神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
彼の第一声は「成程」だった。
「……アンタらがしてぇことは理解した。利害も一致している。戦争云々に関しちゃまぁ……俺達は知らん。戦うのは兵士であって俺達スラムの民じゃねえしな」
「じゃあ……」
「が、その女がアンタの仲間ってだけで信用ならねえ。……が、信用ならねえとか信じるに値しねえとかじゃないのはわかってる。どうせ付き纏われるのは目に見えてるしな。だから条件をつけたい」
「条件? ……ワタシはこれでも王族だ。それを使うことも」
「あぁまぁアンタみてぇなガキを売っぱらえばそれなりの金にはなるだろうが、そんな即物的なものじゃ」
「誰がガキだ! ワタシはもう四十だ!!」
「……まぁガキの妄言はおいておいて、アンタの知能、頭脳、そんでもって行動力は認めている。だから条件はただ一つ。今後俺が何かしようとした時、無条件に力を貸せ。提示した条件を満たせなくてもいい」
「ワタシがオーリに気に入られているから、ワタシがどれほど無能で、あるいは命の危機に瀕するようなことがあったとしても、オーリが助けに来る。だからワタシにその条件を押し付ける……で、あっているか、貴様の目論見は」
「……」
諦めればいいのに。
サジュエル・エヌ・エルグランド。あなたもそれなりの切れ者だとは思うし、覚悟のある人間だけど、ルクミィの方が上だよ。
だって彼女、戦う力も持ってないんだから。
「飲めねえか」
「飲んでも良いが、ワタシはオーリに助けを求めることはしないし、オーリも恐らくワタシを助けない。今ワタシがこうしてオーリの協力を得られているのはワタシが相応の代価を支払ったからだ。そしてそれは、二度と……とは言わないが、そう簡単に支払えるものじゃない。具体的な数字を出すならあと四十年また溜め直さないといけないものだ」
「欲しいモンなんざなんだって手に入りそうなコイツに何を支払うっていうんだよ」
「運命」
「……ああクソ」
盗賊サジュエルは──天を仰ぐ。
「……クリオスタン。知っているか?」
「二十二年前に滅びた国だな。ヤーダギリ共和国との戦争後、国が保てなくなって離散、その難民はほとんどがヤーダギリ共和国に吸収されたと聞いている」
「エルグランドっつーのはまぁ、国王に仕える近衛兵の有名な家系でな。代々王を支える役目があった。俺はそこの次男坊。長男は戦争で死んだんでな、俺はとんずらさせてもらった」
「別に、それを咎めるような精神は持ち合わせていないぞ。酷さで言えばワタシも変わらん。王族の役目を放棄して研究に没頭し、最終的に家族を救うことも諦めた女だ」
「ああ聞く気はねぇよそっちの事情なんざ。俺が話したいのは──亡き王の遺言を思い出した、ってことでな。アンタ、もう一度本名を言ってくれよ」
「ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニア」
「
珍しい名付け方をしているな。
その名付け方は、私の使う呪文とほぼ同一。つまり、ある程度世界についてを理解している者にしかできないものだ。
でも二十二年前だと……私はまだ子供の肉体だったからなぁ。そういう珍しい誰かがいても気付けなかっただろう。
やろうと思えばできるけど、別に四六時中世界の全てを監視してるってわけじゃない。つまりやってない。
……勿体なかったかな。苦界から取り出す……程ではないか。
「俺は宿業というものを信じている。俺がしてきたすべてはいつか必ず俺に返ってくると考えている。神なんつーもんは信じちゃいないが、その理念だけは信仰している。……ガンツィニ王は、逃げることを宣言した俺を止めなかった。どころか……他の誰でもない、俺に、希望を託すと言った」
