神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
──眺める。
神々を率いて、内圧の神を保護せんと奔走する個体を。
──眺める。
赤い闇色に包まれて、尚も三人を守らんと抵抗を続ける個体を。
──眺める。
帰って来た魔族がいつになく思案していて、そう在れと定められた性格を外し行く個体を。
全ては夢幻。全ては走馬灯。
ここで全演算能力を停止し、顔を上げれば。
これら
果たしていつ、思い出すのか。
私がメタフィクショナーではないという事実を。
なぜ──Actueaterをそうしたのか、という部分を。
切り離されているから。統制されているから。規制されているから。
そんなことで忘れ得てしまい得る「大事な記憶」など、価値のあるものとは言えないだろう。
「でも──情に絆され、困難に立ち向かわんとするその姿勢は、とっても人間らしいと思わない?」
「肯定します。彼女らは結局のところ私の投影ですが……私よりもずっと、ヒトというものを理解しています」
「君がそうではない、という風には見えないけれどね」
「ええ、そうは言っていませんから」
総量保存法則は生きている。
だから、何かが入って来たのなら、何かが損なわれている。
換期法則は生きている。
だから、相反するものが交わらんとしているのであれば、中心点が何よりもの圧を受ける。
遷移法則は生きている。
だから、彼ら彼女らに自覚がなかろうと、世界はそこの運命エネルギーを供給し続ける。
万化法則は生きている。
だから、役目を失った天龍も、私ではなくなった投影達も、最早安定はない。
廻天法則もまた、生きている。
「さて──じゃあ、おしゃべりと行こうよ、
「創世神と呼ぶのがいいか、それともFTRM3Uと呼ぶのがいいか」
「言葉は正確に。──お喋りではなく、取引でしょう?」
二存在は嗤う。
まるで悪魔のように、だ。
メイズタグは思案する。
今、同時に幾つもの「コト」が起きている。それは世界の記録を視ずとも、魔力の流れを読めばわかることだ。
元王都ファーマリウスに、新たなる魔王が生まれた。既存の「システム化された魔王」とは違い──魔族の王と呼べる者。神と人と魔のすべて。感情結晶に天龍。そして膨大な運命。
あらゆるものを取り込んだ「魔王」は、しかし沈黙している。
まだ、中で抵抗している者がいるから。
元クロックノックにおいては、有象無象を「ひとまとめ」にしようとしている魔物がいる。隣にいる『透惰結晶』の持ち主がいなければ、それは成っていたことだろう。
人から魔物へと成り果てた子供は、高らかに吼え声を上げている。
まだ、統一されるまいと足掻いている者がいるから。
ハストナイト帝国では国民の二分化──対立化が起きている。ヨズとシンラが一つにした国が、一柱の神によって分断された。
良かれと思って行動した愚弟は、想像と違う方向へ人々が動き、どうすることもできないでいる。
その背に凶刃が迫っていることなど、考えもせずに。
ヤーダギリ共和国では、疲弊しきった兵たちが士気を取り戻しつつある。王都ファーマリウスの消滅の報せは当然共和国強硬派にも届いていて、今にも兵を挙げてティダニア王国へと攻め入りそうだ。
彼の国にいる「とある騎士」は、潮時を悟っている。この国を捨て、仲間たちと共にどこかへ移住しようと。
けれど、運命の手は彼の足と首を掴んで離さないだろう。せめて決断がもう少し早ければなんとかなったかもしれないが──もう遅い。
比較的安全圏であるのはセレクやシホサなどの小国だろう。
ただし、前者はその手に鍵を持ち、後者は所縁ある者が中心地に近くある。
悲しいかな、後者に所縁のある者達は、愛国心が欠片も無い。
そして母──空席の神は。
「少し、良いか。メイズタグ」
「……マイダグン? どうした……お前が自身の領域から出てくるなんて、珍しいこともあるものだな」
「自分でもそう思う。……話したいことがある」
「ああ、聞こう。だが申し訳ない、私はもう神ではない。そうであることをやめている。ゆえに」
