先生「バキバキの記憶喪失」   作:地産地消

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最終話 開かれるもの

 暗い部屋の中で、一人うずくまっている。

 布団にくるまれば、外の情報を拾わなくて済む。何も見なくて良いし、何も聞かなくて良い。何も考えなくても良い。

 思い出すのは、あの人の言葉だけだった。

 

 ──ねえ、ホシノちゃん。私ね、ホシノちゃんに出会った時、凄く嬉しかったんだ。

 

 あの人は、いつも笑いながらそう言っていた。何度も何度も言われたから、真面目に取り合った事なんてなかった。いつも聞き流していた。

 

 ──こんなに可愛くて、真面目で、強くて、優しい子がアビドスに入って来てくれたんだもん。

 

 馬鹿な事を、と鼻で笑った。自分は可愛くなんてないし、優しくもない。危なっかしい先輩の面倒を見ているのも仕方なくだった。

 最上級生の生徒会長なのに、馬鹿で弱い。自治区の復興に向けた現実的なアイデアを出すよりも、引っ越しをする住民の手伝いをするような先輩だった。町で暴れている不良の悪態を、親身になって聞いてやるような人だった。そんな事をして何になると訊ねても、『分からない』とか『はぅぅ……』とか言ってばかりのお人よしだった。最初は冷ややかに見守れていたが、段々と耐えられなくなっていった。

 

 ──ねえ、ホシノちゃん。いつかホシノちゃんにも可愛い後輩が出来たなら、その時は……

 

 その先を思い出す事が出来ない。

 行きつくのは、決まってあの時の記憶だった。

 

 ──それよりもホシノちゃん、見て! アビドス砂祭のポスター! 転校した子から貰ったんだ! 

 

 …………。

 

 ──またこういうお祭りが出来たらな~。え? どうやってやるかって……それは、えっと……

 

 あの頃は、ずっと苛立っていた。住民の流出は最終段階になっていて、もはや手遅れだった。それはホシノが入学してきた時からそうで、もはやどうしようもない事だったのだ。

 出ていく人間は止められない。ならば、入ってくる人間を増やすしかない。

 ホシノに出来る事は、戦う事だけだった。それなら誰にも負けない自信があった。自分の戦闘技術を教えれば、アビドスはキヴォトスでも指折りの強豪校になれるだろう。そうすればどこからか入り込んでくる不良生徒も簡単に撃退できるし、他の自治区からも一目置かれるようになる。荒事が跋扈する学園都市で最も重宝されるのは武力だ。資金は後からついてくる。

 

 そのためにホシノは拙いながらも教本を作成した。その内容に応じた訓練設備も導入出来るよう、色々と資料を集めて、現実的な復興計画を立てているところだったのだ。

 まずは他自治区が手を焼いている指名手配犯を狙う。ゲヘナとトリニティの間では争いが絶えないから、そこに顔を突っ込むだけで名前を売る事が出来た。

 手始めにゲヘナの<風紀委員会>が捕らえられなかった犯罪グループを幾つか潰してやったところだ。簡単な仕事だった。さして感謝されたわけではないが、ゲヘナからもトリニティからも今後の依頼を持ち掛けられている。

 このままやれば、上手くいくだろう。

 

 なのに、この先輩はそれを申し訳なさそうに却下してきたのだ。ホシノが持ってきたお金にも手を付けず、『力を持って、どうするの?』だとか『お金のために、人を傷つける学校にはしたくない』だとか『ホシノちゃんには向いてないよ』だとか、文句ばっかり。

 それで持ち出したのが、よれよれのポスターだ。我慢できなかった。

 

『私は現実的な話をしているんですよ!? このままじゃ後輩なんて来ません! 絶っ対、来ません!! 今は一日でも、一秒でも早く行動を起こさないといけないんです!』

『う、うん……それは分かるけど』

『分かってません! 良いですか!? 先輩が卒業したら、アビドスは私一人になります! 借金だってそう! 何にも進んでない! このまま後輩に押し付けて、それで良いんですか!?』

 

 違う。こんな事が言いたかったんじゃない。本当は、もっと真剣に向き合ってほしかっただけだ。後輩が来るかとか、借金がどうなるかなんてどうでもよかった。学校の復興を願っているのなら、生徒会長らしく振舞ってほしかっただけだ。

 

『ごめんね。最近のホシノちゃん、凄く疲れてるみたいだったから、少しでも元気を出してくれればって』

『それで、砂祭ですか? 誰がやるんです? 生徒会なんて、私たち二人しかいないんですよ。二人で準備して、そんなので誰が見に来てくれるんですか? 予算なんてありませんし、広報も無理に決まってます』

『うん……ごめんね』

 

 最近の先輩は謝ってばかりだ。少し前までは、こうではなかったのに。どうしてこうなってしまったのだろう。きっと自分のせいだ。それくらいはホシノには分かった。それを認めて謝れるほど大人ではなく、そんな自分を許せるほど子供ではなかった。

 苛立ちはどんどん募っていった。

 

『でも、奇跡が起きたら……』

 

 目の前が真っ赤になる。

 

『奇跡、奇跡って! そんな事より行動してください! あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!? 私に頼り切ってばかりで……もっと責任を感じてください!!』

 

 ポスターを奪い取り、破り去る。その時の先輩の表情は、忘れる事が出来なかった。驚いて、呆然自失の……初めて見るものだ。やってはいけない事をやった。取り返しのつかない事をしたのだ。

 そこで、怖くなった。失望されたり、怒られたり、怖がられたり。そういった反応に怯えたホシノは、しかし謝る事も出来ずに言った。

 

『……奇跡なんて、あるわけないじゃないですか』

 

 それが、先輩に向けた最後の言葉だった。

 毎日、思い出す。一日たりとも忘れる事が出来ない。一晩中、頭の中をぐるぐると回って、そのまま朝を迎えるか耐えられなくって外を徘徊するかの二択だった。

 それが自分への罰なのだろう。安い罰だと思っていた。だが、違った。

 

 ──アビドスは滅びます。

 

 ホシノとの契約を済ませた後、”黒服”はそう言った。彼と結んだ借金のほとんどを帳消しにするという契約は履行される。だが、カイザーが<シャーレの先生>暗殺のために総力を挙げたらしい。無数の特殊部隊が、ホシノを助けるべく奔走している先生の命を狙っている。

 アビドス生は校舎防衛のため動けない。情報工作の影響で注目の集まっている<シャーレ>所属の生徒もそうだろう。結局、<カイザー・グループ>の……大人の悪意には敵わないのだ。

 先生が死ねば、カイザーはそのままアビドスに攻め込むだろう。流石に残った<対策委員会>のメンバーは戦ったりしないはず。皆がホシノと同じように心を折られて、屈するはずだ。

 正面から戦って死なれたり、実験体にされるより、転校する方がずっとマシだ。

 騙されてばかりの役立たず。

 先輩に向かって言った言葉が、自身に返ってきている。これも報いの一つかもしれない。

 心の中に閉じこもり、抵抗する事をやめた。

 

 そこへ、あの人の声がした。

 

『ホシノ』

 

 ────ノックの音。飛び跳ねるくらい驚いた。

 ここはホシノの部屋だが、現実世界ではない。心の中にある、夢の世界のようなもののはずだ。少なくとも、ホシノ以外の誰かが入って来られるような場所ではないはずだった。

 まさかと思い、体が強張る。

 ノックの音。

 

『ホシノ。私だ』

 

 先生だ。どっと汗が噴き出す。心臓が早鐘を打ち、頭の中が混乱した。

 どうしてここに? どうやってここに? ほ、本物か? いや、そんなはずはない。誰かが登場する夢だってある。たとえ先生だとしても、本人ではない。ホシノ本人が許可していない以上、入って来られるはずがない。

 

『お邪魔します』

「!?」

 

 がちゃり、と扉の開く音。鍵がかかっていないのか? ホシノは酷く混乱した。

 靴を脱ぎ、入室してくる気配。足音は全くなかった。

 話が通じないこの感覚。間違いない。本物の先生だ。

 

「ホシノ、会いに来たぞ」

「…………」

 

 布団の中で、ホシノは怯えていた。自分はこの人に酷い事をしたのだ。最後に別れた時の、先生の表情が脳裏から離れない。

 あれだけ向き合ってくれたのに、あれだけ命をかけてくれたのに、ホシノはそれを踏みにじった。自分が楽になりたいからと、全てを放り出した。

 もう合わせる顔が無い。

 

「ホシノ」

 

 先生の声はいつも通りだった。

 怒りや焦り、失望は感じられない。出会った時よりも、少しだけ暖かい声音だ。

 それが今は怖かった。顔を合わせれば、また自分はこの人を利用してしまう。今度こそ死なせてしまう。全身が震えて、勇気など微塵も出せなかった。

 このまま丸まっていたら、どうなるのだろう。無理やり布団を剥がしてくるのだろうか。それとも根気強く声をかけ続けてくれるのだろうか。いずれ面倒になり、その声が冷たく変わっていくのだろうか。

 嫌な想像ばかりしてしまう。

 こちらから顔を出して、手紙に書いた事を再度伝えるべきだ。相手が諦めなくても、こちらも譲らない。その後は根気比べとなる。

 それは何より嫌だった。

 

「スゥー」

「?」

「ハァー」

「…………」

「スゥゥゥゥゥ」

「……?」

「ハァァァァァ」

「!?」

 

 深呼吸をしている。

 そう認識した瞬間、ホシノの全身が真っ赤に染まった。たまらず布団を弾き飛ばして跳ね起きる。

 

「な、なにしてんの!?」

「ホシノ。おはよう」

「そうじゃなくてっ! なんで入ってきたの!?」

「鍵が開いていたからだ」

「出てって!」

「無理だ」

「早く出てって!」

「それは出来ない」

「変態!!」

「はいはい」

「もーっ!!」

 

 くじらのぬいぐるみを抱きしめながらホシノは嘆いた。

 

「良い部屋だな」

 

 いつもの調子で言ってくる。飾り気のない伊達眼鏡に、癖のある黒髪、汚れ一つない防弾仕様の白い上着、少しよれた黒いシャツとパンツ。カイザーの基地に乗り込んで来ているはずだが、いつも通りの装備だった。

 いまだに顔の熱は取れない。異性を部屋に呼んだ経験は無いし、そんな覚悟も無い。そもそも呼んでいない。

 それでも無言のままではいられず、ホシノは訊ねた。

 

