先生「バキバキの記憶喪失」   作:地産地消

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第23話 頂点者

 ◇

 

 戦闘が停止し、ムツキから機動阻止システムを解除してもらった私は地上に戻る。既に全てがバラされていた。銃弾が飛び交う戦場を縦横無尽にうろうろしていた事や、シロコやハルカの制止を振り切りイオリに粘着し続けた挙句にヌルテカになった事、自分を中心に自爆戦法を取った事。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 砂漠地帯だというのに、アビドス生達は瞬きすらせず私を凝視している。

 何に怒っているのかは恐ろしくて訊けなかった。イオリに対し、見方によってはセクハラとされてしまう行為に及んだ事が気に入らないのか、いつものように自身の命を危険に晒した事が許せないのか、金を使って生徒同士を戦わせるのか気に入らないと言っておきながらブラックマーケットで傭兵を雇用していた事を黙っていたのが我慢ならないのか、それともその全てか。

 彼女達の心中は不明だ。ただただ私を捉えて離さないラムセス2型の砲口が全てを物語っている。あれの引き金に指をかける者がいたとして、それを止めるアビドス生はもういないのだ。

 

 どうしてこんな事に……。

 私は現状を訝しんだ。

 私とアビドス生の間を支配している極度の緊張感にゲヘナ生達は口を挟む事が出来ない。

 傭兵部隊の生徒達は<風紀委員会>の装甲車両を借用したらしい。中から気絶したアコがべちゃっと地面に放り出され、車両はそのまま去っていった。車両窃盗の現行犯かとも思ったが、とりあえず手を振って見送る。

 

「あの……」

 

 額に汗を浮かべたチナツがおずおずと声を出す。目を回しているアコと、その隣に寝かされているカピカピのイオリを挟んで<シャーレ>と<風紀委員会>は向き合っていた。

 

「こ、これからの事なのですが」

「ああ。こちらの意思表示は既にしていて、それに変更はない」

「はい。今回の件はアコ行政官の独断であり、<風紀委員会>のトップである空崎ヒナ委員長の意向ではありません」

「トップへ報告はしたのか」

「もちろん、開戦と同時に……おそらく到着される頃かと」

 

 チナツの視線をなぞれば、一人の少女がこちらに歩いてくる所だった。背後には<救急医学部>と描かれた救急車が停まっている。

 

「あれが……」

 

 空崎ヒナといえば、<シャーレ>のデータベースでも最優先項目に載っている生徒だ。問題児というわけでもなく、その真逆に位置する人物である。

<ゲヘナ学園>といえば、キヴォトスでも最悪と言って良い治安の学校だ。キヴォトスそのものが治安最悪なのにもかかわらず、その中でも特筆される民度の自治区。ブラックマーケットと並んであらゆるトラブルの発生地であり、温床とされていて、数万人いる生徒の大半は理由の在る無しに関わらず派手に暴れる事を好む。

 なのに、未だに”三大校”としての体裁を保てている理由があった。

 それが、あの空崎ヒナだ。

 

 身長は一四〇センチほどだろうか。ホシノにならぶほど小柄である。

 ハーフアップにした、ボリュームのある長い白髪。ゲヘナ生らしく四本の角が後頭部から生えている。真っ白な肌に、闇色に輝く鋭い瞳が特徴的だ。アコと同じ<風紀委員会>指定の制服の上からコートを羽織っている。装備しているのは大型の機関銃だ。ベルト給弾式で、威力も射程も反動も凄まじい。小さな体躯とは不釣り合いながら、持て余している様子は一切なかった。

 そして、その力を象徴するかのようなヘイローは王城のようにひたすら強大で、重厚で、荘厳。これまで見た事がないほどの存在感を放っている。

 

「…………」

 

 いま戦えば勝てない。

 キヴォトスに来てから、恐らく初めての感覚だった。

 今まで戦闘をしていた<風紀委員会>のトップが現れた事で、アビドス生達も戦意を滾らせる。銃撃されてもおかしくない場面だが、ヒナはこちらに興味が無いらしい。視線すら向けずに前を通り過ぎていく。

 倒れているアコとイオリを見て、つまらなそうに言った。

 

「チナツ、状況を説明して」

「先ほど報告した通りです。<シャーレ>と戦闘になり、敗北しました」

「……この戦力差で?」

「は、はい」

「そう」

 

 そこで初めて、空崎ヒナの視線がこちらを向く。

 