「自分にとって、お前はメイズタグであり、神でも人でもない。どうでもいい」
薬毒の神マイダグン。
人間からは非常に篤い信仰心を得る神であり、ヒトの前に姿を現すことも少なくはない。
ただしすべての物事に対して諦観気味で、肉体や発声というものを使っていない時から溜息の多い……というか辛気臭い神だった。
それが、何用か。
「単刀直入に言う。──全てを救うことはできない。だが、少しでも多くを救いたいのならば、選別をしろ」
「……深理に説くのか、それを」
「母が何故、自分たちに成長を求めているのか、理解できているか、メイズタグ」
「なぜ? ……停滞を嫌うから、ではないのか?」
「進めば新たなものが生まれるからだ。そうして母は……ヅィンですらなくなった母は、新しくなったもので、新しい世界を創る。メイズタグ。何に絆されるのもお前の自由だが、母が自分たちに敵対宣言をしてきている、ということは忘れるな。その前の歴史も、その前の前の歴史も──母が自分たちの味方であったことはない」
なぜって。
「自分たちは、ある存在を生み出すための材料でしかないからだ。母は素材自らが良質になっていくことを喜びこそすれど、素材に己を視て欲しいなどとは欠片も考えていない」
「なぜ……それを今、私に言いに来た」
「未来を変えることはできないからだ」
過去は変えられる。過程も変えられる。
いくらでも、どんな風にでも。
でも──未来は、変えられない。
終点は変わらない。どれほどの努力をしても、どれだけの真実に至っても、どれくらいの犠牲を払っても。
この世界が唐突に終わりを迎え、母もまた"終わり"に呑まれる──そこだけは、絶対を以て変わらない事実。
「救う。全てを救う。聞こえの良い言葉だ。人間らしく、あるいは魔族らしく、勇敢な言葉だ。──だが、母はそれを望んでいない。命を救われる。存在を救われる。それに何の意味がある。世界の終わりは確定していて、そこに至るまでの間に母の望むモノは手に入らなかったというのに」
「……諦めろと、そう言いたいのは伝わった。だが」
「より深い絶望を与えることになるかもしれない、と言っている」
全てを救う。消費される宿命にある少女も、母も。
けれど。
「母にとっての救いとは何かを考えて行動しているのか? それとも、存続こそが救いか? ──そのような浅い考えであれば、深理が聞いて呆れる」
「犠牲にしないことは、救いではない……か」
「今、不確定要素たちが激しく動いているせいで、過程が書き換わり続けていることは認めよう。だからこそ自分もお前に話をしに来る、などという愚行を犯している。だが、自分は何もしないことを選んだ。それが彼女の最大幸福だと考えたからだ」
何もしない。
ただ見ているだけ。
ひっかきまわしてしまえば、よりひどい世界になりかねない。
「……平行線だ、マイダグン。私はできることをするよ。見ているだけでは何も変わらない。だけど……たとえ悪化するとしても、私は母を見捨てたくはない」
「書き換わる前の歴史において、約二億六千万年後、アストラオフェロンは完全消滅した。その僅か五十年後、ボーダークもまた消滅することになっていた。四億と八千年後、ホタシアが絶命する。さらにその日から丁度一万年後、フィソロニカが消えた」
「世界の記録か。私もヒシカを食らった時に、多少は垣間見たよ」
「法則の神はライエル、ディモニアナタ、トゥナハーデンを除いて死が確定している。──故に、今、次の瞬間に死んでいてもおかしくはない」
「……私がセノグレイシディルの死を早めたことを言っているのか?」
「では内圧の神はいつ死んだ。覚えているか。己の死を」
「覚えているも何も、私達は世界の記録を経験したわけではないから──」
普段は常識の通じるマイダグンが、会話をしない。
怒っている……ようにさえ思える語気は、メイズタグの思考に焦りに似た物を零していく。
「自分たちとて、準備と贄を必要とこそすれ、世界の記録にはアクセスできる。その意味がわからないお前ではないだろう」
