胸がときめく。
暗い一室で、”黒服”は笑みを深めた。何度か姿見の前で服装を確かめている。オーダーメイドの黒いスーツには皺も汚れも存在しない。
非礼は許されなかった。今日は飛び切りの客人が来るかもしれないのだ。
ここはD.U.の一角にある、何の変哲もない商業ビルだ。キヴォトス中に拠点は数えきれないほど存在していた。
これまでの活動で必要に応じ使用してきたものもあるし、今すぐにでも新しい施設を用意する事も出来る。
小鳥遊ホシノとの接触に使用していた建物はすぐに手放した。<ゲヘナ風紀委員会>がアビドスを襲撃したあの日だ。すぐに<シャーレ>の手が伸びてくると思ったし、彼とはあのタイミングで会う気もなかった。
しかし、今は違う。
「んんっ……」
喉の調子を確かめる。悪くない。そろそろだろうか。何の根拠もない、ただの予想。ただそんな気がするだけだが、鼻唄でも口ずさみたい気分だった。
ドアがノックされる。
「どうぞ」
『失礼します』
入って来たのは<カイザー・グループ>のオートマタだった。四・六ミリの専用弾を装填したPDWに防弾ベスト、各種爆薬に最先端の通信機器を装備した、最上位の戦闘員である。
こういったガラの悪い装飾品の類いは”黒服”の好むところではなかった。カイザー側から派遣されている護衛だから悪し様に扱えないだけで、自分の空間に置くと調和を乱す。
「なんでしょう?」
『<シャーレ>がゲヘナ及びトリニティと接触したそうです』
「存じています」
『はっ……? 失礼致しました』
この部屋にはモニターや通信機器の類いは一切ない。間に合わせのデスクとチェアに、趣味で集めた調度品が静かに置かれているだけだ。
決して貧相ではないが、さりとて応接室のような風情でもない。内装は飾り気のない別荘に近かった。
外界の情報を取得できる設備など、この部屋にはない。なのに報告された情報を当然のように知っていた”黒服”に、カイザーの戦闘員は言い知れぬ不気味さを抱いたようだ。逃げるように退室していく。
その反応に内心で失望した。いくら高度な訓練を受け、最高級の装備を身に纏ったとしても、機械は機械なのか。それともただ無能な個体というだけなのか。それを探る気にもならない。
「やれやれ」
立ち上がり、防弾仕様のブラインドを僅かに開く。今は昼下がり。外は晴天だ。
キヴォトス全域でしばらく天候は安定するという予報だった。それに間違いはない事を”黒服”は知っていた。
そこで異変に気付く。扉の閉まる音が、いつまでもしないのだ。いくらカイザーの戦闘員が無能だったとしても、客人にあてがわれるような人員なのだから扉の閉め忘れなどはしないだろう。
振り返ろうとする。
出来なかった。後頭部に固い感触。撃鉄が起こる音。
「変質者だな?」
「貴方は……」
背後に男が立っていた。実際に会った事はない。だが、彼についての画像と映像を計三〇〇時間以上観ている”黒服”には、その姿が鮮明に想像できた。
心が弾む。胸が高鳴った。彼が自分と同じ部屋にいる。
それは、とても素敵な事だった。
「騒いでもいい、助けを呼んでもいい、抵抗してもいい。気が済むまでやれ。その後でこちらの質問に応えてもらう」
「素晴らしい初対面ですね。どうしてここが分かったのです?」
痕跡は全て消してきたはずだ。彼はセントラルネットワークへのアクセス権を持っているから、それを使用してこちらの足取りを追おうとしたはず。しかしそれは無理なのだ。”黒服”が所属する組織の人員は既存の情報網に引っかからない。
キヴォトスの外から来た存在なのだ。学園都市を構成する戒律に干渉すれば、こうした工作はいくらでもできる。
大切な生徒が姿を消したのなら、その彼女に接触していた存在を追おうとするのは当然、予想できる。<シャーレ>が狙ってくるのは分かっていたから、こうして飾り気のないセーフハウスに姿を隠したのだ。
なのに、件の彼は自分の背後にいる。銃を突きつけている。
余りにも素敵だった。
「下品なアクセサリーが仇になったな」
彼が追跡に利用したのはカイザーの戦闘員の方という事だ。これも予想した通りだった。
小鳥遊ホシノを救出するには時間がない。アビドスに戦闘準備を進めさせ、ゲヘナとトリニティに救援を依頼し、ミレニアムにも情報戦の用意をさせる。それでやっとカイザーの採掘基地へ出撃だ。
小鳥遊ホシノから”神秘”を抽出するにはまだ少しの時間がかかる。<シャーレの先生>は把握していないだろうが、彼に許された制限時間は残り僅かだった。
だから、こうして嫌がらせをしてみた。自分の存在を巧妙に隠し、しかし近くに手がかりを用意しておく。そうすれば彼はいっそう本気になって自分を訪ねてくれるだろうと考えたからだ。
「素晴らしい。拍手をしても良いですか?」
「後にしろ」
「ああ……振り返っても?」
「良いだろう」
両手を挙げたまま体を反転させる。
身長一八三センチ、体重六四キロ。体脂肪率は一〇パーセントきっかり。白衣にも似た丈の長い上着によれた黒いシャツとパンツ。ローライドのホルスターは高級革に純銀のプレートが仕込まれており、その中身だったシングル・アクション・リボルバーは”黒服”の額を捉えたまま微動だにしない。
写真で見た彼が、映像で観た彼がすぐ目の前に立っていた。自分を見ていた。気分の高揚が抑えきれない。今日は間違いなくこれまでで最高の日だ。喉が震える。息が荒くなる。
「言いたい事はあるか」
「小鳥遊ホシノの居場所を問いただしに来たのでしょう?」
「それだけじゃない」
「ほう……?」
「私はこのキヴォトスにおいて唯一、生徒に粘着する事を許された大人だ。その権威と権利を脅かす輩がいると聞いた。貴様がそうだな」
「…………?」
彼の言っている事は理解できなかったが、小鳥遊ホシノへ取引を持ち掛けた事についてだろう。その表情からは何も読み取れないが、暗く輝く銃口が空の内心を雄弁に物語っている。
「ホシノを狙う理由はなんだ」
「”神秘”の探求です」
キヴォトスに存在する生徒は例外なく”神秘”を有している。個人によって内容は様々だが、小鳥遊ホシノは現状の学園都市で最も強力な”神秘”の持ち主だった。
生徒が宿すその力は、何らかの形で外部へと発揮される。銃撃されても軽傷で済むし、銃を強化する事も可能だ。その他にも性向や特殊技術として反映される事もある。才能とは似て非なる性質だった。
それを探求し、解析し、再現する。それが目的だ。
簡単な事ではない。”神秘”を安全に生徒から切り離す事は出来ないため、何らかの方法で抽出する必要がある。
「何らかの方法」
「貴方は知らない方が良い」
「だんだんと貴様らのやり方が分かってきた」
相手の声には相変わらず抑揚がない。しかし急速に機嫌が悪化しているだろう事は容易く予想できた。
「ホシノは返してもらう」
「それは無理です。彼女はもう、貴方の生徒ではない」
退部届を通して、小鳥遊ホシノは既にアビドス自治区の所属ではなくなっている。独立連邦捜査部に関しても同様だ。
そして数時間前にこちらは契約を済ませている。借金の九割と金利を免除する代わりに、彼女の全てを手に入れるという内容だ。
