神の装飾品店   作:Actueater / 万感織機

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原題:「Tuokconk」

 ニギン・イアクリーズ・ヴァーハマットは白金位の騎士である。

 母親に神を、父親に伝説的な魔族の子孫を持ち、そうではなくともそれ以上に秘密がある──男装の麗人である。

 

 そんな彼女は今、頭を抱えていた。

 

「困ったね……これは、本当に」

「何がだ」

「いや……どう考えてもだろう。……キミ達はトラブルしか持ってこないのかい?」

 

 彼女の目の前にいるのは、黒鉄位の騎士シルディア・エス・ヴァイオレットと、今代勇者レイン・レイリーバース。加えて今二人が養子扱いで養っているアルフ・レッドという子供。

 プラス。

 

 ウウウと唸る──三つ首の魔物。

 "オーリ"からの示唆で大監獄『アルムヴァルス・エクスタク』へ調査に向かった際に見つけたその魔物は、昏睡状態のまま王城地下に監禁していたはずだった。

 殺すには価値があり過ぎるから、と生かしていたそれを、今日。

 

 この三人が、「自分たちで飼いたい」と言って、持ち出してきたのである。

 確かにシルディアの位があれば持ち出しは可能だし、何より「今代勇者」への信頼は絶大だ。仲間内からも胡散臭いと言われているイアクリーズより信用度は高い。

 加えてアルフもまた一部の騎士に人気で、正直な話いつ乗っ取られてもおかしくない状況にある──今の騎士団兼ティダニア王国暫定王家。

 

「懐いている……ね。うん。悲しいことに」

「何が言いてェ、イアクリーズ」

「言いたいことは山ほどあるけど、まず……その魔物がなんなのか、君達はわかっているのかな」

「クォンウォは、私達の新しい家族よ」

「そういうことじゃなく」

 

 ただ、今のやり取りでわかったこともあった。

 

「名前……その名をつけたということは、事情は理解している、と見て良いんだね」

「ああ。だからこそ私達が預かることにしたんだ」

「……困ったね、それは。本当に」

 

 大監獄『アルムヴァルス・エクスタク』の中にいたこの魔物。

 既にコトラを始めとする騎士団の学者たちが研究を終えているのだけど──その結果は、あまり倫理観に沿ったものではなかった。

 ある人身売買・薬物密売組織の手によって誘拐された子供。

 

 その、慣れの果て。

 

「一応真実だけは告げておこう。その魔物を元に戻す手段は無い。私達はこれでも手を尽くした。ラスカット様にまで調査を手伝ってもらってね。その上で、首を横に振られた」

「知っている」

「……ソレは、魔物だ。野生動物じゃない。私達はソレと戦い、少なくない犠牲を払った。人を害するモノは、野生動物ではなく魔物と定める。それはわかっているだろう?」

「勿論」

「ああ……成程。飼育員に紛れ込んでいたのかい?」

「はン、流石はイアクリーズか。そうだ。飼育員に紛れ込んでた"被害者"の身内が、コイツを殺そうと毒を盛っていた。そこまで堕ちた騎士団は見たくねェんでな、さらっと攫わせてもらったよ」

「考えるべきは二つ。一つは、その魔物が他者を害した場合。責任の所在は当然シルディア、君に行く」

「だろうな」

「失墜も良い所だ。それはわかっているね?」

「ああ」

「もう一つは、その魔物の持っている力。いや、元となった子供の持っていた力、というべきか。それが果てしなく厄介でね。……内容は、わかっているのかな」

「扇動、でしょう? 本人の意志とは関係なしに、周囲を煽り立てる力。この子の近くにいるだけで、人々は狂騒にアテられる」

 

 だからこそなのだろう。

 アルフが攫ったのも。騎士団はそんなことをしない、ただアテられただけだと──そう信じたかったから。

 

「私はその影響を受けない」

「何を根拠に」

「勇者だから、で納得できない?」

「できないね。けれど、私を納得させられる材料があると見た。……察するに、『感情結晶』。それも狂騒を抑えるということは……『透惰結晶』かな?」

「イアクリーズ、その一聞いて百理解するの気色悪いからやめろ」

「異なことをいうものだね。言葉足らずのシルディア、レイン。隠すべき事情のある君。ここまで言葉が出揃わない三人を前にしているんだ、私がいち早く理解し、言葉を繋げてやらなければ、話は一向に進まないだろう」