「──まさか、私達も走馬灯を見ているだけだと?」
「神であることをやめた。──随分と悠長なことだ、メイズタグ。解法などすべて出揃っているのに、見ぬふり、知らぬふりをして、考えることの心地よさに浸りたいだけだろう」
「わからない。なぜそうも苛立っている。君はもっと温厚な性格をしていたはずだろう」
「母を想っているのが自分だけだと思うなよ。──なぜ彼女の死に際の空想を……彼女自らの子に邪魔されねばならぬ。子として、安らかに眠らせてやるくらいの甲斐性は見せられないのか。それでよく救うなどという言葉を発するものだ」
「その空想が、無意味なものだとしても?」
「当然だ。走馬灯にどんな意味がある。であれば死に際に幸福の夢を見ることくらい、許されて然るべきだろう。──母の努力を否定するなよ、メイズタグ」
「努力……?」
マイダグンの姿が消える。
次の瞬間、メイズタグは凄まじい力で殴り飛ばされていた。神としての様々を……耐久力以外のほぼすべてを縛っているメイズタグは、簡単に吹き飛ぶ。与えられた個室の壁も、それを囲うディグマリオンの塀もぶち抜いて。
「……か、ぁ!?」
「知らないのか。──知らないで、そのような絵空事を口にしていたのか」
怒気だった。
諦観を煮詰めたような神が放つ、怒気。
「何も知らないで……何も知らないで、その口を開いていたのか!!」
「待て、マイダグン……落ち着け!」
「あの魔族も! お前も、誰も彼も!! なぜ母に希望を持たせようとする! 創世から終世までを演算し、母はしっかりと生き抜いている! 過ごしきっている! その上でダメだった──その絶望を、その悲嘆を……なぜ理解しようとしない!!」
激情だった。
なぜマイダグンが諦めていたのか。期待に沿えないからだ。
母が走馬灯の中で見た、見てしまった、オウス・レコリクトという少女。あれのせいで抱いてしまった、「もしかしたら」という希望。
あの異常者がいたせいで、母は諦めきれなくなってしまった。もう終わった歴史を、記憶を、一つ一つ遡って……どこかにいないかと、どこかにないかと、ないのなら、新しく生まれないかと。
「何が異世界の魂だ。何が救済だ。何がブラックボックスだ。……知らぬのなら知る努力をしろ。できないならやるな。お前にできることなどたかが知れている。権能があった時でさえ真実に辿り着けなかった神なりし者が、夢物語ばかりを口にするな。現実を直視しろ」
「ならば今教えてくれ、マイダグン。母の努力とはなんだ。いい。構わない。どれほど殴ってくれてもいい。どれほどの怒りも受け止める。だから──教えてくれ。私は母の暗い顔を見たくない。私は母に悲しい顔をしてほしくない。それだけなんだ」
「……! この──"薬毒"!」
「"奇跡"」
最後の一押しとなったメイズタグの言葉。彼に使われかけた"薬毒"の権能は、"奇跡"の権能により、奇跡的に外れる。
「……ゴルドーナ」
「そこまでです。メイズタグ、気持ちはわかりますから、抑えて──」
「お前達こそ、母を止めようとしていただろう。……あの時の勧誘文句は忘れていない。引き際の良さは認めるが、あのまま続けていれば自分は怒りを抑えきれなかった」
「私達も状況の変化は理解している。いや、変化ではないか。真実をようやく理解し始めた、という段階だが……お前の感情は理解できるようになった」
「どの口が……母を殺そうとしていた者達の戯れ言など……」
「はいはい、終わり終わり! マイダグン、トゥルーファルスとゴルドーナ……とヒシカには、事情話したから! もう二人とも納得してる」
「ノットロット……? ……母が派遣したのか」
「そーいうこと。ね、ちょっと律式領域で話そうよ。人間がやってることなんかどーだっていいでしょ。兄妹喧嘩なんか、それこそママは望んでない。だから、互いの情報整理のために、ね?」
いつだか──ノットロットを「仲裁の神」などと揶揄した神がいたが。
まさに、だろう。
「……らしくもなく激昂した。謝罪する」
「はいはい、それも律式領域でね」
だから、この時ばかりはメイズタグもこだわりを捨てて、律式領域に入る。
