先生「バキバキの記憶喪失」   作:地産地消

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第27話 地獄と楽園

 あてもなく歩く。

 気力はなかったが、アビドス校舎から離れなければならないという意識だけはあった。

 糸が切れたよう、というのはまさに今の状態を指すのだろう。数時間前まではまだ、これからの展開について考えていた。<カイザー・グループ>とそれにくっついている変質者を駆逐し、アビドスの状態を少しでも良いものにする。

 そのためには他の学園を廻り、物資を集め、準備を済ませてまた砂漠へ向かう必要があった。

 しかし、今ではそのモチベーションが一切なかった。いつも携帯していた”シッテムの箱”を置いてきた今の私は、すでに<シャーレの先生>ではなかった。あれがなければ、何の役にも立たないただの病人に過ぎない。

 体に力が入らない。思考が巡らない。気力が完全に尽きていた。

 かなりの時間を歩いたようだ。真っ暗だった空は、だんだんと明るくなってきている。

 

「…………」

 

 スマートフォンに着信があった。アビドス生の誰かだと思ったが、違う。

 陸八魔アルからのものだった。応答する気になれず、そのままじっと見ていると呼び出し音が途切れた。

 すぐにモモトークへ書き込みがあった。

 

【こんな時間からごめんなさい】

【なんだか嫌な予感がして】

【カイザーのニュースもあったし】

【そっちは大丈夫?】

 

「…………」

 

 異様に勘の鋭い少女だ。

 そういえば──ブラックマーケットで銀行強盗をした直後にもこんな事があった。完璧な変装をして、完全に痕跡を消去したはずなのに、陸八魔アルは私達の居場所を突き止めてきたのだ。

 

(アルか)

 

 ゲヘナを抜け、三人の仲間と共に起業をした、恐らく唯一の生徒。善良だが間が抜けていて、しかしその結束だけはアビドスにも劣らない。

 いつも資金難でまともな事務所もないのに、<便利屋68>という居場所を守り続けている。

 その在り方は、今の私には眩しかった。劣等感を刺激するものだった。

 

「…………」

 

 ふと、アビドス校舎の方を振り返る。まだ誰も登校していない時間だ。いま引き返せば、こんな醜態を晒している事はバレずに済む。

 しかし、どう説明する? 去っていくホシノに最後まで手が届かなかったと皆に明かすのか? その後はどうする? その答えが出ない以上、私に戻る資格はない。

 アルへ返信することなくスマートフォンをポケットにしまう。捨ててしまいたかったが、これは支給された物だ。先生を辞めた私の一存で破棄する事は出来ない。

 

 そのまま歩きを再開する。考えるのは、あの赤い記憶の事だ。生徒達から銃と敵意を向けられるのは別に良い。別に驚く事ではない。問題なのは、彼女らに銃を向けさせた事だ。

 私は銃弾を受ければ死ぬ。つまり、撃たせるという事は子供達を人殺しにさせてしまうという事だ。記憶の中の彼女らは、それを承知の上で発砲していたのか──それは不明だが、そんな結末へ導いてしまったのは私自身の責任だ。

 あんな事になるのなら、またはあんな事があったのなら、やはり<シャーレの先生>として活動する事は出来ない。

 私は生徒達を幸せにするために存在している。それを叶えられないなら、不幸にするのなら、不要な存在なのだ。簡単な話だった。

 

「…………」

 

 またアビドスの校舎を振り返る。情けなさの極致を体現しているようだ。

 私に先生としての資格がないのは理解できる。当初の想定通りだ。だが、始めてしまった責任はあるだろう。せめてカイザーを黙らせておかなければ、アビドスの立場を悪くしてしまう。

 ホシノの件だってそうだ。私が来たせいで彼女が離脱したのだから、それを元に戻してからでなければ先生を辞める事は出来ない。

 それを言うなら、エデン条約の件もある。私のせいで苦しんでいる生徒がいるのだから、問題をそのままにしてはおけない。

 

「……くそ」

 

 そんな考えばかりが浮かんでくる。責任を果たせと、誰かがずっと脳裏で叫んでいる。

 なまじまだ取り返しがつくタイミングだから、私の情けなさもまろび出てしまうのだ。ここに来て責任という概念がようやく理解できてきていた。

 とても重いものだと思う。自分が最も苦しい時に、自分が今までやってきた事が返ってくる。のしかかってくる。

 逃げ出したくなる。

 いつの間にか、懐のホルスターから”ピースメーカー”を抜いていた。

 白銀のソリッドフレームで、装弾数は四五口径が六発。撃鉄を起こせばすぐにでも発砲できる。簡単な仕組みだ。

 銃口をこめかみに押し付ける。

 

「…………」

 

 撃つ事は出来なかった。ここで死ねば、<対策委員会>のメンバーに迷惑をかける事になる。独立連邦捜査部の生徒達もだ。カイザーが情報工作を続けている現状を放置すれば、<シャーレ>へ加入してくれている生徒の評判まで落ちてしまう。

 ──そうだ。先生をやると決めたのは私自身だ。ここで投げ出すわけにはいかない。

 そう考え、苦労してリボルバー銃を降ろす。そしてまた歩き出した。せめてカイザーを何とかするところまでは事を進めなくてはならない。

 しかしそれには、ホシノを取り戻す事が絶対の条件となる。去っていく直前の、あの少女の背中を思い出す。彼女も今の私と同じだ。

 これまでやっていた事に意味を見出せず、しかしのしかかる責任の重さに耐えきれなかった。事態の解決のために動いているホシノの方が、よほど大人なのだろう。

 

(私は……)

 

 何のために存在しているのだろうか? 何をするためにここにいるのだろうか? 何者なのだろうか? 

 ずっと考えている。過去が無いという事は、これらの問いに対する答えをもたないという事だ。だから、苦しんでいる生徒を支える事が出来ない。

 今の私がホシノに会っても、また同じ結末を辿るだけだ。いや、さらに事態を悪化させるだけだろう。

 

 どうすればいいか分からず、歩みを進める。

 日が昇りつつあった。アビドスの旧自治区の市街地。人の気配が無いこともあって、辺りは酷く静かだ。この辺りは何度も足を運んだ。

 うっすらと砂が積もった道を進む。真新しい弾痕と爆破の形跡。破壊された建造物。ここは戦闘の跡地だった。その一角だけが、綺麗に整地されていた。

 

 柴関ラーメンのあった区画だ。

 ゲヘナの<風紀委員会>との戦闘が終結した五時間後には、この店舗は塵一つ残さず撤去された。そのままD.U.の<シャーレ>オフィスビルへ緊急搬送され、地下の”クラフトチェンバー”にて祭壇へと加工されている。それは当然の措置だった。

 

 全てが懐かしく思えた。

 あの味も、あの香りも、あの居心地も。思えば、ここへ案内してくれたのも小鳥遊ホシノだった。あの頃はまだ、カタカタヘルメット団と戦っていた辺りだったか。セリカからは本気で嫌われていたし、ホシノからも疑いの目で見られていた。

 そこから一か月ほどで、こんな所まで来てしまった。誘拐された生徒を救出して、便利屋と出会って拉致されて、ブラックマーケットを襲撃して、便利屋から挑戦状が送られてきて、そして柴関ラーメンが爆破された。そのまま戦闘が続き、銀鏡イオリに粘着し、空崎ヒナとの粘着バトルに勝利し、<カイザー・グループ>の基地を襲撃した。

 

 砂狼シロコに言われた通り、この一か月にやった事の大半は戦闘行為と犯罪行為である。

 それでも、この場所は温かった。”先生”という役職を外せる唯一の場所だったのだ。だから執着していたのだろう。たった一つの逃げ場として。

 それも、もう失われた。

 更地になった区画を眺めていると、背後から声がかけられる。

 

「まだ開店時間じゃねえぞ」

「……柴大将」

「ったく、筋金入りの常連だな? 先生」

 

 最近は入院用の衣服だったが、今は甚平を纏い、タオルを頭に巻いたいつもの姿だ。大将の予定を私は本人よりも正確に把握している。退院まではまだ日にちがあったはずだ。

 

「お、お疲れ様です。どうしてここに」

「俺の店があった場所なんだから、不思議じゃねえだろ?」

「そうですが……」

 

 私の願望が生み出した幻影かもしれない。むしろその可能性の方が高い。なぜなら、この数日で何度か柴大将の幻を見ているからだ。幽体離脱した時も見た。

 目を擦り、ほっぺを叩いてみるが変化は無い。幽体離脱もしていないはずだ。だから、目の前にいる御仁は間違いなく本人という事だ。

 初見だったらしい柴大将は余りにも美しく整地されている柴関ラーメン跡地にひとしきり絶句した後、付近にあったちょうどいいサイズの瓦礫に腰掛ける。

 そしてぽつりと言った。

 

「なんかあったんだろ?」

「……生徒の力になれませんでした」

 

 これまでの事情を説明する。

 過去の事で苦しんでいる生徒を、最後まで支えられなかった事。先生なのにも関わらず肝心な時に頼りになれなかった事。そして最悪な事に、全てを投げ出してここまで逃げてきた事。

 柴大将は私が右手に持っていた拳銃をチラリと見た後、ほうと息を吐いた。

 

「で、これからどうするんだ」

「まだ決めていませんが……カイザーの基地へ行く事にはなると思います」

「先生一人でか?」

「そうです」

「それは、その銃で頭をぶち抜くよりマシな考えなのか」

「う……」

 

 一度目の侵入で、基地内部のスキャンは済んでいた。電子機械類が纏められた区画に食糧庫、燃料庫、武器庫、格納庫、居住区に詰め所の位置。人員や兵装の細かい配置はまだアロナから聞いていないが、私一人でも潜入工作くらいは可能だろう。

 地下のエネルギーも調査してあるし、そこは明星ヒマリから<シャーレ>を経由して<連邦生徒会>へ報告してもらえる。

 負債が限界を突破してしまったアビドスをこのままにはしておけない。あのガラクタ集団を滅ぼせば、あとは<対策委員会>がホシノを救出してくれるはずだ。

 ……という事を柴大将に続ける。それは酷く滑稽な事だった。私の言葉に中身は無く、都合の良い希望的観測で固められた、空っぽな思考に過ぎない。

 まるで私自身のようだ。

 言い訳をするように、言葉を続ける。

 

「私には記憶がありません。自分が何者で、何をするためにここにいるのか、どこへ行けばいいのか、何も分からない。ここが限界なんです。このまま行けば、取り返しのつかない事になる」

 

 虚勢を張って、中身のない”先生”を続けた結果があの結末なのだろう。生徒達から敵意を向けられ、最後には大勢を傷つける。何があったかは不明なものの、子供の将来に悪影響を与える事には違いない。

 どこまで行っても、有害なだけの存在なのだ。

 だから、ここで消えた方が良い。

 

「何も無い……ね」

「そうです。私には与えられた<シャーレの先生>という役割以外には何も無い。今がそうだ。もう何も出来ない。ただの病人に過ぎない」

「ま、先生のそういう所は病的だって思うがよ……」

 

 瓦礫に腰掛けていた柴大将は後頭部を仕方ねえなと呟きながら、後頭部を掻きつつ立ち上がる。

 

「記憶が無いと先生が出来ないのか?」

「……はい」

「じゃあ、ほら」

 

 懐から出されたのは一枚の紙切れだった。

 手渡される。

 写真だ。

 

「これは……」

 

 柴関ラーメンの店内で撮影されたものだ。初めて足を運んだ時、アルバイトとして働いている黒見セリカの様子を見るために入店した。

 顔を真っ赤にして怒っているセリカに笑顔で注文を飛ばすホシノと、その対面で苦笑しているアヤネ。満面の笑みのノノミと、いつもより表情の柔らかいシロコ。

 爆破前から店内に飾ってあったものだ。写真は少し煤けているが、まだ綺麗な状態だった。

 

「記憶ならあるじゃねえか」

「…………」

「セリカちゃんから聞いたぜ。先生がアビドスを助けたいって思った理由」

 

 彼女達に幸せになってほしかったからだ。それは”先生”という職務から来た使命感や義務感ではなく、私個人のワガママな考えだった。

 あの五人の願いを守りたいと思った。その居場所を、その未来を、少しでも良い方向へ向けたいと願った。

 光が差す。

 辺りが段々と明るくなってくる。日が昇って来たようだ。

 

