Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
眩しい日向じゃ描けない、破けた2つの一枚絵。
塗れる色は無いけれど、きっとそれはいつかの青写真で。
「──流石に分が悪くねえか、スコール?」
「全くもって同感だけど、幹部連中はこれで行けっていうんだからままならないわよね。後はここからどれだけブラッシュアップできるかに掛かっているから、各々準備はお願いね」
某国の大都市にある、ありふれたホテルのスイートルーム。
柔らかい暖色系の室内灯に照らされたそれらしい調度品に、テーブルに並んだ一見高級そうなグラス、熱帯魚が躍る透き通った水槽が置かれたその部屋には、3人の女性が各々寛いでいる。
手入れの行き届いた部屋のサービスに目を向けるものはおらず、ただ彼女らにとって重要なのは、誰にも怪しまれることなく自分たちの会話内容を隠すプライバシーのみであった。
女性の年代は様々だ。外見に似合わぬ仏頂面でナイフの手入れをする黒髪のティーンエイジャーに、とても淑女とは思えない姿勢のままソファで身体を伸ばす赤髪をした妙齢の女性。
もう一人は窓際に腰掛けながら優雅にワイングラスを傾けるブロンドの美女だ。外見から年齢は若く見えるが、その仕草には時間を掛けて洗練された深みが漂っていた。
「
スコールと呼ばれた、燃え上がる火のような色のワンピースドレスに身を包んだ美女が彼女らのリーダーであり、諸々の行動のフィクサーでもある。
そんなスコールが今回上役から命じられたのは、最強の戦術兵器であるISの強奪である。既に様々な非合法的手段によってISコアを獲得している組織であるが、今度は開発中の試作機を奪ってこいという。
如何に規模の大きい悪の組織といえど横流し品と拾い物だけでは限界があるので、定期的に生の技術を摂取しなければ非正規の軍隊というやつはすぐに腐る。例え実用性の無いゲテモノだろうが、試作品というのはそれだけで価値が見出されるのである。
しかしながら、潜入先の情報も脱出手段の手配もまるで足りていない状況で実行するのは自殺行為も同然だ。にもかかわらず命じてきた幹部は随分焦ったように急かしてくる。
こんな負け戦は是非ともやりたくない限りだが、こういう組織における上下関係は絶対だ。従えないものは切り捨てられるし、何ならスコールたちはこれまで切り捨ててきた側だ。
兎にも角にも情報収集。彼女ら日陰者は勝つことより負けないことの方が重要なので、どうにかしてマージンを作らねば動きようがない。命の価値が安い分、死んだらおしまいだからである。
さて、コスト配分をどうすべきか……目を細めて悩むスコールの端末が、にわかに震えた。スコールは端末を中央のテーブルの上において、通話を繋ぐ。
『──あ~、
端末から浮かび上がった空中ディスプレイにはSOUNDONLYの表示だけ。少女の声だった。
聞いたことのない喋り口調に、組織ならあるべき符牒も無い。しかも、スコールたちの組織の名まで言い当ててきた。つまりは部外者だ、歓迎できないタイプの。
部屋に緊張が走った。
「……どなたかしら。間違い電話なら番号の確認をおすすめするわ」
『だから合ってるかって聞いたんじゃん察しなよ……まあ合ってるってことで本題ね。依頼があるんだけど』
スコールは端末の通話終了ボタンに指を伸ばした。組織の名前、秘匿された連絡手段までバレている。恐らくは居場所も同様だろう。すぐにでもこの場を引き払わねばリスクはねずみ算式に増えていく。
動き出す3人を牽制するように、少女は続けた。
『──イギリスの実験機のサイレント・ゼフィルス……アレの強奪やるんでしょ? 情報あげるから相乗りさせてよ』
「……ッ!?」
相手の少女はスコールたちが命じられた内容まで知っているらしい。ここまで来ると恐怖や危機感より呆れが出てくる。
もうここまで来てしまえば、交渉のテーブルにつく他に選択肢は無い。
