神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
改変する。
元に戻す。
改変する。
元に戻す。
アンネ・ダルシア復活から早半月。
私の基本姿勢は待ち。人間が見せる模様を見てどのアクションをするか決めるという性質上、何も起こらなければ「オーリ・ディーンの日常」を続ける以外なくなる。
もちろんそれについて面白くないなんて感情はないし、むしろこういう時こそ「人間ロールプレイ」の真価が発揮される。最近忙しくてできていなかったご近所付き合いや、イルーナさん、リコ君との交流に。
ディモニアナタが既に起こしているらしい「新しい試練」についての情報こそ入ってきていないけれど、トゥナハーデン曰く「今のディモ姉は気にしなくていいと思う」、「それより、私も人間のフリをするの、少し楽しくなってきちゃった」、「もうちょっと設定詰めよう?」などなど言ってきていて、「人間ロールプレイ」の先達としては嬉しい限り。
トゥナハーデンとの親戚設定を深掘りし、それをご近所さんに紹介するなど色々やった。リコ君と良い感じなこともバラした。奥様方の反応は「まぁまぁまぁまぁ」である。
ステイフォールド家……リコティッシュ君の家は貴族ではないものの広大な土地と茶畑を有する地主の一族。ティダニア王国に流通する凡そ三割のお茶がステイフォールドのものであり、貴族や王族の中にも愛飲者がいるとかなんとか。
そんなところのお坊ちゃん……というと少し違うのだけど、それなりに良い出であるリコ君は、けれどその生真面目過ぎる性格から恋人ができていなかったそうで、ついに息子にも春が……! とステイフォールド現当主が感激していたとか。
世界の記録を漁ったわけではない。全て井戸端会議によって得られた情報である。人間の噂の広まり方ってすごいよね。
こうしてトゥーナが恋人ごっこ、リコ君が完全に魅了されて、けれどやっぱり真面目に仕事を、イルーナさんはアスクメイドトリアラーであるということを完璧に隠しての勤務態度で……つまりまぁ、「戦争」が始まる前の、いつも通りのオーリ装飾品店。トゥーナがいることで模様が少し変わっただけど、「オーリ・ディーンの日常」を送れている気がした。
改変する。
元に戻す。
改変──。
「ちょ、ちょっとママ!? 何やってるの!?」
「トゥナハーデン。なんで念話? 店にいるんだから、声を使えばいいのに」
「ママのやってることがやってることだから! さっきから断続的な世界微動が来てるけど、絶対ママでしょ!」
元に戻す。
まったく、「人間ロールプレイ」が楽しくなってきたんじゃなかったのか。どこに世界微動なんて単語を使う町娘がいるの? いないでしょ?
それに、なんでもかんでも私のせいにするなと。ディモニアナタが何かやってるんだから、そっちの可能性の方が高いだろうに。
「それ! そ・れ!」
「これ?」
これ。
……いやいや。
「トゥナハーデン、安心して。これは既存の物質じゃないから」
「……」
「それに、ちゃんと
「……」
「この物質を改変して世界にどんな影響が出るのか見て、戻して、他の改変をして、戻して。今回はちゃんと世界の全てを見ながらやってるから大丈夫」
「ママ」
「うん」
「それ、ちょっとズルくない?」
……ふむ。
言わんとすることはわかったし、この話をどの着地点に持っていきたいのかも理解したけど、ここは会話を続けてあげる。
「どういうこと?」
「ママのそれって、この前の続きでしょ? 最新の流行を作る、ってさ。その過程でママにしかできない新規物質の作成からの新規流行って……他の装飾品のお店は既存物質で頑張ってるのにさ」
やっぱり。
だからやめろ、と言いたいのだろう。
だけど。
「トゥナハーデンは、私のやっている改変のことをちゃんと理解してないみたい」
「……世界に存在する遍く事象を書き換える、じゃないの?」
