誰かが扉を叩いている。
暗闇の中で、ずっとうずくまっていた。
そうして朝が来るのを待つのだ。外からは小鳥のさえずりが聞こえる。普通なら目覚める時間だろう。
だが、身を起こす事は出来ない。
ただ、時が過ぎるのを待っていた。待つだけだった。
◆
「ようこそ、小鳥遊ホシノさん」
アビドスの郊外。最後に残された市街地だ。ここには運用されているビル群や、商店街、スーパーマーケット等の居住区らしい機能がまだ残っている。地下には鉄道すら通っているのだ。
まだここが自治区だと主張できる、数少ない要素だろう。
だが、表情も感情も全く明るくはならない。ほとんどの施設には<カイザー・グループ>のロゴが描かれているし、働いている人間たちも皆、その関係者だ。
ホシノにとっては、アビドスにとっては敵に外ならない。しかし、その敵の存在がなければ、この発展した最後の経済地区もゴーストタウンに変わるだろう。
敵に活かされているのだ、自分達は。
他の建造物と同じ、<カイザー・グループ>のロゴが入った建物の一室で、小鳥遊ホシノは不自然な存在と相対していた。
「……今度は何の用?」
普段、出している自分の声とは真逆の冷たい音。これだけ鋭ければ殺傷力すら宿りそうなのに。願うなら、そうであってほしかった。
そんなホシノの様子を見て、相手はくつくつと喉を鳴らした。
「最近はどうです? アビドスの様子はお変わりありませんか」
相手は男とも女ともとれない、奇妙な声で話しかけてくる。こちらの神経を逆なでしないように調整された声。理想的なビジネスマンを気取る目の前の存在は”黒服”と名乗っている。名前などは必要ないらしい。
見た目も異様だった。白いシャツ以外はネクタイもフォーマルなスーツも、一切の汚れの無い漆黒で統一されている。
すらりとした人型で、しかし体も全て黒い。闇が人間の形を取っているようだった。頭部には白く光る亀裂のような文様が刻まれており、それが笑みを浮かべた表情のように見えた。
”あの人”と同じく、キヴォトスの外から来た存在だ。
豪奢な部屋の奥、デスクに肘を突き、両手の指を組みながら”黒服”は楽しそうにしている。
彼──彼女かもしれない──とは少し前からの付き合いだ。
「なんにも変わらないよ。おかげ様で」
ホシノ達が<カイザー・グループ>に繋がる物的証拠を手に入れた事などと言う必要がない。
この”黒服”はカイザーと協力関係にある。上下があるのかは不明だが、こうして何不自由ない暮らしをしている所を見るに、仲は悪くないのだろう。息を合わせてアビドスを追いつめて来ている。
「それは何より。変化は必要なものですが、変わらないものもまた美しい。芸術品と同じです」
「無駄話は良い。要件をさっさと済ませて」
「<シャーレの先生>です」
「…………!」
息を呑む。相手が笑みを深めたような気がした。予想していたものと全く違う内容だったからだ。
”黒服”とは、ホシノが<アビドス高等学校>に入学してからの付き合いとなる。ホシノの素養に魅力を感じたらしく、配下に加われば莫大な報酬を出すと勧誘を受けていたのだ。
キヴォトスの生徒には例外なく”神秘”が宿っている。ホシノの”神秘”があちらの目的なのだ。
だから、今回も勧誘の話だと思っていた。これまでずっとそうだったし、アビドスの借金を何とかするという条件で、またつまらない話をされるのだろうと考えていたのだ。
ホシノの眼が鋭くなる。
「あの人が、なに?」
「この一月ほど、貴女方に協力している彼です。私と同じく、キヴォトスの外から来た存在。あらゆる記憶を奪われ、役割だけが残された哀れな男……」
「だから、先生がなに? おまえに何の関係があるの?」
「彼が持つ、彼だけが持つ”シッテムの箱”。あれには究極の”奇跡”が納められているのです」
