Infinite stratos / False prophecy 作:✕せんたくだま
「それで、ここの
第3アリーナの14番整備室。
先月まで静寂が支配していたこの部屋の周囲は、最近になって少し賑やかになった。
「ああ、でしたらWar Relic社の物が参考になりますよ。斯くいう私も火力を求めて他社の武器を漁っていた時期がありまして」
「今はしてないんですか?」
「こうして火力を布教するのがより徳を高める方法と気付きましたから。
……というのは嘘じゃないんですが、色々忙しくなってしまったのが一番の理由ですね」
ガレージに置かれたベアボーン状態の専用機はそのままだ。その代わりに大型の多連装ミサイルポッドが無数のケーブルに繋がれて建造中である。
以前ネオンとばったり出くわして以来、簪はチャット越しに何度か開発のアドバイスを求めていた。
相手は炸裂系武装のスペシャリスト。知識はあれど
話してみるといきなり知識の瀑流で押し流されかけるほどで、自分が作ろうとしていた小型多連装のミサイルに必要な要素技術について多くを教えてくれたのである。
だから、ちょっとばかり欲が出てしまうのは自然のことだろう。
──今度、会えませんか?
ショウが出払って静かになったのは良かったが、かと言ってその僅かな期間に一人で成果が出せる自信が無かった簪は、ネオンに直接会って話を聞けないか頼んでみることにした。
ここ最近になって学園への導入が決定され、驚くべきスピードで配備が進んでいる新型機「OF-3」の件で学園に何度も来ているネオンは即座に快諾してくれた。
多忙のネオンの予定もあって、結局2人が会えたのはショウの帰国後だったが、簪にとってはそれでも良かった。
どうせあの男はガルーダの中から出てこない。
「それで、以前お話した件は考えて頂けましたか?」
「このISの開発協力のこと……ですよね」
「はい」
ネオンから多くの知識を得る反面、ここ数日の簪を悩ませていたのは彼女からの熱烈なプロポーズだった。
去年度まで協力していた倉持技研にリソース不足で半ば捨てられる形で契約が切れた簪にとって、すぐに新しい相手と縁を結ぶのは簡単な話ではない。
一方で、グランゼーラからの提案は十分に魅力的でもあった。
結局1人では無理がある専用機開発において、IS業界の老舗にして大手の助力が得られるのだから、むしろ選んで貰えるだけでも他からすれば垂涎モノだろう。けれど。
そうすべきと理性で分かっても、トラウマと劣等感が許さない。
「お姉さんのこと、気にしてるんですか?」
「……ッ!?」
「気を悪くしてしまったのなら謝ります。ごめんなさい。でも、分かりますよ。私も直接あの人に会いましたし、納得のカリスマでしたから」
姉の楯無がグランゼーラを訪れていたという話は簪も風の噂で聞いていた。それそのものは特に疑う理由も無いが、同時に「ネオンと出会う」というちょっとした事柄でさえ姉に先を越されている事実が簪の胸中をじくじくと灼いている。
「ロシア代表パイロットにしてこの学園の生徒会長……多忙なのは容易に想像出来てしまいますね。同時に秘密も多そうですし、一人で何でもこなしてしまっているのでは?」
グランゼーラの人間には他人の内心にズケズケ踏み込むノルマでもあるんだろうか。簪の視線は険しくなる。
そんな彼女にネオンは、ずい、と歩み寄って続けた。
「辛いでしょう? 自分から何かしてあげようとしても、自分だけ知らないことがあるから手を出せませんし、追い付こうとしても時間の差は埋まらない。
秘密を抱えて活躍する
ネオンは簪の両肩をやんわり掴んで、さらに顔を近付けた。赤縁眼鏡の向こうから覗く栗色の瞳に、まるで鏡の様に簪の顔が映り込んだ。
ひどい表情だと思った。
「だったら尚の事、アナタにも秘密が必要なのではありませんか? 誰を追いかけるのでもなく、いつの日か笑顔で自慢してやれる、アナタだけの、どデカい秘密が」
「秘密って……何をするの?」
「何だってやれば良いんですよ。
自分だけの専用機? 作っちゃいましょう。独自で考案した新機軸の武装? どうぞどうぞ協力します。アニメやゲームに出てくるような力で戦いたい? 楽しそうですね。
……そうして大きなものが生み出せたなら、胸を張れると思いませんか? 他でもなく、自分自身に」