「行政官がどのような目的で部隊を動かしたのかは不明です」

「予想はつくわ。大方、<シャーレ>が危険だから捕らえたいと思ったんでしょう」

「…………」

 

 私が原因で生徒を危険に晒したという事だ。

 脳裏に何かがちらついた。血のような赤い幻影だ。誰かが銃を向けている。体から力が抜けていくような感覚。

 シロコとアヤネの話し声が聞こえる。

 

「あれが?」

「そうです、シロコ先輩。彼女が空崎ヒナ。<風紀委員会>……というか、戦力という点なら間違いなくゲヘナの頂点に立つ生徒です」

「じゃあ、ヒナを倒せば良いの?」

「違います! まったく違います! この状況ですよ!? 連勝したとはいえ、あちらの戦力はまだ大半が残っていますし、キヴォトス最強クラスの風紀委員長が加わったら勝てるわけないですよね!?」

「でも、それくらい強いなら戦ってみたいな」

「時と場所を考えてください! 本気で怒りますよ!」

「ご、ごめん……」

 

 よし、と私は思った。今の問答でアヤネの怒りはシロコに向きつつある。しかもだ。遅刻したまま現れないホシノという切り札すら私には残っているのだ。

 これに加え、愛する柴関ラーメンを破壊された被害者としての立場を利用すれば、反省会という得体の知れない弾劾裁判を有耶無耶にする事も可能だ。

 

「…………」

 

 空崎ヒナが先ほどから私をじーっと見つめてくる。<対策委員会>の様子が奇妙に見えるのだろう。シロコとアヤネはもちろん、チンピラとしての性質を剝きだしにしているセリカをノノミが止めている状態だ。

 チナツから通達を受けたヒナからすれば、自身の組織の凶行を阻止しに来たのに、<風紀委員会>は敗北していてボロボロのアビドス生は絶対強者である自分に喧嘩を売ろうとして来ている事になる。引率者らしい大人は保身を第一に考えている始末だ。

 初対面だが、同情してしまう。

 

「……先生も大変ね」

 

 ヒナも私に同情してくれているようだ。

 チナツが上司にひそひそと耳打ちする。

 

「外見に騙されてはいけませんよ、委員長。あの先生はいつ何をしでかすか全く分からないんです。<温泉開発部>や<美食研究会>と似た所があるんです。ああやって真面目そうにしていても、絶対にまた変な事を考えているに違いありません」

「流石に失礼よ、チナツ」

 

 アビドス生が内紛しているため。ここは私が応対する必要があるだろう。今回の件は<シャーレ>として戦闘をおこなっている。相手方のトップの意向は確認しておきたい。

 私は首から下げている身分証を持ち上げ、

 

「<シャーレ>で顧問をやっている者だ」

「空崎ヒナ。先生……貴方の事はチナツから聞いてる」

「私はチナツからヒナの事を聞いていないが」

 

 チナツからじろりと睨まれる。

 別にふざけたわけではないものの、私は少し怯んだ。

 

「今回の事は、天雨アコ行政官の独断によるものと考えている」

「それで、<対策委員会>ではなく<シャーレ>として私達と戦ったんでしょう」

「そうだ。<アビドス高等学校>の自治区における事前通告なしの戦闘行為。それを制止する目的だ」

「…………」

 

 ヒナの視線が私から横に流れる。妙な反応だと感じた。

 二秒ほどの沈黙。私の言葉に疑問を抱いたが、この状況で指摘する事を諦めたように窺えた。

 こちらの主張に齟齬があるのかもしれない。

 

「そうね。そうであれば連邦生徒会規則の上では、明確な違反行為になる。アコもそれは分かっていた」

「それでも強行した事情があるという事か」

 

 情けない話だと思った。

 今の私はヒナからヒントを貰っている。キヴォトスにおいて他自治区への侵攻は、武装強盗や恐喝、詐欺、テロ行為と違って冗談では済まされない違反行為なのだ。

 私と<対策委員会>の面々は、アコがそれを無視ないしは揉み消す用意があって今回の件に及んだと考えていた。

 しかし、そもそも初めから考慮する必要がなかったとしたら……。

 すぐにでも確認を取らなくてはならない。

 

