海夢が高校入学後のお話です。
Ⅶ
「りほさん、ウィッグカットしてもらえませんか?」
五月中旬の月曜の夜、SNS用写真撮影の準備をしていたときのことだった。サロンモデルの海夢が髪をトリートメントしてもらいながら、りほにそう訊いた。
「ウィッグって、前に言ってたコスプレ用のやつかな?」
「はい、それです。今日専門店で買ってきたんですけど、鬼ツヤでマジできれーなんですよ! あ、もちろんちゃんとカット料金払いますし」
りほが確認の質問を返し、海夢が即答した。
「コスプレ衣装作ってくれる人、目処ついたの?」
学は不思議に思って質問した。既製品がないうえにオーダーは高価すぎて手が出ず、知り合いに出来る人がいるか探すという話になっていたはずだ。
「はい! クラスメイトがやってくれるって!」
「あれ? 確かクラスメイトはダメだったって言ってなかった? おまけにケンカになりかけたって言ってたじゃない」
海夢は入学式の一週間くらい後、クラスメイトたちで誰かコスプレ衣装を作ることが出来る人がいないか訊いて回ったが、結局上手くいかなかったことをサロンで報告していた。自分の趣味になかなか共感してもらえず、さらにはバカにされたと勘違いしてケンカになりかけたとも聞いている。とはいえ、そのあとはお互いに本音を曝したことで前よりもずっと仲良くなったと言っていた。
「あのあと他のクラスにも当たったけど結局ダメだったんで、学校のミシン借りたりして自分で作ってたんです。でも友達にガチのダメ出しされてマジ泣きしましたー」
ダメだったのになぜ笑ってるのかりほが訊くと、海夢は目を輝かせて答えた。
「その友達が衣装作ってくれるって言ってくれたんです‼ ごじょー君ってゆーんですけど。めっ――ちゃ! すごいんです」
「……ごじょー君、って男の子?」
学はおそるおそる訊いた。
海夢はとにかく男性、とくに下心を持って近づいた相手に容赦がない。スタッフの間では、先日、海夢に声をかけてきた客をバッサリ切って捨てたという話は有名だ。
海夢は最近は街で声をかけられることも増えたと言っていた。すべて
学には、男子を称賛している海夢という姿が思い描けない。
「クラスの男子です。アニメとかゲームとか全然知らないのに、衣装作るためにガチで細かいところまで観てくれて、あたしより詳しくなってるし。ごじょー君、こんなすごい図面描いてくれたんですよ‼」
海夢はスマホに撮っておいた図面を拡大してりほに見せた。
「うわあ、すごいね。あ、字は確かに男の子っぽいな」
学も横から覗いて驚いた。
「すごい書き込みしてるわ……アタシは服飾の世界はよくわからないけど、ヘアスタイルやメイクでこういう細かいカルテ作るヘアメイクならいるわね。まるで玄人っぽいわ。何かそういう経験している子なの? 同級生なんでしょ?」
「家が雛人形屋さんで、ごじょー君もお人形さんのメイクしたり衣装作ってたりしてるんだって。土曜日ごじょー君ち行ったときに使ってる筆見せてもらったけど、ありえんくらいほっそいの!」
海夢は我がことのように胸を張って言った。
学は雛人形のことはともかくもう一つのことに意識が集中した。
「彼の家に行ったんだ。ずいぶん仲良いんだねー。前から知り合いなの?」
りほも同じところが気にかかったらしく、多少冷やかし気味に海夢を見た。
「はい! 友達なんで! ゆーて、しゃべるようになったのマジでつい最近ですけど。早く衣装の採寸して欲しかったんでとりまごじょー君家に行ってみました。ごじょー君、採寸も丁寧でめっちゃ仕事人! ってカンジでした」
学の耳が、再び気になるワードを拾った。りほも同じ様子だった。
「採寸って、何?」
「衣装、フルオーダーだよね。全身の採寸?」
とくに気にした様子もなく海夢が答えた。
「はい。最初あたし一人で計ろうとしたんですけどまさかの難易度でー。だけどごじょー君、ちょー細かく計ってくれたんですよ。ほら、書いてくれた図面にも全部書いてくれてて」
学とりほが再びスマホの図面を見ると、たしかにそれぞれの部位に〝首周り〟〝袖丈〟など、小数点以下まできちんと書き込まれている。当然、他の箇所もだ。
「……海夢ちゃん、まさかバストとかヒップも、その男の子に計らせたわけじゃないよね?」