『そうそう、そうやって行儀よく話聞いてりゃ良いの。で、こっちにはアンタらの行き先の警備情報から何まで揃ってる。これがあればちったぁ楽出来るでしょって話』
「……その、対価は」
『人を一人攫ってきて。悪の秘密結社サマなら簡単でしょ?』
マクガイヤー社製旅客機M388。
小型のプライベートジェット機の座席で、セシリアは難しい顔で腕を組みながら背を預けていた。
柔らかい暖色系の室内灯が照らす機内は狭胴機のレイアウトで、居住空間にファーストクラスの椅子が数個並んでいる。
写真に撮れば手狭に見えるし、実際に利用してみれば意外と広い。そんな場所。
(……まるで釈然としませんわね)
セシリアはじろりと目だけを動かして、隣の座席でスケッチブックにペンを走らせる男──ショウを眺めた。離陸後に飛行が安定してからはずっとこのままである。
本当なら、この状況のイニシアチブは自分が取るはずだったのに。
先のバイド襲来の折に、セシリアはショウについて怪しげな情報を手に入れていた。エクリプスのことだ。
「このガルーダのご先祖サマみたいな機体」──束の私兵として増援に駆けつけたあの無人機たちについて、ショウは幾らか知っている様子だった。
ショウ、ひいては彼の所属するグランゼーラが束と繋がっているとすればそれは一大スキャンダルだし、仮にそうでなくとも疑われる要因があるだけでIS産業に関わる企業としては大きな痛手になる。
要するにこれは、セシリアにとって彼女だけが知る「脅しの材料」であった。
しかしながら、楽しい遊び相手になってくれるショウにそんな酷いことをしようなんて考えは欠片もなく、ちょっとだけ自分の状況をうまく動かすレバレッジの要因にしてやろう、というのがセシリアの計画だった。
──ミスター、先日のことを黙っている代わりに1つ提案がございますの。
──わたくしと一緒に我が国へ技術交流に来てはいただけませんか?
別にこの一度で二人目の男性操縦者をイギリスに引き込もうとは思っていない。ただ、全世界に対してショウとイギリスの関係を示す強力な材料が生み出せる。実際にショウがイギリスを選んでくれるかは本国の連中に任せれば良いから、まずは切っ掛けだけでも。
しかし、そんなショウはエクリプスのことなんて欠片も気にしていない様子で、こう答えたのである。
──ああ、技術交流ってイギリスとだったのか。オーケー、話は聞いてるよ。
まるでセシリアの狙いを知っていたような口ぶり。実際その通りだったのかも知れない。セシリアがショウの了解を本国に伝えたらあれよあれよという間に今回のイギリス行きが決定された。
折角自分で立てた計画が、まるで誰かの手のひらの上で踊っているだけな感じがして、セシリアは頬を膨らませる他ない。何より、国家と企業間の交渉事にしては不自然なまでにスムーズだったのが気掛かりだった。
仕方が無いのでBT計画へのスポンサー特権を使って、今回の流れに幾らか口出ししたのがせめてもの対抗手段である。このプライベートジェットもオルコット家所有の物だし、到着したら真っ先にセシリアの実家へ向かうことになっている。
自分の家とショウの繋がりを強くする好機である。多少無理でもやらなければ次期当主などやってられない。
「……ミスター、先ほどから何を描いていらっしゃいますの?」
シートベルトを外して身を乗り出すと、明るく照らされたスケッチブックの内容が見えた。馬が数頭、並んで走っている絵だ。風に靡く尾にはまるで映画のワンシーンを切り取ったかのように躍動感が宿っている。
「馬……ですか?」
「──
まあ、可愛いのは認めますけれど……。
困惑気味に呟くセシリアは幼少期の乗馬体験を思い出す。毛並みの良い栗毛のサラブレッド。父の前に跨って風を切ったのは何年前だったか。
「それまで戦の道具だったものが1つの競技に変わるわけだ、歴史ってのは興味深い。……グリニッジ天文台とか挙げた方が良かったか?」
「いいえ、好みは人それぞれですわ。それより、ミスターが動物好きというのは少し意外でした。それともギャンブル好きの方でしたか?」
