Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
アニー、大丈夫かい?
「――ぽーい たんつーい い ゔぃなー ね つぁーでい」
授業も一通り終わり、時刻は夕方。今日のトレーニングが終わったので寮の自室――正しくは寮長室――へ帰る。
ちょっと汗を流したら、今度は直ぐに食堂へ行かなければならない。腹は空くからね、誰だって。
「すらーゔぁ な にぇーびぇー い みーる なあ ぜーむれ……んん?」
いつもの通り、誰もいないのを良いことに鼻歌しながら廊下を進む。
学生寮というやつはもっと簡素なものなんだろうと、入学前に思っていたのが懐かしい。たまに出張で連れて行かれた海外の高級ホテルみたいにカーペット敷の床に上品な壁紙、曲がり角に置かれた花瓶など、どこを見ても上等な物ばかりだ。実際に上等がどうかは知らないけども。
部屋の前まで来たところで、妙な違和感が背筋を撫ぜた。いや、撫ぜたなんてもんじゃない。もっと強烈に、背骨を直に掴まれるような感覚。視界の端にあるのは誰の亡骸だ?
ドアノブの角度? 付いた指紋? 床の足跡? 見た限りそのどれでもない。マジで俺の直感だ。直感が何の根拠もなしにこのドアを開けるなと言っている。
今の時間、織斑先生ことチフユはまだ校舎にいる。つまりこの部屋の中に誰かがいることは――織斑千冬の部屋と知って忍び込む命知らずでない限り――あり得ないはずだ。
とは言え俺も科学の時代を生きる一人の人間だ。ちょっとくらいは裏付けが欲しい。ホントにちょっとでいいから。例えば物音……このままドアに耳を当ててみて、それで何も聞こえなければ、そのまま入ればいい。単なる気の所為ってことだ。
幸い周りに人はいない。多少不審者じみた挙動をしても見られることは……この際監視カメラの存在には目を瞑ろう。向こうは瞑ってくれないが。
要するに、安心できる言い訳があればそれで良いんだ。
というわけでドアに顔の側面をべったり付けて中の音を確認しようとして――。
「――おかえりなさい!」
急激に、驚くべき力と速度でもってドアが開かれた。右側頭部に強い衝撃。
「うぼぁあぁッ!?」
開くドアに吹っ飛ばされながら、そこから覗いた上半身が見えた。水着だった。
なんでかわからないけど水着で人型だった。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも――
――あ゛っ」
そんなこんなで床に衝突する。視界がぐわんぐわんと揺れて、それから遅れて鈍い痛みがやってくる。実に3mくらいは飛ばされたか。床が伸び縮みして見えているだけかもしれない。
どうやらホントに中に誰か忍び込んでたらしい。俺の直感は実に優秀だ。今度からはもうちょっと信じてやろう。
俺の意識が途切れるのに、そこから数秒も掛からなかった。
◆
気が付くと、後頭部が何だか柔らかい。重力が背中向きな辺り、俺の身体はどうやら寝かされているらしい。
目を開けると天井からの暖色照明が視界に突き刺さる。痛いので直ぐに目を閉じた。人間の瞳孔はそこまで機敏には出来ていない。
「……お目覚めかしら? さっきはごめんなさいね」
上の方から声がする。そうか、近くにいるのはヒトか。
「いたんだな、部屋の中に」
「ええ。大事な話があってね、貴方を待ってたの。
……眩しそうね?」
不意に、両目に暖かいものが当てられる。表面の凹凸の感触からして手……それも左手か。
自分の置かれている状況は相変わらず分からないが、取り敢えず自分と不審者の姿勢は大体分かった。
そうとなれば、やることは一つ。
「まあ、じき慣れるだろ」
顔面の上にある左手首を片手で掴んでぐるりとローリング、その手首の主を巻き込んで引き倒す。
「――きゃッ!? 一体何を」
自分の体勢を起こして相手の体をうつ伏せに。太ももに乗る形で掴んだ左手を相手の腰に押し付けつつ、がら空きの右手を膝で踏んで、最後に空いた手で後から首を掴む。
両足をバタバタと暴れさせてはいるが、とりあえずこの不審者を抑えることには成功したようだ。前に動画サイトで知ったのを見様見真似でやってみたが、案外上手く行った。
