神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
ティアとドロシーにとって、「魔色の燕」は誇りであり生き甲斐であり、そして生きるためのよすがでもあった。
ヤーダギリ共和国で生まれ、売られたティアと捨てられたドロシー。それを攫って拾い育てた長。
絶望と混乱の最中に差し伸べられたその手は救いであり、同時に混迷へと二人を引き摺り込む泥。
あの歳月を二人は忘れないし──「長」のことを大事に想っている。
けれど、先日。
突然も突然に、その繋がりが断たれた。
ティアの固有魔法である「聖霊の小路」も、幾つかの隠し通路も、すべてが
長の正体。空席の神Futurum。
先日、ドロシーは「長」に対し、「魔色の燕を終わらせるつもりだ」という発言をしている。
あの時言われた「お好きにどうぞ」という言葉は、「お前達程度羽虫とも思わない」という見下しから来るものではなく──元々壊す予定だから、本当に好きにしたらいい、という意味だったのだと気付ける。
不要──という言葉は。
売られ捨てられた二人にとって、心に刺さる言葉だ。
そして……早々に「先輩たち」は仲間を作った。合流した。──魔物、それもティダニア王国を困窮に貶めたアンデッドの集団。
ティダニア王国そのものに思い入れが無いにしても、「人間側」と敵対しているところに「魔色の燕」が合流したという事実は──ティアとドロシーにとっては、あまりにも最悪な流れで。
そう、だから、結局はマリオネッタも魔物なのだと……。
「なるわけ、ないよねぇ……」
「うん……」
なるわけがないのである。
天空城で過ごした時間は十年以上に及ぶ。鍛錬と日常。鍛錬と日常。ただそれだけの毎日は、だからこそ「日々」だった。
家族に思っている。ルビィ、サフィニア、トパルズ。それだけじゃない、関わることの多かったマリオネッタたちと──そして「長」も。
家族なのだ。
売られ捨てられた二人にとっての、唯一の家族。
「どうしようか、これから」
「どうしよう。……捨てられる未来なんか、考えてなかったから」
「うん。私も」
ただただ──帰りたい。
戻りたい。あの世界に、たた、ただ。
願いは──けれど。
誰も、何も、拾わない。
唯一適合しそうな『感情結晶』は、けれど今他者のもとにある。
二人はひたすらに星空を眺めるしかない。
「あれ……ティアに、ドロシー? なんでこんなところに」
けれど、繋がりだけは別だった。
縁は他者に奪われようと──作り上げたものだけは。
「……レイン?」
小高い丘になっている草原。そんなところに、騎士団の二人とアルフが来たのである。
「なる、ほど? 上官の命令で、大陸の臍に……釣りを……?」
「まぁ、そういう反応よね」
「大丈夫だ、二人とも。その反応は正しい」
聞くに。
レインとシルディアの上司であるイアクリーズという騎士から、そんなことを頼まれたのだとか。
ウォッンカルヴァの神像に文言を伝える。特に何が起きることはなし。
その足で大陸の臍に向かう。そんな道中での邂逅。
大陸の臍で釣りをしろ──と。
「えっと……時間稼ぎとか、ですかね」
「だったらアイツはもうちっとマシな手段を取るさ。だが、今回のはちっとどころじゃねェ、欠片も意味が分からん」
「だよね……。それはそれとして、その子は?」
「ああ、新しく家族になったクォンウォだ」
「クェルカ・ヴィエルカ……だよね?」
「分類上はそうなるのかもしれないが、意思疎通は可能だ。魔物じゃない」
「ああいえ、私達は魔物に偏見があるわけではありませんし、見た目がどうだからって何を思うこともないので大丈夫ですよ」
そんなことを言ったら、だし。
「そうかい、そりゃよかった。……ってェなわけで、オレ達は大陸の臍まで行くんだが、どうする。ついてくるか?」
「ちょっとアルフ、二人にも都合が」
「じゃあお言葉に甘えようかな。私達、これからどうしよっか、ってなってたところだったから」
「考え事が堂々巡りしていて……身体を動かしたり、人と話したりして気分転換したいところだったんです」
「そういうことなら……一緒に行きましょう。あ、ディア抜きできめちゃったけど」
