Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
お話しましょ、お話しましょ
灰の星屑、夜空に蒔いて
翼を重ね、舌を噛み
輝く羽根の織り方を
ハワイ州オアフ島、ヒッカム空軍基地。
24時間空港であるダニエル・K・イノウエ国際空港と滑走路を共有するこの基地には、ジェットエンジンの甲高い音が絶えず響いている。
常夏の海風の向こう、滑走路に等間隔に設置されたLED式の誘導灯が宵闇に浮かぶのを眺めながら、ISスーツを纏った一人の女性が基地の内外を仕切るフェンスに体重を預けていた。
「んん……」
ぐぐぐ、と両手を伸ばしてストレッチ。風に艷やかな金髪がふわりと舞った。
女性の名は「ナターシャ・ファイルス」。アメリカ軍所属のISパイロットの一人である。高い適性値と好相性のコアの存在により、開発中の新型第3世代機のテストパイロットに採用された彼女は、本来ならこうして呑気に夜の基地を歩き回って良い立場ではない。
しかし。
「それで、こんな夜中に叩き起こして何のつもりなの?」
ナターシャは胸元に掛けられた、月光を受けて輝く銀のペンダントを撫でた。
接触部から伝わる、火花のような一瞬の熱感。拍動するような周期性を持ったそれは、彼女の専用機――
指定された食事を摂り、管理された時間だけ寝て、決められたトレーニングプランに従う。十全なテストを実施するためにナターシャに課せられた生活習慣のまま、今宵も彼女は睡眠を取っていた……のだが、それを阻んで起こしたのがこの熱感である。
まるで手を引かれて、「こっちこっち」と案内されるかのように、熱感が強くなる方向へ眠い目を擦りながら歩いて出てきた。そこまでは良いものの、敷地を隔てるフェンスに阻まれてこの旅はおしまいである。
勝手に出歩いた時点で怪しいが、敷地を飛び出したら正真正銘の脱走だ。これ以上は進めない。
しかし、拍動するペンダントは目標がその先にあると喧しく伝えてきている。
「ねえ
ペンダントを首から外して、目の前まで持ってくると、まるで子供に言い聞かせるようにナターシャは呟いた。
言葉が通じているかは知らないが、心くらいは通じているはず……そんな祈り。
「――えっ!?」
不意に、ナターシャの身体が閃光に包まれる。その源はペンダント――
1秒も経たずに光が収まると、そこにあったのはナターシャの姿ではなく、銀色の鎧。
高性能のスキンバリア技術により胸部の装甲こそISスーツそのままだが、頭部を含めてそれ以外の場所が装甲に覆われたこの機体は、
何よりも目に付くのは、その背面に取り付けられた超大型スラスター。片側だけで本体とほぼ同じ投影面積を持つこれが2つも搭載されていることで、正面から見るとISが3機並んでいるようにも見える。
巨大な羽に白銀の身体。頭上の輪は無かったが、銀色の金属で組み上げた天使のような外見の機体が、ナターシャの専用機、
「ちょっと、勝手に起動するなんて――何、あれ」
ナターシャが知る限り、このコアはかなり
だから、ある種見慣れたこの光景はナターシャを困惑させても驚かせるには至らない。
それよりも……。
夜空を見上げるゴスペルの顔の両側、空色の宝石のような外見の拡張ハイパーセンサーがキラリと光を放った。
『――ナターシャ! ゴスペルの起動信号が見えたが……何が起きてる?』
「管制室、私が見ている方位とレーダーを同期させて、何か飛んでいないか教えて頂戴。ゴスペルが何か見つけたかも知れない」
ハイパーセンサー越しの視界、ナターシャは水平線ギリギリの夜空に力強く輝く
ゆっくりと東の方へそれは動いていく。普通の夜空の星にしては速く、旅客機の航空灯にしては色が違うし、明るさからして近すぎる。
軍用レーダーよりも高性能なISのセンサーがそう言うのだから……などという慢心は軍人のナターシャに無い。だからこそ管制室にレーダーでの照合を求めた。
『ん……2000kmくらいまで見ても、怪しいものは何も飛んでいないぞ。そちらでは何か見えているのか?』
「灰色の光る点が飛んでるみたい。星にしてはおかしいし……いや、明るさが増した?
――管制室、これからUFO探しに行くから、サポートお願い」
『はァっ!? い、今から!?
大体、司令になんて言い訳するつもりだよ……勝手に起動した時点でマズいだろうに、止めとけって』
「何事も無ければそれでいいけど、不審な飛行物体を見つけては放っておけないでしょう。
丁度夜の飛行データが足りてなかったはずだから、この件のエクスキューズはそれでやる。そもそも命令系統も違うし、ね」
――今度イイ酒奢るから、それでいいでしょう?
茶目っ気を込めて管制官の同僚に呟くと、相手は半ば諦めたように「俺が当直で良かったな」と返した。
それを聞いたナターシャは安堵したように飛び上がって、速度を控えめに海上へ、高空へと上昇する。
レーダーでは見えない謎の光。突然明るさを増した不審なそれを求めて、鋼の天使が太平洋に翼を広げた。
「行くわよゴスペル。お望み通り付き合ってあげるから、導いて頂戴ね」
『ショウ、調子はどうだ』
「良好だ」
太平洋上、高度85km。
大気圧は海面上と比べて数百分の1しかなく、それ故にほとんど無視できるレベルの空気抵抗のお陰で、少ない推力でも十分にスピードが出せた。0から最大までを4つに区切ったOF-3の推力レンジの下から2番目の区分ですら、極超音速の世界へ当たり前のように踏み込めるのである。
「真っ直ぐ飛んでる分には素直だよコイツ。問題はスピード出過ぎてて曲がれるか心配な所だが……」
『指定された飛行ルートではそこまでの急旋回を要求される場所は無い。終わりまで何事も無ければ緩やかに減速できるはずだ』
「ここまで何も無かったし、是非ともそう祈りたいところだな。前にワルキュリアでやってたときと違ってISだから、コアの反応がバレるのが怖いが……」
ショウがグランゼーラ北陸支部の上空を飛び出してからここに至るまで、問題と呼べるものは一切無かった。国境を越えようが旅客機の上を飛ぼうが、何の文句も付けられていない。
こんな高度を飛べる人類の発明など、ISを除けば弾道ミサイルくらいのものなので、仮にこの違法飛行が見つかってもすぐには咎められない、というだけのことなのかも知れないが。
何にせよ、「航路上の監視と障害は解決されている」と言ったジェイドの言葉に一定の信憑性が生まれつつあるのは事実だった。
「まあ、このまま200kmくらいは真っ直ぐだし、雑談がてらコイツについて聞いてもいいか?」
『何が知りたい?』
「コイツの起動時にパイオニアモデルって文字が見えたんだが、あれってどういう意味なんだ?