そういえばさっき見た水着がどこにもない。この不審者が着ているのはここの制服だ。
いつの間に着替えたんだろう? もしや複数いるのか? まだ眩んでいる目で周囲を見渡しても、この不審者と自分を除いては人っ子一人いない。
「……よし、これだな。この向きの方が人間らしいな。
つーか、他人様の部屋でナニやってんの? 不法侵入でしょっ引くぞコラ」
とりあえず不審者を捕まえたところで、ポケットのスマホで先生に連絡を取ろうとしたが……そういえば両手が空いていないのを忘れていた。どうしましょ。
悩んでいると、何やら声が聞こえてくる。
「む、むー! ……ぷあっ、急に何すんのよ! 乙女に手ぇ上げるなんてっ!」
相手は押さえ付けたはずの頭部をもぞもぞ動かした。どうやら顔面が布団に押し付けられたせいで喋れなかったらしい。それは申し訳無いと思う一方で、何でこの不審者にそこまで配慮せにゃならんのだとも思ってしまう。
「いや知らんが。どの道勝手に他人様の部屋に忍び込んだ不審者だろーが。
――てか、アンタ女だったのか、言われてみればそれらしい声っつーか……」
女であったことが判明したこの不審者が喚くのをよそに、壁にかかった時計を見ると――気を失ってたのは10分くらいか。今からシャワー浴びるのはちょっと時間が合わない。
仕方ない、ちょっと肌がべたついて気分が悪いが、このまま食堂に直行しよう。今は空腹が優先だ。
「誰だか知らんが、用が済んだならとっとと帰れよな。帰ってきてもまだ残ってるなら先生呼んでやっから」
「え、ちょっと! 大事な話があるって言ったでしょ!」
女は歩き去るショウを追いかけようとするが、直前まで組み伏せられていたせいか太ももが痺れて、ベッドから立ち上がれない。そうこうしているうちにショウはドアを開けてそのまま廊下へと進んでいく。
「せめて名前だけでも覚えて行って頂戴、私は
最後の抵抗とばかりに楯無が声を張り上げると、開いたドアの向こうから小さく興味ないねとだけ帰ってきた。大分距離を離されてしまったらしい。
「……ああもうっ! けどそうやっていられるのも今のうちよ。
予定ではショウを適当に手玉に取る筋書きだったはずが、いざ実行してみると真逆の状態になった悔しさに少し顔をしかめる楯無。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべ――やっぱり顔を歪めるのだった。
足の痺れが取れるのには、もう少し掛かりそうで……。
◆
「うーむ、うーむ……マジで迷うな。俺はどっちが食いたいんだ?」
場所は変わって食堂。
ショウは券売機から少し離れたところで、他の利用者の邪魔にならないように晩飯のメニューを思案していた。
夕食には少し早い時間ということもあり、利用者の大半は職員や上級生で、数はそれ程多くは無い。しかし、ここからあと30分もすれば大勢の生徒が雪崩れ込んできて、席の争奪戦が始まること請け合いである。ショウにはそれで苦しんだ経験が何度かあった。
IS学園の食堂は、「食堂」という言葉に収まらない程に大規模だ。それもそのはず、世界中から才能溢れる若者とその関係者が集うIS学園において、この食堂は彼らが満足するような母国の味を再現できる設備と食材を揃えられるように作られた施設だからである。
流石に毎日世界中のメニューを同時に用意するのは現実的ではなかったようで、その辺りは月替わりでの提供となっている。とはいえ用いられる食材も全世界から高品質なものが集められており、毎日国際色豊かな料理が提供されるこの場所は、さながら食のテーマパークである。
なお、これらを実現するための予算は、IS委員会からの少ない補助金を除けば日本の税金から出ている。
「頭で決められないなら胃に聞いてみるか……へーいまいすとまーっく、うぃっちどぅゆうぉーん?」
糖分とタンパク質の不足したショウは下を見て、ついに自分の胃に質問するという暴挙に出るが、当然のことながら胃は喋らない。沈黙の臓器と言えば肝臓だが、それ以外の臓器だからと言って言葉を話すことは有り得ない。ごくごく当たり前のことだ。
ちなみに、ショウが迷っている今晩のメニューは二択。すなわち刺身かステーキか、である。