「……まぁ、それについちゃ、反論は無ぇな。すまねえ」

「そこで謝るのが君の美徳だね、本当に」

 

 ただ、と。

 それでもイアクリーズは唸る。

 

「仮にレインが狂騒を抑えることができたとしても、周囲の人間は別だ。ただでさえ不安な状態にある王国で……。……まさか、打って出ようと思っているのかい?」

「準備は終えている。お前の悩みの種である"瘴地"もどうにかできる可能性のある一手だ」

「……魔王の転生体と、異世界の勇者。合流するのかな」

「だから、気色悪いと言っているだろう」

「先日シルディアが聞いてきた知識を思えば推測は簡単だ。ただ……そうか、成程。空席と生死を同一陣営だと考えたのか……」

 

 となると……打つべき手は、と。

 顔を上げる。

 

「手が足りない」

「騎士団の仕事は、そうね。そうなってしまうけれど……」

「正直に言おう。私は君達のことを自身の駒だとは思っていない。盤上を自走する指し手の意に沿わぬ駒など、そういうギミックとして捉えるしかない。そんなことより……君達を仮に"人類側"であると置いた場合、戦力が不足し過ぎている。騎士、勇者、異世界の勇者、魔王の転生体、感情結晶・朱の適合者。……足りなさすぎだよ。せめてあと三柱程度の神は味方につけなければ。恐らく深理と直線は君達の仲間となってくれるだろうけれど、他が厳しいな。抜錨は……まだ動きを見せていないのか」

「何を言っている、ニギン」

「君達じゃ理解のできない話だ。……ただ、無駄死には困る。そうだな……出て行くのは構わないが、あと二日待てないかね」

「それくらいなら、別に構わないけれど」

「そうか。なら、最後の二日間、私の命令に従ってくれ。まずウォッンカルヴァの神殿に向かい、彼の神像にこう伝えてほしい。"借りを返す時が来たぞ、酒宴の神"と。その後、大陸の臍(レヴェン ラトナニスノック)に向かい、コレを使って釣りをしてほしいんだ」

 

 矢継ぎ早に話すイアクリーズ。

 言いながら机の引き出しを開き、釣りで使う餌箱をシルディアに渡した。

 

「釣り……だと? どういう……」

「やればわかる。これが私から君達に施せる最大限だ。命令は以上。これらを熟した後、君達は晴れて自由の身となる。書類はこちらで作っておこう」

「……自分たちから頼んでおいてなんだけど、嫌にあっさりしているわね」

「あァ、気味が悪ィ」

「早めに行って欲しい。私は私でやることがある」

「……ニギン」

「何かな、シルディア」

「死ぬなよ」

「それは此方の台詞だろうに」

 

 シルディアが踵を返す。行こう、と二人と一匹に声をかけて。

 

 彼らが部屋を去り、周囲に気配が無くなったことを確認して……イアクリーズは溜息を吐いた。

 

「それで、こちらの意図を汲んでくれる、という認識で良いのかな、契約の神と奇跡の神」

「気付くか。ギギミミタタママの系譜故、ではないな、お前のソレは」

「無駄な問答をしに来たわけではないのだろう?」

「そうだな。失礼をした。──盤面が激しく変動している。どこまで掴んでいる、第一」

「トム・ウォルソンは劣勢。悪手を打ち過ぎて、彼女に目を付けられたね。多くの手駒を失って、それを補充中。反対に彼女の方は完全に振り切っている。このまま行けば何のアクシデントもなく彼女の勝利で終わり。付け入る隙は、クールビーの切り札とセレクのワイルドカード。そして私のもう一つ。……ただしこれらを合わせても勝率は三割を超えない」

「素晴らしい状況把握だ。では追加の情報をやろう。深理の神メイズタグ、直線の神ヨヴゥティズルシフィはお前の言う通り、人間についた。正確に言えば彼女の敵として、彼女をも救う手立てを考え始めた」

 

 ギリ、と。

 珍しくイアクリーズが感情を露にする。奥歯を噛み締める……悔しがるような発露。

 

「どいつもこいつも……非効率ばかりを……」

「では問うが、お前の思う最大効率とはなんだ」

「内圧の神を全員殺し、彼女の力を外圧に対抗するためのものへと変換させた後、切り札とワイルドカードを見せつけて諦めさせる。──そうすれば、()()()()()()()()()。そうだろう?」

 