「ん? まあ、このヒトデナシだらけの社会で動物に安らぎを求めるのは、そんなおかしい話でもないと思うけどな。賭け事は……思い出ってところか?」
いつだったか競走馬を順番に選べって言われてさ、と語るショウはスケッチブックから目を離さない。セシリアと同じく制服姿の彼は今回に限ってサングラスを着けていて、その視線の先がいつもより分かりにくかった。
「でしたら、わたくしの実家で乗馬でもしませんか? 古い
「そりゃ楽しみだな。縁があれば是非に」
イギリス北部、エディンバラ空港までの20時間にも及ぶフライトは意外にも無事に終わった。専用機持ち2名が座す、空飛ぶ伏魔殿に手を出そうという輩はいなかったようだ。
日本との時差は約8時間と大きいが、フライト中の大部分を寝て過ごしたセシリアに時差ボケの影響はない。どうせすぐとんぼ返りなので、感覚がイギリスに戻ってしまう方が問題だろう。
むしろ、寝ても覚めてもずっと変わらず絵を描くこの男はいつ寝ていたのだろうか……? セシリアは訝しんだ。
空港へ着陸して待っていたのは、オルコット家のメイドのチェルシー・ブランケットだった。本来ならオルコット邸に居るはずの彼女にセシリアは疑問符を浮かべる。
「チェルシー、どうしてあなたがここに?」
「まずは長旅お疲れ様でございます、お嬢様。本来は家でお待ちしている予定だったのですが、
ご当主様。詰まる所、セシリアの母親だ。
数年前の列車事故を生き延びた彼女は、療養中であろうと弱みを見せることなく家を支え、無数の事業を抱える実業家でもある。そのせいで常に多忙であり、セシリアと直接顔を合わせられる機会も大きく減っていた。定期的なビデオ通話が数少ない親子の時間だ。
「──お、お嬢様!?」
セシリアは感余ってチェルシーを抱きしめる。赤髪のメイドは一瞬驚いたように身を震わせて、それからすぐに優しく次期当主を抱き返した。
バイド襲来から色々あった。その多くは自分の無力と不甲斐なさに苛まれるばかりで、半月近く経った今でもセシリアは日常への回帰を果たせずにいた。
チェルシーはセシリアが幼少の頃から彼女の専属メイドで、同時に年も近いことから姉同然の幼馴染でもあった。言うなれば家族の一人。
目にして、触れて、実感する。自分は生きてここにいるのだと。
「──はじめまして、ミスター・ショウ・サワムラ。イギリスへようこそ」
一方で、空港の出口でサングラスを弄るショウの下に一人の男がやってきた。ミディアムヘアの金髪をした若い男は、きれいに整えられた黒いスーツを纏っている。ネクタイは青色で、金色の模様が刻まれていた。
「連合王国政府BEIS*1所属のエリック・アラダイスです。お会いできて光栄です」
そう言ってエリックは右手を差し出してくる。ショウも当たり障りなく自己紹介して握手すると、小さく会釈した。
エリックにはその手が少し震えたような気がした。
「イギリスは初めてなんですが──日本と同じ島国でも大分違って見えますね」
「おや、でしたらこの後少しご紹介しましょう。これでもセシリアの上役でしてね、今回の責任者を任されているんです」
「ああ、それはどうもありがとうございます。移動中というのはどうしても暇になりますからね。
ところで、私の英語ってちゃんと通じてます? ──ああ違う、
エリックは目元と腹筋を抑えながら俯くと、ハハハと笑ってショウに向き直った。
「ええ、問題無く通じてますよ。一応日本語も通じるのでお困りでしたらと言うつもりだったんですが、その心配もなさそうですね。退屈もしなさそうだ」
◆
「……随分嬉しそうじゃないかセシリア。さっきのまま抱き締め合ってても良いんだぞ?」
「放っといてくださいまし」
日本からの2人にメイドと役人。計4人を乗せたリムジンは軽やかに道を駆ける。
穏やかに談笑を繰り広げつつ、30分が経過した。ショウは機内と変わらずスケッチブックの上でペンを踊らせていて、エリックの言葉に顔を赤くするセシリアの隣からチェルシーが興味ありげに覗き込んでいた。
