Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
敬鬼神而遠之
第6アリーナの管制室は相変わらず薄暗い。
内部の様子を映す空中ディスプレイには、よろよろと覚束ない足取りでピットへと去っていく真耶と、ISが解除されたまま仰向けで動かないショウが表示されていた。
「……」
千冬が試合終了の合図を出して以降、一夏も含めて管制室内は静寂が支配していた。
言葉が出ない。自分が見たものが一体何だったのか、互いに分からなかった。
ISでの試合とは、あんなに暴力的なものだったろうか。もっとこう、健全に鎬を削るようなぶつかり合いじゃなかったか……一夏は先日のクラス代表決定戦を思い出して、今さっきの決着と比べた。
分からない。何が違うのだろうか。考えれば考えるほど思考が絡まって、一夏はこれを自分の知識不足だと結論付けて考えを打ち切ることにした。
「……千冬姉」
「……」
世界最強の頼れる姉なら何か分かるかも知れない。そう思って名を呼ぶが、返事がない。千冬はずっと画面を見つめたまま固まっていた。どこか上の空な様子だ。
もう一度名前を呼ぶと、数秒遅れて「何だ」と返事が。
「とんでもない、試合だったな……」
「試合……そうだな」
「山田先生、強かった。代表候補生って、すごい立場なんだって分かったよ」
「なら、今度からはもっと敬意を持って接することだな」
千冬は短く、そして力強く息を吐くと、振り向いて出入り口の方を見た。
「一夏、私はこれから真耶を見てくる。お前は沢村の方だ」
「えっ、ああ……うん」
「ISはピットに置いておくように伝えてくれ、後は整備科の連中に任せる。
お前はその後で沢村と帰れ。『大人と一緒だった』という建付けがあれば、門限破りも目溢しの仕様はあるからな」
分かった、ありがとう千冬姉……。一夏がそう言い切る間もなく、千冬は足早に管制室を後にした。その足取りはどこか不機嫌そう、或いは悲しげで、一夏はそんな様子の千冬をあまり見たことがなかった。
空中ディスプレイに目を向けると、画面の中のショウがゆっくりと起き上がっているところだった。どうやら気を失っていたとか、そういう危ない状況ではなかったらしい。安心しつつ、一夏はアリーナの内部を目指して部屋を出た。
無人となった管制室。千冬のヘッドセットとの接続が切れて、音声出力が室内のスピーカーに切り替わる。
『……チフユ、約束通り山葵だぞ』
囁くような、或いは震えるような。不安定なショウの声が響いた。
『長生き、したいもんだな』
「よしっ、イイ感じの画は沢山取れたし、私はこの辺で失礼するね。
たっちゃん、おやすみなさい~」
観客席のモニター設備に横付けしていたケーブルを引き抜き、八の字巻きで記録デバイスと共に鞄に仕舞った薫子はにこやかな笑みを浮かべてその場を後に――。
「――ハイ待って、失礼するんじゃないの」
ぬっと伸びた手が、するりと薫子の右肩に置かれた。恐るべきことに、その柔らかな感触に反して薫子は一歩も前に進めなくなった。滅茶苦茶に力が強い。楯無だった。
「ど、どうしてよ。こんな門限破り、お互いに何も見なかったことにして分かれるのが平和的じゃない」
「生徒会長にはそれが許されるってさっき言ったでしょ。危ないのはアナタだけよ。
――そんなことより、取引しましょ?」
恐る恐る薫子が振り向くと、満面の笑みを貼り付けた楯無が。表情の割に目は全くもって笑っていない。
これが怖いのだ、この女は。取材が上手くいったかと思ったらほぼ間違いなく出張ってきて……今度は何を言われるのか。薫子は背筋を震わせた。
「な、何よっ。これは渡さないからね……」
まるで子を守る親ガモのように鞄を後ろに抱きかかえる薫子。
こんな映像を持っている人間は今この世界に自分くらいのものだ。最も価値のあるこれを、何としてでも死守する……そんな気迫を込める薫子だが、そんなことをものともしない楯無は、「出来ることなら消して欲しいんだけどね」とバッサリ。
すとんと軽い様子で最寄りの観客席に座った楯無は、無言で隣の席をとんとん叩いて見せた。このまま立ち去れば当座は何とかなるだろうが、薫子はそれに従って楯無の隣に座ってしまう。今までの抗えなかった経験がそうさせたし、何より、
「……よろしい。それでね、私からアナタに要求したいのは2つ。その映像、記事にするんでしょ?」
「勿論、そのつもりだけど……」
「それ、ちょっと遅らせて貰えないかな」
どうして……? 薫子は怪訝な表情で楯無の顔を見た。見たところで、その考えを察することは出来ないのだけれど。
今までの傾向からすれば、「ここは書くな」とか「これを追加しろ」とか内容に手を加えてくる事が多かった楯無の要求。今回はどうにも毛色が違う。
「今回の戦い……
「切り抜くとかでもダメ?」
「そうね、アレに切り抜ける穏当なシーンが1フレームでもあったならね……」
「……」
「それとは別に映像のコピーが欲しいんだけど、とにかく記事にするのを幾らか遅らせてほしいんだよね。具体的には3ヶ月……できれば半年くらい」
学園の治安を考えれば、必要なことである。
ISバトルをあんな暴力的なぶつかり合いと勘違いする生徒が出るかも知れないし、教員が生徒にあんな戦術をぶつけたという事実も運営上良くない。
能ある鷹は爪を隠しているべきだし、生徒たちはその爪を見ないまま卒業していくべきだ。さもなければ生徒たちは自分もあんな目に遭うのではと萎縮する恐れすらあった。
何よりも、後半の僅か数分間だけ繰り広げられたショウの振る舞いだ。真相はどうあれ、「最近ISに触れたばかりとされる人間が、誰でも使える訓練機で、実力の担保された教師に一方的に立ち回った」というのは現実に起こったこと。
