるべき人達だと考えているからだ。それを邪魔する者がいるなら、与えられた力だって躊躇いなく使う事ができる。
「ふーん」
「理由になってないと思うが、きっとそうなんだと思う」
「信じる」
「そうか」
「そうよ」
そこで、厨房の奥から柴大将がちらっとこちらを見てきた。耳をぴょこぴょこっと動かし、二つのトレイを持ってやってくる。
「へい、塩ラーメンと柴関盛り、それと野菜ラーメン中盛にチャーシュートッピングお待ちね!」
「ありがとうございます」
「あ、柴大将……」
「先生のは俺からの奢りで、セリカちゃんのは先生の奢りだ。んで、セリカちゃんの分なら領収証を出せる。完璧だろ?」
「恐縮です。お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
私は両手を合わせた。
もはや柴大将は信仰の対象になりつつある。むず痒そうに奥へと戻っていく神に祈りを捧げ、セリカと一緒にいただきますをした。
「……あのさ」
「ん……! なんだ」
ラーメンを前にして理性を保つのが精一杯な私は辛うじてセリカに応答した。
「一昨日はごめんなさい。それとその……ありがとう。先生」
「気にしなくて良い。心配しなくても私はまたセリカを激怒させるだろうしな。ほら、早く食べよう。もう我慢できない」
「……うん。そうね」
セリカが食べ始めたのを見て、私も食器を持った。至高の瞬間だった。
さあ、まずはスープから──
私のスマートフォンが音を鳴らす。またお預けだ。昨日の晩に抱いた怒りが蘇ってくるようだった。余りにも上等だと思い、送り主の名前を確認する。
小鳥遊ホシノからだった。
すっと頭が冷める。
「セリカ」
「ん? なに?」
「私がここに居る事を誰に聞いたんだ」
「ホシノ先輩だけど……なに?」
「墓穴を掘ったな」
柴関ラーメンの扉が開かれる。そろそろ見慣れてきた四人組が入ってくるところだった。
セリカの眼が見開かれ、驚愕と羞恥と怒りの混じった表情に染まっていく。
開店前の店は、また賑やかになってしまった。