Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
12 YOU've been made.
天井からLED式の蛍光灯に薄暗く照らされた、面積にして8畳もないくらいの一室。
壁はコンクリート打ちっ放しで、空調がそこまで整備されていないのだろうか、計器の類が置かれていないため実際の湿度も温度も知ることは出来なかったが、少しジメジメするような感じ。
この部屋と外を繋ぐのはたった一つのドア。窓の類もなく、誰であろうとここにいればひどい密閉感を覚えるだろう。
中央にはあまり上質には見えない白い角テーブルと、対照的に高い背もたれの付いた椅子が向かい合うように置かれている。テーブルの上にはタブレット端末が一つと、そこまで分厚くない紙束、ホテルのカウンターに置かれていそうな上品な外見のペンがあった。
それぞれの席には白人の男が1人ずつ、件の椅子に腰掛けている。
一方の男はこの部屋に不釣り合いなくらいに身なりの良いスーツ姿で、もう一方はクタクタになったNTSB*1のユニフォーム・ジャケットだ。
「はじめまして、ブラウンさん。私のことは……そうですね、ジュリアスとお呼びください」
ジュリアスと名乗った男を、ブラウンは怪訝な目で見つめた。言い方からして本名ではあるまい。
自分がどうしてここにいるのか、何時からここにいるのか。ブラウンには分からなかった。シアトルの空港に着いて、そこからタクシーに乗って……その後から記憶がない。気付けばこの部屋の椅子に座らされていた。
ブラウンは椅子の背もたれに体重を預けた。座り心地は悪くない。少なくとも、出国を急ぐあまりポケットマネーでそれしか選べなかった、エコノミーの座席よりはずっと良い。
「その椅子、お気に召しましたか。私の決して大きくない決裁権で勝ち取った中では最高のものです。ご覧の通りこんな場所ですから、机も他の小物も良いものは入ってきません。アレコレと理由をつけて……この椅子を持ち込むのには苦労しましたが、ギシギシうるさいパイプ椅子よりはずっと良いでしょう。大変な思いをするだけの価値はありました」
ブラウンと同じように、ジュリアスも背もたれに寄りかかった。それから呆れたように天井の薄暗い照明を眺める。どうやらジュリアスもこの部屋の様子には辟易しているらしいとブラウンは親近感を覚えたが、それで心を開けるような状況ではない。
すぐにでもシャワーが浴びたい。着の身着のままでどうしてこんな目に遭わなければならないのか……ブラウンはジュリアスを恨めしい目つきで睨む。
「……それで、あなたは一体何者なんだジュリアスさん。何の権限があって私をこんな所に?」
「ええ、ええ。気になることも多いでしょうから本題に入る前に幾らかお答えしましょう。
……とはいっても、私が何者かを全てお教えすることは出来ません。一先ず合衆国政府の人間であるとだけ」
「たったそれだけで信じろと?」
「こればかりは、そうお願いする他ありませんね」
突然こんな暗い部屋に拉致してきて、自分の身分はほとんど明かさない。
これじゃあサングラスが無いだけのメン・イン・ブラックじゃないか。次に出てくるのは記憶を消すペンみたいなアレか、人に化けたおどろおどろしい見た目の宇宙人か。ブラウンは両手で顔を覆う。脂汗の跡だろうか、触れた顔の表面はベタついていた。
「じゃあ、あなたが政府の人間だとして、何故私はここに連れてこられたんだ? 何時になったら家に帰れる?」
「第一に、貴方がここにいる理由ですが……事情聴取とお考えください。あなたが帰国する前にしていた仕事について、そこで何があったのか、我々はそれを調べています。
第二に、あなたをご自宅へお帰しできるタイミングですが、現状では2通り考えられます」
「2通り?」
「ええ。一つはこのまま聴取が恙無く進行することです。必要最小限の時間で我々は情報を得ることができ、その後速やかに貴方は開放されます。互いにとっての理想ですね。
もう一方は、貴方が何も話すことなく、このまま雑談でもして時間を潰すことです。いわゆる根比べというやつですね。私の上司が痺れを切らして諦めるまでどれほど掛かるかは私にも分かりかねますが……まあ、情報が得られないと分かれば開放されるでしょう。多分、きっと」
どちらが楽かはお分かりかと思いますが、選択は自由です……。ここまで来ると慇懃無礼にさえ見えてくる程の丁寧さでジュリアスは語る。まるで犯罪捜査中に行われる司法取引――ブラウン自身ドラマの中でしか見たことのない――みたいで、一方的にされているような感じが気に食わなかった。