「こちらから戦闘行為を開始したのは事実。とはいえ、あなた達も<風紀委員会>の公務を邪魔した」

「なっ……!」

「なによそれ!? あんた達が勝手に撃ってきたんでしょ!?」

「アコに思惑があったとしても、回避する手段はあったはず。大人しく退避すれば大事にならずに済んだ」

「退いていれば良かったってこと?」

「そう」

「またボコボコにされたいの?」

「し、シロコちゃん。噛みつくのはまた今度にしてください」

 

 ノノミに口を抑えられたシロコが後ろに下がっていく。

 アヤネは動揺が怒りに転じ始めているし、セリカはセリカだ。このままだと第三ラウンドが始まりかねない。

 だが、私は空崎ヒナの意図がなんとなく分かっていた。彼女はこれ以上の戦闘をまったく望んでいないし、見た限りでは早く帰りたいと考えていそうだ。

 挑発ともとれる今の発言には裏がある。

 

「ヒナの考えには一理ある」

「……え!?」

「先生!?」

 

 一年生コンビが揃って驚く。彼女達は私を守ろうと戦ったからだ。この場面で敵である<風紀委員会>寄りの発言をすれば、この反応は当然だった。

 私に焦りが生まれる。遅滞なくセリカはマジギレするだろうし、今の状況だとアヤネはそれを止めない。言葉を止めた瞬間にボコボコにされる可能性があった。

 キヴォトス最強とも噂される風紀委員長を前にして、味方を恐れている私の心境は余人に理解できるものではない。

 

「しかし、アビドスの生徒達は私を守ろうと死力を尽くしてくれただけだ。だからこそ<風紀委員会>の公務を阻止できた。お互いに事情があった事は理解してほしい」

「……そう」

 

 今回の件を<アビドス高等学校>と<ゲヘナ学園>の話にしてしまうと収拾がつかなくなる。

 アビドスに生徒会は存在しておらず、ゲヘナの生徒会は<万魔殿>と呼ばれる別組織だ。ヒナがコントロールできる範囲を超えている。

 だからこそ、<シャーレ>と<風紀委員会>で話を纏めなくてはならない。双方のトップである私とヒナが制御できる範囲に問題を落とし込む必要があった。

 これまでのやり取りは台本の無い演劇に近い。

 ヒナが頭を下げる。

 

「今回の件は<ゲヘナ風紀委員会>委員長、空崎ヒナより公式に謝罪する。今後、アビドス自治区へ無断で接近する事はないと約束する」

「ありがとう。<シャーレ>としても、今回の件について追及・公表しない事を私の名において約束する。戦闘に伴って発生した周辺地域への被害については、精査の上、双方の合意をもって対処したい」

「感謝する。……チナツ、<救急医学部>を連れてきたから負傷者の対応をして」

「り、了解しました。しかし、<便利屋68>への処置が終わっていませんが」

「便利屋? どこにいるの?」

「それは……いえ。負傷者の救護にあたります」

 

 アル達はヒナが現れた途端に姿を消している。<対策委員会>並みの戦力を誇る彼女らが初手から逃げを選ぶほどの実力が、あの風紀委員長にはあるのだろう。

 撤収を始める<ゲヘナ風紀委員会>を眺めていると、後ろからシロコに上着の裾を引っ張られた。

 アビドス生達は納得いかない、といった様子で私を見ている。

 

「先生?」

「今のどういう事よ?」

「ヒナは事を荒げる気など最初から無かった」

 

 アビドス襲撃の責任は、天雨アコに被せる事も出来たはずだ。実際にアコの独断だっただろうし、そこにヒナの思惑はない。切り捨てる方がずっと簡単だった。

 だが、そういった手段は選べない生徒なのだろう。アビドスに挑発めいた事を言ったのは自身にヘイトを集めさせたうえで、全てを自らの責任として<シャーレ>に謝罪する目的があったからだ。

 ゲヘナとしてアビドスに対して借りを作るわけにはいかず、あくまで<風紀委員会>の長として<シャーレ>のトップに対して問題の解決をおこなった。

 全て政治的な立場からくる判断である。

 

「最初から落としどころを探っていたんだろう。これはゲヘナによるアビドスへの侵略ではなく、<シャーレ>と<風紀委員会>の事故に近い戦闘だった。そういうシナリオだ」

 

 アコの狙いがアビドス自治区の何かだったら、こうはいかなかった。あくまで<シャーレの先生>という、キヴォトスの誰のものでもない存在を巡る戦いだったから取れた手段だ。

 

「しかし、ゲヘナがアビドス自治区へ侵攻した事は事実です!」

「そうです。いくらホシノ先輩がいないといっても……」

「それなんだが、少し気になる事がある。アコがあそこまで自治区侵犯に無頓着だった理由だ」

 

