神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
原題:「Tniopgnitrats」
"ついで"に蘇らされた剣客──トガタチ。
アンネ・ダルシアやフランキスなんかとは一切関係の無い彼は、だからそこに合流なんて以ての外で、今は諸国漫遊……という程遠くには行けていないものの、「人間」をしていた。
何分、彼は「蘇った者」であり、ゾンビやアンデッドではない。腹も減るし喉も渇く。勿論怪我をすることも病気に罹ることもある。アンネ・ダルシアの力の範囲内にいればあるいは怪我は治るのやもしれないが、彼の「生存」に彼女が必要不可欠であるとは思えなかった。
彼は別に無差別殺人を犯した者ではない。
彼は別に魔女に与した剣士でもない。
ただ、シホサの国の禁を破り──老害の面子に泥を塗りたくって出奔したが故に、それはもう蛇蝎の如く嫌われている、というだけのこと。
本質的に善人でもなければ悪人でもない彼は、今。
「戦争……嫌な言葉だ」
「本当に。……両国の兵士さんの命がどれほど消えてしまうのかと考えると……」
聖堂。
神殿の整備を主な仕事とし、また迷える民を適した神のもとへと導く役目を持つ組織。
ティダニア王国の都市においては騎士に次ぐ権力を持つとされるが、そこまで不穏な話の無い組織であり、何より「嫌われること」の少ない組織だ。面倒がられはするかもしれないが。
トガタチは自身の手で生存の道を掴む。
そのために必要なことは己の強さ磨きなどではなく、人脈作りだと彼は知っている。結局、誰かと共に居られる奴が一番強いのだと……学んだ。
今彼の隣で祈りを上げている者。
この国の聖堂、その中でもそれなりの地位にいる聖女で、光と水の魔力を自在に操る癒し手。名をテュッティといい、家名は無いらしい。
一応は用心棒として。ただゆくゆくは、聖堂の一員として。
トガタチはそこへ組み込まれる──予定だった。
「……」
「どうかされましたか? アスイバナさん」
「……奥に隠れていろ。血の臭いがする」
あの時アザガネに言われた事が響いている……わけではない。
トガタチの当然の理念として、守りたい者など作らない。テュッティはただ現状の上司であり、トガタチの身分を保証する者であるから、という理由で気にかけているに過ぎない。
そして、血の臭い……彼女に危険が及ばんと言うのなら。
「出てくる」
彼は、用心棒を脱いで──剣客の顔を露にする。
この国は人口が少ない。国土も狭い。
ただ、四方を険しい山々が囲んでいることと、そこに出る魔物が強いという理由で他国からの攻撃を受けずに済んでいる。
あるいはこの国を侵略しても旨味がない、という所にも起因するやもしれないが。
さて、そんな閑散としたこの国では、あまり事件らしい事件が起きない。
噂は一瞬で広まり、「酒を飲んで暴れた」というだけでも尾ひれの付いた悪評として国中に広がってしまう。小さいとはいえ聖堂のお膝元であることも相俟って、その内面がどうであれば善良に振舞おうとするものが多い。
その国で、その聖堂の近辺で、血臭。
──抜き放つは中空長刀。技名など叫ばないし、そもそもこれはトガタチが国を出てから編み出した生存剣。ゆえに斬撃は静かに、対象に何を気付かせることもなく忍び寄り。
「!」
ガギ、と。
金属同士の当たる音を響かせて、止まる。
「……どこのどなたかは存じません。血の臭いを零して近づいてしまったことも謝ります。ですが……どうか、その殺気を収めてはくださいませんか」
「何者かを名乗れ。僕はここで用心棒をしているアスイバナという者だ」
「アコ、と名乗っております。……他の身分は持ちません」
人の首を断つつもりで放った一撃だったから、なのだろう。
アコと名乗った者の首。その中間あたりで止まった刀は、そこから一切の血を吐き出させない。
血臭の元を探せば──それはアコの抱く布からだった。
「どの道……私は、もう、機能を停止いたします。……コアを砕かれているのですから、当然です。ただ……どうか、この子を」
「コア? あぁ、君は化生……魔物なのか」
「マリオネッタと、そう、呼ば……」
