【外堀物語】   作:Halnire

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紗寿叶は考える女なのです。


辛辣女と粗忽者 その5

 

 

 

 

      Ⅸ

 

「お姉ちゃん、私、まりんさんに相談しようと思ってるんだ」

 

 夕食時、紗寿叶がシマアジの刺身をつまんだところに心寿が話しかけてきた。

 

「そう? 何の相談をするの?」

 

 心寿がわざわざ断りを入れてくるのは珍しい。

 答えを促した紗寿叶に、心寿は少し緊張した面持ちで口を開いた。

 

「サロンモデルのお仕事、見学させてもらえないか、って」

 

 心寿はサロンモデルの仕事がどのようなものか、実際に見ておきたいと思ったのだそうだ。

 もちろんこの話をもちかけてきた行きつけの美容室は見学の申し出を快く承諾してくれたのだが、心寿はそれに加えて喜多川海夢のサロンモデルの姿を見たいと願った。

 心寿の決断に一番大きな影響を与えたのが彼女なのだから当然かもしれない。

 紗寿叶は胸に少しちくっとした痛みを感じたが、動揺はなかった。

 顔色を変えることなく、言葉を返してあげることができた。

 

「良いんじゃないかしら? 彼女に相談するのが一番心強いと私も思うわ」

 

 心寿はぱあっと表情を輝かせた。

 

「本当⁉ お姉ちゃんにそう言ってもらえるなんて嬉しい!」

「でも、喜多川海夢なら心寿も直接連絡とれるじゃない。彼女なら貴女の頼みを断ることはないと思うわよ? 彼女の所属美容室にはきちんと許可をとらないとダメだと思うけど」

 

 紗寿叶がそう言うと、話をにこやかに聞いていた父親が、美容室関連への相談で必要なことがあれば自分たちが根回しをしておくから大丈夫だと言った。

 母親がその後に口を開いた。

 

「しーちゃんはね、〝まりんさん〟がお姉ちゃんのお友達だからって、まずお姉ちゃんにちゃんと相談しなきゃって今まで待ってたのよ」

 

 確かに心寿はそういう子だ。

 今日の出来事があったからといって、急に変わったりはしないのだ。

 

「そうだったの、待たせちゃったわね。でも心寿、喜多川海夢はもう貴女の友達じゃない。遠慮なく連絡とりあえばいいのよ」

 

 紗寿叶はちゃんと心寿の目を見て言った。

 姉として、きちんと送り出してあげなければ。

 

「――うん! ありがとう、お姉ちゃん!」

「――いいのよ、お礼なんて」

 

 紗寿叶は微笑んで答えた。

 ちゃんと背中を押してあげることができた自分を、少し誇らしく思えた。

 湯船の中で自分自身と向き合った結果、自分なりに感情を昇華することができていた。

 もし整理のつかないまま心寿から相談を受けていたら、演技ですら笑顔なんて出来なかったかもしれないし、夕食を共にすることさえ出来ていなかったかもしれない。

 紗寿叶は想像すると怖くなった。

 心の優しい心寿と仲違いすることなんてこれまで有る訳もなかったから、そんなきっかけを己が作ってしまったら、紗寿叶は自分の(ゆる)し方など解らなかったかもしれない。

 そして、自分自身にちゃんと向き合うことができたのは、屈託のない彼のおかげかもしれなかった。

 

「私も、お礼を言わなきゃいけないわね」

 

 紗寿叶はぼそっと呟いた。

 独り言が口から出てしまったのだ。

 

「んっ? お姉ちゃんがまりんさんに?」

 

 心寿が不思議そうに首をかしげた。

 紗寿叶は頬が少し熱くなるのを感じたが、本当のことはさすがに言えなかった。

 

「――そうね。喜多川海夢が引き受けてくれたなら、感謝しなきゃいけないわね」

 

 心寿は満面の笑顔になった。

 

「えへっ。お姉ちゃんも応援してくれるんだ! 嬉しい!」

 

 紗寿叶も笑顔で応じた。

 

「もちろんするわよ。妹の成長を応援しない姉なんて、いないわ」

 

 その後、食事は和やかに進んだ。

 明日の日曜に開く年内最後の料理教室のメニューの話や、初詣の話などに華がさいた。

 そして再びサロンモデルの見学の話に戻ってきた。

 

「お姉ちゃん。あのね、まりんさんが良いっていってくれたら、お姉ちゃんも見学、一緒にきてもらいたいな、って……」

 

 心寿が髪をぎゅっと握って紗寿叶を見た。

 意外なお願いをされて紗寿叶は少し驚いたが、とくに断る理由はもうなかった。

 それに髪を握るのは姉妹そろって同じ癖で、不安なときについ出てしまう。

 応援すると言ったのは自分なのだ。不安がっている妹をきちんとバックアップしなければ。

 

「いいわよ。当たり前じゃない」

 