「そう。だから、たとえこの物質が新規性質を獲得して世界に定着したら、"それが元からあったこと"になる。歴史の中にもこれが刻まれるし、人々の知識の中にも勿論そう。そうなれば、他の装飾品店だって"この物質が初めからあった前提"で装飾品を作るし、店に置く。技術も歴史もノウハウも、元から存在していたことになる」
だからこその改変だし、だからこその確認だ。
そして。
「私だけが知っているものを流行らせるのがズル、なんてわかってる。だから皆同じ条件にして、その上で私が人間のアイデアの先を行こうとしているだけ。さっきから改変しては戻してを繰り返しているのは、思いついた新製品のための物質へとこれを改変すると、歴史の中で既に誰かが思いついたものばかりになっちゃってたから。人間ってすごいね。やっぱり流行の先取りは私をしても至難と言わざるを得ないよ」
過去の人々の思考や行動を制限すればできなくはないけど、それこそ「ズル」だ。
今やっている「人間ロールプレイ」そのものもそうだけど、「オーリ・ディーン」として「装飾品に関して嘘を吐かない」というロールプレイも発生している。
そこに妥協はない。趣味嗜好などロールプレイによって簡単に変えられる私は、先述したように「自身に干渉すること」を極力控えている。
少なくとも今生において、「オーリ・ディーン」が装飾品でのズルをすることはない。
「……なんとなく言いたいことは伝わったけど、ならなんで世界微動は起こるの? 何も変わらなかったことになるんでしょ?」
「歴史が変わるってことは時間が変わるってこと。時間が変わるってことは空間も変わる。世界は時間と空間によって編まれた水晶玉なんだから、そこに干渉したら多少振動するのは仕方ないでしょ」
「じゃあ、世界微動は無害って言いたいの?」
「……」
まあ。
無害……というと……嘘になるかな……。いや無害は無害なんだけど……。
「ママ?」
「被害は出るよ。でも私にしか観測できないから大丈夫」
「本気で言ってる?」
「観測できないものは無いのと同じ。トゥナハーデンだって、世界の外側で石が一つ弾けたところで何とも思わないでしょ」
「本気で言ってる?」
「じゃあ聞くけど、トゥナハーデン」
「ママ。本気で、見えない被害だから、何も問題ない、って……言ってる?」
「なんかあったら私がどうにかすればいいし……」
仮に誰かの命が損なわれたとて。歴史改変で存在そのものが消え失せたとて。
私がどうにかできる。本人の意思を確認することも、元に戻すことも、なんならすべてが起こる前──この世界が生まれる前の状態にまで戻すことも。
「……そっか」
トゥナハーデンは、念話だというのに寂しそうな声で、それだけを呟いた。
「どうしてもやめてほしいというのならまぁ無理にやることでもないんだけど」
「どうしてもやめてほしい」
「あ、うん。わかった」
新規物質を消す……というか、創らなかったことにする。
私はこの数刻の間、ただここでぼーっとしていただけ。
「……ちなみにママ。今の物質は、どういう性質にする予定だったの?」
「魔力の貯蔵、水の貯蔵、熱の貯蔵、音の貯蔵は既に鉱石で存在するから、風の貯蔵ができる木材とか良いかなって思って」
「あっぶない……止めて良かったあっぶない……!」
名を封風樹。一度シミュレートした「元から封風樹のあった世界」においては、私の思いついた新製品など三千年以上も前に思いつかれていて、「……流石人間」ってなった。『音吸いのシエルタ』含め、人間は欲しいものを見つける力と害でしかないものを活用しようとする力が飛びぬけているよね。
そういう視点で言えば。
今回は、神々が本当に情緒豊かだ。まるで人間みたい……は
前回前々回、というかもう十回くらい前までずーっと私は「神の敵」扱いされてたわけだし。人間からも子供たちからも。そう考えると今回の子たちは……なんというか、穏やかだ。
だからこそ私も「人間ロールプレイ」を楽しもうって気持ちになったわけだし。「神の敵」だった頃は遊び心で人間の肉体作った瞬間に総攻撃とかあったからなぁ。そのせいで歴史も三百年くらいで終わることが多々あった。
ふむ。
なんで今回はこんなに長続きしているのか。