「先生が来てから、あの子たちは随分と明るくなった。誰がなんと言おうが、それは俺が保証できる」

「ですが……」

「なあ、先生。大人ってのは自分のやった事に責任を持たなくちゃならねえ。だがよ、もう一つ必要なもんがある。わかるか?」

 

 私は首を振った。

 

「自信だよ。自分はこれだけちゃんとやったってな。責任だけだと今の先生みたいに潰れちまう。自信だけあっても意味がねえ。自信と責任、両方持ってるのが良い大人なんだと思うぜ」

「自信を持つ根拠が……」

「だから、そこにあんだろ?」

「アビドスの子たちだけじゃなく、あの便利屋連中も、美食がどうのって言ってたゲヘナの子も、先生と一緒にいた生徒さんは皆、楽しそうだった。それでも、資格が無いなんて言えるのか?」

「…………」

 

 もし──もし私が少しでも認められているのなら、今やっている振る舞いは生徒達の思いを踏みにじる事に繋がる。それはカイザーのような大人と同じだ。

 上着の左ポケットの中から、写真の束を取り出す。セリカ救出後のお泊り会、便利屋に拉致された後、ガチで説教を受けている私を囲んでいる時の物。ブラックマーケット潜入前に覆面姿で取った集合写真、それにヒフミも加えた物もある。

 

「たった一か月かも知れねえけどよ。ずっと頑張ってきたじゃねえか」

「…………!」

 

 朝日に照らされた写真が、少し滲んだ。

 柴大将は唯一、私が目標とする大人だ。その彼から認められるのはとても嬉しい事だった。それが例え、この場のための配慮が混ざった言葉だったとしても救われる。

 そうだ。私は──彼女達に、ずっと笑顔でいてほしい。この写真のように、いやそれ以上に、幸せになってほしい。そのためなら、なんだって出来る。

 だが、それには小鳥遊ホシノを連れ戻さなくてはならない。

 出来るのだろうか。一度は折れた私に、暗闇の中へ去った少女の手を取る事が可能なのだろうか。

 どうしようもなく不安だ。自信を持つことに恐れを感じる。だが、それでも。

 私はホシノに──<対策委員会>の皆に、伝えなくてはならない事がある。<シャーレの先生>としてではなく、一人の人間として。

 こちらを見ていた柴大将がふっと笑う。

 

「先生な」

「はい」

「屋台、出す事にしたんだ」

「屋台」

「ああ。俺は店を出す前、屋台で回りながら味を磨いててよ。今はリハビリ中だし、土地の権利問題もある。しばらくは屋台でやってこうかと思ってる」

 

 私は自分の目がバキバキになるのが分かった。

 今の発言は店を再開するため、屋台をやるという内容だったはずだ。それはつまり──柴関ラーメンが復活する事を意味している。

 

「それはいつでしょうか」

「決めてないんだがな……」

 

 柴大将はニヤリと笑った。

 

「先生は一番の上客だったからよ。決めてくれていいぜ。だが──その時はアビドスの五人も一緒だ」

「つまり……」

「俺はいつでも良いぜ。先生次第だ」

 

 その意味するところは理解できていた。

 私は周辺の区画と比べて異様なまでに綺麗な柴関ラーメン跡地へ視線を移す。木端微塵になり、もう二度と戻れないと勝手に考えていた。

 台無しになっても、また再出発すれば良い。そんな当然の事さえ、私は思い至らなかった。

 随分と体が軽くなったような気がする。今まで自分を満たしていた怒りでなく、全く別のものが力を与えてくれていた。

 だから、はっきりと言える。

 

「明日の、今と同じ時間でお願いします」

「良いんだな?」

「はい!」

 

 私はしっかりと頭を下げる。顔を上げた時には、柴大将は背中を向けていた。

 

「行くんだろ? 俺はここで待ってるからよ」

「ありがとうございました!」

 

 もう一度頭を下げ、私は全速力でアビドスの校舎へ引き返した。

 

 ◇

 

 七分二五秒。

 自己ベストを大きく更新して到着。汗だくになり、息も絶え絶えに廊下を歩く。既にホシノを除いた四人全員が登校しているようだ。匂いで分かる。女子生徒しかいない校舎に息を荒げたまま侵入するとは、変質者だと誤解されても仕方ないと自分でも思った。

 肺が痛い。喉の奥から血の味がする。心臓が炸裂直前の爆弾のように荒ぶっている。足が酷く重い。歩くために上げるのも億劫だ。どうして早朝からこんなに満身創痍なのだろう。

 そんな事を疑問に思いながら、<対策委員会>の部室に到着する。全員が中にいるようだ。匂いで分かる。

 扉を開けると、四人分の視線が私に集中した。

 ホシノが置いていった手紙の横に”シッテムの箱”が放置されている。それが意味するところは予想できるだろう。

 

「みんな、おはよう」

「あ、先生」

「おはようございます!」

「だ、大丈夫? すっごい汗だくだけど……」

「先生! ホシノ先輩がこんな手紙を……!」

 

 慌てた様子のアヤネから手紙が渡される。四人は既に中を確認しているようだ。封筒には便箋が五枚と、退部届が納められていたようだ。

 文面を確認する。後輩達と私に当てた手紙が一枚ずつ。それぞれに対しての想いが綴られている。

 私への手紙は少し様子が違っていた。何度も手直しした形跡がある。新しく書き直せば良いのにと思ったが、手紙の用意が他に無かったのかもしれない。消しゴムを何回にも渡ってホシノの馬鹿力で使用したためか、可愛くデフォルメされたクジラの絵が悲惨な事になっている。

 内容に関しては他のメンバーと比較して簡単なものだった。

 心配しなくていいと嘘をついた事の謝罪と、退部する事への説明。以前に聞いたものと似たような内容だった。

 何度も書き直すような文章ではない。

 

「……なるほどな」

 

 私はそれをアヤネに返すと、全員に頭を下げた。

 

「皆、すまない。任されていたにも関わらず、私はホシノを引き留める事が出来なかった。ひとえに私の力不足だ。それに……一度は全てを諦めようとした」

「せ、先生?」

「急にどうしたの?」

 

 動揺している一年生組に説明する事なく続ける。

 

「ホシノと最後に会ったのは私だ。その手紙を置きに来たホシノを引き留める事が出来なかった」

「…………」

「先生……」

 

 シロコとノノミの二年生組も神妙な面持ちだった。

 暗闇に支配された校舎で、ホシノと交わした言葉を思い出す。彼女は誰かがいなくなる事を何より恐れていた。それは<対策委員会>の誰かであり、顧問である私の存在も含まれる。

 ヘイローを持たない脆弱な私が自身を軽視した言動を繰り返した結果、ホシノのトラウマを刺激してしまった。

 つまり、今回の事態の原因は私にあるという事だ。だから、私にホシノを引き留める資格が無いと思った。

 

「それが、”シッテムの箱”を置いて行っちゃった理由?」

 

 シロコからの問いに頷く。

 

「皆にはまだ言っていなかったが、その”箱”には特別な力がある。アビドス砂漠に存在している謎のエネルギーが呼応するような力だ。使い方次第では世界を滅ぼせるような力……だと思う」

 

 究極の奇跡などと呼ばれる力だ。どこから来るのか、何のために存在するのか全てが未知。それを使うための対価として、以前の私は記憶を差し出したのかもしれない。

 

「ほんの一部だが、記憶が戻った。大勢の生徒から銃を向けられている記憶だ」

「えぇっ!?」

「それは……キヴォトスの記憶ですか?」

「そうだ」

 

 あのビジョンの中にはアヤネ以外のアビドス勢もいたが、それを言う事は出来なかった。彼女達を傷つける恐れがあったし、将来的に決別するかもしれないと告げるだけの勇気が私にはなかった。

 

「過去の私は目も向けられないほどの失態をしたんだと思う。今の私が自身を危険に晒すのは、きっとそれが原因だ。そして、それがホシノを追いつめた。全ての責任は私にある」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「だが、それでも……私はアビドスを諦める事が出来ない。だから戻って来た。皆に伝えないといけない言葉がある」

 

 その言葉を口にするのは何より勇気が必要だった。

 ただでさえ、柴大将からの後押しがなければここまで来れなかった。

 

「私には、本当に”先生”としての才能がない。無表情で声に抑揚が無いし、人に何かを伝えるのも苦手だ。悩んでいる生徒を更に追い込むような人間で、何度もチャンスをふいにして、大切な事はいつも誰かから教えてもらってばかりの出来損ないだ」

 

 こういう時、相手が信じたくなるような振る舞いをしなくてはならない。堂々と、皆の目を見て、はっきりと簡潔に想いを伝えるべきなのは理解している。

 なのに私は汗だくで声も体も震えていて、恐怖から床を見つめている始末だった。

 本当に情けない。自分に反吐が出る。

 視界はずっと、あの赤い記憶に支配されていた。真っすぐに向けられた、敵意の眼と銃口。どうしようもなく”間違えた”という結末が私の過去と未来にある。それに彼女達を付き合わせるかもしれない。

 私は生徒を地獄へと招こうとしている。

 

「それでも私を──」

 

 続く言葉が出てこなかった。喉が引きつっている。肺が仕事をしていない。ここへ走って来た時以上に鼓動が早まっている。このまま死ねたらどれだけ楽なのだろう。

 無力で無価値で、無責任な大人。もっとも唾棄するべき存在は自分なのだと、思い知らされ続けている。資格が無い事は百も承知だ。

 だが、私は言わなければならない。そのために戻ってきたのだ。

 なのに、言葉が出ない。

 

「わ、私を──」

 

 最初の勢いはとうに無くなっていた。

 やはり無理なのか。

 下を向いていたくなくて、しかし前を見る事も出来ない。横を向くしかなかった。

 真っ赤に染まっていた視界が晴れて、教室の壁が映る。

 そこには三枚の写真が飾られていた。

 一枚目はノノミとシロコの入学式の写真だった。一人から三人に増えた時のものだ。

 二枚目はアヤネとセリカの入学式の写真だ。三人から五人に増えた時のものだった。

 三枚目は顧問が加わった時のものだ。五人から六人になった時のものである。

 この写真を飾ってくれた少女は、もうここにはいない。

 気づいた時には、彼女達を真っすぐに見て言っていた。

 

「私を、信じてほしい」

 

 不満顔のシロコがぽつりと言った。

 

「……いまさら?」

「え……」

「てか、どんだけ汗だくなのよ?」

「まあまあセリカちゃん。先生がこういう事を言ってくれた事って今までなかったから……」

「こうして言葉にしてくれるのはとっても嬉しいです☆」

「もう時間がない。会議を始めよう」

 

 あまりにもあっさりした反応に絶句してしまう。<対策委員会>のメンバーはいつも通りの様子で席につき、予定通りに会議を開く準備を進めている。

 

「なにしてんのよ。早く座んなさい」

「はい……」

 

 なんか……思ってたのと違った。

 

「どうしたの?」

「不貞腐れてもいいだろうか」

「ん、駄目」

 

 もはや会議どころではない。自分が今まで悩みに悩んでいた事がこれだけあっさり片付くと感情の整理が出来なかった。柴大将に会いたい。会いたくて仕方がない。

 めそめそしている私に、皆が声をかけてくる。

 

「まだ私達は失敗してない」

「そうよ! こんな手紙を置いてく先輩と先生が勝手に諦めてるだけだし」

「やる事は変わりません。いつも通りに会議をして、皆で決めた事を行動に移すだけです!」

「先生をホシノ先輩の所まで届けるのが、私達の役割ですから☆」

 

 反論の余地はなかった。

 私がアビドスを訪れてからというもの、トラブルは毎度の事だった。それに対して都度、会議を開いては意見を出し合い、役割分担を決めて実行する。

 今回だってそうだ。なにも変わらない。それが<対策委員会>のやり方だった。

 

「先生、今後の予定について改めてお聞きしたいのですが」

「……うむ。ホシノを救出する以上、もう時間をかけてはいられない。今日中に全て片付ける」

「という事は……」

 

 既にアポイントメントを取り付けているゲヘナの<風紀委員会>と、トリニティの<ティーパーティー>との会合は予定通り行う。

 変更点があるとしたら、そのままカイザーの採掘基地へ強襲をかけるという部分だろう。本当ならもう少し準備をしてから臨みたかったのだが、もうそんな余裕はない。明日の朝には柴関ラーメンへ行く予定が出来た事もある。悪徳企業如きに時間をかけてはいられない。