ガクンと膝から崩れ落ちるアコ。それでも抱いた布に衝撃を与えないようにして。
「……ラピス。その子の……名前」
「……」
「オネガイ……シ」
その目。いやその身体。
全てから命の気配が消え失せたことをトガタチは確認した。
マリオネッタやゴーレムは、コアを砕かれたら死ぬ。彼がアコの腹部を確認すれば、確かに刀剣の類で一突きに砕かれたコアがあった。
「……この状態であの山を越えてきたのか? ……大した生存能力だな」
「守るべき者が在れば、どのような存在でも、どこまでも強くなれるものですよ」
「っ……出て来るなと言っただろう、テュッティ」
ただ、仕方のないことでもあったのだろう。
雑木林に入ったとはいえ、ここは聖堂から離れた場所ではない。彼女がトガタチの言いつけを守っていたとしても、声が聞こえてしまっても仕方のない距離だ。
「……君が決めろ。僕は決定権を持たない」
「ですが、託されたのはあなたですよ、アスイバナさん」
「……であれば、僕が今ここでこの布に包まれた命を消すと言っても……君は止めないのか?」
「聖堂とは、遍く人々を導く組織です」
「それは強制しているようなものじゃないか」
響く。
守るべき者を作れば──拙僧が殺しに行く。
そう吠えた、未熟者の修羅の声。
「わかった。だが、僕に子を育てた経験はない。手を貸してくれるか、テュッティ」
「ええ、勿論です」
──戦争。その傍らで語られる──ある一部始終。
アコ。本当の名を、アコアイト。アクロアイト。
ある法則によって名付けられているマリオネッタたちの内の一人。
であれば、彼女が決死より守り抜いた命とは──。
ティダニア王国がサグン村。
農耕を中心とした産業の一端を担うこの村では、悲鳴が上がっていた。
嬉しい悲鳴……ではない。
ちゃんとした悲鳴だ。
「こりゃ……ダメだな。クソ、葉の段階じゃ充分に育ってるように見えたのに」
「こっちもだ! 参ったぞ、出荷に足りんやもしれん」
「どこの農地も不作不作不作。……マイトワイトの家以外、か」
「何か、毒でも蒔いたんじゃないか? 同じ土地でこれほど差が出るなんて」
「だが土壌を調べても特に毒物は見つからなかった。俺たちとあの家の唯一の違いは」
マイトワイトは、豊穣の神トゥナハーデンを心から信仰し、毎日のように強い祈りを捧げていること。
他の家も勿論トゥナハーデンを崇めてはいるが──祈りが形骸化してきていたことは否めない。
だって、農耕において苦労をしているのは自分たちで。
それは決して神の恩恵によるものなどではないのだから──と。
滅亡した国、クリオスタンからの難民だったとある騎士崩れが広めた思想。
初めは「神を信奉しない気味の悪いもの」を見る目で見られていた彼は、けれど度重なる厄災から村を救ったことで尊敬の眼差しを集め──老衰で亡くなり、昨年、盛大な葬儀が行われた。
神の恩恵を信じない。その考えは彼から広まったものだが、納得する者も多かったのだ。
苦労をしているのは自分たち。日々作物を研究し、土壌を調べ、育て方を試行錯誤し。
決して祈りをあげているだけで農業を成功させているわけではない、と。
神を、切り捨てた。
「妄言だ妄言。事実、ついこの間まで畑に異常はなかったじゃないか。それに、俺たちみたいな木っ端のことを神様なんて大層な存在が見ているはずないだろ」
「だ……だよな。よし、マイトワイトの動向に注意を払いつつ、この大地でも育つよう改良を」
「……でも、もし、本当だったら」
神はいる。
神という存在は目に見えぬ偶像ではない。
それは人々の生活に根差し、密着し、加護を与えている。
「別に……祈りたい奴は好きにすればいいだろ。それくらい、何の損にもならん」
「そ、そうだよな。すまん、思想を押し付けるつもりはなかったんだ。……じゃあな、今日からでもウチは祈りを再開してみるよ」
「勝手にしろ」
だけど、もしそれで。
何かが、変わったら。
──ああ、神はいる。神は居る。神は要る。
不作不作不作。不毛となりかけたサグン村の農耕地で、ぽつぽつと、一つ、また一つと……豊作な畑が現れ始める。
あまりにも顕著に。心を入れ替えてから、七日と経たぬうちに。
