Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
山葵とマーマイトだったらどっちがいい?
4月。
ヒソヒソという女子の囁きが合唱となって響くIS学園1-1教室に、声にならないうめき声を小さく漏らしながら机に突っ伏す少年が一人。
(……キツい。想像の何倍だよコレ……)
教室の最前席。大抵の学校では視力が悪いか問題児のどちらかが置かれる事の多いその席に、たまたまクジ順で割り当てられてしまったのが、世界初の男性操縦者「
同じく最前列の人間でもなければ、ちょっと目線を向けるだけで世界に二人しかいない特異体質者を目にできるのだから、今この瞬間、教室中の全女子生徒の視線が一夏の背中に突き刺さっていた。さながらウニか針刺しか……情報を受け取るだけの視線を向けられたところで、本来なら何の感覚もあり得ないが、こと今日に限ってはチクチクとした刺激を感じずには居られない。
背中の筋肉がガチガチに固まっていて、姿勢を正すとそのまま塑像になりそうだった。
「……」
ギギギ……。
油の差されていない機械のようなぎこちなさで、一夏は視線を窓際最前列に向ける。自分を奇異の目で見てくる名も知らぬ女共の中で唯一人の知人――幼馴染の「
――ぷいっ。
何という無慈悲。箒は一夏の視線を感じた上で、そっぽを向いたのだ。
だが、落ち着いて考えていただきたい。こんなに多くの目線を集める人間に無策で関わろうものなら、自分までこの暴力的な関心の渦に巻き込まれかねない。溺れている人間に対して最もしてはいけないことは、自分一人で直接助けに行くことだ*1。
相手は顔見知りの、小学校以来の幼馴染。しかし6年も、小学校なら入学から卒業まで丸々の時間が開いている。
「気の利いた言葉でも……」などと考えるまでもなく、どう気を利かせれば良いのか分からない。相手は6年前と同じままか? それとも変わってしまったか? 要救助者に投げるべき浮き輪は無い。
誰も救えず、誰も救われない。そんな混沌があった。
そんな箒の心情を慮る余裕などない一夏は、もしや嫌われているんじゃないかという一抹の不安を懐きつつ視線を前に戻す。教卓が間近に見えた。
さて、次なる助けは――。
後ろを向くわけにも行かない一夏は、心だけでも後ろを見た。
世界中から優秀な人材が集まるというIS学園の評判の割に、
窓側から2列目の最後尾で瞑想するように目を閉じているのが、一夏の同類。二番目の男性操縦者、沢村ショウであった。
教室で顔を合わせて早々、言葉を交わす間もなく席に就かされた一夏は、ショウのことをほとんど知らない。瞑目している姿を見て、寝不足なのかなとは思った。
呪わしい位置関係である。折角の男同士なのに、どうして最前と最後尾で分割されたのか。女子はみんな同性で隣り合ってるのに。
「……くん」
女性の声がした。この教室にいる人間の90%以上は女性なので当たり前の話である。
男の声がしたら最高レアだ……昔ゲームセンターで仲良く遊んだ男友達の言っていない言葉が脳裏を過ぎった。
「織斑一夏くんっ!」
「ほぁ、はいっ!」
一夏が見上げると、教卓の上から声の主が覗き込んでいた。
緑眼緑髪低身長、眼鏡を掛けた彼女の胸は実際豊満であった。吸い寄せられる男の性を強引に押さえつけながら顔に目を向けると、アンダーリムの角縁眼鏡がずり落ちそうになっていた。
「ゴメンね! ゴメンね! でも、あのね、いま自己紹介『あ』から始まって『お』の織斑くんなんだよね。だから、自己紹介してもらってもいいかな? ゴメンね?」
一体何度謝り倒すんだというくらいペコペコと一夏に語り掛けるのは、この一年一組の副担任、「
真耶が涙声で頭を下げる度に、胸の二物がほよんほよんと揺れていた。しかし、そのリビドーが一夏の思考を浮上させる。そうか、まだ自己紹介の最中だったじゃないか。
どうか落ち着いてください、ちゃんと自己紹介しますんで……。
周囲からのクスクスという笑い声をほんの少し嫌がりつつ、一夏は立ち上がった。
「えー……織斑一夏です」
しかしここで一夏の言葉が止まる。自己紹介って何を言うんだっけ。
大抵、こういう時は直前までに自己紹介を終えた人達のやり方に合わせるのが無難だ。それで続いてきている以上、少なくとも情報としては過不足ないことが期待できる。だがしかし、ついさっきまで思考の海を揺蕩っていた一夏はそれらを全く聞いていない。
それまでの流れに一切乗ることのできない、トップバッター同然の状況。しかも実際には数ある自己紹介の途中でそれをするという、完全なる非線形。
名前の後は何だ? 趣味? 好きな食べ物? そういえばアイツの酢豚美味かったな……。
一夏の思考が次第に走馬灯じみた現実逃避にシフトしかけた所で、それを頭を振って止める。時間は待ってくれないのだ。
趣味は料理です……よし、これでいい。何でも良いからこれでいい。
言うことの決まった一夏が、言葉を繰ろうと息を吸ったところで――
「たかが自己紹介にどれだけ時間を掛ける気だ馬鹿者」
「――アバッ!?」
スパァンッ!
