Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
偉大なる輝きを持つ者。
其はもう一つの戦神。
アグニに伍する熱。
母を隷属より解き放つ翼。
汎ゆるナーガの敵対者。
例によっていつもの白い景色。
直前まで何か……大事なことをしていた気がするが、そんなことより。
「でっけえ……けど、なんだ? これ……」
自分の背丈と感覚から考えて、高さと奥行きは10mくらい、長さは20mくらいありそうだ。全く信用できない測量なのはこの際気にしない。
これだけ大きいはずなのに、俺はこの見上げるような物体を「物体」としか形容できない。これがある場所だけがピンボケ写真みたいな感じで細部が見えないからだ。
薄っすら、赤い色をしているのだけは分かる。
他の情報を求めて、俺はそれに近付いてみる。
触り心地は……ざらついている。塗装剥げみたいな質感だ。
「ノックは……ああそうだ、音がしねえんだったわここ」
裏拳でコンコンとその表面を叩いてみるが、固いものにぶつかった感触以上のものは得られなかった。
忘れていた。ここでは音の類はほとんどしない。手を叩いたときぐらいしかしなかったっけか。
「赤と言えば……」
俺は何となく右を向いた。
いつもの彼女(?)、とでも言うべきか、真横に白い人影が立っている。そもそも女型なだけで性別なんてあるのかすら分からないんだけど。
こんなに近付いたのは初めてだったろうか、背丈は俺の肩くらいで、思ったより低かった。
「ナチュラルにいんのな、お前……」
後頭部に弾けるような衝撃。
気に入らないと暴力に走るのは相変わらずか。でもびっくりしたんだもん。
赤と言えば、コイツの持っている鞠だ。
ボヤけたこの物体と同じような色だったのを覚えている。
「なあ、これって、お前が持ってきたものか?」
額に軽い衝撃が弾けて、つい目を瞑ってしまう。「いいえ」の意思表示らしい。
一瞬見えた鞠も見知ったやつだ。どこから飛んでくるのかはもう気にしないことにした。
「じゃあ、これって俺に関係するものか?」
スペースが無いせいか、突然目の前に鞠が出現する。咄嗟に両手で捕まえた。
先程のようにぶつけてこないということは、「否定はできない」といったところだろうか。
「はい」と「わからない」が一緒なのが分かりづらい。
「じゃあ、こいつが何か分かるか? 俺にはボヤけて見えるからよく分から――」
俺が口を動かす横で、いきなり白い手が伸びてきた。
機械的な印象を受けたこれまでの振る舞いとは真逆。力強くこの物体の表面を掴むように指を動かして、それから引きちぎるように素早く腕を振るう。
一瞬にして物体のボヤけが消え去って、クリアな詳細が目に飛び込んでくる。
残骸だった。
灰色と赤でペイントされた、機械の残骸。
「なんだこれ……」
俺は数歩退いて、その全体像を改めて視界に収めようとした。
角張った中央部分から手前に伸びてきている平べったい部分は恐らく翼。
後ろの方は銀色の部分が多くて、過半はひしゃげている。けれど、欠けた円錐形のパーツは恐らくロケットエンジンの一部だと思う。
それとは反対側には、多分コクピットブロックだろうか。試験管のように細長い群青色のキャノピーは酷く割れていて、その中に1人分の座席。
少し離れた位置に落ちている、2本の砲身が生えた巨大な赤い球体……あれ、コイツには見覚えがある。どこで見たんだっけ。
状況を総合して俺の頭に浮かんだのは、SFチックな宇宙船。
あるいは、
妙だ。こんなもの、俺は見たことないのに。
「ここ暫くSF作品なんて触ってねえんだけど……あっ、おい!」
ぼうっと見上げる俺の前で、白い人影が驚くべき身軽さで残骸をよじ登っていく。
それから件のコクピットの中に立つと、こちらを見つめながら、そこを指差した。
「『そこまで来い』って……?」
人影はゆっくり頷いた。
待ってくれ。お前は蹴鞠じゃないと意思表示しないんじゃなかったのか。
残骸の凹凸に足をかけてよじ登る。
ボルダリングやロッククライミングの心得なんて無いし、身体を引き上げる度にふわふわと浮かび上がる感覚がして気味が悪い。
このまま落ちたら死んでしまうのだろうか。確証の持てないリスクに怯える俺を、人影はずっと見ているだけだ。
そうして辿り着いた操縦席は、黒い大型の座面の左右に一対の操縦桿と目の前に液晶の割れた画面が取り付けられた、まさしくSF仕様の代物だった。シートの背面からは機械の本体に向かって無数の太いケーブルが広げた両手指みたいに伸びている。
割れたキャノピーからは、一面の真っ白い景色がいつもよりも広く見えた。ここまで高い位置に立ったのは初めてだ。
「……座れば良いのか?」
また頷かれた。
言われた通りに座ると、人形は目の前のディスプレイに両手を触れる。
直後、突然点灯した画面一杯に文字列が映った。ただし、砕けた画面の中から読み取れる文章はほとんどない。
そして同時に、脳内に何かが流れ込むような感覚。
一番近いのはサイバーコネクタを使って、OFと繋がったとき。それも一番深いレイヤー3。
暴力的な情報の奔流に気が遠くなる気がした。
声が聞こえた。特徴のつかめない、聞いたことのない声だ。
いや、聞こえるというよりは、直接頭に流れ込んでくる。日本語かどうかさえ怪しい、意味だけが湧き上がってくるような。
白む視界の中、横に立っている白い人影が覗き込んできていた。あまりにも白すぎて、輪郭が読み取れない顔面。不思議と不気味さは無い。
喋りかけているのは、お前なのか?