「改めて自己紹介いたしますね。セシリア様のメイドをしている、チェルシー・ブランケットと申します。学園ではお嬢様に良くしてくださっているようで、ありがとうございます」
「いえいえ、戦っていて楽しい相手です。彼女のリーダーシップのお陰で、学校へ行く年齢じゃない自分でも不安無く暮らせていますから。こちらこそ光栄です」
「それはそれは……嬉しい限りでございます。ところで、失礼ながら何を描かれているのですか?」
「ああ、自分も気になってました。中々筆が速いようですが……」
セシリアも覗き込んできたところで、ショウは無言で紙を翻して見せた。
モノクロで描かれていたのは古い石造りの建物と、その前で並ぶ数人の男女。後列に並ぶ大人は男1人女2人で、あとは前列に幼い女の子が3人。どれも顔は描かれていなかったが、髪と服装は細かく作り上げられていた。
「これは……わたくしの家ですの? 背景の建物がよく似ていますけど」
「いんや、単なる想像。ただ、イギリスに行くと決まったとき、頭に浮かんだ景色がこれでさ」
男と前列の内の2人の女の子の髪は暗い色で描かれていて、対してそれ以外は明るく描かれている。後者は金髪で、前者はそれ以外の髪色の表現だろうか。よく見ると、暗い色も男と女の子2人で別の色だ。
特に、後列の女性の片方と金髪の女の子は前後にピッタリくっつくように並んでいた。親子というよりは姉妹に近い印象を与える。表情が描かれていないながら仲睦まじい様子の構図は、一見すると家族の集合写真のようでもある。
「……」
「これを車の中で、こんなに速く描いてしまえるとは。もしかしてISに乗る前は画家でも目指していらしたんですか? ミスター・ショウ」
「ただの落書きですよ。わだかまるイメージに形を押し付けて忘れようとしているんです。──まあこの辺で一旦やめておきましょうか」
あー酔ったわ、と鞄からワサビパックを取り出して啜るショウに、エリックは引いた様子で「結局、車酔いはするんですね」と呟いた。ワサビの方にツッコむ人間はいないようだ。
「……チェルシー? 黙り込んでどうかしましたの?」
「……」
「チェルシー?」
「──っ、いえ、何でもございません。少々見入っていたようです」
「それなら良いのですけれど──ああ、そうですわ。家に着いたらその絵と見比べてみましょう。もしも同じ景色なら、透視の才能があるのかも知れませんわよ?」
「恥ずかしいなあ……」
◆
リムジンを降りると、一気に景色が開ける。
上品に花の装飾が施されたフェンスと門。手入れの行き届いた芝生に生け垣。快晴に照らされた明るい石畳の道の先には、大きな噴水が輝いている。そして、その向こうには古めかしくも厳かな石造りの屋敷が佇んでいた。
「ようこそ、我がオルコット城へ」
並んで出迎えた数人のメイドの前で振り返って、セシリアは自慢げに笑った。
今回のイギリス出向の第一の目的地がここだ。英国経済の重鎮たるセシリアの母と顔合わせをするという体でのお茶会が開かれることになっていた。
「お城、かあ……」
「ええ。王室から賜り、先祖代々受け継いできた場所ですわ」
「じゃあ、セシリアはここで暮らしていたのか?」
「実を言えば、そうではありませんの。普段は別にある屋敷で過ごして、パーティーや特別な行事のときだけこちらに来るようにしています。そういえば、先程お描きになっていた絵……中々似てますわね?」
「そう見えるか? 実を言えば一度描いてしまうとイメージが蒸発してしまうようでさ、どんな景色か分からなくなっちまうんだ。ただまあ──こうして目の前にすると眩しいくらい綺麗なお城だ。愛情持って手入れしてるんだな」
そう言っていただけますとメイド共々誇らしいですわ、と笑うセシリアに続いて、ショウやエリック、メイドたちは城の中へ進む。
正面玄関にある大きな観音開きのドアを開けると、目の前にはガラスケースに防護された大きな絵が2枚飾られていた。1枚は肖像画だ。顎髭を蓄えた金髪碧眼の男性が、鳥の羽があしらわれた帽子を被って佇んでいる。