試験用のインパルス音じみた鋭い破裂音と共に、脳天に衝撃……。
天然の姿勢制御系がダウンした一夏は、よろけたまま椅子に収まることになった。
聞こえてきた声も、頭を襲った衝撃も、一夏にとっては懐かしいものだった。揺らぐ頭を持ち上げて前を見ると、真耶の隣にもう一人。
「あ、織斑先生。会議は終わられたんですか?」
黒髪、高身長、鋭い瞳。髪と同じ色のスーツとタイトスカートを着こなすその女性は、他ならぬ一夏の姉「
恐らく先程の得物であろう出席簿の表面から立ち昇る煙を、ふっ、と吐息で吹き消す姿はさながら西部劇のガンマンだ。
「ええ、今しがた。挨拶を押し付けてしまって申し訳ありませんでした、山田先生」
「いえいえ! これでも副担任ですから、それくらいはやらないと」
あ、アイエエエ……。
職業は不詳。家に帰ってくるのも月に一度か二度の姉がナンデここに? 山田先生が「先生」と呼ぶ辺り、まさかここで教職に就いていたというのか。家にいる時はあんなにズボラなのに、こんなにきちっとした姿を見せているなんて……。
一夏は少し現実が飲み込めていない。
さて……。教壇に立った千冬は、持ち前の鋭い視線を教室全体に向ける。
「私がこのクラスの担任、織斑千冬だ。貴様らひよっ子を一年で使い物になるように指導していくつもりなので、私の言うことはよく聞き、従い、覚えるように。
分からない箇所があればすぐに言え、落ち零れは作らない主義だ。逆らうのも構わんが、言うことは聞け、いいな?」
新学期の所信表明にしては些か以上に高圧的な言葉を並べると、その直後から教室が女子生徒の黄色い悲鳴で埋め尽くされる。とっさに耳を塞いだ一夏は、これがなければ難聴を起こしていたのではないかと背筋を震わせた。
その悲鳴の音圧たるや凄いもので、山田の携帯端末についていたマイクセンサーによれば何と125dB。信頼性は低い。
鬱陶しげに手を振って悲鳴が収まるのを待った千冬は、手元の時計を見て言った。残り時間がないので、自己紹介はあと一人で切り上げるという。
「悪いが残りは休み時間にでもやってくれ。案ずるな、これから一年、顔を合わせる機会は幾らでもあるのだからな。
――というワケだ沢村、やれ」
千冬の言葉を合図に、ぎょっ、と教室中の視線が後ろを向く。まるで小魚の群れのような統率の取れた動きに、一夏も倣った。
聞けば成人しているらしいあの男に、本当の自己紹介はどうすればよかったのか見せてもらおう……未だ頭部に衝撃の残る一夏の思考は、少しだけズレていた。
名前を呼ばれたショウはといえば、やはり眠たげな目のまま立ち上がると、徐ろに口を開いた。
「自己紹介するまでもなくご存知かとは思うんですが……グランゼーラから来ました沢村ショウです。いわゆる二人目ですね。
一応、学生じゃなくて企業から出向という形で来ているので、皆さんと顔を合わせるのはIS関連の授業だけになりますが、よろしくお願いします」
抑揚の薄い、平坦な口調で自己紹介を終えたショウは、何事もなかったかのように椅子に収まった。やはりその目は眠たげだ。
これが成人か……自分と違って卒なく状況に合わせた自己紹介をこなしたショウに感心する一夏の思考は、やはりズレていた。
……よくよく考えたら所属と名前しか言ってないじゃないか、何が趣味だよ。
◆
2時限目も終わり、学園は短い休み時間に突入する。
一夏が先程そっぽを向かれた幼馴染に連行されている後ろで、ショウは眠たげな目で微動だにしない。
「あの、今お時間よろしくて?」
ここで前の席の金髪少女が動く。緩いウェーブの腰まである長髪と、透き通るような碧眼が特徴のイギリス人「セシリア・オルコット」の目つきは鋭い。
「……あの?」
だがショウは動かない。高僧の即身仏めいたアトモスフィアを漂わせるその姿は侵し難い神聖さすら感じさせる。最早人間というよりは無生物として教室の風景と一体化しているようで、一瞬目を離せば見失ってしまいそうだ。
たかが小娘、話すに値しないとでもいうのか。
「話しかけても答えないのがグランゼーラのやり方ですの?
