【外堀物語】   作:Halnire

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原作主人公「五条新菜」の祖父で雛人形の職人である「五条薫」が本作の主人公です。
薫視点、三人称で綴ります。
よろしくお願いいたします。

初掲載: 2022年7月7日


第一章:五条薫
五条薫 その1


 

      Ⅰ

 

「よっこらせ、と」

 

 剪定バサミを物置にしまい終えて、(かおる)は縁側に腰をおろした。庭仕事をするには天気が良く好都合だったが、少し暑いと感じる陽気だ。

 

「しっかし、あっという間だよなあ」

 

 ついこの間まで花盛りだったソメイヨシノの樹が、今はどんどん若葉を繁らせてきていた。早めに剪定しておかないと盆栽に日があたらなくなる。そろそろ庭の草むしりもしないといけない季節だ。早いものだと薫は思う。

 縁側を上がって、台所に向かった。冷蔵庫をあけると麦茶が入っていた。同居の孫・新菜(わかな)が、庭仕事をすると言っていた薫の言葉を聞いて、ヤカンで沸かして入れておいたものに違いない。

 

 ――本当に十五歳になったばかりとは思えないくらい気が利くなあ。

 ――俺としちゃ、もう少し子供らしくてもいいんだがな。

 

 縁側に戻った薫は一気に麦茶をあおりながらまだ昼前の太陽を見上げた。思ったより強い日差しが目に入ると、不意に目頭が熱くなった。一週間ほど前の高校入学式で、真新しい制服を着た新菜が他のクラスメイトと一緒に体育館から教室に移動していく姿を思い出したのだ。

 

 ――あいつ、一年生たちの中でも頭がちょこんと飛び出ていたなあ。

 ――本当に背が高くなって、肩幅もがっしりしてきやがった。

 ――背筋も真っ直ぐ伸びてよ、堂々としたもんだろう。

 

「二人とも、天国から、見ていてくれたかあ」

 

 ここにはもう居ない、新菜の大切な人たちにむかって薫は呟いた。

 

 

 新菜の両親は、新菜がまだ幼いころ、事故で二人とも他界した。

 新菜の父親には頼れる縁者がおらず、母親の父、薫の側で引き取る運びとなった。一人っ子の新菜は埼玉に住む母親の姉、晴美(はるみ)夫婦が引き取る話でまとまっていた。晴美には娘の美織(みおり)もいて、少し歳は離れていたが面倒見がよかったから、両親を失ったばかりの新菜の寂しさを和らげられればと薫達は願っていた。しかし新菜は生来の引っ込み思案な性格を心の傷がさらに頑なにしており、暗い表情のままうつむいてばかりであった。その姿に薫も家族も大変悩んだ。

 そんな新菜の心を氷解させたのは、人形だった。

 薫は代々岩槻(いわつき)で人形店を営んできた五条(ごじょう)家の当主であり、薫は(ひな)人形の頭師(かしらし)としてその界隈では名が知られていた。ある日、ふさぎこむ新菜に少しでも気晴らしをさせてやろうと薫が半ば無理やりに人形店につれていくと、新菜の目はたちまち一つの人形の顔に釘付けになった。薫が精魂込めて面相を描き入れた傑作の雛人形だった。

 

 ――世界で一番、きれい。

 ――大きくなったら、お雛様作れるようになりたい。

 ――じいちゃんみたいになりたい。

 

 両親との死別のあと、初めて見せた新菜の笑顔は、純真無垢な天使のようだった。自分の人形がたくさんの子供達の笑顔を引き出してきたことはこれまでも薫の誇りだったが、新菜の笑顔と言葉に覚えたのは心からの感謝だった。

 

 ――お人形の仕事をやらせてくれてありがとうよ、神様。

 

 そして薫の心は決まった。自分が新菜を引き取ろう、と。

 

 

「よしっ、と。さて、もうひと作業するか」

 