「……偉大な王だったんだな」
「知らん。ヤーダギリ共和国との戦争の回避。それができたのやもしれん。そういう意味じゃ、外交下手で、国を破壊した王でしかないんだろう。……さっき言った通り、俺はやってきたことは全てが返ってくると考えている。悪事も善行も。だから、希望を託されたというのなら、俺はそれをどこかで返さなきゃいけない。が、ガンツィニ王はもうこの世にいない」
ラスカットルクミィアーノレティカ。
託された希望の灯は消えない。
「アンタが、返却先か」
「重い!」
「……あん?」
「滅びた国の王の遺言を初対面の相手から託されるワタシの気持ちにもなってみろ。重すぎる」
「いやまぁそうだけどよ。……だから俺は、条件無しに話を飲んでやる、って流れをだな」
「うるさいぞ。飲んでもいいと言ったはずだ。貴様、さてはワタシを持て余すと予想しているな? ふん、もう逃げられないぞ。ワタシは貴様という存在を知ったし、なんとしてでも協力してもらうつもりでいる。この先、貴様がやろうとしていることで、ワタシに協力を仰ぐ場合、ワタシは無条件にそれを飲む。オーリが付いてくるかどうかは知らないが。そしてこの条件を飲むことを約束したのだから、それで契約成立だ。貴様の過去とかワタシの境遇とか、況してやどこの誰とも知らん奴の遺言とか、知らん!」
──今良い感じの物語なんだから、外野には黙っていてもらおう。
詠唱はしない。この二人が気付かないのなら、そんなものは無くて良い。
ヤーダギリ共和国の憲兵。だけどそんなものがこんな辺境の地に来るわけがない。
これは、偽・魔色の燕の息がかかった者達だろう。
"改変"はしない。ただ。
──去れ。
「良いな、契約成立だ。ワタシはオーティアルパを説得し、その足で国へと帰る。戦争を止めるためだ。貴様はイーゥクレイムをどうにかしろ。正確な航行ルートは全て割り出してある。これを貴様にくれてやる」
「……ああ、わかったよ。契約成立だ。……だが、もう一つ聞いておかなきゃいけねえことがある」
「なんだ。しつこいな貴様」
「エントペーンはどうする気だ。そっちの国には欠片も興味がないとはいえ、"どうせ自分はエントペーンの前で死ぬんだからこの契約にリスクは無い"なんて思われてたら堪ったモンじゃねえからな」
「無策だ!!」
「──……」
驚いただろう。
今私も驚いている。スーニャの時もだったけど、まさか本気で対話で説得する気なのだろうか。
成功するまで時間を戻すのは吝かではない……んだけど、成功率が0%だと理解しているからそこはちょっと。
エントペーンは人間が嫌いだ。対話とか絶対無理。
「女」
「なに?」
「代価を言え。蒼龍エントペーンの航行ルートをどうにかするための。お前ならできるんだろう。が、お前は動く気は無いと見た。だから、お前が動くに足る理由を寄越せ」
「む、なんだ貴様。ワタシにはできないと思っているのか?」
「当然だ。エントペーンは腹も空いていないだろう状態で一つの都市を壊滅させ、人間を食い散らかすような邪龍。アンタの気概は確かに何かがある。だが、それで覆せるモンじゃねえ」
よくわかっている。
そうだ。エントペーンは、なんなら魔王より人間を殺している。それを相手に無策で対話など。
「じゃあ、これを受け取って」
手に顕すは──感情結晶・貧。
「……こりゃ」
「『混貧結晶』。丁度適合者に振られて彷徨ってたところだし、あなたは性質としてもちょうどいいし」
「感情結晶、だろう、それ。……持ってるだけで無尽蔵の力が手に入るっつー」
「そう」
「俺に力を与えることが、理由? ……意味が分からん」