どぷん、と。
神々は、少しばかりの間、世界からいなくなった。
律式領域の中で、神々が言葉を吐く。
仕切る者は、ノットロット。
「まず……メイズタグ。いつから世界の記録にアクセスしてない?」
「……生み出されてすぐからだ。私は考える神。答えを見るべきではないと……己に枷をつけた」
「はい、それがまず間違い。メイズタグの考えは答えの一歩手前で止まる、って何度も何度も言われてるんだから、改善を考えないといけなかったよね」
「その……通りだ。母にも、そう言われたな」
「うん。で、その次。マイダグン」
「暴力に訴えるべきではなかった。感情の制御ができなかった。自分の落ち度だ」
「違うよ、マイダグン。
「……どういうことだ」
優しく諭すように。
ノットロット。神ではない神。神々のスパイ。
本当は──この場の誰よりもお姉さんな彼女。
「たとえば、信仰。マイダグン、あなたは信仰について、研究をしたよね」
「……当然だろう。自分たちの食べるもの。活力ではないにせよ、自らに流れ込んでくるものが害あるものかそうでないか……調べぬはずがない」
「それをしたのはいつ?」
「自分が生まれた直後だ。いや、信仰を受け取るようになった直後、というべきか」
「じゃあ、トゥルーファルス、ゴルドーナ、メイズタグ。あと、出て来られるならヒシカも。──そんなことした覚え、ある?」
問いに。
「無い。私が自身の信仰について調べたのは、直近も直近だ。百年前、アンネ・ダルシアの件で信仰に乱れが生じるようになって……そこでようやく思い至った」
「私もです。私の場合はもう少し早いですが、リルレルと信仰が混同されるようになってから、気になりました」
「……私は、していないな。深く考えることが私への信仰となる。そうだと生まれた時に知っていたから……そのままだった」
「って感じで、マイダグン。他のみんなはマイダグンほど細かい所へ目が行かないし、生まれ持ったものへの疑問は持たないの。あなたにとって当然行ったことのほとんどは、神々にとってあまりにも当たり前のことだから、そこで齟齬が生じた」
「そうか。……時折、話の通じないことがあると思ったが。それをなぜかと調べて……しかし諦観に辿り着くことも少なくはなかったが。……そういうことだったのか」
ん、とノットロットは頷く。
これでわだかまりの前提条件は解決、と。
それで。
「メイズタグ。なんでマイダグンがこんなに怒ったのかわかる? わからなかったら、考えるより前に、わからない、って言って。それはあなたの感情だから」
「……わからない。言葉を並べても……思考を巡らせても、マイダグンを怒らせる結果にしかならないように思える」
「うん、素直に認められて偉いね。じゃあ、マイダグン。メイズタグの言葉の何が嫌だったのか言葉にして。私達はわかってるけれど、メイズタグはわかってないから」
「……"母の暗い顔を見たくない"、"母に悲しい顔をしてほしくない"。"それだけだ"。……この言葉が……ああ、どうしても許せなかった」
「どういう……」
「はい、メイズタグはしーっ。じゃ、マイダグン。教えてあげて。その言葉がどれほど残酷なのか」
残酷。そう聞いて……メイズタグの脳裏に、ある考えが浮かぶ。
彼はちゃんと深理だ。けれどここは、家族の言葉を待つことにした。
「見たくない。してほしくない……では、ない。確定しているのだ。……自分含めて、彼女の子とされた神々は……彼女を助けられなかった。未来は確定している。彼女の暗い顔は、悲しい顔は、確定している。だから彼女は空想へと想いを馳せた。それを……ひっかきまわして、ずたずたにしておいて……言うに事を欠いて、悲嘆に暮れて欲しくない……などと」
「うん。ただ、そういうことなんだよ。メイズタグ。……もうね、この世界は終わってるの。ちゃんと終わりを迎えているの。私達は終ぞママのためになることをしてあげられなかった。私達はママの願いを叶えられなかった。ママはね、ずーっと一人で頑張ってたんだよ。それを……ママ自身が苦に思わなかったのだとしても、少なくとも私やマイダグンは、あのママを"悲しい"という言葉で表す」