 見上げた空から軒下の片隅に視線を戻した。

 視線の先には薄茶いろの育苗ポットが並んでいる。コケか何かの繊維などを素材とした、そのまま土に植えられるものだ。

 庭に降りた薫は、まずポットに水を撒いて十分に湿らせた。そして倉庫から園芸用の土が入った袋を取り出し、培養土をポットの中にていねいに敷き詰めた。

 それから縁側の端に置いておいた小さな袋を持ってきた。袋の中には、白黒の縞模様が目立つ、親指の爪大の楕円形の種がいくつも入っていた。薫はポットに指で穴を二つ作り、袋から取り出した縞模様の種をやさしく埋めていった。

 全部のポットに埋め終わったあと、ジョウロで水を軽くかけてやった。ポットの置いてあるプラスチック製の受け皿にも水を注いでやる。

 

「ガキの頃はよく植えたもんだが、久々だな」

 

 薫は盆栽が趣味で庭は毎日手入れしているが、庭の片隅の花壇はあまり面倒を見ていない。味気ない花壇に何か植えようかと思っていたところ、工房の若い衆が、子供が小学校で使ったものの余りだが蒔いてみないかというので、気まぐれでもらってきた。さきほどポットに蒔いた種は、発芽して少し大きくなったら花壇に植え替えるのだ。

 

「ちゃんと芽ぇ、出してくれよ」

 

 育苗ポットに呼びかけた。折しも撒いた水が土の中に吸い込まれて、ぷすと小さな音をたてた。種が返事を返したようで思わず頬がゆるむ。

 趣味の時間は上々だった。道具を片付け、縁側のすっかり温くなった麦茶を飲み干して、洗面所へ向かった。念入りに手指の土汚れを落とし、顔を洗い、作務衣(さむえ)を新しいものに着替えた。薫は仕事の支度をした。

 

 

 

「――ただいま」

 

 薫が六十体ほど面相書きを終えたところで、玄関から声がした。新菜が高校から帰って来たのだ。まだ四時半にもなっていない。

 

「おかえり、新菜。しっかし、今日もずいぶん早いじゃねえか。高校生ってのはもっといろいろ、やることあるんじゃねえのか?」

「えっ、と――みんなは部活を決めたり、忙しそうだけど、俺は部活には入らないから。放課後の掃除当番もまだ先だしね。まあ、こんなもんだよ」

 

 新菜の手にはエコバッグがぶら下がっている。帰りに駅前のスーパーに寄って食料品を買ってきたらしい。この時間は夕飯材料買い出しの主婦で混んでいる。いくら慣れた買い物とはいえ時間もかかっただろう。それこそ放課後誰とも一声も交わさず学校を出たのでなければこの時間に帰ってこないのではないか。

 

「夕飯の準備を気にしてるんだったら、じいちゃんだって何かしら作れるんだからよ、考えなくったっていいんだぞ」

「じいちゃんが作ると、油炒めとかばっかりじゃないか。このあいだお医者さんで胆石があるって言われたんじゃなかったっけ? だから俺が作るよ。ばあちゃん仕込みの煮物なら、油も少ないしじいちゃんの口にも合うだろ」

「――」

 

 こう言われると薫も口をつぐむしかない。実際、新菜の和食の腕はかなりのものだ。

 一昨年先立たれてしまったが、薫の妻――新菜の祖母は店が出せるほどの腕前で、献立の種類も豊富だった。新菜は台所の祖母を手伝うのが好きだった。薫の妻も大変可愛がっていて、薫が余すところなく教える人形の技と競うかのように料理の技術を教えこんでいった。凝り性の新菜はたちまち技を吸収し、さらに独自の工夫を加えるようになるまでそれほど時間はかからなかった。

 新菜の炊合せは出汁の香りを利かせて季節の野菜の旨味を丁寧に引き出した逸品で、鶏手羽の煮物と一緒に出してくることが多い。辛口の純米によく合う。最近薫の胆嚢には石が見つかったおかげでしばらく酒はお預けだが、また晩酌で楽しみたいものだ、などと考えていると思わず口の中に唾があふれてきたので慌てて唇を手の甲でぬぐった。

 その間に新菜はさっさと台所へ向かって支度をはじめた。包丁の音が小気味いい。上機嫌で下ごしらえに取り掛かったようだ。結局のところ新菜は料理が好きで、薫も妻仕込みの新菜の味は好きなのである。

