Infinite stratos / False prophecy   作:✕せんたくだま

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てめえもパイナップルを入れるのか?


26 Promise Pre-miss

 「ふんふ~ん、ふふっふ~ん……♪」

 

 夜。

 学生寮の廊下をスキップで軽やかに進む少女が一人。ただし寮長に見つかって怒られるのは御免なので、速度は大分控えめである。

 

「ええと、アイツの部屋は……」

 

 ポケットからくしゃくしゃになったメモ書きを広げて、黒髪ツインテールの娘――鈴音は目の前の扉と部屋番号を比べる。

 求める行き先は一夏の居室、1025室。だが悲しいかな、今この瞬間までに鈴音はその部屋を3回ほど通り過ぎて、寮内を彷徨い歩いている。学園の土を初めて踏んだときと同じように、致命的な勘頼みスタイルが綺麗に目的地を回避してしまっていた。

 

 しかし、鈴音の頭はそんなことを気にしていない。一夏のことで頭がいっぱいだからだ。

 

 昼休みの食堂で、好物のラーメンを載せたトレーを持って一夏の下へ突撃した鈴音は、そこからじっくり旧交を温めた。

 

 小・中学時代の思い出に始まり、別れている間の出来事、それから……というところでお邪魔虫が2匹割り込んできた。

 一人はデカ乳剣道女こと篠ノ之箒。こちらは中学時代にそんな幼馴染がいたと一夏に聞いていたので驚きこそしなかったが、やたら一夏と距離が近いのがムカついた。

 もう一人はアウトオブ眼中ことセシリア・オルコット。代表候補という肩書きにやたらと張り合ってきたが、他国のことなど知ったこっちゃない鈴音にとっては、どうせ自分の方が強いという感想しか出なかった。

 

 結果として一夏が鈴音との関係を2人に説明するのに時間を食われてしまったため、貴重な昼休憩はそれだけで終わってしまった。しかし、彼女はそこで「はいそうですか、仕方無いね」と引き下がれる女ではない。

 

 鈴音はメモをポケットに捩じ込んで、今度こそは、と再び歩き出す。

 

 

 

 

「一夏ぁ~、入るよ」

 

 苦節15分。ようやく一夏の部屋の前で足を止められた鈴音は、コココンと素早い3連ノックを打ち込んでドアを開いた。施錠はされていなかった。

 

「おう、鈴か。どうした?」

 

 出迎えたのは軽装の一夏だった。首にタオルを掛けていて、白色のTシャツには薄っすら筋肉の凹凸が浮かんでいた。

 昼間にクラス対抗戦に備えての特訓がどうとか言っていたのを鈴音は覚えている。

 

「その様子じゃ晩御飯まだでしょ? 昼間の続きってことで、一緒にどう?」

 

「おう、そうだな、俺も色々聞きたいことあるし……受けて立つぜ」

 

「ふふっ、何よその言い方。早食い勝負でもしようっての?」

 

「あー、給食のおかわりジャンケンとか懐かしいな……ちょっと待っててくれ、着替えてくるから」

 

 そう言い残して部屋の奥へ歩いていく一夏。鈴音は頬をほんのり赤らめて後ろを向いた。

 

(あれ……もしかしてこのまま見てたら一夏の肌が拝めちゃったりするワケ? 2年前の時点であんなにかっこよかったんだから今なんてそれ以上に決まってるしもう片鱗見えちゃってるけどあー見てもいいかなあでもガン見しちゃったら変態女もいいところだし幻滅されちゃうしでもやっぱり見たいしっていうか一夏って一人暮らしだよねこのまま転がり込んでやったらヤリタイ放題出来たり出来なかったり――)

 

 視界の外、背後で繰り広げられている――実際には期待するようなことは何も無いのだが――光景を想像して脳内の桃源郷を染め上げている鈴音は、突然現実に引き戻される。

 気持ちよく風呂から出てきた直後に冷水を浴びせ掛けられたような感覚。

 

 足音が聞こえた。

 一夏のものではない、湿り気を帯びたペタペタという音。

 それも、室内から。

 誰だ?