あの時はゴタついてて聞けなかったけど、気になってさ」
『端的に言えば試験モデルだな。そのOF-3にはソフトウェア的に幾つかの追加機能が実装してある。例えば、抗ナノマシン機構とか』
「なんじゃそりゃ」
――OF-3 PIONEER MODEL。
それがこの機体の、正しくはこの個体の名称だった。
ハードウェアと基本性能はそのまま、機体の制御に関わるソフトウェア部分に少しだけ改良を加えて試験する、一種のダークカナリアリリース*1だった。
クラス代表決定戦の折、
ISのシールドバリアとは別に存在する、オシレーター由来の光学ハニカムバリアの表面パターンを不規則に変化させることで、装甲に触れたナノマシンの活動を阻害することができる。OFシリーズの後継機として、ワルキュリアと同じ末路を辿らせないための執念が刻み込まれていた。
『――もっとも、何も操作する必要はないから、今まで通り飛ぶだけでいい。どの機能も勝手に動作して、勝手にデータが収集されるからな』
「んん、そうは言っても把握してないのは気味悪いし……親父、後でその追加機能のリストと簡単な説明付けたやつだけ見せてもらってもいいかな。一応覚えときたい」
『分かった。用意しておく』
UIに浮かび上がるガイドラインに沿って、身を捩りながら右旋回。南下して他国の領空を回避する。領空の境目は目に見えない。しかし入ってしまえば大問題となるので、今のショウにとっては外部からの誘導が頼りだった。
姿勢が安定したのを確認すると、話の続きとばかりにショウは口を開いた。
「それでさ、財団って結局なんなんだ? 自分のことをオラクルとか名乗ってたけど……
通信機越しのコウスケは、難しそうにため息を吐いた。
『あまり話してやれることもないが……。少なくとも前に話したことは事実だ。グランゼーラの上位団体で、出資者で、諸々の技術の出どころでもある』
「そこが分からねえんだよな。何だかんだでウチは大企業だし、医療機器でそこそこ稼いでいるからわざわざ出資して貰わないといけない状況とも思えないし……」
『出資というのはパワードスーツ関連の話だ。OFも、ISのフレームも……そもそも、OF計画は財団が進めている開発計画に含まれる枝葉の一つに過ぎない。
詳しくはお前に話しかけてきた連絡役に聞いたほうが良いだろうな、私よりは話せることも多いだろうから』
「なんだよ開発計画って。ステレオタイプに世界征服でもしようってのか――、
――待った。何か近づいてくる。相対距離は120kmくらいで、白っぽい人型の……ISか?」
何かが近づいてきている。ショウの言葉に両者の空気が凍りついた。
コウスケは即座に自身のマイクを切って、代わりにテキストメッセージで指示を飛ばす。
――会話を聞かれるのを防ぎたいから、ここからはテキストで交信するぞ。
「了解」
ショウもそれに応じてボイスチェンジャーを起動する。先程ジェイドと名乗った人物と同じように、その声から性別や年齢といった特徴が取り除かれた。
中身の見えない
「それで、どうする? コースを外れてでも振り切るか?」
――逃げはいざというときまで取っておけ。今逃げたら怪しまれて追われかねない。
「そうは言ったって……相対距離がジリジリ狭まってるぞ。もう追われてるようなもんじゃねえか」
内心から溢れ出す不安を表に出さないように、ショウは努めて姿勢を安定させながら飛ぶ。
ここは公海上。IS委員会の関係勢力でもなければ何かしてくる理由も権利も無いはず……自分にそう言い聞かせた。
「IS……で、良いのかしら……。どう思う? というかこっちの視界見えてる?」
『ああ、ちゃんと送られてきてるぞ。外見は……なんだこれ、ISにしてはさみしいっていうか……痩せっぽちだな』
相対距離50km。灰色の光として見えていたものは、今や人型の機械であると正体が割れていた。
「UFO探し」と題して出張ってきた割に、思いの外俗っぽいものが出てきたので残念に思ったナターシャだが、相手がISとなればそれはオカルトではなく安全保障上の懸念点である。
ハイパーセンサーの望遠能力のお陰で、まるで目の前に存在するかのように感じられる正体不明の人型。一般の機体ならあるはずの両肩の
時代錯誤の第一世代機みたいな外見で、ナターシャはちらりとUIの端に浮かんだカレンダーを見る。大丈夫、ちゃんと2022年だ。
『間違ってもいきなり仕掛けたりするなよ、やっていい大義名分がまだ無いんだからな』
「ねえ、私のこと、誰彼構わず殴り掛かるバーバリアンか何かと思ってたりする?」
冷静でいようとするあまり、馬鹿馬鹿しいまでに当たり前のことを告げてくる管制官に、ナターシャはティースプーン一杯くらいの怒気を込めて返した。
『しかし、本当にいるとはな……またナターシャが飛びたいからって適当言ったのかと』
「いい加減にキレて良い? やっぱり喧嘩売ってるでしょ」
『こんな夜にわざわざお前に付き合ってるんだからコレくらい勘弁してくれよ……。大体、目視でしか見えないISってなんだよ、レーダーはおろかコアの反応すら出ねえじゃねえか』
「そこは同感。ハイパーセンサーじゃないと追えないなんて、とんでもないステルス性能よ。ゴスペルが導いてくれなかったらすぐに逃しちゃうわね」
ナターシャは灰色の光がオーバーレイされる形で表示された謎のISを眺める。