あらゆる事が双方の合意によって成されている。それはこの相手であっても介入する事は出来ない。
「今までアビドスを追い詰めた理由がこれか」
「…………」
「ホシノに自らの意志で権利を放棄させる。”神秘”とやらの抽出も、本人の精神状態が関わってくるんだろう。不安と恐怖、絶望に満たされた心を貴様は必要とした」
「ククク……」
身震いした。全て正解だ。やはり、この人には才能がある。生徒を理解する才能だ。それは何にも代えがたいものだった。
そうだ。わざわざ回りくどい手法を用いてアビドスを追い詰めるよう仕組んだのは、そういった目的があった。責任に押し潰され、苦悩に沈み、後悔に溺れた魂はその性質を変化させる。
”反転”と言っても良い。
「安心した」
「それはどうして?」
「貴様らが絵に描いたような悪役で良かった。心置きなく排除出来る」
「残念ながら不可能です。貴方の銃で私は殺せない」
「なら楽しみが長引くだけだ」
「やれやれ……」
脅しという事は分かっている。この相手に拷問の趣味はない。対象を痛めつけるような無駄はしないのだ。この問答とて情報収集に過ぎない。
”黒服”はキヴォトスの生徒と比較して非力だが、ただの銃弾で怪我をするほどひ弱でもなかった。
「小鳥遊ホシノの件についてはもう良いでしょう。彼女はもう手遅れだ。儀式は始まっている。貴方が駆けつけても、話をする事は叶いません」
「それは私が判断する」
「先生……これは必要な事なのです」
「…………」
「あらゆる物事に犠牲は付き物。医学などは顕著ですね。大切なのは犠牲を無駄にしない事。前に進む事。違いますか?」
”黒服”は懇切丁寧に説明してやった。
研究が前進すれば、キヴォトスの生徒達は遥かに強力な存在となる。自身に秘められた力を、より明確に理解出来るようになるからだ。
そうすれば勉学やスポーツと同様に、自らの意志で発育を促す事が可能となる。
「私に言わせれば、キヴォトスの子供は全く無駄な事をしている……。自分の才覚に無自覚で、無頓着で、無関心。これは不幸に他ならない。ならばそれを解明し、より良い方向へ促すのもまた、大人の使命なのでは?」
「そのために必要な犠牲か」
「その通り」
「それは、自分を犠牲にした事がない者の台詞だ」
「…………」
「貴様はキヴォトスの未来など考えてはいない。自身の好奇心のままに行動している。言葉ではなく行動に、その者の本質が宿る」
完全な図星だった。
理解してもらえたと、恍惚の感情が噴き上がる。
「これはビジネスでもあります。私の研究が結果的に多くの生徒のためとなる。今回の件は投資に過ぎない」
「ビジネスというのは双方が得をするシステムだ。誰かに損をさせる事でしか利益を生み出せない貴様らは、ビジネスマンとしても三流以下だな」
「なるほど……しかし、貴方は見ているはずだ。キヴォトスが滅ぶ未来が。滅んだ過去が」
「…………」
この相手がどうして記憶を失ったのか。その理由は”黒服”にも分からない。
しかし、この先生がどのような苦悩を抱えているのかは理解していた。
「何度も幻視しているのでしょう?」
決して根拠の無い妄想や幻覚などではない。
この世界で恐らくただ一人、目の前の男だけは真の地獄を体験している。記憶を失っても体が覚えている。
そして、地獄はまだ終わっていない。まだ始まったばかりだ。
「貴方には毎日が地獄のはずだ。生徒達を待っている最悪の未来を変えられるのは自分だけなのに、その自分を最も殺したいのは貴方自身……」
「…………」
「朝、目が覚める度に思うのでしょう? その手の銃で命を絶ちたい……全てを終わりにしたいと! しかし貴方は逃げられない。生徒の居場所を自分の血で汚すわけにはいかない! 植え付けられた役割を遂行する事しかできない。す、素敵だ! 余りにも!」
「…………」
「どうしてです?」
狂乱を収めて尋ねる。
「貴方は全てを手にできたはずだ」
サンクトゥムタワーを奪還したあの日、連邦生徒会長によって<シャーレ>は学園都市の全権を委ねられた。そのままあらゆる物を手中に収められたはずなのに、この先生はそうしなかった。
「未熟な子供ではなく、大人の貴方が統治する。究極の奇跡を持った先生たる貴方が、キヴォトスの全てを支配する。権利も神秘も奇跡も……全てを貴方に差し出した。それが連邦生徒会長の意志でしょう?」
「…………」
「無論、責めているわけではありません。記憶を喪失した貴方の選択は正しい。間違っているはずがない。しかし訂正は必要なはずだ。<ゲマトリア>がその支援をさせて頂きます」
「<ゲマトリア>。貴様らの組織か」
頷く。キヴォトスの外側から神性を観測し、分析し、解明し、再現する。それが<ゲマトリア>の活動理念だ。
数人のメンバーで構成されたその組織はそれぞれがそれぞれの思惑で行動するため、統一性というものを持たない。
「ぜひ貴方を招致したい」
「気が触れている」
「もちろん、これは正当な取引です。貴方が頷いてくれるなら、小鳥遊ホシノとの契約は破棄いたします。アビドスの借金も帳消しにして、カイザーもこの地より排除します。奪われた土地も全て返還しましょう」
「気前が良いな」
「まだあります。我々と貴方が協力すれば、アビドスの根本的問題である異常気象をすら、解決できる。再びキヴォトス最強の学園となる事も容易いはず」
アビドスだけではない。キヴォトス全ての生徒に幸福と安全を保証できる。
それが間違いなく可能なのだ。<シャーレ>と<ゲマトリア>が手を組めば神を証明し、再現し、それを超越する事すら出来る。
「全員が得をする。先生……貴方が先ほど仰った完璧なビジネスそのものではありませんか」
「……なるほどな」
白い男が構えていた銃を降ろし、ホルスターへと戻した。その瞬間、”黒服”は激しい幸福感に襲われた。全ての想いが通じたのだという確信がある。
そうだ。この先生を真に理解できるのはキヴォトスの生徒などではなく、<ゲマトリア>の自分たちなのだ。あらゆる利益を共有して、さらなる高みへと至る。
崇高を超えた至高の領域。神々を従え、時間と空間を支配する。あまねく世界を完全に理解する。
輝く未来が開けていく……そんな至福の時はあっさりと終わりを迎えた。
「時間の無駄だったな」
「はい?」
「至高だの支配だのは、私が求めるものとかけ離れている」
「……? 貴方は全ての生徒を救いたいのでしょう? 永遠の幸福を全ての子供に与えたい。違いますか?」
「完全な間違いだ」
切り捨てられる。
「私は誰かを救えるなどとは考えていない。幸せとやらを与えるという行為にも価値を感じない。なぜなら生徒達は例外なく自らの力で幸せを勝ち取れる存在だからだ」
「であれば……」
「それを邪魔する者がいるなら、私が排除する。例外はない」
「……意味が分かりません」
どういった選択なのか理解できない。<ゲマトリア>の助けがあれば、子供は苦労する事なく成功の未来を歩む事が出来る。競争や不安、不理解から解放される。
楽園が誕生するのだ。
それをわざわざ放棄して、欺瞞と疑心と戦火に満ちたこの下らない汚れた世界を続ける? それは、生徒の将来を導く先生の判断なのか?