「構わないさ。勝手知ったる仲だしな」
……ということがあって、火力高め且つサポートの充実した混成パーティが出来上がる。
大陸の臍までの日数は凡そ一日半。無論全力疾走すれば短時間で着くが、そこまでの急ぎでもないので、彼らは徒歩を選んだ。
となれば発生するのは──雑談である。
「ねぇ、レイン。凄くストレートな質問してもいい?」
「え、ええ。構わないけれど」
「シルディアとレインの馴れ初めって、どんなだったの? 告白はどっちから?」
「ティア、それはストレートじゃなくて不躾っていうの」
「馴れ初めは、ただ単に、先にディアが騎士団にいて、私が発掘という形で勇者であることが認められたから騎士団に入って……それが出会いよ」
「黒鉄位ゆえに私がレインの護衛騎士に選ばれ、共に居るうちに自然と、だな」
あっけらかんと。ドロシーの気遣いとか関係なく、なんでもないことかのように。
「告白はディアから」
「まぁ、恋仲になる以上、私から想いを告げるのが筋というものだろう」
「……お前らなァ。ティアとドロシーが求めてんのはそういう淡々とした恋物語じゃねェだろう。もっと舞台劇のよォに話せねーのか」
「と言われても……これは事実だし」
「ロマンチックな恋物語に憧れる気持ちはわからないでもないが、それを私達に求めるというのウガッ!?」
「オレがいつンなもんに憧れたよ。とりわけティアが求めてるっつってんだ、こっち見て喋んなアホディア」
後方宙返りからの容赦ない顎への蹴り。
あのシルディアが躱すことのできない速度と精度のソレは、天空城で彼らの鍛錬を見ていた時と変わらず、流石と言わざるを得ない。
アルフ。レインとシルディアが養子に取ったその少年は──ユートやレクイエムに並ぶくらいには、強い。
「良い事聞かせてやる、ティア。こいつら恋仲になってから長ェのに、まだ互いの肌を合わせたことも──」
「アールーフー!? そういうのは言っちゃダメってわからないの!?」
「へえ……まだシてないんだ……意外」
「意外って何!?」
「だってお二人とも、四六時中一緒にいるじゃないですか。だったら一回くらいは……」
「そう思うだろ? だからワ……オレぁ気ィ遣って何度も二人だけの時間を作ってやってんだがよ、良くてキスまでで、互いの肌を見たことも無ェと来た」
「……アルフ、もっと詳しく聞かせて。この二人から聞くより一番近くにいるアルフから聞く方が面白い!」
「おォ、いいぜ。じゃあそうだな……実はシルディアの奴が苦手でレインが好きな食材があるんだが、シルディアは何を言うことも無く平然としたツラで毎回完食してるとか」
「ナニソレ!? アルフ……もだけど、ディアも! 嫌いなものがあるなら言ってって言ったのに!」
「いや……三人で共同に食事当番を回しているんだ。自分のものを食べてもらっている以上、己が好き嫌いなどでメニューを変えてもらうのは……」
「そんなレインはシルディアに隠れて毎日のよォにあのロケットペンダントに頬擦りしたり、嵌めてる指輪にキスしたりしてる。別に見せつけてもいいと思うんだがな、何故か隠れてやるんだ。いじらしいだろ?」
「──アルフ、後ろの二人に口封じされそうだから、聖霊の小路で話さない?」
「オレもそろそろ危機感覚えて来たところだ。頼む」
本気ではないにせよ──そこそこな威力の光と炎がそこを薙ぎ払う。
残っているのは、「入口」だけ。興味があったのだろう、クォンウォもそこに入っていった。
「……ごめんなさい、うちのティアが」
「いや、どう考えてもアレはアルフが悪い。……はぁ、そんなことを……勘付かれていたとは」
「そうね。本当に……よく見ている」
残されたレイン、シルディア、ドロシーは、とりあえず座る。
ティアの『聖霊の小路』は途中で出ることができない。入口か出口からしか出られないその魔法の性質上、先に進んでしまうと行程に齟齬が生まれる。
だから、小休止だ。まだ歩き始めてから二刻も経っていないのだが。
「あの……レインさん」
「なぁに?」
「その……さっきアルフが言及してたロケットペンダント、本当に肌身離さずつけてますよね。……シルディアさんの贈り物……だったりするんですか?」