「感情結晶は、持ち主の人生を狂わせる。その最期は必ず邪悪に染まる。『混貧結晶』が司るのは、野心。あなたのその野心は、抑えが利かない程にまで膨れ上がって、尚も止まらない。その運命を受け入れられるのなら、私がエントペーンをどうにかしてあげる。──ルクミィのために人生を捧げられるのなら」
奪われる。
感情結晶が。
「──これでいいんだな」
「良いけど、意外。サジュエル・エヌ・エルグランド。あなたは他人のために命を張れる人物であるようには思っていなかった」
「
「神は信じてないんじゃなかったの?」
「ああ、だから叩きのめしてやるんだよ。信じてる奴らの前で、お前らが信仰してきたくだらねぇもんは、魔族なんかと同じただの異種族で、神なんつーけったいなモンじゃねえってな」
「別に神々は人間から略取をしているわけではないだろう。信仰の何が悪いんだ?」
「悪いとは言ってねえ。ただ手ぇ合わせて膝折って、お前らのしてきた努力を全部神とやらのおかげにしようとするその精神性が気に食わねえだけだ。お前が思ってるより、お前はお前の足で立ってる。それを知らせたい。知らしめたい」
人身売買の盗賊がよく吠えるものだ。
けど、いいだろう。
私は私に干渉しない。だから、言った言葉は取り消さない。
「行こう、ルクミィ。オーティアルパのもとへ」
「……わかった」
「神にも届く力、ご馳走さん」
「貴様、気をつけろよ。相手は天龍だぞ。あ、あと殺しちゃダメだからな!」
「アンタにゃ言われたかねーよ」
風が吹く。
感情結晶の使い方は所有者の脳に植わる。それに驚きもしないのは流石か。
「ははっ、すげえな。……ラスカットルクミィアーノレティカ」
「ルクミィでいいぞ」
「いいや、ラスカットルクミィアーノレティカと呼ぶ。いいな、俺は返した。──絶やすなよ」
そしてそのまま、暴風と共に去って行った。
サジュエル・エヌ・エルグランド。……さて、彼はイーゥクレイムをどう説得するのかな。
「オーリ?」
「あ、うん。いこっか」
ルクミィも、オーティアルパをどう──。
「貴様が灰龍オーティアルパだな! すまないがワタシの話を聞いてほしい! 航行ルートを変えて欲しくてだな!」
「……」
いや。
うん。
オーティアルパ、私も今同じ気持ちだと思う。
「聞こえるか、オーティアルパ! おーい!」
「……聞こえているよ、小さな子」
「おお! では頼みがある! このまま貴様が通常通りの航行ルートで移動をすると、人々が多く死ぬ! だからどうか」
「まず──それ以上近づかないでくれ。それ以上近づかれると、僕は君を殺してしまうから」
「どうい」
バチッと。
ルクミィの前で、小石が弾け飛ぶ。雷じゃない。
「……今のは」
「灰龍オーティアルパ。彼の鱗粉は、それに触れたあらゆるものを原子……といってもわからないか。まぁ極小の域にまで分解する力がある。彼が今ああして地面の上にいられるのは、その腹の下だけが鱗粉の届かない場所だから。といってもここに居付くまでに山を半分以上削ったはずだけど」
なお、これはオーティアルパの意思とは無関係に起こる現象だ。
ゆえにオーティアルパは地中を移動する。できるだけ鱗粉を飛ばさないように。
「……小さな子。君の後ろにいるのは……何かな」
「なに、とはなんだ? オーリのことか?」
「オーリ? ……ふぅ」
──"ヅィン。これは、強制されたこと、と見ていいのかな"
──"ううん。この人間の話を聞いて、どうでもいいと思ったら無視してもいいよ。判断は任せる。私はただの付き添い"
──"世界の主が付き添いとは、望外な加護もあったものだね。彼女が死ぬか、僕が頼みを断れば、どうせ時が戻るのだろう?"