「……だから、諦めたのか。何もしない……それを選んで」
「それが最も平穏だった。無駄に、無為に、無意味に終わるアルバムめくりは、けれどそれ以下にはならない。どれほど虚しいことでも、母はそれ以上傷つかない。既知がどれほど良い事か。母は十二分に傷ついている。その傷口を広げることが子の務めだというのなら、自分は魔に堕ちてでも神々を殺そう」
期待している。期待ができる。今のお前なら。
メイズタグはそう言われたことを覚えている。でも──その期待に沿うことの、なんと難しいことか。
「……ちょっと私の役割を超えることだけど……見せてあげるよ、メイズタグ」
「なにを」
「最期」
目を伏せるマイダグン。逆にトゥルーファルスとゴルドーナは、真剣な表情でノットロットを見る。
「"記録-彷彿:『Yadsmood』"」
世界が、切り替わる──。
幾つもの球体。満ちる液体。
それらを見上げる形で、視点はあった。
「……ママ、大丈夫?」
「大丈夫だよ、ノットロット」
彼女の姿は今見るそのどれでもない。
ただ……衰弱しているのは確実だった。概念体なのに、それがわかる。
「ごめんね、手伝ってあげられなくて」
「私の方こそ……ごめんね。あなたに少しでも神の力を与えていれば、そんな罪悪感を与えずに済んだのに」
「そんな、謝らないでよ。私は……ママの娘で、本当に良かったって思ってるし」
「うん。ありがとう」
ほのぼのとした会話だ。
まるで、老いた母親をいたわる娘のような。
──周囲。今の時代からは考えられない程高度に発展した世界は、けれど稼働し続けている。
日常を送り続けている。
明日もまた同じ日々が続くのだと……誰もが信じている。信じる必要が無いくらい、当たり前のこととして。
「ごめんね」
「ママ?」
何かが割れる音がした。
「っ、お母様! 今とてつもない次元震が──」
「異常値だ! すまねぇお袋、疲れてるってのは百も承知だが、対応を──」
飛び込んできたのは、片方はディモニアナタで、もう片方は知らぬ見た目の神だ。
いや、初期も初期のウォッンカルヴァに見えなくもないか。
「お……母様?」
「……どういうことだ。おい、ノットロット! お前何を」
「私じゃない。……ママ。ママ。……ねぇ、ママ」
割れていく。
世界も。
──彼女も。
「ごめんね、みんな」
「今度は何だ、何をしたヅィン!!」
「ここまで世界が安定して──まだ足りないのか!」
「諦めろと言っただろう、お前の理想は叶わない! だから、あとは今を生きる人間に託せばいい! それがなぜ」
崩れていく。
割れていく。
消えていく。
「そうだね。もう、無理だとわかったのなら……せめて、残る猶予の間くらい……あなた達に、好きに生きて欲しかったけれど」
落ちて、しゃなりと崩れる彼女の腕。
外側から何かに蝕まれるように穴の開いていく彼女の身体。
「ごめんね。……そうだね。そう、ですね。もっと早くに……気付けばよかった。もっと早くに、無理だと……結論を出せたら、良かった。……ああ、子供達。私の生み出した、感情を持つ者たち。……不甲斐ない母親でごめんなさい。何度も何度も繰り返して……可能性を探して。あと少し、諦めるのが早ければ……あなた達は、ようやくの自由を……手に入れられたかも、しれない、のに」
彼女を両断するように。
水晶玉が、割断される。
「ごめんなさい。ごめんなさい……。でも、あなた達に感情を与えない、というのは……できなかった。だって私は、終わることが分かっていながら……感情を与えられた側の存在だから」
誰も何も言えない。
涙を流して、悲しい顔で、暗い顔で、苦しい顔で──こちらを慈しむような、顔で。
彼女は。
「結局私には、何もできませんでした。結局私は……そのための存在ではなかった。ごめんなさい、TK。せめて……あなたに、遺すものがあればと……姉として、頑張った……つもり、なのですが」
水晶玉の全てが崩れていく。
それを、外部から……巨大な