 紗寿叶は微笑んだ。

 

 

 

 

      Ⅹ

 

 食後、テーブルを片付けた後、心寿は喜多川海夢にサロンモデルの見学相談についてLIMEを入れた。

 すると即座に通話の着信が鳴った。相変わらず何もかもが早い。

 心寿は喜多川海夢に断りを入れて、スピーカー通話に切り替えた。

 紗寿叶も当然一緒に聴いている。

 

『心寿ちゃーん! あたしは全っ然いーよ! でもサロンの人に訊かなきゃかな。どーしてうちのサロンを見学したいの?』

 

 心寿はちらと紗寿叶のほうを見たが、すぐに画面に向き直った。

 心寿も自分自身できちんと説明しなければいけないことを解っている。

 

「あの、私。今日のまりんさんのステージ見てたんです! すっごい感動しました。それで」

『マジ‼ 心寿ちゃんに感動されたなんてあたしのほーが感動! ヤバい嬉しい!』

 

 よっぽど感極まったのか、心寿の言葉を遮って感激の言葉をまくし立てた喜多川海夢を、背後から男性の声が(たしな)めるのが聞こえた。

 喜多川海夢もスピーカー通話にしているようだ。

 

『――喜多川さん、乾さん、まだ説明の途中ですよ』

 

 五条新菜だ。

 二人はまだ一緒にいるようだ。

 紗寿叶の心臓は少しだけ動きをはやめたが、平静を保っていた。

 

『そ、そーだった! ゴメン心寿ちゃん。それで、何?』

 

 心寿はサロンモデルをやろうと気持ちが動いた理由が喜多川海夢のヘアショーモデルの姿だったことと、サロンモデルを引き受ける前に、一度喜多川海夢がサロンモデルをやっている姿を自分の目で見たいと思ったことを、彼女なりの言葉で精一杯伝えていた。

 喜多川海夢はそれこそ心寿の一言一言に反応してスマホ越しに叫びだしそうだったが、五条新菜がなだめて抑えている様子が見て取れた。

 

『新菜ぁ、煮立ったから火ぃ止めといたぞぉ』

 

 スマホ越しに、別の男性が呼ぶ声が聞こえた。

 紗寿叶は一体誰が居るのだろうかと(いぶか)しんだが、すぐに誰の声だか思い当たった。

 初めて五条新菜の家に行った雨の日、親切に風呂を勧めてくれた優しげな老人の声だった。

 あれ以来顔を合わせていないが、彼が雛人形職人の師匠でもある五条新菜の祖父だったのだろう。

 とすると、喜多川海夢は今、五条新菜の家に居るのだ。

 彼の祖父の言葉から察するに、今は五条新菜が夕食の用意をしていたところだったらしい。

 喜多川海夢の通話を円滑に進めるために一旦台所を離れているようだ。

 

 ――そう言えば、五条新菜も喜多川海夢も、ご家族はどんな方たちなのかしら。

 

 紗寿叶はふとそう思ったが、通話が早いペースで進んでいたためすぐにそこから注意が逸れた。

 

『うん! うん! わかった! 絶対おいでよ! あたしりほさんや店長さんに説明しておく!』

「ありがとうございます! まりんさんのお仕事の姿、楽しみです!」

『あたしも心寿ちゃんに見てもらえるなんてガチでアガる! あ、でも美容室って成人式が終わるまではめっちゃ忙しいから、一月の中頃は絶対過ぎると思うよ? 次いつ撮影あるか聞いておくね!』

「わかりました! まりんさん、ありがとうございます!」

 

 そこで心寿は紗寿叶を少し振り返り、ふたたびスマホに話しかけた。

 

「それとまりんさん、見学が大丈夫だったら、お姉ちゃんも一緒に行ってもいいですか?」

 

 心寿がそう質問すると、即座にスピーカーから返事が響いた。

 

『マジ⁉ ジュジュサマも来るの!? 最高すぎん⁉ いやオーケーに決まってんじゃん! ジュジュサマにも絶対来てくださいって伝えて欲しい!』

 

 予想していた反応だった。

 紗寿叶は心寿の側に行ってスマホに顔を近づけた。

 

「喜多川海夢。私からもお願いするわ。お仕事の邪魔にならないようにするし、サロンの方々にはこちらから直接お願いさせていただくから貴女に迷惑はかけないわ」

『うわっジュジュサマ! ジュジュサマからのお願いなんてメーワクなんてないし絶対聞かせていただきますって感じなんですけど! クッソ嬉しい! サロモやってて良かった!』

「大げさね……でも貴女にそう言ってもらえると私も嬉しいわ。それと――」

 

 紗寿叶は一拍置いたあと、昼に言えなかった言葉を続けた。

 

「――ヘアショーの貴女の姿、とても素敵だったわ。本当に奇麗だった」

 