これを、去年度まで努力を続けてきたパイロット科の上級生たちに見せてしまったなら、彼女らは今年一年という時間を、何を目的に過ごせばいいのだろうか。IS学園が学び舎として存在する以上、そこに疑問を抱かせるような有害は防がれねばならない。
わざわざ誰も見に来ないであろう夜中に試合時間を決めた千冬の采配は正しかっただろう……楯無はアリーナの中央でへたり込んだショウを横目に思った。
「遅らせて何になるっていうのよ……。公開差し止めとかじゃなくて、意味がわからないんだけど」
「アナタ、
楯無が尋ねると、薫子は不機嫌そうに黙り込んで……少しして全然だと呟いた。
沢村ショウという人間が2人目の特異例として見つかってから、かなり早い段階でその情報は特定されていた。本名、顔、SNSのアカウント、所属……対象が何であろうと叩く材料に飢え続けている、ネットの住民たちを満足させるには十分なものだ。しかし、そこから先の情報となると全くといって良い程に見つからない。
薫子が求めるのはそこだ。
個人の権利を侵害しない範囲で、誰も知らないことを皆に知らしめる。薫子のプライドでありジャーナリズム。仮にそれを無視したとしても、学生身分で忙しいのを差し引いても、発見から3ヶ月という期間を掛けても情報が出ないのは何故か。
薫子は答えを見つけられずにいる。
「情報通のアナタですら分かってない人間の一面を、いきなりバラすものじゃないでしょう? 他の生徒なら尚更知らないでしょうね。
時間が必要なのよ。学園が、生徒が、教員が……彼を知って、受け入れるため時間がね」
「……だとしたら、半年は流石に長過ぎるよ。ネタの鮮度が落ちちゃう。
『お蔵入りしていた秘密映像が~』って体でやるにしても時期が微妙だし、1月でさえ怪しいくらい」
「そうね……」
「……それで、『取引』なんでしょ? タダで引き受けるつもり無いけど」
体制や権力と向き合うのがジャーナリズムだとするならば、
「門限破りの件は黙っててあげるし、バレてもこっちで穏当に済ませておく……で満足しそうな顔じゃないわね。
じゃあこうしましょう。活動予算、去年の150%でどう?」
「……300%」
門限を破った挙げ句、アリーナに忍び込んで、管理者の許可無く盗撮行為に及ぶ……既に一線を数本ほど超えた行為を見逃す時点で相応以上の条件なのだが、日頃の鬱憤を込めた薫子は強欲だった。
「175」
「280」
「180」
「……250」
「あーもうっ、220%よ220%! これ以上はびた一文だって負かってやらないんだから。ちっとは自分の立場ってもんを理解しなさいっての!!」
ニヤリと口角を上げて「まいどあり」と呟く薫子。眉間にシワを寄せた楯無が無言でその脇腹に薬指と人差し指を突き立てると、糸が切れたように上半身の体勢が崩れた。秘孔でも突かれたらしい。
「あんまり調子乗ってると活動停止だからね。こうして交渉してるのも、同級生の
ほら、コピーするからさっきの貸して」
「う、ふぁい……」
薫子がよろよろと鞄から記憶デバイスを取り出して掲げると、それをひょいと引っ手繰った楯無が自分の端末に繋いで試合の記録を引き出す。
用が済むと楯無は薫子にデバイスを握らせつつ、脇の下に手を入れて立ち上がらせた。
「それじゃ、予算と記事の3ヶ月塩漬けの件はよろしくね。これからも、
「ゔん……おやすみなさい……」
未だに脇腹に変な感覚の残る薫子は、デバイスを鞄にしまいながらふらふらとアリーナを後にした。学園内の監視カメラの位置について幾らか知っている彼女なら、千冬の見ていない今の状態で誰にも気付かれずに帰るのは難しくないだろう。釈放である。
楯無は「いい夢見てね~」とその背中に手を振った。それから、ぐん、と観客席の背もたれに全身を預けて、思う。
(明日……か)
明日。自分はショウと共に行動しなければならない。護衛しなければならない。それが自身に割り当てられた仕事だから。
しかし、楯無にはどうも「沢村ショウ」という人間が守られる側の存在には見えなくなってきていた。
確かに危なっかしいところは多分にある。最初に出会ったときも、食堂で席を選ぶときも、自分の立場を理解していればもう少し警戒するであろう場所で、ショウはそれをしない。知識もない。ISで戦うときだって、射撃も大して上手くない。
かと言って、今まで平穏に暮らしてきた
織斑一夏とは年齢が7つか8つ程しか変わらない。「怪しい大人」と言うには幼気があって、「何も知らない子供」と言うには気味の悪い奥行きを感じる男。
「一体、何をどうしたらあんな人間が生まれるのかしらね」
明日、専用機を受け取るというショウ。
今日の試合で、訓練機にも拘らずあの戦い振りが出来たのだから、本人に合わせて調整された専用機では更に上位の実力を発揮しても何らおかしくないだろう。だが彼はテストパイロット。選手でもなんでもないし、企業の意思に従う以上の縛りはおそらく無い。
仮に、あの実力が野放図に振るわれることがあったのなら……。
学園の盾として楯無は恐れる。学園に於いて「最強」であるということは、どんな生徒がいて、どれだけ酷く暴走しても、自分ならば鎮圧出来るという証左に他ならない。
しかし、試合終盤のあの数分間。あの異常な戦いに、自分は追い付けただろうか。そもそも、何が原因で
行動パターンの変換点。「避けるのが上手い」と「異常」の境目。
その直前の、真耶がショウを抑え込んで仕留めようとしたあの瞬間がトリガーだったとしたら。
(山田先生……アナタ、一体ナニを目覚めさせてしまったの?)