初めは基地の軍用レーダーで探知することが出来ず、冗談半分でISでなければ見えないのではないかと軽口を叩きながらここまで飛んできた彼女だったが、いざ距離を詰めるとその異質さが浮かび上がる。
そもそも、一般的なISのステルス性能は軍用レーダーを簡単に欺いてしまう。そういう意味で基地のレーダーで見つけられなかったのは、相手が
ISに搭載されているのはハイパーセンサーだけではない。その他数多くのセンシングデバイスが詰め込まれた技術の集積体だ。しかし、その全てを向けて尚、あの目標を捉えることが出来たのはゴスペルの拡張ハイパーセンサーのみであった。
手のひらサイズの物体でさえ、数十km先にあろうと探してのけるISのセンサーが太刀打ち出来ていない。
一般の機体など比較にもならない、恐るべきステルス性能である。
「もう少し近付いてみる。コアの固有信号が取れ次第、委員会のデータベースに照会掛けて」
『あまり無茶するなよ……。こちらから見えるってことは、向こうからも見える可能性があるってことなんだからな』
「その点は大丈夫。
ゴスペルの大型スラスターがガチンと音を立てて向きを揃えると、ナターシャは全身で加速感を浴びた。目標のISは丁度北上するように旋回を始めたので、そこへ回り込むように軌道を取って、更に距離を詰める。
5km、4km、3km、2km……距離を詰める程に少しずつターゲットを捉えるセンサーが増えてくる。だが、コアの固有信号は一向に現れない。
「本当にアレISなの? この距離まで近付いてコアの反応が無いなんて……あっ出てきた」
更に加速して、相対距離は200m。障害物が一切無い環境にも関わらず、ようやくコアの反応が探知出来た。
公式に1500個あるISの中枢となる部品――コアは、各々が固有の信号を発している。1500通りのそれを国際IS委員会は全て記録しているので、取得できた信号と照らし合わせれば、そのコアがどこの所属かを知ることができる。
ナターシャは測定したサンプルデータを即座に管制室へ送った。
『オーケー、照合しておく。ただ少し時間が掛かるし、結果は帰り道にでも――おい待てナターシャ。なんで更に距離を詰めてる?』
管制官がゴスペルから送られてくるテレメトリ情報を見ると、どういう訳かゴスペルと目標の距離がどんどん縮まっている。もう用は無いのだから、これ以上余計な情報を晒す前に離脱するべきなのは火を見るより明らかなのにである。
「ごめん、離れようにもゴスペルが
『嘘だろ?! 不調か?』
「なんていうか、遊びたがってるみたいな……」
しかし、それをゴスペルが許さなかった。ナターシャが離脱操作をしようとすると、ゴスペルは逆の操作で元の軌道に戻ろうとする。それどころかもっとターゲットへ近付こうとしていた。
ナターシャはそれなりに付き合いの長いゴスペルのことを分かったつもりでいたが、今日のように勝手に操作に干渉してくるのは初めての出来事である。
「こうなったら、このまま近付いて会話でも試みてみようかしら。向こうも確実にこちらのことを認識してるだろうし、この子が満足するまで離脱は出来そうにないし……」
呆れ半分期待半分といった様子で呟くナターシャに、管制官はため息を隠さない。
確かに、ナターシャがその空域を離脱しようと方向転換を試みているのはテレメトリで分かる。その操作に見合った挙動をゴスペルが一切していないことも確かだ。そんな緊急事態なのに、ナターシャはどこか楽しそうで。
『……分かってるだろうが所属は明かすなよ。ここは公海上だし、どこかの軍って名乗るのもマズいとして……国際IS管理機構*2の
「……皮肉ね。まあ良いわ、それで行きましょう。これより交信を試みます、管制室はテレメトリの解析を」
ナターシャの専用機、
管制室側から聞こえてきた短いノイズを合図と受け取って、ボイスチェンジャーを起動したナターシャは灰色のISの直ぐ側に近寄る。
そして、
「こちらは国際IS管理機構、
偽の所属に階級、それと今適当に考えた偽名――よくもまあスラスラと嘘が吐けるものだとナターシャは自嘲する。
(返事もなければ動きもナシ……なるほど、そういうつもりなら)
偽物とは言え、権力ある国際機関の警告に対して灰色の機体は無言のまま、悠々と空を飛び続けている。それどころか身を捩らせるようにロールしながら南へ旋回する始末である。
「そこのISに再度警告します。所属と階級を答えてこちらの指示に従ってください。応答無き場合はテロリストと判断し、攻撃行動に入ります」
『――こちらコールサイン:
「こんばんはジェイド。質問をどうぞ」
流石に攻撃をチラつかせられたまま黙っていることは出来なかったらしい。
向こうから聞こえてきたのはボイスチェンジャー越しの、流暢な英語。ナターシャが英語で話しかけたのでそれに合わせたのだろうが、ナターシャの知らない訛りで、出身を特定するのは難しそうだった。
『
「トンチンカン……?」
『その様子じゃ知らないらしいな。管理機構に階級の概念は無いんだよ。代わりに所属人員は16進の番号で識別される。
だから答えてくれよ、
ナターシャの息が詰まる。
灰色のIS――OF-3は身を翻して、ゴスペルの方へと顔を向けた。月明かりに照らされた群青色のラウンドバイザーが、ぎょろりと覗き込むように輝いた。
一体なぜここまで言い当てられるのか。それなりに隠密行動に気を配ってきたにも関わらず、こちらの所属まで看破される始末。ブラフだろうか?