 さて──ここに、"人類陣営"との大きな大きな齟齬がある。

 ニギン・イアクリーズ・ヴァーハマットは──別に、人類のため、なんかを思って動いていない。

 

 彼女は「オーリ」が「ラスカットルクミィアーノレティカ」の運命を使い果たそうとしていたこともわかっていたし。

 彼女は「トム・ウォルソン」が「失敗して劣勢になること」もわかっていたし。

 彼女は「トム・ウォルソン」が仕掛けた計算……「トゥバシバル王国の浮上」も早めようとしているし。

 

 決して、人類を存続させよう、なんて考えは持っていないのだ。

 

「それが……お前の目的か、ヴァーハマット」

「当然だろう。目的が同じなら指し手は同盟を結ぶ。結ばないのなら、目指す先が違うということ。トム・ウォルソンの"世界を神から奪い獲る"も、クールビー・ノス・ゼランシアンの"世界をひっくり返す"も、私にとっては欠片も興味の無い目的だ。私の目指す先はただ一つ。()()()()に辿り着く前に、世界を終わらせること」

 

 その未来。

 創世神の抱擁の中で、何の前兆も無く世界が終わり──全てが無に帰す、その未来。

 それを迎える前に世界を終わらせる。

 

「なんせこれが私に流れる血の"親切心"だからね」

「……今、あらゆる勢力がそれを否定せんがために動いている。それは理解しているな?」

「無論だとも。ただ……私はもう飽き飽きしていてね。その点で言えば言語の神セノグレイシディルは唯一の理解者だったのだけど、どうやら死んでしまったらしいじゃないか。悲しいことだね」

「そこまでは話していないぞ、私達は」

「メイズタグの性格を考えれば、彼が人間に着くという決心をした時点で、邪魔者であるセノグレイシディルを殺す理由はできる。同じくノットロットも殺さんとしていたんじゃないかな、彼は」

 

 何かを覚えただろう。神二柱は。

 この騎士から、何か異質なものを覚えたはずだ。

 

「そう考えると、オルンは随分と悠長な神だった。私に細工をさせるだけの時間をくれたのだから。対してトゥナハーデンは警戒心の強い神だったね。まぁ、私の目的は彼女に無いから構わなかったのだけど」

「──ゴルドーナ!!」

 

 赤い闇色が、満ちる。

 魔族特有の魔力色。それは神二柱を包み込み──。

 

「油断が……過ぎる。……はぁ、……病み上がりに、ここまでの無茶をさせないでいただきたい……!」

「おや」

 

 守られる。

 霧だ。球状の霧。

 

「良いのかね、出てきてしまって。折角彼女の目から逃れたというのに」

「逃れてなどいない……見逃してもらっただけです。私は……こういう場合のためのバックアップなので」

「ゴルドーナ、奇跡を頼む。……すまない、ヒシカ。助かった」

「いえいえ……では、また、眠りますので……」

 

 弱まっていく「秘匿の霧」に、闇色の魔力が侵蝕していく。

 けれど、そこまでの時間的猶予があれば、流石に間に合う。

 

 奇跡が顕現する。

 絶体絶命のこの状況で──三柱が逃げ切れる、という奇跡が。

 

 ──赤い闇色の魔力が雲散霧消する。彼女の肌を覆いかけていた赤色が引いていく。

 

「初手王手。……"知識"から察するに、これは詰め手の意味ではない。抜け道はまだまだあるわけだ。──時が来たというのなら、私も動くべきだね」

 

 コト、と。

 盤上の駒を動かすイアクリーズ。

 新たに追加された二十六の駒。内二つは割れて砕けていて、二つは半分以上がすり減っている。

 

「内圧のための神は、たったの十二柱。さぁて、赤子の手でも捻ろうか」

 

 執務室から、クスクスという淑女の笑いが零れ行く──。

 

 

 

 

 彼女はソレの完成に、ごくりと唾を飲み込んだ。

 本来、彼女には作り得ないソレ。既に己が運命を使い果たした彼女には、制作できてはならないもの。

 

 ──二つ目の、"磁"。

 

「……」

 

 しばらくソレを見つめた後……彼女は、ソレにかぶりつく。

 決していい味ではないソレは咥内で液状化し、飲み込む前に咥内へと吸収されて行く。

 

 直後、何かが流れ込んでくる感覚が彼女を襲った。

 

「……オーリ」

 

