Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
お前の番だ
お前の番だ
「――肝の冷えることをしてくれたものだな」
医務室への道すがら、まるでギャグ漫画のような足の回転数で駆け抜けながら、千冬は腕に抱えたショウに呟く。
不調で試合を始めたのはまだ良い……
千冬にとって気掛かりなのは、途中で不調だったのに棄権しなかったこと。試合が始まってから不調に気付いたとすれば、その時点で諦めて療養すべきだろう。何しろこれは単なる委員長決め、命や財産といった重要なものが掛かった試合ではない。それでも負けるまで戦ったのは何故か。
しかも危うく床に頭から激突しかけるなど……千冬は続けて尋ねた。
「……あれは、ワルキュリアは俺の相棒なんだ。やっとアイツで飛べるって思ったら、もう一秒だって無駄にしたくなかった」
「またの機会にすれば良いだろうが。これから先、ISに乗る機会なぞ幾らでもあるんだぞ。あの機体だって……」
「ねえよ。多分だが」
石畳とアスファルトの境目を蹴って、千冬は右に曲がる。走る千冬から生まれた風圧により、通り過ぎた椿の生け垣で日向ぼっこしていたメジロが数羽飛び出した。
こんな速度でも会話ができるのは、千冬の並外れた肺活量と体幹が為せる業だ。歪んだ視界を見上げるショウは、お姫様抱っこの格好にも拘わらずほとんど揺れを感じていない。
「ワルキュリアは、テストモデルだ。何時までも使われるものじゃない」
もしかしたら、ショウが乗る次の機体が決まっているのだろうか……。ショウの口ぶりと自分の経験から推測する千冬だが、企業秘密もあるだろうからとそれ以上の詮索はやめた。
今はそれよりも重要なことがある。
「……それで、今の体調は?」
「サイアクだ」
中々収まらない動悸と荒い呼吸に呆れながら、ショウは千冬の顔をアオリ構図に見上げる。ウインクではないが、左右の目を片方ずつ開けて閉じた。景色は変わらない。
視界の端、千冬の顔の一部が滲んで見える。拍動というよりはもっと流動的で、細かい動きだ。まるでそこだけ川を貼り付けたかのようにジュクジュクと景色が滲んでいた。心なしか、その面積は試合中よりも広がっている。
「……川が、流れてやがる」
「おい、大丈夫か?! 今日の日付を言ってみろ」
何の脈絡もないショウの発言に、千冬は脱水状態にありがちなせん妄を疑った。
千冬がこの学園に主任教諭として就任して以来、このように体調不良を起こした生徒を運ぶのは今日が始めてではない。数ある過去の例の中に、緊張やストレスのあまりうわ言を呟きながら動けなくなってしまう生徒もいた。
「4月の8日……仏滅だろ。意識はちゃんと――ああ、そういうのじゃなくて、見えるんだ。視界が川みたいに滲んでるやつがさ」
「本当に大丈夫かお前……着いたぞ」
千冬の言葉通り、ショウが少し顔を動かすと、病院や保健室にありがちなトラバーチン模様の天井が映った。着いたのは間違い無いのだろうが、千冬の類稀なる姿勢制御能力により、先程まで猛スピードで走っていたのに制動も停止も何も感じなかったところにショウは不思議な気分になった。
「二人目のミイラが発掘されてきたわけね、
医務室の奥から、アリアが出迎えた。その手には検査用のデバイスが握られており、すぐ後ろに置かれたカートに点滴用キットやエチケット袋、何かの錠剤のシートといった道具が一式並べられていた。ショウが運び込まれるのを予め分かっていたかのような周到さだ。
「ぎ、Give me a painkiler……」
ショウは目を閉じて、何処かから聞こえてきた英語を相手に半ばうわ言めいて痛み止めを要求する。脱水、疲労……ショウは自分の身体のそれらを自覚していたが、それよりも優先せねばならない危機感を覚えていた。