 

「……シャワー空いたぞ一夏、さっさと入れ」

 

 徐ろに脱衣所から制服姿で現れたのは、件のデカ乳剣道女、あるいはファースト幼馴染こと篠ノ之箒だった。後ろでまとめられた濡羽色の髪は艶があって、言葉通り先程までシャワーを浴びていた人間のそれだ。

 

「はぁッ?! なんでアンタがここにいんのよ……ってかシャワーを共有ってどういうことよ!」

 

「やかましいのが聞こえたと思ったらお前か……。ルームメイトなのだから当たり前のことだろう。それともお前の部屋は違うのか?」

 

「そりゃそうだけど――じゃなくて、男と女がなんで一緒の部屋にいんのよ! 寝食を共にしてんのよ!!」

 

 不純異性交友の対策はどうなってんのよ対策は……! と困惑と驚愕と怒気を脳内でミキサーに掛けている鈴音のところに、制服に着替えた一夏が戻ってきた。

 

「いやほら、俺の入学って色々特殊だったろ? 先生から聞いた感じ、諸々が急だったから寮の編成に無理やり捩じ込んだとかそういう話でさ」

 

「お、男ならもう一人いたじゃない……2人目の、サワムラって人とか」

 

「よく分かんないけど、学園側としては男二人だと都合が悪いみたいだぞ? 一人だけに使わせられるほど部屋が余ってるわけでもないみたいだし……あと、ショウなら千冬姉と一緒だな」

 

「えぇ……だからって、アンタが一緒になる理由にはならないじゃない」

 

 鈴音は箒をキッと睨みつつ指さして言う。()()千冬が男と暮らしているというのも十分驚きだが、それはそれとして、である。

 

「ん? それはクジでたまた――グワーッ!

 

お・さ・な・な・じ・み、だからだな。一夏と仲の良い人間の方が好都合なのだろう」

 

 何の気なしに不都合な真実を口にしようとした一夏の脇腹を鋭い肘鉄で貫きつつ、箒はそれを上書きするかのように、じっくり、ねっとりと言葉を繰り出す。その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。

 

「……みなら、……けね」

 

「いでで……なんか言ったか鈴」

 

「だから! 幼馴染なら良いわけねって言ったの!

 箒とか言ったわねアンタ、今すぐ部屋代わって」

 

「ふざけるなよ貴様……!」

 

 そして始まる、既得権益(一夏)を巡る醜い言い争い。

 「男と一緒ではのんびり出来ないだろう」という指摘を「お前といるよりはマシだろう」とカウンターしたり、「一夏にノロノロ引っ越しの手伝いをさせる気か」と言われたら「()()()アンタと違ってボストンバッグ一つで足りるわ」と返したり、だんだんと口撃の応酬はエスカレートしていく。

 

(これ、どうしよう……)

 

 あまりの気迫に割り込もうとすら思えない一夏は、蚊帳の外で一人耳を塞ぎたい気分だった。

 2人とも大事な幼馴染で、それなりに友情を感じた相手だ。

 それがどうして目の前で言い争う姿を見せられなければならないのか、というか所々放送コードに引っ掛かりそうなワードが飛び出してきてないか。俺が聞いちゃマズいやつなんじゃないか。

 一夏は頭を抱えて俯いた。

 

「だいたい、小学校時代の幼馴染なんてガキのオママゴトの関係じゃない。アンタ知ってるワケ? 一夏の趣味は――」

 

わああっ、わあああっ!!!! それ以上言うな! ヤメロー!」

 

 勢い余って一夏の性癖暴露ショーを始めかけた鈴音の肩を、咄嗟に掴んで制止する一夏。その背後で、何か重たいものが動く気配を感じた。

 

「ええい、このわからず屋め……こうなったら力づくで……」

 

 気配の正体は、状況に痺れを切らした箒だった。入学初日のこともあって何時でも取れるようにベッド脇に立てかけてあった竹刀を振りかぶって、鈴音目掛けて今まさに叩きつけようとしている。

 もちろん、その動線上には一夏も含まれていて……、

 

「あっ、このバカ――」

 

 振り向きざまの一夏にそれを止める術はない。揃いも揃って防具も何も付けていない人間に、全力で竹刀を振り下ろせばどうなるか、一夏は良く知っている。

 咄嗟に、目を閉じてしまった。

 

――バギィッ!