……初めに生まれた人間があの子だったから、だろうなぁ。そうでなくちゃ「人間ロールプレイ」にこんな熱中することなんてなかったわけだし。
「オーリさん、お客様がオーリさんをご指名なんですけど、大丈夫ですかー?」
「はい、すぐに行きますよ」
珍しく懐古に浸っていたら、お客さんらしい。
私指名なあたり、まーた騎士ニギンかなーなんて気配を探れば……おや完全ご新規さん。
いけないいけない、装飾品店の店主オーリ・ディーンとして、お客さんに余計な偏見を持たずにちゃんと接客しなければ。
「いらっしゃいませ、私がオーリ・ディーンです。どのようなご用件で」
「何よ、ヴィーエ様と顔も雰囲気も全然違うじゃない。……はぁ、ホント、最近の兵士の質低下といったら……」
「お嬢様、愚痴は後で聞きますから、そこまでで。失礼、店主様。ここではオーダーメイドの装飾品も取り扱っていると聞きましたが、相違ないですか?」
「はい。金額と材料次第にはなりますが、お客様の欲する装飾品をご提供できる自負があります」
聞かなかったことにする。
今はオーリ装飾品店の店主だか──。
「何言ってるのよ、今更取り繕ったって無駄でしょ。明らかにアサシンみたいなのもいるし、どう考えたってこの店は」
時間停止。
「マ──ママ! お願いがあるんだけど!」
「なに?」
「今のはまぁ、ママが悪いとは言わないし、私もこんな奴消えちゃえばいいって思うんだけどさ。えっと……だからその、今の発言を聞いちゃった二人への記憶処理は仕方ないにしても、この二人については私のやり方に任せて欲しいって言うか」
「消えちゃえばいいとは思ってないよ。記憶の処理もしない。こんな小規模のこと、数十秒時間を戻して対応変えれば済む話だし」
「あ、えーと、だから……その"対応"を私にやらせてほしくて」
「……忘れたの? トゥナハーデンは今人間ロールプレイ中なんだから、あんまり派手なことはできないよ?」
「しないから! ママと違うから! 大丈夫だから!」
「私と違うから大丈夫、というのは聞かなかったことにするけど……どうしてもやりたい?」
「どうしてもやりたい!」
なら、まぁ。
「わかった。じゃあ、任せる」
世界を数十秒戻す。
この「お嬢様」とやらが入店してきたところまで。つまり、イルーナさんに私を呼べと話しかけているだろうところまで。
では、お手並み拝見である。
トゥナハーデンの「人間ロールプレイ」。人間を逸脱することなく、それを維持して、対処ができるのか。
……「復活した魔女ロールプレイ」のホムンクルスは、フランキスという強力な助力のせいで上手く出来ていたかの判断が難しいかったけど、今回は邪魔の入る隙間がないんだ。
応援はしているよ、トゥーナ。
「い」
「いらっしゃいませ!」
トゥーナは、その来店に対し、飛ぶように反応をした。反応しかけていたイルーナを押しのける形になってしまったことを申し訳なく思いながらも、あとで補填と、そして「大義のため」という言い訳を胸に、接客スマイルを浮かべる。
「オーリ・ディーンというのがいると聞いてきたのだけど。出してくれる?」
「お嬢様。その言い方ではダメですよ。失礼、お嬢さん。少しばかり特殊な効果のある装飾品を求めて来ました。初めにこの都市の魔術師協会に行ったのですが、首を振られ……代わりにここへの紹介状と、ディーンさん個人への紹介状も頂いております。どうでしょうか、オーリ装飾品店の店主、オーリ・ディーン様に会わせていただくことは可能でしょうか?」
女性を惹きつける笑みを浮かべる、執事であろう青年。が、トゥーナにそんなものは効かないし、豊穣の神であるトゥーナには「人間の欲望」というものをオーラとして見ることのできる権能が備わっている。
品定め。値踏み。評価。そして──殺害。この「お嬢様」とやらよりも執事の男性からの方が強くそれを抱いている。
「申し訳ありませんが、店主は今休憩に入っておりまして、この店にいません」
「おや、そうでしたか」
「嘘を」
悟る。無理だと。