単純な質問。
答えは昔から変わらない。
あの日、無力に頭まで浸かったあの瞬間からずっと、消極的で否定的で後ろ向きな望みが、1つ。
だから、応えることにした。
「俺の、望みは――」
「――それでさ、今後のためにもクーちゃんに使い方を覚えてて欲しいんだよね」
「束さま、経験の無い私ではいきなり手を出すには問題があるのでは……内容が内容ですし、取り返しの付かないことをしてしまいそうで、不安なのです」
地球上のどこか。
乳白色の塗料で整えられた壁と天井は金属製で、LED式の間接照明が柔らかく内部を照らす一室。
「大丈夫だって、そんな操作ミス如きでおかしくなるようなヤワな作りしてないもん。天才を信じて欲しいね。
それに、シアちゃんだって弱っちい人じゃないし。まっ、どーんと行こうよ」
「そうは仰いますけど……」
部屋の中央に置かれた棺のような機械を挟むように2人の女性が立っている。
一人は天災、篠ノ之束。不思議の国のアリスの主人公から剥ぎ取ってきたかのようなエプロンドレスをふわりと揺らしながら機械の中を覗き込んでいる。頭に付けたメカニカルなウサ耳がカクカクと動いた。
もう一人は束の娘、クロエだ。束と同じくらいの背丈に、腰まで伸びた銀髪。黒い花を象った髪留めを付けた彼女は瞑目したまま、困った表情で束を
クロエが怯えるのも無理はない。これから行われようとしているのは、ヒト一人の脳に対する直接の干渉だ。
悪名高きロボトミー手術のように、外科的に頭蓋を切り開いてどうこうといったことはしないが、電極から脳に信号を流し込んで人為的に覚醒状態に持っていこうというのだ。下手をすれば脳が焼き切れる。
束謹製の新型の目覚まし装置。作った本人からすれば完璧でも、傍から見れば綱渡りよりも危なっかしい。
「まあまあ、やってみそ?」
やることの重大さに反して気楽な束は、空間を小突くようにして生み出した空中ディスプレイのウィンドウを一つ、クロエの方に動かした。何かのコンソールのようだが、部外者には使い方など皆目検討が付かない代物だ。
クロエはそれに手を触れて、事前に言われた通りの手順を実行し始めた。
「サイバーコネクタ起動……レイヤー3での通信確立。脳深部覚醒管理デバイスへアクセスします」
「いいよいいよ~、そのまま」
「アルファ律動の増幅を開始、心拍数の上昇を確認。体温も上昇……よし」
『ん、んんぅ……っ』
不安げに空中キーボードを叩くクロエの前、装置の中から女性の声がした。ニンマリ笑顔でクロエを見つめる束のものではない。もっと、寝起きの人のような……。
ガシュっ、という排気音と共に装置の天面が開かれて、その中身が曝け出される。
民族衣装みたいな大きな2つの目玉模様が特徴の仮面を付けた女性――シアが身を捩らせながら起き上がった。
「おっは~! シアちゃん、元気? 新型目覚まし”Wake up, Joseph!”の感想はどう?
シアちゃんの見立て通り、
「あぁ、束……悪くはありませんでしたよ。悪夢も見ませんでしたし。
その様子だと、クロエ、貴女が起こしてくれたのでしょう? ありがとうございます」
クロエは小さく会釈して、シアに手を差し伸べて抱き起こした。
シアの起伏の多いボディラインをまるで隠そうともしないデザインのISスーツは、少しひんやりとしていた。
「あ、シアちゃん、お目覚めのハグさせて~~んぎゅっ!」
「変わりませんね、貴女は……」
装置の縁に座るシアを束が抱き締める。まるで甘えるように首筋に顔を埋める束を優しく抱き返して、そして蚊帳の外にされていたクロエの頭を撫でた。
母、親友、姉妹、恋人……そのどれにも該当しないながら、強い繋がりが3人の間にはあった。
「――それで、C2が動いたということは……束、
「概ね間違いないと思うよ。けど、他のRシリーズにも組み込むにはその場でデータを吐き出させないと難しいかな。やっぱり現場仕事は必須みたい」
「そうですか……リプリーズの準備はどうなっていますか?」
「整備は万全だよん♪ あとはシアちゃん次第かな。2週間くらいとはいえ、寝てたから鈍ってるでしょ? 用意は出来てるから、早速リハビリといこうよ」
その後程なくして、部屋から続く廊下にはカツンコツンという金属質の足音が3人分響いた。
たとえば。
古来「水」とは神秘の象徴だ。
たとえば、イエス・キリストは泉の上を歩いてみせたし、或いは水を上質なワインに変える奇跡を成したという。
たとえば、マハーバーラタでは乳海という大海原をかき混ぜることでアムリタという不死の霊薬が生み出された。
たとえば、アステカ文明では雨そのものをトラロック神として崇め、ヒトの手の及ばぬものとして扱っていた。
例を挙げればキリがない。
水とはあらゆる生命にとって必要不可欠であるがゆえに、人はそこに神性の類を見出した。だから、水に触れることは、同時にそれが内包する神秘に触れることでもある。
現代、人類はダムの建設や灌漑設備の構築、海水の脱塩化などの技術により、より安全に水と関われるようになった。しかし、今なお洪水や豪雨、干魃、津波など、水に関わる災害は消えることがない。
ゆえに水とは、未だ神秘の手にあって、人類の支配下にある概念ではない。
そんな水を探すとき、ダウジングにしろ、地質学的な探索にしろ、何かしらの知識が必要だ。闇雲に穴を掘ったところで井戸水は湧かないし、ときにそれは墓穴になりうる。
広大な砂漠でむやみやたらにオアシスを求めたって見つかる望みは薄いし、それなら動物の類を見つけてそこから摂取した方が実現性がある。
知識も道具も、機会も無いのなら、その時は神にでも縋らねば、それは得られない。
そうして水を見つけられずに困り果て、天を見上げた顔に雨粒が触れたとすれば、微かな川の音を聞いたのなら、あるいは、何気なく掘った地面から水が染み出したのなら、それは天運で、まさしく神秘だ。
有史以来、概して水源とは視界と思考の外側にある、授かりものなのだ。
OF-3を与えられてからの数日、あるいは重ねて永劫。ショウは今日まで探し求めてきた。それが何であるかは今なお分からない。けれど大事なもの。いつ来るかも分からぬ期日までに揃わねばならぬ、翼を象る力。
手を伸ばせば伸ばすほどに形を変えて、それが答えであるか分からなくなるもの。
それは水や霞に似て流動的で、ゆえにショウはOF-3に身を預けることができなかった。
そんな終わりのない霧の中を当てもなく彷徨い、突然に水は来る。雨が。
遠いどこかで羽ばたいた白い蝶が、巡り巡って爆ぜるような大嵐を呼ぶように。
何が原因で何が結果に繋がるのか誰にも解けない、
既に何かは起きていて、どこを見回しても神はいない。
けれど、それは来る。ここに存在する。
三位一体に栄光あれ。
1000年の孵卵の果てに、沢村ショウは、OF-3は、そしてそのコアは、到達する。
――とん。
――ととん。
突如としてOF-3が地上に停止してから数秒後、その地面が叩かれるように跳ねた。
事前の散水で湿り気を帯び、黒褐色となったアリーナの砂地。
その上を、まるで見えない子鹿が跳ね回っているかのように、土を散らしながら不規則な凹みが生まれていく。
(なにこれ……)
大気中のアクア・ナノマシンの分布もおかしかった。
台風の目のような渦巻きに見えて、もっと複雑で歪。前に力学系の文献で見たストレンジ・アトラクターみたいな広がり方。
(特徴的な名前をしていたから、なんとなく名前は覚えてる。あれは、確か……
その中心に、OF-3が重なっていた。
「ねえ、大丈夫なの?」
そして、それで出来る模様も、どこか幾何学的なものを感じる。
数年前に教育番組か何かで見た気がする。海底の砂地を掘って巣を作る魚の、その掘った模様に似ていた。