 

 耳慣れない、何か繊維質のものがへし折れるような音が大きく響いて、しかし一夏はいつになっても痛みも衝撃も訪れないことに疑問を抱いた。

 

「大丈夫? 一夏」

 

 事もなげな様子の鈴音の声に、一夏は目を開いた。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、鮮やかな紅色を基調に金色の模様とパーツで彩られた、重厚でメカメカしい装甲に覆われた鈴音の右腕だった。

 

「あ、IS……か?」

 

「当たり前じゃん、今の私は――代表候補生なんだから」

 

 そして、その腕の向こうから竹刀の破片が力無くぼとりと床に落ちた。

 箒が竹刀を振り下ろす一瞬、鈴音は部分的に展開した自分の専用機でそれを受け止めたようだった。

 

「な……っ」

 

 一夏以上に驚いていたのは、他ならぬ箒だった。

 ISを呼び出すとき、そのトリガーとなるのはパイロットの思考だ。

 呼び出し命令さえ通じてしまえば、後は一瞬にして展開が完了するため、「ISを呼び出す」という行為においてボトルネックとなるのは、その前の段階――ISを呼び出そうと考えるまでの時間だ。

 言い換えれば、ISの展開速度は人間の反射速度を超えない。

 

 腕や足など、ISの一部分だけを呼び出す技術は部分展開と呼ばれる。単に呼び出すよりも集中とイメージを要する高等技術だった。

 

 竹刀が直撃するまでには一瞬しか時間がなかったはずだ。

 その僅かな間にイメージを完了させて、困難なはずの部分展開を成し遂げる。代表候補を名乗るだけの、あるいはそれ以上の実力があることを、鈴音は証明してみせたことになる。

 

「……ていうかさ、今のやつ、生身の人間だったら本気で危ないよね。

 あたしさ、やるにしても口喧嘩で済ませようって思ってたの。()()を渡されてる身だから、尚更ね。

 そっちはどうなの? いざとなったらそれでブチのめしてハイ解決……とでも考えてた?」

 

「う……」

 

「ま、どうでもいいけど」

 

 鈴音の当然の指摘――しかし事の始まりは彼女にもあるのだが――に、箒はバツが悪そうに肩をすくめて、数歩下がってしまった。

 そんな箒を横目に、鈴音はこれ幸いとISを解除しながら一夏に向き直って、ニコリと笑顔を浮かべた。

 

「ところで……さ、一夏」

 

「な、なんだ?」

 

「あのときの約束、覚えてる?」

 

 約束。

 生まれてこの方約束というやつは何度もしてきた。

 しかし、大抵そういうのはすぐに果たしてしまうことが多かったので、数年越しに確かめられるようなものは珍しく、すぐには思い浮かばない。

 一夏は自分の脳内検索エンジンに「鈴 約束」と打ち込んで、その結果を片っ端からかき集めて――、

 

「約束……」

 

「うん、覚えてる……よね?」

 

「約束ってアレだよな」

 

 ――あ、思い出した。

 

「鈴の料理の腕が上がったら、毎日酢豚を――」

 

そうっ! それそれ――」

 

 約束。

 それは小学校の頃に結ばれた、幼い思い出。

 一夏はそれを忘れていなかった。中学に上がり、そして別れてから今日まで数年。今こうして尋ねても、彼は覚えていてくれたのだ。

 鈴音はそれが何よりも嬉しくて。

 

「――()()()()()()ってヤツだよな」

 

「……は?」

 

 場の空気が素早く凍っていく。

 時間はどこまでも緩慢で、鈴音は自分だけ重力が数十倍に跳ね上がったような気分になった。

 

「いやだからさ、鈴が料理できるようになったら、俺にご馳走してくれるって約束だろ?

 いやあ、鈴の実家の料理マジで美味かったから、また食べられると思うと懐かしさと嬉しさがさぁ……」

 

 散々期待を煽るような演出をしておいて、結局は同じ絵柄が2つしか揃わなかったスロットのように。

 しっかりアームで獲物を掴んで安心していたところで、いざ持ち上げた瞬間に不自然な揺れで取り逃がすUFOキャッチャーのように。

 

 ハイ残念、また挑戦してね。

 鈴音の期待は無惨にも裏切られた。

 

 ――バシンッ!