──"その辺含めて委ねる。私の機嫌を窺うのも無視するのも、あなたの勝手"
「小さな子。僕たちが世界を移動する理由は、わかっているのかな」
「ああ。運命の捏和……世界にある運命というプールをかき混ぜて偏りを無くすこと。そうだと推測している」
「不十分だ。その理解では僕は頷かないよ。でも、まだ換期まで時間がある。だから──」
考えてみよう。
オーティアルパは、優しい声で言う。
別に彼は人間が好きというわけではない。無益な殺生が嫌いなだけだ。
それでも、彼に好きなものが存在するとすれば。
それは、考える者だろう。
考えに考えて、考え抜く者こそを彼は愛する。
「ふむ。質問は許されるのか?」
「勿論。君が考えた言葉ならね」
「ではまず。ワタシが考えている運命の捏和は、答えの一部に含まれているか?」
「是と答えよう。それも目的の一部だ」
「天龍は九体いる。その数に意味はあるか?」
「是と答えよう。僕たちが九体存在することには、ちゃんとした意味がある」
「充分だ」
「……驚いたな。たったそれだけで答えが出たのかい?」
期待の色。
オーティアルパの声には、それが乗っている。
「まず、これは大前提だ。オーリの言葉が正しいのであれば、この世界は閉じている。海の外には何もなく、天龍の囲うところだけが世界だ」
「……そうだね。世界は……それだけだ」
「であれば、その秩序を保つために必要なものが出てくる。それはバランス。調和と言ってもいい。神々が世界の運営に携わっていない以上、この調和を取るのは天龍であると考えられる。天龍は九体。九とは数学的にも哲学的にも神学的にも特別な数字だ。三が三つ。相互関係や多様性の分布、そして換期法則においても使われる相反。天龍が九体であるのは、九体であることに完全性を見出しているからだと思う」
ルクミィの凄い所がこれだ。
推測。証拠の無い憶測。
それが──正しく在る。そして、その推測を、「間違っているかもしれない」と疑わない。
溢れんばかりの自信。
あるいは、彼女に貰い手が見つからなかったのは、ここも関係しているのかもしれない。魔術や研究に没頭することだけでなく──。
彼女は、自分の妻なんてものに納まっていていい人物ではない、と。
「であれば後は簡単だ。運命の捏和に必要な天龍が九体、完全性の象徴でなければならない理由は、捏和以外のことをする必要があるから。そしてそれは、"均等にするため"ではなく"偏りをつくるため"というもの。ワタシは勘違いしていた。運命のプールはあらゆる人間に等しくチャンスを与えるためのものなどではなく、相反する天龍同士の間にいる人間に運命を与えるためのシステム。つまるところ──英雄や悪人、善人、魔族、魔物、いいや、あらゆる"頭角を現すモノ全て"。それらを作り出すために、換期法則は存在する。言い換えれば……」
ルクミィはここで一度言葉を切り。
そして続ける。
「英雄譚、冒険譚……"物語"を作るためにあるんだ」
──"ヅィン。君の入れ知恵、ではないんだよね?"
──"私がそんな勿体ないことすると思う?"
──"いいや。愚問だった"
「名前を教えてくれるかな、小さな子」
「ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニアだ」
「僕は灰龍オーティアルパ。天龍の中で最も小さな個体で、最も死を振り撒かざるを得ない個体だ。だから、君に問いをしよう」
問い。
問いかけ。
「僕はどう在れば、この世にいてもいいと思えるのかな」
「いちゃ悪いと思っているのか? 貴様、それは勘違いだぞ。たとえ今貴様が死を振り撒き、移動するだけで甚大な被害を及ぼす存在であったとしても、関係ないだろう。これは結局ワタシ達と貴様の生存競争だ。ワタシは貴様の移動がこのままだと困るからそれを変えてくれと要請しに来ているし、仮に貴様の移動先に人々の集落があるのなら、また貴様にお願いをする。その時点で気付け。ワタシは貴様に消えてもらいたいとは思っていない。そして貴様も、他生物のために身を引く必要などない」