「ど、どうやってここに来たの?」

「列車と車で来た」

「そうじゃなくて、ここって夢の中? みたいなところでしょ? なのに……」

「”シッテムの箱”の力だ」

「え?」

「この箱を手にした時もそうだった。現実とは時間の流れが全く異なる空間。ここで何時間も過ごそうが、実際には一分も経過していない」

 

 という事は。

 

「だから……ここでなら、私はホシノにいつまでも付き合えるという事になるな」

「…………」

 

 ホシノは絶望的な気分になった。退部届を提出し、置き手紙を残し、そして、目の前の先生に酷い事をしてここまで来た。

 全ては責任から逃げるためだ。にも関わらず、こんな事になってしまっている。心の中にまで侵入を許し、逃げ場所などもう無い。

 

「混乱しているのは分かる。まずは状況を説明しよう」

 

 ホシノの返事を待たず、先生はここまでの経緯を語り始めた。

 ゲヘナとトリニティから協力を取りつけた事、敵だったはずの便利屋やカタカタヘルメット団まで味方になった事。カイザー基地の軍事施設は九割以上の機能を停止した事。

 アビドスの勝利が現実的になってきた事。

 

「……だとしても、私は戻れないよ」

「理由を聞かせてくれ」

「私はもう、<対策委員会>に必要ない人間だから」

「なるほど。ホシノは自身を<カイザー・グループ>に身売りしたようだが、その契約も私は潰した。それでも尚、アビドスを去りたいのか」

「知ってるでしょ? 私が頑張っても、状況はなんにも良くならなかった。後輩の皆と、先生が来てからだよ。私は、私はもう……」

 

 大切なものを奪われたくない。私はどうせ何も守れないのだから、あの場所にいる価値がない。

 どうせ奪われるのなら、壊されるのなら、それを見ている事しか出来ないのなら、逃げ出したい。それだけの理由だ。

 

「…………」

「最初に会った時、先生のこと全然信じられなかったんだ。大人なんて大嫌いだったし、また役立たずな奴が来たんだろうな~なんて考えたりして。先生ってぼーっとしてて馬鹿そうだったし、最初から死にかけだったし、記憶喪失だし。でもその先生にカタカタヘルメット団も、便利屋も、カイザーも任せきりで……ゲヘナに襲われた時なんて、私は一緒にいる事さえ出来なかった……」

「ホシノ」

「私が戻っても、また元通りになるだけだよ。先生に何でも頼り切りになって、生徒のためにって所に甘えて、利用して……」

「なるほど」

「えっ」

「そこが食い違っていたんだな」

 

 ようやく得心がいったと先生は頷いた。いつも通り意味不明だった。

 ホシノが目を丸くしていると、無表情の男は静かな口調で始める。

 

「私は生徒のためを思って動いているわけじゃない」

「ん?」

「アビドスにあれこれするのも、カイザーと敵対するのも、こうしてホシノの心に押し入ったのも、全ては自分のためだ」

「ど、どういうこと?」

「私は見ての通り、自己嫌悪の激しい人格の持ち主だ。あまり自分の落ち度を広げたり深くしたりしたくない」

「…………」

「気に入らない事があると寝る前に思い出す。セリカを攫われた時や、ブラックマーケットでヒフミを巻き込んだ時、柴関ラーメンの爆破を止められなかった時、心残りは無数にある」

 

 それは分かる。いつも思い詰めたような表情をしている先生だ。

 大抵の事は自分のせいだと考えているのだろう。その気持ちはホシノにも理解できる。あれだけ失言と変態行為を重ねて吊るし上げられている部分に触れない理由は全く不明だが。

 

「私の言いたい事が分かるか」

「う、ううん」

「ホシノをこのままにしておくと、私は永遠に気に病むだろう。眠る前と起きた後、食事や仕事の最中もそうだ。最悪な日常が始まる事は想像に難くない。その未来を回避できるとしたら、それはきっと今だけなんだと思う」

「先生……」

「だから究極的な話、ホシノの意志は関係ないんだ」

「は?」

「考えてみてほしい。委員長の言った通り、<対策委員会>は恐ろしいほど強くなった。作戦遂行能力ならキヴォトスでも最上位と言っていいだろう。そして私はセントラル・ネットワークで学園都市中の情報を閲覧できる上に、ホシノの精神世界にまで侵入できる。この意味が分かるか」

「…………」

 

 ひえっ、と声が漏れた。

 

「残念な話だが、我々五人からの追跡を逃れる事は不可能だ。逃げ場など無い。どこに行こうと即座に追いつく。絶対に諦めない。必ず連れ戻す」

「…………」

 

 ホシノはカタカタと震えていた。

 この先生は子供のために身を切る理想的な聖人などではなく、自身の欲望に忠実な、究極の域に到達したストーカーなのだった。

 最強の変質者に無限の権力と途方もない資金が与えられているのが現状であり、それから逃れる術はない。こんな男に心を許している自分に呆れてものが言えなかった。

 

「だからホシノに自由は無い。卒業以外の方法でアビドスを去る事は許さない。心からの笑顔以外の表情で後輩と別れる事は許さない。絶対に幸せになってもらう。それが私の意志だ。そのためだったら何でもやる。権力も能力も無制限に使う。邪魔する者は排除する。カイザーにやったようにな」

「そ、それって……」

「なんだ」

「脅し?」

「もちろんそうだ」

「…………」

 

 だらだらと汗を流しながら、ホシノは絶句していた。

 てっきり糾弾されるものだと思っていた。怒鳴られたり、失望されたり、何らかのマイナスな感情をぶつけられるものだと。

 そうでないのなら──都合の良い考えだが──何か、心に響くような温かい言葉をかけられ、説得されるものではないのか? 説得をして、心を絆して、同意の上に連れ帰る。それがお決まりではないのか? 

 なのに、なのに目の前の男と来たら『逃亡は諦めてこちらの要望に従え』と言ってくる始末だ。さもないと永遠に粘着するぞ、と。

 動揺の極致にいるホシノに、先生は変わらない様子で部屋を見渡していた。やがてその視線はテープまみれのポスターに留まる。

 

「やはり良い部屋だ。特に匂いが良い」

 

 気持ちが悪い。

 

「ここはホシノの心の中で、ホシノの部屋の中だ。だが、ホシノの居場所じゃない」

「どういう意味?」

「ホシノは先ほど、<対策委員会>から去った理由を話してくれたな。これまでの事が原因だと。だから私は、これからの話をしたい」

「これからの事……」

「私は最近になって現れた人間だ。ホシノが今まで経験してきた事を否定する資格は無い。それでも、自罰的な言動に終始する事に関しては一家言ある」

 

 とても困っていた。

 目の前の大人はぼーっとした表情だが、やや慌てている。失言の神のような経歴を持っているから、きっと言葉を選ぶのに神経を総動員しているのだろう。

 正座した姿勢のままそわそわしている成人男性は、これ以上なく頼りなく見える。”大人”としての余裕とか、包容力というようなものが全くないのだ。

 この人大丈夫かな……。いつもそう感じてしまう。

 

「資料は読んだ。単刀直入に言うと、梔子ユメの事だ」

 

 心臓が、鷲掴みにされたようにギュッと躍動する。

 アビドスの前生徒会長。後輩に見捨てられ、砂漠の中心で命を落とした、ホシノにとって唯一の上級生の名前が出た。

 

「これはあくまで私の所見だが……楽になる事は一生無いだろう。どこで何をしていようと、ふとした瞬間に思い出して気分が台無しになるし、寝る前に思い出して眠れない夜を過ごす羽目になる」

「そっ……!」

 

 今度は頭の中が沸騰する。一瞬にして感情が爆発して、しかしそれは言葉にならない。大脳辺縁系の活動が言語野を遥かに追い越した時に起こる現象だ。

 ホシノは何度か口を開け、それから息を呑みこんで呻くように言った。

 

「先生がそんなこと言うなんて思わなかった……」

 

 怒りは過ぎ去り、あるのは落胆だけだった。今のは失言ではない。人の傷口を分かったように診断しただけだ。医者でもないのに……。この先生は無神経だし、お人よしだし、たまに本当に馬鹿だが、それでも生徒と正面から向き合ってくれる人だった。それだけはどんな状況でも変わらない部分だった。

 それが、この人の”本質”なのだと思っていた。

 梔子ユメの事は、本当に冗談では済まない。<対策委員会>の面々も、決してそこだけには踏み込まなかった部分だった。

 出て行って。そう叫ぶ直前に先生が言った。

 

「私にも少しだけ記憶が戻った」

「え? それって……」

「ホシノが去ろうとした、あの時だ」

 

 また感情が大いに乱れる。ホシノが部室に置き手紙を残していなくなった時──まだ昨夜の出来事だ──の事だろう。確かにあの時の先生は様子がおかしかった。

 銃で撃たれたような表情で、ホシノが逃げるように去った後に倒れたような音もしていた。戻る資格すら無いと、そのままにしていたが、まさか。

 

「大勢の生徒から銃を向けられる光景だ。これは<対策委員会>の皆には言っていないが、そこにはホシノ達の姿もあった」

「い、意味が分からないよ。だって……」

 

 過去にアビドス生が先生に銃を向けていた? そんな事はありえない。この人との初対面はシロコが拾って来たあの日だ。

 それ以前なんて……そこまで考えて思い出す。<シャーレの先生>には超常の力が与えられているのだ。”究極の奇跡”などと呼ばれ、世界すら変えて、時を巻き戻し、やり直してしまうほどの力。

 現に彼はこうして、ホシノの心の中に押し入っている。常識外れの力を行使できる存在なのだ。

 

「私はきっと、過去に取り返しのつかない過ちをしたんだ。記憶が無いのは、それと向き合う事が出来なかったせいだ。だから……先ほど述べた通りだ。私はホシノの過去を否定するつもりはない。そんな事は出来ない」

「……なら」

「辛い過去を乗り越えろだとか、受け入れろだとか言うつもりもない。今の小鳥遊ホシノを形成しているのは、その過去があったからだ。私は今のホシノに感謝している」

「意味分かんないよ」

「居場所についての話だ」

 

 そういえば、先ほどから先生は居場所について言及している。ホシノの私室を居場所ではないとも言った。やはり意味が分からない。

 