萎び、萎れた作物の真横の畑で、これでもかと肥えた作物が。
神はいる。神はいる。
豊穣の神トゥナハーデンは──しっかりと全員を見ている。
この現象はサグン村だけの話ではなかった。どこの村でも、どの産業においても。
豊穣。その恩寵は、祈る者と祈らない者で、あまりに大きな差が生まれる。
祈らなければ、食にはありつけない。
祈らなければ、職を手放すことになる。
祈らない者が村にいるのなら──それを排斥しなければ、自分たちまで。
当然だ。村からの輸出は村全体の評価に同じ。
肥えた作物の中に萎びた作物など混ぜられない。況してやそれが、頑なに祈りを排した家ともなれば。
そうして次第に「排斥」が起こる。
トゥナハーデンの信徒でない者を、追い出さんと。否──殺さんと。
少し前まで手を取り合い、苦労を分かち合ってきた仲間などどこにもいない。
考えを改め、心を入れ替えないのならば。
「ああ、どうか、どうか──トゥナハーデン様。お慈悲を、どうか」
存続。そのための神の裁きが。
大陸の中心部にあるエリュスという地区。
そこに、「総合医療殿」という施設が存在する。魔術師協会の医院版のようなもので、各国の医院から情報を集め、協議を行ったり統計を取ったり、あるいは開発をしたりなどを担う施設。
「……寿命と、出生率、か」
「ええ、ここまで顕著だと……恐ろしいものを感じますね」
医療殿の長、ケールフ。副長、ミリア。
二人は各地の医院から集められた情報を統計し、その結果に戦慄していた。
地方ごとの老衰者数と出生率が、とんでもなく偏り始めたのだ。
冒険者や騎士など、老衰以外の理由で亡くなる者を除き……平和に暮らし、平和に息を引き取った者達。老衰者数はそのまま平均寿命とも取れる。
今までに少子化や多子化は無かった。波が来たわけではない。
突然寿命が縮んで、突然子が生まれなくなって。
そして突然寿命が延びて、突然子がたくさん産まれて。
こういうのは年単位で統計を取るものだけど、此度あまりに顕著過ぎて月毎の結果が送られてきている。
誰もが気付いている。おかしい、と。
「ケールフ医療長……原因は、やはり」
「ああ、医療に携わる者として信じたくは無いが……そういうことだろう」
原因の模索中に気付いた、一つの事実。
各地の聖堂の数。騎士団の数。
故に差が出る──信徒の数。
ケールフが今言ったように、少なくとも医療殿に名を連ねる医療従事者は神を信じていない者が多い。
医術とは化学と技術だ。神の入り込む余地など存在しない。そう知っているが故に、少なくとも医療の領域においては神ではなく自分たちを信じる。
その理念のある医院。それが設置された都市。
統計は答えを出していた。
「……私も、そう長くは保たない。だから、ミリア君。周知を頼むぞ」
「はい。……お任せください」
部屋からミリアが出て行って。
ケールフは、ぐったりと椅子に凭れ掛かった。
「……転移病。自身が罹患した時は……またとないサンプルケースを見つけたと思ったものだが」
転移病。
それは全身の細胞が異常増殖する病気であり、早期の切除をしない限りそれが治ることはない。
異常細胞は増殖をし続け、周辺の組織に侵入、破壊、侵蝕を繰り返して破損。さらにその部位ではない遠くの部位へと転移して同じことを始め、況してや罹患部位同士の新たな血管を生成するにまで至る奇病だ。
奇病。奇病ではあるが、罹患者数は少なくない。
医療殿にとって治すべき病気の一つであり、仮に完全に治し得る者が現れたのなら、その名は後世においてまでも語り継がれることだろう。
ケールフはそれだった。
それに罹り、自身で自身を治しながら……否、延命治療を行いながら、医療殿の長も続けていた。
でも限界だ。もう無理だ。ケールフ自身がそれを理解している。
全身の痛み。魔法薬ではどうにもならない苦痛。倦怠感に混じる死の前兆。
「……生死の神、ディモニアナタ。……今更祈りを捧げるのは……あまりにも遅いとは思うが」
ミリアのいなくなった今だからこそ言える言葉。
心の弱り切ったケールフの、絞り出された最後の言葉。
「どうか──お慈悲を」
翌日、ケールフは自身の執務机で眠っていたところを発見される。