 

「皆は移動拠点の装甲列車を出せるよう準備をしていてくれ。それと充分な休息だ。次が最後の戦いとなる。コンディションは一番いい状態にしておいてほしい」

 

 資材の搬入は既に完了している。昨日使用した装甲列車の補給と整備だけなら午前中で終わるだろう。カイザー製武装の訓練も終了しているから、半日近くは休める計算だった。

 異論がある者もいないようで、次の議題に移る。

 

「その……なんというか。ホシノの件だ。先ほどの話通り、私が連れ戻す事は決定事項だが、ここで皆の意見を聞いておきたい」

「私達の意見ですか?」

 

 アヤネの言葉に頷く。

 あの委員長はいま、自分の殻に閉じこもってしまっている。アビドスの面々も詳細を知らない彼女の過去が、ずっと小鳥遊ホシノを苛んでいる。

 この自治区が尽きない問題を抱えている以上、ホシノの心労もまた尽きる事はないだろう。同様の事が起こらないよう、処置を講じる必要がある。

 捕まえてきたホシノに何をするべきなのか……。素晴らしい抑止効果を期待出来る方法。何かないものか。

 ノノミが手を挙げた。

 

「ホシノ先輩の目の前で、この手紙を朗読したいです!」

 

 それ以上の案が出る筈もない。満場一致で可決される。

 かつてない程やる気全開になった私は、その勢いのままゲヘナの自治区へ赴いた。

 

 ◆

 

 空崎ヒナは暗い階段を下っていた。一歩進むごとに、制服に備えられた金の細工が冷たい音を奏でる。

 ここは<風紀委員会>が管轄している区画の一つだ。自治区内で問題を起こした生徒を収監するための施設で、様々な人間が出入りする。

 とはいえ、ほとんどの関係者は生徒だ。<ゲヘナ学園>の治安はキヴォトス最悪とも言われている。風紀委員によって拘束された生徒はここで監視の下、謹慎か、反省文の提出などを経て解放される。

 生徒以外の人間がここに入れられる事はなかったはずだ。少なくともヒナはそんな事例を今まで知らなかった。

 牢屋の中で一人の男性が壁に背中を預けて座っている。

 コンクリートで覆われた、堅牢で冷たい空間に静かな声が響いた。

 

「ヒナか、久しぶりだな」

「……そうね」

 

 キヴォトスで今、最も注目を集めている人物だ。

 癖のある黒髪に、質素な眼鏡。白衣にも似た制服に少しくたびれた黒いシャツ。携帯していたスマートフォンと時代遅れのリボルバー銃、そして電源の入らないタブレット端末は没収されている。

 絶大な権限と莫大な予算を有する独立連邦捜査部を任された彼は、この学園都市内において特権階級に位置する人物のはずだ。

 その<シャーレの先生>が、こうして地下牢に幽閉されている。それも、ヒナがトップである<風紀委員会>の手によって投獄されたのだ。

 大問題である。

 ヒナは同年代の女子と比較しても小さな手を額に当てた。そうしなければため息を吐くのを我慢できなかったからだ。

 

「会えてよかった」

「…………」

 

 なにやら元気そうだ。以前に会った時と比べて柔らかい印象すら覚える。しかしここは地下牢であり、そんな環境でリラックスできる相手が正常だと思いたくない。

 

「まずは事情聴取をさせてもらう」

「良いだろう。以前はゆっくり話す事も出来なかったからな」

「…………」

 

 ペースが乱されているのを感じる。

 空崎ヒナは<ゲヘナ学園>において力のみで君臨している生徒だった。少なくとも周囲からはそう思われている。自校の生徒だろうが他校の生徒だろうが、ヒナを前にすれば萎縮の極みのような状態になる。そうならないのはヒナと同種の生徒くらいだった。

 この先生はキヴォトスでも珍しい存在で、こちらの常識が通用しない。それは分かっていたが、自分を前にして平然としている相手の様子は、ヒナには酷く珍しく思えた。

 

「単刀直入に訊くけど、どうしてイオリの脚を舐めたりなんかしたの?」

「舐めろと言われたからだ」

 

 相手は堂々と返して来た。後ろめたさを微塵も感じていないという事が声音から理解できる。

 そう……この先生はゲヘナの自治区に足を踏み入れた三〇分後に逮捕されている。<風紀委員会>所属の銀鏡イオリに対し、不適切な行為に及んだためだ。

 先生は本来、ヒナと会うためにゲヘナを訪れている。以前から申し入れのあった会談を<万魔殿>が<風紀委員会>へ丸投げしたのだ。

 さっさと仕事を片付けたいために予定を組み込んだのだが、まさかこんな事になるとは思わなかった。ヒナはこの会談を秘密裏に行いたかったのに、<シャーレ>は公式SNSで告知してしまった。

 以前の戦闘での経緯から、先生に対して強い反抗心を抱いている銀鏡イオリと天雨アコには黙っていたかったのに……我慢していたため息が漏れる。

 

「イオリの脚を舐めなくても、私は先生と会うつもりだった」

「だが、イオリはいつも通り何も知らない様子だった。『脚を舐めればヒナ委員長に会わせてやっても良い』と彼女から言われた。私はその通りにしただけだ」

「……本当にそれだけ?」

「今の私には時間が無い。ヒナが周囲に情報を隠したという事は、この会談を秘密裏に進めたかったからだ。スパイの存在を警戒している」

「そうね。その通り」

 

 ゲヘナと<シャーレ>が会談を行うのは、政治的に極めて大きい意味を持つ。なにせ単なる治安維持組織に過ぎない<風紀委員会>が、自治区の代表として振舞うのだ。

 それは非常に危険な行為だった。クーデターを画策していると取られかねない。

 無論、他の自治区もこの機会を見逃さないだろう。先生とヒナの一挙手一投足をつぶさに観察しようとしてくるはずだ。自治区内のスパイが活性化する可能性は充分に考えられた。それだけならまだ良いが、騒ぎなどが起こって<シャーレの先生>に怪我など負わせようものなら、身の毛もよだつような事態に発展する。ヒナは内外から責任を追及され、信じられないほど面倒な事になるだろう。

 この先生は大人なのだから、そこまで考えてほしかった。

 

「なら、この環境は理想的なはずだ」

「…………」

 

 あっさりと言われ、考え込む。

 確かにそうだ。この地下牢は<風紀委員会>が管理している空間であり、人払いさえすれば、第三者が紛れ込める可能性は皆無だった。盗撮や盗聴の危険もない。

 密会にはもってこいの環境ではある。

 背筋がぞくりとするのを感じた。

 この先生はイオリの様子からヒナの考えを予測し、わざと拘束される事で理想的な環境をセッティングしたのだろうか? 

 知人の中で唯一<シャーレ>に加入している火宮チナツからも『あの先生は良くも悪くも底知れない所がある』と報告を受けていた。当時は意味が分からなかったが、今は少し違った。

 

「先生の考えを聞かせてほしい」

「<シャーレ>は困っている生徒の助けになる事を標榜している。空崎ヒナは最優先リストに名前が載っているんだ」

「あのね……。先生が記憶喪失なのは知ってる。その上でアビドスを助けている事も。<ヘルメット団>や<便利屋68>と戦って、<風紀委員会>にも襲われた。今は<カイザー・グループ>と真正面から対立してる。私の事なんかに構っている場合じゃないでしょう?」

「”なんか”、ではないな」

「どういう意味?」

 

 ヒナのペースが乱される。

 普段接する相手のほとんどは、恐怖や憎しみ、または露骨な対抗心を向けてくる。そういう連中ばかりを相手にしている。

 だが、目の前の男は空崎ヒナの事を真っすぐ見て話して来る。アビドスのために救援の依頼に来ているはずなのに、他の理由があるかのようだ。

 煩わしく感じる。足を捻れば、冷たく固い地面がじりじりと削れる。

 

「多くの生徒を見たわけではないが、放置してはいけない相手の特徴は理解できているつもりだ。ただ力があるというだけで望まぬ地位にいる生徒のほとんどは苦悩している。キヴォトスが抱える最も大きな歪みは、生徒が自治を行うという部分だ。子供が大人のように責任を負わなくてはならない。誰かが犠牲にならなくてはならない。私は先生として、ヒナのような生徒の支えになる必要がある」

 

 目を細める。眉間に皺が寄るのが分かった。子ども扱いをされていると感じたからだ。ほとんど会った事もない相手から保護者を気取られれば、不快に思うのも無理はない。

 いや違う──相手をそう思いたい自分の幼い部分を認識させられる事が不快なのだ。この相手にそんな考えが無い事は理解している。

 

「…………」

 

 生徒を守るために躊躇なく自爆までするような人間だ。しかも<風紀委員会>の不祥事をチラつかせて有利を取ろうともしてこない。

 独立連邦捜査部を襲撃した件は完全な情報封鎖がされており、トリニティでさえほとんど感知していないはずだった。あの時に与えた損害に関する請求もされていない。どうしてかラーメン屋の敷地に関しては異様な速さで事後処理が行われたようだが、先生はヒナとの約束を守ってくれている。

 負い目があり、疑える理由は無い。

 とはいえ、この大人に助力を願おうとも思えなかった。ヒナは誰かから何かしてもらいたいとは思っていない。記憶喪失を抱えながら学園都市の面倒を見ている相手には、特にその傾向が強かった。

 話題を変えよう。そう思う。

 

「どうしてカイザーの基地を襲撃しようとなんて思ったの?」

「チナツから資料は届いているはずだ」

「それは確認したけれど……」

 

 アビドスの砂漠には得体の知れない何かが眠っており、それを<カイザー・グループ>は狙っている。そのために自治区の土地を手中に収めようとこれまで画策していた。だからブラックマーケットの生徒を使い、<対策委員会>を排除する目的がある。

 渡された資料にはカイザーが暗黒街を通して違法な兵器の流通を握っていた事や、闇銀行に保管されていた、犯罪行為の証拠となる帳簿の写しなどが添えられている。どれもかなりの量と質だった。

 そもそも、あんな不毛の土地に大規模な軍事基地を構える事そのものがおかしいというのもある。<シャーレ>の主張には筋が通っているように思えた。

 

「先生は私達を動かすという事がどういう意味を持つか、理解しているのかしら」

 

 それだけでは他の学園を動かす材料としては足りていない。アビドスとカイザーの確執には関係が無いし、違法兵器の流通に関しては各自治区で対処できる。あの大企業がほとんど犯罪組織だというのは、キヴォトスの有力者なら大抵が知っている程度の情報だ。常識と言った方が良い。

 ──だが、地下にあるエネルギーに関しては別だった。これまで察知出来なかった大きな脅威であり、それを犯罪企業が手に入れようとしている。<カイザー・グループ>はキヴォトスの支配に乗り出すだろう。そうすれば面倒な事になるのだ。

 オーパーツに関する資料の作成者は明星ヒマリ。”三大校”の一角、<ミレニアムサイエンススクール>が擁する学園都市最高の天才だった。

 あまり表に出てくる人物では無いが、その頭脳と技術はゲヘナからも要注意人物としてマークされている。単純な武力には収まらない脅威だ。明星ヒマリがその気になれば、他の学園は何の抵抗も出来ずに情報的な侵略を受け入れる事にもなりかねない。

 その天才と<シャーレ>が繋がっている。資料作成者本人にも確認が取れていた。つまりあのデータは本物という事だ。

 

 ヒナが所属している<風紀委員会>はゲヘナの治安を守る事に存在意義がある。内部への取り締まりというのはあくまで副次的な役割であり、本質は外部の脅威への対処だ。

 だから砂漠のオーパーツの件を無視する事は出来ない。

 問題はそこではないのだ。

 

「明星ヒマリは<特異現象捜査部>を調月リオから任されている人物……。この件で<セミナー>が動いている気配はない。つまり、この件は先生とヒマリが独自に進めているってこと」

「その通りだ」

「理由を聞きたい」

「これは<シャーレ>としての活動だからだ。リオは部員ではない」

「逆に言えば、ヒマリは<シャーレ>の部員という事になる」

「その通りだ」

「…………」

 

 あっさりと認められた。

 独立連邦捜査部の構成員に関しては基本的に公開されているが、それは部員本人の意向に沿う形だった。公的武力組織に所属しているトリニティの羽川ハスミや、ゲヘナの火宮チナツはオープンにしているし、指名手配犯だった狐坂ワカモも同様である。