随分と個性的ですのね、ミスター・ショウ。そこまでせずとも目立ってますわよ」
セシリアが怒気を込めると、カッとショウの目が見開かれる。その目はどこにも向けられていないようだった。
「もしや、俺に話しかけていたか? それは申し訳ないことを……」
――ガタッ!
まるで今目が覚めましたとばかりに謝罪を述べるショウに、セシリアは体勢を崩す。それを見守っていた周囲の女子も同様だ。しかも、先程の自己紹介とは打って変わってタメ口である。
こんなところで寝てられるなんて……。
これが年長者の余裕……。
おもしれー男……。
小声ならバレないという甘い認識――実は大して小さくない声――で口々に感想を漏らす女子たちにも呆れつつ、セシリアは片手で額を抑えた。
「随分と甘い環境ですのね、グランゼーラというのは……己の見識の狭さを再認識出来たことについては感謝を。
わたくしのことは知っておいでですわね?」
何という傲慢。
自分のことは誰であれ知っていて当然とばかりに腕を組むセシリア。実際に母国ではそれが通じたし、相手はISに関わる企業に所属する人間だ。知っていると考えるのは他の相手と比べれば自然であった。
「――セシリア・オルコット15歳。王立空軍所属特務少佐。適正値Aの国家代表候補生。第3世代新エネルギーシステムのメインテスター。グラスゴーのクレー射撃コンテストでは去年優勝。オルコット家次期当主……。
Wikipediaに記事が作られるっていうのは大変だよな。俺も最近実感してる」
「……っ」
まるで自分の記事を斜め読みして読み上げているかのようにセシリアについての情報を並べ立てるショウの姿に、セシリアは少し気圧された。記事に無い情報も混じっている辺り、しっかり調べてはいるらしい……だがセシリアはそれを顔に出さない。
「そう。企業所属ですものね、これくらいは知っていて当然といったところでしょう。
改めまして、セシリア・オルコットです。以後お見知り置きを」
挨拶は大事である。聖書には書かれていなかったが、どこであれそれは変わらない事実だ。気品を漂わせて一礼するセシリアに、ショウも改めて名乗った。
窓の向こうで海鳥が数羽、滑空している。
「2人目がどんな人間か、確認がてら話しかけたつもりでしたが……これは中々歯応えがありますわね。
エリートを名乗る身としては同じクラスとなった以上、情けない姿は晒さないで頂きたいものです。高い適性をお持ちのようですが、稼働時間は素人そのもの……パイロットとしては未熟であるということを努々お忘れなく」
「エリート。エリートか……」
では、と嫌味を言い残して元の席に戻るセシリアの背後から、噛みしめるような小さな声が聞こえた。話を切り上げたつもりだったが、終わってはいなかったらしい。
「……まだ、何か?」
「……それなら、きっと、アンタが最初に手を挙げるんだろうな」
「What?」
ショウの放った歯切れの悪い言葉に、つい母語が出てしまうセシリア。何のことか問い詰めようとしたところで、教室にチャイムが響いた。3時限目の開始である。
おかしな人間……初対面の頃からその感想は変わらない。
時は3月に遡る。
IS学園からの使いとしてグランゼーラを訪れた千冬が目にしたのは、目をキラキラと輝かせながらこちらを見て固まるショウの姿だった。
「わ、わぁ……」
「あの、貴方が沢村ショウさんで間違いありませんか?」
始めは、自分のファンか何かだと思った。
千冬自身、自惚れているつもりは無かったが、これでも世界大会優勝者、
この前だって、街中を歩いていたらキャーキャーと黄色い悲鳴が喧しいので困っているくらいだ。
「いるんだ……」
