神の装飾品店 作:Actueater / 万感織機
楽しい時間というのは、けれどあっという間に終わるものだ。
荒い呼気。上下する肩。体に浮かぶ火傷の痕は、こちらの炎が焼いたもの。
「出力。あるいは、スタミナの差。……これが結末というのは、些か名残惜しいものだね」
「もう勝った気でいるとは、気の早きものよ」
「ああ、君はそうだろう。君はまだまだ粘り強く戦い続ける。──私が言っているのは、下だよ」
下。
だから、元魔王や魔族たちの戦いだ。
「……っ」
「天龍六体。最初に君の攻撃を防いだソラムはまだいい方だ。その後に出て来た天龍は、そのほとんどが理不尽な性質を有している。アンデッドの群れなど歯牙にもかけず、マトモにやりあえるのは『黒縁結晶』の持ち主たる魔族と元魔王だけ。けれど元魔王は君に防護をかけているから、割けるリソースに限りがある。対して私のしもべとなった天龍達に加減はない」
惨憺たる有様、なのだろう。
ぐちゃぐちゃに蹴散らかされたアンデッドらの肉片と、そして……この場に現れるには余りにも足りなかったホムンクルスの耐久性。
確かにファーマリウスで摘み取った命を逆利用されたのは驚いたけれど、その程度で潰されるものではない。"アンネ・ダルシア"がイアクリーズより死者の扱いに長けているのなら、イアクリーズの方が"アンネ・ダルシア"より魔力の扱いに長けていた。それだけだろう。
「大将首を落とすには、君もまた、出力が足りない。だから彼らも負けていく。間に合わずにね」
「信じていると、そう言った」
「無責任な言葉だよ」
もう少し踊っていたかった。
だから、加減したけれど。
もう終わりだ。可哀想だからもっともっと痛めつけてあげる、なんて魔族の思考に蝕まれているつもりはない。
「オーティアルパ。イーゥクレイム。最大解放で、終わらせてあげるといい」
鱗粉に途方もない力を持つ二体の天龍。
あれらがその暴虐を世界に撒き散らすだけで、終わる。
終わる。
終わる。
終わる……はず、なのに。
「……?」
「
聞こえるはずのない声が聞こえた。
いや、生きているのは知っていたし、動き始めたことも知っていた。けれど球体の中に気配が残っている。まだ感知できている。なのに。
「……ダミー、いや……まさか」
「信じていると言った」
斬られる。防御が間に合わなかった。
首を落とされ──その首を魔力で掴んで、元の場所に戻す。
「物の怪も、そこまで来ると大道芸よな」
「まぁ、私に生物的な死はほぼ存在しないからね。それより……形勢逆転だ」
「そちらが言うとは、酔狂な」
「予想外だ。まさか……いや、本当にまさかだ。何を思って彼女に渡していたんだろう。それは彼女が回収しきったものだと思っていたのに」
赤い闇色の魔力の中に感じるお姫様の身体。
ああ、けれどそれは、動かない。
ライエルの短剣によって作り出される、神の目さえ欺けるダミー。
「おい! そこの貴様! 貴様もワタシの運命を分け与えてやるから、一度こっちへ来い!」
「不要だ、この世界の姫君よ。我が宿業に他者は不要よ。──その代わり、俺の仲間を守ってくれ。アンタ、なんかすげーんだろ?」
「──承知した! 天龍とこのデカい球体はワタシに任せろ! 貴様はソイツをやってくれ!」
「ハ」
呼気は荒いものから、余裕あるものへ。
心底嬉しいとでもいうかのような笑みへ。
「どうしてこう、姫さんってのは……どいつもこいつも覚悟が決まってんのかね」
「さっき主君と言っていたけれど、君も誰かに仕えていたのかな」
「ああ。ああいう風に叫ぶ姫さんじゃなかったが、なんでもかんでも全部背負い込んで、なんでもかんでも隠したがる……馬鹿なガキだった。んで、もっともっと大馬鹿者だったのが俺達でよ。ハハハ……ああ、色々思い出す。いいね、ああいう手合いは嫌いじゃない」
「ちなみに聞くけれど、良かったのかい? 何やら彼女は加護のようなものを配っている。君がその恩寵に与りにいく事くらいは待っていられるけれど」
