Ⅴ
「埋め合わせはするわ」
紗寿叶は溜息を
「別に気にしなくていーっすよ。でもご一緒できるんなら嬉しーっす!」
眼の前の森田健星は満面の笑みで答えた。
あの直後、場は凍りついていた。
紗寿叶が急に叫び、ホールのエントランスは一瞬静かになった。
周囲の視線を一点に集めて紗寿叶はようやく我に返ったが、五条新菜と喜多川海夢は紗寿叶を心配してペットボトルの水を買いにいったり、近くのソファまで肩を貸そうとしてくれた。
ますます居たたまれなくなる紗寿叶に、森田健星は心配そうな表情を浮かべながらも、どうして先程の発言をしたのかという弁解と謝罪をした。
どうやら森田健星は、日頃から言葉の選択をよく間違うらしく、親友からは度々指摘されてきたらしい。今回もそれが出てしまったということだった。
森田健星が言うには、彼には二つ年上の姉がいるそうだ。その姉が以前見せた表情と先程の紗寿叶の表情がそっくりに見えたため、つい、言葉が口を
五条新菜と喜多川海夢はその後、二人で帰っていった。
紗寿叶はその時のやりとりを思い出す。
――喜多川海夢、貴女たち、サロンの方々とは合流しなくて良いの?
――もう記念の写真撮影とかは終わりましたから、とくにうちらは用が無いって感じです。
――美容室の皆さんは、片付けとか反省会をやるっておっしゃってましたけど。
――貴女はサロンのアルバイトでしょ? 行かなくていいの?
――なんか、いいから来るなって言われたんですよねー。ひどくないですか?
あれは、そのサロンスタッフたちの心遣いに間違いなかった。
あんな大観客の場を踏み台にして二人の関係を進展させたのだ。サロンのメンバーは皆、了承していたのだろう。
今頃、五条新菜と喜多川海夢は、二人だけで帰路についているはずだ。今までとは違う距離感に心地よい戸惑いを覚えながら。
「なんで乾先輩、俺と一緒に帰る、なんて言ってくれたんすか?」
だがその結果、紗寿叶はこうして森田健星と一緒に歩いている。
「さっき言った通りよ。貴方の言った言葉、詳しく聴かせてもらうわ」
森田健星は、よく解っていない、という顔つきで訊いてきた。
「それですけど、俺またなんか言いましたっけ? 寂しいんですかって言ったこと、まだ怒ってます?」
「……もう怒っていないわ。そもそも怒ってた訳じゃないのよ……。でも、それに対して貴方が言ったこと、気になったの。ほら、貴方のお姉さんの表情が、私と、似てたって」
「あー、あれですか。全然いーっすよ。どっか座って話しますかー」
正直なところ、紗寿叶は初対面の男子高校生と二人きりになっているこんな状況など願い下げだ。
しかし紗寿叶は、あの二人とあれ以上一緒に居るのがいたたまれなかった。
喜多川海夢の満ち足りた顔を見るのが辛かったし、五条新菜のあの表情が、またいつ現れるのかと思うと怖かった。
美容室のスタッフたちがお膳立てをして、五条新菜と喜多川海夢を二人きりにしてあげようと配慮していることを知ったことで、なおさら一秒でも早くあの二人と別行動をしたいと思っていた。
そして『途中まで一緒に帰ろーぜ』と呑気に二人に声をかけた森田健星を『貴方に話があるから一緒に来なさい』と無理やり引きずるようにしてここまで来たのだった。
だからその〝貴方に話がある〟も、半分くらいはその場しのぎの口から出任せだ。
残り半分は、自分がどんな表情をしていたのか少し気になっただけだ――五条新菜に無様な顔を見られていたのではないか、という羞恥心からの。
「それにしても貴方、あんな邪魔をするんじゃないわよ」
「邪魔? なんの邪魔っすか?」
「……やっぱり、貴方本当に気づいてなかったのね」
「いや、マジで何のことっすか?」
この森田健星という二人のクラスメイトは、良くも悪くも大雑把な性格のようだ。
二人と一緒に行こうとしたのも全く悪気が無かった行動ということで、それは紗寿叶も大体感づいていた。
――でもなんで自分は、この男をわざわざ連れてきたのだろう。