身体が弱いというのにまた徹夜をしたのかとミリアに散々怒られた彼は、しかし、それらが一切耳に入っていない、と言った様子で全身を確かめていた。
「聞いているのですか、ケールフ医療長!」
「……す、すぐに私を精密検査にかけろ! これは……ああ、これは!」
「な、ど、どうされたので」
その日より、医療殿のマークに新たなものが追加された。
元は薬毒の神マイダグン、豊穣の神トゥナハーデン、祝福の神リルレル、奇跡の神ゴルドーナを現した四つの紋章だけだったそこに、生死の神ディモニアナタの象徴が。
予ては不吉ともされていたディモニアナタが加えられたのは、当然。
「──心よりの感謝を。これで私は、また、より多くの患者を助けられる。……あなたがくださった猶予を使い、必ず転移病を紐解いて見せる」
寿命を延ばすのは医療従事者の仕事。
その理念は変わっていないが──その尽くすべき「人事」に「祈り」が加わっただけの話。
寿命。病死。出産。
あらゆる物事において生死の神ディモニアナタの権能、その「範囲」が重要視され始めた瞬間だった。
ニギン・イアクリーズ・ヴァーハマットは頭を抱えていた。
予定を延長せざるを得なくなったこと──それは勿論だけど、彼女の思考の中にある「駒」たちの乱雑な動きに、だ。
ヒトも、カミも。
彼女は嫌いだ。唾棄している。でも、影響力が大きいから、使わざるを得ない。
指し手は四人。
ニギンと「彼女」と。
裏面の彼と、そして──魔色を名乗る彼。
シスタバハルア丘陵のアジトは無事に壊された。重傷を負って運ばれた「オーリ・ディーン」が医院に居ながら、だ。鍵を渡したのは彼女にだというのに。
あれ以降、「彼女」は動きを見せていない。しっかりと怪我療養のため大人しくしている。
問題は魔色の方だ。
全容は未だに掴めないが、王都ファーマリウスは魔色の燕に乗っ取られたとみて良いだろう。それだけでも大きな動きなのに、魔色の燕らしき人影が騎士団を襲っている、という報告が入ってきている。
騎士団だけではない。無差別に──けれど、強者を。一定以上の力を持つ者を、善悪関係なく殺して回る魔色。
裏面は良い。まだ時じゃない。だから干渉はできない。
だけど、魔色の方は……いつのその手をこちらに伸ばして来てもおかしくない。
「ニギン、今良いか?」
「……シルディア。どうしたんだ君。今日はレインと休日デート、じゃなかったのかな?」
「緊急で話したいことができた。一方的に報告したらすぐに戻る」
「それは会話とは呼ばないけれど、いいよ」
入ってくるシルディア。おかしなところはない。
ただ……いつものしかめっ面が、さらにさらに顰められていることくらいか。
「不機嫌そうだね。それで?」
「ある筋から手に入れた情報だ。目を通しておけ。では、失礼する」
「いや待て待て、一方的にも程があるよそれは!」
「? だから一方的に報告したらすぐ戻ると前置きしただろう」
「すぐに読むから、読み終わって、私が二、三質問をするまで待て。そんなこともできなくなったのか、この色ボケは……」
「ならば早く読め」
投げて渡された書筒。
丸められた羊皮紙をできるだけ速く読めば。
「これは」
「二、三の質問とやらを早くしろ。私は一刻も早く彼女のもとへ戻りたい」
「……黒キ雨。死滅の大地。
「違う。だが、似たようなものだ」
「似たようなものがいてもらっては困るんだけどね。……少し、不味いな」
「早くしろ。あと一つだ」
「君頭の質が落ち過ぎだよ。……まぁいい、最後の質問だ。レイン。君の恋人。彼女……最近少し行動力に欠ける、とは思わないかい?」
「どういう意味だ」
「言葉通り。少し前までとてもアクティブに動いていたのに、今は些か受動的だ。そう思わないか、一番近くにいる君に聞きたいだけさ」
「……あんなことがあったんだ。当然だろう」
「そうかい。じゃあ、もう行って良いよ」
「……相変わらず気味の悪い奴だな。ああ、失礼させてもらう」
シルディアが出ていく。
その足音を聞き届けた後、ニギンは『音吸いのシエルタ』を発動させて、さらに考えを深くしていく。
