ヘアショー直前の12月のお話です。
新菜が
Ⅹ
〝ごじょー君〟の来店当日。学は、りほや
「こんにちはー!」
「しっ、失礼いたします! ゴジョウ・ワカナです。五条大橋の五条に、新しい菜っ葉と書いて
ガチガチに緊張した様子で、しかし礼儀正しく、大きな声で挨拶をして、五条新菜と名乗った男子高校生は入店した。
入店前に上着をちゃんと脱いでおり、高校の制服を一切着崩さず、ネクタイも隙間なく襟元まで締めている。
ワイシャツの襟はアイロンがかけられていてローファーは新品ではないがきっちり磨かれている。
几帳面というイメージがぴったり合う身なりだ。
「謝らなくていいのよ~。もう、いいもの見せてもらっちゃったわ~」
学が真っ先に謝罪は不要と手を振った。
「じゃ、あらためて。新菜君、って呼ぶね。今日はどのようになさいますか?」
りほが微笑みかけ、オーダーを求めた。
「どっ、どうしましょう……美容室って俺、初めてで……」
「じゃあ海夢ちゃんに希望を訊いてみようよ」
「きっ、喜多川さん、俺、髪短いし、何を注文したらいいんですか?」
「ごじょー君、黒髪好きだしカラーは無いか。パーマは短すぎるのかな? りほさん、ごじょー君の長さでパーマできます?」
「いけるいける! ツイスト、似合うんじゃない? やってみようよ!」
「ぱっ、パーマ⁉ 俺、恥ずかしくてできません!」
「全然そんなことないよ。絶対似合うよ」
りほが新菜を口説いたが、どうしても恥ずかしいということで、今日は軽くカットするだけにした。
そのやりとりを見て、学は新菜に問いかけた。
「ねぇ、新菜君。なんで海夢ちゃんにも敬語なの? 皆の前だからって
「いや、いつもの癖なんで……畏まっているわけではないです」
「同い年にも敬語なの?」
「そーそー、ごじょー君ってね、あたしだけじゃなくて女子としゃべるときは誰でも敬語だよ。ごじょー君らしくて全然これで良くない?」
「そうなんだ。ひょっとして誕生日が三月三十一日とか?」
「あ、いえ、三月二十一日です。でも言われてみれば、みんな大体、俺より早く生まれてるんですね」
そこで海夢が食いついた。
「ごじょー君、三月二十一日生まれなんだ! あたし三月五日!」
「そうなんですか。偶然ですね」
「同じ月だねー。運命じゃん!」
「二人とも、今までお互いの誕生日知らなかったの?」
学は呆れて言った。
海夢は、そーいえばそーか、と軽く笑っていたが、次のりほの一言がそれを引きつらせた。
「海夢ちゃん、彼氏の誕生日くらい知っておかないとダメだよ?」
海夢は顔を真っ赤にした。
「かっ、カレシ⁉ ……あ、あははは」
新菜はさらに真っ赤だった。
「か、か、カレシではありませんっ……!」
新菜の答えを聞いて、海夢があからさまに落胆した顔をみせた。
りほはそもそも新菜の答えをまともに取り合わなかった。
「いいよいいよ新菜君! 照れなくたって。サロンのみんなはとっくに解ってるから!」
「いえ、そうではなくて……! 俺と喜多川さんは、その、コスプレを通じて繋がってる仲間――そう、相方です! 俺なんかが喜多川さんの、かっ、彼氏だなんてとんでもないです!」
「大丈夫だよ、サロモは恋愛禁止だなんてそんなルール、
りほは気づいていないようだが、学は新菜の口から出た言葉のニュアンスに強い引っ掛かりを覚えた。
海夢を見ると、珍しく真っ赤になって
「……なんか海夢ちゃん、いつもの調子じゃなくない?」
学もちょうど、今まで当たり前だと思っていたことが実は間違いだという可能性に思い当たっていた。
「ねえ、学君、ひょっとしてあの二人、本当に付き合ってないの?」
りほがひそひそ声で学に問いかけた。
「アタシもとっくに付き合ってると思ってたんですけどねぇ。なんか、告白すらしていないんじゃないですかね……」