今さっき存在に気付いた壁面の鏡も、こういうお約束に従うならマジックミラーだろうか。きっとその向こうには、この部屋の様子をコーヒー片手に眺めている人員がいることだろう。
そもそも、ブラウンは自分に何かしら犯罪に関わったような自覚を持っていない。
あの地域に仕事ヘ行き、そこから帰国するまでの間に、何か変な荷物を代わりに運ぶように頼まれたとか、妙な書類にサインしてしまったとか……職員研修でみっちり教えられた項目に該当するようなことはなかったはずだ。
――であるとすれば。ブラウンの心当たりはたった一つに定まる。
出国時に着ていたスーツではなく、仕事用の制服で、着の身着のまま逃げるようにエコノミークラスに逃げ込んだ理由。シャワーを浴びる間もなくタクシーに飛び込んだ、その原因。
できることなら今すぐに忘れてしまいたかったが、背に腹は代えられない。ブラウンはゆっくりと口を開いた。
「……分かった。お話しましょう。私も早く帰りたいですから。
それで、何からお話しすれば?」
「ご協力に感謝します、ブラウンさん。まずは一番始めから、順番に確認していきましょう。
先週発生したビーチアビエーション社の墜落事故……貴方はその調査を任され、現地に向かった。そうですね?」
「ええ。事故後58時間には現地入りを……」
事故から2日目のあの日。
NTSB所属のブラウンは、上司からいくつかの資料と共に指示を受けた。現地へ赴き、ブラックボックスの回収を始めとした調査を行う……出来るだけあって欲しくないことだが、見慣れた仕事内容だった。
現地に行く前にブラウンが聞かされた事件のあらましはこうだ。
ビーチアビエーション社の運行するニューヨーク発ドバイ行の旅客機、マクガイヤー388が目的地直前の中東地域で消息を絶った。数時間後に「当該機が不審な経路を取っていたため、再三の警告の後に撃墜された」との声明が現地軍より発せられる。
しかし、直前までのGPS情報と照らし合わせると、撃墜された時間までにその場所に388が存在するのは困難であることが分かり、現地軍の情報と矛盾が生じた。
現場は現地軍による証拠保全が行われており、現地政府を怪しんだアメリカ政府から一刻も早く調査を進めるようにとの指示が飛ぶ状況だった。
米国機が関わるとは言え国外の事象。乗客には多様な国籍の人間が居たため、現地を始め複数の政府からも調査員が派遣されることになった。しかし、どんな事情が働いたのか、ここでブラウンを始めとするNTSBの調査員と現地政府の人員だけで
現地軍の案内を受けて現場の荒野に向かうと、無惨にもバラバラになった388の機体がそこにあった。果たしてその座標は、現地軍の主張した通りの場所で、間違っていたのはGPSの方……少なくともブラウンたちの持ち込んだ計器はそう言っていた。
「現場につく頃にはもう夕方になっていて、野営の装備はありましたが、暗くなる前にさっさと調査を終わらせようと試みました」
主翼も胴体も原型を留めてはおらず、数百メートルに渡って散乱した残骸の中から最重要のブラックボックスを探す作業は、一周回って簡単だった。積み上がった残骸は退けるまでもなく散らばっていたため、荒野でも目立つオレンジ色の箱は日没前に見つかった。
徹底的に頑丈に作られているとは言え、中身が無事かは開けてみるまで分からない。専用のケースに収めて保護しつつ、ギリギリまで残りの調査が進められた。
「機体の破損状況ははっきり言って異常そのものでした。撃墜されたのだから自然といえば自然なのでしょうが……あそこまでバラバラになるケースは見たことがない。
具体的にどんな兵器を使ったのか聞いても教えてもらえず……思えば、残骸の一部に血痕があったんです。それもやけに新しい、まるでついさっき付いたんじゃないかと思うような」
「乗客のものですか?」
「分かりません。他に考えられませんが……でも、丸二日経ってまだあんなに鮮やかな赤色をしている血液なんて、おかしいでしょう?」
ブラックボックスの発見に前後して、所々から血痕の付着した残骸や、衣類品の欠片などが発見される。どれも時間の経っていない、新しい見た目のものばかりで、だが48時間以上も前に墜落した旅客機から見つかるものとしてはおかしい。