 ゲヘナの<風紀委員会>といえば、自治区の公式な武装組織だ。権力の下で行使される武力には責任が常に付きまとう。空崎ヒナの言動を見るに、いくら無秩序なゲヘナといっても安易に侵攻などするとは考えにくかった。

 アヤネがはっとした表情になる。

 

「もしかして……!」

「アヤネは調査を進めてくれ。シロコとセリカは校舎を中心に警戒を強めてほしい。ノノミはホシノに連絡を取ってくれ。事情を説明したい」

「先生はどうするのですか?」

「私は柴大将に会いにいく」

「私達をほったらかしにして?」

「勘違いするなセリカ。皆を代表して、だ」

「ばーかっ」

「良いのか。今の私は精神的に極めて不安定だ。配慮の無い言葉が最悪の事態を招く事もある」

 

 しらっとした視線が集中する。

 被害者アピールをして同情を誘おうとしたが無駄だったようだ。アビドス勢と別れ、柴大将が搬送された中央病院へと急ぐ。イオリに車両を破壊されたせいで無駄に時間がかかる。

 とてもではないが許せなかった。指示を出したアコを含め、これからも粘着行為が続く事は覚悟して貰わなくはならない。

 スマートフォンにはアルから連絡が来ている。ヒナからは逃げても私から逃げたわけではないという事だろう。病院の位置情報をアロナから送ってもらい、合流する手筈を整える。

 猛ダッシュで破壊された市街地を移動し、住宅街の曲がり角に差し掛かった所だった。

 

「…………」

 

 空崎ヒナが待ち構えていた。

 ぴっ! と手を挙げ通り過ぎようとする私を呼び止めてくる。柴大将への逢瀬を阻止された私は、しかし無視するという選択肢もないため異常な葛藤を抱えながら急停止した。これがイオリだったなら有無を言わさず抱えて移動を続けていただろうが、相手は会ったばかりの空崎ヒナだ。どれだけ粘着していい相手なのか、判断がまだついていない、

 

「な、なんだ」

「急いでいるところ、ごめんなさい。さっきの件、お礼を言いたくて」

「礼を言うならこちらの方だ」

 

 ヒナには、あのまま戦闘を継続させるという選択肢もあった。便利屋の助けもなくなり、消耗しきっていた<対策委員会>に勝ち目はなかっただろう。そうしてから私を攫ってしまえば良かった。

 こうして柴大将の下へ全力疾走できるのもヒナのおかげなのだ。むしろ彼女に礼を尽くさなくてはならないのは私の方だろう。

 

「ヒナが欲しいものはなんだ」

「えっ……? き、休暇?」

「わかった」

「今はそれよりも、先生に伝えたい事があるの」

「なんだ」

「小鳥遊ホシノの事」

「ホシノだと」

 

 柴大将の下へ行きたい私とホシノの事を聞きたい私が体内で完全に拮抗していた。完全な五分だった。ここまでフィフティー・フィフティーだとは自分でも驚きである。付近に刃物があったら分裂を試みていたかもしれない。

 落ち着け……! 私はもう一人の自分を諫めた。柴大将の安否は確認できている。便利屋との連絡も取れた。焦る必要はどこにもない。ここはヒナの話に集中するべきだ。そう理性では判断できているのだが、私の魂は簡単に首を縦に振ってはくれなかった。極めて面倒くさいやつだと自分でも思った。

 

「話してくれ」

「彼女、小鳥遊ホシノは入学当時から接触を受けているの。他の自治区ではなく、得体の知れない”大人”から」

「大人……ブラックマーケットか」

「それは分からない。でも情報部で探れなかったという事は、相手はキヴォトスの外から来た存在かも」

「…………」

 

 それは、私と似たような存在という事だろうか。記憶の手がかりになる? いや、三年生のホシノへ入学当時から接触しているのなら、私と関係している線は薄いように思える。

 

「目的も不明なのか」

「ええ。頻繁に呼び出されているわけではないみたい。数か月から半年に一度、といったところかしら」

 

 なるほどと思った。私のストーキングでその変質者の存在は引っかかっていないからだ。

 数年にも及んで女生徒に粘着するなど許される事ではないだろう。私は鼻を鳴らした。

 

