雲一つ無い澄んだ青空。その下を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。後輪の両脇に旅荷物を満載し、銀色のタンクに太陽光が反射して輝いている。
「ねぇキノ。もう丸三日だよ?」
「もうすぐで着くはずだよ、エルメス」
キノと呼ばれた運転手は前を見ながら答える。黒いジャケットを着て、太いベルトで腰を締めて右腿には一丁のリヴォルバーがホルスターで釣られていた。鍔と耳を覆う垂れが付いた帽子と、銀色のフレームのゴーグルから覗くその顔は、十代中頃の精悍なものだった。
「その情報の根拠は?」
「前の国で聞いた。だからきっと、もうすぐで着く」
「さいで」
視界にはどこまでも続いていそうな平原が広がっていた。所々に小さな木が生えているだけで、代わり映えの無い景色が続いている。エルメスと呼ばれたモトラドが「早く着かないかなー」とぼやいている間にも、キノは国に着いてからの事を考えていた。
何処に泊まろうか、何を食べようか。様々な事が頭に浮かんで来る。
「……ねぇキノ、あれ、見える?」
「え?」
キノの意識は、エルメスの言葉で現実へと戻った。見上げると、遠い空の向こうに何やら黒いものが浮かんでいるのが分かった。それはどんどん大きくなっていく。そしてある程度大きくなったそこから、濃い霧のようなものが噴射された。霧はキノに向かってくる。
「……何?あれ」
「僕にも分からない。でも引き返した方が良さそうだね」
キノは迷わず逃走を選び、エルメスをUターンさせ、もと来た道を急いで戻り始めた。周りに誰もいないので、燃料が許す限り速度を上げていく。
「そんなペースで大丈夫?」
「多分大丈夫じゃ無いと思う。けど、燃料を気にしてゆっくり走るよりかはいいと思うよ」
「そりゃそうだね。でもそろそろ速度は限界だよ」
だが、どんどん霧との距離は縮まっていき、遂にはキノとエルメスの視界の両端に映り込んできた。そこからはあっという間に視界が霧で侵食されていく。
「っ!」
キノはこれ以上走るのは危険だと判断し、エルメスを停車させた。どこを見ても、濃い霧で覆われ尽くしている。
「もう動けないね、キノ。警戒しといた方が良いんじゃない?」
「うん。でも、異常だ……」
キノは右腿のホルスターから『カノン』と呼んでいるリヴォルバータイプのハンド・パースエイダーを抜き、構えた。何処からでも来て良いように、最大限周りを警戒する。
どれだけ時間が過ぎただろうか。キノは変わらず警戒を続けているが、だんだんと霧が晴れて来た。
「おっ、晴れて来たね。でも何だか暗……」
「…………暗いね、エルメス」
次に見た空は、夜。月明かりがキノの姿を薄暗く照らし、冷たい風が吹き付ける。一人と一台はしばらく黙りこくって、静かな時間が流れた。
「……原因は分からないけど、ボク達は見た事も無い所に飛ばされ、しかも夜だった。こう理解しよう」
「だね。それしか出来ない」
キノは改めて辺りを見回した。どうやらここは山の頂上らしい。だが何も無く、短い草とゴツゴツとした岩がちらほらあるだけだった。
「幸い、野宿は出来そうだ。……その前に、エルメスも見える?」
「うん。でもあんな国は見た事無いね」
キノは眼下を見下ろす。そこには一つの大きな国があった。周りを深い森と険しい山々に囲まれたそれは、眩く、黄金に光っていた。月光など問題にならない程明るくきらびやかで、中央に建てられた巨大な城や、国を囲む城壁はまるで外界を隔絶するかのような物だった。
「凄いな……その一言に尽きる」
「そうだね。明日はあそこに行ってみる?」
「うん、そうしよう」
そう言ってキノはエルメスを岩の側にセンタースタンドで立たせ、小型のガスコンロを取り出し、湯を沸かし、携帯食料を放り込む。ある程度かき混ぜたら、少し冷ましてスプーンで掬って口に放り込んだ。
「美味しい?」
「まぁまぁかな。温かいけど」
キノはあっという間にたいらげ、ガスコンロを片付けると寝袋を出して中に入った。
「何かあったら起こしてね、エルメス」
「りょーかい」
「それじゃ、おやすみ……」
「おはよう、エルメス」
「おはよう、キノ」
キノは体を起こすと、『カノン』の抜き撃ち練習を行い、荷物をまとめた。
「行こうか、エルメス」
「うん。やっぱりあんなキンキラだから、食べ物まで黄金だったりして」
「それはちょっと嫌かな」
キノはエルメスを押して山を下った。あまり高く無かったので、小一時間で麓まで辿り着く事が出来た。すぐ近くに昨晩見た森が広がっていた。木々の間に、一本の太い道がある。
「暗いねぇ」
「いや、明るい場所が一つある」
森に入ってから数分後。キノは前方に、小さな木造の家を見つけた。家の隣には小さな馬小屋があり、そこに一頭の馬がいた。エルメスをセンタースタンドで立たせ、扉を叩く。
「ごめんください」
「はい、どちら様でしょうか……」
中からは、三十代位の男が出て来た。男はキノの格好を見て驚きながら、中に入れてくれた。キノがエルメスもいいかと聞くと、更に驚きながらも入れてくれた。
椅子に座るキノの前にお菓子を出して、男が聞く。
「それで……どんな御用で?」
「ボク達は、この先の国に行きたいんです。あそこはどんな国ですか?」
「……止めるんだ。あそこには、決して行ってはいけない」
「そりゃなんで?」
エルメスが聞く。
「あそこは『エルドランド』別名『黄金郷』とも呼ばれている。そして、あそこは人間の国じゃない、恐るべきゾンビ共の国だ」
「ゾンビ?」
「人の形をした怪物と思ってていいよ、キノ」
「なる程、しかしどうしてそのゾンビ達が国を治めているんですか?」
「十年前の事だ。かつて人間の国だったエルドランドでは、とある魔術師達が『エルドリクシル』という魔石を使い、恐るべき儀式を行っていた。だが儀式の途中でエルドリクシルが暴走、あらゆる者を黄金のゾンビへと変貌させた。だが一人だけ、その支配に抗った者がいた。『エルドリッチ卿』……奴は並外れた強欲と強靭な意志で逆にエルドリクシルを取り込み、ゾンビを操る王、『黄金郷エルドリッチ』としてあの国に君臨しているのだ」
「……なる程、そしておっちゃんはその国の軍隊、あるいは侵略者だった、かな?」
「……何故それを?」
「そこまで深く知ってるなら、そんな所の人だろうなって。ほら、鎧もあるじゃん」
エルメスの言う通り、壁には鎧や剣が立てかけてあった。
「君の言う通りだ。私はかつて、あの国に送り込まれた侵略者だった。だが仲間が次々と黄金に変えられるのを見て、ここまで逃げて来た」
「何故この森に留まっているんですか?」
「もしエルドリッチが多国の征服に乗り出した時、いち早く報告しに行けるようにさ。私にはこれ位の事しか出来ない。とにかく、決してこの先には行ってはいけないんだ」
「やめとこうか、キノ」
「だね。ゾンビになったら旅が出来ない。お話、ありがとうございました」
キノは家を出て、森の入口まで戻った。出る間際に男から貰った地図を広げる。
「何処にいくつもり?」
「そうだね……ひとまず、南にある森の里に行ってみようか」
「また森?」
「また森」
「ゾンビとか出ない?」
「それは……分からない」
キノは再び走り出した。
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