高度1万メートルもの高さから落下して、生きているどころか原型を留めていられる人間すら希少だというのに、まるでついさっき付着したような血痕。
周囲は人里から100km単位で離れた荒野。自分たちがこの場にやって来るよりも前に誰かが居たと考えるのも難しかった。
「不審な点は幾らかありましたが、ブラックボックスも見つかりましたし、現場は概ね現地政府の主張した通りでした。なのでその日は野営して、翌日に持ち越そうという話になったんです。
……いいえ、
突然、ブラウンは身をガタガタと震わせる。
両腕で自分を抱き締め、背を曲げて、何かに怯えるように縮こまった。その振動は両者の間にある安物の机に伝わって、揺らいだ。
「……どうしました?」
「いや、違う……あれは……」
この先にあるのは、恐らくは自分たちの求める真相。ジュリアスにはそんな直感があった。
しかし、そこに至る前にブラウンは黙り込んでしまった。
「……はあ。では、一旦ここでコーヒーブレイクとしましょう。所詮はインスタントですが、あったかいものは何時だって落ち着きを与えてくれる」
見かねたジュリアスは休憩を挟むことにした。このままブラウンの辛気臭い顔を見続けるのは単純に苦痛だし、時間の無駄だったからだ。
ジュリアスの提案が聞こえているのかいないのか、ブラウンは首を振ろうとして、しかしその動きは震えに邪魔されてかなりぎこちないものになった。
首肯と判断したジュリアスは、ブラウンから見て右奥のドアから部屋を出ていった。
気をつけてね
次はドバイだね
早く仕事終わらせて帰ってきてよ
さみしいナ~(TдT)
ブルジュハリファの写真が見たいぞ~
「コーヒーブレイクにしよう」と言って退室したジュリアスは、数分後に白い紙コップが2つ乗ったトレーを持って戻ってきた。
何の特徴もない無地のコップの中には、対照的に真っ黒い液体が湯気を立ち昇らせている。
「一先ずは、あったかいものどうぞ」
「はあ、あったかいものどうも……」
ジュリアスはトレーからコップとスティックシュガー、コーヒーフレッシュとマドラーをブラウンの前に置いた。
この数分で幾らか落ち着きを取り戻したらしいブラウンは、それでも少し身を震わせながら受け取った調味料をコーヒーに全て流し込んだ後、混ぜる間もなく一口。
「多少は落ち着かれましたか?」
「ええ、まあ……」
「その割にはマドラーがまだ濡れていないようですが」
「そっ、それは今から……いや、嘘は吐けませんね。
正直言って、あまり現実味が無いんです。仕事のためにあの地域へ行って、それから帰国して、今この部屋にいることさえ」
俯きながら木製の使い捨てマドラーをコップに突っ込んで、くるくると混ぜるブラウンの身体は相変わらず震えている。今にもコップを倒してしまいそうで、ジュリアスにはそれがひどく危うく見えた。
「ジュリアスさん。貴方がこのコーヒーを取りに行っている間に、色々と記憶を整理できないか試しました。けど、どう思い出しても信じられないものばかりで……あれはそう、まるで――」
ホットドリンクで少し緊張が緩んだのか、決壊するようにブラウンの口を付いて溢れ出る言葉をジュリアスが制した。
「はいストップ。休憩は休憩にしましょう、時間はまだまだありますし。
……ああそうだ、黙るのも退屈ですし、他のことをお話しましょう。例えば――」
「例えば?」
「いやなに、世間話でもと思いまして。
近頃のお仕事は如何です? ISの台頭で戦闘機の方は幾分廃れたと聞きますが、民間の航空機の業界はどうなったのかなと」
ジュリアスの言葉に、本当に世間話を振られるとは思っていなかったブラウンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、あぁ……と唸る。漸く混ざりきったミルクコーヒーを一口あおると、天井を見ながら口を開いた。
「結局のところISの部品をISで運ぶわけにもいきませんからね……飛行機は飛行機、10年経っても変わりませんよ。
ただまあ、男だからなんでしょうか、全然給料が上がらなくて……。2年ほど前から入った女性の後輩が自分より3割位多く貰ってるなんて噂を聞いた日には、もう……」
は、ははは……と乾いた笑みを浮かべながら、更にコーヒーをあおるブラウンに、「あー分かります」とジュリアスは額を抑えながら呟いた。
ISそのものではなく、それが及ぼした社会の変化に苦労しているのはジュリアスも同じだった。