尋常でないものを感じ取った楯無は、OF-3に近づいて、何が起こっているのかを確かめようとした。しかし、数メートル進んだところで足が止まる。
「うぅ……っ」
全身が熱い。特に、OF-3の方を向いている自分の前面が、まるで焚き火に炙られているかのように熱されている。
即座に温度センサーを確認するが、外気温は27度。小数点以下を気にしなければ実に計算しやすい*1、常温常圧。
ならばと数歩退いた楯無は、OF-3の周囲にあるアクア・ナノマシンに命じる。
「付着せよ」「解析せよ」「応答せよ」。
ナノマシンで飽和したこのアリーナは楯無の支配下にある。
トンネル内で崩落のリスクを推定したときのように、命令は即座に実行される。
──はずだった。
――おおっと、沢村選手動かない!? 突然の故障でしょうか……現在管制室に問い合わせているところですので続報をお待ち下さい。
だが反応はない。
それどころか、干渉のためにOF-3の周囲へ送り込んだアクア・ナノマシンが片っ端から制御を受け付けなくなっていく。
自分の周囲にあるものだけは思い通りに動いたが、逆に言えばOF-3の周りにある奇妙な力場のようなものに巻き込まれたら最後、それは楯無のものではなくなってしまう……そう、宣告されているようだった。
「ちょっと、問題があるなら言って頂戴! 試合を中止して先生を呼ぶ、それで良いわね!?」
「……いいや、それには、及ばない」
今度は反応があった。
苦しげに、囁くような声。しかし、トンネルで聞いたときはまるで違う。
遠くから眩い篝火を眺めているときのような、弱くも芯を感じる声。
突発的な行動の目立つ男は、倒れた状態からゆらりと片膝立ちまで起き上がる。
それとほぼ同時に、楯無の肌を灼く熱感が更に増して、楯無は続けて数メートル退いた。
「……どういうこと?」
「さっき、この機体の名前を考えるとか何とかって話、あったよな」
楯無が試合開始前の、単なる軽口として投げた話題。
ショウは何故か今になってそのことを蒸し返す。
「それが、何か……? そんなことより、その機体、普通じゃないわ。今すぐ降りて調査を――」
「――たった今、外から名前をつけられた」
気の所為だろうか。灰色が大部分を占めるOF-3の装甲の色が、少し先程とは違って見えた。
「名前? 一体誰に?」
「分からない。C2_Admiralって書いてあるんだが……何なんだこれ」
否、気の所為ではない。数秒前と今とで明らかに色が変化している。まるで焼けた鉄のように、緩やかに、しかし確実に、その装甲は赤みを帯びていく。
楯無はISに備わった非接触式の温度センサーを起動して、温度の分布を見る。
この熱感の正体は? この変色の原因は? 今すぐ思いつく限りでそれを確かめる唯一の方法だった。
84度、98度、116度……確かに温度は上がっている。
生身で触れれば火傷は必至だが、ISが試合をする範囲では常識的なもの。赤熱などと言える領域からは程遠い。
なにこれ。
思えばこの男に会ってからずっと、理解出来ないことばかりだった。勝手に動き、勝手に怯え、勝手に不安になり……今度は勝手に機体がよくわからない動作を始める。
放置して良いことだとは到底思えない。
だが、楯無は動けない。一歩でも進めば、骨も残さず焼き尽くされそうな気がした。
「その、C2とやら? からのメッセージを読み上げるぞ。最後に名前が付いてる」
そうして、ショウは祝詞でも読み上げるかのように呟いた。
「
……で、この茶番劇はいつになったら終わるわけ?」
引き攣った笑みを浮かべながら尋ねる楯無の困惑は最高潮に達していた。
完全に置き去りにされている。目の前で一体何が繰り広げられているのか分からなかった。
「俺は何もしてねえよ。生憎とこんな古めかしい英文送り付けられたのなんて、生まれて初めてなんだ。
────いや、しかし、あれ? これ、もしかして……」
片膝を突いていたOF-3、否、ガルーダが立ち上がる。それに呼応するように、落下していたポッドたちが浮かんで、その両肩に収まった。
実況席から心配する一夏たちをよそに、状況は独りでに進んでいく。
ガシャンガシャンと金属が擦れ合う音を立てながら背面のスラスターが数度変形し、それは突然収まる。
――直後、地面を叩いていた土の跳ね上がりを薙ぎ払うように、ごうっ、と熱風が一陣吹き荒れた。
「は、ははは……そうだ、そうだこれか!
勝手にポンと答えだけ寄越しやがって――ああ、すげえ、
熱風の中心でふわりと浮き上がったガルーダの全身は、今や鮮やかな赤色に染め上げられ、元の灰色は大きく面積を減らしている。
顔面を覆うラウンドバイザーは一際強く、煌々と輝いて、全てを見通すようだった。
「そうか、そうか……俺は特大の
「今までのは
脳裏に思い出されるのは、グランゼーラ北陸支部の格納庫に並んでいた灰色のOF-3。量産型の姿というだけあって物足りなく感じたのを、楯無は覚えている。
それから数日、ショウが乗るこの機体は、まるでそれが完成形だったかのように姿を変えること無く存在し続けた。専用機なのだから、普通ならとっくに
依然として常温常圧のはずの大気の
OF-3の頃と違うのは、結局のところ色だけ。姿まで変わるはずの
(なのに、何よこの威圧感……!)
ガルーダとOF-3はまるで別物だ。
直感的に、そうだと分かる。そうだとしか思えない。
目の前で自爆してみせたあの男や、その目に似たショウの表情を見たときとは決定的に違う、ピリピリとしたプレッシャー。
怖気の類ではない。ただひたすらに圧倒されてしまうのだ。
武装が増えた訳でもない。変わったわけでもない。パイロットも依然そのまま。
だから、なんとでもなるはずなのだ。
――そう思った、丁度その時、楯無の脳内辞書が勝手に一つの単語を引いてきた。
(……は?)
いざ筋道を立てようとすると、楯無は自分がどうやって目の前のガルーダを制するのか、まるで想像が出来ない。
先がわからない。
未来が見えない。
(ふざけないで頂戴。だって、私は……!)
だから、今、護るべきものを抱える生徒会長は己に問う。
お前は何者だ。
(……楯無の名を継ぐ者。守らねばならない人のために力を振るう者。そのための、学園最強)
学園最強とは、単に強いというだけではない。学園で起こるあらゆる事象を平定するだけの力を、単身で有するということ。
この沢村ショウという男がどれほど無垢で無辜であろうと、そして、何をしでかすか予見できなかろうと……イレギュラーは許されない。
万人を下す実力の上に、守護者の称号は存在するのだから。
たとえ悪意が無くとも、不幸な力のベクトルが、誰かの……そして自分の大事な人に向かないようにするために。
その事実が、楯無の魂を奮わせる。身を震わせる。
方法が分からなかろうが、知ったことか。勝つのだ。最強は。
ずっと昔から変わらないこと。そして今日、この場においても。
今この瞬間は、力こそがすべてなのだから。
「――で? 続けるの? それともここで投了?」
「もちろん、続ける。
……少々遅れたが、お望み通りのフルスペックだ。最速で踏み込ませてもらうぞ、
ショウは、ワルキュリアの
今、背面のスラスターと装甲をガシャンと変形させて、ショウはレールガンを構えた。
ごうっ、とプラズマが吹き出して、広がる青白い閃光を纏った風は猛禽の翼みたいで。
「あら、そう。それは良かった。なら――、
――墜ちなさいッ!」
いつの間にか制御可能になっていたガルーダの周辺にあるアクア・ナノマシンを一斉に起爆。
慈悲も猶予も一切ない包囲爆撃がショウを襲う。
一瞬にしてショウのいた場所は白い煙に包まれ――、
(疾いッ!?)