紗寿叶は人の邪魔をするような行為を見て見ぬふりなどできる人間ではない。
だが、それは森田健星に直接指摘すれば用が足りたはずで、そのまま彼とは解散してしまえば良かった。
彼が口にしていた『姉ちゃんと表情が似ていた』という言葉も、そこまでして真意を聞き出したいわけでもない。
なのにこうして彼を連れ出して一緒に居るのはなぜか。
紗寿叶は自身の行動の理由に思い至らないまま、森田健星を連れて恵比寿駅ビル内にあるカフェの窓際席についた。
「オシャレなカフェっすね。こんなとこ入ったことないっすよ俺」
森田健星が店内を眺め回しながら言った。
「親が良く使うらしいわ。チケット何枚かもらっていたのよ。私も自分じゃ入らないわ」
この店はチェーン展開しているが、六本木や赤坂など、高校生には敷居が高いところに多い。
今日恵比寿に来ていなければ入ることは無かった。
「乾先輩、見るからにお嬢様、って感じですもんね。サクジョだし」
「勝手に決めつけないでくれる? ただの一般家庭よ」
森田健星が思ったことを遠慮なく訊いてくる。
この男は本当に
「そもそも貴方、私が桜ノ宮女子だって知ってたけど、喜多川海夢かしら? どこまで聞いているのよ。私がコスしてることも知ってるって言ってたわよね」
喜多川海夢と一緒に居た紗寿叶のもとに、五条新菜と森田健星が合流したときのことだ。
初めに五条新菜が紗寿叶のことを、いつもどおりフルネームできっちりと紹介した。
たしかに森田健星はコスプレ関係者ではないからコスネームで紹介するのはおかしいのだが、紗寿叶は自分の素性をいきなり見ず知らずの男に明かされて一瞬面食らった。
その途端、森田健星が詰め寄ってきたのだ。
「そうっすねー、喜多川からは学校でSNSの写真を見せてもらいました。この間、喜多川が学ラン男子のコスプレしてる写真撮ったんですよね? それで見ました。一緒に映ってる銀髪の女の子がめっちゃレベル高かったから誰? って聞いて。そしたら乾先輩だって教えてくれたんすよ。あれ? あいつはジュジュサマとしか言ってなかったっけか? まあ、学校とかフルネームとか細かいことは確か五条がきっちり教えてくれたっす」
喜多川海夢は感激して写真を撮りまくっていたから学校でも自慢していたことは容易に想像がつく。五条新菜も素性を隠すことに無頓着だ。あの二人は人を疑うことを知らない。
困ったものね、と口を開こうとしたちょうどその時、コーヒーが運ばれて来た。
森田健星は思っていたよりもきっちりと礼を言い、一口つけた。
すごく美味しいと彼らしい素直な感想を述べたあと、言葉を続けた。
「年上って聞いて、写真もメチャクチャ大人っぽかったんで、実際会ってみたら、なんつーか、その」
意外だったという訳だ。
「それで私のこと、小さい、って言ったのね」
「そ、そうですね……いや、つい口から出ちゃったって感じで。ごめんなさい、悪気はないんです。昔っから俺、マジでこんな感じで」
先程も彼の口から同じことを聞いた。しかし今はかなり反省している様子だ。
「気にしていないって言ったら嘘になるわ。私、実年齢よりもかなり年下に見られること、最近まで悩んでいたもの」
「そうっすか、ホントごめんなさい……って、最近ってことは今はへーきなんですか?」
「そうね。本当に最近、いろいろあって。今はあまり悩まないようにしているわ……平気、ってところまではまだ無理ね」
森田健星が先程言った、〝大人っぽい銀髪の女性〟キャラのコスプレは、紗寿叶自身、絶対に自分には似合わないと思っていたものだった。
だが、同じように体型や容姿に悩みながらも『なりたい自分』を決して諦めなかった人たちが、紗寿叶の背中を押してくれた。
そして出来上がった写真は自分が望んでいた以上に素晴らしいものだった。
この経験は紗寿叶にとって衝撃だった。
キャラへの愛があるからこそ似合わないキャラのコスプレはしない。その信念が実は、自身のコンプレックスゆえの言い訳だったのかもしれないと気付かされたのだ。