「ほざけよ。さっき言っただろ。フェアに行こうぜ、って。──技量で勝る此方に挑む其方と、種族で勝る其方に挑む此方。この均衡は崩すべきではなかろうさ」
ああ──そのダンスは、続けてみたいけれど。
同時に。
「でも、私も本気を出したいんだ。そろそろ本気で暴れたい。だから──貰いに行かなかったことを後悔しないでほしいかな」
「何度も言わせるな物の怪。信じていると言った。あいつらの事も、俺自身のことも」
「──礼を欠いた」
呟く言葉は「Akikie mataka dimanahe kas.」。
模倣し、取り込み、自分に合うようにアレンジした──異層淵残痕。
遷移法則における対立点にある属性。AからBに魔力が遷移するその過程で発生するエントロピー変化。万化法則を用いた「巻き込み」。
それを、赤い闇色の魔力と神の魔力で行う。
「空色相克」
歪む。撓む。軋む。
空間に乱れが生じる。
「ユート、強がってる場合じゃない! 一度こっちへ──」
「だったらそっちを終わらせてから助けに来てくれ! ──はははは! いいじゃねえか、いいじゃねーか異世界! 今、久方振りに怖気が走った! まさか……あの長以外に、精霊に並ぼう者がいようとは!」
魔族の魔力と神の魔力が食い合いを起こし、その侵蝕によって起きる最も「空」に相応しき現象。
闇夜と朝陽が、闇と光が、いいや、白銀と黄金が。
「イアクリーズ!」
「何かな、積川結人」
「確かに今の俺じゃ型落ちだ。今のアンタに対しちゃな。ただの忍びが精霊に勝てるワケがねえ。けど──けどよ!」
何か。
この絶対的で、圧倒的な力の中から……引き抜かれるものを覚える。
「ああ、今こそ言おうさ述べようさ! 神さん! 俺をこの世界に招き入れた──ギギミミタタママよ!」
「っ!」
名が、反応する。
もう片方の血脈が激しい反応を見せる。
「アンタの言ってた贖罪が本心からのものだって俺は知ってる! だから、いいぜ! 受け入れる!」
「──"酒宴"!!」
予感がした。直感があった。
だから、空色相克の完成を待たずして、ウォッンカルヴァの権能を使う。
「あん時はその言葉が自殺にしか聞こえなかったから断ったが──連れて行こう! 俺はこの世界に生きる! この世界に骨を埋める!」
「なぜ、届かな──」
「"抜錨"!」
ガクン、と。
己が身から、イアクリーズの身から引き抜かれたのがわかった。
理解した。
毛嫌いして仕方が無かった母方の血。それが。
消えた。
統一された。
「……私を。私のような……者を、生み出しておいて。今更離れていくのか、Ni(GMTM)。今更鞍替えか。今更、今更……」
「すまねえな、姫さん。叶うのならアンタを探しに行きたかった。けど、俺はもう覚悟ができたよ。──また理不尽に踏み潰される世界だ、ここは。だったら俺は、姫さんみてぇにさ、大切だと思う人たちを守るよ。殺しの忍びじゃねぇ、守りの勇者と来たもんだ!」
「空色相克。空色纏成。空色変成。空色錬成。空色反照。空色填充……」
「仕切り直しと行こうか、イアクリーズ。すまねぇけどよ、俺はやっぱ、異世界の勇者としてアンタに対峙する。それが俺の覚悟だと思ってくれ」
「ああ……構わないよ。その力を前面に押し出す君へなら……代理戦争にはなるけれど、私も、全力で文句をぶつけられる」
目の前の勇者より感じられるのは、ギギミミタタママの気配。
食われたか、飲まれたか。
あるいは、自らそうなることを望んだか。
神々のスペックは、相性の差こそあれど同等。
であれば仮に目の前の勇者がギギミミタタママと同質であろうと、ウォッンカルヴァの権能が負けることはない。
差がつくとしたら、他。
勇者と魔族。魔王を名乗り得る魔族。そして、イアクリーズという名の少女の……女の、その本質。
「長引かせるつもりは無い。一撃だ。一撃に、全てを賭ける」