だが、どうにもそういったファンとは違うように感じた。
上から下まで作業着に身を包み、濡羽色のセミロングヘアをした背の高い青年。サインをねだるわけでも話しかけてくる訳でもなく、固まっている。
何にせよ、話が進まないのでは困る。どうしたものかと思案していると、別の男性がやって来た。グレーのズボンとワイシャツの上から羽織った白衣が特徴の、細い眼鏡の男。髪には少し白髪が混じっていた。ショウの父親であり上司のコウスケと名乗る男は、申し訳なさそうにショウを引っ込めると、千冬を応接室へ招いた。
千冬と沢村親子の三名が応接室室に揃い、会議が始まる。ショウは先程と打って変わって饒舌で、嫌に協力的だった。
「……先日お伝えした、学園への入学の件は同意頂けたと考えてよろしいでしょうか?」
「ええ。来年度からそちらに在籍するようにと、グランゼーラからも」
沢村ショウの専用機はグランゼーラが用意すること、テストパイロットの業務内容と学力を鑑みてIS関連の授業以外を免除することなど、幾らかの条件が提示されたが、その点以外は恙無く話し合いも進んだ。
もう既に成人しているとはいえ、まだ若いこの男が協力的な理由を、千冬は測りかねていた。たまたまISに乗れると分かっただけで、陰謀渦巻く「どこの国でもない場所」に放り込まれることを一方的に決められたとあっては、普通なら幾らかの抵抗があって然るべきだと。
ましてや、発見されてからこの施設に縛り付けられたままというから、少しくらいフラストレーションが見えてもおかしくないはずだ。
「ショウさん自身は問題ありませんか? 他人事なのは承知ですが、こんな急にあれこれ決められて、大変でしょう」
「『やれ』と言われればやる人間ですからね、俺は」
爽やかな笑みを浮かべてそう答えたショウの、その爽やかさが千冬には少し気味悪く感じた。
その後、制服の支給や学園への護送の日程など、カレンダーの日付の中で核融合が起こせそうなくらいぎゅうぎゅう詰めのスケジュールを確認し合った後、早速その準備に取り掛かるとショウが退出。応接室にはコウスケと千冬の二人だけになった。
「あの、先程ショウさんとお会いしたとき、随分と喜んでいる様子だったのですが……彼は以前からISのことが好きだったのですか?」
「まあ、人並みには……。仕事でもISのテストパイロットと一緒になる機会も多かったようですし、それなりに触れ合ってはいたと思います」
「ISそのものに触れたのは先日が初めてだったとか。普段はどのようなお仕事を?」
千冬がその質問を投げ掛けると、コウスケは難しい表情で押し黙った。それから少しして、表現が難しいのですがと前置きする。
「グランゼーラではIS用のシミュレータを開発しているのですが、そのテスターですね」
「シミュレータですか。機会があれば私もやってみたいものですね」
「貴女にかかればつまらないものかも知れませんが……いずれ。
……それと、ショウがあれ程喜んでいるのは私も始めて見ました。あまり外に出ない人間ですから、貴女に会えたのが嬉しかったのかも知れません。――彼のことを、どうかよろしくお願いします」
コウスケは立ち上がると、小さくお辞儀した。
時を戻して今は3時限目。
「ISの運用はアラスカ条約に基づき、国家の認証が必要であり――」
IS学園の生徒が入学前に渡される分厚い教本は、今行われているIS運用論の授業でも使われる。真耶がその最序盤をスラスラと読み上げると、クラスの生徒は同じ箇所を淀みなく目で追っていく……最前列中央の一夏以外は。
(…………)
なにこれ。なにこれ、分かんない。本当に日本語で話してらっしゃる?