「私がシロコに会った時、彼女はアビドスを自分の居場所だと言った。どれだけ人がいなくても、不良生徒から襲撃されていても、改善の見込みが無くても、居場所だから守るんだと。良い言葉だと思った。それは今でも変わらない」

「シロコちゃんがそんな事を……」

 

 先生の視線はポスターにずっと注がれている。憧れのような、諦観のようなものがあった。

 

「私には居場所がない。自分が何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、何が出来るのか、何も分からない。ずっと疎外感や罪悪感や焦燥感があって、視界は灰色がかって見える。端的に言って病人だろう。とても先生と呼ばれて良いような人間ではない」

「うん」

「だが、<対策委員会>は私を受け入れてくれた。顧問として、六人目として、”先生”として。それに……報いたいと心から思う」

 

 ホシノの視線はキャビネットの上にある写真経てに向けられていた。二人の生徒が映っている。ニコニコと楽しそうに笑う背の高い女性と、不機嫌そうにぶすっとしている髪の短い子供。<アビドス生徒会>の写真だった。

 隣にはもう一つの写真立てがある。伏せられていて中は窺えないが、持ち主にはそれが分かった。過去から今までを示すものだ。

 

「思い出が居場所を作るんだ。私はホシノに居場所を諦めて欲しくない」

「…………」

「だから、ホシノの居場所はここじゃない」

 

 先生は懐から一枚の写真を取り出した。

 中心には先生が座っている。背筋を伸ばし、足は肩幅に開き、両の拳を膝に乗せている。妙に真面目で、だからこそ間抜けに見えた。両隣にはノノミとシロコが座っていて、どうにかして先生をプレスしようと両側から圧力をかけ続けている。

 後列にはアヤネとセリカの一年生組が、先生が逃げられないように背後からがっちりと固定していた。一年生達の間にいるホシノは笑顔で、先生に隠れて手元は見えないが背中にスタンガンを突きつけている。この撮影会をする前に、自分には映る資格がないとゴネた顧問が三時間近くゲリラ戦を展開したからだ。シロコが撮影中止の嘘を流さなければ今でも潜伏していたはずだ。

 生徒達は笑顔で楽しそうにしているが、それが意味している所を余人が理解する事は出来ないだろう。どうして集合写真を撮るだけであんなに苦労したのか今でも分からない。

 顧問相手に銃を向けるという未来は、現実的なものだと思えた。

 

「……変な大人」

 

 ”黒服”に言われた通り、とっくの昔に諦めていたはずだ。

 ほとんど誰もいない砂の海で、途方もない額の借金を返し続ける。夜は廃墟を放浪して、昼間はだらだらと惰眠を貪る。本気で動いていれば、カタカタヘルメット団から追いつめられる前に手を打てていただろう。

 この部屋に閉じこもっていたのは、ずっと前からだ。たった一人の先輩を失った時から、なにもかもどうせ無駄だと諦めて、動いているフリに終始していた。二年近く、ずっとそうしていた。

 

 それが崩れたのが、一か月ほど前だった。

 突然現れて、いつの間にか隣にいて、人の事情も知らずに何もかも滅茶苦茶にしてくる。失言とセクハラとストーキングまみれの変態。最初はとんでもないのが来たと思った。よりにもよって、最後の最後で記憶喪失の変質者がやって来るとは、つくづく不運だと冷笑したものだ。

 大人らしい余裕のようなものは一切ない。生徒と接している時はいつも必死で、空回りしてばかりの、格好悪くて頼りない、未熟な先生。

 そうだ。最初はがっかりしていたはずだ。期待外れ……いや、期待すらしていなかった。

 

(変な大人)

 

 写真を手に取ってしまう。仄かに暖かくて、肩の力が抜けてしまう。

 いつもぼーっとしていて馬鹿そうなのに色々考えていて、頼りにならなそうで頼りになって、無表情で声に抑揚が無くて、無意味に生徒を信じていて、いつもボロボロで、目を離すと死にそうになっていて。ホシノとは相性最悪の相手だ。

 なのに、いざという時は頼りになって、どれだけ我儘を並べようがどんな時も向き合ってくれて、どれだけ酷い状況でも絶対になんとかしてくれる。

 

「…………」

 

 いつの間にか、写真を持つ手に力が宿っていた。

 一緒にいると『まあ、頑張ってみるか』と思わされてしまう。

 活力が湧いてきて、根拠もなく自分はどこへでも行ける、何でも出来る、何にでもなれると思ってしまう。そんな感覚。

 それを失ったらと思うと堪らなく恐ろしい。逃げるしかないくらいの大きな恐怖だった。

 だが、もう逃げ場はない。とんでもない相手に見つかってしまったのだ。諦めるしかない。そう思えた。

 

(私が……)

 

 気づけば、カーテンの合間から光が差し込んでいる。朝日のような、柔らかい日差し。誰かのようだった。

 

(私が起き上がらないといけないんだ)

 

 少しくらい、良い所を見せたい人達がいる。こんな自分の事を連れ戻そうと必死になってくれる、ホシノの居場所。

 視線を上げる。顧問はいつものように静かな瞳をこちらに向けていた。

 決意を込めて、口を開こうとした矢先だった。

 

「ホシにょ」

「…………」

 

 絶句する。

 そうだった。

 こんなに大事な場面で生徒の名前を噛むような男だった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 世界最強の唐変木は七秒ほど床を見つめた後、やや不貞腐れた様子で、

 

「にょはさぁ……」

 

 そう言って来た。

 

「なに?」

「いや……」

「起きれば良いんでしょ?」

「はい……」

 

 なんだか、全て台無しの気分だった。盛り上がっていた気分が完全に鎮火し、舌打ちすら出そうになる。やさぐれてしまう。数秒前までの自分が酷く滑稽に思えて、これまでとは違う自己嫌悪が押し寄せて来た。

 そんな、最悪の目覚めだった。

 

 ◆

 

「ホシノ」

「う……」

 

 先生の声で目を開ける。

 現実の世界は酷い有様だった。銃声と砲声、爆音、警報、サイレン、何かが壊れる音。二人がいる建物は傾いていて、しかも薄っすらと煙が立ち込めていた。スプリンクラーや空調設備は動いていないらしい。

 ここは採掘基地のほとんど中心に位置していたはず。ここまで破壊の波が及んでいるとなると、かなり荒々しい手段を講じて来たようだ。

 

「動けるか」

「ち、ちょっと待って……」

 

 全身を酷い倦怠感が支配していた。四肢を縛る赤い帯のせいだろう。ただの戒めではなく、キヴォトスの生徒を拘束するための特殊な装置のようだった。外傷や疲労、毒物とは違った特性を含んでおり、ホシノのように”神秘”が強力な生徒ほど効果があるらしい。黒い方の変質者が言っていた。

 先生は持っていたコンバットナイフで帯を切断し、それを回収する。解放されたホシノだが、それでも簡単に調子は戻って来なかった。

 立ち上がろうとしてふらつき、倒れ込みそうになるところを前から両肩を支えられる。耳が熱くなった。心拍数が跳ね上がり、思考が混濁する。

 そんな情緒はすぐに消え去った。破壊が広がる実験棟の壁には、至る所に亀裂が刻まれている。鉄筋が曲がり、コンクリートの壁面は崩落して、外が覗いていた。

 

 酷い砂嵐が、この基地を吞み込もうとしている。

 ──また、あの砂嵐がやってくる。

 アビドスが滅びるという予言。”黒服”から告げられた者だ。

 砂漠に眠る力と、ホシノと、<シャーレの先生>。これらが揃う事により、何か途方もないものがやってくる。

 信じていたわけではない。信じたくなかっただけだ。だが、それが<対策委員会>を離れる最も大きい理由だったのだ。

 悪夢が現実になろうとしている。先生も、外で戦っているだろう後輩達も、みんな死んでしまう。

 なのに体が自由に動かない。役に立たない。それは、”あの時”と同じだった。

 恐ろしい脅威が身近に迫っていても、先生の様子に変わりはなかった。

 戦闘時にだけ見せる、いつもの横顔。全てを見通しているような落ち着きと、底知れない存在感。

 彼は、うずくまっているホシノに膝をついて言った。

 

「ホシノに聞いてほしい事がある」

「え……」

「これからの事についてだ」

「そ、それよりも先生! この砂嵐は──」

「だいたい分かっている。<デカグラマトン>という存在らしい」

 

 カイザーのデータバンクをハッキングしたからな。先生は当たり前のようにそう続ける。

 

「なら、皆を連れて逃げてよ!」

「意味が無い」

「な、なんで……」

「ここは”アビドス”の砂漠だ。厄介なものが色々とあったとしても、避ける事は出来ない。いずれ向き合う事になる問題だ」

 

 先生の言葉を否定する事は出来なかった。得体の知れない存在──<デカグラマトン>というらしい──が”黒服”の言う通りの存在だったとして、こうして行動を起こした以上は先生やホシノを狙おうとする可能性はある。どれだけ逃げても意味が無い。<対策委員会>が守るのは居場所だ。人だけではなく、校舎や土地といった不動産も含まれる。

 この砂嵐を起こしているものが校舎を狙うなら、対決は避けて通れない。

 だが、ここでの対決などもってのほかだ。

 ホシノは”黒服”から聞いた脅威を口外していない。先生が<デカグラマトン>について知ったのは、この基地に攻め込んで来てからだ。つまりは準備をほとんどしていないという事になる。

 

「だとしても、勝てるわけないよ!」

「それはホシノ次第だ」

「え……?」

「私だけじゃない。<対策委員会>の全員が、ホシノの心を知りたいと思ってここに来た。外で何が起きていようが関係ない」

「なんで? なんで!?」

 

 痺れたように体が動かない。力は入らず、床に手と膝をついたままだ。戦う事も、逃げる事も叶わない。それは今まで現実から逃避してきた罰なのだろう。

 ツケというのは最も苦しい時に払う。それが世の常だ。

 ここでどれだけ泣きわめこうが、目の前の大人は動かせない。アビドスを滅ぼすというあの砂嵐でさえ、先生にとっては大した問題ではないからだ。

 目前でうずくまっている生徒を全てに優先している。

 外は酷い嵐なのに、先生の声だけは怖いくらい確かに聞こえた。

 