 

 台パンの一つでもしてやりたくなった。

 もちろん、メダルも景品も出ては来ない。約束を覚えていてくれた大好きな幼馴染の姿も。

 

「……へ?」

 

 一夏は自分がなぜ殴られたのか理解できず、呆然としている。しかも目の前で鈴音が顔を真っ赤にしながら身を震わせているのもセットである。

 

 鈴音は何かをこらえるように唇を噛んで、息を荒げて拳を握り、怒りに満ち満ちた目で一夏を睨んでいる。

 理由は分からないが、何か自分は悪いことをしてしまったらしい……それくらいの考えが出来ないほど、一夏の情緒は死んでいない。しかし、問題は、自分が何をしてしまったのかということで、それが分からない一夏は依然困惑するほかない。

 黙っていても始まらないので、とりあえず声を掛けてみることにした。

 

「あ、あのだな、鈴……」

 

――最ッッッッッ低! 女の子との約束一つマトモに覚えてないなんて、男の風上にも置けないヤツ! このバカ! 坏蛋(huài dàn)*1! 犬に噛まれて死ねッ!」

 

 鈴音の行動は素早かった。

 突然に駆け出して、一夏たちの部屋のドアを力一杯開けて、それから叩き付けるように閉めて去っていった。ドアの音は思ったよりも大きくて、それで一夏は我に返った。

 

「マズい、怒らせちまった……」

 

 あそこまで言うのだ、確実に自分が悪いのだろうと一夏は理解する。

 何より、走り出す直前の鈴音の目元に、涙が浮かんでいたように見えた。

 

 女の子を殴ってはいけない。

 女の子を泣かせてはいけない。

 自分の中にあるルールを、一夏は破っていた。

 

 今すぐにでも追い掛けてやるべきか……一夏がそう思ったところで、箒が先程から一言も発していないことに気付いた。

 

「箒、大丈夫か……?」

 

「私は、わたし、は……」

 

 箒は、折れた竹刀を持った自分の手を見つめて、震えていた。

 ぼそりと漏れた言葉は、一夏への返事というよりはうわ言や独り言の類に近い。

 こちらも放ってはおけない状況だが、対処に困る。

 

(ど、どうしよう……)

 

 途方に暮れた一夏は、とりあえず床に散らばった竹刀の欠片を片付けることから始めた。

 箒の様子を見つつ、それから鈴音も探しに行く。一度に追うウサギは一匹で良いのだから。

 

 


 

 

 惨めだった。

 

 

 購買で買ったゼリー飲料をちうちう啜りながら、鈴音は学園内のベンチで俯いていた。

 

 あんな事があった手前、食堂に足を踏み入れる気になれず、仮にそこで何を食べても美味しく感じるとは思えなかった。

 現に、舌に触れる生暖かいゼリーはひどく無味に思えて。

 

「……ひどすぎるよ、こんなの」

 

 確かに、自分に非があったのは事実だ。

 いきなり部屋を代われなんて無茶、通ると考えるほうがおかしい話だし、少々煽りすぎた部分もあった。

 

 けれど、あの女は気に食わない。

 既得権益とばかりに一夏の横で笑みを浮かべ、気に入らないことがあれば目の前で一夏に肘鉄を捩じ込んで、あまつさえ一夏がいるのを気にせず竹刀を振るってみせた。

 自分がいなければどうなっていた? 一夏は後頭部をかち割られていたか?

 

 その挙げ句にこの結果である。

 一夏は、自分の知る一夏ではなくなっていた。

 自分の最も覚えていてほしかったものを、覚えてはいなかったのだ。

 

 過日。小学校時代の恋慕を、素直になれない自分がどうにかこうにか丸めて纏めて形にした、約束。

 中国に数多いるISパイロットたちの中で、一人抜きん出て学園行きの切符を手にできたのも、この約束を果たす思いがあってものだった。

 

 1月に見つかった男性操縦者「織斑一夏」。

 その名前をニュースと政府のいけ好かない男たちの噂話で聞いてから、単に才能を振り回すだけだった自分に努力の方向性が生まれた。

 評価の並んでいた数名の同期を片っ端から薙ぎ払い、何としてでも学園に行って一夏と再会する。そのために必要なことを虱潰しに試した。

 元来天才肌だった鈴音が意識的に努力という行為をしたのは久々のことだった。

 

 それがこの結果である。

 こんな酷い思いをしたのは、イジメを受けていた小学校時代のあの時以来だろうか。

 あの時は一夏が自分のことを救い出してくれた。

 けれど、今日は一夏とのことでこんな目に遭っている。

 

