【外堀物語】   作:Halnire

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ヘアショー開幕です。


美容師・学 その12

 

 

      Ⅻ

 

『準備、入って!』

 

 店長がインカムで指示を出した。

 暗転したステージ上に、AIRSのアシスタントたちが出ていった。チェアとワゴンを配置しているのだ。

 BGMは全開だ。間もなくAIRSのオープニングムービーがスクリーン上に現れるだろう。

 

『私が一番初め。その後が学君の組。最後が(ひかる)君の組ね』

『いよいよだね!』

 

 りほがインカムでステージに出る順番を確認した。(ひかる)の目は爛々(らんらん)と輝いている。

 

『頼りにしてるわよ』

 

 学は自分の隣に並び立つ女性に声をかけた。

 

『――はい!』

 

 彼女は、あの一件で美容師を辞めるのを踏みとどまったアシスタントだ。

 あれから彼女は元の明るい表情を取り戻した。

 仕事の忙しさは相変わらずだったにも関わらず、美容師になりたいと願った原点に立ち戻ったらしく、客に喜んでもらうために精一杯、小さい努力を積み重ねるようになった。

 そんな彼女は、今日のステージで学の補助を任されることになった。

 学は直前でヘアスタイルを変更した結果、資材が多くなり、時間内で手技を終わらせるには補助が不可欠だった。

 この大切な役割に、店長は敢えて立ち直ったばかりの彼女を充てたのだ。

 

 ――是非、やらせてください。

 ――あたしも、恩を返したいです。

 

 重責を指示された彼女は、気丈に、笑顔をもって応えたのだった。

 

『さあ、海夢ちゃん、準備は良いわね』

 

 学は反対側を振り返り、インカムを通じて声をかけた。

 海夢は力強く頷いた。

 モデルは指示を聴くためのワイヤレスイヤホンはつけているが、マイクを装着していない。

 

『もう、答えは聞いているのだから。やることは一つよ』

 

 十二月の打ち合わせの日。学は海夢に聞いた。

 『ごじょー君とどうなりたいの』と。

 海夢はマイクも無いまま、彼女らしい曇りのない笑みを浮かべた。そして皆に聞こえるよう、打ち合わせのあの日、学に答えたのと同じ言葉を高らかに宣言した。

 

「あたしは、ごじょー君の、カノジョになる!」

『絶対なれるよ!』

『ボクも応援してるよ!』

『海夢ちゃん、頑張れよ!』

『あたしも精一杯、やらせてもらうわ! ――海夢ちゃんのこと、あたし、好きだよ!』

 

 インカムで皆、海夢に声援を送る。

 最後のエールはアシスタントの彼女だ。

 海夢へのわだかまりをすっかり手放したその声は、一番澄んで聞こえた。

 いよいよステージインという直前(いま)、学は最後に海夢に声をかけた。

 

『観客席の彼に、可愛い、手に入れたい、って絶対言わせて見せましょう――大丈夫よ。アタシが思いっきり可愛くしてあげる』

 

 海夢の目を見て続ける。

 海夢も力強く見返してきた。

 

『もう、憧れの人とか、手が届かない人、なんて言わせない。さあ、飛びっきりの不意打ちを食らわせてやるのよ! 行くわよ、海夢ちゃん!」

 

 

 司会の紹介は終了した。

 サロンのオープニングムービーも終わった。

 BGMが切り替わっていた。

 とうとう幕は上がったのだ。

 

 

 りほが先頭を切った。

 灰色に見えるカットクロスを纏ったままのモデルとともに颯爽とステージを歩いていく。

 しかし、ステージ中央にまで進んだところで、二人はランウェイへと向きを変えた。

 会場からはかすかなどよめきが起こった。

 学は目の前で別方向へと進むりほを脇目に、そのままステージ反対側、上手(かみて)側のチェアとワゴンのセットへと向かう。

 続いてカットのペアがトップステージのランウェイ上手(かみて)側、もう一人のアレンジペアがランウェイ下手(しもて)側のチェアで歩みを止め、最後にラストのカット技術者である(ひかる)下手(しもて)から出てすぐにある、自身のチェアでモデルとともに正面を向いた。