「人の本質というのは二種類しかない。守るか、壊すか……ホシノは間違いなく前者だろう。守りたいものから目を背け続ければ苦しむのは当然だ。このままにはできない」

「…………」

「これで満足なのか」

「……っ!」

「奪われるだけでいいのか?」

「良いわけない!!」

 

 出来る限りの力で叫ぶ。

 

「私だって頑張った! 必死で戦って、砂漠の中を駆け回って、お金になりそうな物をかき集めて……でも、何にも変わらなかった! <連邦生徒会>にも他の自治区にも嘆願書を送ったのに、誰も確認すらしてくれなかった!」

「…………」

「借金も全然減らないし……卒業するまで、このままなんだって諦めてたよ! よく頑張った方だって、思ってたのに……!」

「…………」

「なのに、先生が来てから一か月だよ!? たった一か月で、ここまで来て……じゃあ私がやってた事って何だったの!? 全部、無駄だったんだよ!」

 

 梔子ユメが亡くなってから、がむしゃらにやって来た。自分を罰したくて、果てしなく広がる砂漠を隅々まで探索した。地域住民の流出を食い止めようとボランティア活動もした。他の自治区から目を向けてもらえるよう、指名手配犯を何人も捕まえた。誰にも感謝されなくても、昼も夜も治安維持をし続けた。

 後輩が来てからは昼行灯の”おじさん”を演じ始めた。必死な所を見せたら不安にさせてしまうと思った。失望されると思った。

 責任と向き合ってきたつもりだったのだ。大人など必要ないと、そう証明したかった。

 なのに、最後の最後で大人に助けられた。たった一か月で何もかも変えられてしまった。

 二年前から変わらないのは、一人の役立たずだけだった。

 だから、せめて後輩達だけは守ってほしい。脅威がすぐそこまで迫っている現状、動けないホシノは見捨てて皆で逃げるべきだ。そうすれば、もうあんな思いはしなくて済む。

 そんな必死の願いを、先生は静かに聞いていた。

 

「それは出来ない」

「なんで……!?」

「ホシノがした思いを、皆にさせる事になる。それでは何の意味も無い。私がいる意味が無い」

「先生……!」

 

 やはり聞き入れてもらえない。

 

「目が覚めてから、ずっと考えている。私がいる意味は何なのか。どうしてこんな人間が<シャーレの先生>をやっているのか。その答えを探し求めている」

「…………」

「そんな私でも分かる事はある。今のホシノに必要なのは、責任と向き合う覚悟だ。自分よりも大切なものを失う恐怖と、戦う意志だ」

「……無理だよ」

「だろうな。私にも無理だ」

「最っ低……」

「だがな、ホシノ」

 

 飾らない言葉の数々は最低だったが、どうしてか心に響く。先生は地面に手をついているホシノの肩をそっと持ち上げた。膝をついた姿勢で向き合う。

 破壊し尽くされたアビドス本校舎にあって、傷一つない顧問の表情は必死だった。不器用で、頼りなくて、格好悪い。生徒と向き合う時の、いつもの表情だった。

 

「たった一か月程度の仲だが……私には資格がある。これまで<対策委員会>の皆がやってきた事を肯定する資格だ。皆がやって来たことは万人に誇れる事だと、キヴォトスの住民全てに主張出来る権利が、私にはある」

「でも、それじゃ何も変わらないよ……」

「変わるかもしれない。私が来た途端、何もかも変わったんだろう」

「…………」

「それに、私は無理な事は言わない」

 

 確かにそうだった。この先生は気休めを言ったりしない。そんな気は利かない。

 

「私はホシノを犠牲にするために来たんじゃない」

 

 その言葉には熱が宿っていた。

 

「ホシノがやって来た事は無駄じゃない。<対策委員会>の皆が流して来た血も汗も涙も、何一つ無駄になんかさせない」

 

 この人は、自身の事を誇ったりしない。自分が憎くて憎くて堪らないからだ。その気持ちは理解できる。

 だが、自分の生徒の事を、誰よりも胸を張って誇れる人なのだ。

 

「そのために私はアビドス(ここ)へ来たんだ」

 

 気が付けば、頬を涙が伝っていた。

 ホシノ達の”これまで”を、全身全霊で誇ってくれる大人がいる。ホシノ達の”これから”を一番信じて欲しい人が、信じてくれているのだ。

 先生はホシノを支えていた手を離し、それを差し伸べる。

 

「だから、一度だけで良い。私に最後のチャンスをくれ」

「…………」

 

 答えなど、最初から出ていたのだ。それを認めたくなくて、こんな所まで来てしまった。

 結局、ホシノは騙されやすい子供でしかない。簡単に誰かを信じてしまう未熟な子供だ。だから騙されないようにと壁を作り続けていた。

 

「先生──」

 

 言葉を続けようとして、全身が酷い悪寒に包まれる。崩れかけた建物の外で、轟音が響き渡った。

 何かとても大きな──聞いたこともない音だ。地響きに近い大地の悲鳴。ゆらゆらとした気持ちの悪い揺れが世界に広がっていく。

 続いてくるのは得体の知れない巨大な咆哮だった。

 直感で理解できた。この砂嵐の主が現れたのだ。

 ここが狙われている。何もかもが終わってしまう、暗闇に突き落とされるような絶望感。

 二年前と同じ、あの感覚だった。

 

(やだ……)

 

 壁に刻まれた無数の亀裂の向こうから、光が差し込んでいた。太陽が近づいてくるような圧迫感を伴う、破滅をもたらす輝きだった。

 

(やだやだやだやだやだやだ……)

 

 何か手段は無いかと考えを巡らせて、そんな可能性は無いと突きつけられる。

 先生は光の方ではなく、ホシノに視線を向け続けていた。

 それは、最後の瞬間まで変わらなかった。

 計測できないほどの熱量を持った光線が、二人のいる実験棟に直撃した。二〇〇〇度の熱にも耐えられる耐火鉄筋コンクリート造の建物も、それを覆っていたチタンとセラミックの装甲板も、一瞬で蒸発した。光の濁流は地平線の彼方まで乱れることなく突き抜けて行った。

 

「う……」

 

 そのはずだった。

 最上階に存在していた天井も壁も、綺麗に消失している。

 残っているのは、ホシノと先生がいる足場くらいだ。なにかが床に突き立っている。それが光線を遮ってくれたらしい。

 

 ──ねえ、ホシノちゃん。いつかホシノちゃんにも可愛い後輩が出来たなら、その時は……

 

 ホシノが受け継ぎ、愛用している盾だった。

 

 ──ぜったい守ってあげてね。

 

(ユメ先輩……)

 

 どれだけ脱しても、危機は続く。砂漠の向こうに巨大な何かが蠢いている。嵐を纏っているせいで良く見えない。異常に巨大なシルエットだけが窺えた。あれが熱線を放ってきたのだろう。巨大すぎて正確な距離は分からないが、ホシノ達がいる実験棟まで砂や岩盤がガラス化した痕が続いていた。

 建物にも限界が来ていた。残っていた鉄筋が順番に断ち切れ、地面が傾いて床が崩れる。先生とホシノを引き裂くように、足場が崩落した。

 

「ホシノ!」

 

 手が伸ばされる。必死な表情。体に不思議と力が宿る。気が付けば地面を蹴り、飛んでいた。その手を取ってしまっていた。

 大した理由はない。

 ただ……この人になら騙されても良いと、そう思っただけだ。

 手と手が繋がれ、心が重なる。

 次の瞬間、世界が輝いた。

 

 ◆

 

「……ん?」

 

 黒見セリカは閉じていた目を開けた。死んだと思い、覚悟をしていたのに何の変化も起こらない。

 変わった事があったとしたら、自身の周りだ。

 一撃目と同じ、赤熱した地表のガラス化現象。それが周りを囲んでいる。まるでセリカ達だけを避けたように通過していた。

 

「んん?」

 

 骨折していた腕も捻挫していた足も、痛みが無い。それどころか空腹や喉の渇きも消えていた。疲労感も消滅し、完全なベストコンディションに戻っている。先ほどまで行方不明だったセリカのアサルト・ライフルも右腕に持っていた。ボロボロだった制服も髪も元通り。

 それどころではない。今まで感じた事の無いような感覚が、全身に宿っていた。

 

「あ……ノノミ先輩!」

 

 弾かれたように先輩を見る。

 外から見ると変化は良く分かった。失われた髪も、焼かれた服も、炭化した皮膚も瞬く間に修復されている。破壊されたはずのミニガンも完全に復元された。

 崩れていたヘイローも、いつも通りの状態にもどった。

 瞼が開かれる。

 

「……セリカちゃん?」

「ノノミ先輩! だ、大丈夫!? 動けそう!?」

「え、ええ。何が起きたか分かりませんが……」

 

 ノノミは起き上がると、大きく伸びをした。良く寝たといった様子だ。先ほどまで死の淵にいたにしては、随分とのんびりした先輩にセリカは困惑する。

 

「こ、これなに……?」

 

 自分の体に異常が起きている事くらいは理解できる。ノノミがそうだったように、自分もあの謎の現象によって回復したのだろう。問題は、あの現象が誰によって引き起こされたかという事だ。

 夥しい数の敵が迫って来ているのに、まるで脅威を感じないのもおかしい。もしかしたら自分は既に死んでいて、これは悪夢なのかもしれない。

 ノノミは眼を閉じ、胸に手を当ててふむふむしている。

 

「なるほどなるほど……」

「え? どうしたの?」

「なんだか変な感じですね~、セリカちゃん。ホシノ先輩や先生の事が分かるような……」

「…………」

 

 確かに。

 まるで自分が見てきたかのように、先生が小鳥遊ホシノを救出した事が理解できた。酷いストーキング行為を働いた事も、絶対に説得と形容できないような問答があった事も、全てわかる。

 シロコやアヤネの事も同様だ。どこにいるか、なにをしているかを正確に把握できる。

 

「なにこれ、怖」

 

 素直に言って気持ちが悪い。

 どうして自分以外の人間を、ここまで正確に把握できるのだろうか。プライベートも何も無い。<対策委員会>の面々が相手でなければ逆に迷惑なくらいの感覚だった。

 

「これが、”シッテムの箱”の力なのでしょうか……?」

「た、たぶん……?」

 