一夏は言いようのない疎外感を覚えていた。目の前の真耶が読み上げている内容が全く理解できないのに、周囲の生徒はさも当然のようにそれについて行っている。
接続詞などから辛うじてこの授業が日本語なのは分かったが、登場する名詞の7割近くが未知の単語なせいでほとんどの異世界の内容である。
誰かに助けを求めたいところだが、2時限目と打って変わって横を見ている生徒はいない。みんな前か手元に集中していた。
千冬の言った「落ち零れは作らない主義だ」という言葉は真耶も同じようで、一旦読み上げるのを止めて、授業内容に置いて行かれている者がいないか確かめる機会があった。当然、青い顔で冷や汗をダラダラ垂らしている一夏が真耶の目に入る。
「――織斑くん、何か分からない所はありますか?」
「あ、えっと……」
「あれば是非聞いてくださいね。何せ、私は先生ですから!」
えっへん……そんな声が聞こえてきそうなぐらいに胸を張る真耶に、背に腹は代えられないと一夏は告白した。知らぬは一時の恥である。
「その、全然分かりません……」
「えっ、全部……? 最初から……?」
「はい……」
項垂れる一夏に驚く真耶は、まず自身を疑う。もしや自分の授業が分かり辛いのか……?
他に分からない生徒がいるか尋ねるが、手を挙げる者はいなかった。良かった、自分の授業は大丈夫らしい。
だが問題はそこではない。IS学園の生徒は秀才揃い、真耶もある程度の知識がある生徒の理解を促す教え方は何度でもしていた。今の一夏のように下地の「し」の字も無いような人間相手にどう教えるか、すぐには思いつかない。
「……織斑、入学前に渡した教本はどうした?」
対応に困った真耶が固まっている横で、千冬は一夏の机の上に教本が出ていないことに気付いた。一夏がそれについて申し訳無さげに、古い電話帳と間違えて捨てたと答えた次の瞬間には再び出席簿が炸裂していた。
では捨てずに読んでいたら今の授業を理解できていたか……一夏は授業で出てきた単語を思い返すが、どの道難しすぎて結果は大して変わらないんじゃないかという結論に至る。前に見たニュース曰く、IS学園に入学するために小学生の内から知識を詰め込む生徒もいるらしいから、それに高々二月弱で追い付こうなどと言うのは烏滸がましいだろう。一夏は謙虚だった。
「必読と書いてあったろうが馬鹿者っ!
後で再発行してやるから一週間以内に――おい沢村、教本が見当たらないぞ。お前も失くしたのか」
念のために他の生徒はどうかと教室を見渡した千冬は、一夏同様に教本を机に出していないショウを認めた。ショウの方を見ると、ノートと筆記道具だけが机に置かれている。
「ええと、教本が出ていないのは……ああそうだ、覚えてしまったんだ」
「……寝ぼけているなら、丁度いい目覚ましを知っているんだが」
ショウの言葉に、教室の大半の人間が振り向く。
一夏が見た目で間違えたように、教本はページ数4桁の電話帳サイズ。それを覚えたと言ってのける人間が正気とは思えなかった。
再度出席簿を構える千冬に、ショウはあっけらかんとした様子でちゃんと覚えてますよと答える。その瞬間、最前列の一夏は千冬が意地の悪い笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
なんだか、イヤ~な予感がするぞ……?
「……ほう? なら一つ、試してみようか。
山田先生、適当な場所を開いて左側のページ数を教えてください」
「ひゃいっ! えと、211ページです」
フリーズ状態から鶴の一声で引き戻された山田がページ数を伝えると、案の定と言うべきか、千冬はそのページの内容を答えるように言う。
山田が最序盤のページを引いたのは、今扱っているのがその辺りだったからか、或いは無意識の手加減か。
「――現存するコアの個体数およびその割り当てについて。公式に合計1500個の内、200個が国際IS委員会、300個が企業及び研究機関、残り1000個が各国政府で山分け……ページ中程から細かい内訳の表も乗ってましたけど、そこも言います?」
千冬は目を細めた。確かに内容の通りだった。とはいえ、仕事でISに関わっているなら知っていて当然な、基本中の基本的知識。教本の最序盤ということもあって、「教本を覚えた」という言葉を信じるには不足だというのは真耶も思ったようで、既に教本の後ろの方のページに指が伸びていた。