 

 りほのペアを除いて、他のチームはトップステージ上で等間隔に四チームが配置されている。

 AIRSの技術者のステージ上配置は、開幕から観客の目を惹くように工夫してあった。

 ランウェイをモデルウォークの場に限定せず、メンバーの中で一番のベテランであるりほのペアだけは、大胆にもその最突端で手技を披露するのだ。

 全方向からの視線の中で魅せつけてやれ、という店長からの指示だ。

 いつも柔らかい表情を見せるりほだが、この指示を受けたときは強気な笑みを浮かべていた。

 

 学たちスタイリスト全員の衣装は黒に統一されている。これはモデルを引き立てるためヘアショーでは珍しいことではない。

 一方、モデルたちのカットクロスは一様に白銀色に輝いていた。

 薄暗い下手(しもて)では灰色に見えていたが、今は強いステージ照明に当たってパール層がうっすらと虹色に照り映えているのだ。

 比べると、モデルの顔は目立たない。

 そもそもメイクは控えめである上、全員、軽く目を閉じている。

 AIRSのテーマは〝Winter Buds〟。雪に照り返され寒さを忍ぶ冬の蕾をそのまま表現していた。

 

 ランウェイの先で構えるカメラがりほの手技を捉え、スクリーンには赤く染められたモデルの髪にコームを入れるりほの指が大写しになった。

 赤い髪の下からは、緑色に染められた髪も見えた。

 りほ得意のインナーカラーを施してあるのだ。

 学は、スクリーン上のりほの手がシザーズを細かく動かし始めるのを横目に見て、自らの手技を開始した。

 

 まず、愛用のダックカールクリップをシザーケースから取り出すと、海夢の頭髪をイメージしていたとおりにブロッキングした。それが終わると前髪を分け取り、その後ろからコームを入れていく。

 アシスタントは学が何を言わずとも、温めてあった大きめのホットカーラーを近くまで差し出した。

 海夢のトップポイントには分け目があるが、それは控室であらかじめ消してある。学は手早くそこにホットカーラーを挿し入れ、広めにスライスした毛束を巻き取っていく。その後ろはやや小径のカーラーで同じように髪を巻く。後方に向けて艶と丸みを出すための前処理だ。

 学はホットカーラーの処理を終えるとコームを持ち替え、後頭部の毛束を分けとっていった。

 パネルの毛先を左手の三本の指で軽く、しかししっかりと押さえると、右手のコームをあてていく。コームを柔らかく返すように何度も何度も、毛先から根本へ。するとふんわりと毛が一本一本、ループを作るようにせり上がってくる。逆毛(さかげ)という技術だ。ボリュームを増し、面のつなぎを決めていくためには欠かせない工程だが、手早くボリュームを出すには慣れがいるし、入れ方を間違えれば髪を傷めてしまう。学生時代、日本髪講師に厳しく注意されたことを思い出しながら、学は手技を進めていった。もう何年もやっている技術だが未だに難しいと学は思う。

 アシスタントはさらにボリュームを出すための材料である()き毛を用意している。あらかじめパートごとに形を整えておいたものだ。

 作り上げる髪型はかなり(かさ)が高く、使用する梳き毛も多いが、彼女は学に指示されるまでもなく的確に材料を差し出していく。

 学は毛束を丁寧にコームして、梳き毛を入れ込んで頭頂部に向けて嵩高に盛っていく。海夢の髪は生き生きと艶めいた。

 

 ――素敵な髪よ、海夢ちゃん。

 

 海夢はヘアショーのモデルが決まってから、アイロンの温度もブラシの入れ方も、学の言いつけを守って丁寧に髪質を管理してくれていた。もともとたっぷりした毛量があったが、今はしっかりと艶も出ていて、ボリューム感も増している。