学も小声で答えた。二人はお互い、好意を持っているのは間違いない。だが海夢は珍しく臆病になっていて、新菜の好意は大分、こじれている気がした。
仮に海夢が告白していたとして、果たして彼は受け入れていただろうか――学には疑問に思えた。
一度はぎこちない空気になったものの、その後はコスプレの話や高校の文化祭の話に移り、くだけた雰囲気の中で会話がふたたびはずんだ。
「そうだ喜多川さん、帰りはウチでご飯、食べていきますか?」
「うん、いく!」
自然な流れで交わされたやりとりに、りほが目を輝かせて反応した。
「海夢ちゃん、新菜君ちで夕飯食べてるんだっけ?」
「はい! ごじょー君が作ってくれるんですよ! めっちゃ美味しーです!」
「ご家族の方も、一緒なのかしら?」
「はい。うちのじいちゃんも、食べていくように喜多川さんに言ってるんです。二人分作るのも三人分作るのも手間かわりませんし、喜多川さん、一人暮らしで健康管理大変ですから、少しでも協力できればと」
「毎日?」
「最近はそうですね。でも大した物作れませんよ。和食だけですし」
聞けば聞くほど、新菜の献身っぷりが
嫌々やっている感じはまったくなく、かといって自己陶酔に浸っている様子もない。ただ自然に海夢のことを気づかっていることが伝わってきた。
海夢もそんな新菜の厚意にあぐらをかくこともなく、素直に受け入れ、尊敬と感謝を伝えている。
家族が了承していて家に頻繁に出入りし、食事も供にしていて、趣味を通じてお互いをこれだけ気づかい合っているのに恋愛関係に踏み込めないという、今どきの高校生にしては、二人は恐ろしくプラトニックな関係だった。
そうこうしているうちに新菜のカットが終わった。
結局、少し伸びた部分を切って調節するくらいで、新菜の髪型に目立った変化は無かった。
海夢は『バチボコにカッコイイ』と頬を赤くして見とれていたが、新菜はそれに気づく様子もなく鏡に映った自分の姿を照れくさそうに鑑定していた。
「へえー、ここはこういう風にもカットできるんですね……」
「そうよ、パネルって呼んでるんだけど、どういう角度で引き出すかで全体のシルエットが全然違ってくるのよ」
海夢はアルバイトとして受付をこなさなければならないが、新菜は手持ち無沙汰になってしまうので、手の空いた学が新菜の疑問に答えていた。
そのうち学はとあることを思いついた。アイデアを店長に相談した上で、新菜に訊いた。
「新菜君、試しにカットの練習してみる?」
ちょうどネイルの予約分が全て終わり、これ以上ネイルブースを使用する予定が無かった。そこに道具を持ち込んで練習を見ることができそうだった。
「大変ありがたいのですが、道具を持ってきていないので、また次回、あらためてお願いできませんか。それにウィッグ代金も今日は持ち合わせがなくて」
新菜は丁寧にそう断ったが、学もその点は考慮してある。
「練習で切ったけどまだ適当な長さが残ってるウィッグがあるから、それを使えば大丈夫。お金は要らないわ。あと道具は練習の貸出用があるから気にしないで」
新菜もそれ以上断る理由がなかったようで、彼らしく丁寧に礼を言い、案内する学についてネイルブースに入ってきた。
「シザーズは、カット用のが自宅にあるの?」
準備をしながら学は新菜に訊いた。
「はい。最初、文房具用のハサミでやっていたんですがやりにくかったので、ウィッグ屋さんでシザーズを買いました。コーム等もその時一緒に」
学は感心した。
「それなら持ち方はだいたい解るかしら? 文房具用とはまったく違うから」
「ネット動画の見よう見まねでやってます。でも本当に正しいのかちょっと自信はありません」