「……”神秘”だの”奇跡”だの、そういう言葉が好きなのは分かるよ」
「クックック……その通り。私はそれらを解き明かすために、ここにいる」
先生から聞いた、アビドスの砂漠で<カイザー・グループ>が何かの調査をしているという話。それもこの”黒服”が関与しているのだろう。あの悪徳企業の動きが活発したのが、目の前の存在が現れてからだ。
得体のしれない知識と技術を保有している、黒い大人。
「近々、アビドスは滅びます」
「な……」
「これは<カイザー・グループ>も気づいていない事実ですがね。確かな事です。キヴォトス最高の”神秘”を持つホシノさんと、”シッテムの箱”を持つ先生が揃ったのが良くなかった。本当に良くなかった。砂漠に眠っているものが目覚めようとしているのですよ」
「そんな話……!」
「また、あの砂嵐がやってくる。どうなるかは、私などよりも貴女の方が良くご存知でしょう」
分かる。それこそ、本当にアビドスに終焉が訪れるのだ。
しかし、証拠がない。こちらを動揺させるための詭弁に過ぎない。
「信じられないのは当然ですね。ですが……その表情を見る限り、心当たりがあるのでは?」
そうだった。先生の話に出てきた、キヴォトスの各地に点在する謎の存在。途方もない力を持つという”何か”は学園都市が誕生する以前から眠っているのだという。アビドスを襲った砂嵐が巨大化したのは数十年前。関係があってもおかしくはない。
「それで、おまえの目的はなに?」
「貴女の身柄です。小鳥遊ホシノさん」
「結局それ? 私がそっちにつくと、アビドスが救われるの?」
「その可能性はあります。貴女の”神秘”なら、あるいは」
「信じられない」
「もし、砂漠の力が目覚めたとしましょう。それを止められるのは<シャーレの先生>のみとなります。しかし、”奇跡”には代償がつきもの。彼は何を犠牲にすると思いますか?」
「…………」
代償を求められた時、先生が何を捧げるのか。
決まっている。自身の命だろう。彼にはそれしかない。それしかないと、本人がそう思い込んでいる。
「私としても、アビドスが滅びるような力が解き放たれるのは御免被りたい。<シャーレの先生>にも消えて欲しくない。それを止められるのは、ホシノさんだけなのですよ」
「自分の都合ばっかり言うね」
「自身の目的を最初に明かさなければ、実りある取引とはなりえません。……では、ホシノさんの目的を窺ってもよろしいですか?」
そんなのは決まっている。アビドスを守る事だ。後輩達を守る事だ。借金を返済し、脅威を取り除き、学校を復興させる。
そのためなら、なんだって出来る。
「本当にそうでしょうか?」
「え……」
「気分を害してしまったのなら申し訳ありません。アビドスの生徒会長が亡くなって以来、ただ抜け殻のように生きている貴女が、その目的を果たそうとしているようには見えないもので」
「…………」
「借金の返済。利息を返すだけで精一杯なのに、それは可能なのですか? 完済は三〇〇年後と聞いております。守ると仰られた後輩の皆さんに残すのでしょうか。脅威を取り除く。深夜に街を徘徊しているだけでは? 学校を復興する……五人しかいない教室で身の無い話を延々と続けていれば、それは叶うのですか?」
言い返せなかった。別に嫌味でもなんでもなく、”黒服”はただ疑問を投げかけてくるだけだ。こちらが設定している目的に対するアプローチを評価しているに過ぎない。
「厳しい事を言うようですが、ホシノさん。貴女の立ち上げた<アビドス廃校対策委員会>は、その存在意義を果たせているとは思えません」
愛する後輩達と仲良く過ごすだけの空間を維持しているだけ。
そういう事だろう。本当に借金を返したいのなら、銀行から奪った金を使うべきだった。本当に脅威を排除したいなら、カタカタヘルメット団も<カイザー・グループ>も始末するべきだった。そうしなかったのは、そう出来なかったのは、ホシノが無力な子供だったからだ。
