ちょっと長いです。
Ⅳ
「こんにちはー」
初来店からひと月ほど経った頃、ふたたび海夢はAIRSにやってきた。
もう空気はすっかり
「海夢ちゃん、いらっしゃい! 今日はすっごく春っぽいね!」
りほが海夢をセット面に迎え入れた。
海夢は長い髪の毛先を軽くアイロンで巻いて広がらせ、白のトップスにピンクのワイドフレアパンツを合わせている。
海夢と目をあわせた学は、思わずトーンの高くなった声で呼びかけた。
「海夢ちゃん、カラコン、ピンクにしたんだね〜」
海夢は照れながら答えた。
「えへぇ。あれからすぐ買いました。友達には似合ってるって言われたけど、自信なくて……今日はりほさんにパーソナルカラー診断? してもらいたくってドキドキして来ましたー」
「ぱっと見で似合ってるから大丈夫だよ。ボトムも奇麗だね。このあいだとガラッと変わってすごく女の子っぽい雰囲気出てる」
「ホント⁉ 嬉しー! 春休み入ったから気合い入れて女子発揮してみた! 褒められるとアガるー!」
最初のはにかむような笑顔は、もう喜色満面に輝いている。
そんな海夢を見て学もすっかり嬉しくなった。
「海夢ちゃん、まつげも長いし濃いから、
「ありがとうございます! まつげ褒められたの初めてかも! ゆーてあたし、まつエクもやってみたいんですよー。校則でダメだけど」
「海夢ちゃんくらいまつげ濃くて長いと、まつエクしなくて全然いいかな。どうしても〝
「つけまは挑戦したんですけど、絶対失敗するんですよー。あたしガチの不器用っぽくてムリゲーでした」
「……そんな難しいかな、つけまつげ……」
最終的には目もとをこれ以上〝盛ら〟なくてもいい、という結論になったところで、海夢は指名スタイリストのりほと施術の相談をして、まずパーソナルカラー診断、続けてカット、トリートメントと進めることになった。
学はりほとの相談が終わった海夢に問いかけた。
「海夢ちゃん、春休みでしょ? 試しにジェルネイルやってみる?」
海夢は一も二もなく頷いた。
「やる! そっか、春休みだからやってもいーんだ。気づかなかったー。ありがと、学くん、お願いしたいです」
「でも十日くらいでとることになるわよ? 埼玉も新学期、四月の五日とかそれくらいじゃない?」
「それでもやって欲しいです。自分が変わるのが楽しくて」
前向きな返事に学は嬉しくなった。しかし、同時に心配なこともあった。
「今日は合計で結構お金かかるわよ? 前回もだけど、代金は大丈夫だったの? 中学生だとアルバイトできないでしょうし、ご家族に出してもらっているんでしょ?」
海夢は気後れする様子もなく答えた。
「はい。お父さんが色々試してみろって。お金は気にするなって言ってくれました」
「うわ、すっごい良いお父さんだね。海夢ちゃんのことが可愛くて仕方ないんじゃないの」
「どーだろ? あたしうるさいし、言うこときかないっていつも叱られてるし。面倒くさいんじゃないですか?」
海夢は照れ隠しで言っている様子もない。海夢の父親が少し気の毒になって学は訊いてみた。
「そんなこと言って、海夢ちゃんは、お父さんのこと好きなんでしょ?」
海夢はこれにも照れる様子もなく即答した。
「はい! あたしはお父さん、大好きです。あたし結婚とかよくわかんないけど、お父さんとならいっか、っていつも言ってたなー」
りほがで両手を頬に当てて悲鳴をあげた。
「いやーっ! 可愛いー! お父さん甘々になるわけだよ! お母さん、ヤキモチ焼いたんじゃない?」
海夢はちょっと困った顔をして、すぐ笑顔に戻って返事をした。
「実はお母さん、あたしが小さい頃病気で死んじゃってて。だからずっとお父さんと二人だったんです。――気まずくさせてゴメンなさいっ」