「一度チェックしてあげるわ。それよりカットコームの持ち方のほうが大切ね。それに、もっと大切なのは左手よ」
学は新菜に道具の能率的な持ち方や使い方、姿勢や目線などを教えていった。
新菜は素直で話をよく聴き、しかも観察力もあるのだろう、学が教えたことを次々と吸収していった。
すぐに反復練習の時間になってしまい、学は新菜が練習しているところを見守るだけになった。学は雛人形職人のタマゴとしての新菜を知りたくなった。
「新菜君は、お雛様の職人の練習、いつ頃から始めたの?」
「ちょうど十年前からでしょうか」
「すごいわね。毎日練習してるの?」
「そうですね、たまに出来ないときもありますが、ほぼ毎日してます」
「一日どれくらい練習しているの?」
「二時間くらいでしょうか。三時間以上できると嬉しいんですが、なかなかとれません」
「細い筆で、小さなお人形さんの顔を描いてるんでしょう? 腰とか手、痛くならない?」
「昔はそういうこともありましたが、今は慣れましたね。あ、でも四時間くらいやってるとさすがに痛くなります」
実際、シザーズとコームを構える新菜の姿勢はぴんとしていて美容学校を卒業したばかりの新人よりもはるかに安定している。道具を扱う職人らしく、両腕の運びはスムーズでブレがない。何より集中力が素晴らしい。
新菜はまもなく、学が指示したカットを問題なく完了させた。
新菜は次のステップに進みたいと思ったようだ。次回は自分の道具を持参して、ウィッグを一頭購入して練習をしたい、と学に頼んできた。学は了承した。
「さっき、新菜君が言った言葉が気になってるんだけど」
片付けを済ませ、簡単な掃除をしている新菜に学は話しかけた。
「なんで、俺〝なんか〟が喜多川さんの彼氏、なんて言うの?」
学はことさらに〝なんか〟を強調した。新菜の顔がこわばった。返事はない。
「――いきなりでゴメンなさい。でも、アナタほど海夢ちゃんを理解している同世代の男子は居ないと思うわ。〝なんか〟って、そんな自分を卑下するような言い方をしなくても」
新菜は学の言葉を聞いて、少し緊張をほどいた。
ちょうど清掃も終わったところで、新菜はゴミをまとめて道具を片付けると、口を開いた。
「〝なんか〟、という言葉は癖のようなもので、つい、ぽろっと出てしまいました」
「今はそういう気持ちは無いってこと?」
「そうですね……最初俺は、喜多川さんは自分〝なんか〟とは絶対に交わらない世界に住んでる人、って思い込んでいました。俺は雛人形以外興味がなくて、友達もずっと居ない人間でしたから」
そういう思い込みとは学も付き合いが長い。学は続きを促した。
「喜多川さんに衣装のことで頼ってもらえるのも、たまたま幸運だからにすぎないと思っていました。俺は、そのうちもっと確かな技術を持った人を喜多川さんが見つけるまでの繋ぎにしかすぎない、と思い込もうとしていました」
新菜がゆっくりと語る。
学は合いの手を入れるつもりで聞いた。
「嫌々、とか我慢してやっていたわけじゃないんでしょ?」
新菜は即答した。
「はい。自分の気持に嘘をついて、嫌だったり我慢してやっていたことはありません。俺は本当に楽しかったんです。自分の勉強にもなりますし、新しい世界もたくさん、見せてもらいました。嫌だなんて絶対にありません!」
新菜の語気が強くなった。学は新菜を見守った。
一息ついて、新菜は続けた。
「それでも俺は未熟です。世の中にはたくさん優れた人や特別な人が居るのに、俺は未熟すぎるんです。なのに読者モデルをしている喜多川さんは、本当に俺の手の届かないところで光っていて、喜多川さんはやっぱり特別な人だと思いました。特別な人には特別な人が相応しい、という気持ちは、まだあります」
学は新菜の思いが痛いほど良くわかった。