「そして、その目的は全て<シャーレの先生>に出来る事です。貴女ではなく」
「…………」
その通りだった。
後輩達を守ってくれたのは、先生だ。補給が尽きて万事休すだった所を、あっという間に救ってくれた。一度や二度ではない。その後もずっと、出会ってから今までアビドスを支え続けてくれた。
彼なら借金の事も何とか出来るだろう。学校の復興も可能かもしれない。それだけの力が<シャーレの先生>にはあるのだ。
全てホシノには出来ない事ばかりだった。
(そうだ……)
最初は警戒していたはずだ。記憶を失った、得体の知れない大人だと。頼りにならないと失望すらしていた。なのに、今では頼り切りになっている。彼がいなくなったらと思うと、どうしようもなく不安になる。
領収証が欲しいと意味不明な事を言うから、何度も食事をたかった。戦闘の度に力を貸して貰った。ブラックマーケットに行きたいと無理を言い、他学園の生徒を巻き込んでまで目的を果たした。
何かしてもらうばかりで、何か返したのだろうか。考えてみたが、何も思い当たらなかった。あの先生は生徒に何も求めない。だからきっと、都合が良かったのだ。
ホシノは絶望的な気分になった。
今までずっと、大人から利用されていると思っていたのに、今では自分が誰かを利用している。
先生を、利用している。
「私を信じる必要はありません。自分が何をすべきなのか、しっかりと考えてください」
◇
廃墟となった柴関ラーメンを見るたびに胸が締め付けられる想いだ。
思えば、記憶喪失である私は喜怒哀楽をあの店で学んだのかもしれない。感謝をしてもしきれない。神の安否については確認されているが、その御身を直に見ない事には安心できなかった。
アビドスの中央病院にいる神に会うには、<ゲヘナ風紀委員会>を倒す必要がある。指揮官を昏倒させ、チナツに圧力をかける事で動きを鈍化させたために戦闘は優位に進んでいた。
『三人ダウンさせた!』
銃撃を浴びせられた風紀委員が、武器を放り出しながら倒れる。左右からの攻撃はセリカはするりと回避して、マガジンを交換しつつ近くの障害物に退避する。それを追おうとした敵を、シロコが狙い撃った。さらに二人が戦闘不能。
『思ったより強くないですね……』
ノノミの声は明るくない。
ゲヘナといえば”三大校”の一角だ。そこの公的な治安維持組織を相手取って、アビドスは今のところ互角以上に戦えている。地の利がこちらにあり、相手は指揮系統を混乱させられている状況だ。ゲヘナ側は既に三〇人近くを倒されており、負傷者を救助する後方部隊が慌ただしく動き回っている。
確かに違和感があった。
手応えがないのだ。イオリとチナツを抑えるだけで、ここまで瓦解するのだろうか。そうは思えない。
『先生、狙撃部隊は?』
「足が遅い。展開が鈍い。こちらから撃たなくても脅威にならないレベルだ」
奪った狙撃銃で何人かの武器を撃ち落としただけで、敵の狙撃部隊はその勢いを随分と緩やかにした。地形データの読み込みが甘いのか、有効な狙撃位置についていないのだ。今回のようなアウェーで運用する場合、前線部隊との連携がどうしても重要になる。アビドス側が障害物を上手く使い、常に動き続けているのが現状なら、まずはそれを抑え込むのが歩兵部隊の仕事だ。
指揮官の不在が響いているのだろうか。
見た限り、イオリはそこまで指揮に関心があるタイプではない。チナツは後方担当の一年生だ。本来の指揮官が不在と見える。他自治区に踏み込むデリケートな作戦であるにも関わらず……そんな事がありえるのか。
「ノノミ、起爆を頼む」
『はーい☆』