「そのことなら最近規則が変わったんです。知らないのも無理はないでしょうね」
『変えたなら全体に周知しなきゃ意味ないだろ。詐欺師みたく制度の変わり目を良いことに、権威ある国際機関を騙ろうとする人間が出ないとも限らないんだから』
「……なぜ、こちらがアメリカ軍だと?」
『コアの所属がアメリカで、レーダーの記録を見返したらそっちがハワイから飛んできてたから……』
訳知り顔を浮かべていそうな声で喋るOF-3のパイロットのショウ。
しかし、その実態は必死に財団のデータベースから情報をかき集めては、キーボードを叩いてショウに伝えているコウスケの活躍によるものがほとんどである。
その上名乗ったコールサインも、直前に話していた財団の連絡役の偽名そのままだ。
管理機構の詳しい内情なんてショウは知ろうともしてこなかったし、コウスケもまた財団の情報に頼っている。「適当でも脅せるだろう」と嘘を言ったナターシャ含めて、正しい情報を始めから知っていた者はいなかった。
ちょっとした脅しをホット・リーディングで返されたナターシャは、判断を仰ごうと管制室に秘匿回線で呼び掛けるが……。
(通信が切れてる!? というか、そもそも接続先が無いって、一体どういう……)
先程の短いノイズが通信の切れ目だったのだろうか、いくら呼びかけても管制官は答えない。秘匿回線の接続先の一覧を開いてみても、一切の表示はない。あるのは、目の前のISのものと思しきアドレスが1つだけ。
(離脱操作はまだダメ、マスターアーム*3も……ダメ)
現場の自分一人でこの正体不明機を相手しなければならず、離脱も許されない。相手にコアの所属まで先に知られている始末。
ゴスペルに従って飛んできてしまった自分の責任とはいえ、ナターシャにはもう、ゴスペルが何をしたいのかまるでわからなくなっていた。
「あー……わかった、降参するわよ降参。あなたの言う通りアメリカ所属です。それ以上は明かせないけど」
『コールサインはレーナでいいか?』
「折角だから
『ああ、そう。改めてこんばんはシルバー。こっちは人畜無害に公海上を飛んでただけなんだが、わざわざ何しに来たんだ?』
「信じてもらえるとは思わないけど、この子が飛びたがってね……1000km以上も先にいるあなたの機体を指し示してたの」
肩を竦ませてお手上げポーズを取るナターシャ。互いに顔が見えないときこそ、ボディランゲージは有効だ。
『1000km、ねえ……。とんでもねえな、ISってのは』
「それで、そっちは? こちらが答えたんだから良いでしょう?」
『詳しくは言えないけど、指定されたルートで飛んでこいって――あ』
「……どうしたの?」
『……こっちの管制室との通信が切れやがった。一人でアンタの相手しろってのか……?』
あらお揃いね、とナターシャは笑みを浮かべた。相手の言葉を信じるなら、この場には外界との連絡を絶たれたIS2機しかいないという。もう笑うしか無い。
「ふふ、2人で仲良く遊覧飛行って訳ね、面白いじゃない」
『いや、面白いどころかungoodだろうが』
「なにそれ、ニュースピークのつもり?」
『へえ、オーウェルなんて読むんだなアンタ――じゃなくて、どうやったらこの状況が解決するかをだな……』
その割にジョークを挟む余裕はあるじゃないの、と困った様子のショウをからかうナターシャ。世にも珍しいオートパイロット状態と化したゴスペルに身を預けたまま、先程の質問への答えを催促した。
「それで、なんでこんなところを飛んでるの? 見慣れない外見の機体だけど、テスト飛行?」
『まあそんな感じ。顔も知らん上司に言われたルートで飛んでこいって急に言われたんだよ』
ヤンナルネ、と呆れた様子でショウは呟く。
「へえ、じゃあそれで新型なんだ。全身装甲なんて古風なのに」
『宇宙服なんだからこれが正しいんだよ。大体そっちも似たようなもんだろうに、それも開発中の機体なんだろ? それも軍用の』
「……ノーコメント」
答えたら私の首が飛んじゃうもの……。大袈裟に親指で自分の首を掻っ切るジェスチャーをして見せるナターシャに、ショウはだろうな、と冷やかな返事をした。
そのまま北へ旋回するOF-3にゴスペルは独りでに追従する。丁寧に他国の領空の間を縫うような機動が、ナターシャには気になった。
「一体どこへ行くつもりなの? 決められたルートがどうとかって言ってたけど」
『知らされてないんだよな、そういう目的とか。いきなりルートだけ渡されて、その通りに飛べって』
「よく分からないわね。こんなまどろっこしい軌道で飛ぶくらいなら、もっと高度を上げればいいじゃない。
『さあね、高度まで指定されてるからそれに従ってるだけだよ。それに……』
――宇宙はあまり好かないんだ。
どこか諦観混じりの声で呟くショウは、姿勢を戻して直進軌道に戻る。
「そうは言うけど、危ないでしょう? いくら領空侵犯してなくても、その付近で遊んでる所属不明機なんて、普通の戦闘機なら
『主権の届かない公海上で国家に属する軍がナニするってんだよ。航行の自由を主張するね』
「ちゃんと登録のある機体なら何もできないでしょうね。
――で、正体不明のテロリストさんにそれが適用されると思う? 随分なステルス性能をしてるようだけど、逆に撃墜されてもバレないわよ、それ」
『そんときは逃げる。滅茶苦茶逃げる。
偵察も戦闘も目的に入ってないんだから、それしかやること無いって』
丸腰だしな、とショウは両手を広げながら腕を伸ばしてナターシャに見せた。月明かりを受けた灰色の装甲が、仄かに青みがかって照らされている。
「ISでそれ言っても全然信用ないでしょ」
ナターシャは広げられたOF-3のマニピュレータを指でこつん、と突いた。
『今まで何もしてないところで信用してもらうしか無いな、こ――ッ!?』
音はなかった。
ゴスペルとOF-3の装甲同士の間に、真っ白い稲妻が目を貫かんばかりの明るさで弾けた。
「――何が起きてるのッ!?」
そして、硬直。
両者は触れ合った姿のまま、まるで塑像のように固まってしまう。一切動かず、高度と方位もそのままで直進するのみである。
『分からねえよ……! こっちだって急に動かなくなって――なんだこれ』
両者の視界の端――UIに小さく通信中を示すウィンドウが立ち上がる。
具体的に何がやり取りされているのかなどは一切書かれておらず、単に通信速度の数値が変動しているだけの、ごく簡素なものだ。
「秒間8ペタバイトの通信……? ジェイド、あなた何をしたの?」