――ガルーダの反応は遥か上空にあった。
――ここで沢村選手、堂々復活ッ! 織斑くん同様、男性操縦者は専用機のお披露目で
――よく分かんねえけど、速えッ!
楯無は咄嗟に真上を見る。ハイパーセンサーによる全方位視界があるのにもかかわらず、意識を強く引き寄せられた。
晴天の青空に浮かぶ、鮮やかな赤色。
両肩のポッドが見下ろすようにグリグリと自転していた。
「やっぱりそうだ……加速・制動、思いの
――俺は舞い戻ったぞ、ワルキュリア! お前の
……ええと、ここで沢村選手のISの識別名が変化しているようです。新しい名前は――、
――ガルーダ……? どっかで聞いたような聞かないような……。航空会社でしたっけ?
――マハーバーラタに語られる伝説の鳥ですね。さあさあ、その名に相応しい活躍を見せてくれるのでしょうか?! 第2ラウンドの火蓋はもう切って落とされているぞっ!
「……気に食わないわね、そうやって見下されるの」
「なら、こうすれば満足か?」
ショウはその場でクルリと上下反転、頭を下にする。ガルーダから見て、確かに楯無が上方になった。
だが、それは依然として楯無から見てもそのままで……。
「……最初に会ったときから、ずっとそう。言葉遊びと屁理屈ではぐらかして、勝手によくわからない行動して……! 今日という今日は好き勝手させないから。
――アナタのこと、この場で暴いてやるッ」
楯無はついに苛立ちと敵意を
水面の上を鳥が舞っている。獲物を見据え、狩るために。
「ふ、ふふふ……っ!」
セシリアは両手で自分の頬をそれぞれ抑えた。
口角が勝手につり上がっていくのを止めるためだ。
放っておいたら公衆の面前で晒すには相当に
――帰ってきた!
時間にして僅かに2週間前。
あれだけ苛烈で刺激的な戦いを繰り広げ、しかし彼の乗機が壊れてしまったクラス代表決定戦からは、暦の上でそれくらいしか経っていない。
しかし、セシリアにはそれがずっと前のことのように思えて、もどかしくて。
(あの動き、あの剣捌き、狙撃のタイミング……あの日以上ですわね。ああ、目が離せないっ!)
バリア越しに見えるアリーナの景色は一変していた。
OF-3からガルーダへの変容。結局は色しか違わないはずなのに、そこから再開された試合は、時代が時代なら神話にでも刻まれそうな激烈。
もはや外すことすら無くなったレールガンの狙撃を絶やすこと無く、ショウはそれまで自分を散々追いかけ回した爆発を完全に回避するようになっていた。いや、回避というよりは、ただ自由に翔んでいるだけで、爆発する前からそれが置き去りにされているのだ。
――速い疾いハヤイっ! 沢村選手の神秘的な復活からは僅かに1分、試合はもうシッチャカメッチャカ!!
――すげえ、すげえよショウ! お前が悩んでたのって、これかっ!
――ん? 一夏くん、悩みって一体なんです?
――あー、なんていうか、最近アイツ元気が無くて。聞いてみたら機体の調整が上手くいかないって話だったんですけど……多分、
(……そうでしょう、そうでしょうとも!)
直線で翔んでいたかと思えば、突然真後ろに180度ターン。追い掛けていた楯無へ突撃して、両腕のコンバーター「プラズマフレイム」の火炎を水のヴェールに流し込む。
受け太刀すら許さない速度の猛攻に、楯無は防戦一方だった。
――なるほど、ぶっつけ本番の仕上がりなんて……刺激的でファンタスティック! しかし大丈夫か!? 守ることにかけては他の追随を許さないのが楯無選手、その炎じゃ「効果はいまひとつ」だぞっ!
ああ、疼く。臍下三寸と背骨の辺りが痒みにも似た様子でじんわり熱くなる。
セシリアはこのまま走り出してしまいたいくらいに脳内で暴れ回る歓喜と期待を、どうにかこうにか抑え続けなければ試合を見ることもままならない。
セシリアがそんな大変な事になっているとはつゆ知らず、隣の箒はじっと目の前の様子を眺めていた。
楯無始めアリーナの人間が知ることは出来ない。パイロットのショウでさえ理解しない。
そんな、ガルーダのコアしか知り得ないタネを今明かそう。
事の発端は、ショウがこのOF-3を初めて完全起動させた瞬間。
PICとXICSという2つの慣性制御機構が互いを阻害して、システム全体として不完全であるというのは、コアも挙動の不均一さから判断していた。
それから、OF-3のOSに備わったパラメータ探索プロセスが実行される。
ショウが無理やりな機動を繰り返し、無数の実働データを生み出し続けている裏で、プロセスはコアの能力を計算資源として動き続けた。
しかしそれではまるで足りないことは、実際に計算する側のコアには簡単に分かった。単純に使うアルゴリズムとデータ数の掛け算を処理速度で割ってやれば、1000年掛かっても終わらない膨大な時間が答えとして出てきてしまう。全数探索などしようものなら、宇宙が終わるときまで続くかも知れない。
故にコアは助力を求めた。
OF-3という極超音速機に相応しい、ある程度最適化された、まとまった量の実働データを保有する機体はいないのか、と。
その呼び声に応じたのが、ハワイ上空で邂逅を果たした第3世代機「
ゴスペルはコアネットワークの通信速度では明らかに不足の莫大なデータを、直接の交信でやり取りすることを提案。
しかし、それでも足りない。
結局のところゴスペルのデータはゴスペルのものであって、OF-3に直接適用することは出来ないからだ。使われているハードウェアも設計思想も異なる由来の代物、使うとすれば飽くまでも参考レベルまでが限界だった。
その間にも時間は過ぎていく。ショウは怯え、少しずつデータを増やした。
しかし、肝心のアリーナの使用時間がボトルネックだった。OF-3を操れないのならデータも増えない。その間を埋めるように、ショウは無数の探索アルゴリズムを探してきて、OF-3のシステムに提示した。
だが、結局は気休めに過ぎなかった。
どこまで行っても、OF-3の内部に溜め込まれ続ける膨大なデータを捌いて、適切な解を導くには、尋常な処理能力では足りない。
そして、その最後のピースは、楯無の行動だった。
相手より早くアリーナに待機してナノマシンをばら撒くどころか、ナノマシン入りの水を数時間前から散水しておく徹底ぶり。結果として、アリーナ内はアクア・ナノマシンで充満している。
OF-3の中でも、ショウに与えられたパイオニアモデルには、幾つかの試験的な機能がソフトウェアレベルで実装されている。
