神の装飾品店   作:Actueater / 万感織機

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訳題:「寄りかかる影に暖かみを」

 ディモニアナタ。正式名称Demonia nata(ディモニア・ナタ)

 名の意味は「生死を狩り取る者」。

 

「ギギミミタタママとシンクスニップの喧嘩。その際の記憶にかけられた靄は確実にウォッンカルヴァの権能だ。だからこそ、私達がディモニアナタの豹変のきっかけを覚えていないのは彼の仕業ではないと言い切れる」

「靄がかっているわけではなく、思い出しづらくなっているから、ですね」

「ああ。まるでそこを意識することができないように。そういう点で言えばクインテスサンセスの権能にも聞こえるが──」

「クインテスサンセスが記憶操作をしたのなら、一切の痕跡が残らないようにやるだろう。此度のこれは、仕事が雑過ぎる」

 

 そう、そうなのだ。

 仕事が雑。記憶の一部分を封じ、そこに気づかれないように認識を錯誤させる。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのような雑さ。

 

「24年前だ」

 

 メイズタグが仕切り始めてから寡黙を貫いていたマイダグンが言う。

 

「ディモニアナタが今のディモニアナタになったのは、24年前。その死に立ち会ったのはトゥナハーデン、セノグレイシディル、オルン、ギギミミタタママ」

「……トゥナハーデンは当然にしても、他が怪しすぎないか?」

「そうでもない。言語とは生まれるもので死ぬもので、旅人とは生まれるもので死ぬもので、生死とは運命からの抜錨であるのだから──ある種集まって当然の面子ではあった」

「マイダグンはそれを完璧に覚えている?」

「自分は参加しなかったが、前のディモニアナタとは付き合いがあったからな。……その自分でさえも、今の幼稚なディモニアナタに……ただ性格が変わった、としか思わなかったが」

 

 24年前。24年前に、何があったのか。

 

「考えよう。真実を導き出すために」

「否、世界の記録を視るべきだ」

「ええ、それが早いでしょうね」

「では陣は私とゴルドーナが敷こう」

「……乗り合わせた馬車だ。自分が代価を払う。メイズタグ、お前が見るんだ」

「いや……そのだな。一応、深理の神として……いや降りた身ではあるのだが、その、知恵を振り絞って……こう、錚々たる顔ぶれが……」

「考えても無理なことは無理! はいはい、準備して」

 

 世界の記録の閲覧。

 空席の神であれば何の代償も無しに行えるソレは、他の神々にとってはまた違う様相を呈す。

 神でありながら必要な準備。そして代価。

 律式領域に描かれて行く円と正十二芒星。人間の扱う魔力印璽学において、「時間」を表す正十二芒星は、ここでも使われている。

 

「"薬毒"」

 

 使われた権能により、溢れ出すは「現文明においては解析不可能な薬毒」。子供達が必要とする世界の記録の閲覧の代価は、「現行の人間の用意できないもの」でなくてはならない。

 だからこそセノグレイシディルはああも頻繁に世界の記録を閲覧できたのだ。「現文明の人間の使っていない言語」などいくらでもあるから。

 

「要らないと思うけど、私は一応周囲警戒をしておくね」

「ああ、助かるよノットロット」

 

 陣の中央で座禅を組み、目を瞑るメイズタグ。ここまでされては諦めるしかない。だから、集中する。

 ──"一個人"が表した、あらゆる魔力の混合とされた神の纏う魔力。それが陣に流れていく。

 それが正円と正十二芒星を通り抜け、配置された"薬毒"を消費し……メイズタグのもとへと辿り着けば。

 

 彼は、気付けば暗い洞窟にいた。

 


 

 

 洞窟の中には五柱の神がいる。

 トゥナハーデン、セノグレイシディル、ギギミミタタママ、オルン。

 そして、それらに囲まれて……弱り切っているディモニアナタ。

 