「うーん、英語は通じないか。我ながらグローバルさが足りてないな。
――sawbbEh tqqyl shhAgAr fIbrugg sss*1……まあ、通じる訳ねえか」
刺身は良い……今日一日潮風に当たりながらトレーニングに勤しんだショウにとっては海の幸が恋しかった。そしてそれ以上に、部屋に戻った際に摂取し損ねた山葵が無性に味わいたくなっていた。質の良い山葵と醬油の組み合わせは正に犯罪的で、常習性すらある……というのはショウに限った話かもしれない。
一方でステーキも捨てがたい。トレーニング後のショウの身体が今まさに必要としているのはタンパク質である。ならばデカい肉を、血の滴るような赤身をかっ食らうのが漢道というもの。
ショウの置かれた現状とはすなわち、To beef or not to beefである。
そんなショウの近くに、足音もなく、しかし堂々と歩み寄る人影が一つ。
「――お困りかしら? 悩んでいるなら、おねーさんイチオシの選択肢があるんだけど」
唐突にショウの視界の端へぬるりと滑り込んだのは、先ほどショウをドアで吹っ飛ばした不審者――更識楯無である。
「……あの? ちょっと?」
しかしこれだけ特徴的な登場を見せてなお、ショウは無反応であった。「注目」の文字がでかでかと書かれた扇子を、ショウの目の前でこれでもかというくらいぶんぶん振り回しても、ショウは相変わらず向こうの券売機を見つめて悩んでいる。
傍からすればショウが楯無を堂々と無視しているようにしか見えないこの状況に、楯無は涙声一歩手前である。
「ねえ、ねえってば! あの、おねーさんホントに泣いちゃうわよ……?」
そんな楯無が最後の望みとばかりにショウの肩に手をぽんと置いたとき、ようやく目が合った。
「あー、もしかして俺に話しかけてたか? そいつは悪いことを――。
あの、申し訳ないんだけど……どなただっけ」
「え゛……」
更識楯無は、自認する限りそれなりに目立つ人間である。このIS学園で最強の座に立ち、毎月のように他生徒から挑まれる決闘に勝利し、時には生徒会長として学年の行事の進行も務める。特徴的な髪の色も目の色も、他人と見分けの付きやすいトレードマークだ。何より、ついさっき曲がりなりにも顔を合わせた間柄である。
――それを「どなた」とはどういうことだ?
楯無は訳が分からなかった。
百歩譲って名前を憶えていないのはいい。楯無にとっても、先程の一件はまともな自己紹介などではないことは分かっていた。しかし、目の前のショウの反応は本当に初対面かそれに近い人物に会った時のそれである。
楯無が根負けしてもう一度ショウに自己紹介をしようとしたところで「あー待ってくれ何か思い出しそう」とショウが制した。
それからたっぷり5秒、左上を見ながら悩んだショウは、神妙な面持ちで言う。
「えっと、そう……書記長の、更識
「生徒会長の更識
ねぇもしかしてわざとやってる? わざとでしょ!? わざとって言いなさいっ!」
抗議の三段活用と共にショウの襟首を両手で掴んでぶんぶんと揺らす楯無。一体脳内でどういう交通事故を起こしたらこんな覚え方ができるのだという疑問と、またも相手のペースに飲まれた悔しさが楯無の思考を一瞬埋め尽くすが、尚更このままではいけないとその手を離した。
何より、周囲の視線が痛い。
「声でけえよ……ちょっと間違えただけじゃねえかやかましい。
大音量は1812年*3で間に合ってるっつの……」
ちなみに、更識楯無という人間はこのIS学園の生徒会長というだけではなく、その類まれなる才能と政治的な理由から与えられた「自由国籍権」なる権利によってロシアの国家代表でもある。勿論ショウはそんなことは知らないのだが。
「……いやほら、長って感じの肩書で、名前の方がタで始まってシで終わるのは覚えてたんだよ。そしたらやっぱ、同志だなって」
「どの辺りが『そしたら』なのよ、脳みそがやや左側に偏ってたりしないでしょうね……」
やはりショウの会話ペースに置いて行かれ気味の楯無だったが、はっと何かに気づいた様子で口元に扇子を開いて当てる。今度は何の文字も書かれていなかった。
「――アナタの専用機が
「それ言ったらアンタだって