いっそ狂気すら感じるネオンの瞳はどこまでも透き通って見えた。言っていることはあまり理解できないが、どうしても自分を勧誘したいという意図だけは分かる。
「……どうして私なんですか。テストパイロットなら既にいるじゃないですか」
簪は恨めしげに壁に目をやる。
んー、と思案するように声を漏らしながらネオンは廊下へ出て、隣のガレージの前に立った。簪の睨む先──ガルーダが佇むショウの持ち場に。
「あそこの大きいコンテナ、見えます?」
「銀色の、ですよね」
ショウのガレージは真上から鋭いLEDの白い光が照らす以外は薄暗い印象を受けた。中央の架台に目立つ赤色のガルーダがあって、両側に数個のコンテナ、手前側の壁面には幾つかのホワイトボードが置かれている。
ネオンが指差したのはそのコンテナの一つだった。
「去年度までの話です。私は沢村さんたちテストパイロットを定期的に誘って、武装の試作品のレビューとかテストをやってたんですね。私が作って、みんなが試す……そういう関係でした。
先々月だったかな、沢村さんが携行式のレールガンの設計図と仕様書をまとめて、とにかく作ってくれってメールしてきたんですよ。もちろん言われた通りに作りましたけど、威力も弾種も完全にレギュレーション違反の代物ですし、いつの間にそんな設計を覚えたのかとか、どういう意図なのかとか、色々なことが分からないままです。
……私が試作品を見てもらうときは、設計思想から何まで全部話してきたつもりですけど、彼は秘密みたいで。ちょっと拗ねちゃいますよね」
「じゃあ、さっきの秘密って……」
「──
それにココだけの話……今の沢村さんって社内だと色々別の事情が絡んでまして、もう単なるテストパイロットとしては扱われてないんですよね。あと一人のテストパイロットは常にウチにいる訳でもない人ですし、そういう意味で言えばグランゼーラのテストパイロットって不足してるんです」
相変わらずガルーダは微動だにしない。その代わりに喧しく殴り書きされたホワイトボードには、見たこともない数式や万華鏡の中を覗いたときみたいな幾何学図形、妙に歪んだ外国語の文書などが踊っている。
そんな邪教の儀式場みたいなおどろおどろしい景色を背に、ネオンは簪に視線を送る。
「他に人手がいないのも、ネオンさんのやりたいことも何となくは理解できました。でも……私じゃなきゃいけない理由って無いですよね。
私でなくとも、たまたま倉持にお払い箱を食らった
技術屋としてのネオンを簪は認めている。ショウもそうだ。企業所属という肩書きに見合った実力と知識を目の当たりにしておいて、それを否定するのは全く論理的ではない。
だが、それと自分の状況は話が別だ。
劣等感の根源である姉に勝ちたい。自分の求める専用機を自分で組み上げて動かしたい。そのためなら多少は利用されることだって受け入れてもいい。
……でも、どうせなら少しくらいは温かい関係がいい。
これは簪にとっての、ある種の試し行動だった。
「ん~」
ずい、とまたネオンが距離を詰めてきた。
柔和な笑みを浮かべて、赤縁メガネ越しの瞳はブレることなく簪を見つめている。
「──アナタの瞳に惚れたから、じゃダメですか?」
◆
「ファイア・フォー・ミー♪ ファイア・フォー・ミー♪ 私だけの~火力ぅ~♪」
次の予定があるから、と簪に幾つかの資料を渡して会話を切り上げたネオンは、ルンルン気分で整備棟の廊下を歩いていた。
簪は自分の申し出に対して少なからず悩んでくれている。頭ごなしに拒絶されなかっただけでも嬉しいところ、興味まで持ってもらえたなら御の字である。
(彼女がいれば、次のプロジェクトも一気に進みそうで──)
「──
陽の光が差し込む整備棟の出口まで来たところで、物陰から少女の声が呼び止めた。
「おや、お久しぶりですね楯無さん。今は生徒会長とお呼びすべきでしょうか?」
どちらでも構いませんよ、と歩み出てきた楯無は、近くの壁に寄りかかった。その目は険しい。
「しかし、粉を掛けるとは心外ですね。見込んだ相手に熱いアプローチをしているだけですけれど」
「だとしても、姉としては見過ごせません。もう少し御社は周囲のイメージに対して敏感になるべきなのでは?