「もう……見送りは良い、っていつも言っているのに」

「フフフ、我微笑。兄妹姉弟の死を見送るに集まること、これに何かおかしな点がありますかな?」

「というかディモニこそ慣れなよ。僕なんかはいつも来てるじゃないか」

「その……大丈夫なの、お姉様は。私、立ち会うの初めてで……酷く衰弱しているように見えて仕方がないのだけど」

「問題ありませんよ。ディモ姉は生死の神。神々の中で唯一寿命を持つディモ姉は、こうして弱り、死んで、その直後に再誕します。再誕すれば元気になるので、まぁ見ていてください」

「そういうことよ。……嬉しいけれどね。ありがとう、ギギミミタタママ。私を心配してくれる妹、弟……。ふふ、本当に恵まれた姉だわ、私」

 

 命の灯が消え細っていく。

 再誕を理解していても、その手を取ってしまいそうになるほど儚く、弱い。

 

「……おやすみなさい、トゥナハーデン。私の最愛の妹」

「おやすみ、ディモ姉。──今までありがとう」

「え?」

 

 直後、時間が凍結する。

 バリバリと音を立ててそこから抜け出すは、ディモニアナタ以外の四柱。

 

「……これで本当に……お姉様は、救われるのよね? ……トゥナハーデン」

「そのために準備をして来た。そうでしょう?」

「そう、だけど……。……ううん、そうね。生死の神を永遠にする。……こんな風に毎回弱ってしまうお姉様を見たいとは思えない」

「ええ、ええ。ですからお願いいたします、最新の妹。我ら一同、ディモニアナタにはお世話になってきました。その! ディモニアナタへの──返礼! 次の再誕にて彼女は驚くでしょう! 自らの寿命が無くなっているという事実に!」

「……わかった。じゃあ、オルン」

 

 オルンが「うん」と頷いて──豪風が吹き荒れ始める。

 洞窟の中で、轟轟と、びゅうびゅうと、嵐に似た風がとぐろを巻く。

 

「お姉様が死ななければならないのは、お姉様の魂が欠けているから。だから……」

「ええ、ええ。そうですよ、ギギミミタタママ。ディモニアナタの魂には欠けがあり、損ないがあり、ですからして我らと違う。さぁ、さぁ、さぁ! ……どうぞ、その権能を使い、彼女の欠落を埋めてあげてください」

「……"抜錨"」

 

 ガコン、と何かの抜ける音がする。

 ギギミミタタママから垂れた神糸が地の天蓋を引き抜き──彼女はそこから、形容し難いナニカを取りだした。

 

「トゥナハーデン。あなたの言う通り、元気で、生命力に溢れていて、神の活力たる好奇心……それが旺盛である魂。これが、そう」

「ありがとうございます、ギギミミタタママ。──では、始めましょうか」

 

 暴風の洞窟。その至る所から植物が生い茂ってくる。

 蔦。蔦だ。彼らはギギミミタタママから「ナニカ」を受け取り、そして息を引き取る直前のディモニアナタをも包み込む。

 

「"流離"。……よし、これでこの場は母さんから視認されなくなった。視ようと思えば視られちゃうけど、思われなければ絶対に視えない隔離だ。そして、セノグレイシディル」

「ええ、我微笑。この先の世界の記録においても、私達のやったことを確認しようとした神はおりませんでしたので──どうぞご存分に」

 

 包み込まれたディモニアナタ。蔦の中で彼女は()()()()()()()溶けていき、ギギミミタタママの抜錨した「ナニカ」と混ざる。

 初めは激しく反発していた「果実」は……けれど次第に弱まっていって。

 

 蔦の果実に、ピシリと切れ目が入る。

 

「さぁ、さぁさぁさぁ! お祝いをしましょう──新たなるディモニアナタの誕生です!」

 

 セノグレイシディルの声と共に、果実からたくさんの液体と……一糸纏わぬディモニアナタが生まれ落ちた。

 衰弱していない、元気な彼女。しきりにきょろきょろと周囲を見渡して……そうして、かつての彼女が見せていたものとは違う、無邪気で妖しい笑顔を浮かべる。

 