「ああ……うーん。まぁ、そうなのだけど、正式に贈られたわけではないというか、肌身離さずつけている理由は別の理由というか」
「言えない事、ですか」
「誰に贈られたかまでは言ってもいいけど……ディア、どう思う?」
「二人には構わないと思うがな。口の堅さは知っているだろう」
「ん。……これはね、私の神様に貰ったの」
「……。……私の神様、というと……えーと」
「魔色の燕の長だ。私が依頼をし、魔色の燕の長がこのロケットペンダントに魔術を施し、レインに与えた」
長からの直接のプレゼント。
──少しばかり、嫉妬の心が湧き上がるドロシー。けれどそれは押し殺して。
「そういえば……何度か長のことを私の神様、と呼んでいましたが……なぜなのですか?」
「……救ってもらったから。辛くて辛くて苦しくて苦しい場所から、あの人が救い上げてくれたの。だから、私の神様」
「そうですか。……私も同じです。私達も、ですけど。……私は孤児で、ティアは売られた子供。あと少しで人身売買の手にかかる……そんなところで、長が私達を救ってくれました」
「……そうか。成程、お前達魔色の燕の信奉は、そういった部分からきていたのか」
「私達だけが特例だと思いますが、私達はそうです。……だから、私にとっても長は神様なんです。けど」
三人は──ある、「無意識下において目をそむけたくなる方角」を見る。
暗雲立ち昇る大雨の気配。それのする方向。
「……そろそろ行くか。アルフ」
「チッ、気付いてやがったか。オレ達がいなくなりゃもっと濃い話すると思ったんだがな」
「無駄に魔力使っちゃったから負ぶって、アルフ」
「はァ? なんでオレが……まァお前の魔法が有用なことは認めるから良いけどよ」
「いいんだ」
「ガキ背負うくらいはな、なんてことは無ェさ」
「……流石に私の方がお姉さんだと思うけど? そういえば年齢聞いたこと無かったっけ。何歳なの、アルフって」
「一万歳くらいだ」
「あり得そうなのがちょっとね……」
「アルフ、かなりジジ臭いし」
「逆におんぶしてあげようか? お爺ちゃん」
煽り合いは、仲の良さの証拠だろう。
ぽんっと出て来たクォンウォをシルディアが見事にキャッチして……また、大陸の臍への行程が始まるのだった。
そんな頃……ティダニア王国では、「ある事件」が王都ファーマリウスを騒がせていた。
ジェック。王都ファーマリウスでは有名な冒険者の一人が、全身を
当然騎士団による調査が行われたが、そこまでの氷魔法の使い手などファーマリウスにはおらず、となると直近で記憶に新しい氷魔法の造物……穿つ氷のオエンガフスなるものを操っていた魔色の燕、及びそれを擁するクロックノックに目が向く。
そもそもクロックノックは建国時に「ティダニア歴を終わらせる」「偽物の歴史を塗り替える」などの宣言をしており、とうとうその刃が向いたのではないか、というのが市井における専らの噂だった。
けれど、そこに異議を唱えた者がいる。
ハウスト・クライシス。ジェックと共に活動することの多い冒険者で、「十八日間の悪夢」においては一度国を去り、けれどジェックと共に「戻って来た」男。理由は単純で、「そうじゃない奴らもたくさんいたのだから、小より大を見るべきだ」、と。
普段のデリカシーに欠ける発言こそ目くじらを立てられど、概ねやっていることも言っていることも正しいこの男曰く──ジェックは何かしらのメッセージを残す、と。周囲に戦闘の痕跡が無く、その時間帯に戦闘音を聞いたという証言が無い。完全に無防備な状態で氷漬けにされていることから、ジェックの個人的な交友関係を洗った方が良い、と。
最も長くを共にしているハウスト自身も容疑者となるその提言に、騎士団は捜査の見直しを決定。
彼の交友関係を再調査する──というあたりで、二件目の殺人が起きる。
今度は完全な一般人。女性。酒場を営む女主人。
その次は男性。老夫婦で建築士。その夫の方。
こうなってくるとハウストの声も小さくならざるを得ない。
あまりに関係が無いからだ。あまりに共通項が少ない。だからやはり、無差別なのではないか、と。
殺され方の共通点は、全員が全身氷漬けにされていること。
そして──争った痕跡が無いこと。
