Wizardry 薄汚い欲望に囚われし者たちの迷宮   作:無職のプーさん

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12 嗜虐の情欲

 

 か細い蝋燭の火が照らすダンジョン(地下迷宮)の回廊を、灰色の風が駆け抜ける。

流れる湿った空気にはカビ臭さと灰と、微かな血の匂いが混じっていた。舞い上がる邪気は空気を穢し、迷宮に住まう者、迷宮に死す者、そして迷宮に囚われ永き続ける者の悪意を伝播する。

 

穢れた魂の残滓が漂う闇の中で、銀の閃光が煌めいた。

 

「ッ」

 

息を呑みつつ、光のような速さで迫る刀を長杖で受け流すガンズ。続けざまに繰り出される白刃の乱舞を、身を逸らして回避する。

幾重もの死の軌跡に呑まれた長髪の数束が、風に流れて消えた。彼はその美しい顔を険しく歪め、湧き上がる恐怖を抑え込む。

遥か東洋の剣士たちが両手で操るその刃は速く巧みで、かつ力強さに満ちていた。それは野蛮でありながら流麗で、見惚れるほどに美しい。

 

「……!」

 

ガンズは思わず目を瞠った。素早く鞘に納められた彼女の剣が、不可視の速度で抜き放たれる。

半身に構えた腰の後ろという死角から襲い来るその刀身は、剣筋を予測するのが至難であった。今の今までどうにか攻撃を見切っていたガンズだが、ここに来て受け方を間違える。

彼の握る鉄の長杖は切断され、服の胸元が鋭く裂かれた。

 

「浅かったわね」

 

刀を再び両手で掴み、妖しく微笑むアヤネ。しかし次の瞬間、訝しげに顔をしかめる。彼が胸の内ポケットに偲ばせていた小瓶から中身が漏れ出し、ズボンとパンツを溶かしたのだ。上着とローブは溶けずに済んだが、下半身だけモロ出しの立ち姿はどう見ても露出狂である。

 

黒光りする股間の紳士が、ボロンッと頭を揺らして彼女に挨拶した。

 

「……立派なものを持ってるじゃない」

 

「男はみんなこんなものだろう」

 

アヤネの言葉に、ガンズは肩をすくめる。彼女はじっとその紳士を見つめ、付け加えるように言った。

「ここまでご立派なものはそうそうないわよ。芸術の探求者を自称するだけはあるわね」

 

「光栄だな」

 

ガンズは静かに応えたが、視線は彼女から一時も逸らさない。二つに別たれた長杖の短い部分を地面に捨て、長く残った方を手元に引き寄せる。「ボリスの宝石を持っているな?」

 

彼の問いに、クスクスと笑い出すアヤネ。鈴の音のような、耳に心地良い響きであった。「よく分かったわね」

 

「ただの勘だ」

 

彼はそう返し、ややあってから、少し声を低くして言う。「ボリスを助けるのに必要なんだ。渡してくれないか」

 

「そうなの? うーん、困ったわね。どうしようかしら」

 

アヤネは小首を傾げ、考え込むフリをする。しばらく間を空けてから、悪戯っぽく笑った。「嫌よ、渡さない」

 

「どうしてもダメか」

 

「ええ。いくら頼んでも無駄だと思うわよ」

 

彼女はいったん構えを解くと、ガンズの顔を上目遣いに見る。「恨むなら、あのとき私を仲間に誘った自分を恨みなさい。私さえいなければこんな悲劇は起きなかった。違う?」

 

「そうかもしれないな」

 

ガンズは少し俯いた。アヤネは面白そうに目を細め、畳み掛けるように言う。

「貴方にも聞かせてあげたかったわ。ボリスくんの悲鳴。宝石を引き剥がされる痛みというのは、相当なものらしいわね?」

 

「……」

 

「いつも気丈でつれないあの子が、あんな叫び声をあげるなんて。今思い出しただけで……フフフ」

 

アヤネの頬に赤みが差し、瞳は情欲にぎらついた。悍ましくも妖艶な笑みを溢す彼女を、ガンズはただ静かに見つめている。

 