 だが、ヒマリの所属を知る者は誰もいなかった。ネットワーク上で暗躍させれば、彼女の右に出る者はいない。秘匿していれば学園都市の情報を好きに操作できたはずだ。

 最強の隠し札をわざわざ公開する。それはこの資料の信憑性をさらに補強していた。

 

「調月リオは明星ヒマリが<シャーレ>に所属している事を認知しているの?」

「ヒマリが明かしていないのなら、知らないはずだ」

「それはマズいと思う」

「ん……?」

「調月リオと明星ヒマリの関係は複雑だと聞いているわ。反体制組織である<ヴェリタス>の部長でありながら、<セミナー>直轄の<特異現象捜査部>を任されている人物と、先生は連携している。ゲヘナとトリニティも巻き込もうとしている。調月リオは良く思わないでしょうね」

「なるほど。だからか」

「?」

 

 先生はヒナに渡した資料と同じ物を調月リオにも送付したらしい。それを知った明星ヒマリは激怒したようだ。なんでも『最高のタイミングで明かす事で調月リオに吠え面をかかせたかった』との事で、それに先生が『吠え面ならかかせただろう』と返したところ『その様子を肉眼で確認したかった!』と異常な勢いで罵られたらしい。

 キヴォトス最高の天才と聞いていたから、てっきりもっと理知的な人物かと考えていたのだが、割と子供っぽい人物のようだ。

 地下牢の先生は少し疲れた声で、

 

「ヒマリの癇癪はともかく、あらゆる事象は<シャーレ>を止める理由にはならない」

「そう」

 

 配慮はしても遠慮はしないというのが先生の活動方針らしい。だからゲヘナとトリニティとの会談を同日に行おうなどと考える。

 

「わかったわ」

 

 協力する分には構わない。ヒナはそう続けた。

 カイザーが危険なオーパーツを狙っている事は裏が取れたし、それを阻止するのは<風紀委員会>の業務内容から逸脱しない。他の自治区で活動する点に関しては<シャーレ>が責任を持ってくれる。なによりアビドスには借りがあるのだ。

 カイザーを叩きつつそれを早期に処理できるのなら、むしろ良い話ですらあった。

 

「でも、気になる事がある」

「なんだ」

「先生がカイザーとの戦いを焦る理由。今の<シャーレ>は悪い意味で注目を集めてる。はっきり言ってかなり不利。立ち回りに違和感がある」

「ホシノが離脱した」

「えっ……?」

「恐らくだが、カイザーの関連施設に向かったはずだ。彼女を連れ戻すにはもう時間がない」

 

 小鳥遊ホシノが離反したという事だろうか。なかなか考えにくい。

 あの少女はたった一人で自治区に残り、戦い続けたという経歴の持ち主だ。今は亡きアビドス生徒会長の意志を受け継ぎ、後輩を守り、導いてきた生徒である。

 その小鳥遊ホシノが自治区を離れるのだろうか? しかし、アコ達との戦闘時にも姿を現さなかった。複雑な事情があると見える。

 あまり他人に関心を示さないのが空崎ヒナだが、今回だけは別だった。

 

「何があったの?」

 

 その問いで先生は苦い表情となる。

 

「ホシノが伸ばしてくれていた手を、私は取る事が出来なかった。私のこれまでの行動が、彼女を追いつめた」

「お、追いつめた?」

「ヒナも知っているだろうが、ホシノはこれまで多くのものを失ってきた。背負うことになった責任や、後輩の未来、自治区が抱える問題……それらが累積し、最後は私が引き金となったんだ」

 

 先生が言うには、小鳥遊ホシノはアビドスの抱える借金を返済するために所属を移したらしい。

 その理由は理解できる。如何な<シャーレ>といえど、正式な手続きのもと締結された契約を無かった事には出来ない。資金提供も難しいだろう。人間が構成している以上、社会には金銭的な不満が常に付き纏う。莫大な予算を与えられているとはいえ、無限ではない。アビドスが困窮しているからと、安易な手段は選べないのだ。他の自治区からも金の無心を期待されてしまう。

 しかし、カイザーとの対立が決定的になった今となって急に組織を抜けるのだろうか? とてもそうは思えない。

 先生が追いつめた、というのが主な理由なのだろう。

 

「…………」

 

 本来であれば、ヒナが訊ねるような事ではない。そもそも部外者だし、他自治区の、しかも他人同士の問題に首を突っ込むような趣味はなかった。空崎ヒナは自分にも他人にも関心を向けるタイプではないのだ。

 それなのに、いつになく気になってしまった。

 

「先生が危ない事ばかりするから?」

「……そうだ」

 

 大人の表情はさらに苦いものになった。

 アコが引き起こした不祥事の報告書で、最も驚いたのは先生が自爆した下りだ。連邦生徒会長から委託を受けた独立連邦捜査部の主が、あの瞬間に死んでいてもおかしくなかった。一歩間違えれば本当にゲヘナどころかキヴォトスそのものが滅んでいた可能性すらある。ヒナが風紀委員長になってから最も肝を冷やした事件がアビドスでの戦闘であり、この先生の戦法だった。

 

 発端がおかしいとはいえ、天雨アコのとった戦術は見事なものだった。<便利屋68>との戦闘で疲弊したところを包囲し、地上戦力で盤面を固定したのちに、虎の子の空挺部隊で要人を誘拐する。感情的かつ慢心しがちな所のある行政官ではあるものの、<シャーレ>へ挑む策としては万全に近いものだったのだ。

 それを完全に読まれた挙句、暗号化通信を突破されるまで時間を稼がれて指揮管制車を直接狙われ敗北した事は論外だが、確かに先生をあと一歩のところまで追い込んだ。

 だが、この大人はその状況になれば躊躇いなく自爆を選ぶような指揮官なのだ。イオリに狙われながら戦場をうろついていた事も激怒したチナツから聞いている。自身を痛めつけなければ気が済まない性分らしい。

 

「…………」

 

 なるほどと思った。

 記憶喪失から来る自己嫌悪。サンクトゥムタワー奪還作戦からここまで、先生は危険な目に遭い続けている。先生本人の意志で”死”に向かっている。

 それは、大切な人を喪った小鳥遊ホシノからすれば耐えられない事なのだろう。今のアビドスがあるのは先生のおかげだ。その彼を危険に晒さなければ前に進む事が出来ない。もうそういう状況になってしまった。耐えられなくなった小鳥遊ホシノは先生から離れる選択肢を取ったのかもしれない。

 ……そうなってしまうほど、この先生の存在が大きくなってしまったという事でもあるが。

 

 やはり興味が湧いてくる。

 小鳥遊ホシノといえば、キヴォトス有数の天才だ。凄まじい戦闘能力を持ち、入学してから今まで他の自治区とほとんど交流を図ってこなかった。排他的な性格なのだと推測している。

 そんな少女を、たった一か月で変えてしまうような”何か”がこの先生にはあるという事だ。

 

「それで、その問題は解決できそう?」

「難しいだろうな」

 

 先生はあっさりと言い放った。

 

「嫌いなものをいきなり好きになる事は出来ない。ヒナは公衆トイレで見かけたゴキブリをペットに出来るか。出来ないだろう」

「ご、ゴキブリ……?」

「生ごみに湧いた蛆でも良い。それを好意的に見ろというのがそもそも無理な話だ」

「先生は自分がそう見えているの……?」

「例え話だ。だが、ヒナは下水の近くに生息しているカマドウマを口に──」

「虫の話はもう良いから! やめて!」

「…………」

 

 ついさっきまで神妙な様子だったのに、いきなり不快害虫の話をされてヒナは戸惑った。害虫トークを途中で止められた先生が不満気なのも理解できない。

 話を変える。

 

「今後の話をしたい」

 

 そう言いながら、ヒナは押収品の中にあるリボルバー銃を指でなぞった。白銀の無骨な銃身。手袋越しに冷たさを感じる、手入れされている様子はないが、なぜか美しかった。

 

「先生は”エデン条約”に関心があるって聞いた」

「ああ」

「干渉してくるつもり?」

「そうだ」

 

 この大人はゲヘナを訪ねた後、トリニティへ向かう予定のはずだ。こちらと違い、ちゃんとした統治機構である<ティーパーティー>と会談を行う。

 火宮チナツからあった報告では、現在締結に向けて話が進められている平和条約に<シャーレ>が絡んでくる可能性が示唆されていた。

 アビドスの件と並行して進めるつもりなのかと確認したかった。

 

「どうする気?」

 

 やや語気が強まる。

 ”エデン条約”はゲヘナとトリニティの間で結ばれる和平条約だ。トリニティ側は<ティーパーティー>の代表者が窓口だが、ゲヘナ側は<万魔殿>ではなくその下部組織の人間が主導で進めていた。

 空崎ヒナ自身である。

 本当であれば、ありえないレベルの政治干渉だった。治安維持組織というのは、その枠組みから決して逸脱してはならない。兵器が意志を持つのは危険だからだ。

 にもかかわらず、ヒナは枠組みを踏み越えてしまっている。ゲヘナという学園で秩序を守るというのは論理的ではない。砂漠に木を植えるようなものだ。

 それでも、やらなければならない目的があった。

 

「上手く行くように手を尽くす」

「それは誰かから頼まれたの?」

「違う」

「なら……邪魔しないで」

「それは無理だな」

 

 目を細める。大抵の人間はそれだけで萎縮するが、目の前の大人は気にした様子もない。サンクトゥムタワーを奪還した二日後には土下座をしていたという人間にしては堂々としていた。

 

「先生はアビドスの件で手一杯のはず。エデン条約の件は気にしなくていい」

 

 以前は連邦生徒会長が間に立って交渉を進めてくれていたが、彼女はもういない。締結目前で失踪された事で、条約は破断目前まで追い込まれたのだ。それを何とか持ち直して今がある。

 協力者には感謝こそしているものの、これ以上第三者から口を挟まれたくなかった。

 

「ヒナは相談できる相手はいるか」

「……なに、急に」

「私生活を少し調べたが、空崎ヒナの一日はあまり健全とは言えないようだ」

 

 早朝から深夜まで<風紀委員会>の業務に追われ、睡眠は四時間ほど。組織の運営と交渉をしながら、後輩達の訓練をしつつ問題児達を取り締まる。なんとか時間を捻出しては条約締結に向けて水面下で動き回る。

 確かに楽な仕事ではない。他の生徒だったらとっくに倒れていただろう。

 自分以外には無理だ。

 だから──

 

「自分がやらなくてはならない」

「──っ!」

 

 頭の中を覗かれたようだ。薄暗い地下牢の中にいる人物は静かにヒナを見据えている。

 

「常にそういった考えがある。優秀な生徒ほど顕著だ。他人に出来ない事が出来るから、自分を追い込んでしまう」

「…………」

「なら、そういう生徒の助けになるのが私の役割なんだと思う」

「助けなんていらない」

「交渉で最も重要なのは順番だ」

「え……」

「アビドスへの協力を条件に、私を操作する事も出来たはずだろう。なのに、ヒナにとって最も重要な条約の件を後に持ってきた」

「それは……アビドスにはアコのせいで借りがあったからで……」

「踏み倒す事も出来たはずだ。ヒナの方がずっと有利な立ち位置なんだからな。それはどうしてか」

 

 地面に座っていた相手がゆっくりと立ち上がる。身長一四二センチのヒナよりも頭二つ分ほど背が高い。

 

「誠実かつ善良、苦労性で利他的。ヒナの人柄は理解できた」

「そんな風に言われたことはないけど」

「本当に邪魔だと思ったなら、私はエデン条約には関わらない。私がヒナを判断したように、ヒナにも私を判断してほしい」

「それは……」

 

 最初に会った時は、もっと空っぽな人物だと思った。記憶を失っていて、自分が何者なのかすら理解できない。

 権力と資金力を与えられ、指揮能力が秀でただけの大人なのだと考えていた。眼中になかった。

 少なくとも、あの時は。

 それが、今は様変わりしている。

 小鳥遊ホシノという最大の戦力を失い、キヴォトス最大規模の複合企業と対峙し、超古代文明の遺産まで相手にしようとしている。本当なら話にすらならない戦力差があるだろう。負け戦どころではない。

 にも関わらず、ヒナを期待させる何かを感じさせた。

 

(そういえば──)

 

 アコ達との戦闘だって絶望的だったはずだ。それをこの大人は跳ねのけた。アビドスも便利屋も守り抜いた。

 言葉ではなく行動で示してみせた。

 もしかしたら……と、そう思うくらいは良いだろう。

 

「わかった」

 

 そう答えると同時に、スマートフォンからアラームの音が鳴った。面会時間は終わりという事だ。

 ヒナは持っていた牢の鍵を使い、施錠を解く。

 押収品を手渡しながら、

 

「私は、先生が思うような生徒じゃない」

「そうだろうか」

 

 安全装置も無い拳銃を腰のホルスターにしまいながら言った。

 

「あいにくと狙いを外した事はない」

「…………。アビドスの件が片付いたらどうするの?」

「次はゲヘナの予定だ」

「そう」

 

 他の事に気を取られていたヒナは、今の言葉を疑問に思えなかった。報告書には、<シャーレの先生>は銃を胸のホルスターに収納していたはず。

 今は腰になったようだ。心境の変化だろうか。

 

「会えて良かった。今日はありがとう」

「……ん?」

 

 白い大人は階段をすいすい登っていってしまう。

 さっきは何と言っていた? 次はゲヘナ……? 