抵抗させることなく遠隔から人体を氷漬けにできるというのなら、それは最早防ぎようのない暗殺だ。
騎士団は事態の重さを再訂し、コトにあたって──その騎士団までもが殺される事態となった。
──それが、昨日までの話。
今朝方、冒険者協会の扉に挟まるようにして入れられていた羊皮紙に、すべてが書いてあった。
"王族の処刑に喜んでいた者を殺す"。
"我は復讐者。化け物を人に戻す者也"。
薄汚れた、汚い字。学の感じられないその文を見て弾けるように飛び出したのはハウストだ。
心当たりがあったのだろう。すぐに冒険者協会にいた者達が彼を追ったけれど、追いつくことは出来ず。
だから彼は、たった一人でソレと対峙している。
ソレ──冷たい冷たい空気を身に纏う、少年と。
「……アツァ」
「ハウストのおっちゃん。どうしたの、そんなに息を切らせてさ」
「アレは、精一杯丁寧に書いてたが……お前の字だった。オレの目は誤魔化せない」
少年、アツァ。
十八日間の悪夢において、兄を失った少年。
「……知ったようなこと言わないでよ。僕の気持ち、わからなかったクセに」
「何を言っている? オレはお前達のことはよくわかっ──」
「うるさい! あの時、ハウストのおっちゃんが来なければ……兄ちゃんは助かってたかもしれないんだ! あの時の人は、ちゃんと助けてくれた! けどおまえは違う!!」
「錯乱しているな。すまない、アツァ。一瞬だけ痛いが我慢を」
「『縹苛結晶』──!!」
「!?」
冷気がハウストを襲う。
明らかにアツァの保有魔力量を超えた魔法行使。けれどそれは、既のことで躱される。
躱したハウストは──理解する。
だから被害者の彼らは抵抗しなかったのだ、と。
相手がそんな使い手だとは思わないから。ただの子供だと思って接したのだ、と。
「そのクリスタルは、なんだ。どこで手に入れた」
「知らない。いつの間にかあったんだ。……でもこれは、僕の復讐のための力をくれる」
「復讐。……仮にリクの話をしているなら、標的はオレだけだろう。──なぜ無関係の民まで襲う!」
「勿論ハウストのおっちゃんは殺す。だけど、兄ちゃんを殺したのはオーサマたちのショケーを楽しんでた奴らだ。あいつらが化け物になって街をめちゃくちゃにしたから兄ちゃんは死んだ。なのに……あいつらは、自分は何も悪くない、みたいな顔をして……!!」
ハウストの口は──反論を発せなかった。
だって。
「……非常にマズイ。非常にマズイな、アツァ。その言い分はマズイ」
「何が!!」
「オレも、そう思ってるから──マズイ!!」
「は……!?」
よろしくなかった。
ハウストも、そう思っている。
一度はアンデッドとなり、王族きっての天才によって「治療」された国民たち。
彼らに話を聞けば、その時の記憶を有しているという。
それに苛まれているものはいい。だが──恨みを王族に向け、剰え処刑に熱狂していたような奴らに関しては。
「オレも、そいつらに関しては死ねばいいと思ってしまっている」
「そういえば……ハウストのおっちゃんは、否定してたね。火で良く見えなかったけど、あれはおっちゃんの声だった」
「当然だろう! どんな愚王、あるいは悪政を敷く狂王であろうと、人は人! 命は命! どんな感情があろうと、その死を喜ぶことなどできない! あの場にいたバカヤロウ共にはオレ自ら鉄槌を下したいところだったが……それよりも人命救助が優先だった。それだけだ!」
ハウストはまっすぐだから。
ある意味で、人間らしくない──効率的な考えを持つ者だから。
だから、「処刑で恨みを晴らし、気分をすっきりさせる」なんて考えが毛頭ない。
「オレがおまえの言い分を国に伝える! そのあとおまえに殺される! だからもう人々を殺して回るのはやめろ! それじゃダメか!?」
「……理解できない。何を言ってるのか……わからない」
「む、そうか? おまえは今、この国の在り方が、自身を振り返らずに他者の死を喜ぶような連中がのさばっているのが嫌で、それを伝えるために連続殺人をしている。であれば、オレがそれを代わりにやって、国民に言って聞かせれば解決だ。その上で確かにオレとあの男の問答や戦いがなければ、リクが助かっていた可能性はある。オレがあの男と言い争ったことがリクの可能性を潰した。であれば、おまえがオレに復讐する正当性はある。そうなればおまえの目的はすべて達成されるから、もう無差別殺人はやめてほしい。……どこかおかしいか?」