 学は海夢が髪をアップスタイルに最適なコンディションに整えてくれていることに感謝しながら手を動かし続けた。

 

 ちらと観客席のほうを見ると、ランウェイ最前線で独りカットを進めるりほの姿が見えた。シザーズを揮うその顔が笑みを浮かべているのがここからでも判る。

 自らが丁寧にカラーを入れたモデルの髪を、惜しげもなく豪快にカットしている。大舞台が楽しくて仕方ないのだろう。

 

 他のスタイリストたちもそれぞれのモデルに技術を施している。

 学から見て一番遠いところでは、(ひかる)がカットしているモデルの髪が、きらきらと舞い散る様子を見てとれた。

 よく見るとモデルを後ろ向きに座らせて、後頭部の髪をストロークカットで切っている。観客からの視線をそこに惹きつけているのだ。

 (ひかる)は口うるさく神経質に見られがちだが、実際は派手好きで、型にはまらない手法が大好きだ。

 

 学は視線を海夢の髪に戻した。

 巻いてあった髪からホットカーラーを外す。

 アシスタントは使い終わったカーラーを受け取ると入れ替わりに梳き毛を手渡した。学はそれを手早くピンで頭頂部(トップポイント)に留め、そこに巻いてあった毛を被せていく。

 後頭部(バック)から頭頂部(トップポイント)にかけて髪は嵩を増したが、海夢の髪の淡紅色に染められた部分はまだどこにも巻き取られず、つむじ付近(ゴールデンポイント)にクリップで留められている。

 海夢の毛量は多い。学は分けとっておいた耳周りや襟足(ネープ)の髪からさらに細かく毛束を取っていった。

 学はそれぞれの箇所で毛束を編み込んでいく。ロープ編みや三つ編みなどではなく、いくつもの毛束をバスケットを編むように平面上に編み込んでいく。

 手早く、正確に、美しく。

 学は身に染み付いた感覚をもってリズミカルに指を動かしていった。

 小学生のときから、学は同級生の女の子の髪を編んであげては喜ばれていた。自身にとって美容師になる原点とも言える編み込みを、学は美容学生時代から日課のように練習してきた。

 

『手が止まってるわよ』

 

 学から声をかけられてアシスタントが驚いて作業を再開した。

 彼女は学の編み込みを見るのが好きで、練習しているところや接客の施術中でも、見学するチャンスがあれば近くに来たものだ。学の本気の編み込みを間近で見て、大観客の前の本番だということすら忘れてしまったのかもしれない。

 学は表情は変えず、心の中でくすりと笑った。

 丁度、ハンディを持ったカメラマンが学の手技を撮りに来た。

 バックスクリーンの大画面上では学の指が大映しになっている。

 一般の観客には速すぎて何が行われているのか判らないだろう。

 

 ――見ているわよね、新菜君。

 ――アタシが海夢ちゃんを、奇麗にするわ。

 ――アナタでも及ばない、アタシの技術でね。

 

 左右とトップに籠編みを作り終えると、学はそれぞれの毛束の末端をピンで留め、固定していった。

 次いでリングコームを持ち替え、テールを編み目の中へ差し込み、一本ずつ、毛束を丁寧に引き出していく。

 何本かの毛束を引き出すと、その毛束を大きなループのように整える。

 前、左右からのバランスを確認しつつ、アシスタントからピンを受け取っては固定し、幅広のリボンのようにワックスで形を決めていった。

 時折、カメラが学の手技をレンズに収めてはスクリーンに映し出していったが、観客はまだ、一体何が作られているのか判らない様子だ。

 学はいったん手を止め、全体のバランスを確認した。カメラもそれにあわせてズームアウトすると、スクリーンには頭髪の全体像が映された。

 会場からは感嘆のどよめきが起こった。ようやく観客も何が作られていたのか判ったらしい。

 そこには、髪をリボンのように使い、その輪郭を象られた大きな花弁がいくつも(ひろ)がっていたのだった。

 