ショウの視界を蝕む、拍動する滲み。
ショウはそれが何であるか、経験から分かった。今すぐに、何よりも先手を打たねばならない、その正体を。
「――ぐぅ、ぁあ……っ!」
医務室に、セシリアのうめき声が響いた。アリアに促されるままショウを窓際から2番目のベッドに寝かせていた千冬は反射的に振り向いて、ぎょっと目を見開いた。
「ぁあ゛、がっ、い゛ぃっ……!」
「……どういうことだ、さっきまで寝ていたはずだろう!?」
窓際のベッドでは、掛け布団を荒く押しのけたセシリアが頭を抱えてのたうっていた。
頭蓋が陥没しそうなくらいに両手の指を食い込ませ、さらに頭をぶんぶんと振り回して、しかしそれでも振り払えない何かに苦しんでいた。飲み込む余裕すら無いのか、口の端から涎が垂れている。
隣の窓は遮光性のカーテンで遮られており、その上の電灯も切られている。その一角だけ暗く、セシリアに光の刺激を与えないように……そんな配慮が感じられた。
「5分くらい前に目が覚めてね、それからずっとこう。痛み止めは飲ませたわ」
「そんな他人事のように……大丈夫なのか?」
「量子化したとはいえ、ISのバイタルチェッカーは有効よ。致命的な症例の前兆があればすぐに分かるわ。
こちらでも調べたけど何もナシ――真っ先に痛み止めを要求したあなたなら、何か分かるんじゃないの?」
アリアはショウの身体に取り付けたデバイスの画面を見つつ言った。実際、ショウはその対処法を知っている。さっき降りるまでの間に自分の機体が何の警告も出さなかったことから、ある程度の確信もあった。
「
閃輝暗点。
脳に強い負荷が掛かった際に時折現れる視野の異常だ。それは1時間から30分程度の間持続し、視界に歯車状の幾何学模様が見えるようになった後、強力な片頭痛が発現することもある。脳梗塞や脳腫瘍といった危険な病の前兆として現れる場合もあるが、それを見逃すISのバイタルチェッカーではない。
サイバーコネクタやポッド・シュートの実用試験で脳に強い負荷を受ける経験が何度か有ったショウは、同じようにこの閃輝暗点も経験していた。今回は滲んで蠢く川、前回は極彩色の砂嵐、その前は……いずれにせよ、日常では見ることの有り得ないナニカが見えるようになったら、その後に待つのは、ほぼ確実に、今セシリアを苛むアレである。
対処法は慣れたもので、閃輝暗点が見えたらすぐに痛み止めを飲んでおくこと。飲んでから作用するまでの時間を考えれば、感じる痛みを最小化するためにも早め早めの服用が重要だ。現に、痛んでから薬を使ったというセシリアは、もう少しこのまま苦しむことになるだろう。
「……同じ考えね。まったく、二人揃って脳を使いすぎよ」
もうちょっと労りなさい……。そう言ってアリアはショウのベッドのサイドテーブルに、経口補水液入りの紙コップと形の違う白い錠剤を2つずつ置いた。ショウはよろよろと起き上がって、全部飲み干す。
「睡眠導入剤も一緒にね。私はあれ程のを経験したこと無いけど、結局は車酔いと似たようなものよ。寝てやり過ごすのが一番。
セシリアにも飲ませるからほら、手伝って千冬センセイ?」
アリアに言われるまま、千冬がのたうつセシリアを起き上がらせながら抑え込んでいる横で、ショウは目を閉じて薬が効くのを待った。
変な夢を見た。
そうじゃない、見ている。
最初に目に入ったのは、地面を埋め尽くす純白の真砂。
しっかりと踏みしめることができて、でも足を取られたり沈み込むようなことはない。昔遊んだ公園の砂場と違ってグリップが効くから、いきなり駆け出しても転ばずに走れそうだ。
どこから差し込んでいるかも分からない光をこれが反射するせいで、どこを見ても少し眩しかった。