「私を殺せなければ、素直に負けを認めると? そんなつまらない幕引きにするというのかい?」
「言ってろ。……『生命力変換Lv.80』『宿命転換Lv.50』『精神統一Lv.100』『全身全霊Lv.100』」
肌でわかる。
本気だ。本当に一撃で決めるつもりだ。
剣を重ねる気など欠片も無い。この一撃を外すか、防がれるかしたその時には、死。その覚悟がある。
出力の差では、圧倒的な差がある。それでも……最大威力をぶつけなければならないと、本能が叫ぶ。
加減しようと思っていた部分のリミッターを外し、神の魔力と魔族の魔力をこれでもかと詰め込んで、詰め込んで、詰め込んで。
「『天錨Lv.150』!!」
「
衝突、する──。
「……呆気ない、幕引きだ」
赤い闇色の球体は消え去った。
地面に散らばっていた腐肉も消し飛んだ。
あのホムンクルスももう保たないだろう。
そして、異世界の勇者もまた、仰向けに、両手足を投げ出して……動かないでいる。
遠くにはこれまた沈黙した子供。ボロボロの天龍。それぞれの魔力に身を包まれた感情結晶の保有者。絡繰。神殺し。
「本当に呆気ない。……最後に一つ聞いてもいいかな、お姫様」
「なんだ」
「なぜ、"磁"を口に? 君が食べるより、他の誰かに与えた方が良かっただろう」
彼女の造物もまた、沈黙している。
今意識があるのはイアクリーズとお姫様だけ。
「人間が解決すべき問題だからだ」
「……私は、神と魔族の血を引くものだよ」
「だが、人間だろう。少なくともワタシは貴様を人間だと思っている。だから貴様のくだらない企みを潰す──ワタシが潰す必要があった。なぜなら、貴様の自由を許したのはワタシだからだ」
「そうか」
本当に。
「呆気ない、幕引きだね。……積川結人ととの勝負に水を差してくるなんて……本当に、困った……お姫様だ」
「それについては謝ろう。真剣勝負だったか。だが、ワタシにはワタシのやるべきことがある。貴様らの運命がワタシを阻めなかっただけだ」
そうだ。
本当に、そうだった。
恐らくは彼女の造物の膂力だろう。ルシアと呼ばれていた女によって、
それはイアクリーズと積川結人の激突……イアクリーズは見事積川結人を弾き返すことに成功したけれど、お姫様の直撃を避けることはできなかった。
ただの人間が投げ飛ばされて来た。その程度であれば、種族差から言って欠片のダメージを負うことも無かったはずなのに。
彼女の行く道を阻めなかった。
イアクリーズの肉体は──その半分以上が、ごっそりと削ぎ落されている。
運命。まったく、どんな原理があると言うのか。
「……そうだな。……最後と言ったけれど……もう一つ、いいかな」
「構わない」
「実は、ね。……私はもう、指し手じゃないんだ。いや……初めから、駒だった。ふふふ……指し手さえ駒にして遊ぶのが、本物だ。首謀者は別にいる。今頃……トム・ウォルソンも、彼女も……その気付きに苦しんでるのだろう。……ああ、私は、まぁ、良かった方だ。楽しかったからね」
「そうか」
「……ウォッンカルヴァ。いるかい?」
「ああ」
神が姿を現す。
イアクリーズの中にいた神が。また、近づいてきた音がした。
「もう借りは返されたと判断した。……けれど、もし叶うのなら、そうだな……今度はこのお姫様を守ってやってくれないかな」
「敵だろう、お前の」
「勿論。内圧の神を全て殺す。そうして彼女に諦めを突きつける。それが私の目的だった。……けど、ふふふ……私を差し置いて、私の指し手は動き出したようだから……もう、私の言葉を吐いても怒られないだろう」
「……あいつはディモニアナタと繋がってる。死後の苦界で嫌がらせを受けるかもしれねぇぞ」
「望むところさ」
「そうか。わかった。この姫さんを助ける。……悪いな、アンタ。アンタは神の助けなんざ要らねえというのかもしれねぇが、餞なんだ、同行を許可してくれ」