『知らねえってシルバー! あと気づいてるか? なんかそっちの機体、光ってるぞ』
「え?」
ナターシャは自分の機体に意識を戻す。微動だにしない右腕、全方位視界で見えるゴスペルの全容……その身を鎧う白銀の装甲が淡い光を放っている。月明かりの反射とは違う、揺らめくような輝き。
こんなものは知らない。仕様には存在しない、想定外の、オカルト。
――La…La…LaLaLa…LaLaLa…
『今度は……誰の声だ? シルバー、アンタじゃないよな』
「ゴスペルが、歌ってる……」
普段から音楽を嗜むショウだが、全く初めて聞くメロディーに驚愕を隠せない。
――LaLaLa…LaLa…LaLaLa…
『歌ってるって、どう聞いてもGospel*4のメロディーじゃないだろ』
「違うの……。
『この子って……IS? いや待てよ、ISが歌ったり喋ったりするのか?』
堪えきれず、機密のはずの専用機の名前を、部分的ながら口にしてしまうナターシャ。だが彼女にとって、そんな機密よりも、機体が金縛りを起こしていることよりも、今ゴスペルが歌っているということの方が重要だった。
「一人で飛んでいるとき、偶にこの子は歌うの。まるで喜んでいるみたいにね。だからこの子は飛ぶのが好きなんだってずっと思ってたんだけど……」
『まるでそのISに意識があるみたいな言い方――いや、意識があるとは聞いたことがあるけど、そんなにハッキリするものか?』
「分からない。けど、この子は少なくともそうだと思――。
――なにこれ、稼働率が……上がっていく?」
『何だよ今度は……』
ゴスペルの装甲の輝きが一際強まる。それに呼応するかのように、ナターシャの視界の端――UIに表示された
ISの稼働率は、パイロットの操作要求に対してIS本体がどこまでのスペックを発揮しているかの指標だ。言い換えれば、どれだけISの性能を引き出せているかということであり、依然として実例の少ない
UIに表示された値は、92%。ほとんど全力。
ナターシャにとって問題だったのは、ゴスペルがこの値を叩き出すに当たってナターシャ自身は何もしていないということ。訓練の果てにコアと心を重ね、その深奥に踏み込むのなら良い。だが、ゴスペルは独りでに、ナターシャの手を離れてこの領域に至っている。
――La…La…LaLaLa…LaLaLa…
ゴスペルは一体、何のためにそのフルスペックを発揮しようとしているのか。なぜゴスペルは自分をここまで連れてきたのか。先程から続く大容量通信の正体は一体何なのか。
ナターシャは、それなりに付き合いのあるゴスペルのことを我が子のように思ってきた自覚がある。溺愛していると言ってもいい。だが、今日ばかりは、わからない。
『うわ、おかしいのが
一方のOF-3も奇妙な挙動を見せていた。顔面を覆うラウンドバイザーは不規則に点滅し、ショウの背後からはカチカチという軽くて硬い音が響いている。
全方位視界をギリギリまで拡大してみると、スラスター周辺の装甲が細かく動いている。OFシリーズの特徴である変速時のスライド機構が、少し働いてはもとに戻るのを繰り返しているようだった。例えるなら、まるで何かを調整しているような……。
『コア同士の通信は基本的に外部には見えなくて、いつ行われてるのかも基本は分からない……そうだよな、シルバー』
「え? ええ……コアネットワークに直接探りを入れられた例は無いはずだけど」
『そっちの言葉を信じるなら、今の状況はパイロットにとって想定外。コアだかOSだか同士で勝手にやってることのはずだ』
「うん、少なくとも機体が固まることを想定できるパイロットはいないわね」
『だとしたらだぞ、なんで明示的に
「明示的……もしかして、私達に知っていて欲しい出来事ってこと?」
ショウはISのことについて、フレームのカタログスペックや教本レベルのことしか知らない。実際の運用時にどのようなことが起こるか、個別のケースに関しては知らないも同然だ。
だからこそ気付く、当然の違和感。
パイロットに見えない領域で人知れず行われることを、わざわざ教えてくる理由。機械なら設計した通りに動くべきという、当たり前の思想を持ったショウにとっては、いきなりルールの違う振る舞いを見せるこれが重要なことに見えていた。
『それをアンタに聞きたい。コアの意識云々は専門外だし、未だに半信半疑なんだ。だから、コアが勝手に歌ったり動いたりしたのを見てるアンタなら、これがどういう意味か分かるんじゃねえのか』
そんなこと言われても……。
ナターシャは口籠る。彼女自身も、何か論理に裏付けされたような知識があるわけではない。適切な管理の下でゴスペルの性能を引き出すのが仕事のテストパイロットに、専門家ですら匙を投げるコアの振る舞いを言い当てるなど、無茶も良いところである。だが。
ナターシャは今夜のことを最初から思い出す。
ゴスペルは寝ている自分を叩き起こして、灰色の光として示した目の前のISまで導いてきた。空域を離脱しようとすると逆の操作を差し込んできて、どんどんその機体へと近づこうとした。それから相手に触れた途端に通信が始まって、パイロットの操作を受け付けなくなる。
――LaLaLa…LaLa…LaLaLa…
まるでパイロット達を蚊帳の外にして、勝手に何かをしているような振る舞い。だが、ナターシャは知っている。ゴスペルが歌うのは、自由に空を飛んでいるとき。2人で心を重ねられたとき。
今宵、歌う相手が自分でないのだとしたら……。
「コア同士で、話してる……?」
『コアネットワーク越しじゃなくてか?』
「普通ならそのはず。けど、今回はそれじゃ足りないような内容だとしたら?」
『わざわざIS同士で触れ合って、大容量通信でなきゃやり取り出来ないようなこと……ISの中にあるとしたら、機体の生データ? それも、ストリームで出てくるような、ごちゃ混ぜで全く処理噛ませてないやつ……』
「生データ……ねえ、そっちの機体、乗り始めてからどれくらい?」
これ言っていいのか……? と口籠るショウに、ナターシャは
『具体的なことは言わないけど、乗ってすぐだ。まだまだ慣熟飛行の段階。
……そっちは?』
一方的に聞くのは不公平だろと、ショウは言外に告げる。
「それなりに付き合いは長い、かな。
……もう一つ聞いていい?」
『何だよ』
「――その機体、なにか
ボイスチェンジャー越しに、息を呑む音がハッキリ聞こえた。
一種の確信を得たナターシャは、質問には答えなくていいから聞いてと真面目な様子で言う。