 惨めだった。

 

 

 

 

 ――だいたい、小学校時代の幼馴染なんてガキのオママゴトの関係じゃない。

 

 ついさっき、自分の口から(マロ)び出た恐るべき音の羅列。

 「小学校低学年のガキ臭い関係しか知らないお前に、一夏の何が分かる」と言ってやるつもりの言葉だったが、今やそれはブーメランとなって鈴音の肩口に深々と突き刺さっている。

 

 日本の言い回しでは、「毎日味噌汁を作る関係」というのをを結婚の暗喩として使うらしい……当時の鈴音はある種の早生(マセ)ガキで、一夏への恋心を素直に表現出来なかった彼女は、良い方法はないかとアレコレ探し回っていた。

 その度に顔を真っ赤にするくらいにはウブでもあった。

 

 中華料理店の娘だった鈴音は、いずれは店主である父を継ぐべく、幼いながらも料理の修行をしていて、何よりもの得意料理が酢豚である。「まだ金が取れるレベルじゃないな」と父に諌められつつ、しかしいつの日か自分の料理を一夏に食べてもらうのが夢だった。

 そして古本屋でたまたま見つけた漫画に載っていた「僕のためにミソ汁を作ってください」というセリフを見たときは、背筋に電撃が走るような感覚があった。

 これだ。これで行こう。

 

 思い立ったが吉日、とは言うものの、流石の鈴音でも即行動とはいかなかった。勇気が出なかったのである。

 その言い訳のように、一夏への告白を延々とシミュレートして、まだその時じゃないと、シチュエーションから細かい言い回しまで粗を探し続ける毎日。

 それでも楽しかった。

 

 いざ言うにしても、日本の料理じゃ面白みに欠けるし、何よりテンプレ通りは気に食わない。

 あたしの、あたしだけの方法で一夏をモノにしてみせたい鈴音が考えた精一杯の約束はそうして生み出された。

 

『もっと料理が上達したら、毎日あたしの酢豚を食べてくれる?』

 

 当時、一夏にどんな返事をされたかは、実のところ覚えていない。言葉を繰り出すだけでいっぱいいっぱいだったから。

 けれど少なくともそれはネガティブなものではなかったはずで、だからこそ鈴音は期待して努力を重ねた。

 

 ――だいたい、小学校時代の幼馴染なんてガキのオママゴトの関係じゃない。

 

 小学校時代の約束を未だに大事に抱えている自分が、よりによってコレを言ってしまった。

 自分で考えた自分の言葉だからだろう、リフレインが止まらない。そして、その度にどこからか飛んできたブーメランが自分に深々と突き刺さって、見えない傷口がじくじくと痛むのだ。

 

 惨めだった。

 

 

 せっかくの約束を最低の形でうろ覚えしていた一夏がどう考えても悪い。そう思いたい鈴音だが、一度言ってしまった言葉はそう簡単には死なない。撤回できない。

 今一番怒ってやりたいのは一夏ではなく自分だ。

 

「は、ははは……」

 

 声を振り絞って自嘲してみる。

 空腹で胃がキリキリ痛んだ。ゼリー飲料1本では育ち盛りの娘――体格はこれから成長する予定――を満足させることが出来ないのは、中国での訓練時代に散々思い知らされたこと。

 

 だらんと上を見上げれば、LED式の街灯からの鋭い白色光が網膜を貫きに掛かる。その向こうの虚空も真っ暗で、自分の心みたいだった。

 

 空腹と眩しさで余計に自分が惨めになっていく。

 

「……はあ」

 

 このまま身投げでもしてやろうか、と考えられるほどの爆発力は鈴音に残っていない。かと言ってこのまま何もしないでいるのも辛い。

 同室のティナには一夏の部屋へ行くと言っているし、今戻っても見せられるような顔ではない。 そして、今さら一夏(あのロクデナシ)が探しに来てくれると期待できるほど、鈴音の脳内はお花畑ではない。

 そうだ、ロクデナシは自分もだったか。

 

 自販機でも探すか――鈴音が周囲を見渡したとき、彼女の耳が微かな音を拾った。

 

 