 口にする。

 

「オーリ・ディーン」

 

 口にする。

 

「空席の神……Futurum」

 

 口に、する。

 

 できないはずのことをする。

 運命を使い果たしていれば、世界に影響を与えることはできなくなる。運命とは「自らの魂が世界に影響を及ぼす可能性」であり、一度目の"磁"の製作でそれを消費しきった彼女には、絶対にできないことだった。

 神の名を、あの者の名を口にすることも──二個目を作ることも。

 騎士団の傀儡となって国の象徴として生きるだけに終わるはずだった彼女は。

 

「いるか、フレディ」

「ここに」

「ようやく動けるようになった。信頼が置けて且つすぐに動かせるアスクメイドトリアラーは、どれほどいる?」

「十六です」

「充分だ。ワタシと共に死ぬ覚悟はあるか?」

「この身がアスクメイドトリアラーとなった時から」

 

 そうか。

 では、と。

 

人は岐路を選ぶしかない(Futaus agi uiw mon oner hitus agi ez.)

「そうですね。そしてあなた様は、常に」

「今がその時だ。──告げる。ワタシはこれより、天龍に会いに行く。お前達はワタシの足となれ」

「承知いたしました」

 

 ほとんど死に行くようなものだ。

 けれど、それが王族の言葉なら。

 アスクメイドトリアラーは、従うまでだ。

 

「敵と思うなよ」

「無論です」

 

 彼女は──新たな一歩を踏み出した。

 

 

 

 して、である。

 

「……理解ができないな、小さな子。何故君は、僕に会いに来たのかな」

「貴様の手伝いが必要だからだ、灰龍オーティアルパ」

「そうか。けれど、それ以上近づかない方が良いよ、小さな子。それ以上近づくと」

「貴様の鱗粉がワタシを殺す──だろう?」

「……調べて来たのかな、範囲を」

「いいや。推測しただけだ」

 

 彼女は最後の問答を完全に忘れている。記憶は封じられたのではなく"改変"によって消されている。

 それでも彼女は、「自己の記憶が途切れている」ということから推理を始め……かつてオーティアルパが棲み処にしていた場所に残る痕跡などから、それを突き止めた。

 

 いいや。いいや。

 否、だ。

 

「手伝い、と言ったね、小さな子」

「名前で呼べ、天龍。知っているはずだ。貴様は──ワタシの名を覚えているはずだ」

「君とは少し会話をしたきりだよ、小さな子」

「いいや。ワタシと貴様は必ず深い部分まで言葉を交わしている。であるならば、その会話の内容がどうであれ、貴様はワタシに名を自身の記憶に深く刻み込んだはずだ。それだけの価値がワタシにはある」

「随分と大層な自信だね、小さな子。度を越えれば、それはあまり褒められた行為ではなくなるよ」

「越えていないから、言っている。だから、たとえば──」

 

 と。

 

 一歩を、踏み出した。

 

「……っ。自信家は……これだから。ああ、僕はまた」

「殺していない」

「え……」

 

 死の鱗粉。

 触れたものを極小に分解する絶死の鱗粉の中を、そのまま歩いてい来る彼女。

 あり得ない。

 

「貴様の鱗粉は、貴様が操作しているわけではない。貴様は自身の意に沿わぬ殺生を行ってしまう天龍なのだろう。であれば、貴様の意思なき鱗粉の嵐に、ワタシの運命が打ち勝てばいいだけのこと」

「……どういうことなのか、教えてほしい。僕のこれを、無効化する手段でも身に着けたのかな」

「わかっているはずだ。そうではないことくらい。ただ、ただ、奇跡的に──鱗粉がワタシを避けている。貴様の鱗粉、あるいは貴様自身より、ワタシの運命の方が上にあるからだ。ワタシはこのような場所で殺される運命に無い。だから、死なない。それだけだ」

 

 確かに鱗粉だ。

 だから、「この空間にいたら死ぬ」という類のものではない。けれど、その密度はほぼそれと同義で。

 

 だというのに……彼女は、傷の一つも負わない。

 そのまま彼女は、イーゥクレイムの鼻先に手を置いた。

 

「ワタシは貴様を必要としている。手伝ってくれるな、イーゥクレイム」

「……いいよ。そこまで……魅せられたら、僕はもう頷くしかない。──ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニア。僕は君に、命運を託そう」

「感謝する」

 