気をつかったのか、片目を瞑りおどけた表情で結ぼうとする海夢に対して、りほが慌てて返した。
「謝るのはこっちよ! ごめんなさい、無神経な訊き方をして。――お父さんと二人で頑張ってきたんだもん、お父さんのこと誰よりも大切なのは当然だよね」
海夢は明るく笑って言った。
「はい! だから女子っぽくなって驚かせてやります! あ、これあたしのお父さんです。あたしと違って髪真っ黒なのズルくないですか?」
そう言って海夢はスマホに写っている父親の写真を、りほと学に見せた。
「あら〜。見るからに優しそうな、素敵なお父さんね〜」
「ホント、照れてる顔が海夢ちゃんに似てるー」
「えー、似てますかー?」
りほは海夢の父親の話題で盛り上がりながら、海夢をセット面に案内した。
海夢が父親と二人だけの生活でも何の不安もなく幸せに暮らしてきたことが、聞いている学にも伝わってくるようだった。
海夢がりほにカウンセリングと施術を受けている間、学は他の客のアシストに忙しなく動いた。
落ち着いたところでジェルネイルの用意を始める。ジェルは溶剤を使わず場所もとらないが、海夢が学との会話を楽しみにしているだろうと思い、ちょうど予約の空いていたネイルブースを使うことにした。
「学君、パーソナルカラー診断とカットにトリートメント、終わりました。ネイルお願いしますね」
りほが海夢を連れてやってきた。海夢はすでにご満悦だ。
「今日もカット、奇麗に決まってるわね。トリートメントもツヤツヤ。さすがりほさん」
「我ながら会心の出来だよ。カラー診断もだいたい予想通りだったわー」
海夢は、はやく学に教えたくて仕方がないようだった。
「パーソナルカラー診断、なんかウィンターだって! ブルーベース? だからゴールドよりシルバーが似合うんだって。あと金髪は合わせるのが難しくて、黒髪だとバッチリだって。やっぱ黒髪かー」
学は相槌を打った。
「良かったじゃないの。黒髪好きだって言ってたわよね~」
すると、りほがそれに注釈を入れた。
「でも、海夢ちゃんは目鼻立ちのくっきりした彫りの深い顔だから、金髪だってきっと似合うよ」
「そーなんですか。それは嬉しーです! でも高校行ったら先に黒染めしてみたいなー」
「黒染めは一回入れると、色素落とすのが結構大変だからよく考えたほうがいいよ。落としてる途中はかなり赤っぽくなるし、似合わない色になっちゃうかもしれない」
海夢は少し困った様子を見せた。
「うわ、難しいんですね。金パかー、金パも好きだけど、ギャルなカンジだとあたしには似合わないかなーって思っちゃうんですよね」
「どうして? やっぱり清楚系が好きなの?」
りほがすかさず訊く。黒髪好きだし、今日の服装にも上品な印象を持っていたから、学もそう思っていた。
「いや、全然逆でー。あたし、ギャルはエグいくらい憧れてるんです。強いし、カッコイイし、めっちゃ女子を楽しんでるってカンジで。でもあたしにはちょっとレベル高すぎ、みたいな」
海夢には珍しく、照れて赤面した顔で返事をした。
「レベル高すぎって、そんなことないでしょ。海夢ちゃん、とっても奇麗じゃない」
学は本心で思っていることを口にした。
「ありがとうございます! そう言ってくれるのは嬉しーんですけど、ギャルってメイクも、ヘアアレンジも、服のセンスもスゴくてあたしみたいなクソザコと比べたらレベチじゃないですか。あたし雑すぎて、メイクやヘアアレは練習しても毎回失敗します」
海夢は舌を出して笑った。
「技術系は向き不向きもあるし、反復練習しないとダメなのもあるからねー。でも服のセンスなんかは単純に知識でどうにかなる部分あるし、私たちもアドバイスするから、これからいくらでも上達できるよー」