上を見上げて、次に目に入ったのは夜空……のような虚空。星のような光が乱雑に散らばる黒色の手前に、ひたすら白色の正六角形を敷き詰めた荒い網目模様が張られている。とりあえず星座を探すのは無理だろう。一から作れるほど想像力が豊かな人間じゃない。
天と地の間には何もない。横を見渡しても、真っ白い砂と網目越しの黒い空がどこまでも平行に続いている。視界を遮るもの、何か目印になりそうなもの、そういったものは何一つ無い。
何時からだろうか、そんな場所に俺は立っている。
ふと、手足を見てみた。いつも通りのが生えていた。走れる。跳べる。
景色こそ現実味がないが、いつも寝ているときに見る夢のような、あり得ない景色や出来事に「そりゃおかしいだろ」と冷静にツッコミだけを入れているような状態とは違う。俺の現実と地続きになって、恐らくは同じように活動出来てしまうのだろう。
「寂しいな」
何となく、最初に向いていた方向へ歩き出した。
実のところ、どこを向いていたのかは見回している時に忘れたので適当だ。
「――あっるっこォ~! あっるっこォ~! わたっしわァ~げぇんきィィィィィ!」
足音がしない。
手を叩いてみれば、ちゃんとパンという音がするのだが、普通に歩いている分には完全な無音だ。思えば布擦れすら聞こえない。今の俺はどこかの制服を着ているらしいが、見覚えのない服だ。
「あァるくの~だいっす――あんまし面白くねえな。散歩って雰囲気でもないし」
ただ歩き続けるのもつまらないからと歌ってみるが、なんだか虚しい。
オーディエンスがいないから? それは無いだろう。ひとりごとは得意だ。
普段以上に声を張り上げたせいで分かったが、音が全く響かない。吸音材に取られているというよりは、反射すべきものが何処にもないといった感じ。
これでこの無限に広がる景色が、本当に無限に広がっていそうなことが分かってしまった。廊下の奥を鏡張りにするような形で見かけだけ広く見せているとか、そういうオチはなさそうだ。
一緒に何かをするのを諦めてそのまま、ただひたすらに足を進めた。
これまた不思議なことに全く疲れを感じない。夢だから疲れにくいだけかも知れないが、身体が疲れる前に前に心が疲れそうだ。いい加減飽きてきた。
どれだけ歩いたか、思えば時間を考えていなかった。でも今から数え始める気にもならない。
頭の中で、あるいは口に出していち、に、さん……と数えたとして、その正確性を担保してくれるものがないからだ。一秒数える間に一時間経ってたらどうするんだと。
――
突然、鈴の音が鳴いた。金属の響く音とは思えないほどに鮮やかで、音叉よりも透き通った音。
鈴の音なんて聞いた経験は何度もあるはずなのに、完全な未知に出会ったような感覚。驚きで、どこから聞こえてきたか気にするのを忘れていた。
――
確かめるように、もう一度。
今度こそ聞こえてきた方向を向くが、何もない。
あれこれと見渡して――あった。しかも、真後ろ。
「何だこれ」
真っ白い砂一面を埋め尽くす地面の上の、ただ一点。薄っすらと浮かび上がる赤色が目立つ。
白色の上に一面の赤い麻の葉模様を重ねたそれは、恐らく鞠だ。大股で5歩も歩けば辿り着ける位置に落ちている。さっきまでは無かったはずだが……。
拾い上げてみると、しゃんしゃらんと音がする。自分で鳴らしてみるとあまり綺麗な音には感じないが、中に鈴が入っているのは分かった。さっき音を立てたのもこれだろう。
大きさはサッカーボールくらい。軽くはあるが、手鞠と呼ぶには幾分か大きいし、柄もシンプルに見える。
上の黒い空を見上げて、下の白い大地を見て、もう一度鞠に目を移す。音がしたということは、何処かからこれが落ちてきたはず。
誰が投げた? 勝手に落ちた? じゃあ何処から?