 彼から離れる時も、鱗粉が彼女を傷つけることはない。

 彼女の運命に、鱗粉が恐れをなして離れている──そういう風にさえ見える光景だった。

 

「次は誰に会いに行くのかな、ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニア」

「翠龍ルエティッポだ」

「なら──僕に乗って飛んでいく、というのはどうだろう」

「良いのか?」

「勿論。君の運命が尽きない限り、僕は君と一緒に居られる。生まれてから初めて、他の生物と長い時を過ごせる」

「そうか。──なら、フレディ! 予定変更だ! 全アスクメイドトリアラーはシスタバハルア丘陵に集合! あそこは魔色の燕の拠点跡地だ。上手く改造して再度拠点化しておけ!」

「承知」

 

 気配が消える。

 遠のく。

 

 首を下げるオーティアルパに、彼女が乗って。

 

「安全航行と、最速。どっちがお好みかな」

「最速だ。ワタシはその程度で振り落とされたりしない。そんな死に方をワタシの運命は許さない」

「いいね」

 

 轟、と翼がはためく。

 天龍の中で最も小さい個体と言えど、天龍は天龍。山と同じくらいのその巨躯が飛び立てば、多くの注目を引くことだろう。

 況してやその羽搏きによって周囲のあらゆるものが分解されているというのなら、尚更に。

 

「騒ぎが大きくなる前に行くよ。大丈夫、できるだけ人里離れたところを飛ぶから」

「ああ、頼んだ」

 

 灰色が飛ぶ。

 鱗粉を撒き散らす灰色が、空を飛ぶ。

 その速度はまさに一瞬だ。一瞬で──次の目的地へと辿り着く。

 

 気を遣うようにオーティアルパが自身の背に意識を向ければ……そこには誰もいなかった。

 

「貴様はそこで待っていろ。ルエティッポとの交渉はワタシがやる」

「あ、ああ。もう降りていたのか。少しだけ驚いたよ」

「む? 貴様、さっきから思っていたが、怖がり過ぎだろう。ワタシができると言っているんだ、できるに決まっている」

「……どうやらそうらしい。じゃあ、ルエティッポの説得、頑張ってね」

「ああ」

 

 翼を畳み、自身にできる最小の姿になったオーティアルパは、その翼の中で……笑みを零す。

 こんな人間が、まだ。

 アレに使い潰されていないなんて──そんな奇跡があるのか、と。

 

 

 

「何用だ、ヒト」

「くだらん企みを踏み潰すための力が欲しい。力を貸せ、翠龍ルエティッポ」

 

 剣山が如き尖岩に、轟轟吹き荒れる風。

 死も毒も乗ってはいないソレは、けれど人一人を吹き飛ばすに余りある風圧を持っている。

 

「……くだらんのはお前の方だ。去れ、ヒト。戯言に吾を巻き込むな」

「断る」

「はぁ……。腹は空いていない。再度言う。去れ、ヒト」

「断る」

 

 オーティアルパに比べて──遥かに、遥かに、遥かに巨体。

 自身の風で持ち上げたのだろう尖岩が無ければ、この天龍の姿を見失うことはないだろう、というほどの大きさ。

 

 それに対し、等身大で彼女は挑む。

 

「……好きにすればいい。吾は眠る。断り続けて、餓死でもしていろ、ヒト」

「断ると言ったぞ、天龍」

「……」

「力を貸せ。それを断るのを、断る」

「……」

「強情な奴め。図体に反比例して心が狭いな。天龍とはそうなのか?」

「……」

「オーティアルパの寛容を見習え、天龍」

「……冥王を、随分と気安く呼ぶものだな、ヒト」

「お、話をしてくれる氣になったか」

「小さな冥王、オーティアルパ。奴をまるで友か何かのように呼ぶヒト。……加えて、何故その矮小なる躯で吹き飛ばされない?」

「この風に吹き飛ばされたら、ワタシは死ぬ。だからだ」

「吾らとヒトの言葉が違うことは理解している。それを、ある神の計らいによって通じさせている部分があるのもわかっている。だとして、今の言葉に理解のできる部分はなかった」

「このようなところでワタシは死なない。故にその原因となる"風に吹き飛ばされる"ということも起きない」

 

 目を細めるルエティッポ。

 轟音がした。彼の近くにあった尖岩が、風によって持ち上げられたのだ。

 そして──それはそのまま、彼女へと直撃する。

 