もう一枚は、よりシンボリックだった。両脇に旗と剣、中央には大きな雄獅子が描かれている。特に獅子にはこだわりを込めて描いたようで、黄金よりも透き通った琥珀色の毛並みや、小さいながらも力強く存在を主張するサファイアの瞳は、それだけで眼の前に本物がいると錯覚するほどの存在感を放っている。
ショウはその前に立って、ぼうっと絵を眺めていた。他の人間もそれに倣う。
そんなときだった。
「──
セシリアに似て、しかし少し低くて落ち着きのある声。声の主はすぐに姿を表した。
「はじめまして。そしてようこそいらっしゃいました、ミスター・ショウ・サワムラ。ここオルコット家当主にしてセシリアの母──ドロシー・オルコットと申します」
胸元くらいまで伸ばした鮮やかな金髪と、目覚めるような碧い瞳が特徴の女性、ドロシーは宵闇のような群青色のフォーマルドレスの裾を摘んで優雅にカーテシーを見せた。セシリアをそのまま成長させたような外見には年齢を重ねた落ち着きと凄みがある。
ショウがペコリと一礼しながら挨拶を返そうとしている横から飛び出したセシリアがドロシーに抱きついて窘められる一幕を経て、中庭のテーブルに案内された一行はお茶会を始めた。
オルコット家の紋章があしらわれたティーセットと、ほんのり湯気を上げているアップルパイが柔らかい正午前の日差しに照らされている。
アップルパイを一切れ口に入れれば、暖かなバターの風味が鼻を突き抜けて、続いて甘酸っぱいリンゴのコンポートが主張する。噛みしめればパイ生地の感触が賑やかで、力強いがしつこさは感じない、どこか懐かしい味。
英国式のティーパーティーといえばスコーンじゃなかったかと目を丸くするショウに、セシリアがそれは夕刻のアフタヌーンティーのものだと教えてくれた。
アップルパイはセシリアの幼少からの好物らしく、折角の帰郷ということでドロシーが計らったものだという。詰まる所、これは家族の時間でもあった。
仕事の話は面白くないから、と今回の本題であるグランゼーラとBT計画の技術交流の話は早々に片付けて、ドロシーはオルコット家の歴史の話を語った。
「先程ご覧になった絵の片方──帽子を被った肖像画が当家の始祖リチャードですわ。フランスとの戦いの折に農夫ながら多くの武功を立て、騎士となり、やがて貴族へと成り上がった……それが当家の興りです」
「歴史上で英仏の戦いは多いと聞きますが、紋章に獅子がいるとなると非常に大きな武功だったようですね」
お気付きでしたか、とドロシーはティーカップを傾けながら、その表面に刻まれたオルコット家の紋章を日に当てた。青い瞳の獅子と剣があしらわれたそれは、先祖代々受け継いできたものだという。
辺りには上品な紅茶の甘い香りが漂っている。始めにどこの茶葉か語ってくれていた気がするが、疎いショウには分からない。
「獅子の紋章は王家の証。それを部分的とはいえ一貴族に使わせるというのは、それだけの意味を持ちます。今いるこの城も爵位と共に賜ったものを手入れしていますの」
「
「あら、随分お勉強なされてますのね」
「入学前にセシリアのことを調べた際にちょっと。そんな力強い二つ名で呼ばれる家系だからでしょうか、戦っていて楽しかったです」
「ミスター……」
「そして、今ではその戦いの場は経済とビジネスに移った……そういうことですか? ここへ来る前にイギリスのことを調べたんですが、オルコットの名前が付いた起業や団体を幾つか見かけまして」
ドロシーはうなづいた。
馬で戦場を駆け回る時代が終わり、騎士だの爵位だのといった称号が単なる称号になり始めていた頃。当時のオルコット家当主は、それまで受け継いできた資産や名声を錆びつかせないよう、それらを起業や投資に回すようになったという。
度重なる浮き沈みを繰り返しながらも成功を積み上げ、今日ではオルコットの名は政財界に轟き、まさしく現代の貴族となった。今でも時たま王族のパーティーにも呼ばれるというから、その地位は推して知るべしか。