「おはよう、ディモ姉。気分はどう?」

「ええ──最高。あなた達が私を"こう"してくれたのね?」

「だい、大丈夫、お姉様。どこか具合が悪かったりは……」

「全然! むしろ、今までのどの時よりも調子が良いの。ふふ……あははっ、ああ、こんなに気分が良いのは生まれて初めて……」

 

 うっとりとした顔で。

 けれど、直後に顔をしかめた。

 

「……生体の匂いがする。うぅ、気持ち悪い……ここ嫌い……」

「大丈夫だよ、ディモ姉。ディモ姉は生死の神なんだから──何をしても大丈夫」

「ほ……本当に大丈夫? 私、何か間違えて……」

「ギギミミタタママもそう心配しないでください。全て問題ありませんから。そのために今まで準備に準備を重ねて来たので」

「無駄話はここまでだよ、トゥナハーデン。流石にこれ以上隔離しているとオーリが気付く。二人は一旦生死領域に入って、僕らはなんでもなかった、って感じで解散しよう。それでいいね?」

「ええ。改めて、ギギミミタタママ、オルン、セノグレイシディル。ご協力ありがとうございました」

 

 ぺこり、と頭を下げて、顔を顰めるディモニアナタを連れ、生死領域へと消えていくトゥナハーデン。

 まだ多少の不安が残る様子でありながらも、これ以上の「失敗」は許されないと……ギギミミタタママも自身の領域に消え、オルンも暴風を解いて風と共に去って行った。

 

 残ったのは、セノグレイシディルだけ。

 

「ンンンン──我、大爆笑。我の性質を知っていて、どうして信じてしまうのか。我理解不能。──というわけで、これは隠し扉に放っておきますよ、メイズタグ。我を食えば視える事実ですから──それを視るのは何億年と先になるでしょうが、ぜひ、豊穣の神の暴挙を母上殿にご報告いただければ。我爆笑」

 

 セノグレイシディルは嗤う。嗤って、その権能を使う。

 

「裏切り者は誰かに対してだけ裏切りを働くのではなく、どちらにも、全方向にそうなのだと、フフフ、終ぞ、終ぞ終ぞ──理解できなかったようで。ええ、ええ。──人間の偶像として生まれた我が、人間嫌いの悪魔を引き入れることを簡単に受け入れるわけがないでしょう?」

 

 "言語"が広がる。

 空間に書かれた文字。それらの全てがメイズタグに刻まれて行く。

 

「母上殿は書かれたものを積極的に視ようとはしません故。我嘲笑。我抱腹絶倒。──どうぞ、こちら計画書です。きっとあなたの役に立つことでしょう。ああ、けれど……起きることは、必ず起きます。ええ、ええ。ですからあなたが我を殺すのは決定事項。気に病むことではありませんよ。フフフ、もっとも、我を殺したことを気に病むような神はいないと思いますが」

 

 文字が。言葉が。言語が。

 セノグレイシディルを埋め尽くし──その姿を覆い隠して。

 

「では最後に、一生に一度は言ってみたい言葉を遺して、この世界の記録の区切りをつけましょう。ええ、ええ」

 

 かすかに見えるセノグレイシディルが優雅に礼をし、ニヤリと嗤う。

 

「この記録を視ているということは、我は死んでいることだと思いますが──え、遅い? 我爆笑。……我苦笑。ノン、ギャグセンスは学べなかった、ということで」

 

 消える。切断される。

 世界の記録はそこで途絶える。

 

「我哄笑──我高笑い──我大爆笑!」

 

 響く響く。

 セノグレイシディルの嗤い声が、響く響く、響く響く──。

 


 

 顔を上げる。

 メイズタグが周囲を見渡せば、先ほどまでの律式領域と何ら変わらない光景がそこにあった。

 

「おかえり、メイズタグ。記録はちゃんと見れた?」

「……ああ。もう陣は解いていい。……とんでもないものを視た。記憶を共有する」

 