「赤以外に何があるっていうのよ。それに私のこれは生まれつきですぅ~」
下の瞼を指で引き下げて"
そんな楯無をよそにショウは、「で、そのオススメってのは?」と会話を流した。対する楯無は待ってましたとばかりにショウの顔を右手で指差してこう言った。
「こういうときはね、どっちも頼めばいいの」
「な、何だとぉ……!?」
「やっちゃいなさいよ、そんな二択なんて*4」
「バッ……馬鹿言ってんじゃねぇ、ここは両方とかそういうのは、無しなんだよ……!!*5」
「意外とアナタってお堅いのね、
楯無は自分の蟀谷辺りを畳んだ扇子で小突いて、若干の煽りを込めた。その暴力的な提案に、ショウは券売機の上に表示されたメニューと楯無を何度か交互に見て、驚愕する。
陸の肉と海の肉。二種類のタンパク質を真正面から交通事故に遭わせるが如き暴挙はしかし、果たして合理的な選択でもあった。要するにジャストミートである。
刺身とステーキ、一見無関係に見えるこの二つの料理を結びつける調味料が一つ、ショウの脳内にあった。それすなわち山葵である。
タンパク質が欲しい、魚も食べたい、山葵だって欲しい……。この山葵中毒者にとっては、この暴挙がIS学園で日常的に行われているらしいという楯無の言葉にドン引きしつつも、なるほど良い選択だと感嘆するほかない。
「んん、まあその通りにするか……」
合理的には違いないが、豪勢が過ぎてこれで良かったのかとも思ってしまう複雑な心を引きずりつつ、ショウは券売機の方へとぼとぼ足を進めた。
この食堂の券売機は、外部で一般的に使われるそれと違って非常に多機能である。具体的にはメニューのカスタマイズの幅が広い。
定食から白飯を無くすのはまだ序の口、偶に頼める寿司セットの内容を一貫ずつ――サビの有り無しからネタとシャリの種類まで――選択したり、今日のショウのように2種類の定食を1つに合体させることだってできてしまう。勿論、システム的にこれらを実装するのは、適切なコストと工期を費やせば決して不可能な話ではない。しかし、それを仕様通りに運用するとなると話は別だ。
基本的に飲食店はメニューを増やせばコストが嵩む。個々のカスタマイズに対応するには料理人側が柔軟にそれを実行しなければならない。そんなことを普通の飲食店が行えば、提供ミスの増加や客の回転効率の低下によって、確実に利益を削られる。
それを実現する方法としてこの食堂が取ったのは、純粋な物量戦であった。詰まる所、設備・人員・規模の三つ矢を拡大し、始めから利益など投げ捨てる。効率を無視したヒトとカネによるゴリ押しが、この食堂を支える柱だ。
ショウはステーキ定食と刺身定食から白飯を――ついでにステーキに添えられるコーンも――無くし、更に相互に重複する品目を一つ減らして一注文に集約する。ステーキも刺身も赤身だけを指定した、大盛の高タンパク志向メニューだ。
ショウがこの端末に触れるようになってからまだ2週間と経っていないが、出来ることの多さが災いして操作に慣れる気配はない。
「あ、そうだ。今更だけど私もご一緒していいかしら?」
注文を終えたショウの背後にいつの間にか張り付いていた楯無が、券売機を操作しながら言う。
「断る理由はねえな」
「じゃあそういうことで」
流石は上級生か、手慣れた様子で素早く注文処理を終えた楯無は、一足先にカウンターの方へ歩き出したショウに追い付く。
「……ところでなんだけど」
「あん?」
「さっき一人で呟いてたのって、英語じゃない方は何語?」
「……………………。星語*7?」
「なにそれ……」
◆
カウンターで料理を受け取った楯無は、食堂を見渡して一足先に席に着いたショウを探す。思えばどこの席にするか決める前にショウが席に行ってしまったし、楯無はショウの
しかし、食堂が空いている時間帯であったのが幸いして、然程の苦労もなくショウの姿が見付かった。よりによって――ほとんどの人のいない、窓際に。
一先ず行き先は分かったので、楯無は料理が満載のトレーを傾けない程度に急いで向かう。高温のプレートの上で脂を跳ねさせるステーキの音が楽しい。幸せの音だ。