セシリアがテストパイロットを務めるBT計画の中心的な出資者はオルコット家である。だからこそドロシーは計画に対して強い発言権を持ち、それ以上に最高峰の適正者たるセシリア自身に対して結果を求めていた。
「──お母さま。今回で結果は出します。貴女の娘として」
「ええ、期待しているわ。セシリア」
青を基調とした絨毯の惹かれた、どこかの執務室。
四隅に置かれた名前も知らない観葉植物や磨かれた大理石の床を、暖色の間接照明が照らしていた。高級そうなタペストリーの吊るされている奥に置かれた黒檀の執務机を除けば、その前には何も無い空間だけが広がる。
天井は高く、しかしどこの壁にも窓の類は一切無い。時計の類もなく、ずっと同じ景色を保ち続ける内装は、まるでその部屋だけが外界と切り離されて存在しているようにも感じられる。
そんな、豪華ながら妙な居心地の悪さを漂わせる一室の中央。その虚空が、何の前触れもなく歪んで波打った。何者かが空間を突き破ろうとしている。
「毎度のことですが……もう少し質素で良かったと思うのですけどね」
一瞬遅れて、そこには群青色の人型が現れた。
魚のヒレのように有機的で先鋭的な装甲で固めて、顔面は同じく群青色のラウンドバイザーで覆われたIS──リプリーズ。バイザーの向こうには大きな2つの目玉模様が特徴的な仮面が覗いていた。
ここはオラクル財団の重鎮たるシアのために設けられた部屋だ。
数々の「預言」によりここ20年ほどの社会経済を導いてきた彼女を信奉する者は多く、この部屋もそうやって作られた。
シアがISを解除すると、いつもの暗い色のISスーツに変わって、リプリーズと同じ色のベーシックドレスが彼女の身体を飾った。ここしばらく体調の優れないシアだったが、それでも立ち居振る舞いは貴人のそれである。
そのまま執務机に備え付けられた革張りの椅子に腰掛ければ、眼の前に数枚の空中ディスプレイが浮かび上がる。小さい長方形の枠がいくつも整列したそれはオンライン会議用ソフトウェアのレイアウトだ。しかし、誰一人として顔を映している者はいない。
『──みなさま、我らの乙女がいらっしゃいました』
中年の男の声。それに反応するように、画面からは無数の声が湧いた。聞こえてくるのは老若男女様々で、それぞれがシアに対して称賛と身を案じる言葉を送っていた。
『おお、預言の乙女!』
『お久しゅうございます。先日の戦いでは消耗されたと聞いて私共……』
仮面の向こうで、シアは小さく溜め息を吐いた。
彼らは皆、密かにオラクル財団に加盟する企業や組織の重役や長たちである。シアの「預言」に従い、その運営方針を委ね、それによって富や救いを得た彼らにとって、彼女の存在は現代の聖人や救世主だ。だからこそ彼らはシアへの尊敬と感謝を忘れることはない。
その
そんな彼らをシアは従え、オラクル財団という組織の形に組み上げ、今日までバイドへの対策を続けてきた。
「皆さま、お久しぶりです。先日の件についてはご心配をお掛けいたしました」
シアが口を開けば、ざわついていたディスプレイからの声は静まった。
「さっそく本題に入りましょう。先の束博士の情報公開への対応状況を報告してください」
『抗バイド塗料の製造については各社で製造ラインの構築が完了しており、別の薬品に偽装しての生産を開始しています。各国首脳部の情報公開に合わせて流通を始められるかと』
「カバーストーリーについては?」
『たまたま別の薬品の製造ラインを転用できた、人類の危機に対応すべく利益度外視で生産中……大まかにはこの形です。既に幾つかのメディアは抱き込みました』
4月末のバイド襲来後に行われた国際IS委員会とIS学園との査問会議でのことだ。そこに乱入した束は、既得権益ばかり追う委員会を非難しつつ、同時にバイドに対抗するための要素技術を順次公開すると発表した。バイド体に触れた際の汚染・侵食を低減する塗料はその1つである。
だが、今から公表したとして、それが世間に出回るにはどれ程掛かるだろうか?