しゃらしゃらと鞠を振りつつ考えていると、手から重みが消えた。鞠が無い。
――
音のした方を向いて、それから真後ろを振り返ると――いた。
「誰だ? お前……」
誰だ? 自分の言葉に驚く。
そうじゃないだろう、アレは明らかにヒトじゃない。WhoじゃなくてWhatで尋ねるべき相手だろうが。
足元の白い砂よりも更に白くて、純白の光そのものでできたようなヒトガタ。サーバルキャットよろしく左右に顔を振って三角測量しないと奥行きの分からない、そこだけ景色を白で塗り潰したような輪郭。
外形からして少女、着ている衣類は振り袖。そんな何かが、歩いて10歩くらいのところに立っている。一言も発する様子はない。表情も分からないから、こっちを見ているかさえ分からない。
「あのー、どなたか答えていただけると嬉しいんですけど……」
何か喋れよ。丁寧さが足りないかなとか考えた俺がバカじゃねえか。
そのまま暫く睨み合い(?)を続けていると、ヒトガタは手に持った鞠を胸の前から落として――蹴った。
接着剤か何かで固められたのかというくらい微動だにしない上半身と、真っ直ぐ伸ばされた右脚から放たれた鞠は、綺麗な放物線を描いてこちらに飛んでくる。
「――うおっ!?」
咄嗟のことだった。ヘディングもリフティングも経験の薄い俺は、とりあえず昔の記憶を頼りに胸で受けて、当然のように鞠はあらぬ方向へ飛んでいった。できるわけねえよ、こんなの。
シャンシャンと数回跳ねて止まった鞠と、蹴ったときのフォームのまま固まったヒトガタと、動作に困る俺。まるで時間が止まったようで、元から現実感のない景色が余計に異様な感じに見えた。
「……わーったよ。取りに行けってんでしょ、ハイハイ……」
軽いからだろうか、鞠はそこまで遠くに行っていなかった。小学校の頃、コートの外に転がっていったボールに走って追い付こうとしていたのを思い出すと、実に楽だった。
近付いてみると、落ちているのはさっきと同じ鞠。シンプルな赤い麻の葉模様の、突然俺の手から消えたやつ。屈んで、両手で拾い上げようとすると――瞬きする間にまた消えた。
「――おぶぇッ!?」
シャンっ、という音と共に右側頭部に衝撃。
何事かと右を向くと、同じ鞠がコロコロと転がっていて、その延長線上に例のヒトガタ。まるで丁度今シュートしましたとばかりに右脚が振り上げられている。
「え、何……ぶつけられた?」
何という暴力。レッドカードを突きつけてやりたいがこの空間に赤いものは鞠しか無い。
呆気に取られていると、気付けば転がっていた鞠はまた消えて、今度はヒトガタの手に収まった。そして、さっきと全く同じ動作で鞠が飛んできた。
落としたのが気に食わなかったのだろうか、そう思って今度は両手を上に構える。4本指と親指で三角形を作る、オーバーハンドパスの形。
さあ来い……位置調整をしながら鞠を待っていると――
――また鞠が消えた。直後に顎を下から打ち上げられる。
「――あだぁッ!」
重心が崩れて、そのまま尻餅をつくと、やはり目の前を鞠が転がっている。このヒトガタ、顔を狙うのが好きらしい。
「いやいや、おかしいって、何がしたいんだよアンタ……!」
抗議のつもりでヒトガタに向かって歩き出すと、例によって足元の鞠は消えた。
「大体、顔面セーフは基本だろうが。『サッカーやろうぜ』だか『なんとかなるさ』だか知らねえけどさ、最初にちゃんとルールの説明をだな……」
歩きながらヒトガタに指を指して、気付いた。全く距離が縮まらない。
何歩歩いても、途中から走り出しても、ヒトガタの姿が大きくならない。遠近感がまるで変化しない。
走って、走って、全く疲れを感じないまま何時までも走り続けた。現実なら感じるはずの風は無く、ただ加速感と足を踏みしめる感触だけがあった。
突然、ヒトガタが鞠を持った手を掲げるようにこちらに伸ばして来た。鞠が少し光ったような気がした。
俺は足元の真っ暗闇に吸い込まれて、そのまま落ちていった。
マジで何なんだよ。
午前2時半。
医務室窓際のベッドでセシリアは目を覚ました。