「こ、このまま進めば貴方は失敗する。間違いない。そ、そうでなくては辻褄が合わない。記憶喪失の説明がつかない。その罪悪感の根源は、払拭されない」
「……そうだろうな。だが、私が報いを受ける時は独りで済むのも理解している」
「それは、子供のための消耗品と何が違うのですか?」
「私はキヴォトスに来てまだそう長くないが」
男の視線が”黒服”から外れる。ブラインドから差し込む光に目を細めながら、
「ここには子供の邪魔をする大人が多すぎる。貴様のような存在だ」
「そのために<ゲマトリア>と敵対すると? 楽園を放棄すると? な、何の説明にもならない」
「そうだな」
「あ、貴方はただ裁かれたいだけだ。至高の存在として君臨するのではなく、ただの罪人として……惨めな最期を孤独に……」
究極のエゴイストだ。
全てを手に入れて尚、苦難の道を選ぶ。凄惨なエンディングを望む。それは無責任に他ならない。
意味が分からなかった。
「交渉には応じないと……?」
「愚問だな。交渉の余地は初めからない。私が貴様らにやる事があるとしたら、奪って、壊して、踏みにじるだけだ」
「…………」
この男の原動力は慈愛や奉仕の精神などではない。地獄の底から噴き出したような劫火が芯にある。
自己への嫌悪、敵への憎悪、世界への憤怒。計り知れないほどの荒れ狂う嵐が、この先生の中にあるのだ。
あるいは、記憶喪失だからこそキヴォトスはまだ平穏なのかもしれない。この男に記憶と明確な目的意識があったのなら、今ごろ”黒服”のような存在は淘汰されていただろう。
ある種の安全措置として、彼から記憶を奪ったのは連邦生徒会長なのかもしれない。
「…………」
完全な読み間違いだ。
”黒服”はこれまで、この先生は救済を望んでいるのだと考えていた。失敗する未来を変える事で、敗北した過去を否定する。
病魔のように巣食う罪悪感を取り除き、前へ進みたいのだと──なぜならそれが当然の考えだからだ。
目の前の彼は違う。
このキヴォトスから去る覚悟を決めているのだ。恐らくは、目覚めたその瞬間から。
生徒達の障害物となる要因を、全て除去した後に姿を消す。知人の記憶は最後の最後に操作すれば良い。
この彼にはそれが出来る。いや、”彼ら”と表現した方が良いだろう。
(馬鹿ばかしい)
色々と合点がいった。
失踪した連邦生徒会長と記憶を失う前の<シャーレの先生>。この二人がグルだという事は最初から分かっていたが、キヴォトスの覇者であった彼女がどこへ行ったのかは誰も掴んでいなかった。
学園都市から脱出しているのなら、<ゲマトリア>がそれを察知出来ないのは不可解だ。
彼女は初めから、どこへも行っていなかったのだ。
全てを捧げるという行為には自身も含まれていた。
だとしたら──これは余りにも茶番だと感じる。”黒服”には未来永劫、理解できない理屈が働いているからだ。
「質問には答えた。今度はこちらの番だ」
「小鳥遊ホシノはカイザーの採掘基地……アビドスの本校舎に囚われています」
彼に驚いた様子はない。セントラル・ネットワークで掴んでいるはずの情報だからだ。
ここへ現れたのは擦り合わせに他ならない。キヴォトスの外へ連れ出されていないか、確認したかったのだろう。
用は済んだとばかりに先生が背を向ける。開きっぱなしの扉付近には、解体された<カイザーPMC>の傭兵が転がっていた。
「小鳥遊ホシノは既に、貴方の生徒ではありません」
このキヴォトスでは契約が重視される。生徒によって運営される学園都市だからこそ、その権利や立場、所属が強い意味を持つのだ。
生徒にとっての学校とは、ただの学び舎ではない。戸籍や個人口座、信用情報を司る領域なのだ。国民と国家の関係に近い。
そして小鳥遊ホシノは、その居場所から自らの意志で離脱した。学園自治区の保護から離れた彼女は既に生徒ではなく、現在は<カイザー・グループ>の所有物という扱いになる。
元より、<対策委員会>という組織は非認可の団体だ。
守る法は存在せず、凍結状態であった<アビドス生徒会>も唯一の役員である小鳥遊ホシノが退学した事によって解散という扱いになる。
行政機関が消滅した自治区は存在していられない。
もはや全てが手遅れだった。
「考え直されては如何です? 力尽くで上手くいく問題ではありません」
「デスクの上を見てみろ」
いつの間にか二枚の書類が置かれている。
小鳥遊ホシノが記したのだろう退部・退学届と、<連邦生徒会>の承認印が押された申請用紙だ。
「<アビドス廃校対策委員会>は正式に認可された部活となっている。承認日は最近だが、申請日は私が奥空アヤネの手紙を受け取ったあの日だ。連邦生徒会規則に則り、今から遡って申請日より効力は発揮される。活動内容は<アビドス生徒会>の物を完全に引き継ぐ形となる」
「…………」
「そして小鳥遊ホシノの退部届だが、顧問の欄に私のサインが無い。よってその申請は未承認として扱われ、効果も無いという事になる」
「……なるほど」
彼の言う通りだ。
アビドス滞在中にD.U.へ何度か戻っていたのはこのためだったのだ。
しかし不可解でもある。<連邦生徒会>にはカイザーの内通者がいるからだ。彼女を避けて承認を通したのか。
だとすれば、目の前の先生には内通者が誰か当たりが付いているのかもしれない。
「従って<アビドス高等学校>が自治区を構成する要件を失ったという主張は完全に否定されたものと考える。ホシノはまだ退学していないし、生徒会の機能を引き継いだ組織には他にも四人の生徒がいる。全員の意志を折った上で私に承認させなければ、貴様の考えは現実のものはとならない」
「なるほどなるほど」
何度か頷く。
完全にこちらが有利な盤面だったはずだ。いや、それは今も変わらない。
小鳥遊ホシノから最高の”神秘”を抽出する実験は既に始まっている。そして、あの少女は完全に心を閉ざしていてもはや会話も出来る状態ではない。
残った四人の生徒でカイザーの戦力を相手にするのは不可能だ。
なにより──採掘基地の近辺には<ビナー>がいる。砂漠のオーパーツとホシノ、そして先生が再び揃えばあの守護者も本気となる。
勝機は皆無だ。無理やり箱を開く事になるだろう。そうなれば先生は命を失い、結果的にアビドスは滅ぶ事になる。それは、小鳥遊ホシノへ語ったエンディングそのものだった。
”黒服”は深く息を吐いた。
「全てルールの範疇という事ですか。まったく……恐れ入る。先生」
「…………」
こつこつと、机を指の先で叩く。耐え難いほど安い音だった。
「あの”カード”を使うのは止めて頂きたい。あれに縋れば全てが狂っていく。ご存知のはずだ」
「知ったことか」
先生が去っていく。こちらへの関心や配慮は微塵も伺えなかった。
質問がまだ残っている。
「最後に──<ゲマトリア>への協力。明確な返答をまだ伺っておりませ」
今度こそ完全に扉が閉まる。
やれやれと、”黒服”は首を振った。
眉間からは煙が立ち昇っている。四五口径のLC弾が正確無比な弾道で突き刺さったからだ。それは何よりの意思表示だった。
言葉は不要という事だろう。
視界の中で撃たれたはずなのに、まったく認識出来なかった。神速のファスト・ドロウ。人の身の限界まで極めた技能すら、このキヴォトスでは何の意味も持たない。
(そういえば……)
『早撃ちとは最強の殺人術である』。過去の偉人の言葉だ。
あの未熟な先生は、誰を殺す気なのだろうか。
「先生……」
階下では銃撃戦が始まっていた。カイザーは”黒服”を囮に先生を吊り出したのだ。
二〇から三〇人規模の特殊部隊が、この建物を完全に包囲している。量より質を重視した、<カイザー・グループ>きっての精鋭達だ。