白騎士事件という極めてセンセーショナルなお披露目行為をしたことでISは広まったが、バイドといういつ現れるかも分からなければ正体も不明な相手に、その対抗手段をお出ししたところで各国は動かない。他国よりも多くコアを、軍事力を持つことに腐心する大国同士を協力させるなど、すぐには不可能だ。いざ動き出してもその頃には手遅れということも十二分に考えられる。
だからこそ、シアは束の公表に先駆けて、その準備を進めてきた。そのための組織がオラクル財団だ。存在そのものが眉唾の外敵を制するという絵空事を、シアは自らの預言への尊敬や信仰という形で人を動かして実現しようとしている。
「では、量産型オシレータの生産状況についてお願いします」
『中核となるエーテリウム結晶の精製がボトルネックになっていますが、先に発表されたOF-3に搭載する分は完成しています。乙女さまの号令があればいつでも全機で波動砲を運用可能です』
「サンデーストライクへの搭載分は?」
『目下、束博士と共同で弊社の技術チームが量産を目指しています』
「必要とあらば予算は増額しますので急いでください。リプリーズ含め個人レベルでの戦力にも限界があります」
その後もシアは順々に報告を聞いていき、適宜指示を飛ばしながら会議は終わった。
全世界を騒がせる束と、各国の経済界が人知れず繋がっているなんて。とんだステレオタイプな秘密結社になったものだとシアは自嘲する。
それから、シアは空中ディスプレイの1つを指で小突いた。
「束、今話せますか」
『あいよ~束さんでェす。どしたのシアちゃん?』
シアの最大の協力者はすぐに応じてくれた。その声に混じって金属の擦れる音がしている。何かの作業中だろうか。
「丁度今オラクルのメンバーの報告を聞いたところで、それについて確認がしたかったのですが……ごめんなさい、今忙しかったですか?」
『うんにゃ、束さんにとってあらゆる工作は片手間だからね、大事なシアちゃんの声はいつでもウェルカムだよん。というか常に耳元で囁いてくれるなら能率400%になっちゃうぜい』
「…………。これから公的な配備を進めるOF-3の件です。現状パイオニアモデルとしてガルーダが稼働中ですが、設計にない振る舞いが見られている現状をどう思いますか? 特に、フィードバックを受ける他の後続機への影響について」
『どうも何も、
「……と、言いますと?」
『先月壊れた
シアの眼の前に新しく空中ディスプレイが浮かび上がる。映し出されたのは再興させたOF計画の一機体の姿。それはシアも何度か見ていたが、同時に違和感があった。
「ワルキュリアは胸部を切り裂かれて壊れたと聞いていましたが……直っているのですか?」
『そう、まさしくそこなんだよね。でもって壊れたはずのパーツを取り出してよく見たんだけどさ……』
もう一枚の写真が表示される。金属製のパーツを1つ、ブルーシートの上に乗せたものだ。だがそれは、パーツと呼ぶには余りにも奇怪な外見をしている。
「……捻れている?」
まるで、ピーナツバターやガムのような粘性の強いものを練って形を整えたような側面。一方で外に向けられる面はきれいに整えられていて、まさに見た目を取り繕ったような様相だ。
だが、束によればワルキュリアは学園から移送されてから今に至るまで、グランゼーラでは修理の類は行われていないという。つまり、束が調べるまでの間に
『そう。一般的に考えればISコアによる修復なんだろうけど、そもそもISじゃないワルキュリアは形態移行の類が出来ないし、勝手に形が変わるなんて有り得ないワケだ』
「あのコアも、貴女が造ったもののはず。それでも分からないのですか?」
『お恥ずかしながら、ね。
「ええ。学園に縛り付けていては分からないことも多い」
『そういえば、沢村ショウを紹介してくれたのはシアちゃんだったよね。何か彼のこと知ってるの?』
「いえ。ただ、
『……それ、いつの話?』
「私がリプリーズを手に入れたとき──出来れば思い出したくない記憶ですが」
束の声の向こうからは変わらず金属の擦れる音や、心電図にも似た等間隔の電子音が小さく響いている。
「それで、束。話は変わりますが……」
『
束はシアの考えを分かっているかのように言葉を繰り出した。
「ハード面は、どうですか」
『安定稼働に向けての調整中だね。今のままだとクーちゃんとの同調無しには撃てないし、その場合の負荷が大きな問題になる。
──シアちゃんが大事にしてる
「……ごめんなさい、ワガママばかり言ってしまっていますね」
『もー、だから気にしないでって毎度言ってるじゃん。親戚の娘を1人預かるみたいなものだし、やること山積みの今となっては1つ増えたところでぜーんぜん変わんないね』
「……ありがとうございます」