窓際の席では、ショウが窓の向こう――小さな庭を日没直後の薄暗い空が照らしている――をぼうっと眺めている。料理には全く手を付けていない様子だった。
楯無がお待たせと言ってショウの向かいにトレーを置くと、ショウはそれを見て目をぎょっと見開いた。なんと楯無はショウと全く同じものを注文していたのだ。
「……ブルータス、お前もか*8」
「他人に勧めた手前、自分だけ違うのも……ね?」
「……収まるのか?」
「もちろんよ。生徒会長を
その生徒会長とか言うのは新種の学名か何かなのか、と引き気味に言いつつ、ショウは割り箸をぱきんと割った。芸術的なまでに会心の割れ方だった。楯無はそれを横目に、ところでと会話を切り出す。
「……どうしてこの席を選んだの?」
「ん? 特に理由はないぞ」
ショウのそんな返事に、楯無は呆れのあまりガクリと姿勢を崩す。目一杯のため息の後に体勢を戻すと、会話を再開した。
「あのねぇ……自分が今どういう立場か分かってるの? アナタ」
「『どう』とは?」
楯無を一瞥して、ショウは早速山葵を醤油に溶かし始める。質の良い生山葵がほろほろと醤油に解けていく様は一種の美しささえ感じさせる……という言葉は心中に留めつつ目を細めた。
「2人目って分かった段階で言われなかった? 今やアナタは世界で最も多くの勢力に狙われる人間の一人なのよ」
楯無から見て、ショウの振る舞いはお世辞にも用心深いとは言えなかった。初めて会ったときは、部屋の中こそ警戒していたが、何の疑いもなくドアに触れて弾き飛ばされていた。そのまま気絶までしてしまったのだから、もしも自分がショウの殺害を狙う不届き者だったなら、その目的は簡単に達せられただろうと楯無は思った。
「だから言われた通りここに押し込まれてるんだろうが。それで良いんじゃないのか?」
その後不意打ちとはいえ自分を一方的に組み伏せたのは、確かに驚嘆に値する。それなりに研鑽を積んできた身としては、このド素人――少なくとも資料の上では対人格闘の心得は無いはず――に負けたのは楯無にとって想定外だった。
――あの時反射的に自分の専用機を呼び出さなくて良かった。
危うくそのままショウを殺してしまうかも知れないところで冷静に踏みとどまれた自分を、楯無は褒めてやりたかった。
しかしその優位をすぐに捨てた挙げ句、相手に背を向けて去っていくのは頂けない。
「良くないから言ってるの。こんな窓際なんて、狙撃してくださいって言ってるようなものよ? 今は私が見てるから良いけど……」
席選びだって無防備が過ぎる。本当なら出口付近の壁際のような、人の目が多かったり射線が制限されるような場所がベターなのだが、どうやらこの男にそういう知識は無いらしい。
「入学前にはここが安全だと言われたが」
でも100%じゃないわ、と言いながらステーキを一切れ口に運ぶ楯無。咀嚼しながら何もタレを付けていないことを思い出したが、もう遅い。諦めてもきゅもきゅと呑み込む機会を伺うほかなかった。
一方で刺し身を山葵醤油に浸けて、口に入れたと思ったらすぐに飲み込んでしまうショウ。噛まずに飲み込んでいるわけではなく、まるで動画の倍速再生のように食べるという動作が進んでいるのだ。気付けば刺し身はほとんど残っていない。
ショウは頃合いとばかりにステーキに醤油ベースのソースを掛けた。
「……まあ、そう言うなら以後気を付けるよ」
そう言ってショウは刺し身の最後の一切れを摘む。その目は、窓の向こうの暗闇を向いていた。
その後暫くの間、二人の間に言葉はなかった。少しずつ増えていく食堂の利用者の喧騒が時間の経過を伝える。窓の外はかなり暗くなっていた。
ショウは、それから何も言おうとはしなかった。プレートの上で静かになったステーキを、黙々と一切れずつ取っては、山葵を乗せて口に入れるのを繰り返すばかりである。時々それを白米に乗せるといったバリエーションはあるものの、無言であることに変わりはない。
窓際に座ったことで普段の職業柄緊張の解けない楯無にとっては、せっかく年の近い異性と相席しているのに、豪勢なメニューを選んだのに、味気もムードも有ったものではない。
「ねえ、何か話すこととか、無いの……?」
辛抱堪らないとばかりに会話を切り出す楯無。対するショウは、楯無の方に目を向けて相変わらずの様子で返事した。