量より質の大部隊は旧アビドス自治区に集結しつつある。最終決戦を目前に動き回らなければならない先生を、ここで仕留めるつもりなのだ。
アビドス生は校舎から離れられない。<シャーレ>から護衛も連れて来てもいない。人数任せの派手な真似は出来ないとしても、狙撃ポイントは無数にある。暗殺の難易度は極めて低い。
額に穿たれた風穴を撫でる。彼からのプレゼントだ。愛おしかった。
「<ゲマトリア>はいつでも貴方を見ていますよ……」
◇
戦闘が収束するまで五分もかからなかった。
私は地面を転がっているオートマタ連中の装備を簡単に確認する。
実用性一辺倒の最高級品のみで纏められているが、メーカーはバラバラで所属を示すものもない。そもそも性能で選ぶとカイザー製品は自然と選択肢から外れてしまう。誰の手の者かは考えるまでもないが、しかし尋問をしている場合でもない。この連中を証拠にすることは難しいだろう。
私の背後で周辺を警戒していた女生徒が訊ねてきた。
「もう終わり?」
「ああ」
鋭い目つきに黒いメッシュの入った白髮。消音器付きの自動拳銃を油断なく構えている。
「ホントに襲ってくるなんてね。狙撃手は七人、車に細工までしてる」
「別働隊はいるか」
「今のとこ無し。仕掛けられていた爆薬はムツキが取り除いたし、狙撃手は社長が仕留めた。しばらくは安全」
変質者を餌に私を釣り出そうとする狙いは読めていたので、あらかじめ<便利屋68>に依頼を出していた。カイザーのターゲットには彼女達も含まれているから、こうして共にいる事は都合が良かった。
「あ……せ、先生! ご無事でしたか!?」
「ああ。ありがとうハルカ」
私が暗殺されそうになったというだけでマジギレし敵の実動部隊をぐちゃぐちゃにしていた伊草ハルカだが、今はほんわかした様子で上機嫌になっている。ニコニコした美少女という最も平和に近い存在なのに、彼女の頬にはべったりと謎のオイルが付着していた。
やや凄惨な事もあり言及する事が憚られるものの、カヨコママがため息混じりにハンカチで拭ってやっている。
なるほど……。
「…………」
私は付近に倒れたオートマタ兵がいないか見渡した。オイルを漏出している者が良かったが、残念ながらいない。つくづく役に立たない連中だと内心で失望した。これからもこれまでも、カイザーへの評価が上がる事は無いだろう。
そんな事を考えていると、<シャーレ>マークの入った装甲車両が近くに停車した。
運転しているのは浅黄ムツキだ。細工されていた車両は彼女に対応を任せていたから、そのまま迎えに来てくれたようだ。
助手席から狙撃銃を携えた女社長が現れる。颯爽とした佇まいの彼女は、一人で敵のスナイパーを全滅させた凄腕だ。
「フフフ……」
「ありがとう、アル。助かった」
「この程度、大した事じゃないわ。私達にとってはね」
依頼を出した時と違い、アルは上機嫌のようだった。
先ほど撃破したのはカイザーの中でも精鋭を集めた部隊である。装備や統制の質で分かるし、引き際もスマートだった。
私がアビドスを脱走した時に心配して送ってくれたモモトークへの返信を、諸事情で忘れてしまっていたせいでぷんすかしていたのだが、便利屋としては極めて珍しく滑らかに仕事を終えられた今のアルはノリノリのご様子だ。
「はぁ……やっぱり、組織としての質? が違うっていうのかしら。ハードボイルドっぷりに雲泥の差があるのよね」
「ああ」
運転席のムツキがニヤニヤしている。一応、私には暗殺の危険が常に付き纏っているのでここで立ち話をするべきではない。それを言い出したいカヨコ課長がむずむずした様子で周囲を警戒している。ハルカはただただアルにうっとりしていた。
「カイザーのブラックリストに入っている者のよしみとして依頼を受けたけど、詳細を聞いていなかったわね?」
私がアルへ出した依頼内容は、指定した地点へ移動してもらう事及び周辺の敵勢力の掃討だ。<便利屋68>が動いた際にカイザーがそれを察知した様子はなかった。マークされていないという事はつまり、彼女達はブラックリストに入っていないか、その順位が大分低いか、という事になる。
「先生。明かしてもらおうかしら?」
そろそろだろうか。
「私達<便利屋68>に何をしてほしいの? まあ、あれだけの金額を提示されたからには理解しているけれど」
来るか……?
「カイザー殲滅に手を貸す? それとも経営顧問として専属契約を結ぶ? ブラックマーケットで大暴れ? なんだってお安い御用よ」
「…………」
「何と言っても、私たち便利屋は」
ぐぅ〜〜。
なんとも間の抜けた音が、それなりの音量で鳴り響いた。
陸八魔アルは驚愕に満ちた表情で自分の腹部を凝視している。音の発生源は彼女のようだ。
「…………」
「…………」
理由は不明だが、アルは驚愕で固まった表情のまま私へ視線
を向けてくる。ムツキが車内でひっくり返って笑っている。
「とりあえず移動しようか」
「…………」
「その、あまり時間が無いから落ち着いて食事するのは難しい。コンビニには寄る事が出来るだろうから、そこで何か買おう」
「…………」
「アル……?」
「…………」
「もしかして放屁の音だったのか」
「お腹の音よっ!?」
◇
使用している車両は八人乗りサイズのオフロードSUVだ。<シャーレ>の特別仕様というわけではなく、キヴォトスで広く普及しているタイプである。銃撃や爆撃が身近にある学園都市において、車体やタイヤは高い防弾性を求められ、破壊された路面を問題なく移動するための走破性を要求される。
このロードクルーザーなら、アビドスの砂漠だろうがレッドウィンターの雪山だろうが問題なく移動できるだろう。
「なるほどね」
コンビニで貰ったビニール袋をガサガサさせながらアルがふんぞり返った。
前列の運転席にはムツキが座り、中列にはカヨコと護衛対象の私、後列にはアルとハルカという配置だ。
便利屋の面々は車両で旧アビドス自治区を出入りしている。遭難経験者であり、いつまでたってもヘリの操縦を教えてもらえない私としてはぜひ勉強させて貰いたい相手だった。
「予想通りだわ。これから最終決戦だなんて……」
どうしてか、からあげ棒がやたらと似合う社長は悪いドヤ顔をしている。
「だから私のモモトークに返信出来なかったのね?」
「う、うん……」
「でも、私達の力がここに来て必要になったと?」
「そう……」
アルから来た今朝のモモトークに返信が出来なかったのは、私のテンションが過去最高レベルに乱高下していたせいだ。柴関ラーメンの復活とゲヘナ・トリニティへの訪問が重なったし、変質者の眉間に鉛玉を撃ち込む用事もあったためにすっかり忘れていた。
危ないところだった。早瀬ユウカから現状の確認を求めるモモトーク爆撃にまたも誤ってモアイ像の画像を逆爆撃してしまった時に思い出した。忘れていたとは言い出せず、仕事の依頼という体で切り抜けたのだ。なんとも大人らしいやり口だった。
ハムとレタスのサンドウィッチを齧りながらカヨコが指示出しをしている。
「ムツキ、マンホールの上は通らないで。たぶん罠が仕掛けられてる」
「はいは〜い」
「先生は窓から出来るだけ離れて。防弾ガラスだって絶対じゃない。対物ライフルなら角度によっては貫通されるんだから」
「分かった。……ムツキ、すまないな。運転を任せてしまって」
「いいよー? あとで先生から奢ってもらうし」
「ああ」
便利屋は例によって貧乏生活を送っており、近頃は公園で過ごしているらしい。アルちゃん社長は次の事務所を見つけるまでの繋ぎだと言っていたが、公園生活が長引けば長引くほど信用情報は低下し、賃貸契約を結ぶ事も難しくなる。
食事に関しても不安定で、連絡を取った時も空腹状態だった。