海夢はこの質問にもまったく
「当然じゃないですか! 一番大切なところだし、ちゃんと計ってもらわないとー」
学は思わず天を仰いだ。隣を見るとりほは口を開けて絶句している。
これはきちんと確認しておいたほうがいいと思い、学はいろいろ聞き
その〝ごじょー君〟は祖父と二人暮らしで、採寸当日はその祖父も家に居なかったこと。
海夢は二人っきりの彼の家で、彼の私室に上がり込んだこと。
そこでわざわざ際どい――これは海夢が写真を見せてくれた――水着姿になったこと。
バストポイント以外は全部彼に計らせたこと。
これらのことが海夢の口から語られた後は、知らず学の口も開いたままになっていた。
聞いた内容から推測すると〝ごじょー君〟は最初、きちんと採寸を断ったらしい。
海夢は気づいていなかったようだが、彼は男子として正常な反応をしていた。その上で自分を律しようと努力していたことが伺える。
しかし海夢の熱意を受け止めたのか、途中からは腹をくくった態度で黙々と作業に取り組んだようだ。
その姿勢から見える〝ごじょー君〟の姿は、誠実な男性そのものだ。学は〝ごじょー君〟に同情もしたが、それ以上に興味を持った。
海夢は以前から自分の魅力に無自覚で、おまけに異性にあまり興味が無く、性別を意識して振る舞うことに無頓着だ。容姿が洗練されてきた今でも本質はまるで変わっていない。だから下心を持って近づいた異性には容赦ないが、海夢から気を許して近づいた場合は、とことん隙だらけの無防備になってしまうのかもしれない。
〝ごじょー君〟は気を許した海夢が隙だらけで近づいても、そのストイックな姿勢を崩さなかったのだ。学は〝ごじょー君〟に好感を覚えていた。
撮影作業は順調に進んだ。
今日は海夢の髪をモデルに、トリートメントのビフォーアフターを撮るのが目標の一つだ。
海夢はりほのトリートメントによって
りほのトリートメントは最近流行っている技術で、毛髪の形状やツヤ、ハリコシを向上する効果が高い。一方で染毛剤との組み合わせが大変難しく、知識も技術も高いレベルが必要だ。りほはこのトリートメントをAIRSで最も得意としていて、海夢の鮮やかなグラデーションカラーを色
そして、りほやAIRSのメンバーの技術を無駄にしないだけの表現力を、海夢はモデルとして発揮しつつあった。
「海夢ちゃん、すごくいい
「そうですね、WiWiの撮影がいい経験になったみたいですよ」
店長とりほが撮影中の海夢を評価している。
海夢は連休中、ファッション雑誌『WiWi』の読者モデルデビューをしていた。
今年になってリピーターとして来店するようになった出版社の女性編集者が読者モデルを探しており、店長に相談していたと聞いている。ちょうど髪もピアスも仕上がって存在感を放つようになった海夢を紹介したところ、一発で採用が決まったらしい。連休中に夏号向けの撮影予定があるからそこに是非加わってほしい、とオファーがかかったのだった。
「前から笑顔はとても良かったけど、大人っぽい、シリアスな表情もサマになったよな」
「ほんと、そうですね。近寄りがたいオーラっていうんですかねー。こんな顔も出来るんだってびっくりしました」
海夢はもともと
「海夢ちゃん、
撮影後、店長が海夢にそう呼びかけた。海夢は屈託のない笑顔で答えた。
「ありがとうございます! めっちゃ
海夢の父は結局、連休中も関東に戻ることはもちろん、海夢が九州に訪ねていくことさえ難しいほど忙しかったらしい。単身赴任先のマンションをほとんど空けて、泊まりがけで野外調査の仕事にかかりきりだったという。
学は海夢の父親を代弁する心持ちで口を開いた。
「お父さん、海夢ちゃんと会えなくて寂しかったと思うわよ?」
どうだろ、と独り言のように呟きながら海夢は続けた。
「LIMEはめっちゃ送ってきましたよ。モデルやってるって返したら写真送れって言うから、オフショ送ったらすっごい喜んでました!」
連休中に撮影した写真は、八月くらいに発刊される号に掲載される予定だ。それを海夢が父親に伝えたところ、『絶対買って職場の人に見せびらかす!』と通話で熱く語っていたらしい。
「海夢ちゃん、高校でめっちゃモテるでしょ?」
「お父さん、悪い虫がつかないか心配なんじゃない?」