 それならせめて買い物の手間くらいは肩代わりできないか、たしか宅配業者を利用している組合員も居たはずだと考えたところで、宅配の食材サービスでは新菜が満足しないこと、それに高校からの帰り道に大きいスーパーがあるのだから無駄な出費だと新菜に言われることが容易に想像できたので、口に出すのをやめた。

 

 ――それにしたって、頑張りすぎだろう。

 

 居間に戻り、茶筒を手に取った。二人分の玄米茶を淹れながら、孫のことを考えた。

 新菜は他の家事もあらかたやってくれている。掃除、洗濯はもちろん、ふすまや障子の修繕、庭の植込みの手入れなども自分でできるところはやってくれる。よく気がつくし、仕事は丁寧で手際も良い。薫も職人の厳しい上下関係の中でさまざまな雑用、それこそ炊事洗濯掃除裁縫ひととおりこなしてきた経歴の持ち主だが、最近は何をやらせるにしても新菜の方が卒なくこなせるようになっていた。

 これで本分の学業をおろそかにしていたら薫も家事は後回しにしろと強く言うつもりでいたのだが、この何事も一生懸命な孫はそちらのほうも手を抜く様子がなかった。

 中学では音楽と体育こそ平均かやや下回る出来だったが、他は軒並み高い成績をおさめていた。とくに美術と数学は最高評点を何度か獲得していた。体育にしても球技とダンスが苦手なくらいで、体操や走る泳ぐなどは努力してこなしていた。

 さらにこれらに加えて、人形作りの修行である。『薫のようになりたい』『世界で一番奇麗(きれい)な雛人形を作りたい』――幼きあの日に呟いた願いに向かって、新菜は、愚直に、ひたすらに努力を重ねている。面相書きの真似事からはじまった練習も、今では疵物(きずもの)とはいえ本頭(ほんがしら)に筆を入れている。雛人形の衣装作りにも強く魅せられたようで、人形の衣装を専門で作る着付師の工房に通っては自宅のミシンに向かう日々を続けていた。今では本職の着付師にこそ及ばないものの、売り物になる人形の衣装を一人で一から仕立てられるまでになった。

 

「上等すぎらぁ。そうだろ、ばあちゃん」

 

 仏壇の扉を開き、玄米茶の湯呑を供えた薫は、亡き妻の遺影としばし目をあわせそう呟いた。

 

「俺が高校時分のことを考えても、新菜の半分もできていなかったもんな」

 

 薫は岩槻の商業高校に通っていた自身の学生時代を思い出す。

 当時親方だった父親とは、高校を出た後すぐに工房に入り修行をする約束をしていたが、心のなかではイヤでたまらなかった。もっと広い世界を見たかったし、いろいろやってみたいことも多かったから、自分の将来が決められていることへの反発が大きかった。不良の真似事もしてみたし、今思えば馬鹿な事もたくさんしでかした。父親との親子喧嘩もしょっちゅうだった。

 卒業し、工房に入っても、すぐに職人仕事に打ち込めず、夜な夜な遊びに繰り出したりもした。自分はいい加減すぎて職人には向いてないと思ったことなど数え切れない。だから、そんな自分から見れば新菜は上出来だ。当時の自分に爪の垢を煎じて呑ませてやりたいほどだ。

 

「だけどよ、あれがなかったら、ばあちゃんにも会えなかったからなあ」

 

 妻とは南浦和の駅前で呑んで遊んでいるときに出会った。調理学校を出たばかりで料理屋に入って修行していた姿に惹かれ、何度か通っているうちに交際をはじめた。我が身を振り返り、仕事に真面目に打ち込むようにもなった。手掛ける人形にも艶が出てきたと認められるようになったのも、この頃からだ。

 

「新菜には、友達がいるのか、ちゃんと出会いを大切にしているのか、時々心配になるよ」

 

 一方の新菜は、小学校のとき引き取られてきてから、あまり友達と遊んでいる姿を見たことがない。誰かとどこかへ行ったとか、何か買ってきたとか、そういう報告もあまり覚えがない。本当に、雛人形の仕事に真っ直ぐに打ち込んできたのだ。