 学は残りの毛束をすべて、細い三つ編みに編み込んでいった。

 耳元から出る短めの三つ編みは襟足(ネープ)で合流させ結ぶ。

 他の長い三つ編みは、毛先のほうは編み込まないまま、最初に盛り上げた頭頂部(トップポイント)の髪の表面へ螺旋状に留めていった。すると、編み込まないままの毛先は、クリップで留められている淡紅色に染められた髪の束とちょうど合流した。

 この髪束を、学はさらに二束に短く編み込んでいく。そして先ほど頭頂部(トップポイント)にも作った髪のリボンの輪の中に、後ろから前へと髪束を通してピンを留めた。

 左右それぞれに扇状に拡げ、丁寧にワックスで形を整える。

 最後に全体にハードスプレーをふり、しっかりと固定した。

 頭頂に現れた造形は、淡紅色が映える優雅で大きな花弁のようだった。だが、毛先がやや不揃いで角が目立ち、硬質な印象がある。角度によっては、これから削り出されるのを待つ赤い宝玉の原石のようにも見えた。

 

 残るは仕上げだけ。

 アシスタントがワゴンから、ところどころが薄紅色の、白く小さい花がいくつか集まった生花を取り出し、これを編み込みやゴムの結び目の周りにあしらった。

 それはステージの壮大さや、形作られたアップスタイルの華やかさに比べれば、慎ましく目立たない花だ。しかし学は、ひとつひとつの花がしっかりと外を向くように、きちんと観客に見てもらえるように、丁寧に心をこめて配置した。

 

 学は細部をチェックし、全体のバランスを再度整え、手技を終了した。

 すでに他のメンバーは手技を終えており、モデルによっては最後の微修正を行っているくらいだった。

 残り時間はわずか。

 学は観客席のほうを見ながら、海夢に語りかけた。

 

『アタシができることはほとんどやりきったわよ。――あと、ほんの一手間を残すだけ。いよいよ、海夢ちゃんの出番ね』

 

 海夢は小さく、しかし強く頷いた。

 

 

 

 

 手技はすべて完了し、ステージにはスタイリストとモデルを残すだけとなった。

 場内がいったん静まり返り、次いで新たなBGMがスタートするとともに照明が切り替わる。全体的にダークブルーの色調だ。ステージ上に真っ白なスモークが流れ、冷え冷えとした雰囲気が漂った。観客は冬の夜をイメージしているだろう。

 突然、春の日差しを思わせる、暖色のスポットライトがランウェイ最前で座るりほのモデルに注がれた。

 モデルのクロスは照明を受けて虹色に輝いている。

 観客が輝きに目を慣らす前に、りほはその虹色のクロスを後ろから取り除いた。するとその下から、クロスの乱反射に隠されていた衣装が現れた。ちょうど雪解けが訪れ、その下に隠されていた蕾が開くように、今はモデルの瞳は大きく開かれている。

 衣装は淡いゴールドのゴシックなドレスだ。複雑なドレープで目を惹くが色彩は奇をてらわず、観客は視線を自然とその上に移動した。

 観客の視線を集めるその髪は複雑なレイヤーカットをほどこされている。

 ネープからフロントにかけて濃いグリーンに染められている髪が、丁寧なブローによって大きく広がっている。

 頭頂部(トップポイント)にかけては赤く染められたいくつものパネルが、躍動感をもって天を向いている。

 りほのテーマは『ポインセチア』。鮮やかなグリーンのインナーカラーを出すためにりほはかなり工夫した。ビビッドな赤にも相当な苦労をして発色させた。それをステージ上で思い切りよく、そのほとんどをカットオフさせたのだ。

 

 ――私、一回、ばっさりとやってみたかったんだよね! 