そう言ってりほが励ました。
「じゃ、私は次の予約あるから、向こう戻るね」
「はい、ありがとうございました! 学君、よろしくお願いします!」
「はい、喜んで。りほさん、ありがとうございました」
ジェルネイルはそれほど時間がかからない。デザインを決めて、ジェルを塗ってUVライトで硬化する、を繰り返すだけだ。
「どんな感じにする?」
「ラメがいっぱい入ったやつがいいです!」
「色は? せっかくカラー診断したんだからローズレッドとかやってみようよ」
「ローズレッドってどんなカンジの色なの?」
「強めのピンクって感じかな。マゼンタほどじゃないけど」
「うっわ、クッソ女子じゃん! ――でも、そーだよね、せっかくだからやってみる。お願いします!」
海夢は握りこぶしをつくって答えた。
「そうそう、女子力アップには勇気も必要よ〜」
「ぶっは! 勇気って、大げさじゃないですかー⁉」
「そうでもないのよ。男も、女も、外見磨こうとすると周りが結構うるさいじゃない? 押し切るには勇気あるのみよ」
学は海夢の爪に下処理をしながら返事をした。前回の施術で甘皮をきれいに処理しているのでそれほど手間はかからない。
「あー、わかります。男子も女子もメンドクセーってことありますよね。男子はいちいち背がデカいとか
「そうねぇ。女は堂々としてる同性には嫉妬するからねえ。海夢ちゃんは、そんな経験あったのかしら」
「あー、そのへんは結構慣れてます。あたし昔っからこんなカンジなんで、ちゃんと言わなきゃって思ったらズバズバ言っちゃうんですよね。小学校んときは、それで女子からは結構嫌われてたー、みたいな?」
海夢の意外な回答に学は驚いた。
「嫌われてた、って、海夢ちゃん、直接言われたの?」
海夢は少し考えた様子だった。
「いやー、直接言われたことは無かったかな? でも空気でわかるってゆーか、避けられたりしてんのって伝わるじゃないですか。自分が居ないときは盛り上がってて、自分が教室入った瞬間静まり返るとか」
学はこれ以上訊いていいものか一瞬迷ったが、続けた。
「そんな露骨な空気出してくるなんて酷いわね。つらかったでしょう?」
海夢はとくに悩む風もなく答えた。
「まあ、最初はちょっとキツかったかなー。でも病んだりはしなかったです。男子とは仲良くやれてましたし。それに人間って合う合わない、あるじゃないですか。ダメならダメでしゃーない、まいっか、ってカンジです」
中学生とは思えない人間関係の割り切り方に学は驚いたが、表情には出さずに言った。
「海夢ちゃん、まるで何十年も人生やってきた人みたいよ〜」
「あはは、いろんな学校いきましたからねー。そのたんびに同じよーなことがあると、さすがに慣れちゃった」
学はおや、と思った。
「あれ、海夢ちゃん、ずっと埼玉じゃなかったの?」
「あ、ゆってませんでしたっけ? あたし、小学校四年生くらいまでは結構、引っ越ししてたんですよ。お父さん、国家公務員とかで、絶対転勤しなきゃいけないみたいな」
「お父さん、すごいのね〜。でも、小学校高学年からは転勤なかったの?」
「公務員はやめちゃったんです。いまは埼玉の会社員らしいです。転勤はあれから無いですねー」
つまり海夢は、父親の転勤で学校が変わるたびに、女子グループから疎外されるようなことを繰り返し経験してきたのだろう。それでもまったく陰を感じさせない明るさは、彼女の天性のものなのだろうか。
学は羨望の気持ちを覚えずにはいられなかった。
「じゃ、ベースジェルを塗るわね」
「あ、はーい! 楽しみー」
学は作業の切り替えをきっかけに、話題も意図して切り替えた。
「海夢ちゃん、こんど中三だよね? 受験生?」
学は丁寧に下地のジェルを塗りながら訊いた。