便利屋の置き土産が起爆する。<風紀委員会>の別働隊の目前でプラスチック爆薬が炸裂し、廃墟ビルが倒壊した。降り注ぐ瓦礫の雨に相手が混乱した隙を、シロコが丁寧に突いた。ライフル弾五発で五人がダウンする。
セリカとノノミにも絶えず移動してもらう。敵後方には砲兵力が控えている以上、あまり距離を置いて戦う事は出来ない。さりとて、近距離戦は包囲される恐れがある。付かず離れずを維持し続けるチームワークは、ゲヘナ側にはない武器だった。
「何か妙だ」
『確かに……こいつら、カタカタヘルメット団よりは強いけど、便利屋と比べたら大した事ないかも』
統制は取れているようだ。一方的に撃破されていても、持ち場を離れるような生徒は出ていない。とりあえず前に出て、発砲をして、誰かが倒されたら回収する。包囲の仕方も画一的で、流動性が感じられない。一人ひとりの戦力等はカタカタヘルメット団よりは上だが、同時に何をしてくるか分からないような怖さもなかった。
アヤネの操作するドローンを撃墜しようと、ゲヘナ生が顔を出す。持っているサブマシンガンを撃ち落とすと、そこへノノミが手榴弾を投擲した。爆発地点から退避しようとした敵を、シロコとセリカが流れ作業的に処理してしまう。その手際に恐怖を感じた。
「…………」
私が知っている<ゲヘナ学園>の生徒は火宮チナツや、陸八魔アルを始めとする<便利屋68>のメンバーだ。なんとなく彼女らを基準に考えていたのだが、私が会っている生徒のほとんどはキヴォトス基準で稀有な才能を持った生徒達なのだろう。
あくまで相手は生徒である。本格的な訓練を何年も受けているプロフェッショナルではないのだ。
「誰だ! 私の銃を盗んだ奴は!」
銀鏡イオリが復帰してきた。理由は不明だが、激怒している。シロコがヘッドショットなどしたせいだろう。
銀髪ツインテールの少女は赤い瞳を燃え上がらせて、私の方を睨んできた。
「おまえだな!?」
「違う。証拠はあるのか」
「銃を持ってるだろ!? それは私のだ!」
「違う」
「なんだこいつ! ……貸せ!」
イオリは近くにいた味方からアサルト・ライフルを奪い、そしてそれを私に撃ち落とされる。マジギレした彼女は素手で殴りかかってきたが、シロコにヘッドショットされてぱたりと倒れた。
後方へ運ばれていくイオリを見送りたいところだが、複数の銃弾が飛んできてそれどころではなかった。
迂回戦術は効果が薄いと判断したのだろう。<風紀委員会>は散開していた戦力を結集し、物量で押し切る構えを見せた。
甘い考えだった。指揮官不在では初動で全てを読まれてしまう。
ミニガンの機関音が響いてきた。
「ノノミ、いっきま~す!」
開けた地形への機銃掃射。障害物の陰へ逃れる者、盾で凌ぐ者もいたが。一〇人以上が犠牲になった。火力を垂れ流すノノミを狙おうとすれば、そこを前衛コンビが的確に処理する。
優位は揺るがない。少し離れた所では、アヤネが手配してくれた補給品のコンテナが置かれていた。まだ継戦能力の限界はまだ先だ。
問題は体力の方だろう。<便利屋68>との連戦で疲労している上に、セリカは地雷の直撃を受けている。ここで一人でも欠員が出ればアビドス側の負けだ。ホシノが戻ってくる気配もない以上、敵だけではなく味方の様子にも気を配らなければならなかった。
アヤネから叱られる。
『先生、後退してください!』
「無理だ。押し込まれる」
頭と口だけではなく、手足も動かさなくてはならない状況だ。後方担当のアヤネでさえ、戦車で駆け付けなければならないほど人的資源がひっ迫している。銃弾一発で死ぬからといって退がるわけにはいかない。
それよりも、気になるのはゲヘナの狙いだ。明らかに<便利屋68>の捕縛だけが目的ではないだろう。イオリとチナツだけではなく、その上に誰かがいる。