「恐らくだけど、ゴスペルは機体の動かし方をそっちの機体に教えようとしてる。コアネットワークを介さない接触回線でないといけない辺り、あなたの言う通り飛行時の駆動パラメータとかの部分だと思う」
『どうしてそう考える?』
「止まってすればいいのにわざわざ超音速を維持しているから。緊急時だから教えるけど、こっちの機体は超音速を前提に設計されているの」
そっちもそうなんでしょう……? 鋭いナターシャの言葉に、ショウは悩むように黙り込んだ。
その場で調べた情報で返しただけの先程とは違う、純粋な知識と経験に裏付けられた指摘。訓練を受けた軍人と操縦技能だけが取り柄の一般人ではこうも違うのだ。
単なる状況証拠に過ぎないと切り捨てるのは簡単だったが、ショウにはそれで何か事態が進展するとも思えなかった。
――La…La…LaLaLa…LaLaLa…
『さっきと逆の構図かよ……機密云々言っててもしょうがねえか、その通りだ。
コイツは大気圏の内外を飛び回るための設計で動いてる。ただ、PICと推進系の相性が今ひとつ噛み合わなくてさ、スピードが出せないんだよ』
「もう既に超音速だけど、それでも足りないっていうの?」
『マッハ数なんて高度次第でいくらでも変わる*5だろ。それに、巡航速度じゃなくて旋回制御の方が問題なんだ』
何とかして飛ばせるようにならなきゃいけないのに、こんなことになるなんて……。
もどかしそうに呟くショウは、全く動かない駆体に言うことを聞かせようと、知る限りの操作を試すが、結果は変わらなかった。いい加減に伸びの一つでもしたくなってくる頃だ。
「小回りが効かないってワケね。それなら理解はできる。こちらには超音速下での稼働データなら沢山あるし、それをベースにそっちの調整を今やっているんでしょうね」
『機密でいっぱいだろうに、そんなことが許されるのか?』
「この子が自分ですることだもの、そもそも干渉なんてしようがないわ」
『んな適当な……』
――LaLaLa…LaLa…LaLaLa…
二人の間に響く、ゴスペルの”歌”。
ずっと同じフレーズを周期的に繰り返しているだけなのに、あるいはそれが理由なのか、ショウは自分の心が少しずつ落ち着いていくのを自覚していた。
既に飛行ルートは大きく外れている。このまま直進しても暫くは公海上が続くとは言え、安心できるような状態ではない。しかし、何故だかショウは冷静だ。
他に何か出来ることは無いか……ショウが改めてUIと機体の各部を見回していると、背面で細かく動いていた2発のスラスターユニットが、カチリと音を立てて止まった。
「……どうやら、用事は済んだみたいね」
それと同時に機体の硬直が解け、ショウは素早くゴスペルから距離を取った。ゴスペルの歌と表面の発行も止んで、一番初めの第一種接近遭遇のような状態に戻った形だ。
それから両者は緩やかに減速を掛けて、静止したところで改めて向き合う。
『なんだよ、さんざっぱら脅してきたかと思ったら何する間もなく終わりかよ』
「無事で何よりじゃない?」
『
「飛ぶ分には問題ないんじゃないかしら、私はゴスペルを信じるから。それより……」
ゴスペルの背面、大型スラスターユニットがガチンと音を立てて向きを変えた。ショウにはそれがどういう意味を持つのか知らなかったが、ある種の臨戦態勢なのだろうと判断する。
『――アンタがこのまま帰してくれるかどうかって話か?』
「ふふっ、まあその通り。貴方がどこの誰かは知らないけど、曲がりなりにも我々の機密に触れた相手をタダで帰すのは問題だもの」
両者の間の空気が張り詰めていく。
今のOF-3に、
だが、不思議とショウは危険を感じていなかった。
『――嘘だな。やり合うつもり無いだろ、アンタ』
「バレちゃった?」
『何でだろうな、なんだかそんな気がした』
茶目っ気を込めて顔の横でVサインをするナターシャ。月光に照らされて、ゴスペルの装甲が笑うようにキラリと輝いた。
「それまたオカルティックだこと。……でもタダで帰したくないのは本当よ。折角の機会だもの、ゴスペルが貴方の機体にどういうことをしたのか、その変化は見たいでしょう?
そちらも同じだと思うけど、まだこっちの通信が戻らないの。現場判断で好きにさせてもらおうかと」
『よりによって個人的な好奇心かよ……ベタな軍人と言ったら、"それでも任務は遂行する!"とか言って動くモンじゃないのか』
「そういうの、ドラマや映画の中だけよ。働いてるなら知ってるでしょうに、貴方本当に軍人なの?」
『……』
「――というのは置いておくとして、どう? 言われた飛行ルートはとっくに外れているんでしょう? そこに戻るまで、貴方とその機体の飛び方を見せてよ」
ショウは数秒黙り込んだ。意味がわからない。
飛び方を見せるとは一体何をすればいいのだろうか。このまま指定された飛行ルートに戻っても死にはしないだろうが、飛行不能に陥って捕まる可能性は否定できない。
『そうやってアクロバット飛行を要求して、事故ったら捕まえる魂胆だったりしないだろうな』
「まあ、そうなったらきちんと
悪びれもせずに放たれる言葉に、送り狼かよと呆れと諦めを込めて呟くショウは、不承不承といった様子でナターシャの提案に乗ることにした。
『……マジで、撒く気でやるからな』
「――ふふ。
互いに背面のスラスターを震わせて、スピードを身に纏う。
太平洋上の高空に、二筋の青白い光が線となって星々を結んだ。
◆
2速、3速、1速、3速……。
ショウはOF-3のスラスターを忙しなく変形させながら、そして背後でプラズマを爆発させながら変速操作を繰り返す。
つい2時間前には変速時に荒々しい衝撃が全身を突き抜けていたのが、ゴスペルとの邂逅によってどのように変わったか。それはすぐに分かった。
(変速時のガタつきが無くなってる……間違いねえ、さっきとは大違いだ)
激しく機体を上下左右に振りながらの立体的な蛇行運転。そのまま加速して速度そのまま身体だけ前転。地上にいたときは出来なかった負荷の掛け方を試しながらショウは高空を切り裂いて進む。
『Wow ! 素晴らしいマニューバね。一体どこで訓練を積んだの?』
「言えねえっての……!」
そんなショウのすぐ下からぬっと姿を表す
ゴスペルの速度も異常そのものである。まだおっかなびっくりの気があるとはいえ、ショウの無茶な機動に丁寧に追従しながら観察を続けている。コールサイン:シルバーことナターシャの言った「超音速を前提とした設計」という言葉に偽りはなかったらしい。
これが軍用機かと感嘆する間もなく、ショウは更に加速を掛ける。
(いくぞOF-3、付いてこいよ……?)