不意に首筋を、つう、と水滴が撫ぜて、楯無は身を強張らせながら起こした。
使うべき格助詞が違う気がする。「沢村ショウ『を』守る」というよりは「沢村ショウ『から』守る」と表すべきか……どちらが正しいのか、今の楯無には分からなかった。
常夜灯の点った第6アリーナの更衣室。そこに併設されている女子トイレに、女性の苦しげな声が響いている。
「……ぅぐっ、げほげほ……ぜぇ、ぜぇ」
内臓がぐちゃぐちゃに潰されて、全て喉から出てくるような気分。けれども出てくるのは胃液と試合前に飲んだスポーツドリンクだけだ。試合前、緊張とストレスで夕飯が喉を通らなかったのは、決して悪いことだけではなかったらしい。
「お゛、ぉぇ……っはぁ……」
勝った。
確かに自分は、勝った。
自分を裏切って、今日まで疼き続ける傷を刻み込んだあの女に、勝ったのだ。
――何が「勝った」だ。赤の他人に死者の影を見て、痛めつけただけのくせに。
真耶の頭の中には、淀んだ達成感と当然の自己嫌悪が渦巻いていた。それが溢れるかのように、時々吐き気の波がやってくる。
結局、彼は一体何だったんだろう。真耶はトラウマとショウとの奇妙な一致の理由を未だに見つけられずにいる。それを確かめるはずの試合だったのに、叩いて潰すことだけが頭を埋め尽くした。
状況が揃いすぎていた。
あの日、自分にとどめを刺した
何より、あの「目」。まるであの女と血でも繋がっているんじゃないかと思えるほどに瓜二つで、しかし、ショウに兄弟姉妹の類がいないのは情報として受け取っている。日本政府と学園がそれぞれ調べて同じ内容なのだから間違いない。
思い出してみれば顔の形も違うし、他に似ているのは背丈と髪の色くらいか。
試合が終わって、興奮が冷めて、理性が働いてくるのに合わせて自己嫌悪がどんどんと強まっていく。他人の空似に、自分の生徒に、どうしてあんな憎悪を向けてしまったんだろう。
「ぅぷっ――」
また吐き気が襲ってきた。何度目かも分からないが、真耶の口の中を生暖かい酸味と苦味が覆い尽くす。
いつまでこうしていれば良いんだろうか。これが自分への罰なのか。
真耶がうんざりしながらもその場から離れられずにいると――背中に温かいものが触れた。手だ。知らぬ誰かに背中を擦られている。
だが真耶にはそれが誰か分かった。今自分を追い掛けてくる人間など、一人しかいないのだから。
(せん、ぱい……)
それから暫く、緊張が解れたせいか悪化した吐き気を消化しながら、真耶はそれが止むのを待った。その後で口を濯いで、ふらふらと更衣室まで歩いて、そこのベンチに座った。
「……少しは落ち着いたか?」
「……はい。人間って、こんなに吐けるんですね」
頭を上げると、真耶のとなりに音もなく座ったもう一人――千冬の顔が、憔悴した真耶を覗き込んでいた。その眼はひどく鋭くて、真耶はその意図が否応なしに理解出来てしまう。
そうだ、今聞かれているのは、体調がどうとか、そういう話じゃなくて……。
「聞き方を変えてやろうか。『
なんの関係もないあの男を、お前の勝手な因縁に巻き込んで、痛めつけて、それでお前は楽しかったのか? なあ、答えてみろよ」
「私、は……」
興奮はとうに冷めきっていて、粘ついた薄暗い罪悪感が真耶の全身に纏わりついていた。
実際のところ、真相は分からない。本当にたまたま雰囲気が因縁の元序列1位に似ていただけかも知れないし、あるいはショウが彼女に何らかの形で師事して、その技量を受け継いでいたからかも知れない。
けれど、それがどうしたと言うんだろうか。ショウには何の責任もない。仮に関わりがあったとしても、自分にトラウマを植え付けたのはあの男ではないし、本当に他人の空似だとしたら尚更だ。
何時だったか、自分で自分に下した評価は全く正しかったという確信があった。
「……最低の女です。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』を、それが本当に袈裟かすら確認しないでやったんですから。勇気を持って、面と向かって、直接聞いてみるだけで良かったのに。『あの女と知り合いなんですか』って、『生きているなら場所を教えてください』って」
「……」
「……卑怯な人間です。自分で試合を申し込む勇気すら持てないで、他人を使ってでも呼び出して。先輩の顔にも泥を塗ってしまいました。専用機が壊れたのを良いことに、『搭乗時間を伸ばさないか』って、そこに付け込むようなことまでしようとしました」
「それが分かっていながら、何故……」
「分からないんです。やる前から後悔するって分かってたのに、『やってやった』『似た振る舞いをした彼が悪い』って叫んでる自分が、頭の何処かに居るんです。
まるで、自分が自分じゃないみたいで――いいや、自分なんです。逃げちゃいけない、逃げられない、自分なんです……」
真耶は顔を歪ませて俯いた。千冬にこんな顔を見せたくなかった。
引き攣ったように呼吸は不規則で、肩を震わせて何とか酸素を取り込んでいるせいで視界がチラつく。
「もう……彼女はいないだろう」
「分からないじゃないですか、そんなの」
政府主催の強化選手たちによる総当たり戦。その最終戦で手酷く負けた真耶は、試合後に担ぎ込まれた医務室で復讐を誓った。この裏切りに、あの暴虐に、必ず対価を支払わせなければならない。
千冬が後から事の仔細を知った上で思う限りでは、山田真耶という人間はこの日から壊れた。
序列1位の格付けを確かなものとしたそのパイロットが、様々な企業や研究機関、各種大会に引っ張りだこになっている間、真耶はひたすらに己の研鑽を重ねた。
自分を蹂躙した振る舞い一つ一つを、吐き気を堪えながら試合の録画を見返して調べ上げ、対応出来るように操縦を鍛える。
避けているだけでは勝てないからと、確実に相手を仕留めるための拘束戦術をより洗練された形に完成させた。
序列1位に会える機会はほとんど無くなってしまったし、手札を知られたくないので他の強化選手や代表候補を仮想敵代わりにして、片っ端から試合を挑んだ。
そうして得たのが、
正確無比な射撃と、それを掻い潜って間合いを詰めてきた相手を物理シールドで取り囲み、跳弾の嵐で芋洗い状態にして磨り潰す。相手が少しでも足を止めたらそこにグレネードを叩き込み、生半可な攻撃は盾で全て防いでしまう。
真耶を支配していた暗いモチベーションは、彼女に自信と実力を与えていた。
……唯一つ、真耶が気付いていなかったのは、そうして得た荒々しい戦闘スタイルが、ずっと目の敵にし続けてきた序列1位に似通っていたことだった。