「全部おかしいよ!! なんだよそれ……あの時もだけど、やっぱりハウストのおっちゃんはおかしい! 言葉が通じない!!」
感情結晶が呼応する。
アツァの覚える苛立ちを増幅させて、さらにさらにと冷気の範囲を広げていく。
未だ復興最中のファーマリウス。建築途中の家々が凍り付き、倒壊していない家へも波及していく。
もうアツァに正常な判断はできない。感情結晶の増幅は、たとえそれが原因であると気付けても中々抜け出せるものではない。
「こ……れは。アツァ! 今すぐそのクリスタルを手放せ! それはマズイものの感じがする!」
「嫌に決まってるでしょ!! これが無きゃ、僕はただの子供だ! おっちゃんにも、ううん、その辺の大人にも勝てない! でもこれがあれば──憎い奴を、殺せる!!」
「だからダメだと……くっ!」
思わず後退するハウスト。
果たして、その判断は正しかった。
あとほんの一瞬でも遅れていたら──眼前の氷壁に飲み込まれていたことだろう。
氷壁。
一瞬にして作り上げられた、氷の壁。
「とんでもない出力だな……これは、流石に応援を呼ばないと手に余るか……!」
「逃がさない」
「!?」
足を掴まれる。
氷壁から伸びた、氷の腕に。
ハウストは──瞬時にそれを選択した。
「……!」
「どうした、アツァ。ジェックたちを殺しておいて──今更オレが足を失った程度で動揺するのか? ああ、それともリクと重ねているのか? だったら申し訳ないことをした。謝ろう!」
「……どうしても殺されたいんだね、ハウストのおっちゃん」
釣れた、とハウストは思った。
もう踏ん切りがついているのだ。
ここまでの化け物になっているのなら、アツァは諭す対象ではなく──討滅すべき敵であると。
だが、周囲には自衛のできない民がいる。だから戦場を移さねばならない。ゆえに煽り、自らへヘイトを向け、逃げのターンに移ろうとした。
けれど──悪手だ。
その悪手を引いてしまった理由は、ただ、ハウストに『感情結晶』というものへの知識なかった。ただそれだけ。
「もういい。もういいよ。……もうどうでもいい……!」
氷越しの声のはずなのに、広く広くへ響き渡るアツァの声。
何事か、と家の外に出てくる王都民たち。
「全部だ……全部消えちゃえばいい。あのショケーを楽しんでた連中も、その連中となんでもない日常を過ごしてる奴らも! 全員同罪だ!! 化け物め、化け物め、化け物め!! 僕達の王都を返せよ!! 兄ちゃんを、みんなを、何もかもを!!」
際限無く拡大を続ける氷。
ああ、悲しいかな。黒鉄位を持つ炎の使い手も、冒険者きっての炎使い……『紅怖結晶』の持ち主も、ここにはいない。唯一の王族でさえ今は出かけている。アスクメイドトリアラーもだ。
止める者が、いない。
「アツァ! やめろ、これ以上は──」
「『縹苛結晶』──」
感情結晶の持ち主の最期は、必ず邪悪に彩られる。
抑えの利かなくなった「苛立ち」という感情は、最早正当性も倫理も何もかもを超え──邪悪へと堕ちる。
王都ファーマリウスの全てが凍り付いていく。大監獄のデミディナイトでさえも例外ではない。王城も、何もかも、何もかもだ。騎士団も復興作業を手伝ってくれた冒険者も、アツァら親のいない子を気にかけてくれた民も、全部、全員、すべて。
──願わくは、あの少年の道行が、血にまみれていることを。
誰かの言葉が。
その後。
数刻、あるいは十数刻後だろうか。
馬車を走らせてきた彼女が……溜息を吐く。
「……
元、王都ファーマリウス。
そこにあったのは氷山だった。
生存者など期待するべくもないが、一応形式として声をかけようとして、彼女はバックステップをする。
氷の侵蝕が伸びて来たから。
「意思持つ氷。ま、確実に感情結晶だ。……さて。そこの君」
「はい」
「周辺の都市へ、王都でまた異常が起こっていることと、ただし指示があるまで近づくな、ということを伝えて来てくれるかな」
「承知しました。ニギン様は?」
「後処理だよ」