 

 ステージ前にりほが目を輝かせて語っていたことだ。

 実際、大胆なカットに観客も喜んだ。

 今もランウェイ先端にはひと目で判る長さの赤と緑の毛髪が散乱し、一番近い客席からはその鮮やかな色彩が楽しめるだろう。

 観客の目がモデルに釘付けになっている間に、りほはすでにモデルのチェアとともにステージの奥に移動し、自らは黒子のように静かに佇んでいる。 

 モデルは今、ランウェイの最前線にひとり立っている。

 スポットライトが昼光色に色調に変えてふりそそぐと、たった今、蕾が花開いたかのようにモデルは腕を持ち上げ、カメラに向けて不敵な笑みを浮かべた。

 観客がわっと沸き立つ中、モデルは衣装のドレープを翻して全方向に等しく視線をふりまき、そのヘアカットを余すところなく見せつけながらランウェイをトップステージに向けて歩いていった。

 

 スポットライトが次のモデルを照らす。

 自信満々の表情で(ひかる)がモデルのクロスを取り払うと、現れたのは淡い紫のホルターネックワンピースだ。その頭部はシルバーの髪を逆立たせ、ドレスの色と同じパープルのインナーカラーが中央に映えている。テーマは『シクラメン』だ。

 (ひかる)のモデルはトップステージを左右に練り歩き、向きを変えて軽やかにランウェイを進む。その表情は喜びに満ち、花咲く笑顔という表現がぴったりだ。

 

 オレンジの『ガーベラ』をヘアアレンジで後頭部に咲かせたモデル、さらにその後を群青の『クロッカス』にカットされたモデルがそれに続き、ランウェイで賛嘆の声を浴びていく。

 モデルたちはひとりひとりが歓声と拍手を従えるようにしてラウンウェイからトップステージへとウォーキングを進めてゆく。やがて彼女たちはトップステージ後方で歩を停めると、くるりと観客席へ向き直り、静かに佇んだ。

 それぞれのモデルにはほのかな暖色を加えられたスポットライトが降り注ぐ。瞳を輝かせ、柔らかい笑みを浮かべたその顔は、期待に満ちて見えた。春の陽射しが降り注ぐ中で色とりどりに咲く花々が、これから開こうとする蕾を今か今かと見守るように。

 

 

 ひときわ明るいスポットライトがトップステージに注いだ。

 学と海夢は白い空間に浮かび上がった。

 観客は、最後のモデルからクロスが取り除かれる瞬間を待ちわびている。その満場からの視線の中で、学は矢庭(やにわ)に腰のポーチから愛用のシザーズを取り出した。

 手技が終了したこのタイミングでシザーズが現れたことに観客は騒然とした。しかも学はこのステージで初めてシザーズを取り出したのだ。果たして何が行われるのかと観客は驚いているだろう。

 学は海夢の頭頂に拡がる扇状の髪にシザーズをあてた。

 

 ――海夢ちゃんの髪を切っても、いいですか。

 

 読者モデルである海夢は、サロンの独断でカットを入れることはできない。学はWiWiの編集と相談し、切る長さと目的を理解してもらい、了承を得ていた。

 学はその先端部をシザーズで落としていく。一番切れ込みが深い中央で、長さにして約五センチだけ切った。これだけ伸ばすには、半年はかかる――半年。それは海夢が新菜に恋をしてきた時間そのものだった。

 学はその五センチを手向(たむ)けとばかりにカットコームで宙へ放った。

 カットされた淡紅色の毛屑が舞い散った。

 今は学と海夢だけに当てられている強い照明は、宙を舞う髪を鮮やかに照らす。

 会場のカメラはこの瞬間、すべてが海夢だけを収めている。

 ステージ背後のスクリーンは、まるで春先の雪のように、あるいは淡紅色の花びらのように散る輝きを、あらゆる方向から映し出していた。

 輝きはまさしく蕾の季節が終わることを告げていた。

 学はカットクロスを取り去った。

 