「いや、いい。だが面白そうだからもう一度だ。――山田先生」
今度のページ数は1171。この先の授業では扱う予定のない付録の部分だった。
「――PICの動作原理についての概論。そこから数えて7ページも前からズラズラ続けてますけど、筆者が内容を理解してないのか所々内容が滅茶苦茶な上に、4ページ後には説明をぶった切って開発者の公式リファレンスに誘導してる酷いやつですね」
だったら始めからリファレンス丸写しでもすれば良いんですけどね……飄々とした様子で説明の問題点を挙げていくショウの姿に、大半の生徒は最早ドン引きである。少なくとも一通り教本に目を通した秀才たちにとっては、ISに関する知識のほとんどが記されたその内容が覆されるのが、まるで夢を壊されるようで気持ちの良いものではない。だが、授業でそこが扱われない理由はまさにそれで、ドン引きしている生徒たちもいずれは知ることになる話だった。
「なるほどな、その記憶力は確かに認めよう。……だが今は授業中であって曲芸披露の場ではない。授業態度を気にするつもりがあるなら、次回からは開かずとも机に出しておくように」
ショウの能力は能力として、授業態度を指摘する至極真っ当な千冬の姿に一夏は改めて驚いた。これが大人の攻防ってやつか……。
「とにかく織斑、お前には予備を再発行するから、一週間以内に覚えてくるように」
「え、あの分厚さで一週間はちょっと……」
「やれ」
「アッハイ」
その後、再発行まで自分のを使わないかと申し出るショウの好意に甘えつつ、一夏は何とか授業を乗り切ることに成功する。
それに際して、教本があるなら始めから出しておけという千冬のツッコミが飛んだことも付記しておく。
◆
授業は終わり、再度の休み時間。
二人目の男に調子を崩されたセシリアが今度こそはと一夏の元に向かっている後ろで、やはりショウは眠たげに瞑目している。
「あったかいねぇ~」
「日和だな――」
その横で同じように風景に同化する女子が一人。
窓際でこそないが、窓から差し込む春の日差しは絶妙な暖かさだ。うたた寝するには最適な環境と言える。
「さわむーって呼んで良い?」
「さわむー」
「沢村だからさわむーかなって~。
――サワムラーでもいいよ」
「さわむーで」
「ヤッタ!」
「ドーモ……」
入学早々制服を、袖の長さをダボダボに余らせた所謂萌え袖に改造しているその女子。名前を「
本音は大胆にもショウの机の窓側側面に椅子を持ってきて、背もたれに突っ伏すようにして逆向きに座っている。そのまま本音が寝言か判別の付かない言葉を発すると、奇妙なことにショウもそれに返事をしていた。
「……好きな枕ってどんなの?」
「蕎麦殻かヒノキ」
「乙だねぇ~」
コレは何かの暗号か……? セシリアがいないのを良いことにショウに話しかけようと機を伺っていた他の生徒に深読みを強制する正体不明のアトモスフィア。ショウの座席の半径1.5mには、ペニシリンを垂らした培地のごとく阻止円が出来上がっていた。
「お菓子持ってたりする~?」
「……トリックなら」
「甘いのがいいなぁ」
うーん……。段々噛み合わなくなっていく会話を途中で止めて、ショウは難しい顔をした。目を閉じたまま眉間にシワを寄せるその姿は、どこかの銅像のようだ。
それからショウはウエストポーチに手を突っ込んで、真っ白いビニール製の小袋を本音の方にずい、と差し出した。
「これなぁに…………うん?」
「甘いぞ」
マジックカット加工の施された端っこには小さく「ワサビ」の印刷が。世に言うところの業務用品だろうか、外見に飾り気が全くない。印刷から目をそらしたら、危ない薬の薬包にも見えてしまうのが不気味だ。
「いや、ワサビって辛いんじゃないかなぁ……」
「甘いぞ」
有言の圧。アマイゾの4文字を繰り返すだけで、どうしてこんなに押されているのか。先程までのまどろみはどこへやら、今となっては周囲からの向けられる奇異の目すら気になってしまう。
「でもさ……」
「甘いぞ」
ブッダも怒る三度目。本音は泣く泣くマジックカットに手を掛けて開ける。袋の中央を押すと、開け口からにゅるりと灰色がかった緑のペーストがこんにちは。
これ、本当に食べなきゃダメかなぁ……?