その一つが抗ナノマシン機構。ISのシールドバリアとは別に搭載された光学ハニカム式のバリアの表面構造を一定周期でランダムに変動させることで、ナノマシンの付着と動作を阻害する。
これは換言すれば、ナノマシンに対抗できるナノレベルでの力場の制御を可能としているということ。
自機の周辺に限られるが、状況次第ではアクア・ナノマシンの制御をジャックすることさえできるかも知れない。ショウには不可能でも、機体をナノ単位で操るコアならば……。
焼きなまし法という計算手法がある。
熱した金属材料を徐々に冷やしていくことで欠陥を減らす金属工学の焼きなましから取られた方法で、熱運動のようにランダムな解の変動を少しづつ緩やかにしながら目的の結果を取り出す。
得られる解は、単に急冷するときよりも良いものが得られる可能性があった。
今回扱うのは、その更に変種。ナノマシンの濃淡と量子効果まで勘定に入れる代物。
楯無がアクア・ナノマシンを操るとき、それは熱の変動でもある。
加熱され混沌とした初期状態を今のOF-3に当てはめて、そこから2つの慣性制御機構が調和するまで、OF-3がアクア・ナノマシンの濃度分布を制御しながら緩やかに計算を進める。
なんということだろう、計算アルゴリズムの
ここに、
アリーナという暖かく湿った壺の中に、ゴスペルから得た膨大な飛行データと、怯えと焦燥に耐えながらショウが集めた実働データ、楯無が執念で仕込んだ大量のアクア・ナノマシンを放り込んで、一つの卵を錬成する。
儀式は成された。そうして孵った成鳥に、
アリーナの天頂まで上がったところで、ショウは両肩のレッド・ポッドが疼くようにギュルギュルと自転しているのに気付いた。
「……そっか、もう、使って良いんだもんな」
2つの慣性制御機構の同調は成された。
不安定なスラスター制御の面倒を見続ける必要はなくなった。
今のショウは、それに費やしていた思考を自由にできる。
それはもちろん、もっと負荷の掛かることだって。
「――サイバーコネクタの接続規格を変更。レイヤー3へ」
直後、ショウの全身を稲妻が駆け抜ける。慣れた感覚と言えば聞こえは良いが、その実ショウは接続開始時のこれだけは好きになれなかった。
自分の体が一回りも二回りも大きくなったような錯覚。装甲は肌で、カメラは目で、スラスターは……あれ、俺には羽根なんて生えてなかったわ。
今この瞬間、ショウは乗機ガルーダに同化していた。
「……接続確認、ポッド・コンダクターをモード変更。これで手札は揃った……っ!」
ギュンッという耳慣れない音を立てて、ガルーダの両肩の上に浮いていたレッド・ポッドが駆け出した。ポッド本体の射撃機能を無効化し、その分のエネルギーを纏って突撃させるポッド・シュート。
それから、アリーナ壁面の空中ディスプレイに表示された相手選手名を見て、それを読み上げて、言う。
少ない社会経験を総動員してエミュレートする、一応の礼儀。
「――
「ふんっ、いつまで調子付いてられるか見ものね!」
先んじて呼び出していたランス【
弾幕でショウの機動を制限しつつ、
だが最早それは通じない。
確かに、ターンの瞬間の隙は消えたし、機動の鋭さは先程の比較にならない。だが、ここはアリーナ。閉所で出せる速度などたかが知れているし、その点では変わっていなかった。
だから、
その上で、届かない。
観客席からは、水蒸気爆発が全てショウに置き去りにされているように見えるだろう。しかし実際には違う。
(またナノマシンの制御が届いてない……!)
楯無は高速度域で舌を噛まないように、苛立ちに加えて舌打ちまで我慢しなければならなかった。
楯無がどれだけガルーダの間近を狙ってアクア・ナノマシンを凝集させようと、或いはそれがガルーダの移動先であろうと、距離が近付くと楯無の起爆信号が届かなくなってしまうのだ。
ガルーダが離れて、その影響が無くなったところで爆発したって遅いのは誰にでも分かること。
先程の
(――ッ!?)
そんな楯無を両側から挟むように、ショウの放ったポッド2基が突っ込んでくる。
(弾けはする。けど……)
しかしその行く手を阻むのは、楯無が纏う水のヴェール。たった数センチの厚みの中に、深海に匹敵する水圧を込めた強固な被膜。
それがある限り、ショウはレールガンで撃とうが、プラズマフレイムで炙ろうが、今やったようにポッドを突撃させようが、或いはまだこの試合で使っていないコンバーター「反射ボール」に付け替えても同じこと。全て弾かれる。
その証拠に、楯無側のシールドバリア残量は未だに最初のまま100%だ。
絶対の回避と絶対の防御。
相手がOF-3のままなら、まだジリ貧で楯無に分があった。しかし今はどうだろう、有効打というものが一切失われ、互いに1ミリもダメージが与えられない。要するに千日手。
だが、その千日手も楯無の方が不利だというのは、本人が自覚し始めていた。
ガトリングの弾の狙いが、少しずつ鈍っている。
ポッドを避ける回避機動が、僅かに遅れつつある。
何より、一度に出せる
理由は簡単。脳の使いすぎ。
「できる自由」のはずが「やらねばならぬ義務」と化すのは、ある意味どこでもお馴染みか。
そもそも廊下や室内といった「狭い屋内」を前提に運用すべきアクア・ナノマシンを、アリーナという人間サイズからすれば十分に広い空間で大量に使う。しかも短期決戦すら狙えず、休みなく思考制御は続く。
楯無の脳は既に未知の領域へ突入している。すなわち、ここまでの負荷が掛かる状況に出会ったことが無いのだ。
もうそろそろ気分が悪くなってきた。
それを悟らせないように、楯無は吠える。
「――もう気付いているんでしょうッ! このまま続けたって勝負が終わらないってことを……!」
「じゃあその膜、退けてもらおうか!」
「そっちこそ、止まって両手でも上げててくれたら楽にオトしてあげるけど?」
ガルーダの背面のスラスターが変形して、多量のプラズマが撒き散らされる。
ショウによる再度の突撃だ。今度は左手で掴んだレーザーブレードの切っ先を前に向けつつ、柄の先端を右手で包むように抑える、突きの構え。
更にポッドも追従させている。意識を分散させつつの一点突破が狙いか。
だが楯無にとって好機でもあった。
距離を詰めきれない向こうが、わざわざ向かってきてくれるのだ。
(狙わない理由がない。ヴェールの水圧で掴んで、固め殺しにしてやる……!)