 現れた海夢の衣装が天井照明からの強い光をはじき返した。

 映し出すバックスクリーンは眩い輝きで焦点を失い白一色になった。

 ふたたび焦点が合うと、スクリーンにはアシンメトリーにレースをあしらったボリュームのあるバルーンスカートが、すらりとした両の脚とともに現れた。それがタイトなウェストを経て、形の良い双丘を越え、肌理(きめ)の細かいデコルテを見せつける、大きく肩の空いたトップスへとつながった。

 それは純白にきらめくビスチェドレスだった。

 

 主催に頭を下げにいった日のことが、学の脳裏に蘇った。

 

 ――衣装は、変更します。

 

 打ち合わせでもともと決まっていた薄桃色の衣装は形も豪華で、ステージ映えは間違いなかった。海夢は大人びた雰囲気もよく似合う。いい意味で近寄りがたい。そういう印象にはぴったりだった。主催も変更はかなり渋った。

 しかし、学は海夢が恋に臆病になっていることを知った。

 想い人の存在が大きすぎて、これ以上踏み込めないことを聞いた。

 そして新菜の想いも聞いた。

 恋心を意思の力で押し隠した、あまりにも無私の、心からの善意を。

 新菜が海夢を手に入れたい、そう思わなければ二人の間に芽生えた恋はこれ以上育つことは無さそうだった。

 新菜に本当の気持ちを自覚させなければならない。それには、薄桃色の豪華なタイトドレスは相応しくなかった。近寄りがたい、手が届かない物であってはならなかった。

 穢れなき白。

 まだ手つかずの、気づいてもらうことを待ち続けるような可憐な花。

 学が作ろうとしたものはそれだった。

 運営側に何度も頭を下げ、無理を押し通し、学は海夢の衣装を変更した。

 

 学自身、それまで準備していた髪型を大幅に変更した。

 新菜は手先が器用で、雛人形で髪も触っているだけに、人間相手であれば簡単なアップスタイルならすぐに作れてしまうだろう。今どきネットの動画でも目にするような可愛いヘアアレンジでは、彼には到底足りない。

 それは技術者として学が挑戦するに相応しいものでなければならなかった。

 学は寝ずにデッサンを描き、サンプルのウィッグを何体も仕上げ、作業時間を計算しなおしてステージでの施術時間を想定して何度もリハーサルを繰り返した。

 

 ――これはアタシの〝ごじょー君〟への挑戦状。

 

 

 カメラは上へと向かう。

 白く細い(くび)

 銀のチョーカーがあしらわれている。

 うなじがステージライトを照り返して美しい輪郭を見せている。

 ギリシャの彫像のように薄く笑みを象った唇が見えた。

 ハイライトできらきらと光る通った鼻筋の左右には、長いまつげに縁取られ、柔らかく閉じた目蓋があった。

 やがてスクリーンには照明に映えて白金色にきらめくアップスタイルのシルエットが現れる。

 ディテールが浮かび上がるといくつかの編み込み(ブレード)が見え、それらが螺旋状に、奇麗に盛り上がった頭頂部(トップポイント)へと束ねられていくのが見えた。

 光を浴びて、編み込み髪に挿された小さく白い生花が瑞々しく映る。

 髪のリボンで象られた花弁は、左右にふわりと拡げられていて、まるで泳ぎだそうとする魚の胸びれのようだ。

 ようやく頂点が映し出されると、淡紅色にひろがった大きな花弁が現れる。

 編み上がった直後は不揃いだった扇状の髪束は、直前のカットで形を整えられ、波打つ曲線を与えられていた。

 いま観客は初めて、学がシザーズを用いた意図を理解しただろう。

 頭頂部にひろがるその花弁は、見る者に観賞魚の優美な尾びれを連想させる、流麗なシルエットをスクリーンいっぱいに映し出している。

 