既存の兵器と比べて圧倒的な有用性を見せてしまったISに対して、各国政府は即座にその本体――コアの確保に動いた。アメリカ政府もその一つで、国連内での高い地位を最大限に活用し、多くのコアの確保に成功した。そして、その次はパイロットとなる高い適性を持った女性の捜索に力が注がれることになる。
「女性は貴重」「今こそ活躍の時代」……そうして打ち出された最新のプロパガンダにより、国民の母数の多さも手伝ってアメリカは高い適性を持った女性を効率良く探す事ができた。
それらの結果として、かねてより女性の地位向上を目指して活動していた団体が活発化、多額の資金援助とマスコミの支援によりその数を増やし、一時世論は女性一色に。さらにその一環として男女平等のスローガンの下、男女の賃金格差の是正が政府により強力に行われることとなったのがここ数年の話である。
しかし、悲しいかな、無から資金が生まれることはないのが資本主義である。ましてや資本主義の最先端を走るアメリカならば尚更。財政出動にも限度がある以上、足りないものを何処から補うかといえば、それは将来的に増えるはずだった男性の賃金であった。
この部屋にいる二人とも、その煽りを受けながら生きている。コーヒーよりもブランデーか何かが欲しくなる鬱屈とした雰囲気が漂うが、残念ながら今は仕事の時間。ある程度は素面でなければ話にならない。
「私もこんな所で働かされているお陰で出会いの『で』の字も見当たらない始末ですよ。この前なんて、
「他の仕事を探されては……?」
「それが出来る職種だと思われますか?」
「……」
「……まあ、深入りしないでおくことです。知りさえしなければアレコレ機密に縛られることも有りませんから――改めて、多少は落ち着かれましたか?」
ええ、まあ……。気付けば空になっていた紙コップをテーブルの端に退けつつ、ブラウンはぼうっと天井を見上げた。
「ジュリアスさん。ここの天井、高さはどれくらいありますか」
「天井ですか? そうですね……10フィート*2より短いくらいだったと思いますが」
ブラウンはこれで10フィートかと噛み締めるように、或いは自分に言い聞かせるように呟くと、ジュリアスの方を見た。ジュリアスはその目から怯えが消えていないことに気付いたが、震えて何も出来なかった先程と比べれば大分回復したとも思った。
「なら、もっと大きいか……」
「……何がです?」
「正直信じてもらえるとは思えないんですが……というか、私自身も夢か何かであって欲しいんですが……」
テーブルの端に手を掛けて俯くブラウンは、先程より収まっているものの、やはり震えている。要領の得ないその言葉を書き留めるべく、ジュリアスは紙束から一枚引き抜いて、ペンを構えた。
「まだ落ち着いていないのでしたら……」
「いえ、良いんです。どうせこれ以上はマシにならない。
ええと、私は……見たんです。その、
「バケモノ?」
あの日、日没から暫く経った頃。ブラウン達調査団はこれ以上の捜索は困難であるとして、現地軍と共に野営の準備に取り掛かろうとしていた。
照明用の機材はあったが、それでも広範囲に散らばった残骸を一々照らして調べるのは効率が良いとは言えない。
そうしてブラウンが作業中の同僚を呼びに行った時、異変が起きた。
「最初、揺れを感じたんです。かなりはっきりと、強かった。
始めの数秒は地震を疑いましたが、あそこは古期造山帯や安定陸塊のど真ん中です、滅多なことではあり得ません」
突然の揺れに、現場の人間は皆立っていられなくなった。ブラウンは、手を振って仲間をこちらへ呼びつつ、倒れてしまわないようにゆっくりとしゃがみながら、拠点として幾つか設営された軍のテントを目指した。
地震なんて一度も経験したことのないアメリカ人のブラウンは半ばパニックだったが、転びたくはないからとしゃがんでいたのが無理やりに心を落ち着ける要因になったのか、その足が止まることはなかった。
現場には散らばるように大型の照明が置かれていて、見渡せばその近くだけは何が起きているか見ることが出来た。最終的な目的地がテントだとしても、とりあえず近場の照明に集まってから移動するのはブラウンも同じだった。
――その照明が砂埃と共に地面に呑まれるのを見るまでは。
「気付けば周りの所々から砂埃が立っていて、代わりに揺れが幾らか弱まっていました。だから、私は立ち止まって────赤い光がぼうっと見えたんです」
「赤い、光? 申し訳ないがブラウンさん、もう少し順序立ててもらえると……」
「順序? あれに順序もクソもありませんでしたよ……!