「ずいぶん静かじゃない。意外だわ。もう少し激昂するかと思ったのに」

 

アヤネがつまらなそうに言うと、ガンズは無表情に返す。「その感情は理解できる」

 

「あら、そうなの?」

 

「ああ」

 

意外そうに目を丸くする彼女に、静かな口調で続けるガンズ。

「私にもそういった衝動がないと言えば嘘になる。自分より小さいもの、か弱いものに思うままに力を振るうとどうなるか。試してみたいと思ったことは、おそらく一度や二度ではない。どんな顔で怒るのか。どんな泣き顔を見せるのか。苦痛に歪んだ顔はどうか。そうした好奇心は他者への興味や関心……ひいては愛の先にあるものだろう。君が特別異常というわけではない」

 

「ふうん」

 

アヤネは笑みを消し、ガンズの顔をじっと見る。

彼はしばらく間を空けてから、視線を上げてアヤネを見返した。「だが絶頂というのは一瞬だ。そこを過ぎれば、後には後悔だけが残る。君もそうだったはずだ、アヤネ」

 

「貴方に私のことが分かるの?」

 

小首を傾げるアヤネに、ガンズの冷たくも真剣な瞳が向けられる。「分かるさ。私は芸術の探求者だ。一度裸体を見れば、その者の全てを見透かせる。至高の背徳をな」

 

「……意味が分からないんだけど」

 

「私に隠し事はできないということだ。まして、私と君はおそらく同類だ。違うか?」

 

「まあ、そうね。そこは否定しないわ」

 

アヤネは素直に頷いた。手元の刀を一瞥し、わずかに躊躇ったあと、腰のベルトから何かを取り出す。眩く金色に輝くその宝石は、ボリスの額に嵌まっていたものだ。発する力強い光から、ガンズは確かに彼の魂を感じた。

 

「至高の背徳、と言ったかしら」

 

「ああ」

 

「私の剣を凌げたのもそれが理由?」

 

「そうだ」

 

「ハア」

 

彼の短い返答に、初めて苛立たしげな表情を見せるアヤネ。「私の自慢は剣だけよ。剣しかないの。それなのに、そんなよく分からない理屈であっさり見切られたら堪ったものじゃないわ」

 

「自分を卑下しすぎだ」

 

「どうかしらね」

 

彼女は鼻を鳴らすと、ボリスの宝石を二本の指でつまんだ。その下に、輝く銀色の刀身を据える。

「貴方は得体が知れない。巧みな棒術に加えて、剣の心得もあるように見える。そうでなければ、私の動きにここまでついてこれるはずがない」

 

「……」

 

「魔術を封じれば勝ちと踏んでいた私が愚かだったわ。でも、まだ手はある。絶対に通じるであろう手がね」

 

彼女の艶っぽい唇が、再び妖しい笑みに歪んだ。「その安物の棒きれを捨てて、膝をつきなさい。さもないと、貴方の大事な友人の魂を破壊する」

 

「やめろ、アヤネ」

 

ガンズは険しい表情で語りかける。「君だって本当はこんなことはしたくないはずだ」

 

「お決まりのセリフを吐く前に、とっとと武器を捨てなさい」

 

「それはできない」

 

苦しげながらも言い切るガンズに、アヤネは溜息を吐く。「できないと思ってるの?」

 

「いいや」

 

「なら、最後のチャンスよ。武器を捨てなさい!」

 

「……」

 

声を荒げるアヤネを前に、ガンズはなおも杖を手放さなかった。険しくも冷たい目つきのまま、彼女を黙って見返している。

 

「ハア」

 

アヤネは溜息を吐き、刀を下げた。宝石に顔を近づけ、無表情にその輝きを見つめる。まるで魅入られたように、しばらくそのまま動かなかった。

 

「……絶頂は一瞬。後には後悔だけが残る。そう言ったわね」

 

「ああ」

 