「構わない。ワタシは王女だ。そしてこの者は、ワタシの民だ。民の願いくらい聞き入れるさ」
「んじゃ……とりあえずアイツの目を晦ますか。"酒宴"」
音が遠くなっていく。
色が消えていく。
ただ……それの足音だけは、近づいてくる。
「ふ……ふふふ。最後の最後に、一泡くらい噴かせようか」
ふつふつと燃やすのは、魔族の魔力。
神の力はないから。
今──この場にいる全員を、勇者と魔王とお姫様を除くすべてを己が物にしようとしている神に。
「使い方は……これでいいよね、ご先祖様」
別れの言葉など要らない。そんな人生を送って来たつもりはない。
だから、最後の最後は、得意の「先読み」だ。
こっちは、彼女のものだから。あっちは……。
撃つ。
その魔力は、
まるで転移先が、現出する先がわかっていた、とでもいうかのように。
「
赤い闇色の炎が、その身を焼き焦がす──。
見上げる。
空に輝く赤い闇色を。それに包まれて苦しむ神を。
「……ネ。アンネ。アンネ!」
「……なんだい、フランキス。感情結晶の暴走は、もう終わったのかい?」
「アンネ。……もう、無理なのか」
「返事をしてくれよ。アタシにとってアンタはさ、アンデッド以外で……家族だと思えた、唯一の相手なんだから」
ボロボロだった。
フランキス。その身も、果てしない量の傷がある。
けれど、その程度であれば、魔族ならば……生きられるだろう。
「魔族の身体。感情結晶。……それがありゃ、アンタはまだまだ生きていける。アタシの後追いなんかするんじゃないよ? 寝覚めが悪いにも程があるからね……」
「……わかってないね、アンネ。ボクはフランキスだよ。後追いなんか、するはずがない」
「そうかい。そりゃよかった」
「一緒に死ぬよ。君のいない世界にいても仕方がないからね」
「……はぁ」
まぁ、戻ったのだろう。
ひたすらに愛を囁いてくる彼に。
「いいのかい? 何か悩んでいたんだろう」
「うん。この感情結晶もうるさくて仕方がないし、丁度いい。……彼女。君の創造主のことも救いたかった。彼女もボクが愛したヒトだからね。でも……ボクは、君と死ぬ方が大事だって考えてる」
「あっちが本物でも?」
「君が偽物でも」
なら……溜息を吐くしかない。
幸いにして、この身はホムンクルス。
いつ死ぬかがわかりやすい。
「フランキス。アンタの名前は、愛した女の名前だ、って言ってたね」
「そうだね。ああ、だから、アンネの名前も加えるよ」
「許さない」
身体の機能が死んでいくのが分かる。
操れる魔力が逃げていく。運命が遠のいていく。
「アンタの名前は、過去に愛した女の名前。──アンタはもう、アタシ以外を愛しちゃいけない。これから先、アンタがまた蘇ったとしても……アンタの名には、誰も加わらない。消滅するまでアタシを愛し続けな」
「……絶対にアンネが言わない言葉だ。ね、アンネ。もう一度同じ言葉を、今度は君の言葉で言ってよ」
「ヤだよ、こっぱずかしい。……いいのかい、同胞……レクイエムとか、ヴィナージュとかに、挨拶しなくても」
「いいよ。アンネより優先されるものなんかないから。……そうだ、知ってるかい、アンネ。感情結晶を持つ者の最期は、必ず邪悪に満ちるそうだ」
「ああ、知ってる」
「愛した相手と愛し合って死に遂げた、は……邪悪じゃないよね」
「そうだね」
「じゃあ、まぁ、魔族らしく、災厄の魔女らしくさ──神に一矢報いてから死ぬってのはどう?」
「それ、邪悪かい?」
「邪悪だろう。だって相手は豊穣の神。人間たちに篤く信仰されている神だ」
上空。
ようやく赤い闇色を振り払った豊穣の神は──けれど、あれだけ苦しんでいた割に、ほとんどダメージを負っていないように見える。
「『黒縁結晶』──。アンネ、君のアンデッドの契約魔術の……その反転を乗せて欲しい」
「……人間には効くだろうけど、神相手じゃ」