日本に限らず多くのパイロットたちに冷たい殺意を滲ませた戦術をぶつけまくったことで、真耶はトラウマを抱える前とは違う形で恐れられ、満足に試合の相手を探すのも苦しくなってきた。だが真耶は気にしていなかった。する気も湧かなかった。
敗北から約1年後。ようやく巡ってきたリベンジの機会しか見えていなかったから。
「本当は、あの日にすべてカタが付いているはずだったんです……自分が積み上げたもの全部ぶつけて、私が勝つはずだったんです」
特に何の大会でもなく、個人的な模擬戦。度重なる日程調整の後、序列1位と2位がぶつかり合う日がもう一度訪れた。
わざわざ因縁の国立アリーナまで借りて、普段とは比べ物にならないほど入念に準備をして、憎悪を滾らせながら、真耶は彼女が現れるのを待った。
しかし結局、アリーナの使用時間間際になっても序列1位は現れなかった。放り捨てるように
抑揚の薄い、感情の読み取れない口調だった。
――マヤちゃんの、勝ちでいいよ。
脱力。唖然。弛緩。呆然。
それ以降全く音沙汰が無くなってしまった彼女を、真耶は探した。
逃げるのかと。怖気づいたのかと。日々の訓練も放り出して、怒りに任せて使えるコネの全てを使い……1ヶ月経った頃に、その
同時に序列1位の座は真耶に引き継がれ、「日本で2番目に強いパイロット」という称号が増えた。真耶は認めたくなかった。そもそも欲しくなかったし、不戦勝でこんなものを得ても、何の意味もないからだ。
「今だって信じてませんから。あの女が、急に消えるなんて有り得ない。絶対に、何処かに逃げたんだって」
「不自然だとは思う。だが、何も無いだろう……追えるものは、何一つ」
死因は不明。墓の場所も、葬儀の日程も不明。全て遺族が内々に済ませたとだけ報告され、真耶は現実が飲み込めなかった。
死は、万人に平等に訪れる。どれほど憎んでいても、復讐を望んでいても、死んでしまっては手の出しようが無い。真耶はそう思って、時間とともに諦める……
……
奇妙だったのは、日本国内における元序列1位に関する試合記録のほとんどが消されていたこと。政府に問い合わせてみれば、返事は二転三転した。
曰く、「遺族の希望により削除した」。
曰く、「年度替わりの資料整理の際に紛失してしまった」。
曰く、「国際IS委員会の意向だった」。
どれを信じることも出来ず、しかしそれ以上の調査も出来ず、真耶の心に粘ついた膿がどくどくと溜まっていった。
せっかく得た「国家代表に最も近い女」という立場も、向けるべきモチベーションを失った真耶には最早無用の長物で、その後暫く惰性で代表候補を続けたが、そのまま辞めてしまった。その少し後に千冬が現役を退いたことで、「国家代表に最も近い女」は「国家代表に最も近かった女」へと腐敗していた。
「あのままISから離れるつもりだったのに、『あの女がいつか戻ってくるんじゃないか』って、ここにしがみついて……でも、最近はそれなりに充実してて。
そこに沢村くんが現れて、あんな戦い見せられて……どうやって我慢すれば良かったんでしょう。どうすれば何も起きなかったんでしょう。
……もう、分からないんです」
「……それでも、やって良い理由にはならんだろうが」
「分かってるんです。分かっているのに、止められなくて……今更どう謝れば良いんでしょうね。心の底から悪いと思えていない自分がいるのに、許されるか否かとか、そういう以前に――
――自己満足にすらならないじゃないですかっ!」
間違いなく非道を行ったというのに、真耶の頭の中にはこれが正しかったとする考えが居座っていた。消化不良のまま、焦げ付く寸前まで煮立てられた憎悪を解消するために、無意識がそうさせた。
自己嫌悪のあまり声を荒らげると、まだ悪心が残っていたのか、真耶は少し嘔吐きながら咳き込んでしまう。そんな真耶を、千冬は抱いて支えた。
「ごほ、こほっ……先輩。先輩は、彼の戦い方があの女に似ていると思いましたか?」
自分で質問しておきながら、真耶は否定されたかった。全部が全部自分の勝手な思い込みで、他の人から見たら似ても似つかないものに因縁を付けていた……そんな自分の愚行を前提から打ち砕くようなシナリオでもないと自分は「人間」になれないと思った。悪を悪と思わぬ、獣以下のままでいたくはなかった。
千冬にもそれは明らかで、だからこそ、先輩として、後輩に安易な逃げ道を与えるつもりはない。
「……さあ、な。私自身、アイツには気になることが山程出来たが、それはお前には関係のないことだ。お前が沢村にあの女の何かを感じたというなら、自分で思い返してみろ。責任持って、自分で否定すればいい」
千冬の腕の中で、言われるがままに真耶は試合を思い出してみる。
あの女に似た、形振り構わない戦い方。だが、その割には狙いが甘くて、代表候補に師事していたとしたら違和感が生えてくる。
でも、あの目付きだけは否定できない。底冷えするような漆黒で覗き込まれるのが、あの日で最後じゃなかったなんて……他人の身体的特徴をあれこれ言っても仕方無いのだけど。
その後仕留め損なったところから急に強くなって――。
「――あ、れ?」
真耶はこの試合を「獣性のぶつかり合い」だったと記憶している。相手を踏み潰し、喉笛を噛み砕いて蹂躙せんとする、原始的な意志。悪意。
なのに、あの一時だけは違った。行く先に正確にねじ込まれる弾丸。全て見透かしたかのように置かれたグレネード。運命的なまでに虚空へすり抜けていく自分の弾丸。
何処までも冷徹で、精密で、非生物的。直前までと明らかに違う。というか、特徴が無い。それまでの戦いから読み取ることのできた、沢村ショウの性質ではない。
あれは、誰だ?
勝手に脳が出した言葉に、真耶の全身が震え上がる。有り得ないのだ。あんな戦い方は。
実力者たる自分の経験と直感が金切り声を上げて叫んでいる。どう思い返しても「あのときこうしていれば」という想像が一切出来ない戦いなんて、知らない。何が何でも、負けている。
個人個人に見られる癖とか隙とか、そういうものが欠片もない。機械よりも機械みたいな。
――
他ならぬ自分の言葉。知った気になっていた。わかった気になっていた。
荒っぽさの中に緻密さが織り込まれた戦い方に、勝手にあの女の影を貼り付けて、それがあたかも沢村ショウという人間の本質なのだと思いこんで……。
記憶を掘り返すほどに、それが全くの別物だと思い知らされる。誰でも扱える訓練機という、剥き出しも同然の薄皮の向こうにあったアレは、一体何だったんだろう。
わからない。怖い。
真耶はそのまま暫く、千冬の胸に顔を埋めながら強く抱きしめ続けた。
その身は、力なく震えていて……。
「おい、口から血出てるぞ、大丈夫か?」