「……くだらん」

「一度で理解できないなら、何度でもそれをすればいい」

「!」

 

 直撃した。彼女に。

 けれど、偶然ルエティッポの持ち上げた尖岩の先端が二股に裂けていて、その切れ込みに彼女がいて。

 だから助かった。

 

 偶然は、されど。

 

「諦めなよ、ルエティッポ」

「……! 冥王……それ以上近づくな」

「わかってる。けれど、君も抵抗をやめるべきだ。もうわかっているんだろう? 勝てないよ、僕達じゃ。僕達天龍の運命を合わせても、彼女一人に敵わない。彼女はこの先に待ち構える全天龍を下すだろう。スーニャも、エントペーンもね」

「冥王。お前がそれほど買っている、ということか」

「僕の目に狂いが無いわけじゃない。僕は他生物とのかかわりを避けて来たから。だけど、彼女は最早特別の域に達している。──十二分に賭ける価値を見出せる」

「賭ける?」

「法則の破壊。僕達がようやく生物になるための足掛けとして、彼女に乗る」

 

 言葉に──翠龍の口が、ニタリと開く。

 それはもう楽しそうに。

 

「小さな冥王。かつての冥王よ。ようやく重い腰を上げたのか」

「あげさせられた、が正しいね。ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニア。それが彼女の名前だ」

ラスカットルクミィアーノレティカ(託された希望の灯は消えない)? 口だけではなく、名前まで大層だな、ヒト」

「おい、今教えられただろう。名前で呼べ、ルエティッポ」

「吾はお前を認めたわけではない。だが、冥王の誘いに乗るのは中々に面白そうだ。次の換期……百八十年後までは暇になると思ったのだが、どうして、中々」

 

 ルエティッポが、巨大な翼を広げる。

 彼が立ち上がるだけで大地震が起こる。

 翠龍ルエティッポ。彼こそは最大の天龍。ヒトなど軽く踏み潰せるモノ。

 

「すべての天龍を味方につけると言ったな、ヒト」

「名前で呼べと言ったぞ、天龍」

「吾はこれより、お前達とは逆のルートで天龍に声をかけて回ろう。──全天龍の集いし場で、お前が王だと示してみせろ。その時に吾はお前の名を呼ぶ」

「……仕方がない。それで許してやる」

「大言壮語、ここに極まれり。換期以外で天龍を動かすコトの重大さを思い知れよ、ヒト」

「十も百も承知だ、翠龍ルエティッポ」

 

 飛び上がる。

 風の魔力が手助けをするその飛翔は、周囲の剣山さえをも持ち上げる。

 その中で、一歩も動かない彼女。

 

「──オーティアルパ! あの莫迦者に先を越されるのは癪だ。急ぐぞ!」

「一歩も物怖じしないんだね、君は。いいよ。次はどこかな」

「ディオレティシアだ。桃龍ディオレティシア」

「彼女か。……僕とは相性が悪いから、僕を見せても頷いてはくれないだろう」

「何を言っている、貴様。そもそもワタシはあそこで待っていろと言ったはずだ。ワタシはあのままでも奴を説得できた。ルエティッポよりワタシの方が上だからだ」

「頼もしいね。──さぁ、乗って。次も最速で行くよ。今度は手加減無しに」

「手加減などしていたのか? ……さては貴様、ワタシが口だけで、振り落とされると思って速度を緩めていたな!」

「なんでもお見通しか。凄いね、君は」

「言っておくが、ワタシはさっきの航行速度より速い移動を経験している! オーリに連れられていた時、先ほどの数百倍の速度で移動していたからな!」

「わかったよ。数百倍は無理だけど……全力を出そう。さぁ乗って、お姫様」

「むむ。……その呼び方は好かん。というか、ワタシはもう四十だ」

「天龍の寿命を知らないわけでもないよね、ラスカットルクミィアーノレティカ・ティダニア」

「むむむ。確かに……そちらから見れば、ワタシの年齢など然したるものではないか」

 

 翼が広がる。

 鱗粉が撒き散らされる。

 当然のようにその鱗粉をすり抜けて、彼の背に乗る彼女。

 

「真実君はお姫様だよ。──あの耳の聞こえないお姫様と同じでね」

「誰の話だ?」

「誰だろうね。もう、歴史の彼方にさえいない──誰かの話だよ」

 

 灰色は、飛ぶ。

 どこか懐かしい心を覚えながら。

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