「これで殺せるなんて思ってないよ。──共同作業だ。前にユートから聞いたんだよね、なんだっけ。ケーキ入刀? 婚姻を結ぶ男女が一緒に剣を持って、砂糖菓子を叩き切るんだってさ」
「……異世界の文化ってのも、意味が分からないね」
「こればっかりはボクも同意。──なんでも掌の上だと思ってる甘い頭の神に、ほら、君も」
「わかったわかった。……魔法名は何にする? 名無しじゃ恰好がつかない」
崩れていく身体。
終わっていく命。
「……だめだ、思いつかないや」
「はぁ、これだから。最後まで恰好つかないね、色男」
「うん。だから、名前の無いこれは、最後までボク達らしいってことで。──おやすみ、アンネ」
「おやすみ、フランキス」
射出されるは黒。
時間を操る闇の魔力に乗せられた──「成長減退」の契約魔術。
植物を操る魔法は知らないから、効かないかもしれないけれど。
まぁ。
──老婆としてツクラレタモノの、最期の一撃にしちゃ。
上出来だろう。
愛を。
溜め息を吐く。
まぁ、及第点だろう。
「ちぇ、もっと驚けよな。折角お前の焦り顔が見れると思ったのによ」
「この程度の事態を僕が予測していないとでも? 舐め過ぎだろう」
「予測してても回避できなきゃ意味ねーだろーがよ」
灼熱を伴う痛み。
先程から急所を外して行われている刺突は、けれど思考力を奪うほどのものではない。
「チャック」
「んだよ」
「二つ、勘違いがある」
「まーだ講釈垂れようってか。まぁ聞いてやるけどよ」
チャック。快楽殺人鬼。
彼の裏切りなど、初めからわかっていたことだ。だって彼の目的にトム・ウォルソンという男は必要ないのだから。
隠れ蓑として都合が良かったから使っていただけ。本当にただそれだけ。
「イアクリーズも僕も、自身が指し手ではなくなったということに気づいたのはごく最近の事だ。初めからそう振る舞っていたわけではない。だから、そうだな。お前からみたら道化も良い所だった、というのはわかる。けれど」
「認めるのがなぁ。認めなけりゃ面白いのに」
「何の抗いも遺していないわけではない。僕も彼女もだ」
「そうかいそうかい。そりゃ楽しみなこって」
身体にナイフが刺さる。
それだけだ。
「そして、もう一つの勘違いは──」
施設に──震動が走る。
どこかの区画が破壊された音。
「あん? ……ウォルソンお前、救援でも呼んだのか?」
「だから、それが勘違いなんだ。僕に味方などいない。僕は天涯孤独の身で、親も兄妹も親戚もいない。トム・ウォルソンという男はたった一人で完結する存在だ」
「……まぁ、誰が来てもどうでもいいけどさ。クールビーを使うか、それともあのガキを使うか」
「故に僕は、トム・ウォルソンという名前に意味を持たせなかった。名は強い意味を持つ。強い力を持つ。それはこの世界が始まってから根強くある法則だ」
「はいはい、わかったわかった。結論を言えよ、長話君」
「
「そーかそーか。……あ?」
その音が、こちらの声を拾う範囲に来た瞬間を図って叫ぶ。今生において初めての大声だ。
「ヴィーエ! オーヴァーチャー! クールビーとシャーリーを連れて、ゼルフとアリアに合流しろ! そこにすべての打つ手を遺しておいた!!」
「あー、なんだ。ただの時間稼ぎかよ。驚いた驚いた。これでいいか? んで、ヴィーエとオーヴァーチャーが近くに来てんのか。俺の制御を外れた泥人形。ちょいと気になるじゃねえの」
「チャック。お前が死なないことは知っている。だが──ダメージは負う。片手間だが、考えていたんだ。君を最も長く、大きく苦しめる方法を。死なぬのなら、死よりも恐ろしい苦痛を」
「へぇ、なんだよ、そういうのがあるならとっととやれよ。つーか、もうちょっと早く出してりゃ俺がお前を見限るのも遅くなってたかもしれねぇのにさ」
「勿論、もうやっているさ」
「……おいおい、これも時間稼ぎとか言わねえだろうな」
「すべて時間稼ぎだとも」
「はぁ……。ウォルソン、お前に期待した俺が馬鹿だったよ。もういいや、死ねよ」