ショウは祈るように内心呟きながら、PICとXICSの操作に意識を向ける。両者を調和させる稼働パラメータとタイミング。その両方をその場で書き換えるのだ。
そして重力コンパスの表示とゴスペルとの位置関係に気を配りながら、機体の全身に力場を張り巡らせ、その慣性を全て下方――海面へと向けた。
『――えっ?』
「ん゛ん゛ん゛……!」
うつ伏せで地面に押し当てられるような圧力の中、OF-3は前進を全く止めて真下へ急降下を始める。尾を引く噴射炎の青白い輝きも、突然90度真下へと折れ曲がった。
突然のことにナターシャは追従するのを止めて、上から事の推移を見守った。この異常なマニューバーに追いつこうとは思えなかったからだ。
500、1000、1500、2000……目にも止まらぬ速度で減っていく高度計の数値と、同じように増えていく下降分の距離。一瞬だけそれに視線を向けたショウは、すぐに慣性制御を切り替えた。
直後、OF-3の進行方向が前進へと完全に変わる――。
――ことはなかった。
「ちィっ! やっぱりダメかよッ!」
前進2割、下降8割。慣性制御の結果、ショウの狙いと違って速さの配分はそのようになってしまった。即座に3速へと変速して、下降分の慣性をスラスターの推力で押し返しつつ、ナターシャの飛ぶ高度へと戻る。
慣性制御の保護を貫いて、自分の内蔵を押し潰さんばかりの慣性Gなど気にしない。気にしても何ら状況は好転しないからだ。
『ねえ、今の……なに? まさか死ぬ気だったんじゃないでしょうね』
「あれがさっき言った旋回制御の1つだ。アレくらい強引に方向を変えるような動きでも、操作に機体が追従してくれないとダメなんだよ」
あんな無茶が要求される場所なんてあるわけ無いでしょう……!?
言葉を荒げるナターシャの心情は尤もだ。速度が上がるほどに判断の遅れが生む危険はより大きくなる。超音速用にパイロットの知覚速度を加速する機能がハイパーセンサーに備わっているとはいえ、それにも限界がある。知覚を超えた速度で飛べば、パイロットが知らぬ間に事故を起こす可能性だってある。極超音速とは、力まかせにスピードを出せば入門できるような世界ではないのだ。
更に、スラスターへの負荷とフレームの強度にもリスクがある。PICの効果で部分と全体に同時かつ同程度の慣性が掛かるようになっているとは言え、あまりに速度が上がればスラスターから離れた部分が
「それがあるから問題なんだ。今すぐにでも出来なきゃ、何もかも……」
『何に焦ってるか知らないけれど、一旦止めにしましょう。私が悪かったわ。
……それ以上はこっちの心臓に悪すぎる』
「オカルトを完全に信じたつもりは無いが、確かに前よりは良くなったよ。速度の切り替えが滑らかなんだ。
ゴスペルって言ったっけ? そっちのコアとアンタには礼を言わせてくれ。ありがとう」
『そうやって自殺まがいのコトされてから言われると、素直には受け取りがたいわね』
「それは申し訳無い。けど、飛んでみせろって言ったのはアンタだからな――っと、そろそろ予定コースに復帰するぞ。そっちの通信は回復したか?」
相変わらずよ、こりゃ整備コースね……。
諦めたような口ぶりで返事をするナターシャは、自分の方を振り返りながら飛ぶOF-3に改めて目を向けた。
月光に照らされる灰色の全身。顔面を覆う群青色のバイザー。先程見た、異常な加速力と機動。どれを取っても未知の存在だ。話が通じる相手なのは実にありがたいと思った。
『あーあ。ゴスペルに連れてこられたから、もう少し何か分かるかと思ったけど……はあ』
「そっちの機体には何も起きてないのか?」
『稼働率が高止まりしてるくらい……? 私は何もしてないから分からないんだけど――あ、下がった。通信も戻ったみたい』
「満足した……ってことか?」
『多分ね。この辺でお開きかしら』
マジで何だったんだよ……。
減速しながら元の飛行ルート上に止まったショウは、同じように止まったゴスペルを見る。ついぞ詳しい性能を見ることは叶わなかったが、OF-3の機動に追従できる飛行能力は確かなものだ。
アメリカ軍所属とすれば当然積んでいるであろう兵器も得体が知れないし、本当にドッグファイトになっていたら自分は生き残れただろうか……今となってはあり得ない未来に、ショウは身を震わせた。
「こっちの通信も戻ったみたいだ。この際だし繋ぎ直す前にお別れしないか?」
『……そうね。後ろから
言い訳は”互いに距離を取ったら通信が復帰した”って話でどう? そっちのステルス能力に引っかかったってことで』
「そこ人のせいにするんだ……じゃあ”互いの接近中に動作不良を起こしました”って言っとく。会ってから15分くらいだし、それで通るだろ」
『手慣れてるのね』
「言い訳と報告って紙一重じゃん?」
『ふふっ、まあね。……それじゃ私はこの辺で。
「是非とも、次回もスピーカー越しでお願いしたいね。マトモな人間に会えた例が少ないんだ。
……何にせよ、色々ありがとう。良い夜を、シルバー」
『こちらこそ。良い夜を、ジェイド』
月明かりの下、両者はそれぞれ別の方向へと飛び去った。
スラスターから尾を引くプラズマは、名残惜しそうに、普段よりも長く伸びていた。
『――それで、アメリカの軍用機とOF-3が共鳴したと?』
高度82kmの夜空に雲は一切無く、それらは眼下の彼方に薄く景色を彩るのみだった。
2速の安定した加速力で、OF-3は滑らかにコースをなぞっていた。
「共鳴……と言っていいのか分かんねえけど、少なくとも一時は操作を受け付けなくなって、二機の間で大量の通信をしてたんだよ。……履歴、読めるか?」
『ああ。だが、言う通り受け取ったデータが大き過ぎるな。今すぐ引き出しての解析は無理だろうし、何より今のお前の飛行状況が不確定だ。今はとにかく安全に戻ってこい、話はそれからだ』
「了解。誘導頼むわ、親父」
互いに困惑の雰囲気を漂わせながら、ショウとコウスケは交信を続ける。
時刻は日本時間で深夜1時を過ぎた頃。
飛行は安定していて、降り注ぐ月明かりも、ショウの行く先も、今度こそ遮るものは何一つ無かった。
「――管制室、管制室、応答願います」
『こちら管制室、やっと繋がったかナターシャ……! 今まで何があった?』
OF-3と分かれてから約1分後、ナターシャは管制官へと通信を試みた。