 とんでもない力があるとは聞いてはいたが、まったく意味不明だった。

 とりあえず、アヤネ達の無事が分かったのは良かった。耳に着けていた通信機も復元されていたが、連絡が取れていない状況だったからだ。

 急に宿った超感覚に意識を向けていたせいで、警戒を完全に怠っていた。

 先ほどまでセリカ達が遮蔽物に使っていた大型戦車が修復され、砲口をこちらに向けている。普段なら身を固くするところだが、今はそんな気が起きなかった。

 発砲。

 

「あ……」

 

 全てがスローモーションに見えた。

 一二〇ミリの滑空砲から吐き出されたのは装弾筒付翼安定徹甲弾だった。その名の通り、射出後に筒の中から弾芯が飛び出し、それによって目標を貫徹する砲弾だ。

 大気が渦を巻く。

 重さ二〇キロほどもある、ダイヤモンドより硬い強化タングステン製の杭が、音速の四倍の速度でセリカの顔面に直撃した。

 砕けたのは、砲弾の方だった。

 

「え……?」

 

 セリカの方は全くの無傷だ。

 

「せ、セリカちゃん!?」

 

 ノノミが血相を変えて近寄って来る。顔や体をペタペタと触られながら、

 

「大丈夫だからノノミ先輩! ノーダメ! ノーダメ!」

「で、でも……いま顔面に戦車砲が直撃していましたよ?」

 

 普通だったら無傷で済むはずがない。少なくとも半日は行動不能になるほどのダメージだ。たとえキヴォトスの最上位に位置する生徒であっても、この程度のリアクションになるはずがなかった。

 なにか、途方もない力が自分達に宿っているのを感じる。にもかかわらず、精神状態はいつも通りだった。その齟齬がセリカやノノミから緊張感を奪っている。

 二人がわたわたとやっている間に距離を詰められていた。砂漠を埋め尽くす敵の軍団から、無数の攻撃が開始される。三〇ミリから一三五ミリまで、多種多様な徹甲弾にロケット弾、クラスター弾、焼夷弾に閃光弾、燃料気化爆弾が撃ち込まれた。

 攻撃半径は五〇メートルほどだろうか。キルゾーン内に正確無比な猛攻が三分近く注ぎ込まれ続ける。

 

「…………」

「…………」

 

 しかし、無傷。

 物理的、科学的なダメージはもちろん、五感へのダメージも皆無だった。二人は三個大隊から総攻撃を受けても尚、体勢を崩すことすらなくぼんやりと立っている。

 やがてセリカはキレた。

 

「ったくもう! 鬱陶しいなあ!」

 

 機械らしく、効果が挙がるか弾薬が尽きるまで続くだろう火力投射にうんざりして右腕を振り払う。ハエや蚊にやるようなノリだった。

 それだけでアビドス砂漠がめくれ上がった。

 いつの間にか切り裂かれていた砂嵐が去り、星々が輝く空に届くような勢いで砂の津波が出現する。何年も前に砂漠に沈んでいた建造物群が上空四〇〇メートルほどまで打ち上げられ、それらはそのまま質量兵器として敵軍の頭上に降り注いだ。

 それで終わりだ。

 嵐が去り、敵も消えた。先ほどまで途轍もなく巨大な戦いの渦が支配していた周辺一帯には、奇妙な静寂がやってきていた。

 

「わあ☆ セリカちゃん、凄いですね~! 大活躍です♪」

 

 のほほんとしたノノミだけは、いつもの調子だった。

 背後から人の気配が近づいて来る。誰かは分かっていた。

 砂狼シロコがとことこと歩いて来る。

 

「ん。二人とも、大丈夫そうだね」

「シロコちゃん……と、ホシノ先輩」

 

 シロコの背中には、今回の大事件の引き金になってしまった小鳥遊ホシノがおんぶされていた。シロコの首元に顔をうずめ、傍から見れば気絶しているか眠っているように窺える。

 しかし本当は意識があって、肉体的には全快していて、今は後輩達に合わせる顔が無いと駄々をこねまくった末にシロコから力づくで拉致されてきたというのも理解できる。そもそもヘイローが丸出しなので狸寝入りに意味が無い。

 

「…………」

「…………」

 

 本当なら、ようやく連れ戻せたと感動の再会になるはずのシチュエーションだ。

 なのに、そんな情緒など微塵もなく、ホシノがどういう気持ちで<対策委員会>から離れたのかも通じてしまっているので、怒る気持ちにもなれない。いや、この場にいない奥空アヤネだけは激怒しているのが分かる。ホシノと先生を激詰めしてやるという物凄く強い意志を感じる。

 小さな委員長は後輩の背中で震えていた。どうにかして先生だけの責任に出来ないか考えてそんな事は不可能だと悟り、しかしそれでも何とかならないかと現実逃避をしているようだった。

 

(なんか、嫌かも。この力)

 

 以心伝心にも程度があり、これではプライバシーもデリカシーも何も無い。まるで誰かのようだった。

 

「あ」

 

 シロコの視線をなぞると、砂漠から巨大な影が出てくるところだった。真っ白な体躯に黄色のエネルギー・ラインが輝く機械の大蛇。<デカグラマトン>の”預言者”の一柱である<ビナー>という存在らしい。

 今ならアヤネからの報告が理解できた。

 あの巨大な蛇の首に当たる部位には巨大なリングが帯同している。その辺の自治区なら包囲できるほど長大な体にため込んだエネルギーを、あのリングで循環・増幅・制御して口から放つ。兵器の枠組みから完全に逸脱したその威力は学園都市を滅ぼしかねない脅威だ。

 

「私が撃っても良い?」

「良いですよ~」

 

 基地内の残存兵力を掃討したのはシロコだが、それだけでは物足りなかったらしい。先生が採掘基地内に残っているため、派手に暴れられなかったようだ。

 日をまたいでずっと暴れっぱなしなのに、なぜ物足りないのか。セリカはドン引きした。

 

「ん。キルスコア独占してセリカだけズルい」

「いや、別にしたくてしたわけじゃないし……」

「あ、また光線が来そうですよ~?」

 

 いつもの調子でだらだら喋りながら、シロコは右手に持っていた愛銃を<ビナー>へ向けた。距離は三キロほどだろうか。アサルト・ライフルの射程からは大きく外れている。それでも直撃を疑う者はだれ一人いなかった。

 閃光が放たれ、同時に発砲。

 一撃で都市を滅ぼせるような熱量に、鉛製のライフル弾が飛び込んでいく。本来なら、瞬時に溶けて消失するだろう。そもそも目標に届かない。

 だが、消失したのは<ビナー>の頭部ユニットの方だった。銃弾は破滅の光を一方的に切り裂き、地平線の彼方へ駆け抜けていく。

 ”予言者”の胴体が重々しい音と振動を伴って機能を停止した。これで倒せたわけではない。<ビナー>の本体は解放された胴体部装甲の隙間から這い出て、地中へと逃走していった。サイズ差で言うなら、ニシキヘビの中からミミズが出てきたよくなものだろうか。

 

「脱皮した……」

「追う?」

「良いんじゃないですか。今日はこれでおしまい。先生を待って、アビドス校舎へ戻りましょう!」

 

 ノノミの言葉に二人は頷く。

 しかし、とセリカは採掘基地の方を見ながら思った。この力は<対策委員会>の全員に宿っている。誰がどこにいるか、何を考えているか理解できる。

 なのに、先生だけは例外なのだ。相変わらず、何を考えているかわからない。

 とりあえず後で吊るし上げよう。そう思ったセリカは親友の待つ装甲列車へと向かった。

 

 ◆

 

「ハァ……ハァ……」

 

 理事は暗い地下道を必死に進んでいた。厚さ三メートルのコンクリートと最新鋭の装甲材によって組まれた通路。対艦ミサイルの直撃にも耐えられる設計だったが、今は至る所が崩落して炎が侵入してきている。夜空に浮かぶ月だけが、いつも通りだった。

 重厚な体躯を支える四肢のモーターからは絶えず金属同士が擦れる音と、細かい火花が生まれている。最高級の衣類も焼け焦げ、剥がれ落ちてしまっていた。

 アビドス本校舎を要塞化した軍事基地は完全に機能を停止し、そこにあった資材も、装備も、人員も失われていた。

 自身が中心となり、<カイザー・グループ>が総力を挙げて運営してきた、理事のこれまでの人生の全てが、炎と暴力によって奪われた。たった一時間前までは、自分は王座に手をかけようとしていたのに、今は浮浪者のように何もない。

 これ以上の悪夢はないだろう。

 

「まだだ……」

 

 軍事施設は再起不能だが、採掘基地の心臓部はまだ生きている。アビドス砂漠の地下に眠るオーパーツ。それを手中に収めれれば、自分は学園都市の全てを支配できるのだ。

 そうなれば<シャーレ>も<カイザー・グループ>も敵ではない。あの白い大人に地獄を見せてやることができる。自分が体感した以上の、本当の地獄だ。

 そんな復讐心と対抗心だけが、今の理事を突き動かしていた。

 もう少し行けば、地下施設へと続くエレベーター・シャフトがある。電源は死んでいるが、道中の発電機を稼働させられれば、オーパーツのもとへ行けるはずだった。

 異常に強化・巨大化した<ビナー>を一撃で鎮圧したアビドス生五人は全員が撤退した事を確認している。小鳥遊ホシノは回収されてしまったが、それは良い。

 つまり、今の理事にとっての敵はただ一人だけだ。

 

「必ず思い知らせてやる……!」

 

 採掘施設の電力を賄う発電室は巨大だった。体育館ほどの空間に、内燃式の超大型ガスタービン・エンジンが設置されている。頑丈な設計で、燃料さえ供給してやれば問題なく動くはずだった。ここはあくまで致命的な事故や災害が起きた時のための非常用電源だ。今まで使っていた発電施設はここの数倍の規模で、しかもそれが二〇基以上存在していた。

 姿勢制御システムに悪影響が出ている。おぼつかない足取りで、理事は必要なバルブを一つひとつ解放していった。酷く面倒な作業だ。普段なら機械による完全自動制御で、こんな手間をかける必要もないのに。

 燃料の供給ラインが構築される。軋む体を引きずりながら足早にスターターの所まで行くと、それを始動させた。爆音がまき散らされ、危機感を煽るような振動が発生する。数秒して、電力が供給された機械類が順次動き出していった。

 