締め切られた窓のカーテンにより外の光は遮られ、同じくベッドを仕切るためのカーテンに囲まれているため、セシリアが辛うじて認識できるのは、その向こうの天井に灯る薄暗い常夜灯の光だけだった。
昼前に目を覚ましたときの頭痛は大分収まったものの、まだ後を引いているようで、思考が気だるく、まとまらない。
右腕の関節の内側に、何かが貼り付いている感じがした。もう取り除かれたようだが、注射か点滴でも打たれたらしい。であればそれを行った医師がいるはずだが、この静寂を見るに帰ってしまったようだ。
ぼうっと仰向けのまま天井を見上げていると、一面に広がるトラバーチン模様がぐにゃりと歪みだす。ありがちな目の錯覚だ。むしろ頭が正常に動いている証だとセシリアは少し安堵する。
「……はぁ」
勝手にため息が漏れた。実質的な全戦全敗……。
貴族だプライドだと囀っておきながら、国家代表の候補ともあろう者が、このザマである。
本国の連中に後で怒られるのは間違い無いとして、どこまでの処分が下るだろうか。専用機没収か、立場の剥奪か……いや、そこまで彼らは浅慮ではない。何より、大まかには狙い通りだし……。
ぼんやりとした負の情景が浮かんでは消える。けれど。
けれど、けれど。
けれど、けれど、けれど。
(……楽しい、時間でございましたわね)
丁寧に全部のブルーティアーズを切り捨てられてから一夏に決戦ギリギリまで詰め寄られたとき、ショウに弾道型で仕返ししたとき、あと掴み掛かってインターセプターを突き立てたとき、それと……。
まるでアルバムのページを捲って眺めるように、まだ24時間経っていない試合の記憶が強く脳裏で燻る。この後どうなるとか、負けてしまったとか、そういう悪い考えを差し置いて、セシリアの脳にじんわりと柔らかい興奮が広がる。ちょっとだけ、胸の奥が熱くなった。
身体の方も、地面に叩きつけられたときの衝撃を覚えているようで、やはり気怠い。手足を動かそうというやる気も湧いてこないし、実に今のセシリアの全身が求めているのは休息だ。過去を思い出して自己満足に耽ることではない。
そうと決まれば――心を決めたセシリアの身体の変化は素早い。さっきまで多少なりとも興奮していた思考が、もうすでに微睡みに沈みかけている。
日付で今日は土曜日。造物主だって創世記では7日目は休んだのだ、それに倣うだけなのだから咎めはあるまい。むしろ、今は休むのが仕事と考えるべきか。
――ぎしっ。
もう上下の感覚も怪しくなるくらいに入眠寸前だったセシリアの精神が、横から聞こえた物音に引き止められる。方向は窓とは逆側、セシリアはこの部屋の構造を未だ知らないが、普通に考えれば今いる場所と同じようにベッドが並んでいるはず。音はその軋みだろうか。
――ぎ、ぎししっ。
重ねて二度ほど軋み音がした後、暫く間を開けて今度は同じ方向から声がした。
「寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃなかった、寝るんじゃ……」
鳥の鳴き声だろうか、夜でもここは賑やかだ……うつらうつらとしたセシリアの思考はもう仕事を8割方放棄している。
もうこれからまさに寝落ちるというときにありがちな、現実と夢が混じったような情景。周囲に誰もいないはずなのに、知っている誰かが喋っている声が聞こえたりすることもある。あんまり酷いと寝るのに邪魔だが、今はそこまで煩くもない。
この音もきっとそれだろう――セシリアは今度こそ安心して目を閉じた。
セシリアの意識が完全に睡眠に入った後、隣のベッドのカーテンがしゃぁ、と音を立ててゆっくり開かれた。
それから、ヒタヒタと不揃いな足音が響いて、それもすぐに遠く小さくなっていった。
◆
IS学園外周部。
消波ブロックが下に積み上がる海との境目に、ショウの姿はあった。
落下防止の欄干に背を預けて、目線を水平より少し上に持っていくと、目の前を横切る遊歩道や学園で最も高い建物である管制塔、校舎に学生寮と目立つ建物がまとめて一望できる。
ざん、ざざん……。