短く返したガンズに、彼女はにやりと笑う。それはぞっとするような鋭く冷たい笑みだった。

「貴方の言うとおりだと思う。後悔は付き物よ。けど、それって本当にいけないことかしら」

 

「なに?」

 

「悔やむのは一生。絶頂は一瞬。だけどその一瞬のためだけに、私たちは生きている。そうは思わない?」

 

言うや否や、アヤネは頭上に腕を振り上げた。宙を舞って目の前に落ちてくる宝石に、刀の切っ先を向ける。「この一瞬は、きっと私のなかで永遠になる」

 

「やめろ!」

 

ガンズは声を荒げるが、アヤネが止まることはなかった。ボリスの宝石めがけ、白刃を奔らせる。それは銀の軌跡に呑まれて真っ二つに割れた、はずだった。

 

「!?」

 

アヤネは動揺し、咄嗟に後ろに飛びすさる。突然渦を巻くように吹き荒れた強風が、宝石を彼女の元から攫った。

再び宙を舞い金の弧を描いて落下する宝石。それは狙いすましたように、ガンズの手の中に収まる。

彼のもう片方の手には、かつてアラハゥイから拝借した短い杖が握られていた。

 

突風の余波を受け、股間の黒い紳士がブルンブルンと頭を揺らす。

 

呆気に取られていたアヤネであったが、ふとガンズの表情を見て気づく。そこには先ほどの険しい雰囲気はどこにもなく、普段と同じ、感情の読めない無機質なものへと変わっていたのだ。

 

彼女は目を鋭く細め、恨めしげに呟く。「私にこうさせるように仕向けたわね。大した役者だわ」

 

「買い被りだ。そんな器用な真似はできない」

 

ガンズはそう返したあと、静かに付け加えた。

「だが私が武器を捨てなければ、君が脅しを迷いなく実行することは分かっていた。だからタイミングを合わせ、こいつを使っただけだ」

 

彼は短杖を懐にしまうと、アヤネに顔を向ける。「使ったのは『真言封じの呪符』か?」

 

「……ええ」

 

「そうか。それでこちらの魔法を全て封じたと油断してくれたわけだな」

 

ガンズは頷くと、まるで壇上の教師のようにすらすらと解説を始める。

「誤解されがちだが、真言封じそのものに魔術を無効化する力は無い。呪符が封じるのは真言、つまり魔術師の唱える呪文だけだ。真言を必要とせずに発動するアーティファクトやマジックアイテムの類いに、真言封じは効果が無い。真言封じが封じるのは文字通り真言であり、魔法そのものではないからだ。分かるか?」

 

「ええ、丁寧な講釈ありがとう。これでまた一つ賢くなれたわ」

 

「礼には及ばん」

 

ガンズがそう返すと、アヤネは気まずそうに肩を揺すった。「魔術の講義はともかく……私は貴方に一杯も二杯も食わされたってわけね」

 

「そうだな」

 

素直に認めるガンズ。彼女は忌々しげに舌を打つと、刀を両手で握りしめる。「切り札を失ったわ。ここから先は、実力行使しかない」

 

「私にはそっちの方がよほど恐ろしいが」

 

「あら、そう?」

 

アヤネは意外そうに片方の眉を上げた。「それなら、もっと恐怖に歪んだ顔を見せて欲しいわ。ここで貴方を待ち伏せていた理由の大半はそれよ」

 

「努力しよう」

 

「フフッ」

 

笑みを溢し、得物をゆるりと下段に構えるアヤネ。

「せいぜい必死に足搔きなさい。貴方がここで死ねば、せっかく取り戻した宝石も無意味だものね。地上に持ち帰らなければボリスくんは蘇生できない」

 

「ああ」

 

ガンズは相槌を打つものの、声にはさほど焦りが感じられない。アヤネは眉をひそめ、彼の表情をじっと見た。

「……まだ私に見せていない奥の手がありそうね?」

 

「まあな」

 

「ふうん」

 

アヤネの鋭い目は、ガンズの頭からつま先に至るまで用心深く探る。

その視線に反応したのか、黒光りする股間の紳士がピクリと頭を動かした。

 