黒キ雨。最近の報告に上がっていたものだ。いくつかの村の上空に出来上がった雲が降らせた黒い水。それはあらゆるものを溶かし尽くし、土地を殺す。
雨が止んだ後も黒い水は残り、半月ほどをかけなければ消えはしない。そして黒い水が消えたあとの大地は絶対に復活しない。完全なる不毛の地と化す。
魔物の大移動は恐らく天龍の換期に因るものだろう。あれほど強大な存在が棲み処を変えればそうなることは想像に難くない。
ただ、さっき挙げなかったもの。
言葉にするのも憚られたソレは……ニギンの頭をさらに痛くするものだった。
「
ハストナイト帝国において起きたその事件。
真贋における少々の騒ぎの後、正当性を主張した贋作者組合が武器を取り、伝統ある鍛冶を行って来た鍛冶師を一人殺そうとした、と。
その時、現れたという。
人よりも小さな背丈の、真っ黒な双眸を持つナニカ。それは神殿に祭られる神──鍛冶の神ウアウアに、瓜二つで。
「そうして贋作者たちは大槌で叩かれ
ニギン・イアクリーズ・ヴァーハマット。
彼女は「根回し」と「読み」の天才だ。ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニアが「憶測」と「自信」の天才であるのなら、彼女はこの二つを才として持つ。
だから当然、突発的事象にはあまり明るくない。常に余裕ぶっているように見えるのは、そうなった場合の策をこれでもかと用意しているから。
けれどこの事態は完全な想定外だった。
組み直す必要がある。全てを。
騎士団の国家転覆も諦めてはいない。当然だ。あんな王家、存続していいはずもない。
だけど、今は考えることが多すぎる。
「
分かれ道に来た時、どちらに行くかを選ばなければ、立ち止まるしかなくなる。
二つを同時に追えば、どちらにも行けない。そういうことわざだ。
だが、と。
彼女は盤面を傾ける。
「……何か、神が人に近づかなければならない事象が起きた……とかかな、これは」
ここ数百年の歴史を見るに、神は人々の生活に密着こそしていたものの、手を出してくるということはなかった。
けれどそれがこうも変わったのには。
「時間が無い、か。……ははは、良いね、追いつめられると……滾るよ」
自身と「彼女」と魔色と裏面。
果たして指し手は、増えるのか──減るのか。
彼女の中の戦争など、とっくのとうに始まっていた。
「行動力に欠ける? ……私が?」
「ああ。ニギンに言われた。心当たりはあるか?」
「ううん。むしろ……大胆に行動している方だと思うけれど」
「私もそう思う。やはり奴の目が腐り始めているのだろう。すまない、忘れてくれ」
シルディアとレインの拠点は六区にあるアパートメントだ。オーリ装飾品店にほど近い場所の。
アルフと共に住むここは、けれど最近来れていない。
理由は単純で、今は準備期間だから、である。
今……全員が鍛錬と勉強をしている。
レクイエムが呼び寄せた魔族、ツァルトリグ・ヴィナージュは珍しく人間を嫌わない魔族で、その在り方を研究する者だった。
アルフを見た時の反応が少しだけ引っかかりはしたものの、性格は極めて温厚。さらに物腰柔らかで丁寧な喋りをし、割合感覚派なレクイエムが教えられない細部の魔術・魔法についてを懇切丁寧に教えてくれる。
彼女の加入によって勇者・魔王陣営は飛躍的な躍進を遂げたと行って良いだろう。
また、魔族にしか使えないとされていた、人間の耳では聞き取れない魔術にも手を出し始めている。ユートの使う異世界の言葉に発音が似ているから、という理由で、そこを取っ掛かりに全員が、と。
さらに魔色の燕の長……つまりレインの神様、もとい「オーリ・ディーン」に注文することで得られる装飾品の数々。勿論材料は自分たちで取りに行く必要があるが、そこそこな過剰戦力と言えるこの陣営の面々であれば容易なものばかりだった。
ただ、それでも、と。
神に勝つ──そのビジョンは見えてこない。
さらに言えば、レインとシルディアだけが、多少ではあるものの彼らに後れを取っている。
当然だ。二人は騎士団に所属していて、四六時中風雨の故里に居られるわけじゃない。冒険者でしかないティアとドロシー、ユートとレクイエムはいくら行方をくらませたって問題は無いし、何より王都が「ああ」なっている以上は風雨の故里にいた方がいい。