「全然実感ないけど、そーなんですよねー」
「勉強は好き?」
海夢はげんなり、といった顔で答えた。
「いやー、全然。テストとか全部一夜漬けだし、数学とか公式必死で覚えてもどーにもなんないし、マジ鬼畜。無理ゲーです」
「数学、難しいよね~。アタシは高校のときは友達が数学得意だったから、教えてもらってなんとかテストは乗り越えてたわ。海夢ちゃんは教えてくれる人いる?」
「最近仲良くなった友達、数学が鬼ヤバなんです。でも天才タイプってやつ? なんで、説明が完全に異世界語。なんか公式とか一切覚えなくていーよって言ってくれるんですけど、頭の作りが違いすぎってヘコむだけで。結果、教えてもらってる最中に確実に寝ます。笑うでしょ?」
「教えてもらわないほうがいいじゃないの……」
学は呆れながら言う。右手を塗り終わったので、UVライトに当てる。
「その子、頑張って教えよーとして喋ってるのがありえんくらいカワイくて。なんでいつもお願いしちゃうんですよねー。あ、ちゃんとお礼もしますよ?」
「勉強目的じゃないのね……」
まもなく硬化が終わった。ジェルはこの過程が早くて楽なのだ。左手も同様に施術する。
「でも、あたし、行きたい高校、あるんですよねー」
「どこ?」
「さっきの友達が行くってゆってる高校です。制服がシンプルだけどカワイくて、あと校則がゆるいってゆーか、わりと自由なんです」
「ああ、公立高校でたまにあるタイプね」
「そそ、髪型とかピアスとかネイルとか校則でオッケーなんです。なんか自主性を重んじる、みたいな」
「でもそういう学校って、結構レベル高いんじゃない? アタシ、実は長野出身なんだけど、長野って公立高校の上のほうは全部、制服がなくて私服登校だったのよ。自慢じゃないけど、アタシが出たところも制服ないし、カラーもピアスもオッケーだったわ」
「うわー、そーなんですね。いいなー。あたしが行きたいところも結構頭いー学校らしくて、相当頑張らないと無理っぽくて」
「あら、弱気?」
「いや、頑張ります! 高校いったら髪もメイクもネイルもめっちゃやりたいんです。
海夢は学を見上げて、目を輝かせて断言した。
自分たちの仕事によって少女の気持ちをここまで強くできるのかと思うと、学の胸にじんとしたものが広がった。
「そうね、頑張りなさい! 決意が鈍らないように、アタシたちももっと気合入れて奇麗にしてあげるわ」
「うん! ありがとっ。一緒に頑張ろーね!」
「でも勉強の代わりはしてあげられないわよ~。学校の先生にちゃんと聴きなさいね」
「うぇー、そーだよねー。わかった、頑張りますー」
その後は、海夢が高校いったらやりたいことや、学の高校時代のことを話したりしながら、ジェルの色を二人で相談した。
ジェルの色はローズレッドにホワイトを少量混ぜ、パールをフレーキングすることに決めた。
海夢は自分好みの色が出来上がっていく様子に、さながら初めてミニカーをもらった男の子のようにはしゃいだ。
ツヤのあるトップコートを塗り、UVライトで硬化すると、あでやかな桜色に輝くネイルが出来上がった。
海夢はうっとりと自分の指を眺めた。
「学君、ホント、ありがとう! すごいきれー。あたしもこんな風にできるんだね。嬉じぃ……」
学に礼を言おうとした海夢の言葉は、最後のほうで鼻声になった。感極まったらしく、涙があふれてきたからだ。
「もう、泣くことないでしょ。せっかくの奇麗な顔が台無しよ~」
「らっで、感動じぢゃっで……。涙
学は海夢の涙と
「新学期の前にまたいらっしゃい。ネイル
「はい、また来ます! 今日もありがと!」
海夢は年度開けの四月初旬、約束どおり来店した。ネイル除去だけでなくヘッドスパもやってもらい、満足して帰っていった。