 ようやく理解したヒナが飛ぶような速さで追いかけるも、不審者を捕捉する事は出来なかった。

 

 ◇

 

『おうおう!』

「…………」

『おうおうおう!』

「…………」

 

 アロナがグレてしまった。

 今はトリニティ行きの列車に揺られている所である。ゲヘナから直行できる路線は今週三度目の破壊行為に遭ったため全線運休中だった事からD.U.を経由して向かっている。

 アビドスからゲヘナに向かう時からアロナに呼びかけてはいたのだが、”シッテムの箱”の画面には準備中の文字のみが映し出されていたので、充電中か何かだと思っていた。

 

 ヒナとの会談が終わり、知り合いのチンピラ生徒へトリニティへ行く方法を訪ねたところカツアゲされたため道徳を説いたらどうしてか号泣されてしまった。

 理由は不明だが、私から説教される事は自尊心を著しく損なう事象らしく、『悔しい』『悲しい』『どうしてこんなのから』『あのバイクやっぱり壊れた』と様々な意見が寄せられてしまった。

 その理由についてアロナに訊ねたところ、急に画面が点灯しておうおうが始まったのだ。

 

『おうおうおうおう……』

「…………」

『何か言ってもらっても良いですか!?』

 

 アロナがキレた。品質の低いサングラスを装着し、ヤンキー座りをしながら不機嫌な感じを前面に押し出している彼女の様子は常識からかけ離れており、まさしくスーパーAIと呼ぶにふさわしいと思った。

 

「準備中というのは、そのサングラスを用意していたからなのか」

『なんですか?』

「いや……」

 

 流石の私も人目を気にしてしまう。アホみたいな恰好をした少女が映っているタブレット端末を深刻そうに見つめている成人男性は、学園都市全域において取り締まりの対象になるからだ。いくらこのおうおうが他人に認識されないとはいえ、今の私が不審者であることには変わりない。

 アビドスを出た途端に投獄まで行ってしまった私は既に後が無く、トリニティ行きの列車で騒ぎなど起こそうものならまた立場を悪くしてしまう。

 ただでさえ、<カイザー・グループ>からの告発で<シャーレの先生>は注目の的なのだ。往来を移動するたび、ひそひそ話をされているのを感じる。

 

『エブリデイ一緒って言いましたよねっ!?』

「そうだっただろうか」

『ホシノさんの件が大ダメージだったのは分かりますが、まさかこのアロナを置いていくなんてっ!』

「…………」

 

 そうだ。アロナの存在を認識できるのは私だけであり、その唯一の存在から置いて行かれた時、アロナには追いかける事すら出来ない。

 それは、とても恐ろしい事のはずだ。それくらいは私にも理解できたし、”シッテムの箱”を置き去りにした私はそんな事すら分かっていなかった事になる。被害者のアロナが緊張感皆無の出で立ちでなければ、もっと深刻な状況になっていただろう。

 もう何度も謝ってはいるものの、おうおうは機嫌を直してくれない。

 

「おうおうは私にどうしてほしいんだ」

『いま私の事をおうおうって呼びました?』

「…………」

『すぐそうやって生徒をおもちゃにしてっ!』

 

 どうして私の口はいつも滑ってしまうのだろうか。

 

『なにより許せないのは、先生が戻って来たきっかけが柴関ラーメンの大将さんだった事です!』

「…………」

『あれは主人公に寄りそって立ち直らせるっていう、メインヒロインのここぞという見せ場なのに! 異常な状況ですよ!? これだけ可愛い女の子に囲まれて、なんでそうなるんですか!?』

「なんでと言われても……その件については既に説明をしているはずだ」

 

 オフィスにいる時もアビドスの校舎にいる時も、私は空いた時間には事務処理をしつつアロナと雑談している。大半は取り留めのない会話だが、今まで何度か私の柴大将に対する信仰に対して問い合わせが来ていた。

 そしてその全てに対して、私は全力の回答を返している。

 

「もういちど聞きたいというのなら」

『それはもうじゅうぶんわかっているのでだいじょうぶです』

「だが」

『ありがとうございます』

「…………」

 

 アロナはふざけたサングラスを外し、ため息をつく。ようやくおうおうタイムは終わりらしい。

 

『先生の状態については理解していますし、そのケアが行き届いていなかったのはスーパーAI兼美少女秘書であるアロナの落ち度でもありますから、今回の件は許してあげます』

「ありがとう」

『その代わり、次のメインヒロインイベントは私ですからね?』

「もうないぞ」

『努力してください! それと、柴関ラーメンの常連さんには有名なお菓子職人さんがいたはずです。プリンとシュークリームとフルーツタルトを私の所まで持ってきてください。約束ですからね?』

「う、うん……」

 

 おうおうが常駐している崩壊した教室に物が持ち込めるとは初耳だが、住人が所望するからには可能なのだろう。

 柴関ラーメンのファンには銃職人兼菓子職人や物流会社の社長、銃器メーカーのメインデザイナーやテロリスト、暗黒街の神や便利屋といったそうそうたる面子が顔を揃えている。私などは末端に過ぎない。

 カイザーの件が片付けば、物品を用意する事も可能なはずだ。

 

『先生、トリニティが見えて来ましたよ!』

「ああ」

 

 これで私は”三大校”の全てに足を踏み入れる事となる。<シャーレの先生>としての活動域が徐々に拡大している証にもなるだろう。

 今はD.U.とアビドスがメインだが、いずれは他の自治区の問題にも首を突っ込む事になる。アロナの助けがこれまで以上に必要になってくる。

 

「…………」

 

 こうして列車に乗っていると、妙な感慨を覚えた。大切だった誰かと重要な話をしていたような、そんな記憶の名残。苦痛と後悔に満ちた赤い記憶とは全く逆のものだった。

 アロナの存在が関係しているとは限らないが、彼女と共に列車を使うと頻繁に脳裏によぎるのも事実だ。

 疑問が大きくなる。

 私以外には認識できないが、”シッテムの箱”はかなり前から存在していた。キヴォトスの中心にそびえるサンクトゥムタワーの制御権すら有するオーパーツなのだ。学園都市の創生にすら関わっていたかもしれない。

 ならば、私の前の持ち主だって──アロナを独りにした者もいたはずだ。

 いつか相対する事になるだろう。そんな確信がある。

 私は腰のホルスターに格納されている時代遅れの銃を撫でた。

 目的地への到着を知らせるアナウンスが流れてきた。

 

 ◇

 

 柔らかな日差しに包まれる美しい街並み。

 機能性を重視したミレニアムや、荘厳ではあるがどこか威圧的な雰囲気のあるゲヘナとは違う趣のある自治区だ。絵画をそのまま現実に持ってきたような、浮世離れした光景がどこまでも広がっていた。

 優雅、とはこういう事を言うのだろうか。

 トリニティのセントラル駅で下車した私を、<正義実現委員会>とメディア関連を牛耳る学園である<クロノスジャーナリズムスクール>の生徒が待ち受けていた。野次馬も多数だ。逃げるつもりはないが急いではいる。トリニティの生徒会は恐らくだが、<シャーレ>に対して好意的ではない。予定に遅れるような事があれば大事に障る。

 

 マイクを突き付けられ、ガトリング砲のような勢いで繰り出される質問に応対していると、一人の女子生徒が速足で接近してきていた。

 こうなる事は予測できていたので、あらかじめ土地勘に優れた協力者に案内役を依頼していたのだ。

 初代ボディガードである少女は速度を落とす事なく人混みの中を進み、私の手を取る。同時に恐ろしいほどの閃光が周囲を埋め尽くした。

 この手口は守月スズミだ。

 彼女は駅の通路で躊躇いなく閃光手榴弾を使用して大混乱を引き起こし、私を連れて離脱する。

 

「まったく、先生は相変わらずですね」

 

 数十人以上から一時的に視力を奪ってなお、スズミは不満気だった。規模的に言うと完全にテロ行為だったのだが平然としている。いくら非殺傷兵器とはいえ、使用へのハードルが余りにも低い。どれだけ善性と正義感を有していようが、ここはキヴォトスなのだと思い知らせてくる。

 

「助かった」

「連絡が遅すぎます。本来なら、オフィスビルから先生を護衛するつもりでした」

 

 私ならいくらでも裏道を知っているのに、とスズミは辺りを警戒しながら続ける。その言葉を疑う余地はない。彼女の動きは滑らかで淀みがない。私という目立つお荷物を抱えていようがその足並みに乱れはなかった。緊張とは無縁で、優雅ですらある。

 生真面目で無骨な印象のある守月スズミだが、彼女もまたれっきとしたトリニティ生であるのだと理解させられる。

 

「こういう状態だからこそ、正面から入る必要がある」

 

 案内役のスズミが懸念したように、トリニティ生は噂好きで<シャーレ>にも関心が強い。ゲヘナでは知り合いのチンピラ生徒からカツアゲされた程度だが、ここでは違う形で注目を集めている。

 どれだけ人通りが少なく、安全な道を選択していても往来はあった。

 私と目が合った三人組の女生徒がキャアキャアと騒ぎ始める。私は思い切り怯んだ。いつもの流れで通報されると思ったからだ。

 

「まずいぞ」

「なんです?」

「治安維持部隊を呼ばれるかもしれない。ここで捕まるわけにはいかないから、撃退する必要がある。ハスミから激怒されるだろう」

 

 先ほど<正義実現委員会>にはスズミが喧嘩を売ってしまっている。正面対決となれば、ナンバー2であり<シャーレ>のメンバーでもある羽川ハスミが出てくるはずだ。彼女に迷惑をかけたくない。

 

「……? 通報の危険は無いと思いますが」

「だが、スマートフォンを向けられている。証拠を押さえられた。あれは私が吊るし上げられる前兆だ」

「どれだけ後ろ暗い所があるのか気になるところですが、トリニティ生の大半は先生に好意的です。優しく包容力があり、どんな問題も瞬時に解決してくれる大人の鑑のような方だと評判ですから」

「……?」

 

 私に好意的……? 