「『話すこと』とは?」
……またか。またこの返事だ。
さっきも聞いた返事の仕方に、楯無は閉口する。それさえショウは気にしていない様子だ。
そもそも、楯無が席に着いてからの2分くらいを除けば、ショウは一度も楯無と目を合わせていない。顔が楯無の方を向くことは何度もあったが、その目が彼女に向けられることはなかった。
「なんかこう、あるでしょう? なんで部屋に居たのかとか、どうして着いてきたのかとか……」
ショウがこうなる理由に、楯無は心当たりが無いわけではなかった。
そもそも、楯無が冠する生徒会長という称号は、このISにおいて最強の生徒であることを意味すると同時に、それよりも弱い全ての生徒を守護する盾の役割が与えられるものだ。それ故に、理事長からショウについて幾らかの情報が与えられていた。
「一部の例外を除いた、他者に対する共感性の著しい欠如」
渡された資料において、沢村ショウという人間はそう評価されていた。
ショウが学園に行くまでの短い期間の間に、グランゼーラを訪れた学園の手の者がショウに何度か芝居を打って調べた結果らしい。資料を読んだ当時は他にすることはなかったのかと多少気の毒に思った楯無だが、今となってはそれよりも内容に対する違和感の方が強い。
共感性とは、相手が何かしらの感情を見せたとき、自分も似た感情を抱くことだ。
だが、ここまでのショウの振る舞いを見ていると、どうも共感性が完全に無いというわけではなさそうだった。名前を覚えてなければそれを謝罪するし、もっと警戒しろと言えばそのまま従う素振りを見せる。
先日行われたイギリスの候補生との試合を思えば、違和感は更に強まる。何せ、当時実況席にいたのは他ならぬ自分だ。
試合中、相手の候補生とは問題なく会話が成立しているように見えた。しかも試合後に倒れた候補生を労って運ぶ姿まで見せている。眼の前のショウと本当に同一人物なのか疑わしいくらいに、まるで振る舞いが違う。彼と出会って半月足らずの候補生が「一部の例外」とやらに該当するのなら幾分か理解は出来るが、それでも違和感は拭い切れない。
「他がどこに居ようと勝手じゃねえの、俺の気にすることじゃない。何より……その、大事な話だっけか。ここで話していい内容なのか?」
ショウは窓とは反対の、他の客で賑わう食堂の中央を漠然と眺めながら答えた。
回答の質が少し変わった。
さっきまでと違うのは一体何なのか……ショウの仕草を見て、楯無は自分が抱く違和感の正体に触れた気がした。
何かあと一歩、その何かがあれば答えに辿り着ける――そんな予感めいたものが楯無の背筋を撫ぜた。
「……まあ、それもそうね。私が浅慮だったわ。
だったら貴方について聞かせてよ、それならここで聞いても良いでしょう?」
「これまた随分アバウトだな……なんかもう少し絞ってくれると答えやすいんだが」
相変わらずショウは他の客席を見つめている。
楯無は、自分の脳と今までの対人経験を総動員して、質問を考える。このよくわからない男の本質を少しでも照らし、映し出せる言葉……それは必ず存在するという無根拠な確信があった。
沢村ショウ、男、20歳、2番目の男性操縦者、適正値はS、最終学歴は地元の私立中学校、高卒認定資格有り、両親を同時に失っている、
「一部の例外を除いた、他者に対する著しい共感性の欠如」。
彼を調べた者達に揃ってそう評されるからには、相応の
5年以上の間、何も起こらなかったというのか。
果たしてどれほど思考を続けただろうか。それは実時間にして10秒足らずで――しかし、その時の楯無は、時間間隔が麻痺していた。一瞬一瞬が、永劫にも感じられるようだった。
そうして、答えは唐突に浮かび上がる。頭蓋の中を稲妻が駆け抜けた。網膜の裏側で閃光が見えたような気さえした。
意を決して、楯無はそれを口にした。
「――
楯無の言葉を受けても、ショウは姿勢を変えなかった。しかし、ぴくりと眉を動かして、「どう見えるかねぇ」、とオウム返しのように呟いた。
それから、次のように続けた。
「……何処にいるんだろうな。それって」