トライポッドに食いちぎられる波の音の他は静まり返っていて、事実、その場には一人しかいなかった。時刻は午前3時、仕事でもなくこんな時間に出歩く人間は奇特な部類に入るだろう。
夜中でもLED式の街灯は眩しく、雲の隙間の星を見上げようと目線を動かすと、映り込んだそれらに目を焼かれる。発光素子の並びと同じ暗紫色の残像は暫く消えないだろう。それでも、海の方を向く気にはなれなかった。
「……一番静かな場所まで来たつもりだが、ここまで引っ付いてくんのな。
久し振り過ぎて忘れてた」
ショウは眼前の遊歩道に視線を落とす。
その中のある一点をじっと見つめて、すぐに目を逸らした。何も無い、虚空だ。
「そりゃあ、試合は楽しかったさ。ワルキュリアで飛べたから。
けど、またこうなるなら流石に後悔するわ。ぼーっとしてた方がずっと楽に決まってんだ。
――ホントに、嫌になる」
ショウは腰に手をやって、そこには何も無いので空振った。いつものウエストポーチはどこかに置いてきてしまっている。
地面の石畳に、ボタボタと水滴が染みを作った。増え続けるそれらを踏んで、ゆらりとショウは歩き出す。
「今度は何時まで耐えればぼやけてくれるかな。
或いは……誰も行けない場所でも、見つかれば良いんだが」
ざん、ざざん……。
足音が波の音に飲まれるように、ショウの姿も何処かへ居なくなった。
地面に続く水滴の跡だけがその道しるべだったが、朝には全て消えていた。
日曜日。
グランゼーラ北陸支部の格納庫には、僅か2日ぶりにワルキュリアの姿があった。
紫色のラウンドバイザーに輝きはなく、全体を彩る装甲の赤色は砂埃でところどころがくすんでいる。胸部に深々と刻まれた袈裟懸けの切断痕が、学園での戦いの激しさを物語っていた。
「良かったのかよ、居てやらなくて」
「――アイツが自分から何かをしたいなんて言ったの、本当に久しぶりなんだ。
だから背中を押したし、今はアイツに一番必要なものを用意しなきゃならない」
そんなワルキュリアを見上げるのは、コウスケと
金曜日のクラス対抗戦の後、破損したワルキュリアは学園内での修復が困難であるとして送り返される事になった。
倒れたショウの見舞いに行く間もなく行われた移送作業は多忙を極め、大澤はそれを気にしていた。親なら息子が倒れたら一緒に居てやるべき……ショウとコウスケの関係は、そういった
OF計画のチーム、ISへの改修に関わった技術者たち……グランゼーラの人間の誰も、信じて送り出したこの機体が、たったの2試合で壊れて帰ってくるなど予想していなかった。今はそのダメージ評価を行っている。
損傷部分を写した写真も、フライトレコーダーが吐き出したログも、その1ビットに至るまで余す所なく計画の糧とするために。
親バカになったなと口角を上げる大澤は、手元の端末を操作する。空中ディスプレイに浮かび上がったのは、ワルキュリアの背面スラスターを拡大して撮影された動画の1フレーム。
「色々と気になる点はあるが……一番はこれだな」
「レコード上は何のエラーも出ていないのに、スラスターが稼働しなかった……単なる故障とは思えんが」
「俺もそう思って、ワルキュリアを外部から動かしてみたんだが……どう思う」
大澤が更に端末を操作すると、動画が再生される。ガタガタとぎこちない動きで駆動と再試行を繰り返すスラスター周辺の装甲が、ほのかに青白い光を放っていた。再生速度を下げて注視すると、再試行が行われるタイミングでほんの少しだけ明るさを増している。まるで、装甲とスラスターの動作に呼応して何かが邪魔をしているようだった。
「これは……」
「で、この光る部分のパーツを取り出して電顕で見てみたんだ。こりゃすげえぞ」
画面は切り替わって一面のモノトーン。電子顕微鏡で見る世界に色は無い、網膜や受光素子と違って光で見ているわけではないからだ。
描画された何かの表面には、奇妙な幾何学模様……と呼ぶには些か混沌とした構造がびっしりと浮かび上がっていた。端に示された縮尺から、模様がナノ
「――ナノマシンか」