その誰かは、この状況をあえて傍観しているのだ。恐らくはアビドスの戦力を分析している。それをしなくてはならない目的がある。
ここはムツキが作った地雷原だ。彼女から先ほどメールで位置情報が送られてきていた。それを頼りに歩みを進める。危険過ぎるとの事でアロナから真面目に怒られたが、他に行ける道がなかった。
イオリの狙撃銃で、三〇〇メートル先のビルからこちらを狙っていた生徒の銃を叩き落とした。すぐに身を隠すが、私への銃撃が目に見えて減っている。チナツが<シャーレ>が現場にいることを広めているのだろう。役職だけの先生だが、ゲヘナほどの勢力になれば接し方も考えなくてはならなくなる。
肩書きを盾に使えるか。
(無理だろうな)
これで終わりにはならない。本件の黒幕がチナツの上司なのだとしたら、私がアビドスに居る事も間違いなく知っているはず。それが、前線指揮官のイオリには知らされていなかった。末端に言うつもりがなかったのだとしたら、チナツを編制しているのは不自然だ。
つまりは、これまでの展開は黒幕の思惑に測っているものと考えられる。
崩壊したコンクリート壁越しに射撃。相手側が投擲した手榴弾が空中で爆発した。残弾は残り一発。それを狙撃部隊への牽制に使う。
シロコに合図を出した。治療を受けたらしいイオリが向かってくるのが見えたからだ。
「殺す!」
信じられないほどの恨みを買っているようだ。素手で向かってくるイオリに恐れを抱く。ここは地雷原だ。もし爆発が起これば、私は死ぬ。私が死ぬとアビドスが不利になる。先ほど昏倒したばかりのイオリがここまで早く復帰してくるのは予想外だった。
『先生!?』
セリカがこちらに向かってこようとしている。距離がやや遠い。間に合わないだろう。イオリの身体能力は桁違いに高い。私では逃げられなかった。蹴りを見舞われ、持っていた狙撃銃が手を離れる。
まずい。私の頬を汗が伝う。今ので下着を見てしまった。不可抗力だが、バレたりしたら私の立場はまた悪化してしまう。
空中で愛銃をキャッチしたイオリが、不敵に笑った。
「ようやく取り返したぞ……弾切れだと?」
舌打ちをして、腰の予備挿弾子に手を伸ばすが、そこには何もなかった。私が持っているからだ。
「蹴った時に……つくづく手癖の悪い大人だな」
「…………」
発砲が出来ないからといって、見逃してくれるわけではなさそうだ。イオリは態勢を低くして構える。徒手空拳で充分という判断なのだろう。私は懐の閃光弾に手を伸ばした。
風紀委員の突撃に合わせて、シロコが銃撃する。それを読んでいたらしいイオリは後方に飛び退き、そのまま地雷を踏んで爆発した。
「さっき発砲禁止の合図を送ったと思ったんだが」
『え? 救援要請の合図だった』
銃火器の使用に伴う連絡の齟齬が目の前で起きていたらしい。怖いと思った。しかし助かったのは事実だ。
倒れた敵の数は四〇人を超えた所だろう。アビドスの面々はカタカタヘルメット団との戦いからこちら、対多数戦の練度が飛躍的に向上している。
シロコは風紀委員六人を単独で倒し移動した所だし、普段より動きが鈍ったセリカをノノミがフォローする事で相手に付け入る隙を与えない。
生命線であるアヤネのドローンも、無傷で稼働中だ。消耗はあるが、限界はまだ先だった。
このままやれば、<風紀委員会>にも無視できない損害が出る。たった数人しかいない自治区に踏み込み、大きな痛手を被ったとなれば、それはゲヘナの悪評に繋がるはずだ。既に悪評まみれな学園ではあるものの、その戦力や影響力を軽視されるような事態は避けようとするのが普通だ。
アビドス側から使い捨て式のロケットランチャーが撃ち込まれ、敵集団の中心で爆炎が咲く。
ライフル弾の直撃を受けた装甲車が火を吹いて横転する。投げ込まれた手榴弾を起爆前にノノミが投げ返した。被害を受けたのは<風紀委員会>の方だ。