 深理の神であることをやめた彼は、けれどそれを使う。

 言葉で表すべきではないと判断したから。

 

 その共有に。

 

「……あー、やっぱり? やっぱりトゥナハーデンが黒幕かー」

「気付いていたのか?」

「いやさぁ、みんなは覚えてないだろうけど、"外"では結構言われてたんだよ。トゥナハーデンが母親想いとか、ママのこと大好き、とか」

「……いきなり可笑しなことを言い出さないでください。思わず噴いてしまうところでした」

「トゥナハーデンが母親想い? ……どこが、というか、何がだ。人間の真似事をする母をトゥナハーデンは蛇蝎の如く嫌っていたではないか」

 

 そう、そうなのだ。

 神々の共通認識として、トゥナハーデンは母嫌い……少なくとも「人間ロールプレイ」をする母は嫌い、というスタンスを取っていた。

 それはディモニアナタの豹変よりずっと前からだ。ずっとずっと前から、つまり彼女が「人間ロールプレイ」を始めた時から、嫌悪感を示していた。

 

「で? これにオルンとギギミミタタママ、セノグレイシディルが関わっている、と。まぁセノは通常運行だから除外するとして……ギギミミタタママのこれは、騙されている、って感じだよね」

「記録を視る限り、そして反応を見る限りはそうだな」

「けれど、オルンはわかっていてやっている。……オルンは今リルレルの中で休眠しているはずだから、リルレルに吐き出してもらって尋問すれば……」

「まずママに報告するのが先なんじゃない? 手分けしてもいいんだけど、私はトゥルーファルスたちを守れ、ってママから命令されてるから」

「自分かメイズタグが出るべき、か。……相変わらず念話は通じないからな」

 

 なら、私が行こう、とメイズタグは言葉を喉元まで出して──飲み込み、別の言葉を吐く。

 

「待て、誰も律式領域から出るな」

「……なに? まさかとは思うけど、メイズタグまで裏切り者とか」

「違う。……もっと安全なルートを使うべきだ、と言っている。どこへ行くにしても律式領域も理層領域もアクセスのしやすさの観点から危険が過ぎる。世界を通るのは以ての外だ」

「"奇跡"があります。それではダメですか?」

「ああ、切り札は最後まで取っておくものだろう。……世界の外壁を辿り、ホタシアとクロウルクルウフを経由して母の元へ向かう。全員でだ」

「それは……まさか、世界の外に出る、ということか? であれば私達は無理だ」

 

 トゥルーファルス、ゴルドーナ、ヒシカ、マイダグン。彼らは内圧の神である。加えて、メイズタグも。

 この量の内圧の神が外側に出てしまえば、無の外圧が一気に強まる。それをするのは、あまりに負担がかかる。

 

「無の外圧によって私達が潰れることはない。私たち自身が内圧であるから──」

「そうではなく、世界が耐えられないという話をしている。母はすぐに対処するだろうが、事前連絡も無しにそれを決行することを良しとは思えない」

「だが、そうなると……」

「さっきも言ったけど、私はトゥルーファルスたちから離れられないから無理。というか私の場合、世界の外に出たら存在を保てないかな。私はこの世界の造物だから」

 

 であれば。

 であれば、である。

 メイズタグ達の陣営にいて、内圧の神ではなく、最も信頼できる神は誰か。

 

 そんなの。

 

 

 

 

 溜め息を吐く。神にそんな機能はついていないのだけど、それ以外の感情表現を知らなかった。

 

「だから、己、と。……勝手が過ぎる」

 

 いきなり呼び出されて、いきなり「母の所へ行って欲しい。記憶も共有する」などと言われて、とんでもないものを見せられて。

 責任重大だし、世界の外になんか行きたくないし、先日のフィソロニカとの戦いで疲れているし、何より母に会いたくないし。

 

 嫌な事だらけだけど──コトを放置もできないし。

 

