エピローグです。
ⅩⅢ
背中がぞくぞくっとして、目が覚めた。
見れば、窓がうっすらと開いている。外からの冷気が入り放題だ。たぶんパートナーが締め忘れたのだ。
――そうじゃなきゃ、こんな寒いわけないしね。
キングサイズの掛け布団は簡単にはパートナーに独占されることはなく、ちゃんと学の全身も覆っているのだから。
年内最後の祝日が終わって、あくる朝。
学は壁のカレンダーを見て確認した。日付は十二月二十五日。クリスマスだ。
学もパートナーも今日は仕事だが、学のほうが朝は早い。日課の編み込み練習をもっと時間をかけてやりたいからだ。
学は熟睡中のパートナーを軽く脇へ押しのけ、ベッドを降りた。
テーブルには、チキンやパスタなどの料理の残りが並んでいる。昨日はイブの夜を二人で祝ったあと、そのまま寝てしまったらしい。
ちなみに料理は出来合いではなく、すべてパートナーが苦心して作ったものだ。料理などこれまでほとんどしたことのない彼が、急にやる気を出してキッチンを独占したことには学も驚いた。彼が苦心をしたと判ればその分だけ――実際よりも――美味しく感じられた。
カレンダーから視線を横にずらすと、二枚の写真があった。
一枚は、先日のヘアショーで学がヘアアレンジをしているシーンを撮ったものだ。無心に海夢の髪を編み込む横顔が、自分で見ても恥ずかしいくらいに雄々しい。
この写真をパートナーの彼に見せた時、学は冗談で、自分のファンの男子高校生が撮ってくれたものだ、と紹介した。パートナーは半ば本気で焦ったらしく、昨晩のディナーへと繋がったわけだ。ちなみに、その男子高校生とは、当然のことながら新菜のことだ。
もう一枚も同じくヘアショーの写真だが、これはショーが終わったあとの控室で新菜が撮ったものだ。
笑っている海夢が、立っている学の肩に手をかけて座っている。
撮影に使われたカメラは、海夢がアルバイトで貯金して買ったもので、きちんと奥行きが出ている。新菜もカメラに慣れていて画角をよく分かっている。写真は、わざわざ彼がデータをプリントアウトして美容室まで持ってきてくれたものだ。
学は写真を撮ってもらったお礼に、作務衣姿の新菜と、ヘアアレンジと衣装で飾られた海夢を、そのカメラを借りてともにファインダーに収めた。
聞けば二人にとって初めてのツーショットだったらしいその写真は、残念ながらこの部屋にはない。
だが、画面に収まる二人の表情を、学はありありと思い起こすことができる。それを考えると学は自身の口元に浮かぶ笑みを抑えることができない。
学が力を尽くして良かったと心から充足できる――二人は、そんな表情だったのだ。
学はいつも通り、サーモボトルにコーヒーを詰めて、簡単なサンドイッチとともに鞄に入れて駐輪場に向かう。
愛用のクロスバイクに跨がり、冬の朝日に向かって冷え込んだ路地をゆく。
井の頭線を左に見て、三号を越え、大使館の並びを抜け、代官山に入る。
自転車を留め、馴染みの看板を見て、扉をくぐる。
灯りはもうついている。
「おはよう」
「学さん、おはようございます!」
「あいかわらず早いですね!」
いつも通りの挨拶。
いつも通りの練習。
いつも通りの営業準備の風景。
「おはよう、学君」
「おはよう、学ちゃん」
「今日はどんなご予約が入ってるの?」
そして、毎日違う、お客様とオーダー。
一日たりとも、同じことはありえない。
「学君、今日予約入っている、男子高校生なんだけど」
「どんな子なんでしょうね」
「ちょっと楽しみだよね」
今日も、美容室AIRSの営業が始まる。
〈了〉
あとがき:
2年前に、「嫉妬」をテーマとして書いた二次小説でした。
新菜が海夢に抱く気持ちを明確にすることは、彼の性格上ありえないのではないか。どうやって彼を揺さぶるかが一番難しいと考えていた頃の話です。
ちょうど本誌ではお泊まり回が掲載されていた時期のことで、私も『新菜は段階をふまなければ絶対に先へ進みそうにない』と感じていました。
そこで私は『嫉妬』をトリガーにしようと考えました。それも彼の職人魂に突き刺さる嫉妬です。恋愛感情的な嫉妬では、新菜は自己評価が低すぎて嫉妬を感じる前に諦念が勝ってしまうと考えたからです。
美容師の学君は、おそらくスタイリストでしょうから人を奇麗にするプロの技を持っています。新菜の職人魂に火をつけることができるでしょう。
それに彼は男性ですが心は女です。本当の男性では嫉妬どころかNTRみたいになって生臭くなり、女性スタイリストでは嫉妬の対象にならないかもしれない……そう考えると、学君のキャラクターは新菜の嫉妬心に一撃を突き刺すためにあるような存在と思えました。
そんなことを思い描きながら書いた作品です。
私は本編に出てくる美容師の学君の人物像が結構好きです。
いつか本誌でも、彼の幸せなシーンが見られることを願っています。