それから海夢は月一回くらいのペースで来店する、
「こんにちはー!」
五月の予約の日。五月晴れの爽やかな昼で、自然と会話も弾む。施術中も何気ない会話が続いていた。
「女の子らしくなりたいなら、髪もっと伸ばしてみる? 今の長さも奇麗だけど、まだ伸ばしてもいいんじゃない?」
りほの一言で、髪はもともと長いのを、あと十センチくらい伸ばしてみようか、ということになり、カットは当面見送ることにした。
高校に入ったら毛先を揃え、カラーを入れてトリートメントしよう、と目標設定をした。
「受験勉強のモチベもできた! 頑張って髪伸ばすね!」
「髪は勝手に伸びるけど、勉強は頑張ってね」
学は苦笑した。海夢は屈託のない笑いで返した。
「はぁはぁ、こ、こんにちは!」
六月の予約の日。
海夢は指定の時間をやや過ぎてから、慌てて飛び込んできた。
「ごめんなさい! 寝坊しました!」
「珍しいね、大丈夫だよ。受験勉強?」
りほがそう訊くと、海夢はバツの悪そうな顔で答えた。
「いやー、違くて……夜遅くまでゲームやってたら寝落ちして、起きたら時間ギリギリでした、ごめんなさい……」
「なに、あの最近出たってCMでやってる満天堂のやつ?」
「えっ、りほさん、聴きたい系ですか? んと、『ヌル
そう目を輝かせて、海夢は〝凌辱〟だの〝性奴隷〟だの、およそ女子中学生の口から出てくるとは思えないゲームの内容を熱弁した。
今日の予約はヘッドスパだったから、仕切りのあるブース内での施術だった。他の客に聞こえなくて良かったと学は安堵した。
どうやら海夢は、最近発売されたそのゲームにとことんハマってしまい、寝食忘れてのめりこんでいるらしい。
スパ後のブロードライを
「受験勉強、おろそかにしちゃダメだよ! いきたい学校行って堂々とお洒落するんでしょ!」
「ゴメンなさいー、
「それは逆でしょ!」
学はギャンギャンと
「それにしても、そういうゲームって男向けじゃないの? 女子がやるなんてびっくりね」
海夢はきょとんとした顔で言った。
「え、ふつーにやりますよ! 好きなものに男とか女とか、関係なくないですか」
学は思わずドキっとさせられた。
この手の性差の話題ではいつも意表を点かれる。
海夢の言葉は、誰かの受け売りのような上辺だけのものには聞こえなかった。かといって、
ただ、自然と
その後、海夢のゲーム談義によく解らないまま相槌をうちながら、学はまっすぐに自分のやりたいことを貫く海夢のその言葉を、記憶に刻みつづけた。
「こんにちはー、今日も暑いですねー」
七月。梅雨も開けて強い日差しの日々が始まった頃。
海夢は海夢はピンク・イエロー・ホワイトのキャンディーストライプニットにハイウェストのデニムショートパンツをあわせていた。露出は少ないが身体のラインがわかりやすい。
そんな海夢を見て、学は気づいたことがあった。
「海夢ちゃん、体型変わった、っていうかスタイル良くなってない?」
海夢は驚いた様子で返事をした。
「学君、よく判るねー! 実はさ、ムネとかケツとか大きくなってきちゃって。体重も増えてたし、ヤバい、デブったかーって思ってたとこ」
「ケツって……いや、中三でしょ? 背は伸びなくてもスタイルは一番成長する時期じゃない。ウェストは増えてるの?」
「計ってないけど、腹はあんまり出てないかなー。たぶん」
「じゃあ女らしくなってきたってことじゃないの。おめでとう、良かったわね~」
学がお祝いの言葉をかけていると、カラー剤を混ぜていた
「男子とか視線すごいんじゃないの? 気をつけなきゃダメだよ! 男は怖いんだから‼」
「地獄耳なうえにお節介なんだから。いいじゃない、折角女らしくなれたっていう話をしてるんだから……」