楯無は水のヴェールの強度を上げて、ランスを構える。そして――、
────インパクト。
じゅみい゛い゛い゛……っ、という得も言われぬ音を立てながら、レーザーブレードの先端とヴェールが接触する。ブレードの熱量が速やかにアクア・ナノマシンを蒸発させ、しかし即座に代わりの液体が補充されていく。
「そお────れっ!!」
「――うおぁッ!?」
例えるなら、スペイン名物の闘牛のような。
ヴェールに真っ向から突っ込む構えで押しつ押されつのショウの横に、突撃を受ける側のヴェールを置き去りにして横に回り込んだ楯無が蹴りを入れた。
ガルーダの推力と比べれば微々たる力、だが、切っ先はズレ始める。そのままライデンフロスト現象*2に従ってショウのレーザーブレードはヴェールの上を滑っていき、ショウは大きく体勢を崩す。
(……ここッ!)
楯無はすかさずランス【
更に自分をもう半分のヴェールで覆って防護しつつ、トリガー。
――ガらららららッ……!
歯科治療用のドリルを耳に突っ込んだってこんな音はすまい。ランスに内蔵されたガトリング方からの轟音と共にショウのシールドバリアの残量が速やかに削られていく。
(このままゲームセット、正真正銘私の勝ちッ!)
さっきの事故みたいな決着とは違う。一瞬でも自分はこの男を上回ったという確信が楯無を滾らせる。ランスを握る手により強く力が籠もった。
「……ソイツが邪魔なんだよなあッ!」
突然、ショウが上体を捻って、楯無を守る水のヴェールにガルーダのマニピュレーター、すなわち両手の指を突き立てた。
(ナニ考えてんの!? そんなことしたら……)
改めて、このヴェールは厚さ数センチの薄い空間に深海に匹敵する水圧を閉じ込めた物体。宇宙の真空とは真逆、そこに入り込んだ物体は即座にひしゃげ押し潰される運命にある。
そこにマニピュレーターなんて精密機器を捩じ込んだらどうなるかは実に簡単で――。
「
――その瞬間、ショウの指が触れた場所を中心に、水のヴェールが赤く紅く染まり始める。
(……ぇ?)
どくん。
水に絵の具を垂らすような生易しいものではない。それはもっと濃く濁った、例えるなら鮮血のような赤。染まった部分は楯無の発した「膜を形成せよ」という命令を無視して、まるで熱湯を掛けられた綿菓子みたいに崩れ流れ落ちていく。
この色には見覚えがある。アクア・ナノマシンに大量のエネルギーが流し込まれたときの励起した色。
だが、ここまで濃く濁るなんて仕様書でも聞いたことがない。ましてや、まだ完成していない
そんなとき、楯無はどういうわけか1つの言葉を思い出した。
あれはショウと出会ってすぐの、軽口の応酬で飛び出した言葉。意味が掴めなかったからと適当に流した、
──アナタの専用機が
──それ言ったらアンタだって
面白味の薄い共産煽りが好きなこの男のことだから、きっとそれに類するものだろうと思っていた。しかし、よくよく思い返すとおかしい。
だから、おかしい。
そして、追い打ちのようにもう一つ。
「ゔぅ……ッ!!」
楯無は自分の胸元に、焼けた鉄でも当てられたのではないかと思うほどの熱感と痛みを覚えた。先程の常温常圧の
咄嗟にランスのトリガーから力が抜けて、銃撃が止まる。
だが楯無の危機管理能力は並ではない。そのまま背後に向けて
十分に離れられたかを確認する間もなく、楯無は両手で自分の胸元をペタペタ触って覗き込む。傷も火傷跡も、どこにもなかった。本当に、悪い夢でも見ているかのように、先程の痛みが消えていた。
だけど、そんなことよりも。
(私が、逃げたの? 学園最強が……?)
あの瞬間、あのままショウに張り付かれていたらどうなっていたか、想像もしたくなかった。けれど、楯無はショウよりも上でありたかった。それが、痛みを嫌って逃げるなど……。
「……何だったんだ、今の」
遠くでは、ショウがその場の空中から動かずに、自分の両手を握っては開いて見つめている。ヴェールに掴みかかった直前に手を離したのだろう、レーザーブレードは地面に落ちていて、拾いに行く素振りはない。
「まあ、もう一度やれば分かるか。今は目の前だけを見よう」
ぎょろり。
腰から取り外したレールガンを構えたショウが、ゆっくり楯無の方を向いた。顔面を覆う無機質な群青色の曲面が、まるで巨大な一つの目に見えてしまう。
(マズい、マズい、マズい、マズい……!)
楯無は自分の全身が危険信号を発しているのを感じた。背骨の神経からゾワリと広がるようにそれは拡散していく。
そして始まるドッグファイト。今度は楯無が追われる側に回った。
距離が開いているうちはレールガンの狙撃とレッド・ポッドの突撃。ショウから離れたことで復活した水のヴェールで完全に防げる。
逆に言えば、近付かれたらマズい。
結局のところ、
だが、そのアクア・ナノマシンの恩恵が無くなってしまえばどうなるか。並のIS程度の機動力と貧弱な装甲しかない脆弱が露出する。
バチンッ、とレールガンの弾をヴェールで弾き飛ばしつつ、楯無は振り向く。
ジグザグ機動で可能な限りガルーダを振り切ろうと試みるが、恐るべきことにショウは完全にそれに追従してみせる。
楯無はこの十数秒で自分の恐れを支配しつつあった。あるのは純粋な危機感。もう、上回るとか倒せることの確認とか、そういう半端でお上品なものを目指してなどいられない。この場でこの男を打ちのめす他にないのだと確信していた。
楯無には狙いがあった。そのためにも、時間がいる。1秒でも長く、ショウが自分に到達するのを遅らせなければならない。
そして、今できることと言えば、彼我の間に霧を展開して視界を奪うことくらい。
「……うっとおしいッ!」
素早く呼び出した蛇腹剣【ラスティー・ネイル】を鞭のようにしならせて、飛来するレッド・ポッドをはたき落とす。続けてもう一度。
相当の強度があるらしい、切断には至らなかった。
「霧で見えねえってのは怖えなあ! クラクション代わりにもう一度だッ!」
「……何度やったって!」
ずっと興奮気味のショウの声と共に、霧の中から再びレッド・ポッドが突っ込んでくる。また蛇腹剣で叩き落とすだけだ。
右手で力強くそれを振るって――、
――蛇腹剣が吹っ飛んだ。
「なんですって……?」
まるで先端から引っ張られるかのように、楯無の手から得物が消失する。ハイパーセンサーには地面へと落下していく蛇腹剣と、先程までその先端が伸びていた位置に向かって伸びる青白いプラズマの線が薄っすらと見えた。
(当てた……っていうの? 投石で草むらのヘビを狙うみたいに?)