ここ最近導入が進んでいるOF-3ですけど、随分と話が急に進みすぎているようですが……」
「──
逆ですよ、逆。IS委員会の皆さんはむしろあの機体のことを知りたがっているんです。この話の早さは皆さんの興味関心の表れですよ」
楯無の追求にネオンは柔和な笑みを崩さない。建物入口から差し込む陽光にメガネのレンズがキラリと輝いた。
「胡散臭い自覚があるなら私の気持ちも分かって欲しいものですね。家族の交友関係を気にするのは普通のことですから」
「ええ、仰る通りです。けれど……あまり過保護になっても良くないのでは?」
「過保護、ですって?」
気の所為だろうか。ギリリ、という音が耳元から楯無を刺激した。
「家庭の事情は存じ上げません。しかし、簪さんには能力も立場もあって、何より、火力に溢れた大きなビジョンがあります。翼を広げようとするのを助けてあげたいと考えるのは、そこまでおかしいことでしょうか?」
「……だとしても、貴女はあの子に相応しくない。得体の知れない企業に、預けられるもんですか」
いつの間にか、ここにいるのは生徒会長としての楯無ではなくなっていた。
一方で、齢17の姉としての気持ちを全く汲めないネオンでもない。
「でしたら楯無さん、貴女は簪さんがどういうものを作りたいと思っているか、きちんと聞いたことはありますか?
私はさっき教えてもらいました。彼女が望んでいる多連装ミサイルシステム、花火みたいに景色を埋め尽くす爆炎と軌跡の中で舞う自分の姿……キラキラと火力の心で目を輝かせながら言うんですもん、もう惚れちゃいましたよ」
両腕を広げて語るネオンに、楯無は言葉に窮する。
いつかこうなるのではないか、とは思っていた。何せ一緒に育った妹のことだ、その才能を知らずにいる方が難しい。
だからこそ預けたくないのだ。この底も得体も知れない女に、可愛い妹を。
「そういう意味で言えば、貴女のことも気になってますよ」
ぐるりとサーチライトを傾けるように、突然話のベクトルが楯無に向けられる。
「──は?」
「私、
ですから──。
ネオンは目にも止まらぬ疾さで物陰に立つ楯無の鼻先まで距離を詰めてくる。
そのまま柔らかく彼女の右手を取ると、空いた左手を楯無の胸元にずぶりと突き立てて、中にあったものを握り潰した。
「今度は
崩壊していく視界の中で、ネオンはニッコリ笑顔のままだった。
◆
「──ッ!?」
生徒会室にあるふかふかの椅子の上で、楯無は痛みも何も感じていないのに自分を抱きしめながら身を震わせた。
室内を彩る暖色の照明とは真逆の、蒼白とした顔面が内心を物語る。
──自分がもう一人いたら。あるいはもっと沢山欲しい。
忙しい日々を送る多くの人が共通して抱く願望を、楯無の専用機ミステリアス・レイディは実現する。
アクア・ナノマシンを精密に操り、楯無の外見と声色を再現しつつ視覚と聴覚を代替することで、パイロットと寸分違わぬ分身を遠隔操作可能な形で何人も作れてしまうのである。この広いIS学園を実家の庭も同然に駆け回り、あらゆる生徒の事情に精通する生徒会長の神出鬼没にして八面六臂のカラクリはこういう理屈であった。
勿論、自分が複数に増えるということはそれだけ本体の楯無の脳に掛かる負担は倍増するわけで、こうして分身からの感覚のフィードバックに怯むこともたまにはある。
だが、問題はそこではない。
(か、勘付いた? あの場にいたのが分身だって、生身で見抜いたっていうの……?)