 理解が出来なかった。基本的にキヴォトスの生徒達は私の事を異常な変質者だと誤解しており、初対面から間もなく態度が冷淡に変わる。そうして多少の失言だったりやや倫理観に欠ける言動をしただけで、吊るし上げようとしてくるのが常なのだ。

 にわかには信じられない。D.U.とアビドスが例外だっただけで、私を快く迎え入れる自治区があるなどと。私はトリニティに対する警戒を強めた。

 

「私やハスミ先輩も、先生に関する事を質問され続けています。最近は特に……」

「なんと応えているんだ」

「もちろん、『楽しい方だ』と」

「楽しい……?」

「はい。見ていて飽きないのでそう応えています。どうしてか阿慈谷ヒフミさんからは賛同されましたが」

 

 スズミはヒフミと同学年なのだ。交流があってもおかしくはない。現時点で<シャーレ>の部員は限られているから、その話をするのも当然だと思った。

 

「ハスミの姿が見えなかった」

 

 トリニティにはもう一人の部員がいる。私は各自治区に赴く際、その学園に所属している生徒全員に通知を出していた。

 先ほどは<正義実現委員会>が駅を包囲していたため、そこに羽川ハスミも含まれているものだと思っていた。

 

「彼女は狙撃手ですから、遠方に控えていたのでしょう」

「そうなのか」

「正実は先生の身柄を抑えようとしているようでした」

 

 マスコミ生徒達による混乱を収める目的があったのだと考えていたのだが、<ティーパーティー>の統制下にある<正義実現委員会>は、私を首脳部までエスコートするために展開していたらしい。

 だとするとマズい。ボディーガードを依頼した生徒は野次馬や通行人もろとも治安維持組織を無力化してしまった。見方によっては完全に要人誘拐であり、当事者の一部からしたら全身に泥を塗られた形になる。

 こういう場合、やられた側はムキになって汚名を返上しようとするはずだ。

 会談前に正面衝突は困る。

 

「問題ありません」

 

 スズミは自信満々に言った。

 

「ここはトリニティ自治区内に点在する破壊行為の禁止区画です」

「そうなのか……」

 

 意味が良く分からなかったが、私は頷いた。

 誰かを誘拐して破壊行為禁止区画に逃げ込んだ現状を『問題ない』と言われた事を脳が理解を拒んでいるものの、あのスズミが言うのだから問題ないのだろう。

 破壊行為禁止区画なのだから攻撃される恐れはない。急いで移動するべきだ。

 目の前で爆発が起きた。

 

「ギキキキキキ……」

 

 優雅な街並みを切り裂いて現れたのは黒いセーラー服を着た長身の女生徒だった。

 長い黒髪に、鋭利な形状のレバーアクション式散弾銃と黒い翼。頭上のヘイローは血が滴るような形状をしている。

 砂煙の向こうからは狂気に満ちた眼光と、

 

「キャハハハハハッ!!」

 

 笑い声が聞こえてきた。

 あの女生徒があんな風になってしまう理由が思いつかない。考えるに、スズミの閃光弾によるショック症状だろう。私も散々使ってしまっているが、あんな副作用があるとは知らなかった。

 

「剣先ツルギ……」

 

 スズミも流石に責任を感じているらしい。その頬には汗が伝っている。いつも冷静沈着な彼女の珍しい表情を見られた幸運に感謝しつつも、<シャーレ>の部員が生徒を発狂させてしまった事実を重く受け止める。

 剣先ツルギと言えば、七神リンから渡された重要人物リストにも名前が載っていた生徒だ。

 空崎ヒナと同様に、”三大校”における最強格。<トリニティ総合学園>を代表する武闘派にして、<正義実現委員会>のトップを務める人物だった。

 顔写真も添付されていたが、目の前の彼女とは印象が大きく乖離している。

 

「スズミ、どうするんだ」

 

 自治区の重要人物がああなってしまった以上、責任は<シャーレ>にある。閃光弾のショックによる発狂及び、禁止区画における破壊行為。<ティーパーティー>との会談は当然のように潰れるだろうし、カイザーとの情報戦でも後れを取る事になる。我々はいま以上に苦しい立場に置かれる事になるのだ。

 

「先生、ここは私に任せてください」

「スズミを置いて逃げるわけにはいかない」

 

 まずは羽川ハスミに連絡を取るべきだろう。彼女は<正義実現委員会>のナンバー2だ。上司である剣先ツルギが取り返しのつかない様子になってしまった事を第一に知るべき人物だ。

 スマートフォンを取り出し、発信する。繋がらない。私は途方に暮れた。自分が対応しなくてはならなくなったからだ。

 この状況で正解を選べる気がしない。私は取り乱した生徒を落ち着かせるのが苦手なのだ。大抵の場合は最悪の事態に陥る。

 

「殺すっ! コロすぅぅぅうぅぅうっ!!」

 

 しかも加えてあの様子だ。暗く堕ちくぼんだ瞳を爛々と光らせ、裂けたように開かれた口からは涎が垂れている。美しい景観と相まってツルギの様子はいっそう常軌を逸してしまっており、それはこの件が解決不可能なのだと私に思い知らせるには充分だった。

 剣先ツルギのヘイローが光を放つ。勢いを増す狂笑と共に、周囲の建築物が震え始めた。彼女を中心に、綺麗な石畳に放射状の亀裂が奔った。

 

「キヒャヒャヒャ! ヒャーッハッハッハっ!!!」

 

 亀裂は歴史的価値を持つ建造物にも無差別に伸びていき、壁が剥がれ、ガラスが砕ける。遠くで我々を見ていた一般の女生徒が悲鳴を上げた。

 ただ力を開放しただけで、とめどなく破壊が膨らんでいく。キヴォトスの最強格とはそういうレベルの存在という事だ。小鳥遊ホシノや空崎ヒナもあんな感じなのだろう。これからはあまり刺激しないようにしよう。そう思った。

 砂煙が晴れ剣先ツルギと目が合う。

 

「あっ」

「えっ」

 

 瞬間、ツルギが正気を取り戻したように見えた。黒髪の女生徒はきょとんとした表情で私を見据えてくる。

 

「どうも」

「…………」

「…………」

「え……?」

「え……」

 

 動きを止めた破壊者が眼球だけをギョロギョロと巡らせる。悪霊や悪魔といった邪悪なものが多重に憑依していなければ出来ない芸当だ。私の隣にいるスズミも警戒を強める。

 不気味な静寂は、亀裂まみれの建物から落ちた窓ガラスが地面で砕けるまで続いた。

 

「ぎ、ギギギっギギギ」

「…………」

「ギキキキキィィィィィッ!!!」

 

 トリニティ最強の少女は全身を赤く発光させた後、残像すら残さない速度で姿を消した。彼女の移動ルート上にあったためだろう。重要な歴史的価値を有する建築物が相次いで倒壊していく。被害総額は目も当てられない事になりそうだと思った。

 遠巻きにこちらを見ていた女生徒たちがひそひそと何かを話している。

 

「つ、ツルギ先輩があんな乙女な表情になるなんて」

「やっぱり大人の方って凄いんですね……!」

「<シャーレの先生>……素敵」

 

 キヴォトスで感じた事のない居心地の悪さだった。トリニティ以外の自治区では、今と同様の事が起きれば私は即座に罪人にされる。プラス方面のリアクションに私は慣れていないのだ。スズミを促してこの場を離脱しよう。そう思うも、行動に移す前にスマートフォンが着信を知らせてきた。

 相手は羽川ハスミ。

 たったいま破壊行為禁止区画で破壊の限りを尽くした剣先ツルギの相方だ。

 応答する。

 

「久しぶりだな、ハスミ」

『やってくれましたね』

 

 開口一番でこれである。

 

「何の話か分からない」

『あのツルギが現場を放棄するとは……。さすが先生といったところでしょうか』

「何の話か分からない」

『加えて重要度Cの保護区画をここまで崩落させてくれるとは』

「何の話か──」

『どうしてこう、先生の周りでは異常な事ばかり起こるのですか!?』

 

 突如として異常をきたしたのは剣先ツルギであり、それに私は関与していない。そもそも登場からして破壊を伴っていた。こちらに過失はない。

 それを懇切丁寧に説明するも、ハスミの機嫌は直らなかった。

 

『ワカモだけではなくツルギまで手籠めにする気ですか?』

「ハスミも<シャーレ>の部員らしくなってきたな」

 

 誰に似るのか分からないが、独立連邦捜査部に所属する生徒たちはマイペースの傾向が強まり、人の話を聞かなくなる。サンクトゥムタワー奪還の件から会えていない羽川ハスミだったが、やはり彼女もれっきとした<シャーレ>なのである。私は喜びと安心を感じた。

 

「<正義実現委員会>がなぜ展開していたか教えてくれるか」

『もちろん、先生の身柄を確保するためです』

 

 私が公式SNSで予定を発表したのはトリニティも予想外だったらしく、自治区内は大騒ぎになったらしい。なにせ<カイザー・グループ>から告発をされた翌日だ。無数の憶測が飛び交い、学園を形成する無数の派閥が呼応して活性化する。

 ゲヘナでは天雨アコが私を捕らえるために行動を起こした。トリニティでも同様の事案が起こる可能性は捨てきれない。<ティーパーティー>はあの件をほとんど知らないはずだが、だからといって静観するほど呑気な首脳陣でもないのだろう。

 公的な治安維持組織を派遣して万全を期す、というのは当然の対応だった。

 

「それなら連絡をくれれば良かったと思う。私にはハスミという窓口もいる」

『それは、ナギサ様とミカ様の間で意見の食い違いがあったというか。トリニティも一枚岩ではないのです』

 

 ナギサとミカ。知っている名前だ。<ティーパーティー>におけるあらゆる決定権を有する生徒であり、私がこれから会おうとしている相手の名前でもある。

 ハスミの態度から察するに、私との対談を決めた人物と、<正義実現委員会>の派遣を決めた人物は別という事なのだろう。

 複数の権力者が絡む組織は対応に遅れが生じやすい。最高戦力を含めて急行させたものの、守月スズミに先を越されてしまった。

 

「もしかして怒っているのか」

『もちろんです。私はスナイパーですから、ここからでもスズミを無力化する事は容易なのですが……』

「それは諦めてくれ」

 

 通話しながら私は遠方へ視線を向ける。九〇〇メートルほど離れた時計塔に、ボルトアクション式のライフルを構えた長身の女生徒が見えた。

 遠距離から一方的な射撃を行えるのが狙撃の強みだが、位置が割れていては意味がない。ハスミの愛銃にスコープは装着されていないが、目が合ったのが分かったらしい。通信機の向こう側からは悔しそうに歯噛みしているのが伝わってくる。

 

「どうする」

『……絶対に、危険な事は禁止ですよ』

 

 私の確保は諦めてくれたらしい。組織のトップが保護区画で大暴れしたのだから無理もない。ハスミから地形データが送信されてくる。ルートが描かれており、この通りに移動しろという事なのだろう。

 

「次に会う時は、ハスミが<シャーレ>の活動に参加してくれる時だ」

『それは先生次第ですね』

 

 銃口が下げられる。

 

『<ティーパーティー>のお二方は一筋縄ではいきません。どうか、礼儀作法には充分に注意してください』

「ああ。いつも通りでいけば良いんだろう」

 

 私の足元に七・六二ミリ弾が突き刺さった。隣のスズミが呆れたように息を吐いている。

 

『幸運を』

 

 通話が終了した。

 冷静という印象の強いハスミだが、やはりとても優しい生徒だと思う。そう言うと、スズミは足元の銃痕をチラリと見てしらっとした目を向けてきた。

 

「先を急ぎましょう、先生」

「ああ」

 

 ◇

 

 自治区の中心部に到着する。

 ここは<ティーパーティー>の執務棟にあるテラスだ。地上四〇メートルほどの高さからトリニティの中央広場が一望でき、重要な茶会や今回のような客人の応接にも使用される。

 爽やかな風には花の香りが乗って、キヴォトス最高の景観を更に際立たせていた。”楽園”という概念を形にするとこうなるのかもしれない。

 

「へー! 話題の先生だ! 噂通り、けっこう良いんじゃない?」

 

 やたらと長いティーテーブルの向こうから溌剌とした声が聞こえてきた。桃色の長い髪を揺らした女生徒が、私を興味深そうに眺めている。

 聖園ミカという生徒だ。出会ってまだ数分ほどだが、とにかく明るく感情表現が豊かな相手だった。天真爛漫という言葉をそのまま体現しているかのようだ。

 ミカの隣にいる人物が注意を促す。

 

「ミカさん。こういう場なのですから、いつもの調子は控えてください」

 

 彼女は桐藤ナギサ。<トリニティ総合学園>のトップにして、私が今回、会いに来た相手でもある。

 ベージュに近い淡いブロンドの長い髪に、花輪を模した髪飾り。身に付けた装飾品は質素なデザインながら全て最高級品だった。

 キラキラとした飾りの多いミカとは色々と対照的である。

 

「客人を前に失礼いたしました。桐藤ナギサと申します。お会いできて光栄です、先生」

「こちらもだ」

「せんせっ。私はさっき挨拶したもんね? 有名人と会えてうれしいなー!」

 

 ナギサとミカ。美少女揃いのキヴォトスにおいても群を抜いた容姿の持ち主だが、有する権力もまた凄まじい。

 ほとんどの自治区と異なり、トリニティの生徒会長は”三人”存在する。

 学園の成り立ちとして、無数の自治区が統合されて誕生したのが<トリニティ総合学園>だ。統合時、特に強大な力を有していた三つの自治区がそれぞれ派閥を作り、順番に権力を回していくことで秩序の安定を図ろうとした。

 パテル、フィリウス、サンクトゥス。三大派閥から代表者が一人ずつ選抜され、生徒会長となる。

 だから、この学園には生徒会長が三人いるというわけだ。

 目の前の二人は、二人ともが生徒会長ということになる。

 

「今回はこういった場を設けてくれた事を感謝する」

「おおっ、お堅い感じ? やっぱりデキる大人なんだ!?」

「ミカさん、いい加減にしてください。ここは厳粛な場です。<ティーパーティー>への誤解を招くような軽薄な言動は慎んでください」

「ひどっ!?」

 

 桐藤ナギサは涼しい顔で紅茶のカップを口へ運んでいる。テンションの高いミカと違って、優雅かつ冷静沈着な様子だ。お嬢様そのもの、といった人物だと見える。

 私も用意されていたティーカップを手に取り、口に含んだ。基本的な作法は十六夜ノノミから教わっている。こういった場でも粗相はないだろう。

 音を立てずソーサーへ杯を戻した。それだけで何故か聖園ミカが『おお……!』と感心していた。

 

「先生のお口に合っていたら嬉しいのですが」

「キーマンは好きだ。特に香りが良い」

「あら……。記憶喪失と伺っておりましたのに、詳しいのですね」

「アビドスで良く振舞われるからな」

「えー!? そうなの!? これって<山海経>から特別に取り寄せてるすっごい高いやつなのに……」

 

 えー!? そうなの!? 