「……とても人間の言葉だとは思えない。それは、縄張り争いをする動物の理論だ」
「だから、そう言っている。肉食動物が草食動物の群れの中に入っていったとして、それは別に
「けれど、確かに、いなくなってほしい。消えて欲しい。そういう願いは僕のもとに届いているよ」
「当然だ。ワタシを含め、人間は大多数が弱者だ。さっきも言ったが、棲み処を追われたら恨む。普通のことだ。貴様はそれを一身に受けなければならないが、貴様も自身を主張する権利がある。生存競争だ。貴様が持って生まれたその力を忌み嫌い、同時に忌み嫌われるのであれば、それに憤慨して嫌ってくる人間を殺し尽くしたって良い。それは貴様が生きるためにある当然の権利だ。誰だって恨まれたくないし嫌われたくない。恨まれたり嫌われたりしたら、嫌な気持ちになるからな!」
ああ。
そうか、少しわかった。
ルクミィは、等身大なんだ。
相手がどんな存在であっても、必ず目線の高さを合わせる。自身がどれだけ小さかろうと、相手がどれだけ強大であろうと──強制的に、自身の物差しで事象を測る。
「嫌われたくないなら嫌われないための行動をする。恨まれたくないなら恨まれないよう身の振り方を考える。……多分、その結果が地中を移動する、ということなのだろうが、それもかなり迷惑になっている。だから貴様のもとにはそういう願いが届くのだろう」
「……そうだね」
「だから、ワタシも問うぞ、灰龍オーティアルパ!」
「いいよ。こちらの問いには答えてくれたんだ。僕も答えを返さないと」
「
……。
それは。
「貴様、嫌なんだろう。食べること以外で殺しをするのが。だが、貴様は動くだけで他者を害してしまう。ならもうやめてしまえばいい。貴様、なんのために換期法則に従っている? 天龍として生まれた義務感か? それとも、換期を行わなければもっと何か酷いことが起こるからか?」
「……どちらもだよ。僕は」
「他者を慮って自身が傷つくのを良しとするな、馬鹿者め! そんなだから自分で自分の存在否定なんか考えるんだ。ワタシを見習え! ──やりたいことだけやって生きているのに、今、命を救おうとしているぞ! やりたくないことをやって生きているだけで他者を害する貴様と正反対だ!」
「……うん。良い言葉だ」
オーティアルパは、とても嬉しそうに。
「この会話だけでも充分だった。君のお願い通り、航行ルートを変えてあげるよ」
「は? 何を言っている貴様。確かに第一目標はそれだが、話はまだ終わっていない! 貴様の境遇をなんとかしたい! 知恵を貸せオーティアルパ!」
無茶苦茶だ。
けど、多分……オーティアルパは、こういう手合いに弱い。
そして彼は、とても大胆だ。
「──ヅィン」
「……音に出すとは思っていなかったよ。ううん、思ってた。だから──その覚悟を認めて、聞き届けてあげてもいい」
「彼女の記憶から、僕の境遇を消せるかな。ラスカットルクミィアーノレティカは僕の問いなど聞かず、僕は彼女が考えたことを認めて航行ルートを変えた、という風に」
「は? 待て、何を……そもそもヅィンとは誰だ、オーリのことか? だとして、記憶を消す? 魔法……洗脳か?」
「理由を教えて欲しいな、オーティアルパ」
「無理だからだよ。なんせ、僕がこういう体質であることは、君が設定したのだから。──世界を創りし者。世界の主。遍く総ての管理者」
「そこまで愚かだったかな、オーティアルパ。それを言ってしまえば、私は世界を戻してしまうかもしれないのに」
「しないよ。なんせ君は、今、ラスカットルクミィアーノレティカに期待をしている。……ここまでの全てを知ってしまった彼女をそのままに君を隠し通すには、記憶を処理するしかない。そうだろう?」
そんなことはない。
作り直してやり直して、同じ場面にまで持ってくることなど造作もない。
そうなるまで何度もやればいいだけの話だから。
でも。
「ま、待て! 何の話をしている! オーリ、貴様はいったい……」
「人間からの悪意をそんなにも嫌がっておいて、善意からは逃げるんだ?」