尖った頭に赤い目が3対、高さは15フィート*3くらいの四つ脚したクモみたいなバケモノ……砂煙の中からヤツらが現れて、現れて……ああクソ」
頭を両手で抱えて、食いしばるようにブラウンは呟く。恐怖一色だった先程と比べて、その声には怒りが混ざっている。
ジュリアスは急いで紙に件のバケモノの特徴を書き留めるが、15フィートの陸上生物など現実にいただろうか。先んじてコーヒーに混ぜていた自白剤の副作用で幻覚でも見ているんじゃないかと、紙の内容と目の前のブラウンを何度も見比べた。
「……それで、そのバケモノがどうしたんです?」
「――ああ、ジェニー、スティーブ、名前も知らない軍人も……そもそも抜け駆け調査なんてするべきじゃなかったんだ。するにしたって、ISの1機でも護衛に置いていれば……」
震えながらブツブツと要領を得ないことばかり呟くブラウンに痺れを切らしたジュリアスが、多少強引に一つ一つ確認していった限りでは、以下のような事が起きたらしい。
落ち着き始めた地震と入れ替わるようにして周囲の数か所から立ち昇った砂埃の中にブラウンが見つけたのは、例の特徴を持ったバケモノだった。
巨岩のような腹部に、鏃のような頭部、前腕はまるで大鎌のように鋭く尖っていて、蜘蛛のような外見の割に脚部は4つしかない、巨大なナニカ。
砂埃から叫び声を上げてブラウンの方へ走ってきた迷彩服姿の軍人が、背中からナニカに引っ張られるようにしてその中へ消えたのを号令代わりに、現場一帯は阿鼻叫喚となった。
ドンドンと地面を揺らしながら驚くほどの俊敏さで駆け回り、逃げ惑う人々をその前腕で潰しては、生きたまま食らう。ブラウンの同僚もその犠牲となったらしい。
軍用の照明設備に照らされてその様をはっきりと見てしまったブラウンは、半狂乱になりながらテントの方を目指したという。そこには自分をここまで運んできたジープが数台止まっていて、キーの有無なんて気にする余裕もないので無心で走った。
「多分、アレは光に反応します……たまたま照明の近くにいなかった私は狙われなかったし、何より、真っ先に照明が食われました」
ある程度走って、息切れで動けなくなったところでブラウンは何時になってもテントに着かないことに気付く。振り向いて、ついさっき自分が通り過ぎた瓦礫の山がテントの成れの果てだと理解した。
その頃には人の叫び声は聞こえなくなっていて、真っ暗闇の中、星明かりに照らされた砂煙が少しずつブラウンの方へ近づいていた。
探していたジープはどこにも見当たらず、バケモノが踏み鳴らした地面の揺れが急速に強まるのを感じて、ブラウンはただただ立ち尽くす他になかった。
りぃん、という耳慣れない音がした。
「丁度、真上の空だったと思います。辺りは荒野で、まるで自分への当てつけみたいに星空が綺麗だったから、これが最期に見る景色かって見上げていたら――何かが空を飛んでいたんです」
「……バケモノの次は、空飛ぶナニカですか」
「数は、3だったと思います。とんでもない速度で飛んできて、全部自分の目の前に降りてきたんです」
殺到する怪物とブラウンの間に並んで降り立ったナニカ。
距離が縮まったことでそのシルエットを認識したブラウンは、それが人型であることに気付いた。背丈は3mは下らないであろう巨躯に、ごつごつと角張った外形。色はほとんど分からなかったが、少なくとも明るいものではなかった。
「まるで、時間が止まったようでした。今その瞬間も同僚みんなを食い殺したバケモノが迫っているっていうのに、急に現実味が無くなって」
「続けて」
「それで、その内の一つがゆっくりこちらへ振り向きました。
顔が、白くて……まるで暗闇にそれだけが浮いているみたいに、ぼうっと光ってるんです。」
「輪郭はどんな形でしたか?」
「そこまでは覚えて……いや、何もなかったんだ。真っ白くて、少し角ばっていて……少なくとも生き物の顔ではなかったですね。あの時はその姿が死神に見えて」
「――失礼。今、死神とおっしゃいましたか?」
「ええ。真っ黒いボロボロのローブに、大鎌を持った骸骨の……丁度あんな感じで。
何か、重要なことでしたか?」
「いえ、こちらの話です」と促すジュリアスに言われるまま、ブラウンは話を続けた。
暗闇の中、まるで自分のお迎えに来た死神のように振り向いたその人型に、ブラウンはついに耐えきれなくなった。踵を返して一目散へ駆け出すと、背後で轟音が鳴り始めた。