特別なトリックは何もいらない。ショウがしたことはごく単純で、伸びる蛇腹剣の先端部分の刃を横からレールガンで正確に撃ち抜いたのだ。ISのパワーとはいえしならせるように少ないエネルギーで動かす紐状のものに、EML*3の強力な運動エネルギーを叩き込めば、振り回す側が逆に振り回されるのも道理。
改めて、特別なトリックは何もいらない。代わりに必要なのは、常軌を逸した技量と経験と才能。
高速でうねる蛇腹剣の先端の動きと、レールガンの発射タイミングと、弾丸の空気抵抗と、パイロットの入力からトリガーまでのレイテンシーと、ランダムな手ブレと……無数のパラメータを完全に噛み合わせる多変量解析を乗り越えた先にある結果を、この男は事も無げに実現してみせるのだ。
驚愕で動きが鈍った楯無は、自分目掛けて一直線に突撃してくるガルーダの姿を見た。
先程のように自分の防御が溶かされてしまうかも知れない。酷く痛い思いをすることになるかも知れない。
マハーバーラタに曰く。
ガルーダという神鳥は、汎ゆるヘビの敵対者なのだという。神々の守りを突き抜けて、たった一つの財宝を奪って見せる強者なのだという。
目の前も同じように、蛇と名の付く武器を弾き飛ばして、自分の守りを突き抜けて来ることだろう。だから、分かる。
楯無はこの瞬間、初めてショウの行動を理解できたと思った。行動が読めたと。
「――さあ追実験のお時間だ。再現性がなくっちゃあオカルトだもんなあ!?」
そして、時間はギリギリ間に合った。
楯無はランスを両手に構え直した。表面には蠢くように水が滴っている。
(この恐怖は本物。だから、もう少し怖がり続けるのよ更識楯無……あの男が気付かないように!)
ごうっ、というスラスターの噴出音と重ねて、
(残りのエネルギー量は僅か。守りがこじ開けられるなら捻じ伏せるし、さもなきゃそれまで……全ては今ッ!)
ショウはアリーナ壁面の試合ステータスをチラリと見て、決着が間近に迫っていることを意識する。欲しい物は手に入れた。勝敗はお気持ち程度。
だから、あとは結果を見るだけ……。
(来た……!)
「さあ、どうだよッ!」
ショウは目の前に揺蕩う水面に、レールガンを掴んでいない左手で触れる。即座に赤が広がって、ヴェールは解けていく。
断絶の水は今、飲み干された。
(見た……!)
楯無は胸をじゅくじゅくと灼く痛みを堪えながら、ガルーダの左手首を掴んで、自分の間近に引きずり込む。
ぼこり、と左手に構えたランスの表面を流れていた水が膨れ上がった。
「――勝ったッ! 食らいなさい、ミストルテインの槍ッ!!」
「――ッ!?」
その時、7秒後の誰かに肩を叩かれた。
意識を引き戻されるようにして、ハッと我に返る。
(この
――
「オシレーター、モードシフト……!」
ショウが囁くように口を動かした直後。アリーナ内全域が────、
────爆ぜた。
◆
音と呼べるものは何もなかった。
鼓膜にしろ、マイクにしろ、この爆圧を音として処理できる存在はいないからだ。
――ミストルテインの槍。
楯無の乗機「
制御用アンテナに
その威力は、レギュレーションに縛られて尚、燃料気化爆弾に匹敵するとさえ言われる。
楯無は、水のヴェールを囮にランスの方のアクア・ナノマシンの制御を確実なものとし、ショウが逃げないようにギリギリまで引き付けた上でこれを起爆した。おまけに制御が効く限り、アリーナ内の全てのアクア・ナノマシンの起爆も一緒だ。
如何にガルーダが疾かろうが、回避能力が高かろうが、この閉じた
そんな大火力が暴れ回った後ということで、楯無の周囲を含め、アリーナ内の空間の全ては真っ白な霧に包まれている。火災訓練に使う匂い付きの煙や結婚式用のドライアイス演出だってここまで視界を塗りつぶすようなことはしないだろう。
とにかく、何も見えない。熱もめちゃくちゃで、赤外線センサーだって無効だ。
だけど、勝った。これだけは分かる。
切り札まで出させられるとは思わなかったが、確かに、自分はショウを上回ったのだ。
もう安心していい。もしもなにかの拍子であの男が暴走することがあったとしても、そして何が起ころうと、この学園は安泰。
そう言えば、本社に出張する前にショウ自身も「世は並べてこともなし」という言葉を使っていたか……。ふと、急にそんな考えが脳裏を過った、そんな瞬間。
────青白い粒子が視界の端からはらりと舞ってきた。
突然のことに振り向こうとしたところで、後頭部に
「……え?」
ハイパーセンサーの全方位視界で見れば、その正体が分かる。
真っ白い霧の向こうから、
霧は緩やかに晴れていき、その向こうにいるべき存在が姿を顕す。
――
「ウソ、でしょう……?」
群青色に輝くラウンドバイザーに、鮮やかな赤に染まった装甲。両肩の上に収まるように浮遊するレッド・ポッドの一組が狙っている。
ガルーダだった。
ありえない。エネルギーの残りは僅か、瀕死も同然だったはずだ。
耐えられるはずがない。いま楯無のPICが処理飽和を起こすほどに、十二分な火力を込めたはずだ。
避けられるはずがない。本命のミストルテインの槍に加えて、アリーナ全域を爆破した。そもそも存在しない遮蔽物だって、仮にあっても意味はないはずなのに。
動けるはずがない。確実にシールドエネルギーは尽きているのだから、
……一体、どういう理屈でこのISは五体満足で銃を向けていられる?
楯無は動けない。自分を中心に大爆発を起こしたのだ。慣性制御系とバリア展開でコアが処理飽和を起こしていた。ウォーターサーバー内の水もさっきの攻撃で使い切ってしまっている。
防御も回避も不可能。このまま後頭部にあの高火力を叩き込まれたら、待っているのは……。
「どう、して……どうやって?」
何故、何故、何故……。
何も出来ない楯無は、頭蓋から湧いて口から溢れ出る疑問を止めることすら出来なかった。
「――なあ、アンタはどうして今日の試合を持ちかけてくれたんだ?」
ゆらり。
静かに、ゆっくりと、レールガンの銃口が降ろされていく。揺らめく霧に埋もれるように、それはガルーダの腰に据え直された。ポッドの二本一対の砲身も真上を向いた。
「え?」
「だから、火曜の夜に電話してきた理由だよ。アンタなんだろ?」
「それは、頼まれたから……」
「誰に」
「一夏くんに……元気がないから、ISのこと教えてあげてくれって……」
「イチカが? そっか……そっか、そっか、そうか!! ははははははははははははははッ!!!!」
時間が止まったような無音の中。突然ショウは、感情が決壊したように笑い出した。
息が続かなくなれば吸って、それからまた笑い直す。まるでそれ以外に、自分の中の
(この人、こんなに笑うんだ……)
楯無は、初めてショウの感情というものを見た気がした。
父曰く、人間は何に喜んで、何に怒るかが分かれば、大体のことは把握できるという。今ようやく、その半分が垣間見えたのだろうか。
そして、ショウの笑い声をかき消さんばかりの、大音量の矩形波がアリーナを支配する。
――ここで試合終了ォォォォォォォォォォォッ!!!