「許せないな」

「……そうでしょうね。小鳥遊ホシノは先生が守ってあげ──」

「私以外にホシノへ粘着している大人がいるとは……」

「えっ」

「安心して欲しい。ヒナの粘着は許す。だが変質者の粘着は許さない」

「わ、私は粘着なんかしてない!」

「隠さなくていい」

「隠してない! 小鳥遊ホシノは入学当時から有名人だったからマークしてただけ! 勘違いしないで!」

「ホシノの誕生日は?」

「一月二日」

「身長は?」

「一四五センチ」

「モモトークの紹介文は?」

「”昼寝中 起こさないで”」

「好きなものは?」

「え……あ、アビドス?」

「残念、水棲生物全般。特にクジラだ」

「…………」

 

 粘着バトルに敗北したヒナが重機関銃をガチャリと鳴らす。私は猛ダッシュを再開した。

 

「また会おう」

「……変な大人」

 

 ノノミからモモトークが届く。複数人から粘着行為を受けている事が発覚した小鳥遊ホシノを発見したという内容だった。

 返信を済ませつつ、私は中央病院へと向かった。

 

 ◇

 

 無事に病院へと到着し、<便利屋68>メンバーと共に柴大将へ謝罪する。実行犯のハルカは絶対に病院へ持ち込んではいけないサイズの刃物を取り出し、本気で切腹しようとしたのでムツキとカヨコによって退出させられた。

 

「べ、別に切腹なんてしなくても……」

「同様の立場なら私も同じことをしたでしょう。ハルカの気持ちは分かります」

 

 内臓はキヴォトスでも高く売れる。大切なものを破壊した補填に使いたいという考えは深く理解できた。

 部下の凶行にドン引きしていたアルが深々と頭を下げる。

 柴大将は病院のベッドで身を起こしたまま、腕組みをして瞑目していた。まるで絵画のように神々しい。

 

「その……重ね重ね、本当にごめんなさい。大将には何度もお世話になったのに、恩を仇で返してしまって」

「気にするな……とは流石に言えねえな」

 

 病室には重苦しい空気が漂っている。柴大将ではなく、私が雰囲気を悪くしていた。そのせいでアルはどんよりし、ハルカは目をぎゅーっとして縮こまっている。

 

「ええ……」

「弁償はしてもらう。溜まってたツケも払ってもらう」

「も、もちろんよ! どこからでもお金をかき集めて……」

「だが、それは嬢ちゃん達がしっかり稼いだ金で、だ」

「…………」

「誰かから借りた金だとか、どこからか盗んだ金だとか、汚ねえ仕事で貰った金だとかじゃなく、自分達でキチンと納得して集めたモンだぜ? でなきゃ受け取らねえ」

「た、大将……」

「正々堂々と返しに来な。いつまでも待っててやるから」

「良いの……?」

 

 アルの言葉に大将は答えず、そっぽを向いた。それで充分だった。

 私とアルは無言で手を合わせ、信仰を捧げる。神が神たる所以を見せつける場面に立ち会えた幸運を噛み締めた。ここで暮らそう。そう決意する。

 軽傷だったからといって、病室に長居するわけにもいかない。だが、私は柴大将に聞きたい事があったため残留した。

 大将に何度も頭を下げるアルが退室し、二人きりになる。私は窓に映った自分を見て髪を直した。どうしようもなくそわそわした。

 

「先生は俺に話があるんだろ?」

「はい」

 

 ゲヘナの<風紀委員会>との戦闘についてだ。

 ヒナから貰ったヒントだが、その前におかしな点はあったのだ。

 ──幸いな事に、明確な連邦生徒会規則違反もありません。

 アコは確かにそう言っていた。治安維持組織のナンバー2が、基本中の基本である自治法を知らないはずがない。

 それは、最悪の推測だった。

 

「詳しくは知らないが、ここいらの地域はほとんどアビドスの自治区じゃなくなってる」

「それは……柴関ラーメンの店舗も含めて、ですか」

「そうさ。もう何年も前から立ち退きを言われてな。閉めようと思ってたんだが、セリカちゃんがバイトで入ってきてくれたし、あの子の卒業くらいまでは続けたかったんだがねぇ」

 

 先生みたいな常連さんも来てくれてたしな、そう大将は続けた。

 

「…………」

 

 頭の中で撃鉄が起こる音がする。

 私達が自治区だと思っていた地域は、既に<アビドス高等学校>の土地ではなくなっていた。本来、自治区内の土地というのは管轄している学校が所有権を有している。それに干渉できる相手……簡単に想像はついた。

 何者かが生徒の居場所を奪おうとしている。便利屋が爆破しなくても、その手は既に伸びていたのだ。

 大将に立ち退きを要求していただと……? 