学がやれやれとため息をついていると、海夢が何気なく呟いた。
「あー、あれってそういう視線だったんだー」
学は海夢に促した。
「何か思い当たることあるの?」
「ほら! やっぱりあるでしょ! 注意しなきゃ!」
「まずちゃんと話聴きなさいよ、も~」
学が
「いやー、男子からじろじろ見られるのって、小学校んときは背が高ぇーデケーとか、よくあったけど、なんか最近はそれとは違うカンジがしてさー。『何かした?』とか『何かついてる?』とか聞いても目そらすだけだし。そっか、そーゆーことなんだ……」
「不快なら、目立たない服装しておいたほうがいいかもよ?」
「……うん……」
「中学って水泳の授業あるでしょ? どうしてるの?」
「あたし、小学校のとき水泳の授業で死にかけて。それ以来ずっと見学なんで水着、着たことないかなー」
それでも海は好きだから行く、と言う海夢にふたたび
「おはようございますー!」
八月、海夢の夏休みのとある午前。開店後すぐにやってきた。
「いらっしゃい。まだお客様だれも来てないわよ」
「いらっしゃい海夢ちゃん。今日も可愛いよ!」
海夢はりほの評価に喜んだ。海夢の装いは千鳥格子のジャンプスーツだ。
ウェストのノットがリボンのようで、遠目に見ていた学の目にも華やかに映った。
「りほさん、ありがとうございます!
乃羽、とは春くらいから仲良くなったという友達の名前だ。海夢との会話で頻繁に出てくる。
りほがシャンプーブースに先導する際、海夢がりほの背中を見て、うわっと声をあげた。
「りほさん、それ、見せブラですか?」
りほが自分の背中を振り返りながら答えた。
「そうだよ? わりと普通のやつだけど」
「全然カッコイイです! 大人の女ってカンジですねー。あたしも着たい! 見せブラってやっぱ専用の買うカンジですか?」
「どこ見せるかにもよるんじゃない? これはフロントホックだけど普通にストラップあるやつだよ。背中見せ用って感じ? でもストラップレスはいくつか持っておくといろいろ使えるから便利だね」
海夢は鼻息を荒くしてりほの話に耳を傾け、ひととおり説明を聴き終わると宣言した。
「あたしも着てみる! ちょーど今のブラもパンツも全部きつくなってきたカンジだし。オシャレなやつに買い替える!」
その日以来、海夢は見せる下着にハマったらしく、いろいろ試してはりほに相談していたようだ。
ある日、学とりほが閉店後の片付け作業をしていると、海夢からSNSの
海夢の中では、お洒落な下着は見せていいもの、という認識になってしまっているのかもしれない。
「海夢ちゃんのお父さんも大変ですね~」
「ほんとだねー。どんどん可愛くなってるのに女子の恥じらいが全然追いついてないのが海夢ちゃんらしいよね」
そう言って学はりほと苦笑した。
「こんにちは」
九月、学校の二学期が始まり、しばらくした頃に海夢は来店した。海夢のコンタクトレンズは色味の無い、黒だった。
「あれっ、海夢ちゃん、黒のカラコンにしたの?」
「はい、りほさん。病み系ってやつ? あたしには似合わないかなーって思ってたんだけど、乃羽も薦めてくれたからやってみたんです。メイクも合わせてるんだけど絶対失敗するの笑うー」
海夢の友達の乃羽という子の写真は、学も見せてもらったことがある。
タレ気味の大きな目が印象的で、ゴスロリ系ファッションの似合いそうな子だ。SNSでその子がセルフメイクをしているショート動画も見せてもらったが、上手だった。
「それも可愛いよ! 学校でもそれ着けてるのかな?」
「はい。どっちかってゆーと、学校メインってカンジです」
「うんうん、すごく似合ってるよ!」
りほが笑顔で海夢を褒めるそばで、学と
会計待ちのとき、学は海夢に直球をぶつけてみた。