 しかし真っ直ぐすぎて危うい。どこかでぽっきりと折れてしまうのではないかという懸念を覚えてしまう。

 薫は仏壇の左側、新菜の両親の遺影に目を向けた。写真で微笑む新菜の母親の顔を見ると胸の奥に小さな痛みを覚えた。己が愛娘に責められているような気がしたのだ。程なく薫は線香を灯し、目を閉じて手を合わせた。

 

「俺は、なんかヘマやっちまったのかなあ」

 

 助けを求めるように再び妻の遺影に目を移し、小さく息を吐きながら、そう呟いた。

 自分が引き取ったからこそ、両親を失って悲嘆のどん底だった孫に生き甲斐を与えられたという自負がある。しかし、同時に自分が、無邪気に同世代の子供たちと遊んだりとか、テレビを見て屈託なく笑ったりとか、年長者に甘えてわがままをぶつけたりとかいった、相応の子供らしく過ごす時間を新菜から奪ってしまったのではないかという(おそ)れもあった。

 

「あんとき、何があったのかなあ」

 

 引き取ってから一年くらいは、外に遊びに行ったりもしていたし、小学校の友達が家に遊びに来たりすることもしばしばあった。女の子の友達が家に来たこともあったのだ。

 

「のばらちゃん、だったっけな。明るくていい子だったよなぁ」

 

 何度か見かけた、花のような笑顔を思い出す。

 新菜もあの子といるときは満面の笑顔で、ふたりの笑い声が作業場まで聞こえてきたものだ。夕食時に、学校でのばらと何を話した、などと新菜が話すこともよくあった。

 それが、最後に遊びにきた日を境に、ぱったりとなくなった。あの日は薫も妻も作業場にいて、二人で遊んでいる様子が聞こえていたのだが、忙しく仕事をし、ふと気づいたら母屋のほうが静まりかえっていた。新菜に訊くと、帰った、という。

 そのときの新菜の様子が明らかにおかしかったのだが、何を訊いても答えてくれなかった。そのうちのばらが新菜の話題に上ることも全くなくなった。なにかがあったのを気にかけながらも、それ以上踏み込まなかった自分たちを思い出す。

 

「あのときはまだ、お互い手探りだったしな」

 

 薫も、妻も、両親を失ったばかりの新菜の傷ついた心に寄り添うことを第一に考えていたから、あれこれ聞き出すことはあまりしなかったのだ。晴美や美織にもこのことは相談したし、美織はそれとなく気にかけて、新菜に声をかけたりしてくれたのだが、結局何があったのかはわからずじまいだった。

 しかし新菜はこの日を境に、口数を減らしていった。ましてや学校のことはあまり話さなくなった。そしてそれと反比例するかのように、人形の面相書きの時間が増えていった。それだけでなく、結髪や衣装作りもやりたい、と言い出し、ますます雛人形に没頭するようになった。

 

「新菜にいろんな世界を見せてやりたくて、これでも俺ぁ、頑張ったんだぜ? お前が、俺を置いていっちまってからもよぉ」

 

 中学に入っても新菜は同じだった。部活にも入らず、学校と家の往復だった。ますます雛人形の世界に埋没していきそうだった。

 実際、新菜は中学に入ってすぐ、高校には行かないで雛人形の仕事をしたい、と薫に言ってきたことがある。薫は高校にだけは必ず行け、大学だって行っていい、勉強はきちんとしておけと絶対に譲らなかった。

 本当は部活動などもやれと強く言いたかった。しかし、薫の妻はちょうどその頃から病床につき、新菜が中学二年生のときに他界した。薫にとっても新菜にとっても、辛く苦しい時期だった。正直なところ、学校から真っ直ぐ帰り家に居てくれる新菜が、薫には心強かった。

 ようやく落ち着いた頃、新菜は高校進学先を決めたと報告してきた。薫と同じ、岩槻の商業高校だった。家からも近いから交通費もかからない。帳簿の勉強もできるから一石二鳥だと言っていた。大学受験は最初から考えていない様子だった。