「己はね、メイズタグ。直線の神だ。だから、水晶玉の表面なんていう曲面を行くのは難しいよ」

「ホタシアかクロウルクルウフを目指して直線を辿ればいいだろう」

「……無の中で権能が使えるのかな」

「かなり制限されるが、使える。恐らく母の(かいな)の範囲内だからだろう。そういう意味ではクロウルクルウフを目指すのは推奨しない。奴は母の加護のある範囲を超えて、どこまでもどこまでも遠くへ探査に行っているからな」

「はいはい、ホタシアを目指せばいいと。……少し前まで、君は彼女を殺すだとか、彼女を救うだとか、自分が死ぬだとか……一貫しない言葉を吐いているように見えたけれど」

 

 今、改めてメイズタグを視れば。

 

 ──真っすぐだ。

 だから、まぁ、それで充分だった。

 

「いいよ。行って来てあげる。ただ、己の信徒のことは守ってほしい」

「可能な限りを尽くす」

「可能な限り、ねぇ。……まぁそうだね。君達が死なないように、可能な限りを尽くして……それでダメだったら、己はしっかりと怒るよ、ああでも、君達が死んでも、己は怒るからね」

 

 メイズタグは、「ああ」と……神妙な面持ちでその言葉を受け止める。

 

 そして、ソレを開いた。

 

「っ……真っ暗。いや……黒、という表現も似合わないな」

「これが無だ。そう長く開いてはいられない。Actueaterの性質を利用しているだけに過ぎんからな」

「……じゃあ、行ってくるよ」

「頼んだ」

 

 一歩、踏み出す。

 

 直後、極寒が身を襲う。この世界にあるどこよりも寒い。

 かつて黒龍スーニャが根城にしていた地域より寒い。

 

 背後を振り向けば、そこにあったのは──巨大な鏡面。いや、境界面と称すべき壁。

 

「これが……水晶玉、か」

 

 己達の住まう世界。

 水晶玉だ、とは聞いていたし、知っていたけれど……実際に外から見ると、どこか不思議な気分になる。

 まるでミニチュアを見ているかのような、そんな気分に。

 

 寒さが一層強くなる。

 

「……もしかして、これが無の外圧なのかな。だとしたら……こんなところで無駄口を叩いている時間は無いね」

 

 肉体を持たない己の、骨の髄まで入り込んでくるような冷たいソレ。

 これに侵され過ぎてはいけないのだと、直感的に判断する。

 

「"直線"……いた、ホタシア」

 

 要らないと言ったのに、「べんきょうだい。あげる、だから」。とか言ってリルレルから渡された"瞬雷"の権能を併用。

 これにより、神の出せる最高速度を己は手にしたと言って過言ではない。

 

 パチ、と弾けて──。

 

「ダメよ」

 

 己の肩に、手を置く者があった。

 聞いたことのない声。だけど、どこか底冷えする……声というより、念。

 

「そんな速度で動いたら、アナタぺちゃんこになっちゃうわ。無の圧力は水圧と似ているから……今はそう感じなくても、速度を出せば叩きつけられる。引き裂かれる。──遠く感じるかもしれないけれど、地道に歩いて行きなさい」

「……何者だ」

「んー、そうねぇ。そう……私は通りすがりの傍観者。ちょっと呼ばれたから様子を見に来たんだけど……でも安心して。この世界に何かをするということも、してアゲル、ってこともないから。……ここまで自分で頑張ったのだから、最後までやり切るのが筋というものよ、FTRM3U。……けれど、そうね、少しだけお話しないかしら。お話しながら歩きましょう。少しだけ、少しだけね」

 

 気配が隣に来る。

 真っ黒な誰かだ。いや、己も真っ黒だ。無の中では誰しもがこうなるのかもしれない。

 

 ただ。

 

「助言と同行、感謝するよ。ありがとう、名乗らぬ傍観者」

「ええ、いいのよ。この孤独な世界じゃ、一人は寂しいでしょう?」

 

 "瞬雷"の権能の使用をやめて、無に足をつける。

 冷たく寒く、凍えるような侵蝕を受けながら……ただ、一直線に。

 