本音は助けを求めるように周囲を見渡すが、依然として漂うアトモスフィアにより誰も近付くことが出来ない。目線を小袋に戻した本音は数秒の逡巡の後、意を決して中身を口に含んだ。
「……っ!」
確かに、甘い。舌先が触れたほんの一秒くらいの間だが、ふわりと甘みが広がった。ショウの言葉は嘘ではなかったらしい。
そして約束された刺激がやって来た。その辛さは当然ながら、鼻腔を突き抜ける痛みと、前頭葉の表面を突かれるような感覚。正しくワサビのそれである。涙が出てきた。ついでに鼻水も。
その刺激のせいだろうか、昔テレビ番組で「良質な山葵は甘い」という話を聞いたことを思い出した。何かの食レポだった気がするが、流石に山葵単体を食べてはいなかった。
「う゛ん゛……ありがとう、ありがとうねぇ……」
ボロボロ出てくる涙を袖で拭う本音。誰の目にも虐めに見えたが、その横でショウが全く同じように山葵を口に含んで平然としているから始末が悪い。
美味いよな、山葵って……。
爽やかな様子でショウがそう言うと同時、教室の前方から怒号が飛んでくる。
「――あなたっ! 貴方も教官を倒したって言うんですのっ!?」
「うん……まあ、一応?」
「入試で教官を倒したのは自分だけだ」と誇ろうとしたところ、実は一夏も教官に勝っていたことに驚きを隠せないセシリアの鳴き声だった。
「一応!? 一応とはどういう意味かしらっ!?
――もしかして、貴方も倒したなんておっしゃるんじゃないでしょうね、ミスター・ショウ!」
突然の怒号に耳を抑えて縮こまっている本音の横で、ショウは無言で手を横に振り、否定を示した。
良かった、技能ならまだ勝ち目がある……。その返事に少し安堵したセシリアは一夏の方へ向き直ると――それはそれとしてなんでお前は勝っているんだと詰め寄った。
「いや、落ち着けって……ショウさんだってあんな静かじゃないか」
「こ、これが落ち着いていられるも――」
再びチャイムが響いた。時間切れである。
こんかいのまとめ
・一夏
電話帳と間違えて教本を捨てたら、電話帳を覚えてそうな男に遭遇。これが大人かと引き気味に憧れている。
極限環境に放り込まれたのに現実逃避すら許されない。これが社会か。
デカいものにはどうしても目を奪われてしまう。男だもの。
・箒
残念ながらセリフが貰えなかった人。
立場が立場なので中々素直になれないのが残念なところ。
一夏を連れて行った先での会話は概ね原作通り。
・真耶
デカァァァァァい説明不要。
これでも敏腕教師だが、学力が離れすぎると流石に教え方に窮する。教えてあげるべき人と教えやすい人は大抵違うジレンマ。
・千冬
厳しくも優しい教師(当社比)。
出会った人間の一部はチフユリアリティショックを起こす。アイエエエ!
学園の代理でグランゼーラに行った所珍獣に遭遇。珍獣は学園でも珍獣だった。
・セシリア
気品とプライドに溢れるイギリス人。
無意味に噛みつきまくっている訳ではないが、何故かマウントを取ろうとして毎回失敗する。
・本音
春の窓際は最高のあたたまりポイント。ショウと波長が合いそうだと思ったら山葵にやられた。
2度断ってから3度目で受け取るその姿は実際奥ゆかしい。
山葵って甘いんだ……なんか目覚めそう。
・ショウ
マイペースの権化。お前本当に企業所属として来てるんだよな?
業務用ながらそこそこ良い品だったので渡すか迷ったが、結果として山葵の布教は着実に進行中なのでヨシ。
入学前の模擬戦ではしっかり負けた。
というわけで今回より学園入学です。入学までの諸々の流れはわざわざ書くことでもないと思いますので、後で必要に応じて回想でも入れられたらと考えております。
(本当は先人の作品と似たりよったりなものしか書けないだけなの……)
ISコアは322機が実戦配備され145機が研究用……というのが原作の設定ですが、この後の展開のために大幅に数を増やしました。こうでもしないとグランゼーラが3つもコアを保有できる理由が作れなくて……。
オリ主モノのIS二次創作といえば本音にあだ名を呼ばれるのも1つの風物詩ですが、織斑と沢村で発音が似通ってたのであだ名も似通ったものに。
主人公がやたら眠そうですが仕様です。千冬を見て喜んでるのも仕様です。
わさびは甘いです。よろしくおねがいします。
機体の説明とかいる……?
-
絶対欲しい!
-
あったらうれしい
-
うむっ、緊急連絡だ。