陰の世界で生きる者。
知らず知らず自分をそう決めつけてしまう性分の、どうしようもないやるせなさ。
「でも、俺もたくさんの人たちと関わって、頼ってもらえて、主役だと言ってもらうこともありました。文化祭のミスコンのステージで喜多川さんが俺の名前を発表してくれたとき、俺は生まれて初めて〝誇らしい〟という気持ちを覚えて心が震えたんです」
海夢が新菜の名前を高らかに
新菜がどんなに晴れがましい気持ちだったか想像して、学の目にも熱いものが溢れてきた。
「その経験もあって、今は喜多川さんがやりたいことを全部、俺の持てる力を尽くして叶えたい。そう思うようになりました。烏滸がましいかもしれませんが、それをやり切ってはじめて、俺は喜多川さんに本当の気持ちを伝えられるんだと思います」
学は涙を誤魔化したい気持ちから、つい茶化すように合いの手を入れた。
「好き、ってこと?」
案の定、新菜は赤面して狼狽えた。
学は心の中で、ごめんね、と詫びた。
「すっ、……そ、そうではなくてですね……俺が今、こうして卑屈にならずに世界を広げることができているのは、全部、全部、喜多川さんのおかげです。しかも、喜多川さんがくれるものは次から次へとやってくるんです。喜多川さんには、感謝、という言葉だけでは伝えきれない。今ではどんな言葉を選べばいいのかもわかりません。だから」
学は堪えきれずにその後の言葉をむりやり引き取った。
じっとしていると泣いてしまいそうだった。
「言葉なんかじゃなく、アナタの腕で叶えるというのね……新菜君、アナタもう、美容師になりなさいよ。めちゃくちゃ売れるわよ、絶対」
最後は冗談まじりになったが、学は、この純朴な少年がいつか自身の作品で人々を笑顔にすることを、心底願って止まなかった。
そして、心から大切にしている相手と、その想いを交わし合えることを。
その後、学は新菜に連絡先のLIMEを教えておいた。連絡を取り合うことが増えると考えたからだ。
学は新菜と話をした結果、二つのことを決めていた。
一つはヘアショーのことだった。
自身の作品の方向性を修正しなければならない。店長に相談し了承を得たが、主催者側との調整は学自身でやることになった。
もう開催まで日が無い。学は無理を言って主催と連絡をとり、毎日遅くまで調整を行った。
もう一つは、例のアシスタントのケアだ。
彼女はふたたび、練習会を休むようになってきた。仕事のミスも目立ってきたが、スタッフは腫れ物を触るように扱っている状態だった。
学はAIRSのメンバー以外で相談にあたったほうがいいと考え、学の美容学校時代の同期を呼んだり手を尽くしていた。しかし彼女には、相談相手が美容師というだけで既に声が届きにくくなっていた。
ちょうど新菜とは次回の練習の約束をしている。学は、新菜を直接指導する役割を、このアシスタントに任せることにした。
これは単なる
今、学は新菜こそが適材だと半ば確信していた。
十二月初頭。海夢がアルバイトに入っていない、平日の夕方だった。
学は制服姿の新菜をふたたびネイルブースに招き入れていた。そこには例のアシスタントもスタンバイしていた。
彼女には、単に海夢のクラスメイトの男子高生がウィッグカットを学びたがっているので、教えてあげてほしい、と伝えてある。
根は素直だった彼女だが、『あたしなんかでも高校生くらいなら教えられますよ』と僻みをそのまま口に出していた。
「お忙しい中申し訳ありません。今日はよろしくお願いいたします」
「よろしくね。ま、大して教えられることもないと思うけど」
そんな少々ピリピリしたやりとりから、新菜のカット練習は始まった。
今回は新菜には新品のカットウィッグを購入してもらい、全頭をひととおり切ってもらうことになっている。