 薫は、新菜が家に一人でいる自分のことを考えているのだと察した。薫は決心した。

 新菜にはいろいろな物を見て、いろいろな考え方に触れて、自由に、しなやかに生きてほしいと願った。とはいえ、自分も結局は狭い職人の世界で生きてきた人間だった。どうやったら広い世界を見せてやれるかなど判らない。だからこそ、高校だけは、もっと幅広い考え方をもった子供たちが集まる学校に行かせてやらなければと思った。

 商業高校も決して悪いわけではなかったが、埼玉には昔から自由な校風、自主自学を旨とする公立高校がいくつかあり、多種多様な価値観を持つ生徒が通っていると言われていた。そういう高校ほど受験は難しいものだが、幸い、新菜の学力は挑戦するに不足は無かった。

 薫は辛抱強く新菜を説得し、このときばかりは受験勉強に臨む新菜をできる限りサポートしようと、家事はすべて肩代わりした。

 そしてこの春、新菜は無事、大宮(おおみや)にある自由な校風で有名な公立高校に進学したのだった。

 大宮ならば岩槻よりも大分賑やかだし、帰りに寄り道の一つでもするだろう。東京に出るのも電車一本である。学校以外にもいろいろなものを見て来ることができる。そう薫は安堵した。

 

「それにしても、びっくりするような格好の子が多い学校なんだぜ。入学式、見せてやりたかったよ」

 

 そう言って薫は、新菜の両親の姿へふたたび目を移した。

 

「結構勉強できる連中が集まってる学校だと聞いてたからよ、いくら自由な校風が特徴とはいえ、まさかあんなに派手な子供たちがいっぱい、並んでるなんて思わなかったぜ」

 

 入学式で見かけた新菜のクラスメイトは、薫から見ればかなり奇抜な髪型や髪色の子が多かった。今時は髪を明るく染めることは珍しいことでもないとは聞いていた。雛人形だって金髪の人形を作る職人もいる。しかし並んでいる子供たちは、男女問わずと明るい茶髪の子、目の覚めるような金髪の子が何人もいて、自分の学生時代と比較して驚いた。黒髪と真っ赤な髪が二段構成になっている子もいて、あれはどうやって色をつけたのかと不思議に思ったものだ。

 

「じいちゃん、そろそろ出来るよ」

 

 ちょうど仏前の近況報告が終わったころ、新菜が暖簾(のれん)越しに声をかけてきた。

 

「おお、そうかい。じゃあ皿出すわ」

 

 薫はよっこらせと腰を上げ、台所へと向かった。新菜がてきぱきと盛りつけている。薫はまず仏前へのお供えを運んだ。次にちゃぶ台に二人分を丁寧に配膳した。育ち盛りの新菜の食器は薫よりどれも一回り大きい。この十年間で何回食器を買い換えたか思い出す。

 

「じゃ、食べようよ」

 

 二人で仏壇に手を合わせ、それから食卓についた。今日の献立は、南瓜(かぼちゃ)の煮物、ひじきと鶏の煮物、大根葉とじゃこの煮びたし、油揚げと大根の味噌汁、それに魚の照焼きだ。

 

「この照焼きは、サワラかい?」

「うん、旬だし安かったから」

「昨日もらった大根、葉っぱも使ったんだな」

「せっかく新鮮な葉付き大根だったからさ、もったいなくって」

「お前、育ち盛りなんだからよ、そんな倹約とかダイエットとか気にしなくていいんだぞ。もっと肉とか食べたいんじゃないのか」

「俺も魚好きだし、これでいいんだよ。食材は無駄にしたくないし、ちゃんと全部頂かないと生き物に申し訳ないってばあちゃん言ってただろ。俺もそう思うんだ。遠慮なんかじゃないよ。で、味のほうはどう?」

「――ん、旨い」

 

 薫はすこし間を置いて、続けた。

 

「――じいちゃん好みだよ。いつも、本当にありがとうな」

 

 新菜は一瞬、きょとんとした顔をした。

 

「どういたしまして、ってなんだよじいちゃん、あらたまってさ」

 

 つい余計な、説教じみたことを言ってしまったが、新菜が薫のことを考え、家計も考え、そのうえ旨い料理を作ってくれることには心から感謝している。それは、きちんと口に出して言わなければと思ったのだ。

 