心臓と頭蓋に、ナイフが刺さる。
そこから広がる酸のようなもの。毒のようなもの。
「時にチャック。お前は、君は、何歳だったかな」
「あ? ……っかしいな。流石に死ぬだろ、っつーか……脳刺されて言葉練れるのはおかしくね?」
「そう。君は今24歳だ。24年前のあの日に生まれた忌み子。生まれてすぐに両親を殺した生粋の殺人者」
「黙れって。うるせーんだよお前の声。毎回毎回説教垂れて来てさ」
「独自に開発したその魔術は他者のものと一線を画し」
「おい、今顎斬ったんだぞ。……いや、声なら喉か?」
「彼女……空席の神をしても、一瞬では解析できないほど複雑な構成をしている」
「はぁ? 首切り落としてまだ喋るとか……ウォルソンお前、俺と同じだった、とか言わねえよな」
「言っただろう? 君が最も長く、大きく苦しむ方法を考えた、と。──君は僕の講釈が何よりも嫌いだ。だから」
だから。
だから。
と──トム・ウォルソンという男の首が、身体が。
いや、周囲の本が、棚が、肉体に刺さったナイフが。
発声する。
「──大したことはない。ただの幻術さ。ただ僕が、この空間のあらゆるものが、僕の声で、ずっとずっと講釈を垂れ続ける。君にとって興味の無い知識を永遠に」
「馬鹿が。幻術だとわかりゃこっちのモンだ」
チャックが自身の頭蓋にナイフを突き入れる。
そして──痛みにのたうち回った。
「でっ……ぇぇええ!? ち、く、クソが、騙しやがったな!?」
めった刺しだ。
トム・ウォルソンという男の肉体を、頭蓋を、刺して刺して、あるいは魔法まで使って吹き飛ばして。
「騙してなんかいないさ」
「僕は言ったはずだ。君を最大限に苦しめる方法を考えていたと」
「片手間に」
「片手間でも、僕の片手間だ」
「君の一生より価値のある片手間だ」
「君が指し手となるのなら、さぁ」
「抜け出すと良い。僕の作った幻術など、道化の編んだ幻覚なんか乗り越えて」
「出て行けばいい」
喋る喋る。
血と肉と骨と皮になった「トム・ウォルソンという男」が。
爆発に巻き込まれた「本と本棚」が。
彼が投げた「ナイフ」が。彼が持つ「短剣」が。
そして、彼自身の身体までもが。
「……気色の悪い魔術を使いやがる」
「君の
「うるせぇうるせぇ。……いいさ、だったらここにある泥人形全部を爆破して更地にしてやる。そうすりゃ」
「今君と話しているのは君の身体だ。共に吹き飛ぶか? チャック」
「そりゃな。粉微塵になっても」
「その塵灰からも、僕の声がするだろう」
「ああはいはい、うるせーんだよいちいち!
爆発が起こる。チャック自身をも巻き込む大爆発だ。
でも、それだけだ。
ただそれだけ。
「わからない奴だな、本当に」
「いつかはどうにかして出るのだろうけれど」
「見覚えはあるはずだろう。だってこれは」
「君とセノグレイシディルが使ったものだ」
「僕はあれを解析し、自分でも使えるようにした」
「幻術という形になってしまったけれど、中々」
「形にはなっただろう」
ボトルシップならぬライエルシップ、だったか。
あの言語の神にユーモアセンスはなかったけれど。
肖るのならば、チャックシップになるのだろうか。
「さて……垂れる講釈のストックはまだまだあるぞ、チャック」
「ここから出た時、君が少しは賢くなっていたら」
「それはそれで面白いのだが」
ところで、これ。
「僕と僕の議論が可能か?」
「いや、だが出す結論が同じになる」
「それでは意味が無い。やはりチャックも交えるべきか」
「チャックが僕と議論できるまで賢くなったら、それは喜ぶべきだろう」
「子の巣立ちか」
「あれを子だと思ったことはないが」
「ああ、肉片が動いた。そろそろ復活するぞ」
「聞き取れる範囲……三人同時に違う講釈を垂れるのはどうだろうか」
「面白い案だ。採用しよう」
会話をしようじゃないか、チャック。
心ゆくまで。
君の心が、壊れ尽くすまで──。