目標とする髪型はシンプルなグラデーションボブということにした。
学はネイルブースで商材の棚卸しを口実に、二人のやり取りに耳を傾けていた。
「まずブロッキングね。髪を持ち上げる位置がかわるところで分けるから、ダックカールで止めるのはここと、このへんだよ。あとは――」
「わかりました。反対側はここですか?」
「そうだね、それとこっちは――」
新菜は素直に指示に従い、細かいことでもきちんと確認している。
勝手な思い込みでカットして失敗することは、新菜については心配なさそうだ。
「――って感じで、いよいよカットしていくよ。手首は動かさないで。
「はい」
「最初のうちは焦らず、ゆっくりやらないと左の指ケガするよ。丁寧に、シザーズを動かして――」
順調にカットに入ったようだ。
初心者はよく指をケガする。教える側も緊張するところだが、新菜は持ち前の集中力で危なげなく作業をすすめていく。
彼女の指示にまったく逆らわず、遅れることもなく、ひとつひとつ明瞭に返事を返しているのも聞いていて気持ちがいい。
教えているアシスタントもそれに応じたのか、本来のハキハキした調子を取り戻してきた。
「――きちんと横から見ないとパネルを持ち上げる角度がズレちゃうよ! 背高いから大変だと思うけど、しっかり腰落として」
「はい、わかりました」
過去に彼女自身が、さんざん学に注意されたところを教えている。
学は自分の口角が自然と持ち上がってしまうのを自覚した。
「……あたしもよく失敗してたから、気をつけてね」
「はい! ありがとうございます」
心なしか、彼女の口調がすこし柔らかくなった。
彼女はその後自然と、いいよ、とか、そんな感じ、といった合いの手をまじえて新菜に指導していった。
「――なんで、最初のうちはこまめにスプレイヤーで濡らして。多少びしょびしょでもいいから」
「はい」
「……あと、今回は人毛でしっかり水分含むからこんな感じだけど、たぶん人工毛のウィッグは違うよ。そこは自分で調整してね」
「わかりました。ご指摘ありがとうございます!」
新菜が海夢のコスプレウィッグのために練習していることは彼女も知っているだろう。だが、わざわざアドバイスをしてあげたのは学にも意外だった。
カットの作業はその後順調に進んでいった。
「――それで五条君は、どうして海夢ちゃんの衣装製作を引き受けたの?」
「……俺、雛人形職人目指してるんですが、男が雛人形を好きだなんて変だって思いこんでたんです。でも喜多川さんが――」
学が棚卸しを終え、美容室で一仕事を終えてふたたびネイルブースに戻った頃には、カットもほとんど終わっていて、新菜のウィッグはチェックを受けているところだった。
二人はだいぶ打ち解けており、雑談中のようだ。
「――五条君が作った雛人形じゃないのに、褒めてもらったのがそんなに嬉しかったの?」
「俺が作った雛人形は、まだまだ全然、売り物になりませんよ。俺はそれまで、自分が目指しているものを褒めてもらったことが無かったんです。むしろ気持ち悪い、って言われたことがあって――」
新菜が自分の過去を語っている。少し離れて作業をしている学にも、アシスタントの彼女が真剣にそれを聴いているのが伝わってくる。
「――作った衣装、喜んでもらって、嬉しかった?」
「はい。誰かに喜んでもらえるって、こんなに嬉しいんだって初めて知りました。あの後も、喜多川さんに頼ってもらえて――」
そのうち、新菜のほうからも積極的に話しかけるようになっていった。
「――さんに教えていただいて、すごくよくわかりました。本当に今日、来て良かったです!」
「……そう。そんなふうに言ってくれて、ありがとう。でもあたしなんか、全然だよ」