 これでエレベーターが稼働させられる。採掘の最深部まで行く事が出来れば、まだ逆転の目はあった。

<カイザー・グループ>の悲願である砂漠のオーパーツ。採掘計画の完了にはまだ数年を要するとされている。現物が発掘されておらず、その解析と制御にはさらに長い時間がかかる──と認識されているはずだった。

 理事は上層部にあえて、本来より大幅に遅れた進捗状況を報告していたのだ。

 

 オーパーツの採掘が目前に迫れば、理事は計画から外される。カイザーのトップであるプレジデントが出張ってくれば、拒む事は出来ない。

 だからこそ、理事は基地の出入りを徹底的に監視していた。本部からのスパイはそこら中にいたから、<カイザーPMC>の古株しか中枢の管理に関わらせなかったし、わざと非効率な手段を多数用いて採掘作業を進めもした。

 

 しかし、トップからの視察があれば全て終わりだった。

 だから、メディアを利用して<シャーレ>とのもめ事を大事にする必要があった。採掘基地を守るために、<カイザー・グループ>は総力を挙げて独立連邦捜査部と戦うしかない。採掘作業の進捗に対する注意が逸らせる。

 加えて、あの悪夢のような存在である”ファウスト”によって巡行ミサイル攻撃を受けたプレジデントが長期入院したのは、理事にとってこれ以上ない僥倖だった。<ゲマトリア>からの援助があれば、オーパーツを自らのものとする事が出来る。

 

 本当にあと一歩だったのだ。

 それを、あの連中が──あの男が阻んできた。もう少しの辛抱だと自分を鼓舞する。エレベーターに辿り着けば、オーパーツのもとまで行ける。そこから先は未知数だが、あの力があれば<シャーレ>や<ゲマトリア>とも交渉が可能だ。このまま敗北すれば、組織は理事を粛清するだろう。今まで心血を注いだものは<連邦生徒会>に押収され、無意味になる。そうなるくらいなら世界を道連れにしてでも暴れられる方法を選ぶ。

 

「……む?」

 

 地面に何かが落ちているのを発見した。炎の意匠があしらわれた、オートマタの右腕部。それには小鳥遊ホシノのものに似せた散弾銃が握られている。

 理事の副官のものだった。

 先ほど通過した時は間違いなくなかった。

 発電室の壁で爆発が起きる。指向性爆薬によるものだった。

 

「キサマ……!」

 

 追跡者が現れる。

 破壊の嵐が吹き荒れたこの基地において、最も貧弱な男だけが無傷だった。白い防弾衣にも汚れはほとんどない。砂が少し付着している程度だ。

 理事の現状とは天と地ほどの差がある。

 度の入っていない眼鏡に、生気のない無表情。実験棟制圧後から今まで、どれだけ妨害しても理事の後をついてきた<シャーレの先生>だ。

 彼はエレベーターの方を一瞥してから、左腕の時計に視線を落とした。

 

「もう逃げないのか」

 

 淡々とした口調でそう言ってくる。

 それに答えず、理事は大股で距離を詰めた。二〇ミリ砲を破壊された右腕部は応急措置が施されているが、その新鮮な傷跡はまだ残っている。内部で爆発が起きた際に千切れた装甲が、荒々しい刃物の形状となっていた。これで殴りつけるだけで、非力な男は即死する。

 動力系も駆動系も不調だが、それでも威力は充分。重量を乗せた一撃は男の背後にあったアルミ製のロッカーまでぐちゃぐちゃに破壊し、そのまま通過した。

 男の姿はない。ひらりと避けられた。接触センサが脇腹に反応を感知。吸着式の爆薬だった。もちろんカイザー製。成形炸薬による爆発が起き、超高温のジェット・メタルが理事の体内に吹き込んできた。重大な損傷にたまらず膝を折る。

 

「た、小鳥遊ホシノは取り戻したはずだ。さっさと引き上げろ……」

「負け犬の指図は受けない」

「ここをどこだと思っている!? 元はアビドスの本校舎だぞ!」

「そうだな」

 

 転がっていた瓦礫を投げつける。当たらない。いつのまにか仕掛けられていた迫撃砲が左の膝関節に直撃。駆動系が破壊される。

 うつ伏せに倒れ込んだ理事は<シャーレの先生>から見下ろされる。感情の無い、見下すような視線。何の価値も無い物を見る眼。大変な屈辱だった。

 視線が交錯する。

 

「貴様らが穢した」

 

 瞳の奥には、この基地を呑み込んだ炎とは比べ物にならないほどの劫火が覗いている。

 

「…………!」

 

 男は特に急いだ様子もなく、引きずっていたバッグから爆薬を取り出して発電室の各所に設置していく。

 

「なんのつもりだ……?」

「…………」

「なにをしている!?」

「見て分からないのか。爆破の準備だ。ここには充分な燃料類がある。建造物にも入念にダメージを入れておいたから、この程度の爆薬でも確実に施設を破壊できるだろう」

「だ、だが……」

「地下の空間も完全に崩落させられる」

「…………」

 

 言葉を失った。

 目の前の男は、要塞化したアビドス校舎を地下の空間に崩落させると言っているのだ。充分すぎるほどの体積と質量がある。仮に<連邦生徒会>が調査に乗り出しても、オーパーツに到達するまで数十年はかかってしまう。輸送に使用していた鉄道網も破壊されているのだ。それを再構築して、人員を派遣して、施設を再建して……気の遠くなるような計画だ。

 内通者を挟めば<カイザー・グループ>はいくらでも近づく事が出来るという次善の策すら潰される。

 

「……意味が分からん」

「…………」

「キサマは部外者だ。なぜここまでする? 何の利益がある?」

「利益や立場目当てに世の中を汚し、痛い目を見るまで分からない連中がいる」

「教師気取りの異常者め……何様のつもりだ!? 世直しなど、何の権利があって──」

「弱肉強食。弱き者が強き者に道を譲る……今は貴様が言った状況そのままだと思うが、違うのか」

「……!」

「さんざん好き放題しておいて、自分がやられる側に回ると何の責任も取らずに被害者として振舞う。それが貴様らの言う”大人”だろう」

 

 目障りだ。

 そう言い残し、<シャーレの先生>は去っていく。設置されたのは安物の時限式爆薬が三つ。いずれもカイザー製品だった。あと一分も経たずに作動し、この採掘基地は終焉を迎える。

 理事がこれまで心血を注いできた計画が、一晩のうちに潰えようとしていた。

 膝関節が破壊されていて、いまから爆薬を無力化する事はできない。崩落の阻止と、自身の破滅は止められない。

 理事は残っていた左腕の速射砲を突き出した。

 発砲する。

 忌々しい男の背中を貫くはずだったが、骨格系にもFCSにガタが来ていた。砲弾は逸れて、部屋中を這い回るパイプラインを破壊するだけで終わる。

 しかし、それでも火はついた。小規模な爆発が連鎖する。電線が断ち切られて青白い火花が散った。

 唯一残されていた出口が炎によって封鎖される。

 

「これで終わりだ……なにもかも」

 

 これで、この男を道連れに出来る。自身が仕掛けた爆薬によって、理事もろとも地下へ埋葬されるのだ。

 

「キサマに都合の良い終わりなど許さん」

「初めて気が合ったな」

 

 生還が絶望的になっても、その表情に変化は無かった。無価値なものを見る眼。砂漠に放られたスクラップを思い出す。

 彼は時計を確認し、

 

「時間だ。私は行く」

 

 先ほど理事を狙い撃ちした迫撃砲が再び火を噴いた。成形炸薬弾が壁を破砕し、新たな道が出来る。

 続いてタイマー式の爆薬が作動した。パイプラインへと引火が広がり、頑丈だったはずの地面にも亀裂が奔る。凄まじい揺れと轟音。

 そう遠くない内に、アビドス本校舎が頭上から落ちて来る。

 

「────っ!」

 

 逃がさん。

 そう思うと同時に左腕の速射砲が再度の発砲。しかし飛び込んで来た拳銃弾によって、またも暴発させられた。

 両腕と片足に深刻な損傷。芋虫のように這いずる事しか出来なくなった理事を、さらなる爆発が襲う。床が割れ、全てが下へと落ちていく。

 ガスによって何かが射出される音。グラップリング・ガンが作動し、ワイヤーを伴ったアンカーが天井に突き刺さった。

 

「キサマァ……っ!!」

 

 敵は上へ昇り、理事は下へ墜ちていく。敗者を迎えてくれるのは炎と瓦礫だけだった。

 

 ◇

 

「さて……」

 

 目的を達成し、アヤネと便利屋に合流した私達は装甲列車で帰路についていた。向かうのは柴関ラーメンの屋台だ。私は時計を確認する。体内時計には自信があるものの、何十回も見てしまう。約束の時間まで、もうあまり余裕がない。

 なんとか予定通りに事を済ませられた。脱走した委員長は捕獲できたし、ゲヘナとトリニティも無事に帰ってくれたし、欠員も出なかったし、私は無傷で聖地へ向かっている。

 素晴らしいエンディングだろう。やり切った感で満たされた私は振り返った。

 

「…………」

 

 車内は静まり返っていた。

 今は朝焼けが眩しい時間帯だが、全ての遮光カーテンが閉められている。本来なら乗客に天気予報やニュース、運行情報を表示する大型ディスプレイには『おかえりなさい♪』『私達の小鳥遊ホシノ委員長☆』『逃がしません』という悪趣味な文章がローテーションで表示されている。

 私達がいる一号車の中央には広いスペースが設けられており、その真ん中には『本日の主役』と書かれた襷を肩からかけた小鳥遊ホシノが座らされていた。

 私は唸った。これほど惨い仕打ちは見た事がない。

 今は全員が手紙の朗読を終えたところだ。

 私は何らかの理由で震えているホシノに歩み寄ると、彼女がかけている馬鹿みたいなサングラスの電源を入れた。安っぽい七色の輝きが暗い部屋に彩りを加える。

 それを少し堪能したあと、気になっていた事を訊ねた。

 

「ただいまはどうした」

「は?」

「ただいまと言ってくれ」

「ぜったいやだ」

 

 どうしてか心を閉ざしてしまっているホシノに私は首を傾げた。

 

「これ誰が考えたの?」

「何がだ」

「おじさんが一生懸命書いた手紙を、本人の目の前で朗読されたんだけど」

「うん」

「惨すぎるよ……先生の案でしょ。それかシロコちゃん?」

「ノノミだ」

「え……」

「ノノミの案だ」

「え……ノノミちゃん?」

「…………」

「嘘だよね……?」

「…………」

 