口八丁手八丁で誤魔化しの利く相手ではない。堅固な意思を持ってこの店に来ている。
ならば、そこを捻じ曲げるまでだ。
「……アナタ、よく見ると綺麗な顔をしていますのね」
「お嬢様?」
少し露骨が過ぎるけれど、トゥーナは魅了を用いて「お嬢様」の意識を自身に向けた。
バックヤードにいる母が「やっぱり魅了でどうにかするんじゃん」と呆れていることなど露知らず、トゥーナはこの話を最大限に引っ張る。
執事の男性に魅了を使わなかったのは、妙な精神防壁が張られていたからだ。
「ハイデン。少し……そうね。一刻程でいいわ。ここで聞き込みを行っていなさい」
「それは構いませんが、お嬢様は?」
「つまみ食いよ。さ、行きましょう? ね、この都市の連れ込み宿の場所を教えてくれる?」
一切の恥じらいも、隠そうという態度もない。
ソウイウ目的でトゥーナを連れ出そうとする「お嬢様」に、待ったがかかる。
「お嬢様、またですか。……まずはこっちをこなしてからでもいいでしょう」
「あの、申し訳ありませんー。その子にはもう恋人がいましてー」
執事の男性の妨害は予想していたが、
確かにあの時リコティッシュ・ステイフォールドを魅了し、そのまま恋人ごっこを続けているトゥーナであるが、まさかそれがこんなところで足を引っ張ろうとは。
魅了と魅了である以上、痴情の縺れに発展する可能性までは見えていたけれど、この二人はすぐにでも追い返す予定だったトゥーナからしてみれば、その
ただ、ここでまた予想外が起きる。
「あら、そうなの? でも大丈夫。同性ですもの、一時の夢だと思えば罪悪感も生まれないでしょう。私はあなたの綺麗な顔と美味しそうなカラダに惚れただけ。あなたは何もしなくていいの。だから、ね?」
「お嬢様……。はぁ、まぁ、こうなったお嬢様は止められません。……そちらのお嬢さん。お嬢様はこう見えて愛には深い理解を示す方ですから、彼女が本当に嫌がることまではしないはずです。ですから……どうか目を瞑っていただけないでしょうか」
「え、えーとー……」
イルーナは店内を見る。
その視線の先にいるのは、今にも連れ去られんとしているトゥーナを凝視するリコティッシュ。
「もしかして、彼が?」
「そ、そのー」
「ふむ。……お嬢様。そちらの少女と食事をするだけ……では、満足できませんか?」
「お食事だけ? ……ううん、まぁ、疼きは抑えられそうにないけれど、今日はそれだけでも構わないわ」
「ということでどうでしょうか。お嬢様と彼女は少し早めの昼食を摂るだけ。その間に発生するはずだった彼女のお給料などは、なんであれば私が立て替えましょう」
「……別に構いませんよ、イルーナさん。トゥーナさんも。新しく出来たお友達との食事、ですよね?」
困っているイルーナを放っておけなかったのだろう、こちらにまで来たリコティッシュがそう言う。
「あら、寛容なのね、彼氏さん。……でも良いのかしら? これを機に彼女がコッチに目覚めて、あなたのことを捨ててしまうかもしれないわよ?」
「トゥーナさんを信じてます」
「へぇ……生真面目そうで、恋愛なんてしたことがない、って顔つきの割に、オトコじゃない」
「か、顔は関係ないでしょう!?」
よくわからないが。
何かいい方向に向かっている。トゥーナはそう感じた。
「リコティッシュさん、大丈夫です。私はリコティッシュさんを愛していますから」
「とぅ、トゥーナさん! だから、公衆の面前でそういう恥ずかしいことを堂々と言うのはやめてくださいと!」
「ふふ、妬けちゃう。……ハイデン、私が戻ってくるまでの間、余計なことはしないように」
「私はお嬢様ではないので、そんなことはしません。それよりも、お嬢様こそ彼女を無理に連れまわしたりして不快にさせないように」
「あなたに女性についてを説かれる覚えはないわ。……それじゃ、行きましょう? トゥーナさん……でいいのよね?」
内心でリコティッシュを褒め称えるトゥーナ。どこへ出かけても常にカチコチで、気の利いた言葉など欠片も言えない、自己評価が低く、いつも
では、と。