ここは先生らしく注意するべきだろう。私はミネラルウォーターのキャップを閉めながら言った。
「体ちょ」
「体調管理がどうとか言ったら放り出すから」
「…………」
スマートフォンでマップを確認している鬼方カヨコ課長が冷徹な口調で言ってきた。
機先を制されて落ち込んだ私は、真後ろにいる伊草ハルカの方へ首をにゅるりと回す。うざ絡みにもテクニックがあり、精神的に不安定な時は反撃してこなさそうな生徒を的確に狙う必要があるのだ。
「ハルカは最近どうだ?」
「えっ!? え、え、私ですか?」
「ああ。変わりはないか」
「そ、そそそうですね。アル様をバカにした人をビルから突き落としたり、契約を反故にしようにした相手を追い詰めて金庫ごと燃やしたり、アル様を騙した詐欺商人の家族を誘拐して謝罪を強要したり……」
「そうなのかアル」
「全部知らないわよ!?」
そんな事してたの!? とアルに肩を揺らされたハルカは顔を真っ青にして平謝りしている。
私が便利屋と離れていたのは、<シャーレ>への加入申請を受けたあの日からの短い間だ。つまりかなりの短期間で伊草ハルカはそれだけの凶行に及んだという事になる。
アウトローとしての格が上がったのだろう。私は温かい気持ちになった。
ハルカにドン引きしていたカヨコが訊ねてくる。
「ていうか、また一人でふらふらしてるの?」
「今は一人ではない」
「私達が合流するまでの間は一人だったでしょ」
「そうだが」
吊し上げの香りが強まってきた。カヨコもあちら側の勢力なのだろう。私は警戒を固める。
また自分を危険に晒していると批判してくるつもりなのだ……。そうはさせない。
私は説明を始めた。
護衛を頼む事もあったし、それは今もそうだ。そしてなにより一人の方が動きやすいというのもある。影の薄い私は単独の方が隠密行動が容易く、また黒服を名乗る変質者に生徒を近づけたくもなかったのだ。
「だとしても、先生は先生しかいないんだから」
「うむ」
「危険な事からはちゃんと距離をとって」
私はハルカを見た。アルも見ていた。
「分かった?」
「分かった」
きょとんとしているハルカをなでなでしながら、油断しきった様子のアルちゃん社長が脚を組み直しつつ言う。
「大丈夫よカヨコ。ここはD.U.のメインストリートだし、往来も多いわ。いくらカイザーだからって、こんな真昼間から襲ってくるとは考えにくいでしょう?」
「アルちゃん、それってフリ……っ!」
ムツキが急にハンドルを切る。横へ猛烈な慣性が働き、体が振り回された。体勢を直す間もなく恐ろしい程の轟音と衝撃がロードクルーザーに叩きつけられる。
最新の耐衝撃仕様ガラスの向こうは真っ赤な炎で埋め尽くされていた。続いて土砂降りのような勢いの銃撃。
対戦車ロケットが撃ち込まれたのだ。シートベルトを外したカヨコが私に覆い被さってくる。私は初めて<カイザー・グループ>に心から感謝した。
押し倒される直前に見たのは複数の車両とバリケードによって封鎖された車道だ。このままだと進路を塞がれる。
「ムツキ、歩道へ行ってくれ」
「おっけー♪」
「ちょっと! 歩道は歩行者が──」
アルの懸念が的中する。
重い衝撃。加速した車両によって歩行者が跳ね飛ばされたのだ。きりもみ回転する黒い影。いやああぁあ! という悲鳴が後部座席から聞こえる。
「轢いたのは敵だ」
「そうなの!? ホントに!?」
確認できたのは一瞬だったが、歩道にいたのはオートマタだけだ。ほぼ間違いなくカイザーの関係者だろうし、もし違っても後で謝れば良い。極端な話、相手が生徒でさえなければ問題ないのだ。
カヨコが後部座席へ声を向ける。
「ハルカ、応戦して!」
待っていたとばかりにハルカが立ち上がり、ルーフを開放した。車から上半身を出し、追跡してきた敵車両へ銃撃を開始する。
「アル、二時の方向。向かいの商業ビルからまたロケット弾が飛んでくる。その前に迎撃を頼めるか」
「え、ええ!」
引っ切り無しに車体へ銃弾が浴びせられる。タイヤを破壊しようとする相手に対し、ムツキはハンドルを巧みに動かして回避した。アルとハルカは縦横無尽に動く足場の上でも体勢を崩す事なく射撃をおこなっている。
荒事の中でも連携は乱れず、どんどんと洗練されていく。こういう時の<便利屋68>は強い。
喧騒は膨れ上がっていく。
ボンネット内部が爆発した敵車両が空中で前転し、逆さまになりながら地面に激突する。狙撃手のいる複数のビルからは何度も対戦車ロケットが撃ち込まれてきた。
直撃コースのものはアルが狙撃しているが、そうでないものは道路や周辺の建物に着弾していた。射手の二人が連携して地面に仕掛けられたスパイクや地雷を吹き飛ばす。
賑やかな商業区に、みるみる火災と破壊が広がっていった。ロードクルーザーが加速。ハルカが使用したグレネード・ランチャーによって支柱を食い千切られた歩道橋が倒壊し、それを際どいところで潜り抜ける。
橋の上にいた敵と通行人と後方の追跡車両が纏めて犠牲になった。
「先生、先生!」
アルが興奮している。
「これってアクション映画とかで良くあるカーチェイスのシーンよね!? すっごくアウトローじゃない!?」
「こうなると思ってアル達を呼んだ」
「さっすが経営顧問! もー大好きっ!」
「アルちゃんさぁ……」
「社長……」
「アル様……」
ムツキとカヨコは呆れているが、ハルカだけは恍惚としている。
「このままアビドス校舎へ向かってくれ」
「はーい♪」
車体は傷ついてしまったし、目的地までは燃料も足りていないが、道中に替えの車両も用意してある。まずはそこまで辿り着かなければならない。
後部座席のシート下から予備のマガジンと手榴弾を取り出しながら、キラキラ顔のアルちゃん社長が上機嫌で叫ぶ。
「便利屋始まって以来の大仕事! 必ず成功させるわよ!」
ハイウェイの合流地点から続々と敵の車両が集まってくる。<便利屋68>を乗せたロードクルーザーは、彼女達が破壊を目論んだ校舎へと加速した。
◇
二回ほど車両を乗り換え、アビドス校舎へ到着する。今回の移動で発生した費用と損害は<カイザー・グループ>へ全て請求した。明日の今頃には支払われているだろう。株価が暴落する前に毟れるだけ毟っておきたい。
「なんか騒いでるよ?」
ムツキに言われて目を向ける。校門付近からセリカの大声が聞こえてきた。
「あんた達の相手してる暇なんかないの! 帰って!」
「い、嫌だ!」
「あたし達だって黙ってられない!」
「そうだそうだ!」
アビドスとは別の生徒が複数。
これからはカイザーの基地へ殴り込みをかけ、校舎は留守となる。襲撃に備え、この辺りはアヤネ先生がガチガチに防衛システムを固めていたはずだ。それなのに校門まで通したのだろうか? なにかのトラブルらしい。
近づいていくと、ようやくその理由が分かった。
「カタカタヘルメット団……」
「なにそれ?」
「ムツキ達の前にアビドス校舎襲撃を請け負っていた集団だ。しかも……」
私がアビドスと合流した初日。最初に襲撃をしかけて来て、そして機動阻止システム最初の被害者になった集団だ。彼女らはヘルメットで顔を隠しているが、声や体格、匂いは記憶している。
間違いない。あのカタカタヘルメット団は全員、この校舎に拘留されていた生徒達だ。
「どうした」
「あ、先生! こいつら急に来て、私達と話がしたいって!」
「出撃前の忙しいタイミングだったので断るべきなのは分かっていたのですが……」
対応はセリカとアヤネの一年生組がしているようだ。
ヘルメット団は武装を解除してまで話をしにきたらしい。だから力尽くで撃退というわけにはいかなかったのだろう。
(なるほどな……)