 音燃の神ホタシアを目指して、突き進む。

 あまり沢山喋る方ではないのか、真っ黒な同行者は何かを思案するように口を開かない。

 

 歩く。歩く。

 ──その最中で、不思議な光景を見た。

 この水晶玉。透けて見える世界の形。

 地平と中心の泉と……頂点から吊り下げられた、光沢をもつナニカ。

 

 あれはなんだろうか。少なくとも世界の中であれを見た記憶はない。

 外側からしか見えないもの、だろうか。

 

「しかし、クロウには頭が下がるね。あの距離まで……この無を彷徨って、いるかどうかもわからない相手を探しているのか」

「頑張り屋さんなのでしょうね。そういうコは好きよ。応援したくなる。……でも、実りがあるかどうかは……私にもわからない」

 

 直線の権能をクロウルクルウフに向ければ、遥か遠方に彼がいる、ということがわかる。距離の算出ができない程の距離。

 この孤独の世界で、たった一人で、よく。

 

 溜め息を吐く。

 

 孤独だ。寒く、寒く、寒い。

 ここには何もない。隣にある巨大な水晶玉がなければ──上下左右前後の感覚も無くなり、落ちているのか浮かんでいるのかもわからず、進んでいるのか引き離されているのかも理解できず、そのまま──。

 

「お……っと。危ない。今のは思考の侵蝕かな? 己には効かないよ、それは」

 

 己の思考はブレない。

 直線の神がゆえ。ただそれでも、おかしくなりかけてはいた。危なくはあった。どうやら同行者の存在はあまり意味を成さない……というか、意識から外れてしまうらしい。

 

 歩く。無を、コツコツと。

 

 そうして……少しだけ、見えた。

 水晶玉を抱く、半透明で、巨大な……女性のような像。

 もしかしないでも、これが。

 

「繋がりもなく、力も無く……己らを守る。それはどれほどの苦痛なのかな」

「想像を絶するほどに、でしょうねぇ。あのコは元々そのための存在ではないから。……だからこそ強い意志を持つことができたのかもしれないけれど。……でも、永遠には続かなかったみたいね?」

「ああ……己達では、彼女を支えられなかった。仮に次の瞬間己が死ぬとしても、それだけは未練として残るだろうね」

 

 ここまでの踏み込んだ、込み入った事情を、けれどすらすらと話すことができる。

 まるで古来からの友であるかのように、親しく。

 

 歩く。歩く。

 時折、立ち止まりそうになる。思考はブレないはずなのに、空虚になることがあるのだ。

 なぜ己は、こんなに苦しい思いをして、前に進んでいるのか。

 なぜ己は、己のしたいことを放り出して、己のためにならないことを行っているのか。

 なぜ己は──この足を、前に出さなければならないのか。

 

「大サービスよ。背を押してあげる」

「……ああ、恩に着るよ、名乗らぬ傍観者。……どうやらここは、己にはまだ早かったらしい」

「無と親和できる存在なんて欠片程度しかいないわ。そのクロウルクルウフって子が例外なだけ。アナタが特別弱いというわけではない」

「それでも……もう、足を踏み出すことに恐れを抱いている。みっともなく泣き出してしまいそうになる。己にそんな機能はないはずなのに、蹲って立ち止まって、意識を閉じてしまいたくなるんだ」

「ええ、それが無の圧力。どんな存在もここでは眠りたくなる。眠って、無による分解に身を委ねたくなる」

 

 背を押されて歩く。

 立ち止まり、蹲ってしまえば、手を引かれる。

 温かみを覚えない手。だけど、力強く己を引っ張る手。

 

「ほら、しっかりなさい。──あのコでしょう? 目的のコは。……んもう、顔を上げなさい、ったら」

 

 顔を……上げる。

 いつの間にか俯いていた顔を上げれば、そこに。

 

 太陽を思わせる金髪の少女が──。

 