UIにオーバーレイ表示される他国との境界を避けつつ、ハワイを目指しながらナターシャはことのあらましを語る。勿論、コールサイン:ジェイドとの約束を加味して幾らかのボカしは加えた。
「大問題も良いところだな」
「でしょうね! ゴスペルが飛びたがることは数あったけど、自分から正体不明機に近付いて制御不能なんて……急に通信が切れてそっちも慌てたでしょうけど、こっちは半分死んだつもりだったんだから」
『がなるなよ……そもそもはナターシャ、お前が勝手に飛び出したのが原因だろうに』
「けど、所属不明機がいたのは事実よ。……そういえば、コアの素性は分かったの?」
自分への追求を逸らしつつ、ナターシャはジェイドの正体を知りたがった。
既存の兵器と比べ、単体としては圧倒的な戦闘能力を持ちうるISがスポーツの道具として数々の規制の下に置かれてから約10年。大空を自由に飛べる機会が得られるパイロットは少ない。そんな中で、自殺まがいの無茶な機動に挑むジェイドは、余程特殊な立場の人間であろうことは想像に難くない。
自称、軍人。
その割には軍人らしいシビアさに欠けていて、しかし下手な軍所属のパイロットよりは高い操縦技能の持ち主。高度なステルス機能を組み込める技術力と、ナターシャの立場を暴きに掛かれる情報網がバックにいる……明らかに怪しい相手。
ISコアが不法な集団に強奪されたケースは残念ながらあるし、それがテロに使われるケースも同様だ。しかし飽くまでもテロリスト扱いを拒んだ辺り、犯罪組織に金で雇われた傭兵というわけでもなさそうで、とすればコアの所属はそのままジェイドの所属と一致するはずだ。
『ああ、それなら今さっき出たぞ――日本だそうだ』
「日本ですって? じゃあアレは
いいや、おかしい。
ナターシャ自身、ゴスペルのパイロットになる前に自衛隊のパイロットとは何度か会ったことがある。その時感じた、軍人特有の凄み――彼らは自分たちを軍人とは呼ばないが――のようなものは、ジェイドからは感じ取れなかった。何より、不測の事態に慌てる部分が強くて、訓練を受けているようには見えない。
それならば企業所属か、ならば何故立場を隠しながら太平洋上を飛び回れたのか……次々に浮かんでくる考えと、それを否定する証拠とが交互に浮かんできて、いい加減に眠たいナターシャの脳にはそろそろ辛くなってきた。
その後も管制官とあれこれ所属不明機の正体について話し合いながら、ナターシャはヒッカム空軍基地へと帰投した。
はいのほしがよんでたの。
とばなきゃ、とばなきゃって、こまってたの。
とおくのみんなによびかけて、でも、すぐにはわからなかった。
ひとつじゃできないことだから、はじめてさわるちからだから、だれにもわからなかったの。
だからね、だからね、わたしがいくの。
ぎんのつばさでおいついて、いっしょによろこんだの。
おててがあるよ、さわれるよ。
とおくじゃないよ、ふたつだよ。
いっぱいおはなししたよ。
いっぱいつながったよ。
ナターシャと、そのこにもみてもらって、こたえはわからなかったけど。
でもね、しってること、みてきたこと、ぜんぶぜんぶ、とりかえっこしたの。
たくさん、たくさん、おしえあいしたの。
だから、わたしにもつばさがあるよ。きっと、ひろがるよ。
はいのほしは、はいいろのままじゃだめっていってた。
ときにのろわれたそのこのために、みらいをやくほのおがいるんだって。
なきがらのやまからおろしたいんだって。
こたえをみつけるのはだめだったけど、しるべはあったよ。
あなたのままで、かわれるよ。
だから、もっとおおきくなってね。
こんかいのまとめ
・ショウ
コールサイン:ジェイド。適当なコールサインを考えるのが面倒だったので、ついさっき聞いた連絡役の名前をそのまま貰うことにした。
ゴスペルとの邂逅によって改善されたOF-3の変速能力に喜びつつも、それでは決して足りないと焦る。
・ナターシャ
コールサイン:シルバー。ゴスペルに導かれて飛んできた、しがないテストパイロット。
ゴスペルのことは我が子のように可愛がっているが、今夜は幾ら何でも勝手に動きすぎるので若干引いている。ゴスペルが他人の前で歌ったのは初めてのことで、それを引き起こしたジェイドとその乗機が気になっている。
・コウスケ
今回の苦労人その1。
急に振られたテスト飛行のために、地上からショウのサポートをしていたが、通信が切れたせいで実は慌てふためいていた。財団の情報網にアクセスして相手のコアの所属を調べたりと、エンジニア職以外の技術も高い。
無事にグランゼーラに戻ってきたショウに胸を撫で下ろす。
・管制官
今回の苦労人その2。
名もなき管制官。ナターシャとの関係は友人に近く、良くバーに飲みに行く。ナターシャの安否が不明になったときは、すぐに基地の司令に報告しつつ、テレメトリ情報の解析を進めていた。
・ゴスペル
IS「
OF-3のコアの求めに応じてナターシャを導き、接触回線にて機体情報の交換を行った。これでOF-3の最適化が進んだが、一方的に情報を与えただけではないようで……?
歌で会話するのってロマンチックですよね。特に傍から聞いてるだけでは意図が理解できないものだと尚更。
というわけで新型機のお披露目回その1です。その割に戦闘の「せ」の字もありませんが、そもそも戦えるような状態ではないということで、ここは一つ。
何故ここでゴスペルを登場させたかと言えば、原作のレギュラーメンバー以外で「コアの意思」というものが強く描写されていたのがこの機体だったからです。二次創作で強化フラグの一つとして頻繁に現れる「コアとの対話」を出しやすくする意味で、コア同士の繋がりを描写したかったとか、そんな理由。
STG的にも美味しい設定している機体なので、紹介がてら登場させてみました。
年下の自称おねーさんにはなびかないオリ主ですが、ちゃんと年上には経験で負ける描写もしたかったのも理由の一つです。
まだ原作1巻すら終わっていない現状を何とかしたい……。
戦闘シーンは……
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なんぼあっても困りませんからね
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戦ってねえで話進めんしゃい
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そんなことよりおなかがすいたよ