シアはそこで通信を切って、背もたれに身体を預けた。
やることは多い。これまでも、これからも。
自分の身体がどこまで持つか分からないが、それでも。
そんなときだった。執務机の向こう──大きい両開きの扉がコンコンと叩かれた。
どうぞ、と言って相手を通すと、現れたのは若々しいアッシュブラウンの髪をした背の高い中年男性だった。
扉の開閉に煽られて、室内には仄かに甘い香りが漂った。その根源は、男が引いてきた装飾付きのワゴンだ。
「失礼いたします、シア様」
「ジェイド、貴方ですか。ところでそれは……?」
「多忙でお疲れかと思いまして」
──ジェイド。
シアと同様に偽名を名乗るこの男は、オラクル財団のメッセンジャーとしてショウへの連絡役を務めた人物だ。
声に反して若々しい外見の彼は、そのままシアの前まで押してきたワゴンからティーポットとマグカップをシアの前に並べた。
「イギリスにいる彼のバックアップをお願いしたつもりだったのですが……」
「沢村ショウには事前に幾つか指示を伝えてあります。言ったことには従ってくれる彼ですし、多少は目を話す暇もありますよ。……尤も、指示していないところで何をするか分からないのも事実ですが」
「……ごめんなさい、いつも無理を言ってしまっていますね」
「いえいえ、当然のことをしているだけです」
ワゴンの上に乗った銀色のクローシュを取り外すと、紅茶の香りに混じってバターと果実の香りが漂った。シアは驚いたように声を漏らす。
「アップルパイ……ですか?」
「疲労には甘い物が効果的です。それが好物ならば、特にね」
ジェイドは焼き立てのアップルパイを2人分切り分けて、執務机の上に置く。更にどこから取り出したのか折りたたみ椅子をシアの向かいに置いて腰掛けた。
「息抜きも大事ですよ。貴人なればこそ、優雅に」
「ふふ、そうですね。ありがたく頂きます」
シアは、顔を隠していた仮面を外した。
こんかいのまとめ
・ショウ
イギリスに来てもワサビ。手荷物検査を通すのに苦慮した模様。
歌う代わりにお絵描きで手慰み。自分でも何を描いているのかは分かっていない。
オルコット家の絵には興味アリ。動物って可愛いじゃん?
・セシリア
家族と会えてやっと「日常」を実感するお嬢様。
思い通りに行ってるんだか行っていないんだか、腑に落ちないまま膨らむ頬。
好物のアップルパイが身に沁みる。亡き父が作ってくれたのとは少し味が違うけど。
・チェルシー
セシリアの専属メイド。幼少期から一緒に過ごしており、姉同然に接してきた。
ショウの描いた絵をやけに気にしている。あの背景と人物は一体……?
ちなみに絵は出発前に本人に貰った模様。
・ドロシー
数年前の列車事故で夫を亡くすも生還し、一族を支える現当主。無数の事業を抱えるため多忙な日々を送っており、セシリアと会える時間は少ない。
偶然セシリアの帰国に合わせて時間が空いたため、ショウを迎えることに。
・シア
ショウの所属するオラクル財団の重鎮たる「預言の乙女」。
リプリーズを駆るのは緊急時のみで、本業はこちら。束に技術面を任せつつ、自分は政治面を担当することで組織を成長させてきた。
外見は長身の20代だが、活動してきた時間と見合っていない。これも預言の乙女の奇跡と噂されている。
流石にものを食べるときは仮面を取る。
・ジェイド
シアの好物を知る妙に若々しいおじさん。財団のメッセンジャーだが、他の構成員とは立場が違う模様。目下はショウのオペレーターをしている。
シア同様に年齢が怪しい。財団で活動し始めたのは割と最近になってから。
アップルパイは自分で焼いた。材料のリンゴ選びとコンポートの作り方にコツがあるらしい。
家族の時間って大事ですよね。
3章の後半はイギリス編です。今回はその準備回のような形で説明を入れてみました。
以前にちょっとだけ書いたセシリアの親の生存が本作の大きな分岐点の一つです。原作と違って家が取り潰し寸前ということもなく、オリキャラとして登場させた母ドロシーがその辣腕を振るっています。
既存キャラの強化パターンを見て……
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もっとやって!何なら別機体渡しちゃえ!
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強化装備ポン付け位がいいかな……
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機体はそのまま新武器使わせる程度が好み
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この水は飲めそうだ