「学校で何かあった? 男子に何か言われたとか」
「へっ?」
「黒コンタクトにしても、メイクはそのままだし。まだ九月なのにファッションも地味目だしねぇ……。違ったらごめんなさい。でもちょっと気になったのよ」
海夢は呆気にとられた顔をしたあと、口を開いた。
「……すっごい。学君、よくわかるね! 実はさ……。この間渋谷の帰り、キモい野郎たちに声かけられて。あたし、そーゆーこと今までなかったからパニクっちゃって」
海夢は苦笑いしながら言った。
「大丈夫だったの?」
学が深刻な顔をしていたのだろう。海夢は顔の前で手を振って続けた。
「うん、ヘーキヘーキ。でも、無視しよーとしてもついてきてさ。ガチでウザいからつい、昔の癖が出てキレまくったら、引いたツラして消えてったー、ってカンジ」
海夢はその後、友達に相談して少し地味目な格好をすることにしたということだった。学もそれには同意した。
危ない目に遭うことを考えたら多少我慢は必要だと思った。だが、少しうつむいた海夢の横顔はひどく学の印象に残った。
「こんにちはー!」
十一月。海夢は初めて制服を着てやってきた。コンタクトは黒のままだ。
「制服姿、似合ってて可愛いね! 今日は何かの用事?」
りほが海夢の姿に目を輝かせた。
「はい、私立の模試が代々木であってー」
「海夢ちゃん東京の私立も受けるの?」
ネイルブースに案内しながら学が訊いた。
「いやー違くてー。お父さんが模試は受けておいたほーが練習になるしやっとけって言うから仕方なく、ってやつです。まあ、一応、埼玉の私立も受けますけどね。カラーとかピアスとかダメだし行きたくないけどー。あ、制服はカワイイかも!」
「海夢ちゃん、ピアスもしたいんだ」
「うん、
「穴はちゃんと皮膚科で開けないとダメだよ。細菌感染でひどい目にあった人だっているんだし」
「わかった! ありがと
雑談をしながら受付を終えた海夢を、学はネイルブースに案内した。
爪の処理中、他愛もない会話の中で、海夢が訊いてきた。
「そーいえば、学君はどうして美容師になったの?」
その質問で、学は、自分の美容師としての話はしてこなかったことを思い出す。本音をいえば、なんとなく避けてきたのだ。海夢がもともと行っていた美容室の話とか、これまでお世話になってきた美容師の話といったものは、美容室での会話の当然の流れでしてきたのだが。
「そうね~。ベタだけど、憧れの美容師がいたのよ。ヘアアレンジがすごくて、日本髪を作っても芸術品みたいで、アタシも作りたいって思ったのよね」
「日本髪って、お雛様みたいなの?」
「お雛様のは
「ホンモノは見たことないけど、アニメでなら見たことあるかも? でも学君、そんな髪型もできるの?」
「美容学校のときに、課外授業で練習したのよ。こうみえてもアタシ、日本髪コンテストの全国大会で学生部門で準優勝だったのよ」
「すごい! それじゃ学君、結婚式の花嫁さんも作れるの?」
「
「そのうち、ヘアアレあたしにもやってほしい!」
「成人式とかどう?」
「やるやる! 絶対やる!」
「あら、ご予約いただきました。五年後の予約、もう入れておくわよ?」
「あははー」
そうして学がこれまで手掛けてきた仕事のことや美容技術の話題が続いた。
「あたし、高校出たら何しよっかなー」
その流れの中、突然、海夢が呟いた。
「どうしたの? 将来のことに悩んでるの?」
海夢は軽くかぶりを振って答えた。
「いやー、悩んでるってゆーか。やりたいこといっぱいあるなーって思ってて。りほさんや学君の仕事見てて、美容師も楽しそーに仕事してるしカッコイイし」
「だからさっきの質問が出てきたのね」
「そそ。あたしも美容の仕事ってできるかな。やってみたい」