自走するギミックも王都から離しているので十二分の成果だ。ついでにあのお姫様も。
であれば、この程度の惨状は鼻で笑って事足りる。
「──ウォッンカルヴァ。確か君の権能に、炎に纏わるものがあったね」
「あるにはあるが……『感情結晶』の出力相手だと、五分五分で終わるぞ」
「それは相手が感情結晶を十全に扱えていれば、の話だろう? 感情結晶側に振り回されている相手なら」
「逆だよ逆。人間が『感情結晶』扱ってんならどうとでも抑え込めるけど、『感情結晶』ってのは母さんから生まれた、謂わば形態が違うだけの神だ。『感情結晶』が人間を自由に操ってるんなら、その出力は文字通り際限がない」
「……使えない神だね」
「悪かったな」
ならば仕方がない、と。
ニギン・イアクリーズ・ヴァーハマットは、人目を確認して。
黒い翼を広げる。
「
直後、赤い闇色が迸る。
肌の色を赤に染め、右目の網膜の色を反転させたイアクリーズから──凄まじい熱量が放たれた。
「できないなりに働いてもらうよ、ウォッンカルヴァ。この氷山に酒をかけるくらいは造作もないだろう?」
「俺の酒を引火物として扱うのかよ……。はぁ、なんで俺はこう……名前といい権能といい、望んだ使われ方をしねぇんだ」
縮小していく氷山。
内側から冷気が来ているのに、一切意に介さず、イアクリーズの炎はそれを溶かしていく。
「……一応言っておくが、中の奴らはもう助からねえぞ」
「知っているとも。だから何も言わずに自分だけ離れたんじゃないか」
「はぁ? ……まさかお前」
「無論だよ。身分はあの三人を送り出すためだけのものだし、それまでの仕込みは私が騎士団にいなくても問題ないもの。とあらば、"守らなければならない無力な民草"などいなくなってくれた方が都合がいい。できれば私が手を汚さない形でね」
「……『縹苛結晶』の発生までお前が操ってたのか?」
「いや? けれど、スラムの子供達が"十八日間の悪夢"への憤りを持っていたことは事前に知っていたし、その矛先が処刑を楽しんでいた大人たちに向いていることもわかっていたからね。これであまりにも芽吹かないようだったら王族処刑記念のセレモニーでもやろうかと思っていたところだけど、いい具合に育っていてくれたようで安心したよ。なんせ世界の事情で物事が何段階か早まってしまっているから」
炎が──悉くを焼いていく。
溶かして焼いて、融かして灼いて。
無辜の民も邪悪を抱える者も冒険者も騎士団も──どうせ死んでいるのだし、なんて嘯いて。
「俺にはお前にこそ『感情結晶』がお似合いだと思うよ」
「残念ながら『萌欺結晶』は既に適合者がいてね。もう一つ私に適合しそうな感情結晶……『紺罪結晶』があったのだけど、ありがたいことに残念ながら、それは彼女が有している。リスクヘッジをした上での蛮行は、果たして野蛮と言えるのかな。──それに」
中心。
氷山の中心で──イアクリーズを睨みつける、少年。
「先に手をかけたのは、彼だよ。私は"後処理"をしただけ。──邪悪と謗られる所以が見当たらない」
「ぁ……ぁあああああ!!」
氷壁の中から、血を纏いて掴みかかってくる少年を。
開けた氷壁の全てに氷柱が生えたその光景を。
「『縹苛結晶』。別名を、イリテス。『
闇色の炎が、燃やし尽くす。
子供だからとか。
被害者だからとか。
相手が何で、どうだから、とか。
無い。
イアクリーズにそんな感傷は一切ない。
「……ああ、消えるのは無しだよ、『
燃え尽きた少年の遺骸からソレを抜き取って。
「さて、行こうかウォッンカルヴァ。あまり長居すると天龍を従えたお姫様が来てしまうから」
「……できるのなら呼びに行きたいくらいだ。はぁ、なんでこう……もっとサッパリした奴に……」
「苦言ならギギミミタタママに言いたまえよ。いや、言う資格は無いか。なんせ君のせいで私が生まれたのだから、ね?」
「……」
巨大な氷のサークルと焦土。
それが見つかるのは──もう少し先の話。
少なくとも、クロックノックが襲撃された後の話だ。
過去である今は──終わったことでしかない。
「ふふ、私はね、レディ。駒は手放せど……指し手から降りた覚えはないんだよ」
そう、天に言い放ち。
彼女と彼は、夜闇へと消えていった──。