古い倉庫で捕らえたヘルメット団を尋問した際、私に同行していたのはアビドスの三年生と二年生だ。面識が無いから話が余計に拗れているのだろう。
「ふむ……要件を聞こう」
「か、カイザーと戦うんだろ!? 私達も加えてくれ!」
「だから信用出来ないってば! あんた達、ここを散々狙ってたでしょ!? 私の事も拉致ったくせに!」
「し、襲撃はそうだが、拉致ってなんだ……?」
「それはたぶん、Aのグループがやった事で」
「Aのグループってなによ!?」
カタカタヘルメット団が顔を隠しているせいでセリカのヒートアップは収まらない。
彼女はバイト終わりに襲撃され、拉致までされている。ここにいるヘルメット団はそれに関与していないとしても、まず見分けがつかないのだ。
「セリカ、彼女らはあの事件には関わっていない」
「……なんでそんな事が分かんの?」
「それはもちろん」
匂いで判別できるからだ。
そう言おうとして電流が奔った。危ないところだった。匂いで生徒を記憶、判別できるというのは私の固有スキルだ。
それを明かす事は今後の粘着生活に関わる。完全なリスク管理。私は自身の成長を誇らしく思った。
「セントラル・ネットワークを使用した際にヘルメット団の動きは見た。だから分かる」
「そ、そうなの……?」
「なるほど……」
一年生組は納得してくれたようだ。ここで私がヘルメット団のために嘘をつく理由もない。
「だとしても、君たちがアビドスの味方をする理由の説明にはならない」
「うえっ……」
私が歩み寄るとカタカタヘルメット団はえづいた。何かトラウマでもあるのだろう。しかし、今は構っていられる場合ではない。
「戦列に加わりたいと言うが……君たちにはカイザーと戦う理由がない」
後任である便利屋とは違い、<ヘルメット団>を母体とする彼女らが今さら<カイザー・グループ>から狙われる事はないだろう。
準備を終えたらしい砂狼シロコと十六夜ノノミも合流する。セリカとアヤネから事情を聴き、二人も表情を険しくした。
時間的な余裕が無いのだ。これからすぐに出発し、廃駅に隠した装甲列車でカイザーの採掘へ向かう。ホシノを救出して、邪魔をしてくるだろうガラクタ軍団を掃討して離脱。その後に柴大将のもとへ向かわなければならない。明日の早朝には屋台へ到着していなければならないということになる。
残念ながら援軍希望者の身辺調査や思想鑑定をしている暇は無いのだ。
「…………」
しかし……とも考える。
アビドス生が出撃してしまえば、この校舎はもぬけの殻となる。どれだけ防衛システムを強固にしたところで限界はあるのだ。せっかくホシノを連れ戻しても、この居場所が失われては意味が無い。
自治区を構成する要素は生徒と生徒会と校舎だ。そのどれか一つでも無くなったら廃校になってしまう。
私がカイザーの立場だったら、別動隊にこの本拠地を襲わせるだろう。それが最も効果的だからだ。
だからこそ私は<便利屋68>へ依頼を出した。校舎までの護衛と、今回の騒動が終わるまでの防衛任務だ。ブラックマーケットで雇用した傭兵部隊も集結している。可能な限りの戦力をかき集めている状況であった。
ここにカタカタヘルメット団が加入してくれるなら、便利屋メンバーは採掘基地襲撃の方に編成できるだろう。
それはかなり魅力的だった。
「むむむ……」
だがしかし、それは私の視点のみの損得勘定だった。こうすれば有利になる。こうすれば勝ち目がある。そこに生徒の感情は考慮されていない。
カタカタヘルメット団は半年以上にも渡って<アビドス高等学校>を苦しめてきた相手だ。負い目はあるだろうし、感じているべきだとも思う。だが罪悪感や義務感を利用するような真似は嫌だった。それではカイザーと変わらない。
私が逡巡したのは二秒もなかったはずだ。なにかしらのアクションを起こそうと口を開いた瞬間、銃声が鼓膜を殴りつけてくる。
発砲したのは砂狼シロコだった。
五・五六ミリのライフル弾が、薄っすらと砂の張った道路に突き刺さっている。
「信用できない」
そう言って愛用の高性能ライフルを担ぎ直し、移動用の装甲車へ歩いていく。どうしてか、去り際に私へ一瞥をして。
いつもクールなシロコだが、彼女が激怒している事は分かった。相手が非武装でなければ弾倉の中身全てを相手の顔面へ叩き込んでいただろう。倫理観が垣間見えた事で安堵する。
顧問である私の献身的な指導が功を奏したとしか言いようがなかったからだ。
最終決戦を目前に控え、シロコがわざわざ無駄弾を消費したのは<対策委員会>の意志を示す必要があったためだ。ホシノが不在かつ、同学年のノノミは性格的にも得物的にも同様の行為に向いていないからシロコがやったのだろう。
そう、今のが<対策委員会>の総意だ。私は顧問として、彼女らの意志を尊重する義務がある。
そうするべきなのだ。
「気は変わらないのか」
「あ、ああ……。そう言われる事は分かってる。ボコボコにされて当然だ。でも、気は変わらない。武器を持たせられないってなら素手で良い。校舎の中に入れられないってなら、外で戦う」
「…………」
見上げたガッツだ。今の言葉は嘘ではない。シロコが銃撃した時、このヘルメット団員は両の拳を握って報復を受け入れる姿勢を見せた。体を逸らしたり、情けない声を漏らす事もなかった。覚悟があったからだ。
周囲を窺えば、陸八魔アルは感銘を受けて目を輝かせていた。ハルカはそんな社長にうっとりしているし、ムツキは楽しそうにこちらを鑑賞している。カヨコはノート端末で渡してある敵方のデータを読み込んでいるようだった。
アビドス生はといえば、ノノミとアヤネの表情は険しさを増している。今の姿勢を見せられて尚、これまで通りの敵意を維持できる生徒ではない。許してやりたいのは山々だが、しかしそれが許される状況ではないのも理解している。
最後に残ったセリカは──まずい。最も効いている。アルの反応に近い。彼女が詐欺被害の常連だという事実があまりにも強く表出していた。
シロコが私を見てきた理由が分かった。深く息を吐くと、カタカタヘルメット団全員が体を逸らして情けない声を漏らした。
「私は<シャーレの先生>だ。いついかなる時も、全ての生徒の味方であるべき存在だ」
委員長が不在の今、顧問の私が責任を持つべきだ。これで小鳥遊ホシノへの貸しがまた一つ増えた。そういう事にしておく。
「だが、今この状況においては君たちの意見を優先する事はできない。君たちとアビドス生は加害者と被害者の関係だ。そして、今は最も慎重にならなければならないタイミングでもある。僅かなミスが決定的な破滅に繋がる事になるからだ」
カタカタヘルメット団のBと名乗る少女の視線が地面に落ちる。
「だから、君たちのミスも許さない。この近隣の地形は熟知しているはずだ。何度も襲撃していたんだからな。体育館の中には必要なものも全て揃っている。物資不足もありえない」
これまでのような、負けて当然、負けても大丈夫という条件ではない。そう続けると、カタカタヘルメット団全員が頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「え……?」
「それって……」
参戦を許可されたのだと思ったらしい、彼女らの声音がやや明るくなる。私は跪くと、生徒達と視線の高さを合わせた。
「もちろんだが、スパイ行為は微塵も許さない。君たちがアビドス校舎で破壊や窃盗、情報漏洩、敵前逃亡といった利敵行為に及んだとこちらが判断したとき、君たちを<カイザー・グループ>と同等の敵勢力として設定する。私に許されたあらゆる技能、資産、権力を用いて君たちを即座に追いつめる。アビドスだけではなく<シャーレ>の総力を挙げて、後悔させる」