バンッ、という瞬間的な爆発音、質の悪い蛍光灯からするハム音を限界まで重苦しくしたような、ジジジという音、何かの断末魔のような金切り声……ブラウンには背後で一体何が行われているのか分からなかった。分からなかったから、どこまでもひどい想像が侵入的に脳内を駆け巡り、無制限に恐怖を煽った。
気付けば音は小さくなっていて、それに一瞬気を取られたせいで、知らぬ間に解けていた靴紐に躓いて転んだ。
全身を覆うひりつく痛みに悶えつつ起き上がろうとして、丁度後ろ――自分が逃げてきた方向が目に入った。
「蹂躙でした。あの蜘蛛みたいなバケモノを、死神たちが空を飛びながら色々な兵器で殺し回っていたんです。
それは緑白色の丸い爆発だったり、黄色い光でできたモーニングスターの残像だったり、青いビームだったり……どれも光るものばかりだったせいで、真夜中の離れた場所なのによく見えました。
頭がおかしいと思われるでしょうが、あの時は呆気に取られて、綺麗だなと」
「モーニングスターですか?」
「ええ、あの、棒の先にトゲトゲの玉が鎖で繋がっているアレみたいな……丁度アーク放電のプラズマを黄色くしたようなものでその形が作られていました。
他の武器もそうですが、あんなSFじみた見た目の通常兵器なんて有り得ない。やっぱりアレは、ISだったんでしょうか……」
「空を飛び回る人型といえば、とりあえずその可能性が高そうですね」
それで、その後はどうなりましたか……紙に素早くペンを走らせながら記録を取るジュリアスは、もはやブラウンのことなど見ていなかった。
「全部、事が済むまでその場にへたり込んでいました。転んだ時に足を挫いてしまって、立てなかったんです。
それで……少なくとも20分はそれが続いて、急に現場が静かになりました」
遠方の土埃が晴れた後も、ブラウンはその場から動けずにいた。足の怪我もあったが、それ以上に静けさがどこまでも不気味だったからだ。
周囲は遮蔽物の全く無い荒野。たまに吹く肌寒い風の他に音はなく、星明かり以外に光源は無い。
死神のようなISがバケモノたちを蹂躙し終わったとして、果たしてそれでバケモノが残らずいなくなったと言えるだろうか。実はまだ地下に残っていて、自分が一歩でも動き出した瞬間に始めと同じように襲い掛かってくるのではないか……腰にぶら下げていた懐中電灯の存在を思い出した後も、それを使わず暗闇の中で震え続けた最大の理由だった。
しかしその恐怖と硬直も2時間程で崩れ始めた。尿意である。
ブラウン自身も驚くべきことに、顔見知りが目の前で踊り食いされる異常な景色を前にして尚、今の今まで失禁の一つもしなかった。しかし生理現象は生理現象、不確実な暗闇への恐怖よりも、膀胱からの警告信号の方がよっぽど確実なものである。その頃になると足の痛みも幾らか引いていたので、ブラウンはゆっくり立ち上がった。
その辺で用を済ませたブラウンは安堵に任せて、腰の懐中電灯で現場を照らしてみることにした。
失われた。そうとしか表現出来ない景色があった。
土砂と撹拌され、ボロボロになった恐らくはテントの残骸。
地面に点在する鮮やかな紅色のシミ。
夕方よりも血痕の面積が増えている飛行機の残骸。
綺麗に横転して、側面で立っているジープ。
動くものはどこにも見当たらなかった。仲間の死体も、バケモノも、あの死神も。
「瓦礫の山とか、遠くの飛行機の残骸とか、何か残っているんじゃないかって探し回りました。夜明けまで掛かって見つかったのはブラックボックスだけでしたけど……」
「その後は、ジープでお帰りに?」
「ええ。横転しているのをもとに戻しただけで動いたので、あとは方角を頼りに街まで。
身分証もほとんど無くなってしまったので、大使館を頼って……」
「そうでしたか。実は我々もそこで貴方のことを知りましてね、明らかに異常だと」
「空港で待ち構えられたのはそういう流れでしたか。
あの……ブラックボックスはどうなりましたか? 数少ない手荷物だったんですが」
萎れたような表情で尋ねるブラウンに、「アレはこちらで回収した」と告げるジュリアス。曰く、この異常な事件を公にするべきではないと隠蔽工作が既に始まっており、恐るべき真実を含んでいるかも知れないレコーダーは、適当なデータを持った偽物にすり替えられるという。