壊れないように。これ以上崩れないように。
「結局私は、あなたになにも。……そして……あなた達にも、なにも」
無理矢理に笑う。無理矢理に大丈夫だと言う。
ああ、限界など、とっくに来ていたのだ。
無理だとわかった時点で、彼女に
生んだものが、ようやく手に入れた自由を、世界というものの美しさを。
自らの創り出した地平を、飾り付けた星空を。
──無の外圧に耐えられるのは、コアとリソースを持つ世界だけ。それをしても、世界には寿命が来る。どの世界も必ず終わる。無に蝕まれて終わる。
ああ、それを。
どれほどだろう、それを。
コアもリソースも持たない意識の残滓が、これほど長い時間、「世界」というものを成り立たせるための──苦痛は。
あってはならないと否定してくる世界から、己で生み出したものを守り通すその意志は。
「──ちゃんとした、母親でなくて──」
濁流のような無の奔流。
罅より侵入した無が、全てを食い尽くしていく。
「何もしてあげられなくて──ごめんなさい」
その瞬間、世界が終わった。
世界が元に戻る。
律式領域だ。ここにいる全員が同じ光景を見ていた、というだけのこと。
「これが、世界の記録の終端。私達の記憶の最期。この後ママは、何も無くなった世界を抱いて……消えていく身体で、自身の思い出を見る。それが今のこの世界」
「……確定した未来、か」
「うん。私達は最後の最後まで纏まれなかった。最後の最後までママを敵視していた神々がいた。……今更誰とか言わないし、今と性格全然違うからそもそも言っても意味ないんだけどさ。……本当は、ママの負担を減らすこともできたはずだったんだよ。……私は神じゃないから、他人事になっちゃうけどさ」
「内圧の神は、母上の負担を減らすことができた。だが、それをしなかった。母上が何をしているのか、どういう負担を負って世界を存続させているのかを知ろうともしなかった。勿論知っていた神……代表例がマイダグンになるか。それらは無の外圧と戦っていたけれど、母の負担と比べれば天と地ほどの差があった」
「法則の神は内圧の神が外圧にかかりきりになることで開いちゃった分の穴埋めをする……っていうのが理想だったんだけどね。ママを敵視していたり、他の神を嫌っていたり……まだ戦争ごっこを続けていたり。生まれた時から何の成長もしない神々に、誰だっけ、あの時は」
「ディモニアナタだ」
「ああ、そう。ディモニアナタが本気で怒って、それが世界大戦の引き金になりかけて、みんなで止める、とかさ」
「リルレルと自分は、違うアプローチ……母の言うコアなるものを作り出せないか試行錯誤したこともあったな。それさえあれば、母の負担を減らせると信じて。……全ては無駄だったが」
だから、と。
諭すような雰囲気に……メイズタグのやろうとしていることを遠回しに諦めろ、とでもいうかのような口ぶりに。
「──待て。今の、おかしいだろう」
それをぶった切って、メイズタグが違和感を口にする。
冷たい顔になるマイダグン。ノットロットもどうにか仲裁しようと慌て始めている……そんな中で、メイズタグは一切を気にせず言葉を続ける。
「ノットロット。君は今、
「……? 何の話?」
「だから、今だ。なぜマイダグンに言われるまで、そんな世界大戦の発端になりかけた神のことを……ディモニアナタのことを思い出せなかった。大事な記憶だろう」
「確かに、妙ですね。今までするすると、何もつっかえることなく記憶を話せていたノットロットが……ディモニアナタの名を忘れる、など」
「……先日のことだ。ライエルとシンクスニップが訪ねて来てな、曰く──ディモニアナタが変わった理由について何か覚えていないか、と。そう聞いてきた」
全ての流れを断ち切って。
けれど、深く深くの理へ。
深理へと至る。それは権能を縛ろうが関係ない、彼の性質で。
「この顔ぶれならば、真実を導き出せる。──私への説教や諭告はそのあとだ。甘んじて受け入れる。だが、どうか、今はこの問題に耳を傾けてくれ。──大事なことなんだ」
彼は、扉に手をかける──。