 不思議な感覚だった。全身が燃え滾るように熱いのに、頭の芯は怖いほど冷えている。怒髪冠を衝く、というのはこういった状態なのかもしれない。

 

「柴大将。恐れ入りますが、立ち退きを要求してきた相手について伺ってもよろしいですか」

「ん? 悪いが、よく覚えてねーな。書類は何枚も来てたけどよ、店と一緒に無くなっちまったから」

「そうですか……いえ、ありがとうございます」

 

 問題は何も解決していない。<便利屋68>と<風紀委員会>を退けたとはいえ、アビドスが危機的状況にある事は変わっていないのだ。

 どれだけ戦っても、先が見えない。生徒たちだってそう思うだろう。不安になって当然だ。そんな彼女達の支えにならなければいけないのに、そうなれる自信が全くなかった。

 今の私にあるのは怒りだけだ。それは、ずっとそうだった。目覚めてから今まで、私は自身に対する怒りで動いている。

 無力で、無価値で、無責任な自分への憤怒が行動力の源だった。今はその怒りがアビドスの”敵”へと向いている。極めて危険な状態だ。

 

「先生よ」

「はい」

「その……なんだ。あんま思い詰めんなよ」

「私は大丈夫です。大変なのは生徒達の方ですから」

「鏡見た方がいいぜ。ボロボロじゃねえか」

「すみません。不潔でした」

「そうじゃねえって」

 

 もう夕方に差し掛かる時間だ。

 思えば、今日は早朝にムツキとカヨコから果たし状を受け取り、そのままずっと戦い通しだった。私自身も無傷とは言えない。

 しかしそれは、アビドス生達も同じなのだ。生徒は私がいなくとも戦えるが、私は生徒がいないと戦えない。優先順位は明らかだった。

 そんな考えを見透かしたらしい柴大将が呆れたように息を吐く。

 

「先生は生徒を助けてくれてるけど、先生を助けてくれる奴はいんのかい」

「それは……」

「あんたの周りの生徒さんだって、ホントはあんたの助けになりたいんじゃないのか」

「……わかりません」

「アビドスの子らも言ってたがよ、先生って危なっかしいんだよな。なのに大丈夫って顔してるから束縛もされる」

「…………」

 

 柴大将が言うならそうなのだろう。柴大将以外が言っていたのなら屁理屈をこねまくって聞こえないふりをしていたはずだ。

 しかし外ならぬ柴大将から言われたのなら受け入れるしかない。強い抵抗を感じた。またもう一人の自分がヤダヤダと駄々をこねている。

 

「どうしたら良いのでしょうか」

「アビドスの生徒さん達にちゃんと頼る……ってのも」

「無理です」

「だよなあ」

 

 いま最も大変なのは<アビドス高等学校>の生徒だ。頼られるならまだしも、頼って良いはずがない。柴大将もそう思っているから、頭を悩ませている。

 私は柴大将を悩ませている事実に深い自責の念を抱えたが、柴大将が私のために悩んでくれている事実に強い幸福感も抱いた。このままだと精神と肉体が分裂しそうだった。

 

「ま、あれだ。あんまり自分を追い込みすぎないこったな」

「……ぜ、善処します」

 

 私は目をぐるぐるさせながら辛うじて頷き、神の居室を後にした。

 

 ◇

 

「あ、出てきたー☆」

 

 病院を出たところのベンチに座っている<便利屋68>メンバーが私を見つけた。用件が終わるまで待ってくれていたらしい。

 

「帰ったと思っていた」

「そんなわけないでしょ」

 

 カヨコがぶっきらぼうに言ってくる。

 

「けっこう話し込んでたみたいだけど……」

「や、ややややっぱり大将、怒ってらっしゃいましたよね……」

「まったく違う用件だ」

 

 アルとハルカは顔を真っ青にして心配している。ここで否定したところで、二人の気は晴れないだろう。とはいえ、アビドスの自治区に関する話を明かすわけにもいかない。

 とても気が進まないが、柴大将から指摘された事を話すことにする。

 

「私自身に関する事だ」

「……それって?」

「なにそれ、気になる! 話して話してー!」

「やだ」

「早く話して」

「早く早くー! <風紀委員会>の連中から助けてあげたでしょー?」

「…………」

 