ネオンにはそれが分かったらしい。分身を維持するためのナノマシンの核の位置を間違いなく見抜いて、事も無げに破壊してみせる。まぐれ当たりの所業では決して有り得ないことだ。
何よりも気に障るのは、最後の言葉。
──私、
更識が暗部に関わる家系ということは当然ながら公の場では秘匿している。一企業の人間に嗅ぎ回れるような痕跡も尻尾も出したつもりは楯無に無い。
そんな人間に、まるで「私はお前のことを全て知っているぞ」とでも言うような。
(ほとんど挑発みたいなものじゃない……思えばショウの自室を本人不在で見せてきたのもあの人だったし)
何か重要なことを知って動いているようで、その実今ひとつ判然としないショウとは真逆だ。ネオンは隠しているということを隠さない。
こちらの興味を一方的に煽って、彼女は自分たち姉妹をどこへ誘おうとしているのだろうか?
確実なことは、その先が碌でもないものであろうということ。
長い長いため息の後で気を取り直した楯無は、デスクの引き出しから分厚いファイルを取り出して開いた。ここ半年掛けて集めた沢村ショウに関する資料だ。
──SNSアカウントを特定。ワサビパックの写真しか上げていない?
↑
投稿データと端末のメタデータが一致しない。別人によるものである可能性
──沢村ショウが関わったとされる暴力事件の資料?←OO県警XX署に保管との情報アリ
──当主様指定の書籍リスト、これ全部児童書です?
幾人もの手を渡り歩いたファイルには手汗の跡で歪んだ紙資料が納められている。
一般人ならここまで情報が散逸しているなどあり得ず、たったこれだけを集めるのにここまで時間が掛かった事実そのものが、ショウに対する追究を阻む何者かの介在を証明していた。
何より、不自然なことに情報がここ最近になって急に集まるようになってきたのも気味が悪い。
「『よく隠れよ、よく
不安定で自分のことを語ろうとはしないショウ。
それを取り巻く、何者かの存在。
やはりあの日の評価は間違っていなかったと痛感する。
グランゼーラは伏魔殿だ。
──こんこん、こんこん。
そんなときだった。丁寧なノックが4回、生徒会室のドアを震わせた。
「どうぞ、入って頂戴」
「お邪魔いたします」
一瞬間を空けて入ってきたのはセシリアだった。制服のスカートの裾をつまみ上げてのカーテシーには気品が宿る。
案内されるまま応接用のカウチに腰掛けたセシリアに、楯無は紅茶を淹れるから待っていて、と立ち上がる。
こういうことは何時もなら書記である虚の役目だが、今は所用で外していた。
「お待ち下さい会長。紅茶ということでしたら、わたくしが淹れても宜しいですか?」
「お客人にそんなことをさせるわけにはいかないわ」
「紅茶は我が英国の文化にして誇りですもの。機会があるのならお任せいただきたいと申し出るのは、英国人の身に付いた癖のようなものですわ。何より貴女──」
立ち上がったセシリアは、ずい、と楯無の方へ距離を詰める。
以前話したときの萎れた表情は見る影もない。それどころか妖しさすら湛えた青い瞳が楯無を覗き込んでいる。
「──随分と疲れて見えますわよ?」
「……よく、人のことを見ているのね」
「いいえ、今の貴女によく似た表情の方を1人知っていますの。わたくしの母ですわ」
(私のことが信用できない? いや、どちらかというと本当に善意にも……)
楯無は途中で考えを振り払った。悪い癖だ。
命を取り合い、疑うことが当たり前のまま育ってしまった彼女には、世間一般における「普通」を演じる余裕があまり無くなっていた。
「……分かりました。今回は貴女にお任せするわね」
「はい。腕によりをかけますわ」
生徒会室には小さいキッチンが併設されている。
学園の中では珍しくガス式のコンロ、最低限の容積だけを持った冷蔵庫、こじんまりとしたシンク、後は電子レンジやトースターのような器具が並ぶ。
セシリアがおもむろに右手を出すと、虚空から湧き上がった白い粒子がそこに収束していく。一瞬の後に直方体の形を成した粒子は、小さな缶に変わった。