「そうねぇ。免許がないとシャンプーとかのサロンワークはできないけど、受付とかならアルバイトで出来るわね。ちゃんと高校に入ったら頼めるか、店長に相談してみようか?」
「やった! 学君ありがとっ! また受験勉強のモチベが上がった!」
「モチベ上がるのはいいけど、ちゃんと進んでるの〜?」
「進んでますよ! あー、相変わらず数学はビミョ、だけど……」
前途は多難だ。でも海夢が見つめる未来はいつも明るい。
学は努めて優しく声をかけた。
「アタシは美容師の仕事、楽しいわよ。可愛くなったり、奇麗になったりして喜ぶお客さんの顔を見るのは、これ以上ないほど嬉しいもの。海夢ちゃんの笑顔も最高よ」
海夢はその言葉を聴いて目を輝かせた。そして笑顔で礼を言った。
「ありがと! あたし、学君にもっと嬉しーって言わせるね!」
「こんにちは! 渋谷も埼玉と同じでさっむいー」
十二月、年の瀬も近づいた頃に海夢がやってきた。
「あら、カラコン戻したの?」
今日の海夢の予約は学を指名している。
レセプションで出迎えた学が、瞳の色に最初に気づいた。
カラコンは鮮やかな淡紅色に戻っていた。
「うん。学校でも黒コンから戻したー」
学は、何か吹っ切れたのだろうと察した。
「海夢ちゃん、何か心境の変化でもあった?」
海夢は、何かを思い出すように宙を見たあと、答えた。
「うん。前回
学は驚いた。
だが学は努めて微笑んだ。
「そう。その色はやっぱり海夢ちゃんにすごく似合ってるわよ。可愛いわ」
「マジですかー! 嬉しい!」
海夢は少女らしいはにかみを見せて笑った。
学は海夢をセット面のあるほうへ案内し、施術をはじめた。
「バイトの件、店長が是非お願いしたいって言っていたわよ〜」
学はカットしながらそう伝えた。
海夢の髪は大分長くなり、その分毛先の傷みと不揃いが目立ってきていた。今日はわずかばかり毛先をカットし、トリートメントをする予定だ。
「ガチ⁉ やった。学君、ありがとっ!」
「それと店長にその話したら、サロモも頼めないか訊いてくれって言われてるんだけど、海夢ちゃん、やってみない?」
「サロモって、サロンモデルのこと? 聞いたことはあるけど、どんなことやんの?」
「広告とかSNSとかね。ウチだと髪型もいろいろ撮りたいし、それにネイルのモデルもお願いするかもね」
「カットとかもするの?」
「カットモデルはまた別ね。切ったらしばらく頼めないし、サロモにカットお願いすることはないかな」
海夢はそこまで聴くと、躊躇いがちに言った。
「あたしで、出来るかな……?」
学はカットの手を止めずに、声のトーンだけ柔らかくして言った。
「自信ないの? アタシは、海夢ちゃんなら出来ると思うけど?」
「正直あたしじゃカワイイ髪型とか似合わないんじゃないかなーって。でもま、いっか! やってみる。なんとかなるっしょー‼」
学は海夢の背中を優しく叩きながら言った。
「そうよ。アナタ、本当に女の子らしくなったんだから。心配いらないわ。なりたい自分が待ってるんでしょ?」
「――うん、学君、ありがと! 女磨くわ!」
この来店後、海夢は私立受験も始まり、志望校に向けた受験勉強もいよいよ正念場ということで、店にはしばらく来れなくなったとのことだった。
『絶対合格するから待っててください!』とりほにDMが入っていたようだ。
AIRSのスタッフ一同で湯島天神の合格祈願のお札を店に
海夢は『感激して泣いた、絶対合格するから頑張る!』と連絡をしてきた。海夢は勉強を頑張っている様子をりほや学にDMで送ってきた。
学は海夢が来店しない二ヶ月と少しの間、寂しさを感じている自分に気づいた。
海夢が初めて来店してから一年間。
彼女の存在は、
続きます。