ツァルトリグ・ヴィナージュ自身も新たな知見を得、神に対抗する、というこの陣営の理想を応援、協力すると申し出た。である以上、自身も成長する、と。
遅れを取り戻すのならば、騎士団をやめるしかない。
だけど、それはできない。事情がある。
「シルディア」
「む。なんだアルフ、どうかしたか?」
「ちょいと風雨の故里にとってきてほしいモンがある。オレの剣の整備に必要なモンだ。あのクソ女に言えばわかる」
「……自分で行けばいいだろう?」
「馬鹿か? オレは今お前らの食事を作ってるんだぞ」
「……すまん。わかった、行ってくる」
アルフが元々使っていた「抜け道」を使えば、風雨の故里には簡単に戻ることができる。
レインの守護……などを考えなければならない段階にはいない。あそこまでの過保護さは、彼女が蘇った直後であったからこそ発現していたもの。
何よりアルフが強いしレインも強い。だから、大丈夫。
そう信じて、シルディアは何の疑いもなくアパートメントを出て行った。
「よし、レイン。服脱げ」
「え? ……アルフ。そう、そういうことに興味が出てきたの。でもダメよ、女性にそんなことを言っては」
「馬鹿が、シルディアを追いやった理由を察しろよ。奴が戻ってくる前にヤるぞ」
「アルフ。私だって怒る──ッ!?」
熱。
それは、『朱怒結晶』の熱だ。単なる熱の魔力ではない。
「オレがお前みたいなガキを抱くように見えるかよ。そうじゃねぇ、早く出せつってんだ。ニギンの阿保に見抜かれた以上、もう隠し通せなくなってんだろ」
「……アルフの方が、子供なのだけど」
「うるせぇ。脱がねえならその服焼き尽くす。……まだ出せねえんだろ、自分の意思じゃ。使い方教えてやるから早く脱げ」
言葉に。
……レインは、従った。
服を……上だけを脱ぎ、下着だけの上半身を晒したレイン・レイリーバースのその胸の中心に。
透明な結晶が埋まっている。
「使い方はわかってる。そうだな?」
「……ええ。流れ込んでくるから。でも、きっかけはわからない。少し前、起きたらこうなっていて」
「こいつらの宿るきっかけなんざオレにもわからん。名前は思い浮かぶか?」
「『透惰結晶』」
「流石に知らねえ名だが……何を操れる?」
「光、ね。だから私には不要なはずなのに」
結晶。感情結晶だ。
感情結晶・惰。『惰性』を司る邪悪の結晶。
「別にオレだって熱が欲しかったわけじゃねえし、『朱怒結晶』は要否で持ってるわけじゃねえ。オレの前任者曰く、強い感情に誘われて憑くものらしいが、どこまで信用するべきかもわからん」
「強い感情……」
心当たりは──あった。
だって、それは、だって、当然なのだ。
怖くなった。それだけならあるいは『紅怖結晶』が来ていたのやもしれない。
でも違う。
ディモニアナタの黒雨を見て。神というものの絶望を目にして。
レインは──。
「このままでいればいい……とでも思ったか、馬鹿
「う……」
「確かにそうかもしれん。現状維持……癪だが、風雨の故里にいる奴らと高め合い、日常を過ごし、それで安穏が得られるのなら、もうそれでいいじゃないかと考えるってなわからねえでもねえ。本末転倒ここに極まれりだが、そういう未来もあんだろ、別に」
神を討ち果たすのが──自分たちでなくとも。
少なくとも魔王の考えは変わったのだから、今後は魔王と勇者が争い合うことはなくなるだろうし。
ならば、ならば。
怖い思いをして。嫌なことを経験して。
神の討滅を掲げて……けれど、でも、平穏無事に──みんなと一緒に。シルディアと、一緒に。
「
「……」
「だから、オレがお前に教えるのはソイツの取り出し方と、使わねえ方法だけだ。使い方ばっか教えて来やがるコイツらを抑えつける術をてめぇに伝授する」
手取り、足取り。
どこか湿っぽい空気は──情事のそれではなく、ただただレインが暗い、という湿り気。
その手解きはシルディアが帰りの「抜け道」を通るまで続き、形だけではあるものの、なんとか。
レイン・レイリーバースは『透惰結晶』の抑え方を覚えたのであった。