ナイター照明が消え、観客席からの薄明かりだけが照らすアリーナの地面に座り込んだショウは、天井の保護バリア越しに真っ暗な夜空を眺めていた。そんなショウを迎えに来た一夏は、その口元に血が滲んでいることに気づいたのだった。
「……ん? まあ口の中を切っただけだろ。口内炎よろしく清潔にしとけば治るよ、あとビタミン。
まあ、心配ありがとなイチカ」
「それなら良いんだけど……ほれ」
差し伸べられた一夏の手を取ってショウが立ち上がると、砂を払って二人はピットへ移動する。
先日別のアリーナのものを使って以降来たことがなかったとはいえ、夜の常夜灯だけになったピットは昼間とは別世界だ。架台やアームが暗闇包まれただけで、怪物の手足に見えてきて、一夏は少し不気味だった。
「千冬姉からの伝言なんだけど、使ったISはピットに置いとけば良いってさ。」
「助かる。それじゃあ、ここで待っててくれ」
「オーケー」
架台の前までやってきたショウは、その上に立ってサンデーストライクを呼び出した。暗闇でもラウンドバイザーは緑色に輝いている。
コンソールを手早く弄って、製造元向けのメンテナンスモードを無効化する。痕跡は残らない。それから、暗闇なのを気にせずISを飛び降りると、その装甲に手を触れて、一言。
「――今日は、ありがとうな」
「コアに意識があるってやつか?」
「あー、そんな話もあったな……コイツはそんなんじゃなくてさ、単に世話になった道具にお礼を言ってるだけだよ。日本人にありがちなアニミズムってやつ」
「アニミズム?」
「物には魂が宿ってるとかそういう考えだよ。付喪神の唐傘お化けとか、聞いたことあるだろ?」
「お化け屋敷のアレか。なるほどなあ……俺も白式にお礼言っとかないとだな」
二人は寮への道を進む。門限もあって夜の学園を歩いたことなどない一夏にとっては、昼間に見慣れてきた景色も随分新鮮に見えた。思えば、バイト帰り以外で夜に出歩いたことなんて、滅多に無かった気もする……。
「……試合。すごかったな」
「まあ、頑張った甲斐はあったのかな。そう言ってもらえるとさ」
「最初のアレって、どうやったんだ?」
「アレ?」
「……あの、すごい速度で突っ込んだやつ」
一夏は、ショウを口汚く罵ってやりたい気持ちを自覚して、顔を俯ける。いきなり飛びかかって、女性を蹴り続ける。一方的に蹂躙する。そんなもの、許されるわけがない。最低の行動だ。
けれど、言えるはずもなかった。教本の恩に始まり、自分が彼の専用機を壊してしまったことへの負い目、そしてその操縦技術に対する尊敬。それらを思えば、たった一度のことでそこまで出来る精神ではない。
結局、口をもにょつかせながら、なあなあに試合のことを褒めることしか出来ないのだ。
「ああ、
「……それ、俺も使えるのか?」
「使えるんじゃねえの。せっかくだし姉に聞いてみろよ、戦闘スタイル同じなんだろ?」
それも、そうか……。一夏は感心するふりをして、悩む。このまま、何も言わないで良いものか。
思い返してみれば、あの後で真耶も相応に怖いことをしていたし、自分がISの世界を知らないだけなのかも知れない。生身でそうしたのでもないし、常識が違うのなら……そう思って、一夏は差し当たってこの考えを放棄することにした。
そして、上書きするように別の話題を振る。
「――そういや、ショウは例のレポートってもう書いたのか? 月曜のやつ」
「単位取るのも仕事だからな、ソッコー書いて出したよ。そっちは?」
「テーマが決まらなくてさ……でも……うん」
先日のクラス代表決定戦、そしてクラス代表に就任してから、一夏の脳内には一つの考えがあった。
「姉に恥じない人間になる」というのが一夏のポリシーだ。
自分を一人で育て、世界最強に上り詰めた千冬の背中に、単純に憧れていたというのもあるが、これにはもう一つの理由がある。周囲の期待だ。
一夏が今まで生きてきて、何かの拍子に「織斑」という名字を出した途端、道行く人々も出会う他人も、みな口を揃えてこう言う。
「お前も姉みたいに凄いのか」と。
幼い一夏には、それらは無自覚の悪意として突き刺さった。何せ、自分には姉のような剛力も、ISを乗り回す才能も、カリスマもない。勝手に比べられ、現実を話してみれば勝手に落胆される。「将来に期待」とか「がんばってくださいね」とか、言いたいことを言いたいだけ言われる己の身分を少しだけ呪った。そしてその度に罪悪感が募る。
もしも千冬がいなかったら……自分の人生のどの瞬間を切り取っても、千冬がいなければそれらは実現し得ないことばかり。尊敬して、憧れて、愛している。そんな、たった一人の家族を欠片でも憎んでしまう自分が尚更憎かった。
中学生にも拘らずアルバイトに明け暮れて収入を得ていたことには、そんな姉から自立して、内在する憎しみから逃れるための代償行為としての側面もあった。しかし結局のところ、それで得られる雀の涙で千冬の稼ぎに迫るのは、水の一滴と大海を比べるようなもの。給料の入った封筒を開けるたびに無力を感じた。
さて、今の一夏は千冬の生徒になってしまった。離れようがない。姉を見て、自分も同じくらい凄いのだろうと期待してくる人間の割合もずっと増えた。出会う中の9割9分がそうだった。
そうして、ISに乗れるようになった今、自分にできる数少ないことは、千冬と同じくらい強くなって、誰にも余計なことを言わせないように鍛えること。胸を張って、自分は「織斑千冬の家族なのだ」と言えるようになること。
一夏は、千冬には愛情だけを向けていたかった。
そういう意味で、一夏はショウとの戦いに納得していなかった。セシリアとあれだけ高度な戦いを繰り広げたのに、今度は機体の故障で、知識も技量も無い自分に負ける。普通に考えればおかしいことだ。実力で勝ったなどとは到底言えない。それでもクラスの大多数は「勝ちは勝ち」と祭り上げてくる。
顔にも口にも決して出せなかったが、少しだけ気持ちが悪かった。
月曜に出題されたレポートは、クラス代表決定戦の3試合から題材を決めて自由に書けという。
下手なものを出して評価が悪ければ、皆に何を言われるか分かったものではない。「何か良いものを出さなければならない」という強迫観念にも似たものが一夏を苛んだ。
予防線として張られた、授業のメモそのままを纏めるなど、以ての外である。
教本を覚えたとはいえ知識の足りない一夏は、セシリアとショウの試合に着目することは出来ない。とすると自分が戦った2試合のどちらかを選ぶことになるが、セシリアとの戦いは白式の
三方全てが塞がっていた。