 最後に咲いたその花の名前は『姫金魚草(リナリア)』。

 海夢の髪にあしらわれた小さな生花たちもまた、同じ名前の花だった。

 

 三月五日の誕生花。

 海夢の成長を言祝(ことほ)ぐ花。

 小さく、可憐だが冬の寒さの中でもへこたれない、(したた)かな草。

 

 その花言葉は。

 

 

「この恋に、気づいて」

 

 

 海夢は静かに目を開き、遠くの客席に向かって一言そう呟くとチェアからゆっくりと腰を上げた。そして堂々と、臆することなくステージに立つ。

 

『さあ、海夢ちゃん、行きなさい。ランウェイの先には彼が待っているわ』

 

 学はそっと、その肩に触れた。

 

『その道は、アナタしか行けないのよ。さあ』

 

 

 後ろを振り向かず、海夢は花言葉そのものとなってランウェイを進む。まっすぐ、その想いを伝えるために。

 会場は沸いている。

 赤と緑に彩られたランウェイを、にわかに雪の下から現れた白い花が金と薄紅の光を伴ってやってくるのだ。

 観客にはどう見えているのだろう。

 冬の妖精が舞い降りたと思い息を呑むだろうか。

 あるいはバージンロードを嫋やかに歩む純白の花嫁と見てため息をつくだろうか。

 そして、彼は、何を感じているだろうか。

 

 やがて海夢は先端にたどり着いた。

 そこは周り全てを観客に囲まれた孤島だ。

 全方向からの視線に(さら)され、萎縮するモデルだっている。だが海夢には大勢の観客など目に入っていないのだろう。

 

 たった一人を除いては。

 

 なんと傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なことだろう。

 彼女にとって周囲からの賞賛の視線は、ただ彼の感情を揺さぶるための背景光(スポットライト)にしか過ぎない。

 

 たった一つの感情。

 

 彼が自覚していないはずの〝嫉妬〟を呼び覚ますための。

 

 海夢はランウェイの正面ではなく、すこし横を向いて、歩みを止めた。

 観客は不思議がっているだろう。

 正面でカメラを構えるスタッフも困惑しているかもしれない。

 学はスクリーンを振り仰いだ。そこに映る海夢の顔は、下手(しもて)で学が伝えた助言通りに心を決めていた。

 

 ――海夢ちゃん、客席のここにいる新菜君に向かって、ポーズをとりなさい。

 ――いいの? 正面向いてキメ顔しないと、カメラさん困らない?

 ――いいのよ。店長も承認済み――AIRS全員が応援してるわ。思いっきりやりなさい。

 

 海夢の顔は、スクリーンでアップになっている。

 正面ではなく、観客から見てやや右の方に視線を向けている。だからスクリーンを見ている観客は、海夢と視線を合わせられない。

 

 ランウェイから直接視線を向けられている、彼以外は。

 

 スクリーンの海夢の目は、今、しっかりと一点に定められている。ちゃんと目的の彼を見つけたのだ。

 その頬がにわかに色づいた。施された化粧の色ではない。彼もまた、海夢を見つめてくれているのだ。

 彼女の目にはもう(おび)えの色はなかった。

 大切な相手に見つめられて心に湧き上がる感情は、今はもう、一つしかないのだろう。

 

 紅味を押さえた桃色に彩られ、きらきらと照明を反射している海夢の唇は、仄かな笑みを(かたど)ったまま、柔らかく閉じられている。

 

 その唇が、ゆっくりと開いた。

 

 予定通りなのか、思わずなのか、カメラはその唇に向かって少しずつズームした。

 

 唇が言葉を紡いだ。

 一音、一音、しっかりと。

 伝える相手が確かにそこに居て、必ず受け止めてくれることを信じるように。

 

 

『だいすきだよ。ごじょーくん』

 

 

 スクリーンに映されたその唇は、愛の言葉を形づくっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話、学君編、結びです。
明日掲載します。
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