 それは確かにそうだ。だが、そもそも<風紀委員会>の呼び水となったのは彼女達の存在であり、いつもならムツキの言い分はカヨコ先生が指摘してくれるはずだった。

 …………。

 指摘はないようだったので観念する。

 ベンチに座らせられた私は渋々感を全面に出しながら口を開いた。

 

「私個人に関する問題だ。私は周りに……なんというか、悩みを見せたりしないらしい。それが返って周囲に不安感を抱かせるという指摘を受けた」

「確かに、先生が駄目人間なのは見ればすぐ分かるけど、相談したりしなさそうだもんね」

「カヨコにだけは言われたくない」

「なにそれ」

「反論したいならここで悩みを明かしてくれ。顔が怖くて不愛想に見えるということ以外でな」

 

 カヨコから顔の両側を掴まれる。

 

「む……」

「先生ってめちゃくちゃ手がかかるもんね♪」

「自分ごと爆破しろってムツキに頼んだんだって?」

「ちゃんと策はあった」

「それがなに?」

 

 ムツキが怖い。

 爆発が原因で私が死ねば、彼女は大罪人にされてしまう。怒るのは理解できたが、しかしあの状況では他に手も無かったのだ。そんな事を述べてみても小悪魔の怒りは収まらなかった。カヨコに顔面を掴まれている状態では、思うように説得力を出せなかったのもある。

 アルから訊ねられた。

 

「それで、これからどうするの?」

 

 ここで<対策委員会>の予定を口外するリスクは計り知れない。だが、便利屋のメンバーは既に敵ではないのも事実だ。これから裏切るとは考えにくかった。うっかりどこかで情報を漏らす恐れはあるとしても、ここで隠すような事はしたくない。

 ノノミから連絡があり、ホシノとは無事に合流できたそうだ。アヤネとセリカに頼んだ調べもの──柴大将から裏がとれた──の方も終わっているらしい、すぐにでも集まりたいという内容だった。

 そう、本当ならアビドス校舎に戻らなくてはならないのだ。

 それでも、私の中には柴大将から指摘された事がずっと残っている。

 ずっと抱えている問題だ。<シャーレの先生>として、私には大きな欠陥がある。役割に相応しくない。それを放置していれば、いずれ取り返しのつかない事になるだろう。目覚めた時から分かっていた事だった。

 

「……<カイザー・グループ>がアビドスを狙う理由が砂漠にある。そこを抑えるつもりだ」

「そうじゃなくて、先生の問題の方よ」

「…………」

「これから先、アビドスの子たちは今まで以上に危険な相手と戦うことになる。その時に先生がしっかりしてなきゃでしょう?」

「……その、しっかりしているというのが良く分からないんだ」

 

 これまで無限に言われてきた、自身を危険に晒し過ぎているだとか、無表情だとか、声に抑揚が無いだとか、セクハラとストーキングまみれのノンデリ失言野郎だとか、そういった指摘は真摯に受け止めてきたつもりだ。

 自分に自信が持てないのだって、どうしようもない事だ。記憶も実績もない私が自信満々なのは論理的におかしく、極めて異常だと言える。一朝一夕で解決できる問題ではない。

 それで駄目なのなら、そこが私の限界なのだ。

 だが──生徒の未来がかかっている以上、そうも言っていられない。アビドスは一度でも負けたら終わりだ。出来ないは通用しなかった。

 

「どうして分からないのかしらね?」

「先生が記憶喪失だからでしょ」

「き、キヴォトスに来る前の事がお、思い出せないと伺いました」

「へっ!?」

「えー? 経営顧問とか言っといてアルちゃんだけ知らなかったのー?」

「き、記憶喪失? ……え、じゃあ私、けっこう不謹慎なこと言っちゃってた……?」

「かもね」

「でもでも、あんなに戦術指揮してたし……」

 

 陸八魔アルの反応を見た私は少し安心した。記憶喪失だと悟られていないのが分かったからだ。傍から見て気づかれないのなら、擬態出来ているという証拠になる。

 私の顔を鷲掴みにしていたカヨコが離れ、代わりにアルが前にやってきた。少し屈み、ベンチに座っている私と目線を合わせる。

 

「社長である私から言わせてもらえば、先生は線引きし過ぎよ」

「線引き」

「そう。”先生”と”生徒”ってね。確かに今のアビドスは先生にしか頼れない。でも、一方的な関係はいつか絶対に無理が来るものよ。あの子たちも、先生から頼ってほしいって思っているんじゃないかしら」