「自分はあの時、本当なら負けているはずだったんじゃないか」……今日の真耶との試合を見て、その思いはより強い確信に変わった。
「俺……さ、ショウに負けたかったんだよ」
突然自分の前に飛び出してきた一夏と、その口を衝いて出た言葉に、頭の上に目一杯の疑問符を浮かべながら目をパチクリさせるショウ。「ま、マゾヒストの方でいらっしゃる……?」と引き気味に聞かれたところで、一夏は慌てた。
「いやっ、そうじゃなくて、これは言葉の綾というか……。この前の試合、勝ったのは俺だけど、やっぱり納得が行かなくてさ」
「納得って、どの辺よ」
「直前で滅茶苦茶凄い戦いしてたのに、大して休み時間もなしに始めちまったし、ショウの武器も幾つか壊れてたし、決着は機体の不調だし……。
それに、強い山田先生とあんなにやり合えるショウが俺に負けるなんて、おかしいだろ」
「運も実力の内って言うじゃん、素直に喜んどけって」
「それじゃあ、何ていうか、ダメなんだよ……」
「じゃあなんだよ、あの時の俺は手を抜いてたってのかよ」
愛機の最後だし、それなりに頑張ったつもりなんだけどなあ……。わざとらしく空を見上げるショウに一夏は慌てた。
過度な謙遜は強力な侮蔑になる……小学生時代の一時期通っていた剣道教室で、箒の父に教わったことだ。自分が打ち負かした相手に向かって自分を過剰に卑しんで振る舞えば、「お前はこの程度の存在に負けたのだ」と相手の努力を否定することになる。
急いでそれを取り繕うと、ショウは爽やかに笑い飛ばしてみせた。
アリーナから外に出てなお、LED式の眩しい街灯が照らす夜空は星一つ無い真っ暗闇だ。
「まあ冗談はこの辺にしてさ、いい加減に結論を言ってほしいな」
「うん……それで、さ。今度は万全の状態でもう一度戦ってくれないかって。試合の後でぶっ倒れるような疲れも、武器が壊れて持ってこれないアクシデントも……そういうのが何も無い、全力を真正面からぶつけ合えるような試合をして、それでしっかり負けたいんだよ。
――いや、もしかしたらその時も俺が勝つかも知れないけどさ、勝敗じゃなくて、納得行く戦いがしたいんだ」
「なるほど、ねぇ……。
俺に新しい専用機が来るって話、したっけ?」
「いや、初耳……」
「実は明日受け取りに行くんだけどさ、その後でどうよ」
「……試合の話、受けてくれるのか?」
「まあ、イチカの頼みだしな。もっとも、機体が来ても慣熟飛行とか調整とか色々あるし、そっちは月末の……何だっけ、クラス対抗戦? あれの準備もあるだろ。やるにしても全部片付けてからだな」
気付けば二人は寮の前に着いていた。入口から漏れる暖色系の照明に照らされて、一夏は少しだけ目を細めた。
「じゃあ、試合の件、いつか必ずやろうな。ショウも機体の受取とか色々頑張ってくれよ、俺も訓練頑張って強くなるからさ」
爽やかな笑みを浮かべる一夏に、ショウは「応よ」と拳を突き出してみせた。
「……なんだこれ?」
「フィスト・バンプだっけ? 前に男同士はこういうことするって聞いたんだが」
「ああ、そういう……。
それじゃあ……男の約束?」
「男の約束」
ぺちん、という小さい音は、世界中でこの二人にしか聞こえなかった。
「まずは、お疲れ様だな」
「こちらこそ、準備とか色々手回しして貰って助かった。ありがとう」
壁に掛かった時計の針が揃って上を向いた頃になって、寮長室のいつものローテーブルに二人が向かい合った。机の上には例によってコーヒーの注がれたコップが置かれている。
「……それで、戦ってみた感想は?」
「試せそうなことは全部やったし、満足してるよ」
「……試せそうなこと?」
「教本に載ってたこととかさ、今の自分に何が出来て何が必要なのか……そういうのを、次の機体が来る前に確かめておきたかったんだ」
千冬はショウに、奇妙な「ズレ」を感じていた。
間違いなく苛烈な試合だったはずだ。実力者の真耶に全力で潰しに掛かられて少しは恐ろしかったはずだ。
普通は、ぶつかり合った相手の恐ろしさとか、勝敗への言及とか……千冬の知る限り試合の後で真っ先に出てくる感想なんてそれくらいのもの。それを、いきなり「満足」で片付けたこの男は一体何だというのか。
「山田先生は強かったろう、お前も大分食らいついていたようだが、その点はどうなんだ?」
「え? まあ、大変だったな。中々当たらねえし、どうしようもないから諦めてたんだが」
「――最後に勝負を捨てたのも、その『諦め』か?」
千冬は気付いていた。試合最終盤の、ショウが近接武器を呼び出した場面。あの瞬間から、直前までの異常な戦い振りは途切れてしまった。あのまま続いていたら真耶は何も出来ずに負けていただろうに、それは突然に打ち切られた。
何かしら集中の限界だったにしては切れ目が滑らかで、締め忘れていた水道の蛇口を今思い出したかのような気軽さで勝敗は決まった。
そういう、試合の最中に意識して実力を切り替えることを、千冬はこう呼ぶ――「手抜き」と。
「いい加減に答えてもらうぞ沢村。お前は何者だ? あの実力は何処で得た?」
ショウへ向けられた千冬の視線は鋭く、瞳には怒りが滲んでいた。
真耶が勝手に因縁をつけて巻き込んだ今回の試合。しかしそれでも、彼女は全力を振るい、勝利を手にして過去に決別したと思っている。その真耶の実力を、誇りを、手抜きで汚されたとあっては、パイロットとしても、彼女の先輩としても許し難い。
「ここに来る前に色々試合の映像は見てきたし、機体のマニュアルも読み込んだし、後はシミュレーター……この話は前にしたっけか」
「聞き飽きたよその嘘は……っ!」
どこかあっけらかんとした様子で答えるショウの襟首を、千冬は掴み上げて引き寄せる。
一時でも「誰よりも強くISで戦える人間」の座を頂いた千冬だからわかる。ショウの振る舞いは普通ではない。「能力が高い」の一言では片付けられない。片付けて良いはずがない。
真耶の思い込みに巻き込まれたのは同情できる。しかし、この男がその古傷を引っ掻けるのはおかしい。「苛められる側に原因がある」という言説に同調するつもりはなかったが、確かに真耶のトラウマを想起させるに十分な戦い方をショウは実行してみせた。
斯くして、千冬の疑念はここで破裂する。
「本当はずっと前からISに乗れたんだろう? 初心者のフリして他人を甚振るのは楽しかったか? 怪しすぎるんだよお前は……適性も経歴も誰かが用意したんだろう? 一体誰の指示で――」
いつもの爽やかな笑みで気味悪く返してくるのか、それとも化けの皮が剥がれるのか。お前の正体を見せろと詰め寄る千冬は、ショウの顔をより深く覗き込んだ。
「いや、ぉ、俺、嘘なんか……」