トゥーナは「お嬢様」を料亭へと連れていく。お食事をするのだから、と。
その道すがら──ぴたり、と。「お嬢様」は歩を止めた。
「どうかされましたか?」
「
「っ!?」
魔法。それも基本魔法ではない。
固有魔法と呼ばれる、一般に習うことのできない独自に編まれた魔法。
それが展開された。
まさかトゥーナが無理矢理に魅了したことがバレていたのか。そう考え、身構えるトゥーナ。
「──これで大丈夫。この結界の中が覗かれることはないの。だから──宿に行かなくても、し放題ってこと」
「……えっと……お客様? 私とリコティッシュさんの恋を重んじてくれたのでは」
「あの場ではああ言ったけれど、あなたの隣にいるだけで、恋情……いえ、劣情が湧き上がってきて仕方がないのよ。だから許して? 大丈夫、優しくするから」
想像以上の「欲情」に、トゥーナは溜息を吐く。
そして。
「わかりました。……リコティッシュさんには言わないでください。それが条件です」
「何よ、話の分かる子じゃない!」
この肉体は作り物。トゥナハーデンは豊穣の神。「身体を重ねる」という行為に対して、相手が男女どちらであっても嫌悪感はない。好感も無いが。
だから、テンション高めに飛びついてくる「お嬢様」を受け入れようとして──
「……」
「……なぁに、やっぱりあの店主の関係者なの? 今のを躱すなんて……。あのアサシンだけじゃなかったなんてね」
「野外でし始めようとする大胆さに驚いて失念していましたが、そういえば名前を聞いていませんでしたね」
「ふふ……ああ、本当に可愛らしい顔。お人形さんみたい。けれど、不思議ね。私の心を無理矢理奪ったクセに、私の愛を受け止めないなんて」
愛。
そう呼びながらトゥーナに見せつけて来るは、長く鋭い針のようなもの。
「名前。名前ね。そうね、これから私のものになるのだし、主人の名は覚えておかないといけないでしょう」
オーラが無い。
欲望を見る権能。トゥーナのそれは、先ほど、執事の男性から出ているものばかりを捉えていた。
けれど、この「お嬢様」はどうだ。それに、「想像以上の欲情」など……トゥーナが見逃すはずがないのに。
「魔色の燕、第八席。『転鋲』」
あまりにも興味の無い口上。
それを高らかに謳い述べて、「お嬢様」は。
「サラフェニア・シールベルベット。それが私の名前」
「はぁ。……ええと、これはどう反応するのが正解ですか?」
人間の個体名。人間の通り名。人間の役職。
興味があれば覚えはする。けれど、基本的にはどうでもいいものだ。「オーリ・ディーン」の「許容できないもの」を知っているわけでもないトゥーナからしてみれば、魔色の燕というものにも然程の興味が無い。
「反応なんてしなくていいの。あなたは私に蕩けて、それで終わり」
「アズイドの毒程度で私を溶かすつもりですか?」
「……あら。凄いわ。さっきの不意打ちを躱されたのも、食らってもいない仕込み毒を看破されたのも、初めて。ますます好きになってしまいそう」
「それは構いませんが……そうですね。サラさん。あなたは何か、重要な役目を担っていますか? ああ、ええと、魔色の燕の話ではなくて、社会の一部として」
「どういう意味かしら」
トゥーナは母と違い、世界の記録を読むにもそれなりの手順を要する。
時間を止めるにも代償を必要とするし、対象の改変にもそれは同じ。さらにこの改変は母の使う改変とは違う、ただ書き換えるだけの改変だ。当然齟齬は沢山出る。
だから、最も穏便な方法をトゥーナは選ぶ。
「ですから、仮にあなたが機能しなくなったとして、困る人はいますか? という問いです」
「……まるで、機能させなくすることは容易であるとでも言いたげな」
「そう言っていますよ」
さら、と。
トゥーナはサラフェニアの首筋を撫でる。
「!」
「いつの間に……という問いに対して、私はこう返します。
サラフェニアを躱した姿勢にあるトゥーナも。
サラフェニアの首筋を撫でたトゥーナも。
否、気配はどんどん増える。結界の中に、トゥーナが「生えていく」。
「そういえば、まだ私からは名乗っていませんでしたね。失礼しました」