脅しではなかった。ただの警告だ。さすがに契約書を交わしている場合ではないため口頭で済ませたが、全て事実である。
残念ながら、アビドス側に彼女らを信用する義理はない。なぜならカタカタヘルメット団の目的は自慰行為だからだ。
自分達の罪の意識を償却するタイミングが今しかないから、こちらの都合を無視して押しかけている。気が済んだから撤退しますだとか、追い込まれたので寝返りますなどと言われても困るので、あらかじめ注意事項を説明する必要があった。
私はひざ元を指さす。シロコが撃ち込んだ弾痕が刻まれている。これは、こちらとあちらを隔てる線引きだった。
「それでも良いというのなら、ここから先へ来なさい。一歩でも踏み込んだら引き返せない境界を、踏み越える覚悟があるのなら……だが」
文字通り、もはやお遊びではない。カタカタヘルメット団がこれまでやってきた低俗な行為とは全く別次元の領域なのだ。
便利屋の四人組を見る。学校を抜け出したという事やカイザーから依頼を受けたという点ではヘルメット団と同じだが、その印象は全く異なる。チンピラかアウトローかの違いだ。
Bと呼ばれている少女が俯きながら言った。ヘルメットの奥から聞こえる声はくぐもっていたが、それよりも溢れる感情で震えているのが分かった。
「解放されてから、ずっと考えてたんだ。自分達が何をしてたのか」
「……私達、勉強や部活がメンド―で学校から抜け出して、好き勝手やってて」
「金や物資が貰えるからって……」
嫌な事から顔を背け、目先のものだけを追いかける。そうして壁に突き当たる。きっとそれは、誰にでもある事だ。万人に用意された当たり前の試練だ。そこで乗り越えたり、挫折したりして人は大人になっていくのだろう。
<対策委員会>の件は、間違いなく彼女達にとっての挫折だったに違いない。
全身を粘液塗れにされ、無数のライフル弾を撃ち込まれ、自由を奪われた上で拘束されて尋問された。酷い敗北を喫し、そこでようやく自身を省みた。
やり直したいと、そう思ったのだろう。
本心から反省して償いたいというなら、私は大人としてその気持ちに応えたい。あらゆる協力をしたい。全身全霊を尽くす。
「アビドスは、本当に凄いよ。私らみたいな雑魚に追い詰められてたのに、今じゃあの<カイザー・グループ>と真正面からやりあってる。たった一月かそこらで。人も金もコネもないのに……正直、ムカついた。なにが違うんだって思った」
「でも、考えてみれば当たり前だよな」
「正しい事をしてる奴と間違った事をしてる奴がいるなら、正しい奴が良い目を見る方が良い」
カタカタヘルメット団のPとLの言葉にBは頷く。
「私らはずっと……間違った事をしてた。だから、今しかないんだ」
留め具を外し、愛用の防弾ヘルメットを外して取る。明るい色の髪をポニーテールにした美少女が、ひどく気まずそうな表情で俯いていた。
素顔を晒したカタカタヘルメット団Bが、私たちをはっきり見て言う。
「今度は正しい事がしたい」
彼女はいつの間にか、境界を踏み越えていた。
後ろのヘルメット団たちも同様に素顔を明かしながら”こちら”側に来る。
(私の負けだな)
彼女達を試そうとしていた自分を恥じる。同時に誇らしい気持ちでもあった。やはり間違った大人は正しい子供には勝てないのだ。それで良いと思う。それが世界のあるべき形だ。
アビドス生を見る。ノノミに目を向けると、彼女はゆっくりと頷いた。
「良いのか」
「はい、異存はありません」
十六夜ノノミは絵に描いたような癒し系のほんわかしたお嬢様だが、決して世間知らずではない。二年間のアビドス生活で磨きぬいた審美眼を持っている。相手の良し悪しを見抜ける度量がある。
あとは一年生組だ。奥空アヤネは厳しい表情で黙考していた。無数の計算が脳内を駆け巡っていると見える。カタカタヘルメット団が裏切った場合のデメリットと、本当に味方になった場合のメリットを天秤にかけて──ハイリスクローリターンという結論が出て──そこで目をギューッとして希望的観測を多分に盛り込み悩みに悩みまくって、
「私も……信じたいと思います」
とっても苦労してそう言葉を絞り出した。
アビドス生の最大の欠点は損得勘定が出来ないという点だが、それが最大の美点でもある。
私は頷いた。合意が取れたという事で、一件落着だ。これでカタカタヘルメット団が問題を起こしたとしても私一人の責任にはならない。これは皆で決めた事だからだ。民主主義万歳。
良かった良かった……。
袖をちょいちょいと引っ張られる。黒見セリカが不服そうに、
「なんで私には訊かないのよ?」
「見れば分かるからだ」
腰をパンチされた。
「文句があるのか」
「先生にはね」
鼻を鳴らして去っていく跳ね返りを見送っていると、感銘を受けたらしい<便利屋68>の社長が号泣しながらカタカタヘルメット団Bの背中をバシバシ叩いている。
「良く言ったわ! あなた達、それでこそ女よ!」
「えぇ……」
「なんだこいつ……」
当事者よりも感情を昂ぶらせているアルに、カタカタヘルメット団たちはドン引きしている。
アルに感銘を受けたらしいハルカは共鳴して号泣しているし、ムツキとカヨコはドン引きしていた。
とはいえ、もう時間がない。
傭兵部隊とカタカタヘルメット団にアビドス校舎を任せて、私達は装甲列車が秘匿されている廃駅へ向かった。
◆
「理事」
迎撃の準備を進めていた兵士の一人が、この基地の支配者へ声をかけた。
ここは格納庫で、様々な兵器の出入りがある騒がしい場所だ。無数の部署の人員が入り乱れ、怒号が飛び交っているのが常である。
その喧騒が立ち消えるというのは異常だ。タブレット端末を指さして小難しい説明をしていた整備兵の視線を辿れば、その原因はすぐ見つける事が出来た。
兵士はこの基地の中でも、それなりの立場だった。実働業務におけるナンバーツーであり、気難しい責任者のお気に入りでもある。ある種の責任感から、声を掛けねばならなかった。
「首尾はどうだ」
「はい、理事。全て順調であります」
頭部は上司に向けながら、兵士は周囲の状況を探った。突かれるような箇所は無いはずだ。弾薬や燃料類は規則正しく整頓されているし、人員も滞留なく業務を進めている。襲撃してくるだろう<シャーレ>への作戦計画書も目の前の機械人間から承認をもらい、その通りに準備は進んでいる。
だから焦りはなかった。あるのは戸惑いだ。
大柄なオートマタは重々しい駆動音を響かせる。機嫌次第で言動がころころ変わる相手だ。注意深く観察を続けた。
「<ゴリアテ>の様子を見に来られたのですか?」
「それもある」
格納庫の一角を占領しているのは戦車でも装甲ヘリでもない。四肢を持った巨大な陸戦兵器だった。
製品名は<ゴリアテ>という。パワー・ローダーというカテゴリの機種だ。
頭頂高は八メートルほど。人型と言えば聞こえは良いが、防寒服を何枚も重ね着した上から装甲を着せたような重苦しい外見だった。脚部は全身の重量を支えられるようマッシブで、人間のように走ったり跳んだりといった動作はとても叶わない。かろうじて歩行が可能なくらいで、高速移動には足裏のローラーを、跳躍には胸部と背部のロケットモータを使用しなくてはならない。
両腕部はマニピュレータではなく、三〇ミリ口径の機関砲が装備されていた。背部ユニットの両側には六連装の短距離ミサイルポッド、そして頭部にあたるユニットには二八〇ミリ口径の無反動砲が備え付けられている。
戦車とやりあうには火力と装甲が足りず、ヘリとやりあうには機動性と射程が足りていない中途半端な兵器だが、それでもキヴォトスにおける主兵力である歩兵に対しては無類の強さを発揮する。