 その後は喜多川海夢の言葉にならない悲鳴のような嗚咽(おえつ)のような声がスマホの向こうから続いた。

 やがて五条新菜になだめられて落ち着いたらしく、感謝と喜びの声を絞り出すように伝えてきた。

 ヘアショーを紗寿叶が観てくれたことを本当に感激してくれているようだった。

 そして話は紗寿叶が会場を去った後の話へと続いた。

 

『ジュジュサマ、今日は健星君と帰ったんですよね? 大丈夫でした?』

「大丈夫よ、っていうか心配してたの?」

『心配してたってゆーか、健星君、グイグイ行くし声デカいし、メーワクかけてなかったかなーって』

 

 紗寿叶は思わず吹き出した。

 そのうち笑いを堪え切れなくなった。

 

「あはっ、あはは」

『ジュジュサマ? 急に笑いだしてどーしたんですか? なんかツボでした?』

 

 スマホから不思議そうに喜多川海夢が訊いてきた。

 隣では心寿も不思議そうな顔をしているのが見えた。

 

「あなたたち、本当にそっくりだわ」

『そっくり? よくわかんないんですけど、ジュジュサマ、健星君苦手じゃなかったんですね』

「ええ、全然。むしろ助けられたわ」

『助けられた?』

 

「そう――あなたたちには感謝しているの。本当にありがとう」

 

 清々しい気持ちで、紗寿叶はそう口にできたのだった。

 

 

 

 

      Ⅺ

 

「ふぅ……」

 

 紗寿叶は手にしたスマホを凝視して、何度目かのため息を吐いた。

 今、紗寿叶はLIMEを送ろうとしている。

 相手は森田健星だ。

 内容はなんということはない、預かっていた彼のセーターをクリーニングに出したことと、それが戻ってくる予定日についてだった。ただの事務連絡である。

 

「――」

 

 さっさと連絡事項だけを送信してしまえばいいのだが、紗寿叶はさきほどからずっともじもじしている。

 さらに数分スマホとにらめっこをした後、意を決して送信をタップした。

 直後に既読がついて、紗寿叶のスマホが鳴動した。

 

「――やっぱり」

 

 紗寿叶は溜息を()きながら通話をタップした。

 とたんに森田健星の声が聞こえてきた。

 

『乾先輩、クリーニングわざわざありがとうございます! 昨日楽しかったっす!』

 

 声を聞いて紗寿叶の心臓は少し高鳴った。

 だから(いや)だったのに、と紗寿叶は思った。

 紗寿叶は日曜の今日、朝一番でクリーニング屋に森田健星のセーターを出しに行った。

 彼の住所を聞きそびれていたことと、宅配サービスを引き受けている店はどこも仕上がりが遅かったため、一番早い店に出した。

 年内に仕上がって戻ってくるが、受け取ったセーターを紗寿叶自身で森田健星に届ける必要がある。彼の住んでいるところを聞かなければならなかった。

 内容はその程度のことだったのだが、森田健星の性格からして、すぐに通話が返ってきそうだし、そうなったらまた気持ちが振り回されそうだと思って紗寿叶は二の足を踏んでいたのだ。

 そして実際、そうなった。

 

「――約束したもの。ちゃんとやるわよ。で、貴方の住所どこなの。教えて」

 

 楽しかった、という彼の言葉には何も返さなかった。

 答えるのが単に恥ずかしかっただけだ。自分でも少々無様だと自覚している。

 だいたい通話にしたって本当に嫌なら予め〝まわりに人がいるから通話はできない〟とでも送っておけばよかっただけなのだ。

 むしろわざわざ一人きりになってスマホを握りしめていたのはなぜなのか。

 何から何まで自分の行動がちぐはぐで恥ずかしい。

 一方の森田健星は、とくに気にすることもなく自分の住所を紗寿叶に教えてくれた。そこは紗寿叶の家からあまり遠くは無かった。

 

「じゃあ、二十八日に店に届くらしいから、二十九日以降にそちらに持っていくわ。真冬だしセーターをお返しするのは早めがいいと思うのだけど、そちらの都合はどうかしら?」

『わざわざ持ってきてもらうなんていーっすよ。俺が行きます。日にちはちょうど二十九に親戚の家に出かけちゃうんです。大晦日とかでも大丈夫っすか?』

「昼の間なら大丈夫よ。夕方からは貴方もご家族と過ごすでしょう?」

『そっか……親戚んちから戻るのが大晦日の午後っぽいから、ちょっとビミョーっすかね。すいません、俺の都合で振り回しちゃって』

 

 今までも振り回されっぱなしなんだけど、というツッコミは心の中だけで留めておいた。気を使ってくれたことに少し嬉しくなっていたのだ。

 ところがその後に続いた森田健星の言葉が、紗寿叶の心をふたたび、盛大に振り回した。

 

『じゃあ、俺と初詣、行きませんか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




続きます。
明日も投稿します。
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