意外なことに、その顔は怯えていた。辛うじて焦点を合わせられている両目は震え、引き攣ったように呼吸は粗く、言葉に詰まったように口をパクパクさせる様は打上げられた鯉のようで。
「ホントの、ことなんだ。シミュレーターだって、中学生の頃からやってるし、事前に勉強もしたし、それに…………。
なあ、チフユ……俺、何かマズいこと……しちまったのかなあ?」
がくん、と両足から力が抜けて、ショウの体重は千冬に掴まれた襟首だけに掛かる。
顔面蒼白の、震えた、今にも泣きそうな顔。言葉は途切れ途切れで、少し前までの余裕は影も形も無かった。
これでは、自分が苛めているみたいではないか……自分の行いの正当性が信じられなくなった千冬は、バツが悪そうにショウをローテーブル横のソファーに降ろして、自分もその隣に掛けた。
「……すまん。少し、気が立っていた」
「そ、そっか……」
それから数分、二人は黙って俯いた。いつもなら点いているはずの壁掛けテレビも、今は沈黙していている。
きぃん、という耳鳴りがして、静かなはずなのにうるさくて仕方がなかった。
「……真耶が、どうしてお前に試合を挑んだか、聞いてくれるか」
その静寂を破ったのは千冬だった。自分がしたことだから、責任を取るべきだと思ったから。
ショウが小さく俯いたまま首肯したのを見て、千冬は再び口を開いた。
「
ショウは首を横に振った。
「――昔、ある日本のISパイロットがいた。国内の序列でいえば私の一つ下だったし、国家代表と代表候補で枠が違ったが、いつかそのうち実力で上回られていたんじゃないかと思う。それくらい強い奴だ。彼女のもう一つ下に真耶がいて、二人合わせて代表候補の1位と2位でな。
……その1位が椎名だった」
千冬は語る。
椎名の実力、戦闘スタイルに性格。真耶との交友と確執、刻まれたトラウマと、突如として聞かされた訃報の不自然。「立つ鳥跡を濁さず」という言葉の真逆を働きつつ、しかし痕跡一つ残さずに消えた彼女のことを、ショウは黙って聞いていた。
「お前の戦い方、椎名に似てたんだよ。それで真耶は自分のトラウマを刺激されたみたいでな、戦って確かめたかったんだと」
「確かめたかったって、何を」
「実は椎名はまだ生きていて、お前に戦い方を教えていたんじゃないか……その可能性を、だ」
「ずっと独りだったよ。中学生の頃からワルキュリアに篭ってイメージファイトを――ああ、シミュレータの名前な。それをやり続けてきた」
「シミュレータであんな
「過去の試合の映像とか色々見たって言ったろ。ウチには他にもテストパイロットがいたし、その動きも見てた」
「過去の試合というのは、例えば?」
「アメリカの
とんだコピー能力だな、と呆れ気味に千冬が横を見ると、ショウは幾分か元気を取り戻しているようだった。蒼白だった先ほどと比べれば血色が良い。
「他にテストパイロットがいると言ったが……その人が椎名だったりしないか?」
「いや、スオウさんって人。下の名前は確か――ハルカ」
「聞いたことのない名だな」
「ショウがグランゼーラでシミュレータの開発に関わっている」という話は千冬自身も聞いたことだ。それそのものは事実なのかも知れないが、疑問を全て解くには至らない。
ショウが中学生だったという5,6年前の時点で作られたISのシミュレータは決して質の良いものではなく、今になっても実機の方が経験を積みやすいことは変わらない。それを使い続けて、しかも実戦を経験するようになったのはここ2ヶ月弱の間のこと。
こんなもので国家代表一歩手前まで行った女を一方的に抑え込む瞬間が生まれるとは、千冬には到底思えなかった。他ならぬ自分が国家代表だったから、尚更。
「……つまり、お前は数年間現物に触れること無くシミュレータで経験を積んで、その上で幾らか試合映像を見ただけで、あの実力が発揮できたと?」
「他にどう言えって言うんだよ。何も無いぞ」
「試合終盤のアレもか? 元代表候補の弾を全て避けながら一方的に撃ち込み続けられるやつなぞ見たこと無いぞ」
「あの時のは……良く思い出せない」
けど……。ショウは千冬の顔を見た。
ぞくり。千冬は自分の背筋を冷たいものが駆け抜けるのを感じた。
漆黒の瞳孔。かつて自分が数度だけ刃を交えたことのある椎名と同じ。なるほど、これなら真耶も勘違いするだろうな、と千冬は頬に触れて表情筋を押さえ付けた。
「怖かったんだ。あのまま自分が死んで、もっと酷いことになるんじゃないかって。これだけは覚えてる。
……でもさ、今はもっと怖いことがある」
「何だ?」
「――チフユ。アンタに見捨てられることだよ。尊敬してる人間に見限られるのが、一番怖い」
告白のつもりかと茶化せる雰囲気でもなく、かといって真面目に返すには苦しいセリフ。
ここまでのショウの言葉が本当に全て事実だとするなら、謂われのないことで尊敬している相手に怒鳴られるのは、一体どれほどの苦痛だろうか。真耶との試合で死を感じたというショウだが、それよりも恐ろしいとするなら、自分はなんということをしてしまったのだろう。
千冬は目を背けるように、そうか、とだけ呟いて話題を変えた。
「……まあ、今日のところはお前が才能のあるヤツだということで納得するほか無いらしいな。分かりやすくS適性なぞ出しよってからに」
「才能ね、お褒めに預か……いや待った。今、何て?」
「今日のことは納得してやるからと……」
「いや、その後」
「お前の適性値がSという話だろう。傘に着て威張り散らすんじゃないかと思っていたんだがな」
「初耳だわ……それ。本当にSなのか? Cとか低めの目立たないやつじゃなくて、本当に?」
「Sだぞ。さっきのサンデーストライクのログも同じことを吐いた」
えぇ……と、困ったように怪訝な顔を浮かべるショウ。とてつもない重大情報のはずなのに、それを知らないというのは、千冬には理解できなかった。
普通ならば、各国政府から自国民にならないかとラブコールが鳴り止まないであろうステータス。それが適性値Sというものの重みだ。今までも散々そういう誘いは来ているだろうに、この男は一々そういうことを覚えていないのか、それとも周囲が上手くシャットアウトしているのか……。
「誰かに言われなかったのか?」
「いや、一度も……。そもそも適性値どうこうの話は、最初にISを動かしちまった時に検査して以来何も言われてないし、結果も聞いてないし……」
「手違い、にしては杜撰が過ぎるな……」
わかんねえ……と心細げに呟くショウを他所に、千冬はキッチンの冷蔵庫からチューハイの缶とパック入りのスポーツドリンクを持ってきた。
「ほれ」
「あ、どうも」