「ああ、間違い無い。このパーツに実際の制御のときと同じような電圧を掛けたら案の定光りやがった。……一応聞いとくが、こんなもの振り掛けた覚えはないよな?」
「勿論無い。確実に後から付着したものだろう、移送前まではクリーンルームにあった代物だからな。
「恐らくな。イギリスの代表候補とやり合った試合の終わりに当たった、あのエネルギー弾――これは俺の専門外なんだが、ああいうものにナノマシンを仕込めるモンなのか?」
「財団の資料にそんなことが書いてあった気がするな。オシレーターで形成した力場にナノマシンを散布して性質を変化させる……単なるプラズマ弾ではそんなことは出来ないから、イギリスもそれに近い技術を保有しているんだろう」
何でもござれだな、と少し呆れたような様子の大澤は隣の架台に移動する。コウスケもその後を追った。
「さて、原因の究明は一旦置いておくとしてだ、差し当たってはコイツの仕上げだな」
二人の目線の先にあるのは、俯き加減に佇む灰色の人型。更にその隣に全く同じものが2つ続いている。
目覚めるような赤と黄色で彩られたワルキュリアと違って、顔面を覆う群青色のラウンドバイザーを除けばモノクロームに包まれたそれは、徹底的な規格化が施された量産型の姿だった。
こんかいのまとめ
・ショウ
千冬のお姫様抱っこの快適さ。
脳の丈夫な若者なので頭痛に耐えた経験は数知れず。寝ても覚めても、受け入れられないものばかり。
土曜日の朝、医務室最寄りのアリーナ内の男子トイレでぼーっとしているところを発見された。
・セシリア
こんな酷い頭痛は初めて。でもショウと戦ったときの感覚が焼き付いて離れない。
多分寝付きは良い方。
・千冬
人間救急車。彼女が運ぶものは揺れや加速度をほとんど感じることはない。
定期的に無理して倒れる生徒を何とか減らせないかと頭を悩ませている。
ショウは自室に連れ帰った。
・アリア
千冬同様に、無理をする生徒を何人も診てきた。
夜になってショウとセシリアが寝ているのを確認して翌朝戻ってきたとき、ショウはベッドにいなかった。
・コウスケ
OF計画の責任者としてワルキュリアの損傷確認をしている。
ワルキュリアを大事にしていたショウのために、急いで新型機にこの結果を反映しなければならない。
『財団』の資料には幾らか詳しいが、ナノマシン技術には余り手を出していない。
・大澤
三人称視点では初めての登場。
IS部門の責任者であるため、ISに改修されたワルキュリアの面倒も見ている。
ワルキュリアが搬入されてからの短時間で電顕の手配やパーツ分解を進める敏腕技術者。
クラス代表決定戦の事後処理回その1です。
試合中に無理した2名は相応の報いを受けることになりました。今度からはもう少し身体を労るんやで。
どうでもいい話、閃輝暗点の描写は作者が体験したものをそのまま書いています。あの後の頭痛はマジで痛いです。
人生で2回目にこれを体験したときは処刑宣告を受けた気分でした。きっかり1時間に地獄のような頭痛に苛まれましたが、当時は手元に痛み止めが無く……。事実セシリアの出したようなうめき声が勝手に漏れました。できることならもう体験したくないです。
でもセシリアが苦しんでる所はちょっとかわいい
ショウが見た夢の正体についてはまた別の機会に書ければと思います。もっとも、ISの二次創作を読み慣れた方なら察しが付いてしまうかも知れませんが……。
ワルキュリアも一旦ここで退場となります。暫くは倉庫で保管されたままになるでしょう。ショウが乗る予定の後継機にご期待ください。
機体の説明とかいる……?
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絶対欲しい!
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あったらうれしい
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うむっ、緊急連絡だ。