混乱が加速した所へアビドスの火力が集中する。タイミングから位置取りまで、何もかも完璧だった。
大損害を与えた所で深入りせず、きちんと居場所を隠してから補給を挟む。
戦線の奥側では火宮チナツが忙しそうに動き回っていた。一年生ながら補給部隊を任されている彼女が、ゲヘナの戦線を支えていると言っても良い。サンクトゥムタワーの件から会えていなかったが、元気そうにしている所を見られて良かった。
温かい気持ちになっている所を銃撃される。付近のコンクリート壁に着弾。直前で屈まなければ肩に命中していた所だろう。非殺傷用のゴム弾頭。
「見つけたぞ変態!」
銀鏡イオリがまたまた復帰してきた。シロコからヘッドショットを食らい、地雷も直撃したはずなのだが元気そうで良かった。
「キサマのせいで<風紀委員会>はボロボロだ! また反省文を書かされる!」
「責任者が引責するべきだ。責任者はどこだ」
「目の前にいるだろうが!」
やはりイオリが責任者のようだ。確かに戦闘能力は突出していると見える。あれだけされているのに、これだけ元気なのだから極めて頑丈なのだろう。
しかし、責任者である以上は今の状況は彼女に責任がある。突撃するだけでは勝てない、いつもこの調子らしく、周辺の風紀委員達からも悲壮感が漂っていた。
さらなる銃撃。私は倒れ込むようにして回避した。障害物に身を隠し、壁越しの追撃を凌ぐ。ゴム弾頭を装備した複数人がこちらを包囲しようとしていた。
それは別に良い。イオリを含めた風紀委員が私にかかりきりになるのであれば、他が手薄になる。
「私を撃つとチナツに怒られるぞ」
「? 意味不明な事を言うな。どうしてチナツが……<シャーレ>? なんだそれは?」
仲間から私の組織について教えられているらしいイオリは、そもそも<シャーレ>について良く知らないようだ。
なのに非殺傷仕様のゴム弾は用意されている。これは不自然だ。キヴォトスの生徒がゴム弾を使用する機会はほとんどない。歴史的建造物の多い<トリニティ総合学園>などでは多く流通しているそうだが、その対極に位置する<ゲヘナ学園>では違うだろう。
「ちょこまかと……この変態!! おまえ達も言うんだ!」
「えっ!? ……変態!」
「へ、変態!」
「変態! 変態!」
風紀委員たちは言いがかりと共に私へ銃撃してくる。私に動揺はなかった。自分が変態ではない事を知っているからだ。ぴしっとした身なりをしているくせに面積少な目の黒下着を着用している銀鏡イオリは、根拠の無い罵詈雑言を重ねながら突進してきた。
何度も銃を撃ち落とされた事で学習したらしい。愛銃を背に隠していて狙えない。なので他の風紀委員生の武器を弾き落とした。罵倒の圧が強まる。
六発目。最後の銃弾を天井に撃ち込んだ。ムツキ謹製のお値打ち爆薬が作動した。爆発の規模ではなく、建物の倒壊を目的とした指向性爆薬だ。
それにより、瓦礫が雪崩のように降り注ぐ。突出したイオリが、武器を拾おうとしていた風紀委員の仲間たちから孤立した。そんな状況には慣れているらしいゲヘナの銀髪ツインテールは、気にする様子もなく粉塵の中から、飛び出してくる。
私のリボルバー銃には空薬莢しか入っていない。シリンダー式だと給弾も一苦労だ。こんな銃のどこが良いのだろうと疑問に思う。そんな骨董品なんか持つなという、七神リンを始めとした生徒達の指摘から目を背け、耳を塞いできたツケが、今この時になって降りかかってきていた。
射撃は出来ない。離れても仕方がないので接近した。
指向性爆薬の作動から、これまで一・五秒。銃口を向けて来ようとするイオリに組み付く。
「ちっ……!」
無理だった。
狙撃銃を掴んだ所までは良かったが、舌打ちと共に振り解かれた。