ソファーに背中をだらりと預け、プルタブが奏でる小気味いい音を聞く。辛気臭い一日の終わりには丁度いいだろう。
「……ああそうだ、コイツだけ答えてもらってないな」
「ん?」
「最後に勝負を捨てたのは何故かという話さ。
「また辛気臭い……てか、良くそこまで見えたな」
ショウの言う通り、せっかく終わった風な流れだったところに辛気臭い話が蒸し返された。千冬の自覚するところである。
しかし、千冬にとっては疑問をこれ以上明日以降に持ち越したくなかった。才能がもたらす技量があの試合を生んだなら、自分から負けに行ったように見えた最後の一撃はなんだったのか。自分の実力をひけらかしたいのでないというのが分かった今、千冬にはそれが謎だった。
「年下が何言ってるんだと思うかも知れないけど、俺はこれまでの人生で、長生きのヒケツってやつを見付けたんだ。
……『時には流れに身を任せろ』ってな」
「ほう、達観しているな」
「要するに、勝っちゃいけなかったんだよ、俺は」
「……んん?」
「俺が疑われたように、俺はISに乗り始めたばかりの人間で、この学園の生徒だ。対してヤマダ先生は教師で、元代表候補で、国家代表に一番近かったヒト……なんだろ? そんな組み合わせで俺が勝ったら、実力の保証されたここの教員のメンツはどうなるよ。俺も要らない注目を浴びて、早死にするだろうな」
「能ある鷹はなんとやら……と言いたいわけか?」
「大まかには。
……それに、後からの話だけど、そのヤマダ先生は俺を倒してトラウマを克服したかったらしいじゃないか。勝敗が変わってたら、どうなっていたんだろうな」
自己保身のための手加減。公正な試合を考えれば、それは冒涜でしか無い行為。
しかし、そもそもあれは試合と呼べたものではない……。試合後の真耶の様子を見てきた千冬は、ショウに強く言い返すことはしないでおく。
皆どこかおかしかったのだ、あの時間は。
それから千冬は天井を見上げて、そう遠くない過去の記憶……第2回モンド・グロッソの決勝の日のことが、その脳裏に蘇った。
「勝ってはいけない流れ……か。まあ、『終わり良ければ全て良し』なのだろうな」
千冬は目を細めて、酒を煽った。今日だけは、やけにアルコールの風味が強くて、消毒液みたいだった。
◆
とっくに日付は変わり、草木も千冬も眠る丑三つ時。
洗面所には勢い良く流れ出す水道水の音が響いている。
「っ、げほ、げほっ……!」
バシャバシャと、まるで顔を削るように、執拗に顔を洗い続けては、存在を忘れていた呼吸に嘔吐く。しかし、それでも洗うのは止めない。掻き毟るというよりは、顔にへばり付いた何かを引き剥がそうとしているような。
数分程それを続けて、ショウはタオルで顔の水分を拭うと、鏡に向かった。左右反対の自分が見つめ返してくる。ひどい顔だと思った。刺激を与えすぎて、真っ赤になっている。
「……確かに、負けたぞ。これで、少しは伸びるんだろうな」
ショウは鏡の自分を睨みつけて、10秒程で呆れたように頭を俯ける。鏡の方も、同じように頷いた。
「何が『次はお前の番』だよ。肝心なこと、何も分からないくせに」
ショウは苛立たしげに、同時にさみしげな表情で、鏡を睨みつける。
ぼろぼろと涙が溢れて、ショウはまた顔を水で叩き始めた。
こんかいのまとめ
・一夏
ショウの戦い方が気に食わないが、真耶もそこそこ以上に乱暴だったので文句の言い方に困る。
自分が負けているはずだった試合をレポートの題材にするのはプライドが許さなかったが、ショウが再戦を引き受けてくれたのでニッコリ。レポートのテーマは試合の反省に決まった。
・千冬
私はカウンセラーではありません。
おかしい二人の相手をさせられて気が立っている。真耶に迫るショウの実力の正体は分からないが、悪意は感じなかったので差し当たっては見逃すことに。
なんとなく持ってきた缶は先週真耶に貰ったストロング系チューハイだった。酔って忘れちゃえこんな試合。
・薫子
ジャーナリズムは死なんよ3。
教師とタメ張る初心者の試合なんて記事にしたら大好評間違い無し……だが検閲からの公開差し止めを食らってダウン。けんえつはんた~い!!
しかし活動予算をせしめることには成功。調子乗ってたら秘孔突かれて再びダウン。
・楯無
ハッキリ言ってショウは滅茶苦茶強い。護衛対象だから弱いヤツだと思ってたのに、元代表候補に食らいついてるんだから話になんねーよ。
滅茶苦茶が飛び交うこの試合の映像がバラ撒かれたらカオスは不可避なので、仕方無く検閲。
こんなのと明日から行動しなきゃいけないんですか……?
・ショウ
真耶にライフルを顔面に押し付けられた時は死を感じた。
でも千冬の方が怖いの……。
顔洗ったらちゃんと保湿しろよ。
・真耶
罪悪感 私の心に 罪悪感。
勝手な思い込みで生徒を殺しに掛かっていた自分が恐ろしくて仕方がない。
よくよく思い出してみると因縁の相手にはそこまで似てなかったのが追い打ちに。
というか、アレは誰?
何これ!? こんなの個人的な性癖を原作に刺しただけじゃない
例によって1万字くらいで終わらせるはずだったのに、何故か2万字超えました。要するに2話分です。なんで???
でも2話に分けると尺稼ぎみたいでイヤなので纏めました。読むのは大変だったかも知れませんが、書いてる途中で勝手に動き始めたキャラたちが悪いです。
最早原作とは似ても似つかないレベルまでキャラ崩壊している真耶ですが、描写する上でQueenの「Another one bite the dust」をイメージしています。昔はバトルジャンキーだったらしい描写が原作にあったため、そこから膨らませてたら何時の間にやらこんな形に。
ところでなんか、2章終わったみたいな雰囲気が漂ってるんですけど、これ前座なんですよ……新型機の「し」の字しか出てないんですよ。
真耶戦までに提示した幾つかの問題を思い返して頂ければ分かるかと思いますが、どれも進歩こそすれど解決なんてしていません。要するに全部これからということ……。
しおりの移動、アンケートへの回答、お気に入り登録、ここすきなど、大変励みになっております。ありがとうございます。
でも感想も欲しいです……。
戦闘シーンは……
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なんぼあっても困りませんからね
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戦ってねえで話進めんしゃい
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そんなことよりおなかがすいたよ