「お前にゃいつも、感謝してるんだよ。今朝の麦茶もそうだし、本当に何から何まで気をつかってくれて、ありがとうってな――だけどよ、お前、いっつも学校から真っ直ぐ帰ってくるだろ。それこそクラスメイトとしゃべったりとか、そんな時間もねえんじゃないかと思ってよ。入学式で見たけど、クラスメイト、結構派手な子が多かっただろ? 新菜がびっくりしちまってるんじゃねえかって心配しちまったんだよ」

「――」

 

 新菜は言葉につまった様子だった。そしてため息をつき、苦笑いしながら打ち明けた。

 

「うん、そうなんだよ。中学のときとは全然、雰囲気が違ってさ。一週間くらい経つけどまだ慣れなくって。でもみんな、気がいい人達ばかりだと思う。それに先生やクラスメイトからも、いろいろ頼られることも出てきたし、これからだよ」

 

 薫は、新菜が学校生活を具体的に話してくれたことが久々だったので無性に嬉しくなった。

 

「そうかそうか。まあまだ一週間だしなぁ。でもいい子たちばかりってんなら良かったな。そういやぁ、あの黒髪と赤髪が二段になった女の子いただろ? あの子とか学校じゃどうなんだい? 色眼鏡で見ちゃダメだけどよ、ちゃんと勉強してるのか?」

 

 新菜は考えながらという様子で口を開いた。

 

「ええっと、確か……名前出てこないや。キタガワさんの……なんて言ったかな」

「キタガワさんって言うのかい。あの子」

「あ、いや、キタガワさんは別の人なんだけど。とにかく、あの人は授業ちゃんとやってるよ。本当、色眼鏡かけてみちゃダメだよ」

「いや、悪かったぁ。しっかし、面白ぇ子がいっぱいいそうで、良かったじゃねぇか」

 

 二人だけの団欒だったが、新菜の学校の先生たちの話や年間行事の話など、学校の話に花が咲いた。新菜が話す担任の先生の人となりや、予定されている体育祭や文化祭の話などを薫は気分よく聴いた。新菜の話をひととおり聞き終わると、薫は今日の庭いじりの話をした。

 

「草むしりか。うちの庭、本当に日当たり良いからね。暑くなる前にやらなきゃ。あ、そういえば桜の枝も伐ったの?」

 

 新菜が心配な顔で聞いてくる。高所の枝切りは脚立(きゃたつ)を出してやる。年寄りにはやらせたくないと思っているのだろう。

 

「ああ、下のほうはだいたいな。上のほうは、新菜、すまねえが週末にでも頼まぁ」

 

 そうお願いすると、新菜はほっとした顔でうなずいた。新菜の上背は百八十センチを優に超える。薫が無理をしてやるよりはるかに安全だ。

 

「わかった。あとさ、縁側の隅のところにあった小さい植木鉢、何?」

 

 庭の薄暗がりに置いた育苗ポットを、孫は目ざとく見つけていた。

 

「あれぁ、植木鉢じゃなくて育苗ポットって言うんだ。花の種よ。そのうち花壇に植え替えようと思ってな」

 

 新菜はそれを聞いて目を細めた。

 

「花壇、手入れするんだね。ばあちゃん、喜ぶね」

 

 亡き妻は、花壇をいじるのが好きだった。季節によって色とりどりの花を咲かせていた。新菜も、一緒になって土まみれになっていたものだ。その花壇も三年前から、ほとんど手つかずで荒れてしまっている。いろいろ一段落ついて、今年こそはと手入れをすることにしたのだ。

 

「で、なんの種?」

 

 新菜が聞いてくる。薫はなんとなく気恥ずかしくなって、つい、こう答えた。

 

「咲いてみてのお楽しみだな。ま、育つのを見てりゃ途中でわからぁ」

 

 孫は苦笑して、ちゃぶ台の上の食器を片付けるために立ち上がった。

 

「じいちゃんにしちゃ、珍しく勿体ぶるね。わかったよ、楽しみにしとく。植え替えとか手伝うからね」

 

 薫はその後ろ姿を見送りながら、心の中で呟いた。

 

 ――お前そっくりの、背が高くまっすぐで、若々しい花さぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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