「え、じゃあ、私の体験したことは……彼らの死は……? それぞれ家族だっているんですよ!?」
「……残念ながら、適当なカバーストーリーで隠されることになるでしょう。現地のテロ組織の襲撃とかね。そして、貴方自身にも隠蔽の一端を担って頂かねばなりません」
「なんですか、用済みだから消えろと?」
は、ははは……引きつった笑みを浮かべるブラウンをジュリアスはなんとか宥めなければならなかった。
「これは言ってもいいでしょう。貴方の持っている情報は、我々の求めていたものです。具体的にどれかはお伝え出来かねますが……。何にせよ、折角の情報提供者である米国民を無碍に扱うなど、国家機関のすることではありませんよ」
ジュリアスは諸々の情報を書き取ったメモ用紙を下げると、机の端に置かれていた紙束の大半をドンとブラウンの前に置いた。
内容は機密保持に関する契約書だった。これからブラウンを自宅へ帰すに当たって、ブラウンが守らねばならない秘密や、ブラウンを保護する名目で付けられる数々の監視、
「『自分の荒唐無稽な話を鵜呑みにしたのか』、そう思われているかも知れませんが、我々にはそれを信じるだけの理由があります。貴方の知る事実には価値があり、同時にそれは危険でもある。不特定多数が知ればパニックの恐れもあるでしょう。
……メン・イン・ブラックを見たことは? アレみたいに都合良く記憶を消す技術なんてありませんから、こうして契約で雁字搦めにする他無いというわけです」
「私は本当に、帰れるんですね……?」
「ええ。しかし仕事は辞めていただくことになります。今の住居を引き払い、全く違う、遠い場所へ引っ越してもらうのも必要でしょう。家族と直接会うにも我々の許可を――ああ、ご両親は弟さんと住まれているようですね。何にせよ、こういった
ブラウンは疲弊していた。あの異常な光景に巻き込まれた後、満足な休息も取れずに今度は薄暗い部屋でそのトラウマを思い起こさせられ、終いには金と引き換えに自由が縛られようとしている。これ以上どうしろというのか。間違いなく重要な選択なのに、そもそも選択肢なんて無いことを無視しても、今はとにかくさっさとこの状況を終わらせたいという欲求が勝る。
最後に絞り出すように呟いた「家族に手紙やメールくらいは出せますか」という問に、検閲は入るが問題無いという返事を聞いたところで、ブラウンは力無くサラサラと書類にサインした。
◆
「ここの場所を秘密にしておかねばなりませんので、暫くはそのまま堪えていて下さい。何なら寝ていても構いませんよ、適当なところで起こしますから」
機密保持契約の手続きも恙無く終わり、30分程の休憩時間の後で、ブラウンは頭に分厚い麻袋を被せられた。ダメ押しに手錠も付けられて、そのまま恐らくはジュリアスのものであろう手に引かれるまま案内されるままに歩いていくと何処かに座らされた。直後に聞こえた大きい音とエンジンの振動から車内である事が分かった。
少しして車が動き出したが、ブラウンの目に映る景色は暗闇のまま変化しない。酔いこそしないが気分の良い状況でもなかったので、ブラウンはジュリアスに言われたまま寝ることにした。
◆
「――では、近い内にウチの者が伺うかと思いますので、今日のところはどうぞお休み下さい。ご協力に感謝いたします」
夜間中掛けて、ジュリアスたち一行を乗せた車は、ワシントン州にあるブラウンの自宅前に止まった。疲労の溜まっていたブラウンは結局のところ目的地の直前まで目を覚まさなかったため、ドライブは実に静かに――ジュリアスからすれば退屈に――終わった。
車を降ろされ、少ない手荷物と諸々の書類を受け取ったブラウンは、車内のジュリアスともう一人、黒服のドライバーに小さくお辞儀すると、空を見上げてぼうっと呟いた。
「本当に帰ってこれたんだ……なんというか、未だに現実味がありませんが……。
――ああ、いい夕暮れですね。心が洗われるようだ」
ズラリと並ぶ高層建築たちのその向こう、東の地平線の彼方から仄かに差し込む白い太陽光が、空の宵闇を弱く照らしていた。
ブラウンは小さく挨拶すると、よろよろと頼りなく自宅のあるアパートメントへ入っていった。
ジュリアスはそんなブラウンの背中を見送ると、運転席の黒服に合図して、すぐに車は発進した。