「……貴女、拡張領域に茶葉を入れてるの!?」
「こういう平時だけですわ。丁度ミサイルの予備がまだ来ないので、空いたスペースを有効活用しようかと」
「その割に随分平然としてるようだけど……常習犯だったりしないでしょうね」
「まさか。自由に量子化を操れるようになって、これでもまだ日が浅いですから、試行錯誤するなら今後の………………あれ」
「……? どうかしたの?」
「……っ。いいえ、何でもございませんわ。続けます」
平生から条約違反を知りながら専用機を便利に使っている楯無が言えたことではないが、料理にまでISを持ち出す人間などこのイギリス人くらいのものだろう。というか、そうであってほしい。
楯無は閉口した。
それからセシリアは冷蔵庫から牛乳、頭上の収納棚からティーポットと小鍋を取り出すと、早速調理に取り掛かる。
「あら、
「この茶葉を最大限活かすにはこれが最適ですから」
気付けばセシリアの頭の後ろから覗き込むように青色をした板状の物体がふよふよと浮かんでいる。よりにもよってビットまで呼び出したらしい。
……ハイパーセンサーを紅茶の温度管理にでも使うつもりだろうか?
だが、それ以上に楯無の気を引いたのは、セシリアが持ち込んだ茶葉の見た目だった。いわゆる乾燥した葉っぱと違って、缶から出てくるのはコロコロとした丸い粒状のものである。
「確かそれ……CTCだったかしら」
「ご存知でしたか。アッサムの良いものを実家より持ってまいりましたの」
茶葉を摘んだそのままの形を保ったフルリーフや切り落として形を整えたブロークンと比べると濃く抽出されやすく、紅茶の味も力強い。
単体では強すぎるからこそ、ミルクティーには最適な種類である。
小鍋でゆるゆると温められているミルクを横目に、セシリアは予め温めておいたポットに茶葉と適温のお湯をたっぷり注いで蓋をした。
透明なガラスのポットの中で、丸められていた茶葉が息を吹き返したかのように広がり、踊りだす。同時に、色の無かったお湯へ茶葉の赤い色素が素早く広がり、ポットの中身を赤く、暗く染めていった。
(……あーやだやだ。紅茶にまで変な連想してどうするのよ)
ややあって、セシリアと楯無は先ほどと同じくカウチに向かい合って座った。2人の間に鎮座するローテーブルの上には、滑らかな色のミルクティーが高級そうなカップの中で揺らめいている。
「さあどうぞ。本題に入る前に時間を取ってしまって恐縮ですが、その価値は保証いたしますわ」
では……。
お手並み拝見などと疑りながらカップを傾けた楯無は、その考えがどれほど愚かだったかを思い知る。
まず感じるのは驚くほどにまろやかな口当たりだ。適温で混ぜ合わされたミルクと紅茶は互いの性質を邪魔することなく調和し、鼻腔を豊かな香りで満たしていく。
砂糖など入れるまでもなくミルクの甘みが引き出され、その一杯を至高の逸品へと昇華させている。もはや単なる嗜好品などではない、これは芸術品である。
イライラするのはカルシウムが不足しているからとか、そういう化学的な説明を付けてやるまでもない。まろやかなものを口にすれば、人は自然と心もまろやかになってしまうのだから。
恐るべきかな英国人。
ごくりと最初の一口を呑み込んだ楯無は、丁寧にカップを置くと満面の笑みで扇子を開いて、言った。
「……天晴だわ」
「ふふ、お褒めに預かり光栄ですわ」
「これは次は私が抹茶でも点てないと釣り合いそうにないわね」
「醍醐」と書かれた扇子をしまった楯無はそれ以上は感想を言わなかった。言葉にしてしまったら、この素晴らしい体験が言語の領域に押し込められてしまいそうだったからだ。
セシリアはそんな彼女の表情を見て満足したのか、姿勢を正して心を切り替える。
「……それで、本題ですけれど」
「ええ、彼のことね」
イギリスから戻ってきたセシリアとショウについて、英国政府からの報告が今ひとつ煮え切らない内容だったのが気掛かりだった楯無は、たまたま昨日会ったのを機に呼び出すことにしたのだ。
