【外堀物語】   作:Halnire

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美容師・学 その5

 

      Ⅴ

 

 学は舞台下手(しもて)で、自分がさきほど海夢に伝えた言葉を心の内で反芻(はんすう)した。

 

 ――恩返し。

 

 海夢とAIRSで言葉を交わす中で、学はしばしば心揺さぶられることがあったのだ。

 女〝らしさ〟を押し付けられて嫌な思いをしたことがあること。

 それで自信をなくしていたこと。

 異性からはいじられ、同性からは疎まれた経験があること。

 カラダの変化に戸惑いがあり、異性の視線にさらされる気持ち悪さを知っていること。

 それでも、海夢は好きなもの、やりたいことをまっすぐに追い求めている。好きなものに男も女も関係ない、とさらっと言ってのけている。

 男女の違い。男らしく、女らしく。

 海夢はまったくその(くびき)から自由だったわけではない。だが軽やかに、そして正々堂々とそこをくぐり抜けてきた。

 学はその身軽さに憧憬(しょうけい)をおぼえ、ひるがえって自分の過去を振り返らずにはいられなかったのだ。

 

 

 

 

 学が性別への感覚について周囲との差異を感じたのは小学生の頃だった。

 クラスの男子が好きなものを、自分は好きになれない。一方で、女子が好きなものを好きになることはよくあった。

 言葉遣いは自然と女子の使うそれに近づいていった。

 男子には『お前、キモいんだよ』と言われて傷ついたこともある。

 幸い、親や小学校の教師は理解があり、ありのままを受け入れてくれた。

 同世代の男子からはからかわれながらも、手先の器用だった学は髪を編んであげたり、セットしてあげたりして、女子とは仲良くしていた。

 しかし、学は〝普通〟に何の悩みもなく暮らしている同年代の男子たちが、心底妬ましかった。

 学はこのとき、今後長いこと付き合っていく自分の中の、この負の感情を初めて自覚した。

 

 自分は男女どちらの存在なのか。中学ではさらに深く悩み続けた。

 学校生活上の不便が大小様々にあった。教師には何度か相談したが諦めた。学の中学は地方のとくに変哲のない公立中学で、生徒の学力、家庭環境、それにモラルの差異が(はなは)だしかった。

 結果として種々の細かい校則で規制しなければ秩序を保てないようで、教師たちは男女の枠の外にある存在を認められるほど余裕がない印象だった。

 同級生は同じ小学校から上がった顔見知りも多かったのだが、中学時代というのはただでさえスクールカーストが一番厳しい年頃である。この学校は特にその傾向が顕著だった。

 己の身を守るためでもあったのだろう、同じ小学校出身の知り合いにも、学は異質なものとして揶揄(やゆ)されたり、(おとし)められたりした。

 いじめと呼ぶほどでは無かったにしろ、裏切られたという感覚は学に深い傷跡を残した。言葉遣いも無理に男性のそれを装った。苦痛だった。

 他者を羨む感情は耐え難いほど膨れ上がった。

 中学時代は学にとっていわば暗黒時代だった。

 ただ、そんな時期にあっても、学は将来に絶望することは無かった。

 中学二年生になる頃には、東京で有名な美容師になることを誓っていた。

 当時、身体は男性だが心は女性の美容家がテレビで活躍していた。イロモノとして扱われているのではなく、多能で雄弁で、確かな自分を表現していた。その堂々とした在り方に、学は強く憧れたのだった。

 

 中学卒業後、すぐに美容学校の通信課程で免許を取る道も考えたが、将来を考えて高校にはきちんと行くことになった。

 学は長野県でそこそこ名の知れた県立高校に苦学して入学した。

 いろいろな社会問題にグループワークで取り組む課題発表が地方新聞でとりあげられたこともある学校だった。ジェンダー問題について知識として知っている生徒も多いらしく、その点でも少しは楽だろうと思ったのだ。

 実際、この学校では学は遠慮せず自然体で話すことができた。自分を隠す必要は無かった。少なくとも暗黒から抜け出すことはできた。

 ただ、学はありのままの自分に対して、周囲からのよそよそしい空気を感じていた。理由は卒業後に腑に落ちたのだが、この頃はちょうど日本の世の中がジェンダー問題について扱い方を考え始めた時期だった。

 学の高校では、なまじ知識があるだけに、教師も同級生も難しく考えすぎているところがあり、腫れ物として扱われているような居心地の悪さがあったのだ。

 

 とはいえ学はこの高校ではじめて、同性への恋愛感情を確信することができた。

 学は今までも誰かを好きになりそうになったことはあった。だが、自分が好きになることが、相手を(けが)すことになるのではという恐れにつきまとわれていた。妬みや(ひが)みに(まみ)れた自分を、汚れていると思ってしまっていた。自分は人を好きになってはいけないと思いこんでいた。