客席を見つめるショウの横顔――その目が、ピクピクと不規則に震え出す。それはどこも見ていないようにも、逆に何かを探しているようにも見えた。けれど、それ以上に、楯無には言葉の意味が理解できない。
「……何処って、どういうこと?」
――かちり、と目の震えが止まった。視線の先には、空の座席があった。
ショウは、説明してもまともに理解してもらえた試しが無いんだが、と前置きする。そして、やはり楯無の方を向くことなく、古いビデオ機器の再生ボタンが押されたときのように、ぽつりぽつりと言葉を繰り出した。
◆
「――とまあ、大体こんな感じだ。面倒だろ?」
一通り話し終えたショウは、何かを諦めるように肩をすくませて、そう締めくくった。対する楯無は、なるほどの四文字しか言葉を紡げなかった。理解が、追いついてない。
しかし、ショウの言葉を聞けば聞くほどに、楯無は自分が抱く違和感と疑念の内の幾らかが、強い衝撃とともに氷解していくのを感じた。論理的には理解できていなくても、直感的には納得している……そういう、不思議な感覚があった。
そんな楯無を気にも留めず、ショウは残った白米に漬物を乗せてかき込んだ。
「……御馳走様。俺はそろそろ部屋に戻るぞ。
『大事な話』とやらが何かは知らんが、そういうのを持ち掛けるときはTPOってやつを考えた方が良いと思うね、俺は」
それじゃまたいつか、とショウは空の食器が並ぶトレーを持ち上げると、スタスタと去っていく。大量の利用者で混んでいるにも関わらず、一度も立ち止まること無く道を選んでトレーの返却場所まで進む様には一種の凄みのようなものがあった。
本来の目的はまた近いうちに果たすとしよう、今回は相手のことを多少知れただけでも収穫なのだから……そんな考えとともに楯無は無言でそれを見送る。
残された楯無のトレーには、まだ山盛りの刺し身が残っている。流石に多すぎたか、と少し反省しつつ、楯無は残りを食べ進めるのだった。
「ん、確かに山葵醤油ってイケるわね……。邪道*9かと思ったけど侮りがたし」
ここまでのまとめ
・ショウ
今日も今日とてワサビジャンキー。万国の山葵好きよ、団結せよ。
自然と共産煽りが口を衝いて出てくるが、警戒心は薄め。そんなんじゃ粛清されちゃうぞ。
色々過去のことバラされてますけど大丈夫……?
他人なんてないさ、他人なんてウソさ。
・楯無
IS学園生徒会長にして学園最強の座を頂く女。成り行きでロシア代表を勤めているだけなのに、どうして共産煽り……? どちらかというと革命を起こされる側の立場。
サプライズのつもりが危うくショウを殺しかける大惨事に。専用機のバイタルセンサーで看病するくらいには心配していたが、教員にバレると極大の責任問題になるので通報はしなかった。ショウが目覚めてくれて良かったね。
ドーモ、楯無との出会いに丸一話使う大バカ野郎です。
出会ってすぐは余裕綽々おねーさんとして描かれがちな楯無ですが、今作では即効で手玉に取られています。年下相手に先輩風吹かせてる彼女が、いざ年上を相手にしたらどうなるかを考えたらこうなってしまいました。
プロローグの頃から時々ヘンな行動をしているオリ主ですが、今回は割とその色を強めに出してみました。沢村ショウという人間が何を抱えているのか、どういう存在なのか。その核心部に繋がる情報を並べてみたので、良ければ考察していただけると狂喜乱舞します。
楯無の名前をイジる際に、複数形のタヴァリシじゃなくて単数形のタヴァリシュと書いたほうが適切ではないかと迷っていました。しかし、原作において楯無という名前が一種の称号である点を鑑みると、複数形で書く方が合っているのかなと。
タで始まってシで終わる名前でロシアの関係者って、原作者は最初から狙っていたんでしょうか?
戦闘シーンは……
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なんぼあっても困りませんからね
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戦ってねえで話進めんしゃい
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そんなことよりおなかがすいたよ