 キィィン、という機械の駆動音と空気を切り裂く音を混ぜたようなもの。

 鈴音には覚えがある、というか、自分の訓練でそんな音を響かせながら飛び回っていた。

 

 真っ直ぐ安定して飛ぶのと違って、短期間に方向転換を繰り返すから、その音は途切れ途切れになる。

 聞こえてくるのもそんな感じで、自然と鈴音は音から飛び方を想像してしまう。恐らく相当に激しいはずだ。

 

 周りを見回しながら、その音の方を見てみると――不思議なことに近くのアリーナ、その天井が輝いている。ISを安全に運用するためのエネルギーバリアだ。

 

 当然、誰かが訓練をしているのならあって当たり前のものなのだが、問題は今が夜9時の門限を過ぎた時間であるということ。

 昨夜ティナにあれこれ聞いた所、学園では安全のために夜間のアリーナ貸し出しは行われていないという。

 にも関わらず、いまアリーナのシステムが稼働しているとすれば、使っているのは誰だろうか。

 

「まあ、誰でもいいか……」

 

 重い腰を持ち上げて、鈴音はベンチから立ち上がる。

 誰かが使っているのなら入れないということもないだろうし、アリーナになら自販機だってあるだろう。

 最悪スポーツドリンクでも良いから腹に入れたい鈴音はヨロヨロと足を進めた。

 

 

 

 

 ――ギィィィィ、ギュイッ、ズォォォッ。

 

 入口の自販機で無事に手に入れた熱々のコーンスープの缶をハンカチで包みつつ、観客席までやってきた鈴音が見たのは、常軌を逸した景色だった。

 

 アリーナの中で飛び回っているのは、1機のIS。

 それはあまりにも速すぎて姿を追うことが出来ない。けれど、一瞬だけ眩いナイター照明に照らされたそれが灰色ということだけは分かった。

 

 スラスターから尾を引く青白い光が残像となって、アリーナ一杯に複雑な線で構成された図形を形作っている。

 酔っ払った蜘蛛――カフェインを飲ませると蜘蛛は酔うらしい――が張った巣みたいな。

 

(え、なにこれ……)

 

 ISにはPICという慣性制御機構があるとはいえ、幾らなんでも機動が滅茶苦茶すぎる。

 慣性Gだって完全に消せるわけではないのに、あんな動きを繰り返せばパイロットの健康に関わる。後でISスーツを脱いでみたら、たぶん肋骨の辺りに圧迫痕が浮かび上がるはずだ。

 第一、パイロット自身が苦しくて止めたくなるはずで、それは似たようなことをやろうとした経験のある鈴音でも分かることだった。

 とにかく無理やり鋭角ターンを行う機会を作っては、その通りに方向転換を繰り返しているような。

 

(何よこの連続ターンは……一体何を目指しているっての!?)

 

 ぶんぶんと機体を振り回して、時折プラズマの爆発が置き去りにされていく。

 何か仮想敵を用意して戦闘を行っているにしては過剰な振る舞い。回避には事欠かないだろうが、あんな動きで狙いが定まるものだろうか。

 

 好奇心が抑えきれない鈴音は、ついに自分の専用機を部分展開して、目の前のISに通信を試みることにした。

 どうせ起動信号で学園にはバレるだろうが、せめてもの抵抗として個人間秘匿回線(プライベート・チャネル)を使う。

 

「ねえ、そこのIS……のパイロット、何してるの?」

 

 声を掛けてから、1、2、3……何秒待っても返事はない。

 集中し過ぎてこちらの声など聞こえてないのだろうか……鈴音が諦めて自分のISを解除しようとしたとき、突然灰色のISがアリーナの中央に停止した。

 顔面を覆う群青のラウンドバイザーがキラリと光を放って、数十メートル先の鈴音は見据えられたような気がした。

 

『……どなた?』

 

(――え、男!?)