コンプレックスに正面から向き合い、そこから逃げなかった
「だからそのことはもういいわ。それで、貴方のさっきの言葉の意味よ。教えてもらえるかしら」
紗寿叶は自分語りを長々と続ける性分ではない。
早々に切り上げるために話題を転換しようと、森田健星を下から
森田健星はそれに
「そうっすね……最初は、確か俺が小学校んときだったかな。姉ちゃん、あんな顔してたときがあったんですよ」
「あんな顔、って私のさっきの表情のこと?」
「そうっす。俺がサッカークラブに入った時だったんすけどね。なんか姉ちゃん冷たくなって、俺、ガキだったけどすっごい悩んだんすよ」
森田健星が言うには、彼は自他ともに認めるお姉ちゃんっ子だったようだ。
何をするにも姉の後をついて回り、姉もまた甲斐甲斐しく彼の面倒を見ていたらしい。
近所の人たちからは、いつも仲の良い姉弟だと評判だったのだそうだ。
「貴方は、お姉さんに急に嫌われたと思ったのね」
「はい。めっちゃ悩みました。姉ちゃんにいくら聞いても『知らないわよ』しか言ってくれなくて。それでおかんに聞いたんすよ」
「お母様はなんて?」
「『お姉ちゃんは健星をサッカーに取られて寂しいのよ』みたいなこと、言ってましたね」
「貴方は、その時のお姉さんの顔が印象に残ってたのね」
「っつーことになりますかね。――あ、そっか、俺またやっちまったんだ――」
そこで森田健星は急に両手で顔を覆って、宙を仰いだ。
「なっ、何よ」
紗寿叶は思わず距離をとる。
「姉ちゃん、そのあとも何度かそういうことあったんすよ。俺に別の友達ができたり、彼女できたときなんかも同じ顔してて」
森田健星は表情も変えずにさらりと打ち明けた。
「貴方、彼女がいたことがあるのね」
意外だった。
紗寿叶も失礼だとは思ったがつい口に出してしまった。
「中学二年の時っす。すぐフラれました……それ以来居ません……」
「……なんで振られたのよ」
「その……『あたしはあんたのお姉ちゃんじゃないんだから』って。相手は一年生だったんすよ。……俺、年上以外の女の子とちゃんと喋ったことなくって」
紗寿叶にはなんとなく合点がいった。
彼は思ったことを遠慮なくすぐ口に出す癖があるが、いつも会話する相手が年上だからこそ許されてきたのだろう。
森田健星は年上の女性以外、付き合えないのかもしれない。
「それはご愁傷様としか言いようがないわ……ごめんなさい、突っ込んだこと訊いて。――で、結局貴方、さっきは何を思い出したのよ」
森田健星は、思い出すためだろう、少し間を置いて続けた。
「――いや、俺、姉ちゃんがそんな顔してたとき、『寂しいの?』って訊いちゃったんすよ」
紗寿叶は展開が想像できた。
そのときの彼の姉の気持ちがよく解ったからだ。
「それで、お姉さんにものすごく怒られたってわけね」
「そーなんっすよ……。いきなりガンギレされて泣いたなー。おかんにもそれで叱られて、めっちゃ反省させられたってこと思い出しました」
「忘れてたの?」
「忘れてた、っつーか、乾先輩の顔みてたら、あの時の感覚だけ思い出したんです。なんか声かけなきゃ、って焦っちゃって」
「つい出ちゃったって言いたいのね」
「まぁ……そんな感じっすね……」
紗寿叶は溜息をついた。
自分がそれだけ解りやすい表情をしていたということだ。
彼を責めるのも筋違いだろう。
「仕方ないわね。でも正直言って少し落ち込むわ……。私、そんなに酷い顔をしていたのね」
紗寿叶は何気なく呟き、コーヒーを口に含んだ。
少し温くなってしまったが、鼻孔を抜ける香りが気分をすっきりさせてくれた。
そしてゆっくりと飲み下そうとした紗寿叶に向けて、真剣な目をした森田健星が口を開いた。
「全然、そんなことないっすよ。乾先輩、めっちゃ奇麗でした」
「――ぶっ⁉」
紗寿叶の無防備な心臓と口
続きます。
また明日投稿します。