 己の心に蓋をするようなことを自分がしているなんて、学はその時まで気づいていなかったのだ。相手を好きになればなるほど、自縄自縛(じじょうじばく)に陥っていたことに学は驚いた。

 結局この恋は実ることはなかったが、学にとっては自分を狭い檻から解き放ち、自身の在り方を確かなものとする大きな一歩になった。

 

 

 卒業後、ほとんどの同級生が大学に進学する中、学は初志を貫き東京の新宿区にある美容学校へ進学した。

 授業は忙しく、とくに実習はキツく肉体的にはハードだったが、自分と同じ境遇の同級生が何人もカミングアウトしており、教員にも存在しているような学校だった。

 美容学校生活の中に偏見は無かった。〝ノーマル〟の同級生達とも何の隔たりもなく付き合っていくことができた。周囲を妬ましい、羨ましいと思うことは、全く必要がなかった。

 恋愛においても、学は初めて交際相手を得た。長続きはしなかったものの、学には大きな自信になった。学にとって一番恋多き時代になった。

 学は積極的に課外授業や校外活動にも参加し、技術を高め、人間関係を広げていった。ネイルの資格も学生時代に取ったものだ。ここでの二年間は学にとって楽園だった。

 学は優秀な学校成績と著名な校外活動実績を引っ提げて、表参道の有名美容室に就職した。

 

 

 この最初の就職先で、学は再びジェンダーバイアスを突きつけられることになる。

 メンズカットで絶大な人気を誇る美容室で、SNS上では桁違いのフォロワーを抱える人気のスタイリストが何人も所属しているところだった。

 SNS上での評判や、就職活動中に感じ取った雰囲気や、実際に受けた説明は当てにならなかった。

 いざ採用されてからは、接客では言葉を直せといわれ、男性スタッフには無神経な言葉をなんどもかけられ、女性スタッフからも軽く扱われた。そのうち客からも低く見られている自分に気がついた。

 憧れの美容業界、しかもトップサロンで自分の在り方が否定されたと認めることを学は受け入れられなかった。自分を隠し、苦悩を苦悩と思わないようにして、いつか道が開けることを願い続けて自らに無理を強いた。

 根が真面目な学である。分析に分析を重ね、寝食をないがしろにして練習を繰り返し、自分の素顔は隠し続け、嫉妬の感情も血を吐くような意思で押し殺して自身の奥深くに埋めた。

 そして当然のごとく潰れた。

 

 退職を決意した学を誰も引き止める者はおらず、冷ややかに、事務的に見送られた。

 学は失敗した自分を責め続けた。

 自分が美容の仕事にどうやって向き合っていけば良いのかと深く悩んだ。

 それでも美容師そのものを辞めようという考えは不思議と湧き上がってこなかった。憧れの場所がここではなかったというだけのこと。自然とそう思えたのである。

 今でも振り返ってみると、よくここで踏ん張ったものだと当時の自分を褒めてやりたくなる。

 

 そして、学生時代にインターンシップ先のサロンで世話になったことがあるりほに相談した。学がインターンだった頃、りほはまだアシスタントだったが、学のことをよく覚えていてくれた。

 相談した時、りほもまた別の美容室に転職してスタイリストとして活躍中だった。りほは学の相談を受けるとすぐ、所属店の店長に強く推薦してくれた。それが美容室AIRSだった。

 ちょうど同じ時期には(ひかる)も前籍サロンを退職し、AIRSに転職してきていた。実は(ひかる)のほうが数ヶ月ほど先輩になるが、(ひかる)は先輩風を吹かせるようなこともなく、学にあれこれと世話を焼いてくれた。お節介、と学は(ひかる)を指して言うことがよくあるが、このときの照れ隠しであることを学は自覚している。

 

 こうして、学は美容室AIRSに〝拾われる〟ことになったのだ。

 

 

 

 

 ――アタシだって、頑張ってきたものね。

 

 ステージを前に椅子を立ち、じっと佇む海夢の背中に、学は自分のこれまでの歩みを重ね合わせていた。

 出会った頃の海夢はまだ精神的にも、肉体的にも、思春期に入ったばかりで性に未分化な印象の強い子だった。それでも、周囲が自分の変化に戸惑い、たたらを踏む中で、海夢も同じく悩まされながらも、自分の在りたい様にここまで進んできた。

 その道すがら、自分の脱いだ抜け殻を置き去りに、振り返りもせずまっすぐに。

 その心根は清々しく、学の心のわだかまりを――嫉妬の心さえも――奇麗に洗い流してくれた。

 自分は海夢よりも年長者なのに――そんな気恥ずかしささえ、跡形もなく溶かしてくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




(まなぶ)自身の過去の回想でした。
短かったので、次は明日、掲載です。
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