 

 意外にも聞こえてきたのは男の声だった。

 ISを動かすことが出来て、一夏とは違う、少し暗い声。鈴音には聞き覚えがあった、それもつい最近。

 

「あの、あたし、2組の凰 鈴音(ファン リンイン)。昨日は地図、ありがとうね」

 

 地球上の人類数十億の中で2人しか確認されていない実例の片割れ。ここへ来るまでは一夏のことしか頭になかった彼女にとっては、ハッキリ言って彼の付属品くらいにしか思っていなかったが、かと言って恩を忘れるほど落ちぶれたつもりはない。

 

 沢村ショウ。噂では希少な適性値Sとしての側面も持つ男。可能ならスカウトしてきてくれといけ好かない政府の男にペコペコ頼まれたのを覚えている。

 従ってやる気は微塵も無かったが。

 

『グランゼーラの、沢村 ショウです……というか、そんなことあったっけ』

 

「あったから礼を言ってんのよ……。それで、こんな時間に何してんの? 夜はアリーナって使えないって聞いたけど」

 

『織斑先生の許可なら取ってある』

 

「ああ、特例ってワケね」

 

『そっちは何を? 門限、過ぎてなかったか』

 

「あー……、ちょっと、ね」

 

 ショウの駆る機体は珍しいことに全身装甲で、ISなら大抵持っているはずの非固定部位(アンロックユニット)が無い。言ってしまえば古めかしいデザインのこの機体で、ついさっきの機動をしてみせたというのが信じられなかった。

 

「……ねえ」

 

『なんだ』

 

「ショウは……さ、昔の約束って覚えてる?」

 

『約束……』

 

 何となく呼び捨てにしてみたら意外とすんなり受け入れてくれたらしいショウは、考え込むように黙って、数秒して口を開いた。

 

『覚えてねえ……けど、あった気がする。何か、大事な……ダメだ、今はそんなこと考えられる頭じゃねえや』

 

「……そっか。あたしさ、小学生のときに一夏と約束してたんだよね。で、それをさっき本人に覚えてるかって聞いたらさ、滅茶苦茶な覚え方されてて。それじゃ忘れてるのと変わらないじゃないかって悲しくてさ、こんな気分のまま寮に戻る気が起きないの」

 

『一夏もそういうとこあんのか……その約束って?』

 

「……誰にも言わない?」

 

『言う相手がいないな』

 

 話してみると思いの外心が軽くなったことに内心驚く鈴音だったが、かと言って幼い頃の恋心を会って1時間も経っていない相手に晒すのは気が引けた。それこそ、膿んだ傷に無闇矢鱈にメスを入れるような。

 

「……ホントに?」

 

『じゃあ人を連れてきてくれよ。その人に話すから』

 

「絶ッ対連れてきてやんない……はあ。

 まあ、ちょっとした告白みたいなものよ。漫画にあった言い回しを使ってカッコつけたの」

 

『……最近の小学生ってのは、頭が良いんだな』

 

「なにそれ、喧嘩売ってる?」

 

『いやさ、漫画とか本とかから言葉借りてきて使おうなんて、当時は思わなかったから。一夏だって、何となくは覚えてたんだろ? 俺、小学校時代の記憶なんて全然ねえし』

 

 どこか呆けた様子で呟くショウの声は、どこかさみしげで。

 ささくれた鈴音の気分も釣られてなだめられるような気がした。

 

『まあ、ちょっとでも覚えてるってことは、少なくとも脳内では大事だと思ってるってことなんだし、思い出すキッカケでも作ってやれば良いんじゃねえの。

 話せば応えてくれるよ、アイツはいい奴だから』

 

「キッカケ、かあ……」

 

『――悪い、そろそろテストに戻るわ。遅いんだし、アンタも早く戻れよ』

 

「ん、そうする。聞いてくれてありがとね、そっちも頑張って」

 

 それ以上の返事はなかった。

 ショウはすぐに飛び上がって、アリーナにはまたスラスターの音が響いている。鈴音は未だに開封していないコーンスープを持ってその場を後にした。

 缶は素手で持てるくらいに冷めていて、その後当然のように待ち構えていた千冬からのお叱りの際に没収された。

 

 


 

 

「――で、今日の分は終わりか?」

 

「時間切れなだけだろ。やれるならまだ続けたいが」

 

「これでも色々無理を通してるんだ、諦めろ。

 ……真面目な話、何があった?」

 

 日付の変わった寮長室。

 テレビ前のソファーで晩酌をしている千冬の横で、ショウは何かの資料が映されたタブレットとスケッチブックを並べて凝視している。

 

「何とは」

 

「この前の出張のことだ。地震に巻き込まれたのは気の毒だが……自覚あるか? それじゃ納得できないくらいにはひどい顔してるぞ、お前」

 