埋め尽くされて行く。
「私の名は、豊穣の神、トゥナハーデン。美しき実りの楽園にて、あなたを蕩かしてあげましょう」
「──
「あなたに混じった魔族の血。私が見逃していたとでも? ……しかし、あなたも不運ですね。母であれば見逃してくれたでしょう。彼女は人間に興味がありませんから。でも」
どろり、と。
ぽたぽたと。
サラフェニア・シールベルベットの身体が……蕩けはじめる。
普通に生きていたら直面することはまずない「身体が溶ける」という事態に、彼女はようやく悟るのだろう。
「邪神……」
「私は母を知らぬ人間など、滅んでしまっても良いと考えていますので。さぁ、原始の実りに包まれて眠りなさい。その身を肥やしに芽生えた新芽に、あなたの名を授けましょう」
「ぁ──」
自覚する。
「ど、けぇ゛──る゛、ぅ゛──!?」
溶ける。熔ける。融ける。
蕩けてとける。溺れる。
サラフェニア・シールベルベットはどぷん、ととけて。
「……ううん」
「おはようございます、サラフェニア・シールベルベット。再生した感想はどうですか?」
「……とても気分が良いわ。あらゆることから解放されたみたいに」
「それは良かった。ではまず、服を着ましょうか。あなたの結界は私が維持し直していますが、そこまで長く保たせるつもりはありません。往来で肌を晒すのは嫌でしょう?」
「ええ……着る。ふ……んんっ……はぁ、なんだか、永い眠りから覚めたみたい」
生えた。生えて、実って、生まれ出でた。
一糸纏わぬサラフェニア。とけた彼女を吸って生長した果実。
「服を着たら、結界を解除して、皆さんのところへ帰る……と時間的に怪しまれそうですし、ちゃんと食事をしてから帰りましょうか。そのあと、あなたの連れ……ハイデンでしたか。彼を連れ帰ってくれますよね?」
「ええ、もちろん」
結界がほどかれる。
周囲、誰一人として結界が張られていたことには気付いていないし、今解除されたことにも同じ。
誰も知らない。
ここで一人の人間が死に、魔物に変わったことなど、誰も気づかない。
容赦などない。改変などしない。記憶の処理なんかでは済ませない。
いつか流離の神フォルーンが言った、「彼女には人間ロールプレイをしていてもらわなければならない」という言葉。
あまりにも具体的且つわかりやすいサンプルケースが、ここにいたと。ただそれだけである。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ええ、ただいま。……ふふ」
「お嬢様? 上機嫌ですが……まさか、お食事ではなく」
「無粋ね、ハイデン。でも、いいの。あなたの言う通り、私今とても機嫌が良いから。さ、帰りましょう」
「帰る……? いえ、まだ目的が」
「いいのよ、そんなこと。ああ、トゥーナさん。また会いましょう。今度はしっかり予定を決めて」
「はい、私で良ければ」
オーリ装飾品店に帰ってすぐ。
殺意の強まっていた青年の腕を引き、サラフェニアが店を出る。振り返り、トゥーナに微笑み。
そのまま、彼女は青年を強く引っ張って、去って行った。
「トゥーナさん……」
「リコティッシュさん。どうしたんですか、そんな浮かない顔をして。信じていてくれたんじゃないんですか?」
「い、いえ、疑ってはいませんが……なんだか仲が良さそうでしたので」
トゥーナの目に映るは嫉妬。
だから、ふふ、と笑って。
「お友達になっただけですよ。この都市に来てから、私、お友達作りをして来なかったので……ちょっと嬉しくて」
「私はもうお友達のつもりですよートゥーナちゃんー」
「嬉しいです、イルーナさん」
人間のふりをして。
「お帰りなさい、トゥーナ。──私は同じことのように思えますが、何か意味がありましたか?」
「全然違います。でも、オーリさんにわかってもらえるとは思っていませんから、大丈夫です」
「そうですか。なんにせよ、お疲れさまでした」
最後は神として、言葉を括る。
彼女のこの「小さな抵抗」は、果たして吉と出るか、凶と出るか──。