彼女が深く踏み込むと、ガンズの顔つきは再び険しいものへと変わる。油断なく身構える両者は、しばらくそのまま動かなかった。だが十数秒が過ぎたところで、突然ガンズが目を丸くする。

 

「……!」

 

彼の表情と視線の向きから何かを察し、アヤネは素早く振り返った。柱の影から音もなく迫るアイアンハンドの長剣を、その刀で防御する。

舞い散る火花が、ダンジョンの暗闇の中で光とともに踊った。

 

「お主は甘すぎるぞ、ガンズ。この女はとうに一線を越えておる」

 

眉間に皺を寄せるアイアンハンド。しかし彼女に視線を戻すと、不気味で鋭い微笑みを見せる。「友人たちが世話になったな。今度はこの枯れた老骨の相手をしてくれんか。男を喜ばせるのは得意なんだろう?」

 

「お望み通りに」

 

アヤネは呟くと、流麗に白刃を振るった。アイアンハンドは彼女の剣と数度打ち合った後、後方に大きく飛び退いて距離を取る。追い打ちをかけるべく踏み込むアヤネだったが、不意にその身体が前のめりにぐらついた。

 

「ッ!」

 

彼女は思わず息を呑む。主の意識が戻ったため、再び姿を見せたのだろう。アンデッドコボルドの腕が地中から飛び出し、彼女の足首を掴んでいた。他にも数体の屍たちが続々と現れ、砂糖に集まる蟻のように彼女に群がってくる。

 

「舐められたものね」

 

アヤネは面白くなさそうに呟いた。刀を額の前に掲げると目を閉じ、長くゆっくりと息を吐く。唇の隙間から洩れるその呼気は、龍の息吹に似ていた。

肺の中の空気を全て吐き出すと彼女はそこで口を結び、薄く目を開ける。鋭く細められた琥珀色の瞳が、研ぎ澄まされた殺気を放った。

 

次の瞬間、彼女の姿はその場から一瞬にして掻き消える。ただ煌めく刃のみが、闇の中で幾重にも軌跡を描いた。

回廊を駆け抜ける白刃の乱舞。そして瞬きする間もなく、アンデッドたちは細切れの肉片と化した。

彼らを殺し尽くしても乱舞はなお止まらず、その奥に立つアイアンハンドに迫る。

 

「若いのう」

 

老人はからかうように微笑むと背筋を伸ばし、腰はどっしりと低く落とした。義手を隠すように腰の後ろに回し、ロングソードは真っ直ぐ前方に向ける。伝統的で古風なサーベル術の構えである。

相も変わらず闇の中に踊るのは白刃の軌跡のみで、剣筋はおろか、使い手の姿すら見えない。だがアイアンハンドは焦りを見せず、決して速いとは言えない緩慢な動きで、長剣を前方に突き出した。

それはちょうど荒れ狂う渦の中心を刺すように、乱舞の只中に突き込まれる。

 

「ッ!」

 

色鮮やかな火花と、耳をつんざく鉄の呻る音が轟いた。刃を跳ね上げられ、大きく体勢を崩したのはアヤネの方だ。老練な見切りと技が、才能と素質に溢れた若き剣を打ち破った瞬間だった。

 

「悪いな。お前さんは生かしておけん」

 

アイアンハンドの低く小さな声が、彼女の耳に届く。先ほどの緩慢な動きは何処へやら、彼は素早く一方踏み出し、アヤネの懐に飛び込んでいた。

技も何もない、ただ力任せに大きく振りかぶった鋼の義手が、獣の唸り声に似た恐ろしげな駆動音を響かせる。

 

「ぐっ!?」

 

果たしてその拳が、どこを捉えたのかは分からない。何かが砕ける音とともに、彼女の身体は軽石のように吹き飛んだ。柱の天井際に激突して落下し、石畳の上をボールのように跳ねてから、ようやくその動きを止める。

彼女はうつ伏せのまま床の上に転がり、刀こそ握ったままだが、ピクリとも動かなかった。

 

 

 

 

 

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