 ミカの言葉に私もミカのようなリアクションをしそうになった。いつもノノミがどこかから大量に用意してくる茶葉がキーマンだ。しかもアヤネと私以外からは評判が悪い代物だった。

 それがまさかの最高級品。価値も分からず今まで馬鹿みたいにごくごく飲んでいた私は自身を恥じた。しかし動揺は表に出さない。恥ずかしいのは私一人ではない。ノノミを除く<対策委員会>の面々も同様に恥ずかしい連中なのだ。

 

「なるほど……私としたことが。かえって失礼になってしまいましたね」

 

 ナギサにも動揺が見られる。変わり種の最高級品を記憶喪失の貧乏舌に振舞ったところ、既知の品だったのだ。

 

「だから言ったじゃーん。普通にトリニティ産の良いやつ使えばいいのに。変なナギちゃん」

「…………」

 

 同僚の軽口にナギちゃんは無言を返す。やや気分を害したらしい。

 この二人の生徒会長は異なる派閥のトップ同士でありながら、気安い関係のようだった。初等部へ入る前からの仲というのは知っていたが、単なる同級生以上の関係なのかもしれない。

 

「それで先生。本日の会談についてですが」

「えー、もう本題? もっと先生とお話したいー!」

「あのですね、先生は<カイザー・グループ>との一件で極めて多忙な方です。無駄話で煩わせるなど言語道断でしょう」

「ぶーぶー!」

「…………」

 

 ナギちゃんのピキピキゲージが溜まっていくのが分かる。一か月ほどの短いキヴォトス生活において、他人がウザ絡みをするところを目撃する機会は余り無かった。私もああいった事を四六時中やっているのか……。

 勉強になった。次からはもっと上手くできる。

 その点、聖園ミカは中々の熟練者のようであった。立場を重要視しなくてはならない場を利用し、相手の神経を逆なでしてご満悦である。

 

「配慮に感謝する。ナギサからも言及のあった<カイザー・グループ>に関してだ。様々な報道を通して、二人も事情は聞き及んでいると思う」

「そうだねー。先生がいくら凄いって言っても、さすがにカイザーを相手にするのは無理だと思うし」

「ミカさん」

「えっ?」

「渡された資料に目を通していないのですか?」

「え、えと……カイザーに目を付けられたから助けてー! って内容でしょ?」

「違います」

 

 マズいと思った。桐藤ナギサが痙攣を始めている。あれは爆発の前兆だった。

 

「<カイザー・グループ>が旧アビドス自治区に採掘基地を建設し、極めて強大なオーパーツを独占しようとしている……という内容です」

「へ、へ~? でも、それってちゃんとした証拠とかあるの?」

「この件にはミレニアムも関与しています。<カイザー・グループ>への単なる言いがかりではないでしょうね」

「じゃ、じゃあ大変だよ! 早く助けてあげなきゃ!」

「ですから、それについての話をこれからしようとしているんです」

「ふ、ふーん」

「分かったら少し静かにしていてくださいね? これ以上、品位を損ねるようでしたら……私自ら、このティーポットをミカさんの口にぶち込みますから」

「はい……」

 

 くすん、と涙目のミカが大人しくなる。客人から事前に提供されていた資料を無視して醜態を晒した挙句、勝手に出方を決めるような発言までしたのだ。

 これが政治の場であれば、状況がかなり悪化していた可能性もある。私は良いものを見れてご機嫌であった。

 

「たいへんお見苦しいものを見せてしまいましたね」

「そんな事はない。それぞれが派閥のトップと聞いていたから、もっと殺伐とした関係かと危惧していたところだ。今のやり取りを見て、却って安心できた」

「ほらー! ナギちゃん! やっぱり先生って噂通りの人だよーっ!」

 

 ナギちゃんはおもむろに陶器製のティーポットを手に取り、立ち上がる。そして凶行に及ぼうとした。離れたところに控えていた護衛役の生徒達から抑えられる。それを見たミカがころころと笑っていた。

 

「いやー、お話が進まないね」

「そうだな」

「最近忙しいからさ。普段、こうやってナギちゃんで遊──お話できる機会もなかなか無くって」

「エデン条約の件か」

「そーそー。とりあえずそっちが落ち着かないと、お茶会も出来ないんだ」

「ミカも忙しいのか」

「あー! 先生、私が遊んでばっかりだと思ったでしょー!? 私だってちゃんと忙しいんだよ? あっちへ行ったり、こっちへ行ったり」

「フラフラしているという事だな」

「違うよっ!?」

 

 失礼だなぁ、とミカは不満そうにしているが、先の発言で彼女の思惑は予想できた。悪く言えば会議の撹乱、引き延ばしとも取れる言動の数々は、桐藤ナギサとの時間を確保したいからなのかもしれない。

 そう思うと、この二人の関係性も微笑ましく感じられるというものだ。例え一人がティーポット片手に襲いかかろうとしていても変わらない。

 ナギサが落ち着き、穏やかな空間が戻ってくる。

 彼女は手に持ったカップの中身を眺めながら、笑みを浮かべて言った。

 

「この資料については認めましょう」

「であれば……」

「しかし、トリニティが協力するかというと、それはまた別の話です」

 

 ナギサの言葉にミカはつまらなそうにしているが、私は当然の考えだと思った。この時期に他自治区での作戦行動は大きなリスクを伴う。それは空崎ヒナも同様の懸念をしていた。

 ゲヘナと違い、トリニティには私への負い目もない。

 

「阿慈谷ヒフミさんをご存知ですね?」

「もちろん。<シャーレ>に所属してもらっている生徒だ」

「彼女とはどこで出会ったのですか?」

「D.U.のショッピングモールだ。散策していた所を案内してもらった」

 

 記憶喪失の人間は日常生活を送るにも苦労する。

 アビドス出向中に<シャーレ>のオフィスへ戻った私が、日用品の購入に手間取っていた所をヒフミに助けてもらい、それが縁で関係が続いている……という筋書きだった。

 さすがにブラックマーケットで出会ったとは言えないし、それを勘ぐられるわけにもいかない。

 実際に私はヒフミとショッピングモールで行動しているし、その後に組織への加入手続きを済ませている。足を運んだ店のオーナーとは顔見知りで、証言も完璧にしてくれるだろう。

 ヒフミの性格と行動域を考慮しても全く不自然な経緯ではない。

 完全な偽装工作だった。

 

「ヒフミの件で気になる事でもあるのか」

「数週間前から<シャーレ>への協力要請がありましたので……ヒフミさんから」

「所属生徒を利用して交渉を有利なものにしようとしている。そう取られても仕方がないな」

 

 ヒフミがナギサへ直接の陳情をしているとは知らなかった。<ティーパーティー>のトップと近い関係だとは予想すらしていなかったからだ。

 そんな身の上で変装すらせずブラックマーケットへ乗り込んでいたのか……あんな不気味な鳥のために。やはり彼女は凄まじい生徒だと思う。

 

「ヒフミさんは良い意味で平凡な方です。素朴で善良で、悪事とは無縁の存在……」

 

 急に知らない人間の話になった。

 

「えっ……?」

「ナギちゃん……?」

 

 私は言葉を失ったし、ミカも幼馴染が突如故障したと思ったらしい。思い切り動揺している。

 平凡、素朴、悪事とは無縁。

 頭がどうにかなりそうだ。カラスを白鳥だと当然のように主張されるとこうなる。

 阿慈谷ヒフミはアホみたいな顔をした鳥のためなら平気で銀行強盗に手を染めるし、そのまま暗黒街の神にもなる。今では<カイザー・グループ>にすら恐れられている存在だ。

 休日には<シャーレ>へ足を運び、私以外には入れない地下区画でオーパーツを使って自分だけの趣向品を乱造し、祭壇を作り上げている異常な人物だった。

 はっきり言って経歴は真っ黒であり、ナギサの認識している阿慈谷ヒフミは別時空の存在か、歪んだ認知が産んだイマジナリーフレンドだとしか思えない。

 私は桐藤ナギサに対して深い悲哀を抱いた。

 

「私も交渉に関しては慎重な姿勢で臨んでいるつもりだ。生徒を使って、自分への印象を操作しようとは思わない」

 

 なにより、そんな工作は無意味だ。他者を利用した入れ知恵で良くなる立場になど何の価値もない。それで操れる相手だと軽んじていると認識されかねず、まったくの逆効果になってしまう。

 ちょうど今の状況と同じだ。

 

「ヒフミに何か思うところがあるのか」

「どうしてそのように思うのでしょう?」

「なにかしらの違和感がナギサを刺激しているから、この場でヒフミの名前を出す。全くの白か黒なら水面下で処理をするはずだ」

 

 つまり、まだ疑惑がかかっている状態という事だ。ヒフミが暗黒街で行動している事を<ティーパーティー>は掴みつつある。

 だが、最近は違うはずだ。<シャーレ>への加入を境に、ヒフミとブラックマーケットの関係を追う事は出来なくなったはずである。アロナと私が隠蔽工作を徹底しているからだ。

 アビドスへの武器供与などを始めとして、ファウストにはさんざん協力してもらっている。彼女を不利な立場にはさせられないと配慮していたのだが、今回は逆効果になってしまった。

 

 桐藤ナギサからしたら、ヒフミが私と接触した途端、怪しい形跡が完全に消えてしまった事になる。

 私は<風紀委員会>との戦闘も情報工作している。

 そして、先ほど渡した資料には明星ヒマリの名前が記載されていた。キヴォトス最強のハッカーの名前だ。

 疑いたくなるのも無理はないだろう。

 

「誰かを疑うと安心するのか」

「……!」

 

 ナギサの目がキッと細くなる。それは図星を表していた。

 根強い不信感が彼女の根底にある。そんな気がしてならない。

 ヒフミの件とておかしいのだ。彼女を平凡だの善良だの悪事とは無縁だのと思っているなら、わざわざ私の前で口外する理由はない。

 徹底的に調査をして、その結果をもって自分を納得させれば良い。

 なぜそうしなかったのか。それは不安だからだろう。

 

「私を疑いたいならそうしたら良い」

「難しい事を仰りますね、先生。貴方は私達へ協力の申し出に来ているのでしょう? 疑っている相手を助ける者などいるはずがない」

 

 ミカがとても楽しそうにナギサと私を見ている。

 

「何か勘違いがあるようだな」

「勘違い?」

「それは協力を求める嘆願書などではない。招待状だ」

「…………」

 

 意味が分からない、と言いたげな表情。私は勝ったと思った。ヒフミの名前をした誰かの話をされた時、私も極めて強い動揺に襲われたが、それを感づかれる事はなかった。

 日頃から吊し上げられているせいで、神がかったリスクマネジメントが完成してしまっているせいだ。

 断言するが、この域に到達した私が失言する事はもはや無いだろう。

 