身体能力に差があり過ぎる。悲しい事に、このキヴォトスに生息している生徒達の膂力は熊や虎といった大型動物に比肩、または凌駕する事が珍しくなく、軽々しく近づこうものなら命の危険があった。
下はアスファルトの地面だ。戦闘の余波で無数の亀裂が広がり、破片が散らばっている。イオリの軸足からそれらを踏みしめる音がした。蹴りの前兆だ。だから回避できた。
離れるわけにはいかない。
わざと体幹を揺らしてもう一度、今度はバレル部分へ組み付いた。苦し紛れの抵抗だと思ったのだろう。相手は銃を引き込み、そのままねじ伏せようとしてくる。それで良い。
「!?」
狙撃銃のつかみ合いから力比べになった瞬間、イオリの体が宙に浮いた。私の力でそうなったわけではない。自身の力を利用されたのだと、空中の生徒も気づいたようだ。怒りに燃えた瞳を鋭くさせ、体を捩じって蹴りを見舞ってくる。厄介な生徒だと思う。また下着を見せつけられてしまった。
反応が遅れた私は、生徒からの攻撃を肩で受けた。そのまま吹き飛ばされる。
三メートルほど離された所で、イオリを中心にスモークグレネードが炸裂した。彼女が腰に付けていた物の安全ピンを私が抜いたからだ。
そのまま離脱する。
「…………」
衝撃は可能な限り逃がしたはずだが、それでも左肩が外れて動かなかった。これではピースメーカーに給弾も出来ない。リボルバー銃と、それを選んだ自分に対する苛立ちが強まる。
「先生、こっちは片付けた」
コンクリートの壁に押し付けて脱臼を治療していると、右半分が崩落した立体駐車場の中腹からシロコが飛び降りてくる。少しやつれた私の姿を見て目を細めたが、周囲の警戒を優先してくれる。
「補給はしたか」
「私はまだ。ノノミとセリカの方も落ち着いたから、合流した方が良い」
「わかった」
ゲヘナ側の攻勢限界が訪れたという事だろう。確かに、銃撃戦の音が随分と少なくなっている。
チナツからの着信が届いた。そういえば、折り返すと言っておきながらしていなかった。
「すまない。私だ」
『先生、ご無事ですか!?』
「ああ。チナツは元気か」
『いいえ。おかげさまで! ええと、申し訳ないのですが一時停戦としたいと思っておりまして』
他の自治区に踏み込んでおきながら、一時停戦。余りにも勝手な言い分だ。隣にいるシロコは無表情だが、かなりイラついているのが分かった。私の中の緊張が高まる。
シロコのストレスがたまった場合、それを解消するためにまた銀行強盗に手を出す危険性があったからだ。直接聞いたわけではないが、ストーキングをしたから分かる。
彼女はブラックマーケットを何をしても罪に問われない遊び場のように捉えており、黙っているが例の犯行以降も何度か足を運んでいる。行き先は、決まって銀行かそれに関連する施設や車両だった。下見としか考えられない。
「場所を教えてくれ」
チナツから言われた座標を控える。通話を切ってからシロコに確認すると、ノノミ達が風紀委員と睨み合っている前線付近だという事だった。
罠の可能性はあるが、元から目的地だった方向だ。時代遅れのリボルバー銃に弾を流し込みながら移動し、アビドス生と合流した。
心配する声と憎まれ口に頷きつつ、風紀委員側へと目をやる。
眼鏡をかけたゲヘナ生、火宮チナツがスマートフォンサイズの電子機器を片手に前へ出てくるところだった。武装はいっさいしていない。
一時停戦は本当のようだ。
彼女が持っている道具はホログラム映像の投影装置らしく、青白い光が一人の生徒の形を成した。
『アビドス校の皆さん。この度はご迷惑をかけてしまい、申し訳ございません』
品のある穏やかな声。しかし服装はそれと真逆だった。
余裕のある笑みを浮かべた青い髪の美少女が、こちらに会釈をしている。
『<ゲヘナ風紀委員会>の行政官を務めております。天雨アコと申します』
恐らくは今回の件の仕掛け人が、私の眼を見てにっこりと笑った。