「彼女が言った通りだよ。恨まれたり、嫌われたりしたら、嫌な気持ちになる。──だから、身を案じられたり、どうにかしようとしてくれたのなら、良い気持ちになる。僕は生まれて初めていい気分になっている。なら──小さな子の言葉を真に受けてみるくらいの変化は受け入れる」
ばさりと、オーティアルパが翼を広げる。
当然のように鱗粉が舞い、周囲にあるあらゆるものが弾け飛んでいく。
ルクミィを少し引き寄せて。
「君が作り上げたこの世界。君が生み出した僕達。運命の捏和混練、遷移法則。──壊してみるのも、一興かもしれない」
「たくさんの人が死ぬと思うけど」
「それを益と考える程度には、価値のある反抗だと考え直したよ」
小さな子。その通りだ。
ルクミィは確かに特異だけど、すべての歴史を振り返れば、あるいは同じ言葉を吐ける者もいたのだろう。
だけど、今、この場で、オーティアルパに言葉を吐いたのは、彼女が初めてで……彼女にしかできなかったこと。
この時代に生まれ、この場に存在した彼女にしか。
「ラスカットルクミィアーノレティカ。君は忘れてしまうだろうけれど、自信を持っていいよ。──君は天龍に匹敵する魂の持ち主だった。今、ここに、僕が刻む」
「待て、どこへ──」
「鱗粉が落ちない空間へ。──君はまだ知らないだろう。落とされ星のある空間はね、物が落ちないんだ。だから僕の鱗粉も、飛び上がるまでは破壊を齎すけれど、着地の瞬間までは天に漂い続けるだけに終わる」
良いだろう。
「良いだろう。──人間。魔族。神。そして今、天龍も私の敵となったか。──励め、励め。全く足りないぞ、造物。世界を壊すのなら、世界に頼るな。オーティアルパ。かつての冥王よ。己が身一つでどうにかなるなどとは思わぬことだ」
「思わないよ、ヅィン。だって僕は、万化法則を離れるつもりでいるのだから。──より高次へ、進む。その先にいる皆に会いに行く」
破壊の嵐は激しくなって──そして、遠く、高く。
オーティアルパが天へと一直線に飛んでいく。
「待──」
「おやすみ、ルクミィ。あまりあなたに"改変"は使いたくなかったんだけど──まだまだ楽しいことはたくさんあるみたいだから」
本当に。
帰路。
「……」
「ルクミィ?」
「ん。……すまん、ぼーっとしていた。次は……エントペーンだったか」
「そうだね」
「大丈夫なのか? サジュエルとの契約ではあるが、貴様も危なくはあるのだろう?」
「エントペーンを殺して欲しいというのなら、そうすることもできるよ」
「いや天龍を殺すのはダメだろう。……心配するだけ無駄、ということか」
「うん」
空。
灰色のほうき星が飛んでいる。
まぁ、初の試みだ。詰めが甘いのは仕方がない。
大気圏付近の鱗粉が重力に引かれておちてきてしまっているけれど、そこはサービスで、消して上げよう。
「オーリ」
「なに?」
「よくわからないが……寂しい」
「ホームシックかな、よちよち」
「子ども扱いするな。……理由が無いのに、感情だけが去来している。不思議な体験だ」
記憶処理は完璧にしてある。
だけど、感情はそのままにした。
私はルクミィの心を操りたくない。
「あ、そろそろ着くよ、エントペーンのところ」
「ああ。……まずは言葉を届けに」
──"エントペーン。航行ルート変更ね。それと、オーティアルパが何か楽しいことを始めたみたいだよ"
──"唐突にも程があるぞヅィン。……まぁいいだろう。お前の言葉に逆らう理由が無い。……オーティアルパに近づく気はない。あの冥王とは相性が悪い"
突如、森の中、木々の間からエントペーンが飛び立つ。
その巨体に驚いたことだろう。スーニャとオーティアルパは天龍の中ではかなり小さな個体だ。
逆にエントペーンは最大規模。あれこそが龍と、そう言って然るべき威圧。
「……え」
「退いてもらった。じゃ、帰ろうか」
「え、いやいや。……え?」
混乱しているところ悪いけれど──事態はもっと大変そうだよ。
「ほら、早く帰った方がいいよ、ルクミィ」
指を差す。
その方角。
──ティダニア王国王都ファーマリウス。その上空に、巨大な氷の巨人が現れていた。
「──は?」
色々と遅かったみたいだ。
オーティアルパとの問答がなければあるいは、だったかも?