「〝なんか〟って、決してそんなことは……あ、俺もそれ、口癖でした。偉そうなこと言えませんね」
「あはは、そんなこと言ってたね」
新菜の口調は熱っぽくなっていた。かなり声も大きい。
バックヤードに居た学にもはっきり聞こえてくる。
「――さん、お客さんに喜んでもらえたときって、どんな気持ちなんですか? どんなに嬉しいんでしょうか。俺、想像もできなくって」
「――」
アシスタントの子が、なんと答えたのかは聞こえない。
ひょっとしたら、言葉が返せなかったのかもしれなかった。
「――美容師って、いいですね。素敵です」
新菜のその言葉に、彼女は無言だった。学も、息を呑んでいた。
新菜は丁寧に、深々と礼をして帰っていった。
当然のごとく持参していた手土産は、営業終了後に、スタッフに配った。新菜は本当にしっかりした高校生だとスタッフ内では評判になっていた。
学はシャンプーブースの奥に目を
彼女は、清掃をしているスタッフたちの中で、ひとり思い悩むように箒を持ってたたずんでいた。
「――学さん、ズルいです」
近づいて話しかけようとすると、彼女のほうから学に声をかけてきた。
「……あたし、思い出さないようにしてたのに。年内いっぱい頑張ったら、あたし、
アシスタントの彼女は、ぼろぼろと涙を零しながら、言葉を続けた。
「……やっぱりお客様に褒められたい。嬉しいって言われたい。ありがとうって、言われたい。
学は
気づけば他のスタッフも、そっとこちらを見守っている。
「あの子。自分の作品をお客さんに喜んでもらったこともないのに、十年も、脇目もふらずに頑張ってるって」
涙でにじんだマスカラを拭き取りながら、彼女は続けた。
「海夢ちゃんに、頼ってもらえたからって、自分の夢を褒められたからって、ただそれだけであそこまで感謝して、喜んで。十年間の努力を、たったそれだけのことで、惜しげもなく、出し尽くして。作り上げた衣装で、人を喜ばせて、褒められて、感謝されて。それが嬉しくて、また海夢ちゃんに感謝して。人に喜んでもらえるのって、そんなに、そんなにすごいことだって、あたし、解ってたのに」
学は背中を優しくさすってやった。
「――こんな嫉妬まみれで。真っ黒な気持ちで仕事をしている自分が嫌だった。みんなに可愛いって言われたい。あの子よりも褒められたい。喜ばれたい。それってぜんぶ、自分がされたいことばかりだって。欲望ばっかりだって。気づいたら、喜ばせたいって気持ちまで、真っ黒になっちゃってた」
みんなが聞いている中で、彼女は敢えて、一番見せたくないはずの心の内を明かした。
「でも、喜んでもらいたい、って気持ちは、持ってていいんですよね。汚くなんてない。そうなんですよね」
勇気を出して打ち明けた彼女に、救いの言葉を。
「――嫉妬だって、いつも悪いわけじゃないよ」
投げかけたのは、
その眼差しはとても柔らかかった。
「アナタだって、ほかのアシスタントや若手から嫉妬されていると思うわよ。お客様にとっても可愛がってもらえてるんだから。美容師としていちばん、羨ましがられることじゃない」
学がその後を続け、りほが嗚咽を漏らす彼女の背中を撫でながら言った。
「あの人みたいになりたい――憧れって、嫉妬じゃないかな。憧れているものを手にいれたいって願うことって、汚いことかな?」
アシスタントは、首を強く、横に振る。
「それがなかったら、美容師の仕事なんて、無くなっちゃうわよ」
学が笑いながら言った。
他のスタッフも、笑顔で頷いている。
「あたし――美容師を、辞めたく、ないです」
堰を切ったように流れる涙を、学はタオルで丁寧に拭いてあげた。
嗚咽の止まない彼女の背を軽くさすりながら、学は心の中で感謝を唱えた。
――新菜君、本当にありがとう。
次話、いよいよ