「単刀直入で申し訳ないけれど、イギリスで何があったのか教えてもらえるかしら」
「全て
「箝口令?」
「7割方は。残りはわたくしの預かり知らぬところで起こったようで、自分でも釈然としないところです」
「……まず大前提だけど、
セシリアは無言でゆっくり頷いた。
そもそもの発端は、帰ってきたショウの様子であった。この忙しい時期に他国政府からの報告を一々自分で聞いたりしない楯無であるが、珍しく千冬から相談を受けたことで例外処理が動く。
──アイツの様子がおかしい。
千冬の言葉に対して、イカサマの前科もあるので自分が疑われているのかと思った楯無だが、どうもそういうことではないらしい。
イギリスから帰ってからずっと元気が無いというショウは、以前にも増してガルーダに籠もるようになった。仲良かった一夏とも話す時間が減り、授業時間の他は日中どこにいるのかも分からないという。
それはセシリアに対しても同じことだった。
「ただ……ミスターがどうしてああなったのか、わたくしにも分からなくて」
「意外ね。彼とはこの学園でも一番仲が良いって噂だけど?」
「そこまで自惚れたつもりはありませんわよ。彼はあまり自分のことを話したがらないようですから。
……それより、これは事実ですか?」
セシリアは1枚の画像を楯無に見せた。週刊誌の見開きページを撮った写真のようだ。
【欺瞞の素顔】「時の人」S、 元同級生が涙の告発「彼は昔からキレると手がつけられない」
封印された中学時代の「流血沙汰」
3月の報道以来、希少な人材として世間を席巻するS。だが、その裏に隠された「本性」を知る者たちは、今、その偽善的な姿に戦慄している。
今回、本誌の取材に「これ以上、世間が騙されるのを見たくない」と勇気を振り絞って応じたのは、Sと同じ中学だったA子さん(仮名)だ。彼女は、現在のSがメディアで見せる姿を「反吐が出る」と一刀両断する。
「今でこそ“ピュア”だの“謙虚”だの言われていますけど、冗談じゃない。私たちの知るSは、自分の意に沿わないことがあると、すぐにカッとなる人間でした」
A子さんが語るのは、中学2年の放課後に起きた「事件」だ。
「些細なことでB君と口論になったんです。そしたらSが、いきなりB君の顔面を殴りつけて…。B君は鼻血を出して倒れたのに、Sは馬乗りになって殴り続けようとしました。周りの男子が数人がかりで、やっとの思いで引き剥がしたんです。あの時の、獲物を狙うような目は忘れられません」
事件は学校側によって「生徒同士のいさかい」として処理されたが、A子さんは「あれは一方的な暴力だった」と断言する。
「昔からそうでした。普段は猫を被って大人しいフリをしている。でも一度スイッチが入ると、誰にも止められない。今のあの笑顔は、全部“演技”にしか見えません。彼がまたいつ「キレる」かと思うと、正直ゾッとします」
輝かしいスポットライトの裏で、Sは自らの「暴力性」を巧妙に隠蔽してきたのか。本誌はSの所属企業に対し、本件に関する事実確認を申し入れたが、「担当者不在」の一点張りで、事実上、取材を拒否。
この卑怯なまでの「沈黙」が、何を意味するのかは明白だろう。
「ネットなら数時間後には消えてそうな飛ばし記事ね、まさか紙で出版してくるとは随分なことだけど」
「それで、真偽は」
楯無は目を細めた。
本来なら取るに足らない、イエローメディアの中傷記事。
楯無がショウの背後を洗うのに苦慮している横で、最近になってこういう報道が増えてきた。大半はすぐにウソだとわかるが、逆に残りは事実が含まれていることが多く、それが楯無率いる更識の人間を不機嫌にさせていた。
……
「……部分的には事実ね。ただし本当に一部分だけ」
「もしや、暴力事件の存在そのもののことですか?」
「ええ。5年前に何かしらそういう事件があった、というところまでは私も掴んでる。けど、具体的に何が起きたのかとか、そういう詳細はまるで情報が無いの。