 違う理由で震え始めたホシノから問われても、ノノミはニコニコ笑顔のままだった。何も言おうとしない。

 もしかしたら、今回の一件で最も怒っているのは彼女なのかもしれない。

 セリカは装甲列車の中でホシノと私を罵倒したし、シロコは淡々と刑の執行を準備していた。アヤネは列車の運行と周辺の警戒にあたっていたが、今は自動運転に任せて合流している。

 ノノミの様子に不自然な点はなかった。便利屋含めて全員の手当をしてくれたし、超高級品だったことが判明した紅茶を振舞ってもくれた。

 いつも通りだったはずだ。だからこそ恐ろしかった。彼女も間違いなくアビドス生なのだ。

 

「ねえ先生」

「どうした」

「ノノミちゃん怒ってるの?」

「あんな事をすればな」

「だ、だって……」

 

 ホシノと最も付き合いが古いのはノノミだ。そのノノミに何の相談もなく退部しかけたというのは心証が非情に悪い。端的に言ってデリカシーが無く、常識的に考えてありえないのだ。

 

「はあ?」

 

 何も口に出していないのにホシノがキレた。

 

「人の心に無断で入ってきておいて、デリカシーとか常識的とか良く言えるね」

「鍵が開いていたからな」

「なにそれ。関係ないよ」

「あります」

「ありません」

「しかし、結果的に連れ戻せている。作戦は成功したんだ。客観的に見てこれ以上ないくらい、ホシノの負けだろう」

「…………」

 

 やや赤くなった顔でホシノが睨んでくる。凄まじい優越感に私のコンディションが全快した。これだけで四徹はできる。カイザーの基地を潰すより遥かに達成感があると思った。

 

「随分と仲が良いですね」

 

 そんな我々に向けて、奥空アヤネが言ってきた。

 

「そ、そんな事ないよ~」

「あります」

「いやいや、考え過ぎだって~。なんでおじさんと先生が仲良くなるの? ただのスト」

「どうして先生はホシノ先輩の心の中に入れたんでしょうか」

「えっ」

「私は離れたところにいましたが、”あの時”の事は把握しています。ホシノ先輩がどういう気持ちだったのかも……」

「アヤネちゃん?」

「前々からおかしいと思っていたんです。なぜ、小鳥遊被告だけがテレパシーできるのか。そういう事だったんですね」

「様子が変だよ……?」

「アビドス裁判を開始します」

「あ、アビドス裁判?」

 

 奥空アヤネ裁判長はどこからかガベルとサウンドブロックを取り出し、二度鳴らす。突然の開廷だが、ホシノ以外のアビドスメンバーは特に疑問もないのか姿勢を正し、傾聴していた。

 裁判長でありながら原告でもあるらしいアヤネは、あらかじめ用意していた書類を読み上げ始める。

 

「小鳥遊ホシノ被告は<アビドス高等学校>における生徒会副会長、<対策委員会>における委員長という立場にありながら、周囲の心情や事情を無視して行動し、結果としてアビドスの債権者である<カイザー・グループ>に対して甚大な損害を与えた。また被告の過去の罪状やこれまでの言動を鑑み、再犯の可能性は極めて高いものと考える。先生とテレパシーした罪で、原告は小鳥遊ホシノ被告に対し、卒業までの期間、アビドス校舎全体の清掃及びあらゆる買い出しと配膳、会議における議事録の作成と資料の管理、その他諸々を求刑するものとする」

「なにこれ、何が起きてるの……?」

 

 うわ、怖……。

 必要な物があれだけ揃えられている時点で、アビドス生達は最初から小鳥遊被告を吊るし上げるつもりだったのだろう。しかも奥空裁判長の支離滅裂な言動を見る限り、手紙の朗読は刑罰に含まれておらずただのウォーミングアップに過ぎなかったらしい。そんな事がありえるのかと、私は思い切りドン引きしていた。

 アビドスに来てたった一か月余りだというのに、彼女達は債権者をぐちゃぐちゃにして委員長を救出した三〇分後に得体の知れない裁判を開くような集団となってしまった。

 出会った日に、純真な目で私に点滴をしてくれた奥空アヤネはもう存在しないのかもしれない。危険人物達の集まりとしか言えず、今後のキヴォトスにおいて終焉の引き金となりかねない自治区と化してしまった。

 私はアビドス生達から距離を取り、真顔でドン引きしている<便利屋68>の方へすす、と寄る。

 異常な緊張感に汗を浮かべているアルから訊ねられた。

 

「あ、アビドスっていつもあんな感じなの?」

「ああ。吊るし上げの文化がある」

「それ、絶対に先生のせいでしょ」

「そんな事はない」

 

 私は危険人物ではないため危険人物達の理屈は分からないが、アビドス生達は出会った当初からあんな感じだった気がする。むしろ、そうでなくては困る。私の影響でヤバい連中に変貌したと誤解されたらまずい。

 

「普通さ……あんだけの戦いを潜り抜けて、大切な人を救出したら、もっとほんわかした感じになるんじゃないの? なんで裁判したいってなるの?」

 

 ムツキからも質問される。私が出せる答えではなかった。

 あの<対策委員会>は家族のような深く強い繋がりによって構成されている。そこに日頃の行いが悪いホシノが退部届など出して暴走したから、絶対に逃がさないという意思表示と再犯防止の観点から開廷してしまったのだ。

 ”シッテムの箱”の力で、アビドス生達はホシノが離脱に至った理由を知っている。梔子ユメの死や、私への劣等感と罪悪感は如何ともしがたいが、自分はアビドスに不要などと本気で考えていた事に関しては是正しておく必要がある。

 

「厳粛な裁判の場で馬鹿みたいな出で立ちである事から、被告人に反省の意志があるとは到底思えません」

「皆がつけろって言ってきたのに!?」

 

 ホシノがそこまで追い込まれている事に、裁判長達は気づけなかった。最上級生の委員長だから大丈夫だろうと楽観視していた。だからこそ、自分達の思いを直接伝える必要があると考えているのだ。

 

「しかも、悪趣味なサングラスをライトアップまでして……」

「これはあの人が電源入れたんだよっ!」

「静粛に」

「お願いだからみんな冷静になってよ! おかしいよこんなの!」

 

 だから、この裁判は関係を修復するために必要な事なのだろう。自身の非を認め、それを謝罪し改める。その形が歪かつ異常なだけで、それはどこにでもありふれたやり取りなのだ。

 ホシノは元気に挙手し、

 

「弁護! 自己弁護します!」

「却下します」

「き、却下?」

「却下です」

「い……異議あり!」

「認めません」

「えぇ……?」

 

 司法というのはその自治区の民度や治安を表す。残念ながらアビドスはキヴォトスでも有数の危険地帯だった。それが法廷に現れてしまっている。

 気の済むまでやってもらった方が良いだろう。ホシノのような生徒は束縛するくらいがちょうど良いという見方もある。

 そんな考えで柴関ラーメンへ思いを馳せていると、

 

「弁護人」

 

 そう言われた。どうしてか全員が私の方を見ている。

 

「弁護人……?」

 

 背後を見るが、壁しかない。

 

「私か?」

「そうです。弁護人、前へ」

「は、はい……」

 

 関わり合いになりたくないと思ったが、そんな事を口に出せば私も被告人にされてしまう。

 

「当法廷に何かあれば、意見陳述を認めますが」

「では……訊きたいが、刑の執行の開始はいつになるんだ」

「二分後には」

「なるほど」

 

 凄まじく早い。私としては、別ににょが処罰されたところで問題はない。雑用の諸々を押し付けられたとして、他のメンバーが任せきりにするはずがないからだ。今まで丸投げしていた委員長が参加するだけで、むしろ健全なくらいだろう。

 

「他になにかありますか?」

「いや特に……」

 

 そこまで言いかけた私の袖を、被告人がぐいぐいしてくる。ちゃんと弁護しろという事だろう。このままだと原告側の求刑がそのまま通る事になる。必死なのは分かるが、馬鹿みたいなサングラスがライトアップしているせいで必死さが全く伝わってこない。

 しかしながら、生徒が助けを求めている以上、それを無視するわけにもいかなかった。

 ここは大人として取りなす必要があるだろう。

 

「弁護人としては、情状酌量の余地はあると考える」

「具体的には?」

「まず、今回の件が初犯である点だ」

「…………」

「当時……被告人の精神状態が正常だったとは言い難い。それは、このぐしゃぐしゃになった書き置きを見ても分かる事だ」

「……なるほど。カイザーや”黒服”を名乗る変質者からの圧力等の原因で、被告人が精神的に酷く追いつめられていた事は確かですね」

 

 ふむふむと裁判長は頷く。

 私は手応えを感じて内心で微笑んだ。あの裁判長としても、ホシノを本気で吊るし上げるつもりはないだろう。裁判という形を取る事で、被告人に事の重大さを思い知らせたかっただけなのだ。私に弁護させる事で丁度いい落としどころに収める算段だったのだ。つまりは出来レースである。

 アビドス生も大人になったという事だ。生徒達の成長に、先生として私は誇らしい気持ちになった。

 

「被告人が追い込まれた理由には弁護人も含まれていますが、弁護人は今回の件の責任を認めるという事でしょうか?」

「いえ、今回の件は全て被告人の責任です」

「…………」

「私はあまり関係ないです」

「わかりました。以上で意見陳述を終了します」

「はい」

 

 着席した私をホシノがガン詰めしてくる。

 

「さいってー! クズ男!」

「ホシノ、大人しく罪を受け入れよう」

「うるさいよ!」

「抵抗は無意味だ」

「抵抗するのが弁護人の仕事じゃん!」

「その法廷を馬鹿にした外見で減刑を求めるなんて無理だ」

「この……っ!」

 

 実験棟ではしなしなだったホシノだが、今ではここまで元気になっている。私はほっこりした。

 被告人に肩を掴まれて揺さぶられていると、裁判長達が手元の紙に何かをがりがりと書き込んでいる事に気づいた。

 

「にょ、何かがマズい」

「にょって呼ぶのやめて……なに?」

「ほら」

 

 我々の様子が記録されており、それは恐らく良くない事に繋がる。裁判で不利に働く。

 被告人が恐る恐る挙手した。

 

「あの、裁判長……それは」

「…………」

 