――勝ったのはァ……我らが生徒会長、更識楯無だぁっ!!
「……俺、アイツのことやっぱり大好きだわ。感謝してもし切れねえよ。
まだまだイチカのことは分からねえけど、救われた。本当に救われたッ!」
楯無が壁面を見上げれば、確かに楯無の勝利が表示されている。シールドバリア残量も、ショウがゼロ、楯無は52%。
ミストルテインの槍で自傷した分を除けば、楯無は一撃だって食らっていなかった。
――
「……だから、アンタも、ありがとうな」
ふわり。霧が浮き上がるように舞って、ガルーダはアリーナの出口――ピットへと移動を始める。
「ま、待って頂戴……」
楯無はそこまで言って、後に続く言葉が思い浮かばなかった。
どうやってあの爆発を避けたか? どうして負けたのにそんなに満足そうなのか? いやいやそれより……それより、なんだろう。
(もう、疲れたわね……)
疲労でタガの外れた三半規管が元気に暴れている。
ISの姿勢制御に頼らねば、今は立っているのも辛いかも知れない。
試合に勝って、勝負に負けた。そんなところだろうか。
ショウを完全に下すことはできなかった。しかし、彼の性質について、少しは分かった気がする。ショウの様子からして、一夏への義理も、一応は果たせたと言えるだろうか。
何も得られなかった訳ではない。だから、今日はこれで満足しよう。
楯無は、ゆっくりと進んでいくショウを見送ると、勝者の姿を皆に見せるべく霧の晴れゆく空へ上昇した。
2022/04/21 PM05:18
「――ジェイド、とか言ったっけ? 急にどうしたよ」
『まずはショウさん。ガルーダの完成、おめでとうございます』
「そりゃどうも。途中でC2とかいうよく分からんやつに名前付けられたけど、一体ありゃ何なんだ?」
『我々の技術のはじまりにして終着点……だそうですよ。私の立場では詳しく知りませんが、財団にとっては重要なものだそうです。少なくとも貴方は、そしてそのOF-3は、C2に認められたのです』
「アンタも知らねえんじゃ俺も分からねえじゃん……」
『今は何となくで良いのでしょう……それよりも、使いましたね?
「仕方ないだろ、あのまま突っ込んでたらOF-3……じゃない、ガルーダがブッ壊れるところだったんだ。修理が間に合うとは思えなくてさ」
『それでも問題でしょう。オシレーターの存在が発覚する以上に、それが使えることが知られるのは危険を孕んでいます。まさか使う機会は無いだろうと説明していなかったのが仇になりましたね。
試合の様子を今確認していますが……幸い他の人間に気付かれてはいないようです』
「なら、一安心か?」
『まさか。今後も注意は必須でしょう。特に対戦相手の彼女が一番危険です。今後何を聞かれても、一切情報を与えないように』
「聞いてくる人間なんているとは思わないけどな。まあ、気を付けるよ」
『ええ、そのようにお願いします。
――ああ、それともう一つ。近い内に外部との技術交流が予定されています。詳しくは向こうから接触があると思いますので、その時は適当に了承して下さい。話は済んでいますので』
「ん? 明日のことで忙しいってのに明後日のことまで考えてられねえよ……とにかく了解。言われたら返事しときます。
――ああ、それと、親父にコイツの礼を代わりに言ってもらえないかな」
「それは自分で言うべきでしょう、親子ならば尚更ね。とにかく、今回はおめでとうございます』
こんかいのまとめ
・セシリア
ミスターが帰ってきた!!!
天を自在に舞うショウの戦いぶりに大興奮。今すぐにでもアリーナに突っ込んで乱入したいのを頑張って抑えつつ、決着を見守った。
次は私の番……そうですわよねっ!?
・一夏
描写無いけど裏ではちゃんと喋ってるよ。
望み通り、ショウが元気に飛び回っていて嬉しい限り。
再戦の約束のためにも、次は自分が頑張る番。待っててくれよ。
・薫子
ジャーナリズムは死なんよ。
記者も実況者も博識でなきゃ務まらない。突然ショウが動かなくなったときは肝を冷やしたが、その後の神話チックな試合には場も湧いて満足満足。
トトカルチョの胴元でそこそこ稼げたので更に満足。お礼に後でたっちゃんに何か奢ろうね。
・ショウ
愛してるぜ、ベイビー!!
ガルーダの性能はまさに最高。何もかも思い通りになるような感じがして気分が良い。
今日ここまでやってきたことがどれだけ意味があったかなんて分からないけど、導いてくれた一夏に感謝。
ガルーダの「とある機能」を使ったことで怒られが発生している。
・楯無
勝ったは勝ったけど、負けた気もする複雑。
一瞬本当にショウのことが怖かったけど、ここまで好き勝手されるともう慣れちゃった。
彼には妙なことは考えないでと祈るくらいが丁度いいのかもね。
ところで最後はどうやって躱したの???
やっとここまで来たよ! 褒めて!!
散々お待たせして申し訳ありません。ようやく新しい主人公機「OF-3 ガルーダ」が堂々登場です。OF-3の初登場は11話、本格登場は19話。そこから今回まで約10話……めっちゃ長えなオイ。
原作イメージファイトIIで新型主力機として描写されていたガルーダですが、ならどうして最初から「ガルーダ」として登場させなかったかと言えば、大きく理由は2つ。
1つ目は主人公機に特別感を持たせたかったから。折角の専用機ですからね、覚醒シーン含めていい感じにかっこよく仕上げたかったわけです。
もう1つは、「ガルーダ」という名前が重すぎたから。ブリュンヒルデとか北欧神話の戦乙女の名前がありふれたIS世界ですが、マハーバーラタに記されたガルーダと比べると大分格が落ちます。マジで最強なんですよガルーダ、人気もあって強いインドラ神に真っ向から勝ってますからね。そういう意味で、それに見合った描写をするためにも長々と下準備が必要だった次第です。
ちなみに今回で2章の章題の2/3は回収したつもりです。戦える赤色になりましたので。
さあ、2章完結の準備は整いました。次回はちょっとした始動期間ですが、その次からはでっかく話を動かして終わらせます。
あとあの、なんか日間二次創作ランキングでトップ100入りしてたみたいで……。
どうしてここまで伸びてるのか分かりませんが、全て読者の皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。
戦闘シーンは……
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なんぼあっても困りませんからね
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戦ってねえで話進めんしゃい
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そんなことよりおなかがすいたよ