◆
「それで、今回はアタリだったのか? ジュリアス」
元いた場所へ戻るべく、ハイウェイを走行する黒服は、思い出したかのように助手席のジュリアスに尋ねる。道は空いていて、2人の乗る黒いセダンは伸び伸びとスピードを出している。
「アタリもアタリと言って良いでしょう。我々の知る
「例の
「ええ」
ブラウンが遭遇し、同僚を軒並み食い殺したというバケモノ。
そも近年、急激に
しかし、今回は話が違う。ジュリアスたちの追い求める謎の集団――構成員の死神のような外見から
「死神部隊のことは真実」、「バケモノのことは幻覚か何かだった」……そんな都合のいい分け方ができると思えるほど、ジュリアスは雑な仕事をしていない。
「差し当たっては現地当局と連携しつつ、調査員を送り込むことになるでしょうね……当然武力も合わせて」
「そこまでする程のことかねえ……俺はあのブラウンとかいうやつが最初っからマトモじゃないと思ってるが。ちょっとばかしそれっぽい情報をチラつかされただけで反応しすぎてないか?」
「……マトモじゃない? 極限状態に曝された直後ということを加味すれば、あれでも普通の反応に見えますがね。自白剤もキッチリ効いていましたし」
「聴取が終わったからって大事なことを見逃してるだろう、アンタだって疲れてんだよ」
「大事なこと……?」
黒服はブレーキを掛けて、目の前に出来た渋滞の車列の後ろに停まった。前の車の隙間から、前方にパトカーが集まっているのが見えた。どうやら事故でも起きたらしく、そのために車線が減ったようだ。
丁度いいとばかりに黒服はジュリアスの肩を叩くと、同じ手でカーナビを、特にその端に表示されたデジタル時計を指さした。時刻は朝7時前。とっくに日は昇り、空は十分に明るくなっていた。
「車を降りたブラウンが、なんて言ってたか覚えてるか」
「確か、現実味が無いとか……」
黒服はサングラスを額まで押し上げて、その後だよ、と首を振る。それから茶色の瞳をジュリアスの方に向けた。
「――
こんかいのまとめ
・ブラウン
身構えてなかったから死神に目をつけられた。
NTSB所属の独身男性で、家族は両親と弟が一人。
3ヶ月後に旅行先で災害に見舞われ、行方不明となる。
・ジュリアス
NSAの某部署に務める男。偽名。
機密の多い仕事ゆえに趣味を持つことが出来ず、仕事場の整備を予算で進めるのが最近の楽しみ。
さり気なくコーヒーに自白剤を仕込むなど容赦がないが、多忙につきいい加減寝たい。
・黒服
名前は未登場。
ジュリアスの同僚であり、二人で運転を交代しながらブラウンを送り届けた。
ブラウンの言動を訝しんでいる。
それなりに重要な伏線情報を書いているのですよ……?
どうしてこんなに冗長になっているのですか……?(超人並感)
流石に設定だけ投げて10日待てはひど過ぎると思ったので早めに2章始めました。
なんでこんな話を書いたかといえば、少なくとも主人公たちのいる学園からは知り得ない情報をどうやって開示するかに迷っていたためです。設定集にポンと書いて見せるのはちょっと面白みに欠けるので、「重要な事件に関する聴取」という形で出してみましたが……慣れないことをするものではないというのを今更ながら思い知りました。
死神部隊と書いてバンシィと読むのは完全にネタですが、この章の後半からきちんと登場させますので、この名前を脳の片隅にでも置いておいて頂けると分かりやすいかと思います。
ところで朝日と夕日で色が違う理由をご存知でしょうか。差し込む光の成分としてはどちらも同じなのですが、夕日の場合は日中を挟んだことで光の通過する大気が温められ、水蒸気や塵埃などの光を散乱させる微粒子が多く浮遊しています。これにより青色のような短い波長の光が散乱してしまって我々の目に届かず、結果として赤っぽく見えます。一方で朝焼けの場合はこの微粒子が少ないため、比較的白色光に近いものが見えるんだとか。実際にどれくらい色が違うのか、見比べてみるのも面白いかも?
書き終えてみると、恐ろしく難産でした。本筋からちょっと逸れた途端にこれとか恥ずかしくないの? 2章の初っ端から不安なところですがなんとか頑張ります……。
戦闘シーンは……
-
なんぼあっても困りませんからね
-
戦ってねえで話進めんしゃい
-
そんなことよりおなかがすいたよ