それが八機、この格納庫には鎮座していた。
「戦術データリンクには何ら問題ありません。この基地が無事な限り、我々は無敵です」
マグネットや空間センサ、熱探知、赤外線、長距離ソナーを始めとした防衛システム。ミサイルやスマート爆雷といった誘導兵器。戦車に自走砲、ドローンにヘリ、パワーローダーといった主兵装。そしてオートマタの兵士達。
それら全てが戦術データリンクによって繋がっている。常時全ての機能が解放されているわけではないが、有事の際は文字通りあらゆる兵器システムが統一され、無駄なく完璧に運用する事が可能になる。
アビドスと独立連邦捜査部が何をしてこようと、たった五人相手に苦戦するはずがない。兵士が出張ることもなく、防衛ミサイル群のみで殲滅する事が可能だ。
「<ビナー>が動くかもしれん」
「はっ……それも外部の部隊が対応可能です」
「ふむ……」
「なにか懸案事項が?」
「SOFが全滅した」
「それは……」
SOFというのは<カイザー・グループ>最強の精鋭部隊だ。無数のオートマタから特に適正を持つ個体が選抜され、過酷な訓練と検査を経て編入される。倍率は四五〇〇分の一といったところだろうか。
グループの切り札とされている特殊部隊であり、<シャーレの先生>暗殺のために稼働しているはずだった。それが全滅したという事は、過去に例の無い大事である。
「ジェネラルは……」
「入院中だ。車に思い切り轢かれたらしい。まったく、悪夢という他ないな」
言葉とは裏腹に、理事の声は弾んでいた。
ジェネラルというのはSOF指揮官の名前だ。<カイザー・グループ>実働部隊のトップであり、この理事の上司でもあるオートマタだった。輝かしい経歴の持ち主で、グループ総裁の右腕として名を馳せていた。
彼が動いたという事はそれだけ会社が<シャーレの先生>へ脅威を感じていたという事になる。PMCに話が来ていなかったのは、こちらが信用されていなかったという事だ。
だが、無敗の指揮官は病院送りとなった。
今の<シャーレ>を撃退出来れば、それは理事の出世に繋がる。カイザー最強の精鋭部隊を超える実績を得る事になるのだ。
大柄なオートマタから廃棄熱がプシュ、と吐き出す。人間にしたら鼻を鳴らすような動作だ。
「生徒をおだてるしかない小僧にしてやられるとはな……。世論はどうだ」
「あまり効果は挙がっていません。それどころか、こちらのサジェストが汚染されている始末です」
ゲヘナとトリニティに動きがあるというのは分かっていた。<シャーレ>から接触を受けたのは公式SNSで知っていたものの、まさかアビドス側に加勢するとは予想外だった。
それだけ話術に優れているのだろう。子供程度、口先だけでいくらでも操ることが出来る。
しかし……。兵士自身も理事の側近として会談に出席していたので<シャーレの先生>の事は間近に見ている。不健康そうな優男だ。だが、どこか不気味な印象もある。途方もない不審者だからだろうか。
「ゲヘナの方はあの風紀委員長が動いているそうですが……本隊は待機。トリニティは中隊規模の編成をしています。剣先ツルギの動向はまだ掴めていません」
「構わん。こちらも増援を集めている。……空崎ヒナや剣先ツルギは厄介だが、それも織り込み済みだ」
理事の光学センサが格納庫の一角に向けられる。
漆黒に染め上げられた、パワー・ローダー。<ゴリアテ>の次世代を担う試作機だった。大幅な高出力化と軽量化を実現し、そのシルエットは遥かにスマートに、人体に近いものとなっている。歩行ではなく走行が、跳躍ではなく飛行が可能となった。
詳しい事を聞いたわけではないが、キヴォトスに存在していない技術が用いられているという。
仮想敵の設定は特殊だった。
学園都市の生徒は基本的にオートマタより強力だ。頑丈だし、銃器に下らない装飾を施すことで性能を向上させてくる。しかも、個人ごとに妙な能力まで有している始末だ。
特にマンモス校のトップクラスになれば、個人で戦局を左右する力の持ち主まで存在する。既存の戦術が通用しない相手──空崎ヒナや剣先ツルギがそれに該当する。
この漆黒のパワー・ローダーは、そういった強大な一個人に対抗するために建造されたのだ。
開発コード名は”クラーケ”という。伝説に登場する巨大な海の怪物からとられたものだ。
理事が愉悦を含んだ音声で、
「採掘基地の運営維持、試作機の実戦運用、そして独立連邦捜査部の撃退……私の成功は約束されたようなものだ」
「は……」
「あの青二才の相手は貴様に任せる。そのショットガンで撃たれれば、あれも身の程を思い知るだろう」
兵士は自身の装備している銃に視線を向けた。白いセミオート・ショットガン。小鳥遊ホシノが使用しているものと同型で、真似たカスタムをされている。
──良い散弾銃だな。
これを見た、あの白い男の眼がメモリから離れない。殺意でも悪意でもなく、あったのは仄暗い決意だった。この基地を火の海にするという決意だ。
あの男はこれから、それを実行に移すだろう。なにをするかは想像もつかない。
恐怖はない。戦力差は圧倒的だ。負ける筈がなかった。
だが、あの眼は。
「加えて、相手の狙いは分かり切っている」
旧アビドス本校舎を改造した実験棟に、小鳥遊ホシノは監禁されている。あの”黒服”によって自由を封じられ、その心を完全に閉ざした状態らしい。神秘を縛られた今なら通常の銃撃で殺害できる。
SOFによって護られていた<ゲマトリア>にあの白い男は接触したらしい。尋問し、目的物の在り処を聞き出した事だろう。
何をどうしようと、あの実験棟が目標となる。
「大規模な戦闘になるだろう。銃弾と砲弾が飛び交い、そこら中で爆発が起こる。誤射や誤爆は当然、起こりうる事故だ」
理事はくつくつという音声を発した。ゲヘナやトリニティまで動き出した今回の一件。カイザー側が不利になったという見方もあるだろう。
全てを見越したこの基地の責任者によって、既にあの実験棟には大量の爆薬が仕掛けられていた。
近く攻め込んで来るだろう<シャーレ>と<アビドス>の目の前で、建物ごと起爆する。そうすれば小鳥遊ホシノは間違いなく爆死するのだ。
この基地は複雑な電波妨害が入り乱れるアビドス砂漠に設置されている。専用の回線と通信システムを用いているため、<シャーレ>側から妨害や傍受をされる可能性は殆ど無い。事故が起きたとして、それを精査される心配は無いのだ。
そして実験棟は基地の中央に建造されている。
そこまで接近されるというのは最悪の事態だ。しかし万が一の可能性すら許さないのが、<カイザー・グループ>の企業理念である。
敵対勢力はカイザー側を追及してくるだろう。しかし、今回の作戦には複数の勢力が参加している。しかも攻撃してきたのは<シャーレ>だ。
生徒を守り切れず、作戦目標を達成できなかった<シャーレの先生>はこれまで以上の非難に晒される。その頃にはアビドス校舎はカイザーの別働隊によって粉砕されているはずだ。
いくら凶暴なアビドス生であっても、最上級生と校舎を同時に失えば心が折れる。
小鳥遊ホシノという実験対象を失えば<ゲマトリア>との関係は一時的に悪化するだろうが、それも大した問題ではない。なにせ、似たような実験対象はキヴォトス中に存在するのだ。
しかし──言い知れぬ不安が常にある。見えない何かに動力部を鷲掴みにされているような、焦燥と恐怖が入り混じった不安だ。
この白い散弾銃のせいだろうか。
「警備を強化します」
「ああ。そうしろ」
上司は視線すら向けずに返して来る。
散弾銃を担ぎ直し、出入り口に向けて一歩踏み出した瞬間、カイザーの採掘基地に敵の接近を知らせる警報が鳴り響いた。