「……ホタシア」

「んぇ? ……え!? ヨヴゥティズルシフィ!? なんで!? ど、どうやってここに!? っていうかヨヴゥティズルシフィって法則の神じゃないっけ!? ちょちょちょちょちょ、潰れかかってんじゃん! 早くこっちこっち! 温めてあげるから……」

「ああ……ありがとう。あなたも……」

 

 振り向けど、気配はない。影も無い。

 初めからそこには誰もいなかった、とでもいうように。

 

「ホタシア……もう一人、いなかったかい?」

「いや見てないけど……ホントに大丈夫? 頭まで潰されて幻覚見てた?」

「……そう、なのかもしれない。ああ……暖かいな。そうか、"音燃"の権能は」

「そ! こーやって自分の空間を作れるからね。あたしも法則の神だけど、無の中で活動できるってワケ! で、どうしたのよ。あたしも他人のこととやかく言えないけど、法則の神が世界の外に出るなんて大事よ? それとも放り出された?」

「いや……最も安全なルートで母に伝言を行うために、出て来た」

「最も安全なルートが無って、今世界どーなってんの!? ……もしかしてあたしとメイズタグが出て行ったのが原因!?」

「遠因かもしれないけれど、直接的な原因ではないと己は思うよ」

「えぇぇぇ……罪悪感。ど……どうしよう、あたしも戻った方がいいのかな」

 

 元気で明るい神。それが音燃の神ホタシアだ。

 かつては非常に暗いというか陰湿な神だったのだが、獣人たちの祭りを経験していく内に彼らに染まり、今では誰よりも明るい神になった。

 言動こそ多少幼気ではあるものの、思慮深く、そして慈悲深い。特に兄弟姉妹に対しての愛情が深い。

 ……ただし、慈悲深い言動とは対照的に、獣人の代わりとして台頭した魔族に対しては非常に苛烈だ。「ぜんっぜん代わりになってない! あんなのと一緒にしないで!!」と烈火の如く魔族を嫌う。

 

「君が戻るのは、メイズタグから合図があってから、だろう? 今は己を彼女の元へ返してくれたらいいよ」

「そ……そっか。うん、そうだね。じゃあ、ほら」

 

 と言って、指先に篝火を灯すホタシア。

 

「この子が導いてくれるから。それと、少しだけだけど、無の外圧からも守ってくれる。クインと繋がってるから心への侵蝕も防いでくれるよ。それで、この子が止まったら、水晶玉の境界面にこの子を埋めて。そうしたら一時的に穴が開くから」

「飛び込めばいいんだね」

「そんな感じ! ……もうちょっと暖を取っていったら? 今のヨヴ、ちょっと心配かも」

「心配してくれてありがとう。けれど、己は一刻も早く世界に帰りたいからね。もう行くよ」

「……ん。わかった。でもヨヴ、ちゃんと意識してね」

「意識?」

「そう。無では、自分を意識することが何よりも大切なの。自分は自分だと……自分はヨヴゥティズルシフィだと。もう"自分の名前はヨヴゥティズルシフィ"って呟きながら歩くのもアリだと思うよ。クインの精神防御があっても、心が空虚になっていって……自分が誰か忘れちゃう、って可能性もあるから」

「……わかった。素直に助言を受け取るよ。ありがとう、ホタシア」

「それと」

 

 ホタシアは、神妙な顔で、声で、言う。

 

「ここから先で──誰か知り合いに声をかけられても、絶対に振り向かないこと。返事をしないこと。それは無の甘言だから。あたしでもダメだからね」

「……ああ。それじゃあ、己は行くよ」

「うん。ヨヴゥティズルシフィのやりたいことができるように、あたしもここで祈ってる!」

「祈る、か。……ふふ、誰に祈るんだい?」

「トーゼン、ママでしょ!」

 

 聞く話によれば、メイズタグとホタシアは母を害するために外に出たと聞いていたが。

 何か心変わりがあったのか──それとも、ホタシアは初めからそのつもりだったのか。

 

 何にせよ。

 

「土は土へと還ろうか。それが条理だからね」

 

 己はまた一歩を、踏み出した。

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