サロンのスタッフが冷やかし気味に訊いた。海夢は苦笑いして答えた。
「いやー、全然ないっすね。なんかクラスの男子とは仲良くなりましたけど、あたし、いいカンジに女として扱われてないってゆーか、遠慮なくお互い言えるメンツなんです。お父さんにもそう言ったら、相変わらずだねとか笑われました」
学は、当分海夢には色恋が訪れる気配が無さそうだと思って、やれやれとため息をついた。ただ、例の雛人形職人を目指す少年のことは気になった。
一度会ってみたいと学は思った。
「りほさん! カットしてもらったウィッグ、こんなカンジです! ありがとうございました‼」
五月最後の週末が明けて最初のバイトの日。
海夢は入店するなりスマホを取り出し、りほに見せながら呼びかけた。
「うわっ、可愛い! これ誰?」
りほが見ている画面を学も見せてもらった。
画面に映っているのは、いわゆるゴスロリ風の衣装を着た、紫がかった黒髪ボブの女の子だ。ただし髪は写真でも一目で人工毛だとわかるウィッグである。それよりも面影にどこか見覚えがある気がした。
「〝
当然のように答える海夢だが、学には聞き覚えがない。りほも同じようだった。
「地下アイドルか誰か? 私知らないなー」
海夢は、しまった、という顔をした。
「あたしキャラ名言ってませんでしたっけ。ほら、前にあたしが言ってたゲームの、【ヌル女2】のキャラです。ウィッグ切ってもらったじゃないですか? あたし、ついに雫たんのコスしたんです!」
「あのウィッグかぁ。え、ってことはこの子、海夢ちゃんなの⁉」
「……マジ⁉」
学とりほは同時に叫び声を上げた。店のスタッフが一斉にこちらを見た。客はちょうど誰も居なかったが、皆呆れた顔をしている。
「何があったの? 大きな声だしてー。びっくりするよ」
「いや、この写真、海夢ちゃんがコスプレしてるんですって」
りほがそう言うと、店長も
「すげえ。衣装の作り込みがハンパなく細かく見えるな。写真自体はスマホだろ、コレ」
「ぎゃーっ! 完全に別人だよ! メイク上手! 誰がやったの? 海夢ちゃんじゃないよね⁉」
海夢はこれでもかというくらい胸を張って言った。
「衣装もメイクも、ごじょー君です!」
他のスタッフが『ごじょー君って誰だっけ』と不思議がる中、その名前が印象に残っていた学はすかさず訊いた。
「〝ごじょー君〟って衣装だけじゃなくてメイクも出来るの⁉」
「はい!」
「ああ、例の彼かー。そういえば、この間の図面、メイクについても書き込み入ってるなーとは思ったんだ」
海夢によれば、雛人形の
「同い年なんでしょ? それでこのクォリティ?」
学はまじまじと写真を見て呟いた。海夢は我がことのように胸を張っている。しかし。
「……あれから二週間くらいしか経ってないよね……学校も行ってるんでしょ。私、衣装制作には詳しくないけど、それでもプロみたいな作業速度じゃないの? 徹夜でもしたのかな?」
りほのそのコメントを聞いた海夢は途端に黙り込んだ。
学や他のスタッフは急に静かになった海夢を見た。すると、その目にうっすらと涙が浮かんでいる。
「どうしたの? 海夢ちゃん」
りほが訊くと、海夢は赤い目を軽くこすり、答えた。
「……あたしがちゃんと説明してなくって。あたしがなんとなく調べたイベント日を締め切りだと思い込んで、ごじょー君、それに合わせてほとんど寝ないで衣装を作ってくれたんです。――なのに、あたしのミスが判っても一言も文句言わないし、むしろ間に合って良かったって笑ってくれました!」
海夢は泣きそうな顔に崩れかけながらも、最後は明るい笑顔で締めくくった。
「泣き笑いみたいな顔になってるじゃない」
差し出しかけたティッシュを仕舞いつつ、学がそう言うと海夢は強い眼差しで答えた。
「あたし、衣装できてマジで嬉しかったのに、ゴメンゴメンって謝ってばかりで、ごじょー君に『嬉しくなかったですか?』って言わせちゃったから。だから泣いてちゃダメだってこと思い出したんだよ。学君。あたしちゃんと笑う!」
学は優しく返した。
「泣くほど嬉しかった。それでいいんじゃない? アタシは海夢ちゃんのその顔も好きよ。ネイルのときもブリーチのときも海夢ちゃん大泣きして喜んでくれたでしょ。衣装とメイクやってくれた〝ごじょー君〟も、アナタのくしゃくしゃな笑顔見てたら、嬉しいに決まってるわよ。彼は喜んでなかったのかしら?」