──少なくともこの記事にあることは真っ赤なウソね。このAとかBって人物も確実に捏造よ」
おそらく、ショウの周囲を取り巻いて過去を隠匿してきた存在は、彼を助ける側の立場にあったのだろう。日常での彼の振る舞いを見ても、肌感覚としてその過去が明るいものではないことが楯無には分かっていた。
だが今、その秘匿が破られつつある。分厚い霧を誰かが払ったせいで、楯無たちにもその向こうにある何かが透けて見えているのだ。
より一層視線が険しくなったセシリアを見て、牽制を入れることにした。
「イギリスのご令嬢なら、こういうときのメディアの汚さは知っているでしょう。ましてや、これは日本の話よ。貴女が手を出しても、良い結果にはならないわ」
「……なら、学園側はどういうスタンスでいらっしゃいますの? このデマゴギーを放置すると?」
「それを知りたいのなら、まずは貴女の番ね。さっきのミルクティーのお礼はここまでよ」
セシリアは渋い顔をした。
事実、セシリアは今回のイギリスで起きたことについての大部分を秘匿するよう、政府から言い含められていた。方や時刻の用心警護の不備が露呈した事件で、もう一方はテロリストにISを1機強奪されたなどという純然たる不祥事である。公になどできるはずもない。
だが、セシリアはショウのことがどうしても気掛かりだった。
研究所で見せたあの暗い瞳に宿ったナニカが恐ろしくて、あるいは、模擬戦の中で至った
セシリアは、ショウに壊れてほしくなかったのだ。
「……分かりました。話せる範囲ではありますが、可能な限りお教えしましょう。学外へは他言無用に願います」
セシリアはバイドとテロリストの襲来のそれぞれについて、断片的ながら事の流れを語った。
幸い、セシリアが見た範囲でショウのことに限れば、さほど機密に障るようなこともなく、大半はありのままの内容だった。
隠すことがあっても、そこは素直に言えないと示す。この相手には、隠していることそのものは隠さない方が信用を得やすいと分かっていたから。
「……この前ので終わりじゃなかったのね、バイド。ともかく撃破お疲れ様、こちらも対処すべきことが1つ見えたから感謝してるわ」
どこかで希望を抱いていた。あんな地獄は1度きりだと。
同時に分かってもいた。またバイドがやって来るということを。
笛持ちの活動や束の言葉からそれは明白で、楯無が今までその事実から逃げていたに過ぎないのだ。
「ともかく、いま問題になりそうなのはテロリストの方ね。その襲ってきた相手はどういう姿? 顔は見たの?」
「いえ、顔を隠していたので、精々背格好くらいですが……わたくしより低かったと思います。ISを使っていたことから女性……と断言できないのが厄介ですわね」
「確か彼は研究所から先に退避していたのよね、その時一緒に車に乗った相手は?」
「確実にクロですわ。こちらの上院議員のフリをしておりましたが、後から調べたところ当時本人は自宅で就寝中だったようで……。取り逃がしたこと含めお恥ずかしい限りです」
「まあ、情報が少しでもあるだけ感謝すべきかしら。
──しかし、『人間』か」
そして、ショウがやけに気にしていた「人間」という単語。
楯無にとっては、これが重要なキーワードの1つであるように思えて仕方がなかった。
あと少し。あと一歩で何かが分かりそうな予感が湧き上がってくる。
「……会長。つかぬことをお伺いしますけれど、会長は彼のことをどう思っておられますの? わたくしにとっては、たまに気難しくて
「『たまに気難しい』? それ、本当に沢村ショウのことを指して言ってる?」
「え? ええ……特にISに乗っているときは優しい印象を受けますわね。戦って楽しいのもそういったところからですし」
「全く信じられないんだけど……。私には慇懃無礼なときと何考えてるんだか分からない強引な姿しか見せないくせに」
2人の間に気まずい静寂が訪れる。幸いまだ冷めていなかったミルクティーで平常心を補給した両者はまた口を開いた。