「地震のことはもう終わったことだ、もう気にしてない。今はそれよりOF-3の……」

 

「――機体の調整に時間が掛かっているとは聞いたが、もうずいぶん無茶苦茶に動けているじゃないか。ハッキリ言って心配になるくらいにな。

 アレ以上に何をする必要がある?」

 

「心配掛けてるのは悪いと思ってるが、それでもやらなくちゃいけないんだ。俺の、成すべきことだから」

 

 分からんやつだな、と呆れ気味の千冬は、目の前のローテーブルに置かれたリモコンを手にとって、テレビを数回操作した。それからショウの肩を小突いて、画面を見るよう促す。

 

「……なんだよ」

 

「まあ、見ろよ。他の先生に録画してもらったやつだ」

 

 

『――それで、助けてくれた人はどんな感じだった?』

 

『あ、えっと、その……』

 

 画面に写ったのはニュース番組のワンシーン。先日の地震で助け出された人へのインタビューのようで、アナウンサーからマイクを向けられた男の子が、顔を赤らめながら言葉に詰まっている。

 

『……うーん、ちょっと恥ずかしかったかな。それじゃ、その人はお父さんをどうやって助けてくれたの?』

 

『クルマが動かなくて、お父さんも起きなくて……水色のお姉さんが引っ張り出してくれたんだ!

 そのあとまた揺れが来て……そこに灰色の人が飛んできてブンブンって、カッコよかった!』

 

『そっかそっか~。じゃあ、最後に助けてくれた人にメッセージあるかな』

 

『水色のお姉さんと灰色の人、ありがとう!』

 

 

 映像は短く、そこで終わった。気付けばスケッチブックに目線を戻していたショウに、千冬は笑みを浮かべて言う。

 

「灰色の人というのはお前のことだろう? 楯無からも色々聞いている。

 お前は成すべきことをやって、それで褒めてくれる人もいるんだ、たまには自分を認めて休んでも良いんじゃないか」

 

「それは――死ぬときまで取っとくよ」

 

「不吉なこと言うなよ」

 

「……ごめん」

 

 千冬は没収したコーンスープの缶をあおった。粒が多くて、後で引っ掛かりそうだった。

 

 


 

 

こんかいのまとめ

 

 

 

・一夏

 

 何を間違えちまったんだろう。

 鈴の料理が美味かったことがとにかく印象に残っていたせいで記憶がそっちに引っ張られちゃった。

 危うく性癖をバラされかけた被害者。

 

 

・箒

 

 過熱した諍いは、ついに危険な領域へと突入――した結果がコレ。

 一夏を殴りかけてしまったことを指摘されたのがクリティカルヒットして、自己嫌悪でダウン中。

 こんなはずじゃなかったのに。

 

 

・ショウ

 

 已んぬる哉。

 昔のことなんて、もうあまり覚えちゃいないけど。

 忘れてるってことは覚えているべきでないことなんじゃないかな。

 

 

・鈴音

 

 こんなはずじゃなかったのに。

 昔の恋心だけに譲れない約束。自分で掘った墓穴はずいぶん深くて。

 曲がりなりにも恩人であるためか、ショウへの態度は柔らかめ。

 

 

・千冬

 

 人類最強からは逃れられない。

 監督者がいないのにショウがアリーナを使えるのはこの人のおかげ。それなりに信頼してるんだから、もっと色々打ち明けてくれても良いんだぞ。

 ところで録画の男の子はなんであんなに恥ずかしそうなんだろうね?

 

*1
罵倒語。「悪人」「ろくでなし」などの意。




 次はちょっと違う話をします。

 原作まんまと言えばその通りなんですけど、個人的に思う所があってフォローしときたかった酢豚展開。
 その場の流れで出てきた相談シーン(?)にもあるように、オリ主は一夏大好き人間です。それこそ無条件レベルで。

 主要キャラを感情の火薬庫に仕立て上げておきたいが為に陰鬱な展開が続いておりますが、点火にはもう少しだけお待ち下さい。
 湿気てんだよね、この作品……。

 どうでもいいことですが……自然数の中で26というのは特別で、唯一平方数と立方数に前後を挟まれた数だったりします。

戦闘シーンは……

  • なんぼあっても困りませんからね
  • 戦ってねえで話進めんしゃい
  • そんなことよりおなかがすいたよ
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