 

 柴大将からも言われたが、それは難しい。

 やはり無理だと思う。

 

「私は先生になら出来るって信じてる」

「なぜだ」

「私たちの事を信じてくれたからよ……ハルカ」

 

 果たし状が入っている胸ポケットをつついたアルは立ち上がり、伊草ハルカが抱えていたボストンバッグを私の隣に置いた。

 見た事のある鞄だった。

 

「それは……」

「昨日、言ったでしょ? 副収入があったの。それを先生に預けるわ」

 

 銀行強盗で手に入れた数十億円規模の金品だ。アビドスがいらないと言ったので、たまたま近くにいたアルに渡したはずのものだった。

 

「柴大将に直接渡そうかとも思ったけど、ああ言われちゃったしね。でも手をつけるわけにはいかないから、先生に託すのよ」

「汚れた金だろう」

「うるさいわねっ! 資金洗浄くらい出来るでしょう!?」

「それはそうだが……アル達はどうするんだ」

 

 流石にアビドス襲撃は続けないだろう。さりとて、依頼を果たせなければカイザーから狙われかねない。つまりブラックマーケットにも戻れない事になる。

 

「私たちはアウトローよ。どこでだって生きていける」

 

 アルは自信満々の様子だった。闇銀行で見た不安の陰はもはや無い。

 その変化にもしも私が寄与できているのなら、それはとても嬉しい事だった。

 

「アル、ありがとう」

「当然よ。元気出しなさい。皆が先生のこと見ているんだから」

「……ああ」

「そういえば先生、どうして傭兵連中を雇ってたの?」

「私たちのこと切り札とか言ってなかったー?」

「…………」

 

 良い雰囲気が切り裂かれた。

 まったく裏切られた気分だった。このまま私がやる気を出して終わりという流れだったのに、一番掘り起こされたくない話題にはノータッチで行けると思っていたのに、これだ。なにもかも台無しだ。

 ムツキはニッコニコだし、カヨコもいつになく楽しそうにしている。統計的に考えて、どうしてか生徒達は私を追い込む時に表情を輝かせるのだ。理解不能だった。

 

「その話は今はいいだろう」

 

 私は首を振りながら立ち上がり、いつでも逃げられる位置を取ろうとしたがまた座らされた。

 

「良くない」

「え? どういうこと?」

「この先生は私たちが前に雇った傭兵ちゃん達を囲ってたでしょ? なんでかなーって考えると、私たちと戦うためなんじゃないかなーって思う訳」

「ど、どうして?」

「昨日の時点で、私達がアビドスをまた襲いそうだったからでしょ」

 

 そうだ。

 私が拉致された一度目の襲撃事件。あの時に<便利屋68>が雇用していた傭兵部隊に接触していた。阿慈谷ヒフミに紹介されたブラックマーケットの連絡網を辿っていたら見つける事が出来た。

 依頼内容はこうだ。『便利屋68から再び仕事を持ち掛けられたら、受けたフリをしてこちらの味方をしてほしい』。

 アル達が再びアビドスを襲うとして、頼るとしたらブラックマーケットの戦力だと考えられた。その中で誰を指名するのか予想すると、直近で仕事を共にしていてアビドスの地理にも明るい、あの傭兵部隊に白羽の矢が立つ事は想像に容易かった。

 だから、あらかじめ策を講じていた。

 そうでなくても、アビドスの弱点の一つである人数不足を補填できうる戦力だ。アル達が柴関ラーメンを爆破した段階で伏兵の仕込みを済ませていたのである。

 私の背後に回ったカヨコが再び頭を鷲掴みにしてきた。

 

「私たちがまた傭兵部隊を雇ったら、後ろから襲わせようとしてたんだよね? 先生」

「で、アコの位置が判るまでムツキちゃん達を前で戦わせて、あのタイミングで奇襲させたんだもんね? せんせ♪」

「…………」

 

 どうしていつもこうなるのだろうか。私はみしみしと音を立てる頭蓋骨の中で思考を巡らせた。

 いつの間にか絶体絶命になっている。なるべく<便利屋68>を刺激しないよう言葉を選ばなくてはならない。

 

「備えあれば憂いなし。過ぎた事だ。使わなくてもアル達には勝てたんだしな。気にしなくても良いんじゃないか?」

 

 私はもみくちゃにされた。

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