「時に、ミスターが普段どこにいるかはご存知ですか? あの方、授業終わりに誘わないとすぐに何処かへ行ってしまうもので」
「あれ、知らないの? 基本学園の何処かを
「感心できない表現ですわよ。どうやら彼のことはあまりお好きではないとお見受けしますが」
「そりゃあもう、ね。貴女は幾分楽しめてるようだけど、彼って面倒事の源泉みたいなものでしょ? 具体的なことはこの際言わないけど、陰鬱な顔するくせに相談も何も無いし、経歴の割に妙に強いし、今回みたいに学園を離れた途端に事件に巻き込まれるし……まあ、織斑くんにも似たようなことが言えるけどね」
「……お察しいたしますわ」
「お気遣いどうも。それでも学園としては外から好き勝手させるつもりはないわよ、少なくともここの生徒である限りはね。……さっきの質問への答えとしてはこれでいいかしら?」
そうですわね……。
セシリアは腕時計を一瞥すると立ち上がった。
「あら、用事?」
「ええ、鈴音さんと模擬戦の約束がありまして。もう行かなければ。
──実りのあるお話が出来て良かったですわ。勝手の分からないところに手は出せませんから、この国での彼のことはお任せいたします。その代わり、わたくしも微力ながらお手伝いができるかと思いますので」
楯無も応じるように立ち上がって、右手を差し出した。セシリアはまっすぐその赤い瞳を見つめ返して、同じようにする。
「──そうねセシリアさん。私達、いい関係でいましょう?」
こんかいのまとめ
・簪
カタログを眺めながらまだ見ぬ専用機に思いを馳せる今日このごろ。
まるで誘蛾灯みたいに都合の良い申し出を信じきれないけれど、見たい景色のためなら踏み出さないと。
気味の悪いお隣さんよりは多分マシ? もうちょっと他と比較した方が良いんじゃ……。
・
怪しいセールスマンというよりは宗教勧誘員のそれ。
虚仮威しの分身じゃなくてナマの火力でぶつかり合いたいと思いませんか、アナタ。
赤メガネ連合は新規会員を随時募集しています。
・楯無
知り合う人間がどいつもこいつも怪しい……。少なくともアンタに妹は任せませんから!
紅茶の赤色にガルーダを見てしまうくらいには参っている。若干パラノイア気味。
これから酷くなる前にミルクティーで回復しましょ。
・セシリア
そのうちISにティーセットを組み込みそうな女No.1。自室の収納は紅茶の缶でいっぱいとの噂が囁かれている。
友人に向けられた中傷記事に内心穏やかではないが、楯無を信じて任せることに。
少し強引な所はありますけれど、貴方は優しい人。そうでしょう?
火力チョップは超火力 火力キックは超火力 ビジョン・アイは透視力
火力の力 身に付けた(IQ3)
正月なのでちょっと追加更新。
楯無の精神を再びゴリゴリしております。当人の立場からするとこうならざるを得ないというか、姉としても生徒会長としても当主としても、責任というのは恐ろしいものです。
地味に本作では初登場した分身能力ですが、普段使いさせたらかなり便利そうだなと思って書いてみました。しかも脳波コントロールできる!
簪にはグランゼーラ側の機体が与えられることになります。ちゃんとした機体で姉と殴り合わせてキッチリ仲直り……みたいなことをやりたいのでそれまでお待ちいただければと思います。
肝心のネオンが一々怪しすぎる? それはそう。
ショウのゴシップ展開は細かく書いても面白くないので軽く触れる程度に。
有名税ってやつですね。当の本人にはそんなものを視界に入れる余裕はないようですが。
ところでイギリスの戦車にはティーセットが搭載されているそうですが、イギリス製ISにもそういうのはあるんでしょうか? 無くても勝手に茶葉とポットを仕込んでそうなイメージがあります。
そのうち楯無のアクアナノマシンとセシリアのティーセットでどこでもお茶会コンビとかやれたりして。
オリキャラの描写比率について……
-
主要キャラならバンバンちょうだい!
-
原作キャラの掘り下げに必要なだけ欲しい
-
なるべく原作キャラだけが良い……
-
拷問だ! とにかく拷問せよ!