「招待状……というのは」

「<シャーレ>というのは誰の目から見ても異常な組織だ。権限と予算、活動範囲。暴走すればこれほど危険な存在も無いだろう」

「だからこそ、自身の動きを衆目に晒すという事ですか?」

「そうだ。組織……というより私という個人が信用に足るかどうかを見極めてもらいたい」

 

 言葉ではなく行動で示し続ける。私にはそれしか出来ない。

 そのためにカイザーは利用できる。

 

「信用。素晴らしい言葉だと思います。しかしそれは、価値はあっても形の無いもの……先生は私達にそれをさせられると?」

「信用や信頼はさせるものではない。それは洗脳と同じだ。してもらうために誠意を尽くす」

「そのための招待状……」

「ナギちゃん、そのへんにしとこう?」

「ミカさん。貴女はまた──」

「今のナギちゃんじゃ、先生には勝てないよ」

 

 ミカの視線が私の背後へ向く。万全の警戒態勢を維持し続ける守月スズミがいた。

 テラスへ立ち入る際、待機していてくれと頼んだ私の言葉に彼女は『分かりました』と確かに応えてくれたはずなのだが、どうしてかこうなっている。

 会議へ口を挟む事もないが、さりとて警戒を解く気も全く無い。それは<ティーパーティー>を毛ほども信用していないという意志の現れである。挑発行為に近い。

 だが、ナギサは違う受け取り方をしたようだ。どうしてか警戒を緩め、目を伏せる。

 

「守月スズミさん、ですね。<自警団>の」

「…………」

 

 スズミはナギサを無視した。やめてほしかった。

 

「<自警団>は私達への不信感から立ち上がった組織。そのスズミさんが自らの意志で先生を信頼し護衛し続けている。これはなかなか……」

 

 自虐的な笑みを浮かべたナギサは、紅茶を一口楽しんでからこほんと咳払いした。

 ヒフミに対して歪んだ認識を持っているらしい桐藤ナギサは、私に対しても歪んだ認識を持ってしまったらしい。スズミからの信頼を勝ち取った私を、ある程度は認めてくれたようだ。

 このボディガードが私を本当に信頼しているなら、フル装備のまま背後で仁王立ちはしないはずだ。普通に会議を任せてくれるだろう。

 なにか、とても深刻なものを感じた。

 

「先生は<ティーパーティー>について、どれくらいご存知でしょうか?」

「資料で見た限りだが」

 

 この学園には複数の勢力があり、特に有力な三派閥が代表者を選抜する。そして一年毎に三人の代表から一人が生徒会長の役割を担う。

 つまりは、ナギサとミカ以外にもう一人、トリニティには最高権力者が存在するという事だ。

 この場にいないのは百合園セイアという少女だと聞いている。

 

「<ティーパーティー>のトップ……トリニティの生徒会長はホストと呼ばれています。今年度のホストは私でもミカさんでもありません」

「百合園セイアが体調不良を理由に休学しているからだな」

「そうです。復帰の目処は立っていません。私の言いたい事がお分かりでしょうか?」

 

 桐藤ナギサは代理に過ぎない。にも関わらずエデン条約の締結は進めねばならず、それに得体の知れない大人が関与して来ようとしているのだ。

 彼女は私を迷惑な存在だと認識しており、それをあまり隠すつもりがない。だから他自治区の茶葉を振る舞うし、菓子の類も一切用意しなかった。

 それを理解している守月スズミはフル装備で睨みを効かせる事にしたのだろう。私が秘密裏に処理される事すら警戒の内に入っているのかもしれない。

 

(これは……厄介だな)

 

 内心で唸った。

 この<トリニティ総合学園>は恐らく、キヴォトス有数の火薬庫だ。様々な政治的事情が複雑に絡み合っており、水面下での緊張は一般生徒にまで広がっている。

 ほとんど敵対関係と言えるゲヘナとの平和条約は、少しでも内外の不安要素を減らしたいという願いから始まったものなのだろう。

 そんな時に、<ティーパーティー>のトップが不在。頼りになる連邦生徒会長は失踪。桐藤ナギサが情緒不安定になるのは当然だと思った。

 

「正直に申し上げますと……私達<ティーパーティー>は先生からの助けを必要としておりません」

「そうだろうな。直近の最重要課題であるエデン条約締結に関して、私の存在は考慮されていない。不安要素の一つに過ぎず、厄介そのものだ」

「そうですね……。私としても、人助けをしたいという思いはもちろんあります。ですが、今の状態で他の問題に手を伸ばす……それは無責任な振る舞いだとも思います」

「だが、それでは私の気が済まない」

「はい?」

「ナギサ……というかトリニティを放置する事は出来ない。部外者の私から見ても不安定なように感じるからだ」

 

 桐藤ナギサは紅茶を一口飲んでから、にっこり笑って言う。

 彼女の手にあるカップが微かに震えていた。

 

「それは私達の行政能力が不足しているという事でしょうか?」

「百合園セイアの代わりを完璧に務めなくてはならない」

「…………」

「だがそれは無理だ」

「……随分、分かったように仰りますね。トリニティを訪れて、まだ一時間も経っていないのに」

「ナギサこそ、私を理解出来ていないな」

「……?」

「私も最近、自分について少し分かってきた。私は苦しんでいる生徒を見ると常軌を逸してしまう。相手の思惑の如何に寄らず、全力を尽くしてしまうんだ。そのためだったらどんな手も使う」

「えっと……もしかして脅されてます?」

「う、うん……そうみたい」

 

 二人の美少女が困惑している。

 だが、今の私は<カイザー・グループ>にも真っ向から殴りかかっている状態だ。異常な目立ち方をしている。

 それはキヴォトス全体から見捨てられていたアビドスのため……というのが世間の認識だろう。目の前の二人もそう思っている。

 だからこそ、私が発した言葉には重みが生まれる。悪徳企業に喧嘩を売って良かったと心から思った。

 

「アビドスと同じように、私達の事も助けると?」

「そのための<シャーレ>だ」

「私達は先生の助けを必要としていません」

「それは関係ない。私を止める事は出来ない」

「わ、私達の助けが無ければそもそもカイザーに勝てないでしょう?」

「それは誤った認識だ」

 

 別にカイザー程度、今の<対策委員会>なら問題なく勝利できる。シロコ達は連戦を経て恐ろしいほど成長してしまった。ずるい論理だが、在校生の平均的戦闘力で言えば<アビドス高等学校>はキヴォトス最強だ。ゲヘナとトリニティの助けは必要ない。

 問題は地下のオーパーツである。そして、それに関係するもの達。全ての学園都市に関係する問題だ。

 

「もしかしてだけど」

 

 聖園ミカが口を開いた。明るくはしゃいでいた今までと違い、静かで含みのある口調だ。

 

「カイザーが大騒ぎしてるのも、先生の計算通り?」

「……ミカさん?」

「アビドスの子達って、今まで誰からも助けてもらえなかったでしょ? たぶんトリニティ生のほとんどはそんな自治区がある事も知らなかったと思う」

「え、ええ……」

「でも今は違う。キヴォトス中が注目してる。ニュースでずっと取り上げられてて、SNSの検索ランキングはトップで、公式ホームページもアクセスが集中してるんだよ?」

 

 ミカの言う通り、アビドスを取り巻く状況は一か月前と様変わりしている。大勢の人から関心を向けられ、その実情は広く知れ渡る事になったのだ。

 天変地異から始まる不運の連続。胡散臭い借金をたった五人で返済しながら、絶え間なく流入してくる不良生徒を撃退していた。

 今は悪徳企業として有名な債権者と最終決戦に入ろうとしている状態だ。

 悪趣味な言い方だが、同情を誘いやすく話題性がある。

 

「先生の目的って、カイザーを倒す事でもないし砂漠の危ない物を調査する事でもないんじゃない? アビドスの復興……それが一番大きな狙いだと思う」

「それは……」

 

 ナギサが考えにふける。

 今の状態はカイザーの狙い通り、<シャーレ>と<対策委員会>を孤立させる事に成功している。債権を通した者同士の対立であり、部外者は口を出したくない問題だ。

 だが、別の見方も出来た。アビドスの宣伝だ。

 目立ち方というのがある。マーケティングと言っても良い。やり方次第で評価は大きく変わるのだ。

 これだけ注目を集めた状態でアビドスが勝利すればどうなるか? 

 可能性の話だが、来期の入学生は大きく増すかもしれない。

 それはアビドス自治区の復興に繋がる。

 

「つまり……先生がカイザー基地訪問を公表していたのは、そこまでの事態を読んでのこと……という事でしょうか?」

「それはナギサ達が判断する事だ」

「…………」

 

 今の状態はアビドスと私にとって必ずしも不利ではない。そう認識して貰えることが重要だった。

 私達に投資する事は損ではない。ホスト代行のナギサがそう判断してくれれば良い。

 興味、関心、好奇心。いま重要なのはそういった心理だ。

 桐藤ナギサはテーブルの上にある資料を見て、

 

「招待状……ですか」

 

 ティーカップを置いて黙考した。

 

「良いでしょう。お茶会への誘いを断るのは、失礼に当たりますからね」

「ありがとう」

「ですが、これはただの善意ではありません。サンクトゥムタワー奪還と、今回の件。<シャーレ>への貸しはいくつあっても良いですから」

「え……」

「ミカさんも、覚えておいてくださいね?」

「あれ?」

「会談を掻き乱した事、資料に目を通していなかった事、先生の味方をした事……ふふ、どんなお願いを聞いてもらいましょうか」

「ナギちゃん?」

 

 目を白黒させているミカを尻目に、ナギサは優雅な動作で立ち上がった。

 

「それでは私はこれで。先生、ごきげんよう」

「ああ。今日は会えて良かった」

 

 会釈をして去っていく。忙しいのだろう。それに紅茶を四杯も飲んでいたから、トイレが近くなったに違いない。

 そんな考えをしていると後ろのスズミが私の背中をぺし、としてくる。

 会談は終わった。なんとなく不敵な雰囲気を醸し出す事でゲヘナとトリニティを動かす事が出来た。これ以上ない成果だろう。

 あとは砂漠に行って、変質者とガラクタ連中を纏めて蹴散らすだけだ。

 小鳥遊ホシノの説得に関しては……後で考えよう。

 礼を言って立ち上がると、聖園ミカがぽつりと言ってきた。

 

 

「先生はさ、楽園ってあると思う?」

 

 視線は私ではなく、どこか遠くを向いている。

 

「考えた事もないが……あっても良いんじゃないか」

「あははっ! やっぱり正直だね〜。けっこう好きだよ、そういうとこ」

 

 聖園ミカのような超のつく美少女から好きなどと言われたら、大抵の人間は動揺して挙動不審になるだろう。しかし私は違う。ただ、今日が人生最良の日だと思っただけだ。

 

「じゃあ、先生にとって楽園ってなに?」

「柴関ラーメン」

「えっ?」

「今のは忘れてくれ」

「ら、ラーメン屋さん……?」

「違う」

「先生はそのラーメン屋さんが好きなの?」

「答える事は出来ない」

「え〜! なんで〜?」

 

 つまんなーい! とミカが騒ぎ出す。少し前まで大人のような落ち着きと知性を見せていた少女だったが、今は幼さを前面に出していた。

 

「じゃあ、最後にもう一つ質問」

「良いだろう」

「先生はどんな生徒でも助けてくれるの?」

「ああ」

「公式ホームページにもそう書いてあったもんね?」

「ミカは助けを必要としているのか」

「ひみつ」

「…………」

 

 聖園ミカについて私が知っているのは、あくまで表面的なものだ。

 素晴らしい名家の生まれで、この容姿。成績もトップクラスで学園内でもトップクラスの人気を誇る。

 トリニティにおいて、必要とされるものを全て有している生徒だ。ファッション誌でも何度か表紙を飾っていて、まさにお姫様といったところだろう。

 彼女が抱えるような悩み。今の私にはとてもではないが、計り知る事は出来なかった。

 ミカは私の背後に控えるスズミをちらりと見た。近くで待機しているトリニティ生がなぜか短い悲鳴をあげる。

 

「頑張ってね? 先生が誰かを助けるところ、私も見てみたいからさ」

「見られるのは私が助けられるところだと思うが」

「ええ〜? カッコいいところが見たいなー」

「諦めてくれ」

「せーんせーい〜」

 

 ぶーぶー言うミカに別れを告げてから、テラスを後にした。

 

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