驚いた表情で海夢は学を見た。
「ううん! そうだね学君。ごじょー君、『マジで雫たんです!』って笑ってくれたよ。楽しかったってゆってくれた。これからも宜しくってゆってくれた! それにあたしのこと、とても〝奇麗〟だって――奇麗――」
勢い込んでそう言いかけたところで、海夢は突然口を開けたまま沈黙した。見ると顔が茹で上がりそうなほど真っ赤になっている。学はもちろん、ほとんどのスタッフはそれで確信したらしい。
「海夢ちゃん、その〝ごじょー君〟のこと、好きになっちゃったのかな?」
りほが柔らかい笑顔で問いかけた。りほに冷やかすつもりが無いことは判っている。学も同じ気持ちだからだ。
海夢は真っ赤な顔のまま、ようやく言葉をつないだ。
「――うん。あたし、ごじょー君のことガチで好きになっちゃったみたい。考えるとしんどすぎるしどーしたらいいのかわかんないけど――」
一度話し始めると、海夢の口からは怒涛のごとく言葉が溢れた。
「――同じ教室にいるのがマジでパニクるし、どーしていいかわかんないからとりあえずいつも見ちゃうんだけど気づいてないっぽいし、話すと楽しいし買い物とかに行くとずっと一緒に居たいって思うし、ごじょー君ちでおじーちゃんと喋るのも楽しいし、あとごじょー君が作ったご飯めっちゃ美味しくてごじょー君マジ神!」
学は海夢の言葉を拾い、頭の中でつなげた。
「海夢ちゃん、〝ごじょー君〟の家でご飯、ご馳走になってるの? ご家族と一緒に?」
海夢は即答した。
「うん! ごじょー君のおじーちゃんが、これからは夕飯食べていけってゆってくれたから」
「えぇーっ! ご家族公認じゃん! 付き合ってまだ何日も経ってないんでしょ? 羨ましい~‼」
海夢は顔の前で手を振って否定した。
「いやー、
最後のほうは蚊の鳴くような声だった。
相手に断られたのかと切り込んだ
「海夢ちゃん、ひょっとして好きって言えなかったの? らしくないわね」
海夢はため息をつきながら答えた。
「そうなんだよね……。ごじょー君がおじーちゃんに雫たんの衣装見せたときに、『やましいことしてない』ってさらっとゆってたからさー。あたしそんなごじょー君、めっちゃカッコイイって思っちゃったし、好き、とか付き合って欲しーって言える流れじゃないってゆーか。もうどーしていいのかマジでわかんないんだよね……」
りほが助け舟を出すように学に言った。
「海夢ちゃん、多分初恋なんだよ。だからどうしていいのかわからないんじゃないかな。好きなものを好きって言うのとは、大分違うだろうし」
学はそれで思い当たった。
海夢はこれまで〝リアル男子〟に興味が無かった。学たちは別として、海夢をちゃんと理解しようとした同世代の男子が居なかったのだから当然だ。
そんな海夢の前に現れた〝ごじょー君〟は、海夢の好きなものにとことんまで理解を深め、実現のために努力を惜しまなかった。それだけではなく自分自身が追い求める夢に対しても一切ブレず、ひたむきに努力を続けている。その上。
「伝統工芸職人のタマゴから〝奇麗〟って言われたら、すごく嬉しいよね」
「――あたしにはめっちゃキレイに見えるレイヤーさんやモデルさんたちの写真見ても、ごじょー君、絶対〝奇麗〟って言わないんだよ。ごじょー君の〝奇麗〟は、マジで特別なの。最高のお雛様のためにとってある言葉、みたいな。だからあたし、あの時のごじょー君が〝奇麗〟ってゆったの、ホントにあたしのことなのかわかんなくて。謎すぎてしんどい。しんどすぎる」
件の彼は、狙って思わせぶりなことを言ったわけでもないのに、これでもかというほど海夢の心を揺さぶった。海夢の純粋でまっすぐな気持ちが彼に向かって転がっていったのは当然の成り行きだった。
「一度、会ってみたいわね~」
「そうだよ、
「お客さんとして来てくれたら、カットしてあげるわよ~」
学とりほがそう言ったが、海夢はいったん悩み始めた〝奇麗〟の言葉の真相にとらわれてしまったのか、上の空で、わかった、と答えるだけだった。
学はりほと顔を見合わせて苦笑した。
結末がどうなるにせよ、この初恋が海夢にとって悪いものにはならない。そう思えるような爽やかさがあった。
続きます。