 答えてくれない。

 裁判官達がこそこそと話している。

 

「<シャーレ>の当番も禁止、と……」

「アイドルやらせるってのは?」

「悪くありませんね。特定のマニアに大ウケが狙えます」

「衣装はノノミ先輩が用意できる?」

「もう用意してあります」

「ん、チャンスは今しかない。行けるだけ行こう」

「では……」

 

 裁判長がドン、ドンとガベルを鳴らす。

 

「先ほど述べた刑に加え、個人での<シャーレ>当番の禁止。それと新入生募集のためアイドルをして頂きます」

「あの、裁判長」

「なんでしょう」

「どうして刑が増えたんですか……?」

「…………」

 

 またも答えてくれない。裁判長はただ私の方をチラリと見ただけだ。

 私は閃いた。

 

「ホシノ、ただいまは?」

「え……」

「やらないと無限に刑が増えるぞ」

「ただいま!」

「ごめんなさいは?」

「……ま、誠にごめんなさいでした!」

 

 後輩達に半泣きでぺこりと頭を下げたホシノを見て、ようやく裁判長が笑顔になった。

 

「では、閉廷します」

 

 私は一息つく。

 これで決着がついたらしい。必要な言葉が聞けた事で、<対策委員会>はまた一段と強くなる。

 これで、私はアビドスから離れる事が出来るだろう。まだ<連邦生徒会>や<カイザー・グループ>、そして協力してくれた”三大校”相手の事後処理が残っているものの、それは何とでもなる。

 この砂漠地帯で過ごすのも、残り僅かという事だ。

 

「…………」

 

 ドン引きしていた便利屋メンバーを交えてきゃいきゃいしている生徒達を眺めながら、少し考える。

 私は、何かをやり遂げる事が出来たのだろうか。

 ホシノの離脱から復帰まで、たった一日の出来事だった。途方もなく長く感じた一日だ。

 昨日の自分と比べて、少しは前に進めたのか。私自身の問題は、何か解決したのか。その答えはまだ見つからない。

 ただ、自分が取り戻した居場所で心から笑う子供たちを見ていると、少しだけ救われたような気持ちになった。

 透き通るような朝焼けを眺めながら、紅茶の入ったカップを傾ける。美食だった。

 そろそろエンディングに入る頃だ。

 

「それでは、次の裁判に移りたいと思います」

 

 良い空気が切り裂かれた。

 

「…………」

「被告人である<シャーレの先生>がゲヘナ自治区でおこなった不適切な行為について、審議を開始します」

「…………」

 

 …………? 

 何が起きているか分からず、私は首を傾げた。

 そうしているうちに壁に内蔵されている大型ディスプレイに、映像が映し出される。画角や画質、若干のブレ等がある事から、それはスマートフォンによって撮影されたものだと判断できた。

 場所はゲヘナのメインターミナル付近で、噴水やオブジェなどが配置された広場の一角だった。生徒や一般人問わず往来も多い。

 狙撃銃を担いだ銀髪ツインテールの女子生徒が、何かを詰問している。<風紀委員会>の腕章を着けており、それは少女の周囲に展開している女子生徒達も同様だった。撮影者は風紀委員達の背後から事態を観測しているらしい。

 

『よくもノコノコとゲヘナの地を踏めたな!? 何の用だヘンタイ!』

『風紀委員長の空崎ヒナに会いに来た』

 

 美少女の集団に囲まれ、警戒心を剝きだしにされているのは一人の男だった。白衣にも似た丈の長い上着を纏った、不健康そうな男。無機質で陰気な雰囲気を纏っている。

 なんだか私に似た男だと思った。恐らく違うだろうが。

 

『ヒナ委員長に……? 私は何も聞いていないぞ!』

『イオリが聞いているかどうかは<風紀委員会>内部の話だ。私にはどうしようもない』

『だとしても、おまえは私達と敵対した身だ。このまま通すわけにはいかない』

『私を妨害する事でヒナから叱責されるとは考えない……アコの差し金だな』

 

 私のような人物を阻んでいる銀髪ツインテールの女生徒──銀鏡イオリはぎくりと肩を揺らした。

 直接訊いたわけではないが、彼女は<風紀委員会>のナンバー2である天雨アコから指示を受けて現場に急行したらしい。

 基本的に<シャーレ>がいつどこで何をするかは公式ホームページに記載されている。それを見たアコが妨害のために駅前で待ち伏せるよう指示を出したようだ。

 白い服を着た男は、その雰囲気をやや鋭いものに変えた。独断と偏見で動くアコと、それに疑問を挟まず従うイオリ。以前にも同様の事態があり、その結果として柴関ラーメン跡地への攻撃へと繋がった。

 間違いを責める気は無いが、そこから学ぶ姿勢は必要だと思う。

 

『……なんにせよ。ヒナ委員長に会わせるわけにはいかない!』

『今日の私には時間が無い。邪魔をするというのなら……』

『な、なんだ!? 何する気だ!? 今日は便利屋もアビドスもいない! おまえに勝ち目なんてあるはずないだろ!?』

『…………』

『なんだ! 何か仕掛けてるのか!? あ、あるなら今のうちに出せ!』

『…………』

『おい!』

『…………』

『なんで何も言わないんだよ!?』

 

 映像だけ見ると男が苛立って口を閉ざしたように見受けられるが、あれは違う。あの時は自称メインヒロインのスーパーアロナがアホみたいなサングラスを用意するためにストライキ中であり、地形データのスキャンや荒事になった際の通達などが満足に行えていない状態だった。

 相手がイオリだったら一万人いようが撒く事は容易い。むしろ、彼女にウザ絡みするためだったら私はあらゆる限界を無視できるし進んで無視する。しかしそうなった後のフォローがアロナ無しだと難しい事に気づいたのである。

 ウザ絡みをしたい。しかし、した後の証拠隠滅が出来ないかもしれない。その葛藤がこの沈黙を生んでいる。

 俯いていた男の視線が、風紀委員に向けられた。それだけで完全武装の少女たちは後ずさる。

 

『……繰り返すが、火急の要件だ。言葉を交わすつもりはない』

『ふ、ふーん。それだけ真剣なら私の脚を舐められるか? それな』

『レロレロレロレロ』

『わあああああああっ!?』

『レロレロレロレロ』

『おまえホントに何やってるんだよ!? や、やめ……ふあっ』

『レロレロレロレロ』

 

 暴れるイオリをさらりと受け流し、男は屈辱的な要件を呑み続けていた。アビドスの未来と、ホシノの命がかかっているのだ。大人としての尊厳をかなぐり捨ててるのは当然だった。

 

『わっ……わっ……分かった! 分かったから!』

『レロレロレロレロ』

『ヒナ委員長に会わせる!』

『レロレロレロレロ』

『あ、会わせるからやめてーっ!!』

『レロレロレロレロ……』

 

 舐めるというよりは、とことんまでねぶり尽くしている。新しい美食を発見した顔をしていた。

 こうやって俯瞰的に見ると私に似た男のやっている事は常軌を逸しており、まるで怪物だった。悪質なフェイク動画だと思いたいくらいだ。

 上映が終わり、装甲列車の車内はまた薄暗くなる。酷い沈黙が辺りを包んでいた。

 

「…………」

 

 私の周囲にいる<対策委員会>と<便利屋68>のほとんど全員が汚物を見るような視線を向けて来ている。伊草ハルカだけはキョトンとしていた。

 眼鏡をカチャ……と直す。

 大人として、私には冷静な判断が求められていた。

 残念な事だが、先ほどまで開かれていたホシノに対する弾劾裁判すら前菜に過ぎなかったらしい。これが本番だ。

 私に動揺はなかった。作戦を考える必要がある。

 

 ①列車から飛び降りる。

 今は時速一二〇キロほどで移動中だ。しかも運が悪いことに、クッションになる砂原ではなく岩盤地帯を突っ切っている。この上着がいくらか衝撃を和らげてくれるといっても、岩に一二〇キロの速さで叩き付けられたトマトが無事で済むはずがない。

 普段の私だったらチャレンジするかもしれないが、今は柴関ラーメンへ行く予定が控えている。何とか生きて聖地に辿り着く必要があった。これは採用できない。

 

 ②別人を装おう。

 あの映像に映っている怪物は私とは全く関係の無い人間だとするのだ。服装や背丈、顔立ちが完全に一致しているとはいえ、それだけで同一人物だと決めつける事はできない。

 私は慎重に口を開いた。

 

「この映像はどこから手に入れたんだ」

「<風紀委員会>の火宮チナツさんから<シャーレ>の公式チャットルームに投稿がありました。同時刻に先生は銀鏡イオリさんへの極めて不適切な行為が原因で逮捕されています。これは、その時の証拠映像ですね」

 

 無表情のアヤネ裁判長から説明がある。

 

「公式チャットルームというのは……」

「<シャーレ>部員のみが利用できるアプリがありますよね」

「あ、ああ。それは知っているが、私は入っていないのが気になって」

「公式チャットルームなので」

「…………?」

 

 独立連邦捜査部の最終責任者は私だが、その私が認知していないチャットルームが公式を名乗っている事に動揺を隠せない。

 

「もしかして、<シャーレ>所属の生徒が私の動向や言動をリアルタイムで把握しているのは、そのチャットルームが原因なのか」

「そうです」

 

 断言された。

 気になるところは無数にあるが、少なくとも別人だと主張する事は難しいようだ。

 ホシノだけは逮捕の件をいま知ったらしい。刺殺するかのような鋭い視線で近寄ってきて、『本日の主役』と書かれた襷を私にかけてきた。ゴミを見るような目。

 そして、包囲網が狭まって来る。

 時間がない。それでも段階を踏む必要がある。ここは彼女達を不必要に刺激するやり方は避けなくてならない。

 

 ③記憶喪失になったフリをする。

 

「うっ……!」

 

 私は胸を抑えて前のめりに倒れ込んだ。自分でも中々の演技力だと思えたが、引っかかったのはセリカとアルだけだった。

 その二人も付近の執行人によって正気を取り戻してしまう。

 もう誰も心配してくれないため仕方がなかった。

 身を起こすと、先ほどまで非武装だった美少女達がどうしてか銃の安全装置を外しているところだったが、私はそれを重要な事だと思わなかった。

 

「キミ達は……誰だ?」

 

 私は全員からもみくちゃにされた。

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